PreludeV 煌美星(ファン・メイシン)

 

 

 

 黒い翼が羽ばたく。

 忌むべき全ての根源。自分が自分でない証拠。普通でない証。生まれてくるべきでなかったと、この翼を見るたびに思えてしまう自責の刃。

 その翼の片隅に、一枚、白い羽を見つけて、フィアッセはきょとんとした。

 誰の羽だろう──という疑問を持つまでもない。その存在に心底不思議に思えたのは、そんなものは在り得ないという固定観念に囚われていたからだった。脅迫観念と言い換えてもいい。

 その白い羽は、フィアッセが手を伸ばしたところでスルリと指の間を抜け、宙をひらひらと舞って地に落ちる。途端、ゆっくりと、まるで浸み込むようにして白い羽が黒く染まった。それは良く見知った色だった。

 深遠の黒。

 地に落ちた黒い羽は、やがて溶ける様に霧散する。もとより非物質の代物であるから、それも不思議ではないのだが、フィアッセはじっと、見慣れていたはずの光景を──すでに消えてなくなった白い羽の残滓を見つめ続けた。

 あれは一体なんだったのだろう。

 突然変異。そんな言葉が脳裏に浮かぶ。あの白い羽は世界に突如現れた異質な存在。故に斬り捨てられ、無残に散った羽。血に落ちて黒く染まり、そして消え行くだけの存在。

 あの羽がまるで自分みたいだと感じた瞬間、ふいに寒気が走った。

「わたしは……」

 

 わたしは誰────?

 

 空を染める赤い夕日に血の色を連想して、フィアッセの意識はそこで断絶された。

 

      ◇

 

「科学にモラルは必要ないというのが私の持論なのだがね……」

 手元の資料に目を通しながら、壮年の男性は片目を瞑って見せた。

「こればかりは多少、気の毒という気がしないでもない……」

 冊子をテーブルに投げ置く様は、どこか投げやりだった。それでも目を通すべきところは全て記憶したらしい。数百枚に及ぶ情報を数分とかけずに網羅したその記憶力はさすがというべきだと、その資料を作成した当人である名鳥十四郎は密かに感嘆していた。

 もっとも、その感情が目の前の痩躯の男には失礼に当たることは承知していたので、声にも顔にも出さないで資料を引き取り、無造作に小さな箱に放り投げる。

 自らが経営する会社の自室の、趣味で買った椅子に背もたれながら、十四郎は掌サイズの機器を操作して、投げ入れた箱の中の資料を削除した。電磁エネルギーが瞬時に資料を燃やし尽くす。シュレッダーとしては有能なそれも、科学の産物であることには違いない。

 話題を続けることに疑問を感じながらも、十四郎は正直に告げた。

「少し心外ですが……」

「む?」

「貴方がモラルを気にすることが、ですよ」

「意外かね」

「いえ。ですから、心外だと申しました」

 やんわりとした否定に、男の目尻が下がる。

「世界に名だたる財閥の当主、名鳥十四郎の言葉とは思えんな」

 軽い皮肉にも眉一つ動かすことなく、十四郎は男を真正面から見合った。

 白髪に白いひげ。肌は黄色で、彼の名前どおり東洋人の顔立ちである。だが彼の容姿で特筆すべきことは、その痩せ細った小柄な身体でもなければ、スーツ姿が似合っていない事実でもなく──その白い瞳にあった。数多くの人種、種族を見てきたが、瞳孔の白い人物は、十四郎が知る限りは彼ただ一人である。

 それも手伝ってか、彼との対面は十四郎にとってあまり心地の良いものではなかった。

「私は凡夫ですよ。地味が一番です」

「君ほどの才能を持つものが言うと皮肉にしかならんな。せっかく与えられた天賦の才だというのに、目立たんでどうする?」

「誰に与えられたかもわからない能力など要りませんね。私に必要なのは私に因る私だけの力です」

「妙な言い回しだが、なるほど……」

 老夫は一度、軽く頷いて見せた。

「君らしいともいえるのかな? 十四郎君」

「褒め言葉と受け取りましょう、煌美星(ファン・メイシン)

