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PreludeU 〜死を告げる悪魔〜
『世界は生き物である』という考えを持ったのは、この世在らざる超越生命体の存在を知ったときだった。 その生き物によって息吹を与えられた超越種──それを『魔属』と名づけたのは、過去の研究者である。次元に干渉し得る異次元生命体の総称。それを鑑みるに、彼らは決して種族足り得ない。それはこれまでに存在が確認された、十体の魔属から導き出された結論だった。 だがそれは、同時にある矛盾を生んだ。世界の構成、そして魔属と呼ばれる者の存在定義と役割を解明していくうちに、そこに在ってはならないものが生じたのである。過去の史実から得られる情報全てを用いて考察すれば、自ずとわかることだった。 つまり、世界に魔属はたった一体しか存在しないはずだという結論が生まれたのだ。 それは彼に確信をもたらした。魔属という存在に限りなく近づいた、人類最初の科学者としての結論である。 次元干渉能力を持つ異次元生命体はたった一体。否、それでは順番が違った。世界が己のために生み出した唯一の存在にのみ、次元干渉能力が与えられる。だからこそ一体しか存在しないはずであるし、また、存在してはいけないのだと考えられる。 だが、事実として、世界には十体の魔属がいる。 ではどちらが間違っているのか。何が狂ったのか。 自分か。 魔属たちか。 それとも世界か。 彼は──世界で史上最高と謳われた天才科学者である彼は、第三者を想定した。つまり、間違っているのは世界であり、この世界は異常なのだと結論付けたのである。 何が幸運だったのか。何が皮肉だったのか。それを判断する材料はない。なんにしても、彼のその提案は人類を代表する『旧支配者』たちに受け容れられたことだけが事実として存在する。ルギルキア・ソリュードという名が歴史の裏に刻まれた瞬間でもある。 そして── その数年後、テテニス・クラーケンが生まれる。
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中央ヨーロッパ標準時間 五月四日 十時二十分 フランス──
ICPO特別犯罪局長室。物音しない静かな建物の一番奥に位置する部屋で、ヴァイミリア・L・ホーンは無言で作業を続けていた。 そのタイミングを見計らって、部下が入ってくる。 「報告します。暴動の規模が判明しました。多くは貧民の非武装集団です」 端的に、秘書はそれだけを報告してきた。驚きも、焦燥もない。ただ事実をそのままに受け容れた態度はプロフェッショナルを思わせるが、実際にはなんのことはない。ただ彼らは予測していただけだった。その数も、その規模も。 「数と規模は?」 それでも一応の状況把握のため、ヴァイミリアは机の書類から彼女のほうへ視線をやった。 「四つです。しかし想定していたよりは少なく、規模も小さいものでした。警官隊と軍隊が出動して、順調にこれを鎮圧中です。問題は、すでに起こった暴徒たちよりもくすぶっている連中ですね。これから拡大すると見て間違いありません。事件の矛盾に気づくのも時間の問題でしょう」 フィアッセ・クリステラは世界的な大歌手である。その歌唱力だけでも彼女の信者は多い。加えて貧民への寄付した金額は世界一であることも手伝って、彼女を救世主とあがめる者たちも少なくはない。故に、逮捕などすれば暴動が起こるというのは至極簡単な予測の範疇だった。 逮捕してから三週間余り。たったそれだけの期間で民衆が暴動を起こすほど、フィアッセ・クリステラへの信奉は世界中に強く広がっている。 またフィアッセ・クリステラが殺人を犯すような人物かどうかなど、彼女と接したことのある人間なら誰もが不審に思うはずである。事件がでっちあげだと気づく者が出てくるかもしれない。 だがそれさえも、ヴァイミリアは予測の上だった。真偽のほどはともかく、この騒ぎはしばし続く。彼女の知名度からしても、更なる混乱が起こることも予想に難くない。 否── (続いてもらわなければ困るのだがな……) 小さく笑みをこぼして、ヴァイミリアは秘書に向き直った。 