第四章  矛盾の刃

 

 小さな──ともすれば聞き逃してしまいそうな草ずれの音に気づいて、フィアッセ・クリステラは外を見た。窓から見る空。ガラス越しの世界。そこで音が鳴るたびに思う。自分はいつまでこの白い空間にいればいいのだろう。栄養補給という名目のチューブが、まるで鎖のように身体を縛り付けている。身体に差し込まれた何本もの管を見るだけで吐き気がした。だから彼女はずっと外を見ていた。だからこそ音に気づいたのだが。

 それはやがて、カサッという音を立てて、近くの草むらから出てきた。

(あっ……)

 声には出さずに、フィアッセは驚いた。ウサギだった。白い。そして目の赤いウサギだった。だがこの部屋と違い、その体毛はふわふわと温かそうで、血と同じ赤い瞳はけれどきょとんとして可愛らしかった。

 撫でたい。抱きたい。そんな風に思う。そしていつもどおり、思うだけで終わる。自分はここから起き上がることは出来ない。たとえ、今すぐ身体の自由を得たとしても、外に出ることは出来ない。外に出たい。だけど外は怖い。彼女の心を縛り付ける枷は、彼女自身にあった。

 そして──

「あっ!」

 小声で漏れ出た驚きは、草むらから現れた黒いものに目を奪われたからだった。それは瞬く間にウサギをくわえ、かみ殺し、その口から血を滴らせながら──そしてこちらの視線に気づいたのだろう、一瞬、警戒するようにその獰猛な牙と眼をフィアッセに向けた。ウサギの白い体毛が、見るまもなく赤く染まっていく。その様を、まるでこちらに見せつけるように。

 野犬はやがてウサギを加えたまま走り去った。地面に血と、ウサギの身体が擦れた跡を残して。

「…………」

 呆然と、すでに見えなくなった野犬の背中を見つめる。漠然とした不安は、その数秒後、じわじわと胸のうちからわいてきた。

(……あれはわたし?)

 ウサギ。狩られる者。そして野犬はこの世界。そして自らの背中に生える、忌々しい黒い羽。弱肉強食という摂理において、自分は間違いなく弱者なのだ。

 いつかきっと、自分はいつかこの世から消える。あのウサギのように狩られるか、それとも自ら終えるか。でもあのウサギは確かに野犬の食事として貢献した。食物連鎖として弱者であろうと、その命は無駄ではなかった。なら自分は? 死んだとして、それまでの人生が一体なんの役に立ったのだろうか。親を困らせている以外、思い浮かばなかった。

 私は一体、何のために生まれたのだろう。

 そんなことを考えたとき、ぶしつけなノックとともに白衣の男が入ってくる。いつものこと。毎日のこと。検査という名の研究。患者という名の研究材料。

 ああ、だったら少なくとも、自分以外の同じ患者のための医療研究に役立っているのかもしれない。男が何かを言った。そしていつもどおり、聞き取れないまま終わる。男もまた気にした風でもなく、いつもどおり愛想笑い一つなく部屋から去っていった。

 自分は何のために生まれたのだろう。

 再び考える──が、それをさえぎるかのようにコンコンとノックがなった。

 返事はしない。だって必要がないから。男のほうも向かない。何故なら、用があるのは自分ではなく、この異質な身体なのだから。

 やがて入ってきた男は、白衣を着ていなかった。顔も所見で、何より英国人ではない。東洋系だということに気づいたのは、ようやく男の不思議な雰囲気に根負けして、彼のほうを向いたからだった。

「……?」

 男はにっこりと笑うと、後ろに隠れていた二人の子供を前に押しやった。

「や、はじめまして、フィアッセ。ご機嫌いかがかな。ほら、恭也と美由希も挨拶」

 

 それが始まり。

 

 儚く脆い未来への最初の一歩──

 

      ◇

 

 花見の翌日。

 美由希は頭痛とともに目を覚ました。先日呑みすぎたせいだろう。忍につき合わされたのが運のつきか。見るともう七時半を過ぎていた。普段の美由希にしてみれば遅い時間帯である。先日花見があったとはいえ、早朝トレーニングを欠いたのは久々だった。

