|
◇
「恭ちゃんたち、大丈夫かな」 静まり返った寮の中、普段よりもいっそう人口密度の高いリビングのソファにもたれながら、美由希は呟いた。 「大丈夫だろ。耕介だっているし、あの椿って奴も、まぁ弱くはないだろうしな」 客観的に事実を口にしながらも、真雪が不満そうにタバコの煙を吐く。ふわりとドーナツ型に浮かぶ白煙が、揺らいで消えた。 その煙を目線で追いながら、舞がおずおずと真雪の顔色を伺う。 「その割にはなんだか機嫌悪いですね、真雪さん」 「当たり前だろ? あれだけの説明でどうやって納得しろって言うんだよ。しかもあの野郎。知佳の身が危ないかもしれないって言うのに知らん振りと来やがった!」 「それはまぁ、その通りなんだけど……」 美緒のあいづちにも牙を剥く真雪の文句は、しかし無理もないことだった。 敵の正体。その目的。フィアッセが狙われる理由。今世界で何が起こっているのか。 だがそれらに関しても、椿三影は根底にあるもの──すなわち重要なことは何一つ話をしていない。信じるに足る人物と判断するにはいささか不明瞭な点が多すぎた。ただ一点、彼がフィアッセを守ろうとしていることだけは(耕介が言うには)確かで、それだけが賛同できたからこそ、こうして頭を悩ませているのである。 それ以上に、フィアッセに近い者が危険にさらされているかもしれないと言われて、心中穏やかで要られるはずがなかった。 先ほどのゆうひとのやり取りとてそうだ。彼はこちらに何の説明もなく耕介と恭也を連れて出て行った。敵が来るかもしれないからフィリスたちHGSにフィールドを張って待機しておいてほしいということだが、事態が全く飲み込めていないのは変わりない。現に子供たちは不安を隠しきれていなかった。 「なにより腹立つのは、耕介の野郎が、危険承知で椿って奴をここに入れたことだ! いったい何考えてやがる! 管理人クビだ、クビ! っつーか、むしろ殺す!」 「ま、真雪さん……ちょっと落ち着いて……」 「ちょ、暴れるのはよしなよ、まゆ」 「煩い!」 さすがに最年長。他寮生の説得? も、一括してかき消してしまった。 とにもかくにも、不安の種は尽きない。それをあえて口にしないようにしてきたのだが、どうやら居心地の悪い沈黙に真っ先に限界が来たらしい。真雪の文句に便乗して、美由希は周囲を見渡した。 「結局、何があったんですか?」 「よくわからへんけど……」 と、控えめにゆうひが手を上げて言った。 「時間がどうたらこうたらって」 「全っ然わかんねぇよ」 「そやかて、うちも詳しく説明してもろたわけやないし……」 真雪の八つ当たりを向けられて、ゆうひが涙目で訴えた。 「えーと、今はほんまは五月やのに、海鳴の辺りだけ四月になってるとか何とか……」 『は?』 いっせいに素っ頓狂な声を上がった。それに気圧されながらも、ゆうひは説明を続ける。 「そいでもって、街に出たのはその原因を作っている人を捕まえにいくためやねんて」 「おいおい」 呆気にとられつつも、突っ込みを入れる真雪の精神と理解力はさすがだと思った。 「つまり、今日は四月十二日じゃなくて、ホントはいつなんだ……?」 「五月四日」 正確には五月七日なのだが、それを知っている者は残念ながらここにはいない。 「──だっていうのか? だぁっもう! そうならそうと、説明していけっての!」 「時間がなかったみたいやね。なんか三人とも慌ててたみたいやし」 「だからってなぁ……」 ゆうひのフォローもどこ吹く風。真雪はまだ文句たらたらである。それを後押しする形で、タバコを指先で回転させながらリスティが不意に口を挟んだ。 「……まぁ、納得してないのはボクも同じだし、みんなだってそうだろ? あの椿って男は確かに信用ならない。耕介の昔の友人で、フィアッセを護るって言ってはいるけど、だからって味方とは限らないからね……」 「どうしてそう思ったんですか?」 火をつけようとしたところを彼女の妹のフィリスに睨まれて、リスティは肩をすくめた。 「あまりに不確定要素が多いもんだからさ。ちょっくら心の中を読んでやろうと思ったら、読めなかったんだ」 「え?」 驚きの声を上げたのは美由希だけではなかった。HGS当人たち、そしてその能力のすごさを知っている者たち全てが目を丸くする。 