「記者会見の準備は?」 「済んでいます」 「なら『事実』を発表していくとしよう。気の毒だが、世界には徹底的に絶望してもらう。その上で暴動が起きればなおいい」 「起きない場合はどうします?」 「『火薬』を用意する。火付け役と一緒にな。詳細はこれに書いたとおりだ。目を通して焼却しろ。それと、アルバート・クリステラのほうだが……」 「英国当局が重要参考人として取り押さたままです。『本物』は鎮静剤で眠っているとの事ですが……」 「動かれるよりはましだが、向こうの対応もずさんだな。とはいえ、計画に支障が出ないうちに彼には失脚してもらうつもりではあったし、さほど大きな問題ではないが。……とにかく彼がマスコミの前に出ることだけは防いでおけ。その件の処理は君に任せる。決して殺すな。あれにはまだ利用価値がある。いいな、ユーニ」 「了解しました」 それでその会話は終わる。手渡された書類を脇に抱え、手に持っていた報告書をさらに一枚めくって、ユーニと呼ばれた秘書官は言った。 「後、主砲の情報ですが。三週間前に日本の海鳴市に空間歪曲場を観測して以来、『椿三影』の気配は同地点より移動していません。しかし──」 「ん?」 「各地で弱度の歪曲場が幾度か観測されました。イタリア、ニューヨーク、ドイツ、海鳴で、同程度のものが計八回」 「主砲が動いたにしては次元変動率が小さいな」 手渡された資料の、そこに並んだ数字とグラフを見比べながら、ヴァイミリアは嘆息した。 「放っておけば向こうから動いてくれるさ。主砲でないなら問題ない。三影の外界へのコンタクトさえ注意を払っておけばいい。で、他は?」 「『煌美星』は三週間前の香港警防への宣戦布告以来、姿を見せてはいません。その消息も不明です。ただ、彼の子飼いが数人、こちらと交戦したとの連絡が入りました。いずれも決着がつかずに撤退したようですが……」 「さすがに簡単に尻尾は掴ませてくれんか……で、ギルバート・ハウンゼンは?」 「同様にまだ沈黙を保ったままです。監視衛星からの映像は一週間前のものが最新ですので、現在位置を特定するのにはもう少し時間をいただく必要がありますが」 「急げ。あと三時間以内に、最低でも宙域だけでも確定しておくよう、衛星管理班に打電しろ」 「了解。後は……」 そこで終わりだと考えていたヴァイミリアは、部下の報告が続いたことに目線をきつくした。 「後? 他に動く可能性のある主砲がいたのか?」 「いいえ。残った問題は各国首脳部への対応です。ギルバート・ハウンゼンがいまだ動いていないことに対していくつか疑問視する声が上がり、その点の解説を要求してきました。もちろん極秘回線ですが。次のオペレーションにてわざわざこちらから刺激して敵対行為をする必要性があるのかどうかも含めて確認を取りたいそうです」 「連中からしてみれば当然の疑問であり権利だな。わかった、それはこちらで対処しよう。ユーニは引き続き、セカンド・オペレーション『クライズ』への以降準備を進めてくれればいい。ああ、そういえば海鳴市全域の結界は?」 「正常に作動中、標的に気づかれた様子はありません」 「もうそろそろ気づかれてもおかしくないな。欲を言えばもう少し待って欲しかったが、時間切れか……」 ヴァイミリアは一瞬迷った。 考える──フリをする。答えが出ていないわけではないが、最善かどうかをもう一度吟味した。結局、全ての可能性を比較検討した結果、最初の思惑通り、ヴァイミリアは一番成功率の低い作戦を採用した。 そして告げる。 「仕方ない。フォース・ルシフェルを一時停止。セカンド・オペレーション『クライズ』は予定通り実行に移す」 「よろしいのですか?」 「三週間の猶予は上出来だよ、ユーニ。あまり欲張るとこちらが今度は寝首をかかれることになりかねない。引き続き美星への警戒態勢を最上級に、『高町家』、並びに『さざなみ寮』への監視も怠るな」 「彼らに敵対行動が見られた場合は……」 「それも当初の予定通りだ。対応はサードに一任する。当然、椿三影、並びにフィアッセ・クリステラ以外は殺してかまわない」 そして、改めて息を吸う。つむぎ出される言葉が全ての火種になることを自覚した上で、ヴァイミリアは命令した。 「各所へ緊急通達だ。二十七時間後にプロジェクトは第二段階、『クライズ』へ以降。宙間部隊に第二戦闘配備発令。衛星軌道上のギルバート・ハウンゼン攻略に移る」 秘書が敬礼して去っていく。その後姿から視線をそらして、ヴァイミリアは窓の外を見た。暗雲たちこめる夜空からぽつぽつと雨が降り出し、窓ガラスに斑点を作っていた。 灰色の水が、フランスの地を汚す──
