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事の起こりを── 「ん〜、別にいい。聞いてもわからないっぽいし……」 話そうとする前に出鼻をくじかれて、三影は思わず前につんのめった。さすがに抗議の声を上げる。小さく謝罪する彼に、三影は納得できずに問い返した。 「しかし……いいのか? それで」 「いや、よくないけど。でもね、俺は心が弱いから……」 彼はなにやら困った声で頬をかいて、 「事情を聞いちゃうとさ。フィアッセを守れなくなるかもしれないんだろう? だから聞かないほうが良いかもしれないって、そう思ったんだけど。やっぱり駄目かな?」 「……いや」 三影は頭を振った。弱さを自覚している人間は強い。耕介が弱いとは、三影には到底思えなかった。人は欠点を克服する前に、まず受け容れることが難しい。しかしだからこそ欠点を受け止めることは重要なのだと、彼は自ずから知っている。その点は昔から変わっていなかった。 「いいのではないか? それはそれで耕介らしい。だが、事情は知らずとも現状は知っておいたほうが良いな」 「ああ、それはそうだね。じゃ、よろしく」 あっけらかんと言う耕介に一抹の不安を覚えながら、三影は思考を切り替えた。こうなっては、彼はもうどうしようもない。頑固なのはお互い様なのだ。 「さて、話す前に、どこまで知っているか質問しておこう。耕介、今日のニュースは見たか?」 「新聞なら読んだけど……」 「日本とイギリスの時差は約九時間だったな。では無理だ。間に合わん……時間から言って、テレビのほうで取り上げられているはずだ」 「まだ見てないね。啓吾さんは?」 「いや、僕も見ていない。何かあったのかい? その……フィアッセさん絡みの……」 耕介が隣の男性の同意を求めたところで、三影は一時逡巡した。そうして根本的な疑問が解決していないことに気づき、友人のほうに向き直る。 「耕介。そういえば、この男性は何故ここにいる?」 「……あれ、紹介してなかったっけ?」 「いや、陣内啓吾という名は聞いた。そうではなく……いや、もうこの際だから単刀直入に聞こう。香港警防の幹部が、何故耕介とともにいるのだ?」 「だって、啓吾さん、うちの寮の初代管理人だし」 「…………」 性質の悪い冗談かと思った。悩む間もなく、率直な感想が口からもれ出る。 「どうも私も周りには、奇妙な経歴の持ち主が多いな」 「三影。それは絶対に自分のことを棚に上げてる台詞だと思うぞ」 なにやら失礼なことを言う友人から啓吾のほうに目線を向けて、三影は臆することなく聞いた。 「では、陣内殿がここにいるのは、香港警防の任務ではないのだな」 「違う。だけど耕介君には悪いんだが、貴方の味方になることも出来ない」 存外に素直な意見に、三影は逆に納得がいった。 「了解している。それはもちろんそうだろう。どちらにしろ香港警防は私にとっては敵側に属しているはずだ。クリステラ女史を守るためには彼らも相手にしなくてはならない。仕事に戻るというなら、まず貴公から排除しなければならないことを踏まえたうえで行動するといい」 さすがにぎょっとなったのは耕介だった。物騒な話であることは重々承知していたが、それは変えようのない事実でもある。今は気を配っている時ではなかった。 「ではテレビを見よう。おそらくどのチャンネルでも──よほどのんきな局でもない限り流しているとは思うが──」 目線で促すと、耕介は頷き返すこともなくリモコンを手にとって、それをテレビへと向けた。低い電子音の後に、すぐ声が聞こえてくる。ちょうどそれは、フィアッセが逮捕され、罪を自供したことを告げる、新しいニュースに切り替わったときだった。
◇
