Prelude 〜主砲の起動〜

 

 変異性遺伝子障害病。

 現存する不治の病の中では最も治療が困難とされ、同時に最も奇異な疾患として知られる難病である。数十人に一人の割合で特異体質者を生み出すその要因も、そして特異体質者の共通点も、未だ解明されていない。

 その特異体質──休眠遺伝子の覚醒によって引き起こされる特異性は、およそ例外なく患者の背中に羽のような熱源体を具象化させる。その『リアーフィン』と呼ばれる翼によって制御される特殊能力の発現──そして何より、通常型(・・・)に比べて体内の熱エネルギー循環がはるかに高いことから、彼らは『高機能性』と称され、いつしか『HGS──High Grave Seed』などという皮肉以外の何者でもない病名までつくようになった。

 そうした常識外の特殊性を持つ患者の中でも、さらに特異で稀少とされる──もっと具体的にいうなら、世界でただ一人、類を見ない能力を持って、フィアッセ・クリステラはこの世に生を受けた。

 その漆黒の翼。

 在るもの全てを奪い取る自虐的な力。生命体の熱量をそのまま力へと変質させる彼女の力がまさしく諸刃の剣そのものであると知ったとき、その黒翼の名は決まった。

『ルシファー』

 堕天した天使の名をもって、彼女はそう呼ばれる。

 今もなお──その光り輝く歌声の届かぬ場所で。

 

      ◇

 

 闇の中の一条の灯り。天井から床に広がる微かな光の円の、ちょうど外周を踏むようにして立つ男は、手を後ろで組み、何も見えない前をじっと睨み付けるようにして声をつむいだ。

「────これらの見解により、煌美星、椿三影、ギルバート・ハウンゼンの三者は、人類と敵対する立場になったとみなして良いでしょう。他、主砲に関しては、ある者は行方をくらまし、ある者は中立の立場をとっています」

「理由を明確にすべきだと思うがね。君の存在もそうだが──ヴァイミリア・L・ホーン?」

 円卓の中央で、ヴァイミリアと呼ばれた男性は誰にも気づかれない程度にそっと息を吐いた。返ってくるのは声だけで、変わらず姿は見えない。

 室内は暗く、さほど大きくないはずの円卓に座る相手の輪郭さえ見えないほど闇に満ちていた。が、ここには確かに人がいた。全十三席。それが何を意味しているかは彼とて知らない。知る必要がなかったからだが、あえて不吉とされる番号を模しているのは、彼らが『裏』だからだろうと勝手な予測を立てていた。

 答えられる範囲で答える。あらかじめ予測していた質問だけに、微塵も動揺せずにヴァイミリアは言った。

「残る主砲七人のうち、戦闘力をすでに失っているものが三名。この世界に降臨した頃より中立を維持し続け、動かない者が一名。逆に両陣営の敵、つまり第三勢力となった者が一名。そして、味方となった者が一名──私のことですが──、これが主砲の現段階での内わけです」

「一人足りないが?」

「残る一人はすでに死滅しました」

 端的に告げる。これらのことはすでに資料に記載してあるはずだが、室内の緊迫度が多少なりとも上がった気がした。

「本題に移ります。和泉十鬼の死亡により【創造の竜(アカシック・ドラゴン)】が始動、椿三影が北極、並びに南極の両極点にニーベンギールの槍を創設。現在すでに、地球を核とした結界が世界全体へ張り巡らされました」

「それではこちらの計画は成立しないのではないか? 退路がふさがれては、船も意味を成さないのでは?」

「奴の結界は【創造の竜】を正しく起動させるための補助装置でしかありません。ご心配なく」

「ではプロジェクトは予定通りに?」

「そうなります。今夜、早急に集まっていただいた理由はまさしく、プロジェクト遂行の承認を得るためです。」

 報告というよりも、むしろ確認を取る形でヴァイミリアは告げた。それその通り、全員がすでに自分たちが集まっている理由を知っているからこそ、誰もが口を閉じたまま沈黙で肯定を示したのだ。会議は要点のみで、早急に終わらせる必要があった。