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米国東部標準時間 五月三日 七時三十分 ニューヨーク──
CSS──クリステラ・ソングスクール。 その設立者たるティオレ・クリステラは世紀の歌姫とも呼ばれた世界的に有名な歌手であり、その教えを受けた生徒たちは、みな一級の歌い手になって世界に羽ばたいていく。 CSS卒業生という肩書きだけでもかなりのステータスとなるのだが、今回に限って言えば、それは果てしなく逆効果だと彼女は思っていた。 彼女たちが忙しすぎるせいか、連絡が誰にもつかないのである。『SEENA』こと椎名ゆうひや、エレン・コナーズといった世界的に有名な歌手も、知佳たちからすれば仲の良い友達なのだ。だというのに、誰からも連絡が来ない。誰とも連絡がつかない。家族への電話も繋がらないとなれば、焦るのは仕方がなかった。 およそ三週間前──フィアッセ・クリステラ逮捕のニュースは世界中を激震させた。それほどに大きなニュースだったのだ。世界的な歌手として多くのファンを持つ彼女の狂気を伝える報道は、連日連夜、その真実を求めて世界中が騒ぎ立てた。 情報が欲しかった。だけどテレビや新聞はとても信じられない。だがそれに便乗して起こったテロや暴動の鎮圧や、被害者たちの救助など、ここ数週間の知佳たちの仕事は激務だった。こうなったら直に確かめるしかないと思い立ったのはもう三週間前だというのに、仕事が重なって結局こんな時期になってしまったのだ。なんとか休暇をとって、同じ国に住む同じ境遇の少女を半分誘拐気味に連れ去って空港へ。そして今に至る。 「知佳ちゃん。どうするの? 飛行機、やっぱりチケットないみたい」 フロントから帰ってきた銀髪金目の幼顔の少女に、負けず劣らず童顔の彼女──仁村知佳は頷き返した。 「しょうがないね。瞬間移動は長距離だと物凄く疲れるけど、こうなったら跳ぼうか?」 「えぇ〜〜っ!」 思ったとおり、銀髪の少女が抗議の声を上げる。 「イギリスまでだよ? 遠いよ? いくらなんでも無茶だよ」 「無茶でもやるの!」 「普段、あたしのこと無茶しすぎだとか、無鉄砲だとかいってるくせに、知佳ちゃんだって人のこと言えないよ〜」 さすがに呆れた顔をした友人に向かって、しかし彼女は熱覚めやらぬまま詰め寄った。 「それじゃ、シェリーはフィアッセがあんなことしたって思ってるの?」 「そりゃ、思ってないよ」 「でしょ? だったら何かの間違いなんだから、ちゃんとその辺のこと知って安心したいじゃない? ゆうひちゃんも他のみんなも、何でか連絡取れないし」 「電話回線が混んでるのかわからないけど、さざなみにも繋がらなかったもんね」 わが意を得たりと、彼女は力強く相方の肩を掴んだ。 「米国だと遠すぎてわからないことが多いし、報道は信用できないし、フィアッセが困ってるようなら助けてあげたいから、やっぱりイギリスに行こうと思うの」 「それは賛成だけど……でもやっぱりテレポートはやめようよ。もし失敗したらどうなるかわからないよ? いくらなんでも遠すぎるって」 「う……うん。わかった」 諭すような少女の口調に幾分か頭を冷静にさせて、知佳は彼女から離れた。本音は納得したわけではなかったが、確かに無茶が過ぎることもわかっていたからである。 「それじゃ、英国行きの切符を取ろう。空席待ちだから、いつになるかわからないけど」 「だね」 それでも友人に気を遣わせたくなかったから、知佳は聞き分けよく笑顔を見せて、そろってもう一度フロントに向かった。 瞬間── 閃光が走った。猛烈な衝撃。それに流されるように、体重の軽い少女二人はあっさりと宙に浮いた。砂塵が巻き起こり、突風が吹きすさぶ。