「テレパスをはじき返された」 「っ!!」 リスティやフィリス、果てはフィアッセに至るまで、変異性遺伝障害病、中でもその高機能性──HGSと称される者たちがどういう存在なのかは、見知っているつもりだった。 彼女らはその身体が不安定であることを代償に、時として念動やテレパスなど、俗に言う超能力のような力を扱うことが出来る。美由希が知る限りでも、このリスティは瞬間移動や空中飛行、放電や読心、念動など、さまざまな特殊能力に長けた人物だった。 であるからこそ、その超能力が効かないという事実は、改めて皆の三影に対する不審をあおる形となったのである。 「只者じゃないよ。人間じゃないことはわかってはいたつもりだったけどね」 それを真似て造られたのがHGSだと言われたところで納得がいくはずもない。疑念と疑惑、不信や不安が更に強まるのも無理なかった。 「耕介の友人じゃなくて、なおかつフィアッセを守るためじゃなかったら、協力なんて絶対しないタイプだ。怪しさ大爆発じゃないか」 「確かに、肝心なことは隠しているようだったね」 美沙斗が控えめに同意する。 「私たちが信用されてないという点を除いても、情報が少なすぎるのは確かだよ」 「ならどうするつもりだい? これから」 女性の中に男性一人。居心地悪そうにしながら、啓吾が核心を突いた。全員が神妙にする中で、 「とりあえず、私は様子を見ようと思ってます。フィアッセに危害を加える気はないみたいですから」 真っ先に答えたのは美沙斗だった。それに幾人かが頷く。もとより非戦闘員だと自覚している愛や奈緒は、控えめに同意していた。 「なーんか、いまひとつ理解に苦しむんだけどなぁ……」 文句たらたらの真雪だったが、現状、他に打つ手がない彼女も否定はしない。 と── 「ごめんね、巻き込んじゃって」 ポツリと。小声で、深い悲しみと後悔のこもったフィアッセの言葉に、美由希をはじめとして全員がハッとなった。 慌てて首を振る。彼女のせいではない。そんなことは考えていない。どう励ましたらいいかを悩んでいると、リスティがいつもの通り、ハスキーな声で軽く笑って見せた。 「水臭いこと言わない。友達だろ?」 「わたしたちは、フィアッセを助けたいからここに来たんだよ? 好きでここにいるんだから。こういうときは、頼って欲しいわ」 銀髪金目の同じ顔をした姉妹が口々にフォローする。 「うん……ありがとう」 少し無理をしているような笑みを浮かべたフィアッセの隣で、皆に進言したのは那美だった。 「多分、フィアッセさんのせいじゃないと思います……」 「那美さん?」 「根拠はないのでなんとも言えませんが……あの椿って人の話の感じからすると、どうも原因はもっと他のことにあるんじゃないかなって……」 霊能者特有の勘だろうか。妙に説得力のある那美の言葉に、だが真雪が真っ向から反論した。 「だぁーーっ! んなことはじめっからわかってるよ! 誰もフィアッセのせいだなんて思ってないっての! けどそれがわかんねぇからイラついてんだろうが!」 髪をかきむしりながら怒声を上げる。 「第一、あの野郎が隠し事をしなけりゃ、とっくにやること決まってたんだ。フィアッセを護ること何て考えるまでもなく決定事項なんだから、あとはどうすりゃいいかだろ? その判断材料がとことん足りないんだよ!」 三影とのやり取りを思い出したのか、彼女は随分気が立っているようだった。 「耕介さんは詳しいこと知ってるんでしょうか?」 「いや、知らないと思う。嘘つくの下手だからね、耕介は」 リスティの返答に、さざなみ寮生全員が頷いた。 「くそっ、それもこれも全部耕介のせいだ。帰ってきたら絶対にシメる!」 「それもちょっと滅茶苦茶だと思うけど?」 真雪が息巻き、美緒がそれをたしなめる。そこで美由希は肝心なことに気づいた。 「フィアッセはどう? 椿さんのこと、信じてもいいと思う?」 渦中にある当人の意見である。 「わからないっていうのが正直なところだけど……」 けど、と。軽く断り入れてから、彼女は続けた。 「彼がわたしに危害を加えるなら、もっと早くそうしていると思うから」 「それは……」 確かにその通りだけに、美由希は反論のしようがなかった。傍らで、なのはや晶たちがフィアッセを励ましているのを聞きながら、彼女は改めてここの面子を考えた。