「承認を」

「認めよう」

 同意を示すべく、全員の卓上に小さな赤い明かりが灯った。それを一つ一つ確認してから、ヴァイミリアは再び前面を向いた。

「全代表の承認を確認しました。これより、計画は実行に移されます」

「承知した。今後一切の指揮権は、我々から君に移行する。国連参加国のみにあらず、各国政府、ならびに警察機関、司法組織、民間、全てに対して、君には何者をも拒むことが出来ぬ超越権限ならびに命令特権が認められる。各国首脳陣にはすでに手配済みだ。存分に手足をとして使ってくれたまえ」

「了解です。本日、フランス標準時間で午前零時、あと五分十秒後より、『ノア・プロジェクト』を始動。第一段階を実行に移します。では早速ですが──」

 声が暗室に響く。

 自らの声。その振動を耳にしながら、ヴァイミリアは身近に迫った終末を予感していた。

 

       ◇

 

  闇夜のイギリスをはるか上空の成層圏から見下ろして、ギルバート・ハウンゼンはただ機械的に分析した。弾き出された感情回路による結論はひどく端的だった。

(三影ガ動イタ)

 すでに酸素のない空間。そこから地表を見下ろせば、人間など豆粒ほどにも映らなくなる。だがその緑の双眸にはっきりと捉えた人物の解析は距離など物ともしない。心情的には邪魔な街のネオンも機能的には全く邪魔にならない。

 ただ一点を見つめる彼の視線に障害など意味を成さなかった。

(『破壊の女神』と『再生の死徒』)

 宙を飛び交う電磁波による情報の渦。その中心地で、自らが欲するものだけを選別して処理する。脳のハードディスクが微音を立てて回転を早め、瞬く間に結果を導き出す。

(時ガ来タ)

 感情と呼べないほど無機質な声で意識を紡ぐ。

(世界ハ開放サレネバナラナイ)

 やがて来る終末の前に。

 知識としてのみ存在する神の姿を思い描き、ギルバートは排気口から小さく煙を吐いた。

 

      ◇

 

 その男の顔を見たとき、彼はただ呆然とするしかなかった。自分の立場を忘れ、目に見える景色が次第に白濁していく様を、微かに残った理性が他人事のように見つめている。微かに開いた唇から漏れ出る息が小さく微温を奏で、そうしてようやく、彼は自分の動悸の激しさに気づいた。

「どういうことだ?」

 その言葉は、本来なら自分が発するべきだったのかも知れない。しかし現実にそう聞いたのは老年の女性だった。この部屋の主であり、彼の上司である彼女は顔色一つ変えず、いつもよりも数段低く鈍い声で言うと、部屋の中央に現れた男性をねめつけた。

「言ったとおりだ。ディザ・ライザ・ハーケーン。私と手を組まないか?」

「……ほう」

 彼女は静かに呻いた。

「それは我々が香港警防という刑事組織であり、司法の元に汝ら犯罪者を駆逐する立場であることを理解した上での発言か? 煌 美星(ファン メイシン)。『龍』の設立者よ。わざわざ我らの本部まで、しかも本人が足を運んでまで語るべきこととは思えんな」

「言っておくが、冗談でここにくるほど酔狂ではないさ」

 男は軽く肩をすくめると、いまだ呆然としているこちらに一瞬をやり、微かに鼻で笑って見せた。

「そうだろう? ここは香港警防の本部。我が犯罪結社たる『龍』の天敵だ。常日頃から私を撃ち殺したいと考えている者たちで溢れかえっている。そうした中に単身乗り込むには、少々勇気が必要だよ」

「なめられたものだな」

 ディザは微かに怒気を込めて言った。彼女が感情を外に出すことはめったにないだけに、彼もまた驚いて彼女を見た。

「事実だ。認めよ。たとえ香港警防が総力で私に立ち向かっても『私』を倒すことはできない。君らでは少々役不足だ。ナイフで空気を斬れるか? 銃で水を斃せるか? そういうことだ。『龍』だけならば、あるいは殲滅できるかもしれないが」

「……そのようなことはどうでもいい。要件は聞いた。次は理由を聞かせてもらおう」

 男は笑った。口元だけが陰湿な歪みを生む。

「賢明な香港警防司令殿のことだ。私がここに来た時点で気づいているだろう? 私本来の活動をする時がきた。おおよそこれより一ヶ月以内に『最悪の三日間』は訪れる。『終末』の対策を練らねばならん。私とて仮にも『主砲』なのでな(・・・・・・ ・・ ・・・・)