何が起こったかと目を開けた瞬間、知佳の目に映ったのは、引きちぎられていく人の残骸だった。 わからない。何が起こったの──? 隣に居る友人が無事かどうかもわからない。知佳は無我夢中で己が力を解放した。天使にも似た純白の翼が背部に展開される。 力場を形成し、念動で身体を空中に支えてようやく体勢を整えたところで、彼女は再び息を呑んだ。炎が膨れ上がり容赦なく人を飲み込んでいく。崩れた瓦礫が血肉を撒き散らし、視界を赤く染めていった。飛行機が次々と爆発する。逃げる余裕すら与えず、一瞬で、先程まで平和だった空港は地獄へと変わった。 「知佳ちゃん!!」 無事だったらしい愛称シェリーで呼ばれるセルフィ・アルバレットが、知佳と似たような、だが形状の違う左右三対の翼を展開して宙へ浮いていた。 「よかった。無事だった」 「う、うん。でも……」 「なに……これ」 「うそでしょ…………」 かつて空港だった空間を見つめ、知佳たちは呆然と呻いた。あたりは煉獄につつまれていた。人は居ない。もう、誰も、居ない。 それを証明するかのようにあたりに漂う血の匂いが、彼女たちを震え上がらせた。 苦しまずに死ねただけ幸運かもしれない。そう思わせるほどの惨劇が広がっている。思わず目を背けたくなる光景に声もなく呆然としていたとき── 立ち昇る炎の後ろに人間大の影が浮かんで、知佳たちはハッとなった。 生きている人がいる。 本能的なものだったかもしれない。彼女たちが仕事としてレスキュー隊員を務めていることも、それに一役買ったことは間違いなかった。故に、この場で炎の渦に巻き込まれて死なないでいられる存在に対して、警戒するよりも安堵が先にたったのだ。 「愚かな」 炎の向こうから、声が聞こえる。 未だ崩れ落ちる建物。その中で羽を広げて滑空しながら人影に近づく二人は、その瞬間、声に対して初めて違和感を覚えた。 「所詮は出来損ないか。性能としては良作だろうが、これでは役に立たんな」 「……え?」 気づいたときには、シェリーが吹き飛ばされていた。何か衝撃が走ったことだけは知覚できたが、何をされたのかはわからなかった。 「抵抗しないことをオススメする。君らに生き延びる価値は無い。故に我はここに私刑を執行しよう」 「貴方は誰? これもみんな……」 彼の仕業だと、本能が告げてくる。男は応えず、小さく手を掲げて見せた。軽く挨拶するかのように。その何気ない仕草に、知佳は底冷えするほどの恐怖を感じた。逃げる? 否。間に合わない。 「禍斗の名に於いて主命を下す。朱の万象、汝を拒絶する」 瞬間、炎の向こうから紅蓮の矛が具象化する。あまりにも真っ直ぐな斬撃。避けることも防ぐことも出来るように見えたその炎の剣は、空気を焼き、世界を赤く染めながらその輝きを増していく。振り下ろされた剣戟は瞬く間に防御フィールドを貫き、彼女の身を赤く包み込んだ。
◇
日本標準時間 五月四日 二時四十分 島根県出雲──
不意に息が詰まる。 身を焦がすような殺気に、神咲薫は本能的に身を低くした。重心をずらし、足を引く。周囲の空気を肌で感じながら、しばし佇む。 変化は、さほど待つことなくやってきた。 数メートル後方に気配が生まれる。否、それに気配は無かった。ただ漠然と、そこに何かがあるかもしれない予感が動く。彼女はそれを信じた。 足を軸に身体を回転させ、脇に供えた愛刀を引き抜く。日の光に反射して、日本刀がきらりと輝きを返した。 「誰ね? いるんならでてきんしゃい」 「…………」 それは黙して答えなかった。代わりに小さく気配を生み出す。かさりと足音が鳴った。 彼女がいるのは二次大戦時に作られた小さな公園だった。銀杏の木が周囲に立ち並ぶ中、ひっそりと建てられたその石碑から良くない『気』が漏れ出ているとのことで、退魔師である彼女に依頼が来たのである。石碑の一部が欠けたことで死者の想念が漏れ出ていたらしく、それを石碑補修の間せき止めるのが役目だった。 決して難しい仕事ではなかった。故に、たいした手間を取ることなく施術を終えることも出来た。 が、それを見計らったかのように何者かが現れた。味方だとは思えなかったが、敵かどうかは判断しかねた。退魔師は霊障を解決するのが仕事であるから、当然霊への対処法も知っている。