 とにもかくにも起きなくてはならない。今日は平日で学校があるからだ。

「ふぁぁ〜〜」

 すぐ傍では那美が同じような苦悶の顔で起き上がっていた。まだ完全には覚醒していないらしく、目は半開きのままこちらを向く。

「おはようございます、那美さん」

「あぁ、おはよーごじゃいましゅ、美由希しゃん」

 そのまま無言で、美由希は制服に、那美は持ってきていた私服に着替える。

「……顔、洗いに行きましょうか」

「……はぁい」

 頷きあって階下に降りると、ちょうど洗面所では兄が顔を洗っているところだった。

「あ、恭ちゃん。おはよ」

「ああ、おはよう。那美さんも、おはようございます。昨夜は眠れましたか?」

「は、はい! おはようございます!」

 突然目が覚めたようにピシッと背を伸ばした那美の隣を抜けて、恭也はそのままキッチンのほうへ消えていく。その後姿を涙目で追っている那美の背中を押して、美由希は洗面所に入った。

「うぅ、へんなとこ見られちゃいました……」

「あはは。まぁ、とりあえず顔洗って、しゃきっとしましょう。このタオル使ってください」

「ありがとうございます」

 二人順番に洗面所を使い、すっきりしたところでキッチンに向かう。漂ってくる朝食のいい匂いが二人をゆっくりと日常に引き戻した。

「ご飯出来ましたよ〜っ!」

 晶の声が聞こえる。

「それじゃ、行きましょうか」

 キッチンに入ると、昨日花見に参加した面子がそのままそろっていた。昨日の食べ過ぎ呑み過ぎを考慮してあっさり系で占められているあたり、晶の心配りがありがたい。あれだけ食べたのに、寝て起きるとおなかがすくのは人の悲しい性だろうか。

「あ、おいしそ」

 席に着くと、「いただきます」をする前にノエルが変な色の液体の入ったコップをテーブルに置いた。嫌な予感が脳裏によぎる。背筋が凍る。現物を目の前にして予感も何もなかったが、現実逃避は文学少女の特権である。

「昨日、呑み過ぎて二日酔いの人のために、恭也様が特性ドリンクをおつくりになられました。ご希望の方はどうぞ」

「うぅっ!」

 呻いたのは、その得体の知れない緑色の液体がひたすら不味そうだから──というよりも、それを作った兄が、楽しそうな目で『飲め』という言葉を暗に訴えてきたからである。

「あ、いただこうかな」

 しかし真っ先に立候補したのは、二日酔いした様子など微塵も見せていない美沙斗だった。

「うわ、母さん、冒険家!」

「そう言うお前には選択権も拒否権もない。飲め、美由希」

 意地悪笑みを浮かべた恭也の手から、もう一杯の緑色の液体が手渡される。グラスの大きさが母のものよりも大きいように見えるのは気のせいではなかった。明らかに美由希が一度は拒否反応を示すことを先読みして用意していたのだ。

「うぅ……恭ちゃんのいじわる……」

 それに便乗して、ノエルもまた用意していたグラスを忍の前に置いた。

「忍お嬢様も、飲まれたほうがよろしいかと思います」

「……ノエル。それは私に対する嫌がらせ?」

「しばし続くでしょう頭痛と、一瞬で済む威力抜群の不味い液体の一気飲み。お嬢様がお好きなほうを選んでください」

「……私、ノエルが怒るようなこと何かしたなぁ?」

 さめざめと泣く忍の傍らで、

「大丈夫だよ、ほら」

 そう言って飲み干したグラスを掲げてみせる美沙斗の表情に変化はなかった。

「で、お味のほうは?」

 手をマイクを持つようにして近づけたレンに、美沙斗は一瞬迷った後、しかし正直に告げた。

「うん。美味しくないね」

「あれ、その程度ですか?」

 晶との問いに、美沙斗は顔をしかめた。

「率直に言って物凄くまずい」

『あああああっ、やっぱりぃっ!』

 相手にしてもらえないことはわかっていながらも、忍と一緒に苦悶する。覚悟をきめたのは向うが先立った。

「えぇいっ! 女は根性!」

 わけのわからない掛け声を上げて忍がグラスに口をつけ、そしてゴトリと、空になったグラスとともにテーブルに突っ伏す。ピクリとも動かなくなった忍の反応に皆が引いたが、恭也はあっさりとそれを無視した。

「いいからつべこべ言わず飲め。みんなが朝食を食べられないだろう」

「そんな事いわれても……って、忍さんのリアクションは無視なの?」

 なんだかわけのわからないプレッシャーにかかって、美由希は泣きたくなった。そうはいっても、どの道覚悟を決めるしかないのだが。

 電話のベルが鳴り響いたのは、コップに口をつけようとしたまさにそのときである。

「あ、電話。わたし出てくる!」

 日ごろの行いがよかったのか。思わぬ助け舟に感謝しながら、美由希はコップを置いて大慌てで電話のある居間に向かった。後ろから恭也が怒鳴る声が聞こえたが、それに答えるほど馬鹿でもない。