 にやりと男の顔が歪む。驚きのあまり声が出なかったが、対照的にディザのほうは随分と落ち着いていた。最初から知っていたのではないかと、そう思えてしまうほどに落ち着き払った態度に苛立ちを隠せないまま上司を睨む。しかし男の言葉を受け止めているその表情からはやはり分厚い鉄仮面に遮られてそれらしいことは何も伺えなかった。

「心配せずとも、その間、『龍』には一切の活動を停止させる。ここにきた本当の目的は『休戦協定』だ。手を組まないかと言ったのはそういうことさ。私個人に対してはどうとでも対処してくれてかまわない。もちろん抵抗はするが」

 それはつまり、部下の命が惜しければ、自分の行動も見逃せと言っているに等しかった。

「ま、私本人が足を運んだのは誠意と汲んでもらいたいね。なお、これが聞き入られない場合は今からこのビルにいる──君らを除いた全ての人間を殺す。そうでもしないと、私がいない間に可愛い『(こども)』たちが君らに逮捕されかねないからね」

「そ、そんなことできるわけが……」

 宿敵に対して初めて、彼は口を開いた。唇は震え、歯が鳴り、目が乾いて痛みを訴えてくる。たったそれだけを言葉にするのに、彼は全ての心力を使わなくてはならなかった。

 カタリと音が鳴る。眼球だけでそちらを見やると、倒れていたのは飾っていた花瓶だった。水がこぼれて床にしみを作っている。そうしてよく見ると、部屋全体が揺れていることに彼は気づいた。男の姿が歪む。空気がかすむ。その深遠の黒瞳に見つめられて、彼は力が全身から抜けていくのを感じた。

「できるとも。私を甘く見るなよ、副司令殿? 『龍』とは私にとって行動を抑制する『枷』に過ぎん。自身が動いてはあまりに被害が大きすぎるために造った、頼りない手足さ。私を縛る鎖とでもいうべきか……さて、ご理解いただけたところで返答願おうか、ハーケーン司令」

「…………」

 彼女は一瞬こちらを見、その瞳孔の奥に小さな揺らぎを見せた後、しかし彼の反応を見ることなく男のほうに向き直った。

「……ふん。脅迫まがいの話に頷かねばならんというのは激しく遺憾だが、仕方あるまい……了承した。今後はこちらもそのように体制を整えよう。ただし、一ヶ月だけだ。その間に休戦をそちらが破った場合、速やかに『龍』は解体しろ」

「認めよう。そして感謝する。警防隊はいざ知らず、『君』とは出来れば戦いたくないのでね」

 男は先ほどの殺気がうそだったかのように微笑むと、静かに、溶ける様にゆっくりと、名残を惜しむかのような笑みを残して部屋の中から姿を消した。

 その名残を見つめながら、彼は、ディザがポツリとぼやくのを確かに聞いた。

「陣内を泳がせて正解だったな」

 インターポールから部隊徴収の戒厳令が降りたのは、その一時間後だった。

 

 ……

 ところ変わってこちらは日本。

 警防隊本部で起こっている出来事など露知らず──久々の帰宅に胸膨らませながら、啓吾は知らぬ間に様変わりした玄関のチャイムを押した。初代管理人として働いていた頃にはなかった花壇や駐車場の車を見れば、ここを離れていた時間の長さを思わされる。