故に救いを求めさまよう幽霊が、霊能力のある者に近づくのは良くあることだった。 死者が暴走すれば強制的に除霊する。それこそが退魔師の仕事であり、そうした道で、薫が剣を手に取ったのはまだ幼少の頃だった。 故に察知する。 幾度と無く除霊を行い、時には無理やり霊たちを切り伏せて来た経験が、薫の脳内で警鐘を鳴らしていた。油断してはならない。幾度となく死線を潜り抜けて培った考察力──実戦経験からくる判断が、自然と彼女の意識を緊張へと導いた。 「…………」 それは静かに、無言で姿を現した。人型をした何か。何か、である。薫は本気でそれがなんなのかわからなかった。 人間ではなかった。顔はない。手も足も、ただその形を模しただけの粘土のようないびつな造詣だった。スライムのような粘液性もない。真っ白な表面は滑らかで淀みなく、そこにおよそ生命体らしい動きは見受けられなかった。妖怪の類ではないことはすぐにわかった。どちらかというと人工物の臭いが強かったからだ。 「……?」 訝しげに眉をひそめる。小さな、爪楊枝でつついたような細かな痛みが眉間に走ったのはその直後だった。 「くっ!」 本能的に身体を仰け反らせる。何の予備動作もなく、その人形──そう呼ぶことにした──は、薄気味悪い腕をこちらに突き出してきた。 人形は子供のお遊びのような造詣の身体であるが故に、その腕には指などなかった。ただ棒のようなものが腕らしい位置に生えているだけに過ぎない。その腕が、もちのように伸びて薫の顔面を狙ったのだ。殴るではなく、抉り取るような動作で。 咄嗟の判断でその場を後退して、薫は改めて剣を構えなおした。 「敵なら容赦せんよ」 神気発勝── 日本の退魔師の中でも有数の実力者の家系、神咲一灯流が使う祝詞を唱え、薫は小さく息を吐いた。身体の熱を、息にこめて吐き捨てる。 代わりに、霊剣から流れ込んでくる穏やかで力強い熱エネルギーが、彼女の身体を光で包んだ。 「はぁぁぁっ!」 軸足に力を込め、一気に地を蹴り出す。人形の第二撃を躱して、その間隙を縫う。神咲一灯流の宝刀、霊剣『十六夜』を掲げ、彼女は正体不明の物体に斬りつけた。 が、肩口で刃が止まる。剣は人形の身体にめりこんだまま動かなくなった。粘着の強いもちのように、べっとりと剣にまとわりついて離れなくなったのだ。 「くっ!」 力ずくで引き抜こうとするが、剣は微動だにしなかった。ならばと、人形の身体を両断しようとさらに力を込めたそのとき、その身体が不意に崩れる。風船のように軽い音を立てて、白き物体はあっさりと弾けた。 「え……?」 人形はそれきりだった。何も起こらない。罠かと思って気配を張り巡らしたが、結局何も起きないまま数分が過ぎ行く。それなりの質量があったはずの人形の身体は、地面に撒き散った瞬間に掻き消えた。 「何だったんだ? 今のは……」 怪訝に首をかしげる。気配はなくなっている。いくら待っても何も起きない。そしてようやく、小さく息を吐いて力を抜いた瞬間、だが薫は不意に体制を崩した。 「な──っ!?」 大地がなくなっていた。ぽっかりと。 落とし穴? いや、そんな生易しいものではなかった。何かに捕まろうとして上を向いたときにはすでに出口はなかった。ただの穴ではない。その証拠に彼女に訪れたのは漆黒の世界──少なくとも土の壁ではなかった。 (これは……) 際限なく落ちていくその感覚は少なからず薫に恐怖を与えた。ビルから落ちるのはこのような感じだろうか。だが絶対的に違うのは、この空間には空気の流れがなかった。 そう──ここには空気がない。 「くっ」 苦しみが増す。霊術で空気を生み出そうにも、その頃にはすでに肢体の自由が利かなくなっていた。印を結ぶどころか、剣を持つ手の感覚さえすでにない。 次第に意識が薄れていく。 その片隅で、上空から嘲笑に似た声が聞こえた。 「先に謝罪しよう、神咲薫。君のような一級の霊能者と、真正面から立ち会うような危険なことはしたくないのでね。卑怯なのは承知だが、これも弱肉強食だ。恨まないで欲しい。何、恐れるな。怒るな。君は死ぬわけではない。これから生まれ変わるのだ。骨牌としてその身体、私が貰い受けよう」 すぐ傍で十六夜が何かを囁いている。だがもう、薫の耳には何も届かなかった。