「もしもし、高町ですがどちら様ですか?」

 やけにニコニコしながら受話器を取る。が、いきなり耳を直撃したのは、慌てふためく聞き知った声だった。その剣幕に、美由希は呆けた声で応じる。

「ほえ? 勇吾さん?」

 電話は恭也の親友である赤星勇吾からだった。

「どうかしたん……って、ちょ、ちょっと落ち着いてくださいって! テレビ? いえ、まだ見てませんけど、え? ニュース?」

「赤星か。どうかしたのか?」

 こちらの声が聞こえたのだろう。この家で唯一、赤星勇吾が電話をかけてきそうな恭也が居間にやってきた。しっかりと緑色の液体の入ったグラスを携えて。その左手のグラスから微妙に後退りしながら、美由希は恭也に受話器を手渡した。

「……わかんない。何か慌ててるみたいだけど。ニュース見てって」

「ニュース?」

 訝しげに眉をひそめた恭也に電話を変わって、美由希はテレビにリモコンを探した。が、何故かこういうときに限って見当たらない。仕方なしにテレビの電源を直で入れなおす。静電気と電子音を鳴らして、画面が次第に彩色をあらわにしていく。だがそれよりも早く、起動した音声があわただしく居間に響いた。

「あの光の歌姫、フィアッセ・クリステラが本日未明、緊急逮捕されたとのことです。英国連邦警察の暫定発表によりますと、クリステラ被告は……」

「…………あ、フィアッセだ」

 手錠をかけられて警察署内に連行されるフィアッセの姿を見つけて、美由希は存外に静かな感想を述べた。

「………………」

 呆けること数秒後、

「って、えぇぇ〜〜〜〜〜〜〜〜っ! フィアッセが逮捕───────っっっ!」

 

      ◇

 

 湯気立つコーヒーの入ったカップを突然の訪問者の前に置いて、耕介は思わずため息をはいた。再会の挨拶もそこそこに、青白い顔で気を失っている二人の女性──フィアッセとイリアを、空いている寮の部屋に運んで寝かせた後のことである。

 数年ぶりに会う友人はどこまでも変わっていなかった。決定的なまでに変化がない。変わったのは自分のほうであって、彼にとって数年とは瞬きするも等しい感覚でしかない。いつか彼自身が言っていたことだった。そうやって思い出に苦笑いすること自体、耕介が年をとったということなのかもしれないが。

 その三影が礼を言ってカップに口をつけるのを認めてから、耕介は彼の対面に座った。

「──いくつか聞きたいことがあるんだけど……」

 コクリと喉が鳴る。

「連れてきた女性のことか……耕介は知らないのか? フィアッセ・クリステラだ。光の歌姫と謳われる世界的に有名な歌手なのだが」

「いや、フィアッセのことは知ってる。イリアさんのことも」

 こちらの台詞が予想外だったからだろう、三影が目を瞬かせた。

 フィアッセとは耕介も何度か個人的に会ったことがあった。フィアッセの友人で、クリステラソングスクールの卒業生の一人、歌手の『椎名ゆうひ』こと『SEENA』が、さざなみ寮に大学生時代に住んでいた繋がりである。さらに寮にフィアッセと同じHGSがいるということも手伝って、決して見知らぬ仲というわけではなかった。

 そのことを三影に伝えると、ことのほか彼は安心したように息を吐いた。

「そうか。それはうれしい誤算だったな」

(誤算?)

 耕介の中で、最初から思っていた予測めいたことが、彼の言葉を聞いて確信に変わった。

「三影。お前一体、何をしたんだ?」

 単刀直入に問いただす。気を失っていたフィアッセとイリアの様子から、何かがあったのは間違いなかった。そしてそれは、少なからず彼──椿三影も関係しているはずなのだ。久方ぶりに会ったことなど関係なく、また会っていなかった時間も関係なく、耕介は彼という人物から想像できる答えを導き出していた。

「私は何もしていない」

「なら、これからするんだな」

 沈黙する。部外者のように右側のソファに座る啓吾のことも忘れて、耕介はじっと親友を見つめた。その問いかけを、彼は小さなため息で答えてきた。

「…………その通りだ、としか言えない。私がここに、それも空間転移を使って来たのは、今すぐにでも彼女らを休ませる場所がほしいと思ったからだ。その点については感謝している。耕介が彼女らと知り合いだったのは運がよかった」