 海鳴市のはずれ、国守山山中にあるさざなみ女子寮。ほどなくして出てきた三代目管理人に向かって朗らかに手を掲げ、

「や、久しぶり」

 そう言うと、案の定、連絡も何もしなかったために驚いたその相手は完全に度肝を抜かれたようだった。

「…………」

 目を点にした長身の男性が、しばし硬直した後ゆっくりと正気を取り戻しながら、けれどやはり声はまだ震えたまま、一言一句をかみ締めるように言った。

「あの……啓吾……さん?」

「うん。ひさしぶりだね、耕介君。うちの娘たちは元気にしてるかな?」

「……えーと」

 しばし迷ったように目を虚空に泳がせながら、耕介と呼ばれた彼──現・さざなみの管理人である槙原耕介は、ようやく気を落ち着かせたらしく、

「きょ、今日は平日ですし、もう八時過ぎてますからね。今日は愛さんも含めてみんな学校やら、仕事やらで出かけてます。夕方になるまで俺一人ですよ?」

「おや、タイミングはずしたかな」

「そうですね。あ、ここで話もなんだから上がってください。お茶入れます。ゆっくりできるんでしょう?」

「いや、仕事の都合でよっただけだから、美緒やみんなの顔を見たら帰るつもりだったよ」

 リビングに続くドアに入ろうとして、しかし啓吾はそのまま耕介の後に次いでキッチンのほうへ向かった。男二人しかいないのだからそう気にすることもないと思ってのことだったが、それに気づいた耕介が微笑みながら「紅茶でいいですか?」と聞いてきたので、啓吾は軽く頷くだけで返答した。

「いやぁー、でもさっきは驚きましたよ。連絡くださればよかったのに」

「ははは、まぁそれに関しては謝るよ。悪かった」

「美緒が今日は半日で学校終わった後、バイトに向かうって言ってましたけど……」

「確かペットショップだったかな。だったら帰りは夜?」

「ですね。俺のお古じゃない、新しいバイクを買うんだって張り切ってましたから」

「そうか。最近はこっちに帰ってなかったし、たまの電話や手紙も、昔ほど喜んでくれてないような気がしてちょっと寂しかったんだが……」

「十分喜んでますよ。でも女の子って大人になるのは早いですから、啓吾さんも覚悟しとかないと」

 こういうせりふを聞くと、それこそ本当にどちらが親かわからなくなる。実際、美緒の面倒を子供の頃から見てくれているのは耕介なのだから、娘にとっては彼がもう一人の父親といえなくもない。親としての経験も実績も、啓吾より遙に勝っていることは間違いなかった。

「不安にさせないでくれよ」

「すみません」

 言葉ほどには反省していないような表情でわびながら、それでも耕介の手元は止まっていない。鮮やかな動作でお茶を淹れる様は、彼がここでどれほどその行為を繰り返してきたのかを思わせる。やがて用意が出来たらしいそれを手にして耕介がダイニングテーブルにつくと、啓吾は礼を言ってから差し出された湯気立つ茶水に口をつけた。程よく熱い液体がのどを通っていく。砂糖などいらない甘みは、それだけ葉が上等なせいだろうか。心地よい気分でカップを置くと、啓吾はここにきたもう一つの理由を切り出した。

「実はね、耕介君。ここに来たのは、君に話があったからでもあるんだ」

「俺に……? 連絡なしだったのはそのせいですか?」

「いや、それは単に驚かせたかったから」

 きっぱりと断言すると、耕介は呆れたような表情で「あ、そうですか」と言った。

「話というのはね、耕介君は昔『HELL&HEAVEN』というチームを結成してただろ? そのことなんだけど……」

「…………」

 ほんの少しだけ、耕介の表情が硬くなった。

 記憶に新しいその名前──『HELL&HEAVEN』というその言葉が耕介とその仲間が結成したグループ名であることは、啓吾が事前に──椿三影について──調べていて判明したことだった。耕介が十代の頃だから、もう十年以上も前になるか。俗に言う暴走族グループに分類されていたそれは、長崎市を拠点として西日本の不良を支配下に置いたという。しかし日本史上最悪と謳われた彼らはたった三年でその姿を消した。彼らに何があったのかまでは調べることは出来なかったが、そのチームに椿三影がいたという事実を知るに至っては、むしろ耕介が関わっていることのほうに啓吾は驚いていた。