◇
四月十二日 十六時四十八分 海鳴市、海鳴駅前──
椎名ゆうひは久方ぶりの海鳴に内心安堵していた。久方ぶりの風。外の空気。三週間ぶりに室内を出たことによる小さな開放感は、少なからず彼女の心を爽快にさせた けれど緊張まで解くわけにはいかなかった。その原因とも言える相手──隣に居る青い髪の男はバスの時刻表を見て何やら考え込んでいる。自分は歌手であるし、運動神経が良いわけでもそういった勘が鋭いわけでもなかったが、逆らってはならない空気くらいは察することが出来た。 「面倒だな。バスに乗ってもらってもいいんだが、君は噂だと方向音痴だと聞いたけど、本当かい?」 「どこに行かれるんですか?」 「何度も言うが、心配するな。最初に言ったとおりこっちの言うこと聞いてくれれば開放する」 その『言うこと』というのが、海鳴に来ることなのだろうかと疑問に思ったが、聞くことは出来なかった。不必要な会話をするだけの余裕がなかったせいもある。彼女自身、心情的にかなり疲労していたからだ。 三週間前、フィアッセ・クリステラ逮捕の報道が流れた後、彼女は取り急ぎイギリスへの出立を決意した。だがその行動をイタリアの警察に引き止められ、半ば監禁という形で室内に閉じ込められていたところを、突如訪れたのが彼だった。青い髪、目は銀と金、顔立ちは北欧のそれである。日本人ではなかったが、その口調によどみはなかった。 彼女とて世界をまたに駆けるシンガーである。命を狙われたことも、脅しを受けたこともあった。戦いに身をおく人間がどういう雰囲気を纏っているのか。それがわからないほど鈍感ではなかった。 故にすぐに理解した。この男が同種の存在であり、その意図に逆らうのであれば容易にこちらの命を奪えるのだと。警察署を出るときに一見した警官の死体を見なくとも、その死臭を嗅がなくとも、彼が引き金を引くのに躊躇しない種類の人間であることは疑いようがなかった。 「では行こう。足はそこらの車をジャックすれば良い」 あっさりと言ってのけて、彼は違反駐車している車のドアに向けて銃を発砲した。サイレンサーでもついているのか、驚くほど静かにロックが壊れる。 不思議なことは多々あった。駅前だというのに人の姿が少ないこと、銃を取り出した男に誰も見向きしないこと。そして何より、時間的に言えば今は本当なら夜のはずである。だが空はまだ明るく、青空が広がっていた。 違和感が拭えないまま、男の後に続く。その思考をさえぎるように、彼は助手席のドアを開けた。 「乗ってくれ」 「…………」 銃を片手に軽口を叩かれても笑えるわけがない。決して無愛想ではないが、男は一度として本心から笑っていないように見えた。 無言で従う。車はキーがないにもかかわらずあっさりとエンジンを始動させた。アクセルを踏む。盗み取った車は、どこにでもあるセダンタイプの普通車である。 車に乗ってからしばし──沈黙を破ったのは、やはり男の方だった。懐から何か、一枚の封書を取り出してゆうひに手渡す。 「今から君もよく知るさざなみ寮に行く。そこで君は、これをある人物に渡してほしい」 よく聞き知った場所だった。彼女が大学生時代に住んでいた女子寮である。 「……誰に……ですか?」 「君の親友、フィアッセ・クリステラが現在さざなみ寮に居ると言う報告を受けている。この手紙はいわゆる信書だ。他の人間には決して見せてはならない。誰かに気づかれてもならない。決して話すことなく──それからこれも大事なことだ。その手紙を渡すのは、今日、日が落ちてからだ。夜になってからその手紙を彼女に渡し、誰も居ないところで、誰も知らないうちにそれを読ませる。もちろん、見てはならないのは君とて同じだ。例外はない」 「…………」 どうにも奇妙な命令だった。それだけのために、何故自分をさらう必要があったのか。手紙を渡すくらいなら、誰にだって出来るはずだ。なのに何故? その思考を嘲笑うように遮って、男が先手を打ってきた。 「何故? とか考えないほうがいい。君でなければいけない理由がある。それ自体は君が知っても仕方のないことだし、意味もない」 ゆうひは無言で頷いた。それで満足したらしい男が、車を軽快に走らせる。 