目が覚めて、最初に目に入った光景は血の赤だった。血溜りの中に身を沈め、ゆらゆらと揺れながら天を仰いでいる自分の姿が見える。 これは誰の血? 知っている。懐かしい感じがした。肌に触れる暖かな血流。髪を赤く染め、身体に少しずつ浸透していく穏やかな味わい。 これはみんなの血だ。クリステラソングスクール、生徒や講師、自分が大切に思うみんなの血。 みなが死んだ。 自分のせいで。 だからこの血は自分のものだ。彼女のものだ。 ここで眠ろう。永久に。 誰にも邪魔されず、みなとともに眠りに着く。 もう悲しむことはない。喜ぶこともない。 ただ眠る。 眠りたい。
その眠気にまぶたを閉じた瞬間、彼女は目覚めた。
「…………ここは?」 声が出るのは不思議な感覚だった。自分が自分でない。地に足が着いていないときのように、身体が自分のものでない違和感が彼女を襲った。浮いているのではなく、ずれているような居心地の悪さ。 苦痛がないだけましかもしれないと割り切って身体を起こすと、すぐ傍にはイリアが寝ていた。とりあえずは、それだけでも安心する。一体何が起こったのか。あれからどうなったのか。ここはどこなのか。模索する前に落ち着くことが出来たのは幸いだった。 部屋はがらんとしていた。布団が二組。並べられているだけで、家具らしいものは何もない。ここまで来ると、逆にすがすがしいくらいである。窓は開いていて、涼しい空気が部屋に流れ込んでくることも手伝って、少し深呼吸するだけで、外の木々のいいにおいが備考を突いた。 「桜?」 満開に花開いている桃色の花吹雪を見つめ、フィアッセはポツリと呟いた。同時にあることに気づく。 (え? それじゃあ、ここは日本なの?) 少なくとも、イギリスに桜はない。 それを認めるや否や、フィアッセは現実に引き戻された。ここがイギリスでないことが何よりの証拠だった。襲われたという事実。テレビに流された虚偽。殺人罪に問われた自分。そして…… 一瞬にして血の気が引き、目の前の景色がかすんだ。倒れるようにして横になる。スクールの教師や生徒たちがどうなったのか。考えるのは危険だった。 「アイリーンは無事かな」 幼馴染のロック歌手の顔を思い浮かべる。非常勤講師としてスクールで講義していたアイリーン・ノアは、フィアッセと同じくスクール出身者で、幼い頃からのフィアッセの友人だった。無事でいてくれるといい。そう思えば思うほど、自然と涙が出てくる。 「嘘……だよね。大丈夫……だよね?」 己に言い聞かせるように流れる涙をぬぐいながら、フィアッセは部屋の外から、歩く音と声を聞いた。 『……それを……スクールは……ってことは……三つ? ここも……だけど危険……襲われ……敵に……魔属を……探すのは……』 くぐもった声だったが、どこかで聞いたことがあるように思えた。 やがてそれが途切れ、次いで軽く、小さな音でノックがなり、こちらが返事を返す前にドアが開く。涙目のまま視線を移すと、意外な人物が入ってきた。 「……耕……介?」 「ああ、起きた? 気分はどうだい?」 にっこりと白い歯を見せて笑った彼は、フィアッセもよく知る男性だった。親友の椎名ゆうひがかつて暮らしていた女子寮の管理人である。水が入った洗面器とタオルを傍らに置いて、彼はフィアッセのすぐ傍に座った。 「何で、耕介がここにいるの?」 「……だって、ここはさざなみ寮だからね」 「え?」 二重の意味で驚いて、フィアッセは眼を瞬かせた。耕介がいたこと。自分がさざなみにいること。イギリスから日本に移動するまでの長い時間。そんなにも自分は気を失っていたのだろうか。 「本当に、ここ、さざなみ?」 「うん」 彼はそれ以上何も言わずに、水でぬらしたタオルを絞って、そっとフィアッセの頬に当てた。自覚していなかったが、思った以上に熱があったらしい。寝汗をかいていたことも手伝って、冷たい感触が心地よかった。 「ありがとう」 礼を言って、耕介から受け取ったタオルで顔をぬぐう。