 耕介にとっては過去のこと。昔のことだと笑い飛ばす様子もなく、ただ驚きと、それ以上に疑惑の瞳を向ける彼に微笑み返すのは努力が要った。

「その主要メンバーの一人、椿三影について、耕介君が知っていることを聞きたいんだ」

「……それは…………って、え? 三影?」

「うん。おや、一体何だと思ったんだい?」

 耕介の態度があまりにも素っ頓狂だったので聞くと、

「いやぁ、あの頃の俺ってむちゃくちゃやってましたからね。それこそムショ送りになってもおかしくないことも。だから今更逮捕かなぁって」

「まさか」

 出来るだけ乾いた声にならないように気をつけて、啓吾は笑った。

「例えそうでも、君たちの過去の行為に対して罰則を与えるのは香港警防の仕事じゃないよ。けれど『椿三影』となると話は別だ。彼は世界的にも特殊な存在だからね」

「そんなにすごいんですか?」

「すごいも何も、史上九番目に最悪と謳われる犯罪者だ。その実績も、履歴も、他の一般人など比べるべくもない」

「へぇ……」

 しかし耕介のその反応は、啓吾にとっては果てしなく予想外だった。

「へぇ……って、知らなかったのかい?」

「ええ。全然」

 はっきりと頷いて見せたその様子は、嘘を言っているようには見えなかった。

「ぜ……全然? 本当に? これっぽっちも?」

「はい。全然これっぽっちも知りませんでした。あいつが犯罪者だって言うのは知ってましたよ。本人もそういうようなこと言ってましたし。でも本当にそこまでのものとは知りませんでした」

 随分な印象の違いに、啓吾は内心驚いていた。確かに実際に会ったことがあるのとないのとではそこには決定的な違いがある。信憑性は圧倒的に耕介のほうが高いのだ。ましてや耕介は仲間として行動していたのだから、司法機関のように彼に対して敵意があるわけではないだろう。だが、それにしたってギャップが大きいすぎるような気がした。

「そうなのか」

「ええ。ぶっちゃけた話、どうでもいいって言うのが本音でしたけど」

「…………」

 なにやら物憂げになりながらも、啓吾は聞くべき本題を口にした。

「で、どういう人物?」

「性格ですか? ……えーと、一言でいえばマメですね。それなりに社交的ですし、付き合いもいいし、頭もいい。礼儀だってわきまえてるし、他連中と違って暴走することなんてまずなかったし」

「暴走?」

「いえ、こっちの話です」

 その単語を口にした耕介の表情が、一瞬物悲しそうに見えたのは気のせいだろうか。

「だから犯罪者だって自分で言ったときも、ああ、何か事情があるんだろうなとしか思いませんでしたね。意味なく狂気に走る奴じゃなかったし。考えなしで行動するような性格でもないし」

「思慮深いってことかな?」

「いつも冷静でしたね。これがもう腹立つくらいに。そのくせ見かけによらず人情に(あつ)い奴だから、街の人からも人望はありましたし」

「…………」

 何故だろう。啓吾はひどく自分が狭隘な気になった。狭い範囲でその人物を断定していないだろうか。椿三影。情報によれば、確かに永久指名手配コードを持つ、軍隊の一個師団とも互角に渡り合う最悪の特異能力者であり犯罪者なのだ。しかしその動機や行動原理はいまだ解明されていない。いまだ一度も司法組織につかまったことがないのだからそれも当然かもしれないが、それにしたって過去の実績だけが先行しすぎている気がする。その最たる理由が、耕介の三影に対する印象だった。

 これではまるで凶悪犯罪者には聞こえないではないか。まぁ、だからといって過去の犯罪履歴が消えるわけでもなく、永久指名手配も取り消されることは決してないのだが。近所で犯罪が起こったときの「まさかあの温厚な人が……」的な感じに似ているといえば似ている。

「啓吾さん?」

「あ、すまない。そうか、抱いていた想像とは随分違うな」

「あぁ、やっぱり……」

「やっぱり? ……っと、そういえば彼には子供がいるらしいんだけど……聞いてるかい?」

「テテニスのことですか?」

 こともなげに、彼は言った。

「あ、ああ。その子については?」

「会ったことはないですね。相手の十鬼──あ、彼女も仲間なんですけど、その十鬼のお腹が大きかった記憶なんてないし……チーム解散後に生まれたなんていう話も聞いてませんよ」

「……そうか」

「そういえば、三影も変なこと言ってましたね。『テテニス』を生むことが現在の最優先事項だとか何とか。テテニスって誰? って聞いてみたら、自分の子供の名前だって言うんですよ。長崎に来たのは相手探しだそうです」

 ハハハと、耕介は笑ったが、啓吾は上手く笑い返せたか自信がなかった。

「テテニスが生まれたら俺のところにも知らせが来るでしょうから、まだ生まれてないんじゃないですか?」

「いや、情報だと確かに彼と、十鬼……さんの間に一子がいることになっている」

 十鬼という名前を口にしたとき、啓吾はあやうく自生を失いそうになった。もし自分の想像が正しければ、耕介たちのかつての仲間である『和泉十鬼(いずみ とき)』とは、少し前、調査隊に参列していた啓吾の部下『十鬼(シーカイ)』であるに違いない。