手紙を不意に裏向けると、その片隅に、毛筆で『土愚羅』と書かれた文字が目に入った。それがこの男の名前だと察したとき、見慣れた景色が視界を走り去り、進行方向の先に懐かしい建物が姿を現す。 車を止める前、男は小さく言葉を加えた。 「それと一つ、忠告しておく。君が約束を護ったかどうか、俺は知る術を持っている。友人たちの傍に居るからといって安心しないほうがいい。俺はどこからでも君を殺せる。君が約束を破れば、俺は君を殺す。君に残された選択肢は、裏切りか死か。どちらかしかない……だが気にすることはない。君は言われたとおり手紙を渡せばそれで良い」 鋭いナイフのような言葉を喉元に突きつけられながら、ゆうひは車を降りた。 別れはあっさりとしていた。彼は車を降りずに、そのまま走り去っていく。その車体が見えなくなってようやく、彼女は身体全体で息を吐いた。 「…………」 心底安堵したが、涙は出なかった。呼吸だけが荒くなる。ゆうひは小さく肩を抱きながらその場に崩れ落ち、震える身体を懸命に押さえ込んだ。さざなみに行く前に、普段の自分に戻る必要があった。が、それはひどく労力が要った。 男の言葉が脳裏をよぎる。 裏切りか死か。 それが誰に対する裏切りなのか。わからないままに、顔を上げる。どうすればいいか、どうするのが最善かもわからなかった。優先するのは何なのか。自分の命か、男の命令か、それとも…… 懐にある手紙に意識を向ける。これがフィアッセを危険にさらすものなら、自分は今ここで命を捨ててでも行くべきではない。友人を見捨ててまで無様に生き延びたいとは思わなかった。 けれど── 見上げた先にあるのはさざなみ女子寮。 あの穏やかで温かい場所に救いがあると、彼女は信じていたかった。
◇
世界標準時(グリニッジ標準時間) 五月五日 未明 日本上空、衛星軌道上──
世界が世界のために、己が傷口を治すために自然と生まれ出る存在。 世界に生じた綻びを修繕するために生まれた存在。 世界は『その存在』に対してのみ次元に干渉する力を与える。すなわちオルト・フィアラを持つ者は世界にたった一体しか生まれない。修繕するに足る力すべてが与えられるが故に、万能に近い能力を誇るが故に、『それ』は生体として世界最強を誇る。 (本来ナラ、我ラハ存在シテハナラナイ) 日本上空を漂いながら、ギルバート・ハウンゼンは目覚めぬ女神をアイカメラに収めた。 (ダガ現ニ我ラハ居ル。コノ世界ニ。何故? 否。スデニ結論ハ出テイル。コノ雛形ノ世界ヲ壊スタメダ……) (故ニ我ラハコノ世界ニ渡ッタ) だが実際、その目的に忠実に動いているのはたった二体しかいない。 (ヴぁいみりあ・L・ほーんハ女神ノ力ヲ舟ニ移シ、コノ世界ヲ捨テル) (煌美星ハ女神ヲ殺スコトデ世界を崩壊サセル) そして、もとよりこの世界で生を受けた者が一体。 (ソシテ椿三影ハ……否。奴ハ甘スギル。女神ニ自ラノ意思デ世界ヲ救ワセルツモリダロウガ……) 不確定要素が強すぎるためにさらなる確率の低さがはじき出される。 (確率ハ低イ。ダガソレデモ、理想ヲ捨テルワケニハ行カヌカ) 機械である自分が『理想』などという目に見えないもの、数字で計算できないものを信じるのは妙な感覚だった。 (ててにすハ今ダ目覚メズ。えーすモマタ然リ……動ケル魔属ハ我モ含メテタッタ四体) 思考回路が無謀だと結論を下す。 だがたった一体の正統な魔属として生まれた椿三影の行いこそ、おそらく世界の理想なのだということも理解できる。故に、ギルバートは己が内でエネルギーの生成を始めた。 小さく電子音が鳴る。反応は早かった。 驚くほど静かに、高速ミサイルが数基忍び寄る。ご丁寧に光学迷彩まで搭載したステルスタイプのものを、腕部に具現化した荷電粒子ライフルが自動的に迎撃した。 (正義ナド説ク気ハ無い。我ハ我ノ意ノママニ進モウ。貴様ガ人類選抜ニヨル世界離脱ヲ望ムナラ、我ガソノ道ヲ砕クマデダ、ヴぁいみりあ) 真空を埋め尽くさんがごとく、ミサイル群が牙をむく。ギルバートはそっと、声にならない声で戦いの引き金を引いた。
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