もう一枚のタオルをまだ目覚めないイリアの額に当ててから、彼はこちらに向き直った。 「大丈夫?」 「……うん」 頷いてから、フィアッセは自問した。大丈夫? 何が? その問いかけがそのまま顔に出ていたのか、こちらの顔をじっと見つめて、耕介は言った。 「事情は聞いたよ。気を失ったフィアッセやイリアさんを介護する場所が思い浮かばなかったらしくてね。そこに俺が電話をかけたものだから」 「……電話って……誰に?」 「ああ、三影に」 その言葉の意味を理解するのに、フィアッセは数秒を要した。 「知り合い……なの?」 「昔のね」 苦笑を返す耕介の目をじっと見つめる。彼はやがて肩をすくめて見せた。 「親友だよ。俺が学生だった頃につるんでたんだ。だからあいつがフィアッセたちを抱えてここに瞬間移動してきたときは驚いた」 「…………そう……なんだ」 どう答えればいいかもわからなかったので、フィアッセは曖昧に頷いた。瞬間移動については疑問に思わなかった。自分だって使おうと思えば使える。HGSとはそういった超能力の類も扱える体質保持者なのだ。 「……疲れてるだろうし、心配事もあるだろうと思う。だから本当は、今日は休んだほうがいいと思うけれど……」 そこで一度言葉を切ってから耕介は、 「フィアッセはどうしたい?」 こちらの意思を尊重してくれるらしい耕介に、フィアッセはそのとき初めて落ち着いて彼の顔を見つめなおした。昔から変わらない、女子寮の女の子たちに慕われる管理人。ちょっと垂れ目気味のその顔つきは穏やかで、力の入っていない、だがだらけている風でもない。恭也とは違った落ち着きのある彼の雰囲気に、自然と笑みが零れ落ちた。 「……わ、わたしは……今、どうなってるのか知りたい。何が起ころうとしているのか、知っておきたい……わたしは大丈夫だから、教えてくれる?」 「……わかった」 無理していることはわかっていた。それでも、じっとしているよりはましだという思いのほうが強かった。心の中で頷く。前に進む勇気は持てなかったが、顔を背けたくはなかった。感づかれないように歯を食いしばって、前を向く。 耕介はいくつかの質問でフィアッセの記憶を確認してから、気を失っている間に起こったことを語り始めた。
「……生き返る?」 思わず何が、と聞いてしまいそうになって、フィアッセは慌てて口をつぐんだ。その拍子につばを飲み込んでしまい、ちょっとした嗚咽が漏れ出る。 「ケホッ──えっと、耕介? 本当に? そんなことがありえるの?」 隣にいたイリアは絶句していた。あれからしばしして起きてきた彼女もまた、フィアッセに負けず劣らず驚いていた。反応がないことが反応だった。不可思議に免疫がある分だけ、フィアッセのほうが冷静でいられたらしい。 「えっと、それは死んだ人が生き返るってことなのよね?」 耕介は苦笑した。 「まぁ驚くのはわかるよ。実際、俺だって驚いたし。死んだ人間が生き返る、なんて。信じられなくても無理はないだろうね」 「そ……その様子だと、槙原さんは信じていらっしゃるみたいですね」 「耕介、でいいですよ。イリアさん。で、信じているかどうかについては、保証はできませんね」 なにやら妙な言い回しに、フィアッセとイリアはそろって首をかしげる。疑問を視線で投げかけると、耕介はすこし考え込むような動作をみせた。 「何て言うか……俺は生き返ることを信じるって言うよりは、生き返りが本当のことだという予感があるだけです。言い回しが変なのは承知ですよ。だけど三影の言うことは、基本的に真実が多いですから。あいつが言うなら、それは本当なのでしょう。三影の言葉だから、生き返りがあることは信じます。だけど生き返りそのものが信じられるかどうかは自信が持てません」 「どういうこと?」 本当に微妙な表現に、フィアッセは目を丸くした。 「生き返った人がどうなるのか知らないこともあるけど、一番大きいのは、生き返ることがいいことなのかどうなのか、俺には判断できないからだよ」 「え?」 