 名前につまずいたのは、彼女が死んだことを耕介に教えるかどうかを迷ったからで、結局口をつぐんだ形になったのは、どうやってそのことを告げればいいのかわからなかったからだ。

「……どういうことかな?」

 そんなこちらの心情など露知らず、耕介は首をひねっていた。確かに疑問だが、不確定要素の多い情報にいつまでもかまっていられない。

「それで肝心の椿三影の消息だが……心当たりとかは?」

「すみませんけど……ありませんね」

「そうか」

 当然といえば当然だった。昔交友があったとはいえ、その行き先をわざわざ告げたりはしないだろうし、耕介自身もそのあたりに気配ったりはしないだろう。啓吾とて三影の消息を知ったところで出来ることなどないのだが、今は判断材料が限られすぎているため何でもいいから新たなきっかけがほしかったのだ。と──

「あ、でも……」

 紅茶をすすりながら、のほほんと、耕介は付け加えた。

「今現在、あいつがどこにいるかは知りませんが、連絡なら取れますよ? 電話番号知ってますから」

「………………………………え?」

 その硬直は、驚きのあまりカップを受け皿にすべり落として、割れた音がしてもなお続いた。

 

      ◇

 

「──では早速ですが、ファーストオペレーションに移ります。内容はすでにご承知の通り、まずは『彼女』を孤立、社会的立場の抹消を行います」

 右斜め前方。方角的には二時の位置よりやや右にいる人影に向かって、ヴァイミリアは言った。

「わかった。手配しよう。我々は君の行動に疑問は持たないし口も挟まない。だが勘違いしないでもらいたい。君には信用も信頼もない。我々が信ずるのは人類の未来だけだ」

「心得ています」

 頷く。それはこちらとて同じだった。あるのはただ、お互いを利用しようという利害一致だけである。

「最優先されるべき事項を間違えはしません。ご安心を」

「了解した。では我々はこれで失礼しよう」

 暗室から、十三の人の気配が瞬時に消える。

 ヴァイミリアは何の未練もなく、すぐさまその部屋を退室した。ドアのすぐ傍で待ち構えていた秘書と、部下数名。馴染みの顔ぶれを見渡す。全員が、彼の云いたいことを察して頷き返してきた。

「承認が降りた」

 誰かが生唾を飲む音が聞こえた。

「ファーストオペレーションは今後、『ルシフェル』と仮称する。詳細はすでに知っている通り、配置、役割ともに変更はない。君らが橋渡し──各国とのパイプになる。計画遂行に当たって私が言えることは一つだ。同情の余地はない。徹底的に、完全に冷徹を貫き通せ」

「了解!」

 眼前の七名が一斉に敬礼する。

「本日、午前一時を持ってオペレーション『ルシフェル』を開始する。その主要目的、フィアッセ・クリステラの社会的抹消のタイムリミットは一週間後の午前零時だ。では、散開!」

 行動は素早かった。誰もが目を合わせることなく、呼吸さえ止めたのかと思わせるほど無感情な顔つきでヴァイミリアの元を去っていく。

 ただ一人、伽藍とした廊下で佇みながら──

 手元に残された資料、その題目たる『ノア・プロジェクト』の第一項目──『フィアッセ・クリステラ抹消』の文字を見つめ、ヴァイミリアは声に出さずに己に活を入れた。

 

      ◇

 

 始まりと終わり。

 すべからく、世界に等しく存在する始点と終点。それは『世界』とて例外ではない。それを知ったのは、生まれて自我をもってすぐのことだった。

 今はもう存在しない『彼の世界』。

 だが決して、終わったわけではない。

 だから自分はここにいる。

 全てを還元し──

 世界を蘇生し──

 彼女を殺して──

 思い描いた女神の散り行く様に見惚れて、エースはゆっくりと瞳を閉じた。

 後はただ、闇が降りる。

 

      ◇

 

 全ては、『彼女』を殺すことから始まる。

 その意思の元に。

 その無慈悲な歯車をきしませながら、世界を撃ち抜く主砲が始動する。

 

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