今いない三人のことも含めて。 「…………」 確かに恭也や美沙斗は強い。香港警防の隊長である啓吾は言わずもがな、リスティをはじめとしたHGSという強力な助っ人も大勢いる。耕介や真雪の実力は測りかねたが、那美の話だと弱くはないはずだ。及ばずながら自分もいる。 だがそれでも、椿三影が何かしら隠し事をしていることには違いない。危害を加えないのはただ利用しようとしているだけかもしれない。だがそのことを指摘してフィアッセを不安がらせるほど、美由希は子供ではなかった。 言いようのない不安。どこかで何かを見落としているかもしれない恐怖。それは考えれば考えるほど美由希の中で肥大していく。 けれど── 目を瞑って、美由希はその不安を払拭した。母から譲り受けた御神後継者の証たる『龍麟』を握る。その柄の感触でようやく心を沈めて、彼女は決意を固めた。 することは最初から決まっている。 迷う必要も、考えることもない。正しいことは己の内にあるのだと、いつか恭也が言った言葉を思い出す。不安を全て払拭することは出来なかったが、戦い抜く信念を結びなおして、美由希は力強くフィアッセに頷いて見せた。 「フィアッセは必ず守るよ。だから安心して。微力だけど、わたしもがんばるから」 「うん。頼りにしてるね」 軽く腕を回してきたフィアッセを抱きしめて、二人はお互いの顔を見合わせて笑った。鼻先が触れ合う。吐息がかかる。すぐ傍で微笑む彼女の顔はもう、何かを我慢している風には見えなかった。 (大丈夫。フィアッセは、絶対にわたしたちが守るから) 誰に言った言葉かもわからない。だが確かな誓いとなったそれは、美由希の迷いを吹き飛ばすには十分な威力を持っていた。
◇
視界の片隅に光が走った瞬間、彼女──鷹城唯子は巻き起こった突風に吹き飛ばされた。 「んぎゃっ!」 身長百七十後半の身体があっさりと宙に浮く。廊下を一直線に飛ばされながら、唯子は自由の利かない身体をどうにか折り曲げた。壁に激突する前に体勢を立て直す。 地面を転がる勢いを利用して立ち上がると、姿の見えない少年の声が脳裏に響いた。 「へぇ、すごいね、お姉ちゃん」 楽しそうな笑い声。少年の気配から逃げるようにして、唯子はまた走った。 このとき、唯子の頭に会ったのは逃げの一手だった。護身術を身につけてはいるものの、基本的に彼女は平和主義者で、少年が只者でないことを差し引いても立ち向かうという選択肢はなかったのだ。 目的地は玄関ロビー。が、そうすんなりと行かせてくれるはずなかった。 唯子が少年と出会ったのは彼女が担任を勤めるクラス──その教室がある校舎の三階。さすがに飛び降りるには高すぎるので、とにもかくにも一階に下りようとしたが、それをさせてくれないのである。階段に足を踏み入れるたびに吹き飛ばされてはたまったものではなかった。 結果、合併して続きになっている風芽丘学園の校舎へ足を向けることになる。 渡り廊下を通って向うの校舎へ。続く足で階段を跳躍しようとした瞬間、再び風が巻き起こった。 運が悪かったのは、唯子が足を踏み入れたのは風芽丘の非常階段だということだった。多くの学校がそうであるように、自然、それは校舎の外側に設置される。 吹き飛ばされたその向こう、待っていた場所には地面がなかった。 「んにゃあ〜〜〜っっっ!」 落ちる──と思ったときには落ちていた。 「あ、ごめんね」 脳裏に響く、少年の能天気な声。決して悪いなどと思っていない謝罪の言葉には、これから見られるかもしれない死体を渇望するかのごとく楽しげだった。 覚悟を決める。 運よく身体は自由に動いてくれた。空中でどうにか体勢を立て直せたのは奇跡としか言いようがなかったが、あいにく、下に見える地面には垣根も植木も何もない。ただ無常なほど冷たい灰色の鉄筋コンクリートが広がっている。 あ、死んだかも……と思ったとき、唯子の身体が不意に浮いた。 「ん?」 疑問の声を上げたのは少年だった。 「はへ?」 間の抜けた声は唯子のものである。 「大丈夫ですか? 鷹城先輩」 自分より身長の高い唯子を楽々抱え上げ、軽々と跳躍して地面に降り立つその姿は── 「誰?」 「あ、さくらちゃん」 二人の疑問に応えるように笑んだのは、唯子も良く見知った女性だった。
|