上手く頭の中が整理できなかった。昨夜起こったことは事実で、ソングスクールの人間がみんな死んだかもしれない可能性が高いことを聞いたときはショックを隠せなかった。アイリーンのことを思った瞬間は目の前が真っ暗になったりもしたが、殺された人が生き返るという話は、それ以上の衝撃を持って二人に襲い掛かった。 冷静で──少なくとも表向きは──いられたのは、寮の周囲を覆う満開の桜と、部屋を流れる穏やかな空気のせいである。それが、耕介が意図して発していた霊気のおかげとは露知らず、フィアッセとイリアは顔を見合わせた。 「フィアッセの置かれた状況は、俺が知る限りでもあまりよくない。だから下手に生き返らせてまた人質にとられるくらいなら、とりあえず今は死んでもらっておいたほうがいいというのが三影の意見だ。まぁもっと正確に言うなら、彼女たちを生き返らせることは三影にも無理らしいんだけどね」 今度はイリアが軽く声を漏らした。 「それが出来るのがテテニスという子らしい。正確に言うなら、『テテニス』と呼ばれる能力の保持者だけなんだって。だからフィアッセがそれを望むなら、その人と会う必要がある」 そういえば、もともとの三影がフィアッセの元に来た用件は、彼女をテテニスに会わせたいということだったはずだ。 「わたしは……」 言葉を言い切る前に尻すぼみになる。テテニスに会うということに疑問は感じなかった。皆にまた会えるなら、それ以上にいいことなんてないはずだ。だが声が出ない。何を拒んでいるのか。自身の感情が、フィアッセにはわからなかった。 その先を言う前に、耕介が少し言いづらそうに、だがはっきりとした口調で言った。 「テテニスに会うか会わないかはこれから決めればいい。とにかく、フィアッセの周囲には三つの勢力がある。目的は、捕獲と抹殺と、保護だ」 言わずもがな、三影は第三者ということになる。 「酷だとは思う。三影が言うには、今夜にも敵はやってくるらしい。今度は『ここ』に」 ここに? このさざなみ寮に? だけどそれではまるで…… スクールの二の舞──その言葉を、フィアッセは恐ろしくて口に出すことは出来なかった。 「俺と三影が応戦する。寮のみんなにも話して──そうだね、高町さんのお宅にでもお願いして避難してもらおうかと思う。恭也君や美由希ちゃんなら、きっと解ってくれるとだろうからね」 フィアッセの脳裏に、小太刀を構えた二人の双剣士の姿が浮かんだ。 「だけど、きっとどれだけ戦力を整えられたとしても……ごめんな。時間はあまりないんだ」 耕介は笑顔を浮かべた。少しだけ苦さを含んだ、だけど強い意思に溢れた瞳に当てられて、フィアッセは我知らず息を呑んだ。 「だからこそ考えてほしい。フィアッセはどうしたい? どうすべきが最善か、じゃなくて。今、君が何をしたいかを考えなさい」 何かを諭すような口調で、耕介は続けた。呼び捨てにはしているが、彼はフィアッセよりも七つは年上なのだ。 「もし生きることを望んで──いや、それは正しいことで、ソングスクールの人たちを、大切な人たちを生き返らせたいと思う心もきっと間違っていないんだろうけど──だけど、その道を進むなら……フィアッセ、どうか覚えておいてくれ」 一度、耕介は言葉を切った。 イリアがつばを飲む音が聞こえる。それほどに彼女は緊張していた。フィアッセもまた、汗が手に浮かぶのを止められない。熱がじんわりと身体へと染みていく。 「君は、俺たちを見捨ててでも生き抜く覚悟が必要になる」 そうして耕介は、小さく、だが聞き取るには難しくないほどのはっきりとした口調で、静かに告げた。 それは、彼女にとって何よりもつらい矛盾の刃だった。
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