「…………」

 なんとなく、意識を廊下の向うにある空室に向ける。

「だが、詳しい事情は話せない」

「俺を頼ってくれたんじゃなかったのか?」

「それは……確かにその通りだ」

 手に持っていたカップをいったんテーブルにおいて、三影は言った。

「だがそれはあくまでひと時の休息の場としてだ。永らく居座るつもりはない」

「例え、ほんのちょっとでも……」

 言うべきかどうか。少し迷ってから、しかし耕介は口にした。

「ほんの少しでも、頼るってことは巻き込んだってことだぞ。なら俺には現状を知る権利があるんじゃないのか?」

「…………」

 彼が何かを言う前に、耕介は畳み掛けた。

「フィアッセが大事な友人だってこともある。けどそれ以上に、俺には珍しく三影が頼ってきているのに、「はい、さようなら」で済ませるなんて出来やしない。この寮の管理人になってからというもの浪花節が板についちゃってさ。お節介や世話焼きは俺の十八番になっちゃったんだよね」

 ま、最後のそれは冗談だけど、と肩をすくめてから、耕介は続けた。

「ただ、好奇心や下手なプライドで言ってるんじゃないってことはわかってくれ。事情が話せないまでも、せめて事情を話せない理由くらいは教えてほしいね」

「……それはもう、事情を話しているのと同じにならんか?」

「ああ、そうかも」

 同意してから、耕介は笑った。気を悪くするかもしれないと心配だったが、三影の笑みはどこか気恥ずかしげに見えた。

「耕介には守るものがあるだろう?」

「ああ」

 即答する。話題は唐突だったが、耕介は気にしなかった。三影との会話の場合、たいていこんな感じだったことを思い出しながら頷き返した。

「私にも守るものがある。だがそのために、切り捨てなければならないものも、確かに在るのだ」

 過去と現在の寮生たち。家族。田舎の長崎に住む友人。そして、耕介自身が『帰る場所』としたこのさざなみ寮。耕介が思いつくものが頭に浮かんでは消える。

 その想像から帰ってみると、三影の顔からも表情が消えていた。

「切り捨てたものの中には、もう取り戻せないものもある。どれだけの力を持っていようと、全てを守りきることは不可能だからだ。この手にすくい上げることの出来るものは数が知れていて、それ以上は零れ落ちてしまう」

 故にその覚悟がなければ──

「その覚悟がなければ戦えない。己が信念を貫き通せる覚悟がなければ、捨てることも出来ない」

 だからその覚悟がなければ話せない? いや、彼の言い方では、まるでそれが──

 ゆっくりと言葉を切りながら、自分に言い聞かせるように念を込めて、三影は言った。

「私にとって、かつての友人らはすでに捨て去るべきものなのだ。私の進もうと考えている道に、耕介たちとの接点はもはやどこにもない。だから話さない。話せないのではなく、話す必要がないのだ。それこそ私にとっては、耕介がどうなろうと知ったことではない。巻き込まれたことに納得がいこうがいかなかろうが、煩く吼えるなら排除するのみだ」

「…………」

 静かに、耕介はため息をはいた。緊迫した空気はもともと慣れていないし、好きでもない。これから何かを成さんとする人間──彼は人間ではなかったが──なら、それも当然だろうし、その点を咎める気もなかった。彼が背負っているものを耕介が肩代わりできるなどというおこがましいことは思っていないし、たとえ彼が了承しても出来やしないだろう。

 だからこそ、耕介は睨み付けて来る三影に、あっけらかんと告げた。

「ま、三影がそう言うんじゃ、仕方ないか。知ったところで何か出来るかどうかは怪しいものだし」

「…………」

 緊迫した空気にいたたまれなくなったのか、啓吾が居心地悪そうに空を仰いでいる。三影は納得したこちらの態度にも無反応だった。

 ちょっとした間が空く。

 コーヒーを口にした彼の表情を観察しながら、しかし耕介はしばし訪れた気まずい沈黙をあっさりと打ち破った。

「要するに、助けが必要だけど、俺や、俺の大切なものを巻き込みたくないから引っ込んでろと。三影さんはそう言うわけですな」

『ブッ!』

 軽く噴出したのは三影だけではなかった。隣で同じ格好で口元を汚している初代さざなみ管理人にティッシュを渡して、耕介は三影に向かってにんまりと笑ってみせる。案の定、苦虫を噛み潰したような表情で彼は呻いた。

「ケホケホ──ッ! い、いや、ちょっと待て、耕介。どこをどう聞いたらそういう解釈になる?」

「どこをって、最初から統合したら、そうとしか聞こえないんだけど……」

 これは正真正銘本音だった。半眼で見やると、やはり釈然としない様子でこちらを見ている三影と目があう。ちょっとばかりいたずら心が持ち上がって、耕介は唇の端を持ち上げた。

「昔から嘘つくの下手だからな、三影は。知ってたか? お前が心にも思ってないことを言うとき、まぶたの二重が一重になるんだ」

「なっ──っ!」

 これにはさすがに驚いたらしい。慌てて手で目の上を指でなぞるが、もとよりまぶたの動作など制御できるはずもない脊髄反射の範疇である。ましてやその形などは顔の造詣から変えなくてはならない。だからこそ、二重が一重になることなどはありえないことに気づいて、三影はまた苦悶の声を上げた。

「……図ったな」

「ま、それは冗談だけどね」

 声をかみ殺して笑う。居心地が悪そうにしながら、三影は盛大なため息を吐いた。力を抜いてソファに背を預ける。これで事情を話してくれるなどという虫のいいことは考えなかったが、少なくとも、ここに来てから──来る前からかもしれないが──ずっと張り続けていた彼の緊張の糸を切ることはできたらしかった。

「親友というのはこういうときには厄介だな。こちらの手の内を読まれすぎる」

「いいじゃないか。俺とお前の仲なんだし。水臭いことはなしだ」

「………ちなみに」

 なにやら憮然とした表情で、三影は続けた。

「耕介が嘘をつくときは、鼻の天辺が一瞬だけだが痙攣する。知っていたか?」

「え? うそ!?」

 今度は耕介の番だった。鼻の辺りを押さえてみる。が、もとより今の彼は嘘などついていない。事が真相かどうかわかるはずもなかった。

「残念だが、本当だ。気をつけるんだな。ここは女性ばかりなのだろう?」

「くっそーっ! それでか、愛さんや知佳に俺の嘘が一度として通じことがなかったのは!」

 おそらく知っていたに違いない。寮生全員が既知だとは思わないが、寮のオーナーと義理の妹の反応はその中でも心当たりが多かった。と──

「話がそれてないか?」

 さりげなく突っ込んできた啓吾の声で、耕介と三影はハッとなって硬直した。互いに顔を見合わせ、どちらともなく咳払いする。

「ゴホンッ! ま、まぁそれはともかくだ。事情は話せない。巻き込むわけにも行かない。故に──」

「三影」

 有無を言わせぬ声量で、耕介は三影の言葉をさえぎった。彼とは短い付き合いだったが、その分中身は濃かった。彼が講釈をたれると長いことくらいは百も承知である。

 だからこそ、耕介は単刀直入に、一番言いたかったことを先に告げた。

「俺は、切り捨てるのが嫌いなんだ」

 反論はなかった。続けていいものと解釈して先を続ける。

「さざなみ寮のみんなは俺にとって大切な家族だ。だから守りたい。フィアッセはここに一時だが住んだことがある。本当に、一、二週間だけど。一時でもここで暮らした家族を切り捨てる気はないよ。例えそうじゃなかったとしても、あの子は俺の友人の親友だ。見捨てたくない。ちなみに、守りたいのは家族だけじゃなくて友人もその部類に含まれるんだけど……でも言ってしまえば、コレって俺のわがままなんだよな」

「…………」

 三影は変わらず無言だった。その表情は、どちらかといえば何かを考えているというより、何かを諦めているふうに見えた。

「さて、ここから先は、だから俺のわがままだ。聞こうが聞くまいが三影の勝手ってことでよろしく」

「わがまま?」

「そう。まぁぶっちゃけると、俺にも手伝わせろってことなんだけど……」

「…………はぁ」

 三影は今一度、今度は小さくため息をついた。もとより長い前髪で顔の反面が隠れがちな彼は、うつむくとそれだけで落ち込んでいるように見える。そう思わないのはそれこそ付き合いのなせる業で、彼がどんな人物かを知っているからこその見識だった。

 一分ほど。もしかしたら数分以上経っているかもしれない。ごくわずかと感じられるほどそれは短い沈黙だった。その間、彼の中でどんな葛藤があったのかはさすがに見抜けなかったが、それは耕介にとってはむしろどうでもいいことである。

 やがて、三影はこちらを見据えてから、はっきりとした口調で言った。

「なら、今度は私がわがままを言う番だ。わがままであるから、耕介が聞こうが聞くまいが勝手にするといい」

「ん。わかった」

 それでもいくばくか逡巡してから、三影は。

「すまん。巻き込む」

「あいよ」

 たったそれだけで、耕介には満足だった。

 

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