 社交辞令でしかないやり取りを終えて、十四郎は再度椅子に背を預けた。意識を固める。向こうのペースに乗せられるわけには行かない。

 十四郎は話題を引き戻した。

「結局、あなた方が駆逐したHGSの数は、全体の三割強といったところです。未登録を除けば……ですが」

「組織であるヴァイミリアに数で勝てるとは思わんよ」

 その事実をさして気にした風でもなく、彼──煌美星は頷いた。

「だがその三割のおかげで奴の計画も支障をきたしているはずだ。こちらも、計画に必要な分の生体エネルギーは確保できた。十分だよ」

「その分、フィアッセ・クリステラへの負担が大きくなりますが?」

「かまわんさ。どうせ彼女には最低でも一度は死んでもらわないといけない。ならば例え、現段階でヴァイミリアの手に渡ろうと同じことだ」

「三影──椿三影は?」

君は彼の友人だろう(・・・・・・・・・)? なら、私よりも彼の考えていることはわかっているのではないかな?」

 長髪とも受け取れる笑みを浮かべる美星に、だが十四郎はにこりともせずに続けた。

「私の、ではなく、貴方のご意見を伺いたいのですよ、翁」

「ふむ」

 小さく納得の様子を見せる彼の表情は、やはりどこか違和感を含んでいた。目の色素が白いというただそれだけで、彼の視線に異様な痛みを感じることがある。

「根本は同じだ。我ら三体──いや、ギルバート・ハウンゼンを含めて四体か。我らの望む未来は唯一つだ。ただやり方が違う。決定的なまでに」

「それでHGSの駆逐……ですか。ICPOのHGS保護を名目とした生体エネルギーの確保といい、魔属は少々派手に動きすぎです。この一ヶ月近くで巻き込まれた死者の数が五百万を越えましたよ。情報操作を含め、後始末する私共の身にもなっていただきたいものですね。ただでさえ、フィアッセ・クリステラ逮捕以降、それに引き継ぐ連続的なテロの勃発で世界中が騒然としているのに」

 一ヶ月前のフィアッセ・クリステラの逮捕。それが誤情報だということは知っていた。隠れ蓑に過ぎない偽装であることも承知していたが、ここ最近の事件の中で、知名度からしてこれ以上のものはなかった。

「それはすまなかったな」

 だがまるっきりそう思ってない口調で、美星が謝罪する。

「確かに、普通の人間に比べてもHGSが純度の高い生体エネルギーを所有していることには違いないでしょうが、そこまでする価値があるのかどうか疑問が残ります」

「彼らの生まれてきた理由を考えれば、至極自然な成り行きだ。HGSは、もとよりそのために生産されたのだからな」

「ルギルキア・ソリュード、ですか」

 名前しか知らないマッド・サイエンティストの名を口にして、十四郎は我知らず眉をひそめた。

 先に美星が述べた、科学の発展にモラルを必要としない論理を地で貫き通した狂学者である。彼が残した遺産は果てしなく酷い。凄いのではなく、酷いのだ。

「奴は最低の人間だったがね、それを野放しにしたのもまた人間だ。そのツケだよ、これは。贖罪すべきは人類そのものだ」

「罪というなら、貴方も同じはずでは?」

「ふむ。それは言えてるな」

 その言い返しは何かしら美星の感慨に触れたらしく、彼の相好が小さく崩れた。

「だがルギルキアは強かった。あれは人間で、ただの科学者に過ぎなかったが、おそらく人間の中では最強だったろう。いや何、単純な戦闘力で言うなら、もちろん他にも強者はいる。奴の強さは偏に人間を捨てたことにあると私は思っている」

 故に、科学にモラルは必要ない。それを捨てたルギルキアの強さを、身をもって知っているからこそ美星は断言した。

「二十五年前の戦い──第十天主砲機関の崩壊のきっかけともなったあの戦争で、我ら主砲──いや、歪曲な表現はやめよう──我ら十体の魔属を相手に互角以上に戦ったのだからな」

「私は伝え聞いているだけですが……」

 そのうちの一人は自分の友人であることを意識しながら、十四郎は記憶を引っ張り出した。

「ルギルキアと魔属の戦闘。俗に『第一次人魔聖戦』と呼ばれるあの戦いで二体の魔属が消滅。他四体からオルト・フィアラの力を奪うに至ったそうですね」

 それがどれだけ凄まじいかは容易に知れる。単純明快な理由があるからだ。

 事実として、魔属は不老不死である。

 彼らは死なない。決して老いない。そも彼らは、世界によって生み出される超越種である。魔属を倒すことは世界を滅ぼすことに等しい所業なのだ。

 故にルギルキアが成し得た所業、否、『犯した罪』は、文字通り世界を滅ぼしたということに他ならない。彼らの世界を──

(果たしてそれが可能だろうか)

 疑問は尽きなかったが、答えを求めるべき相手はここにはいなかった。

「だが残った我らとて無事にはすまなかった。その時の戦いで『力』を遣い、椿やヴァイミリア、そして私もまた、ほとんど人間レベルにまで存在力を落とさねばならなかった。唯一、無傷で済んだギルバートでさえ、数年間の休息を必要とした」

「回復するのに二十数年──長いと見るべきなのでしょうが、あなた方からすれば刹那の時でしかないでしょう?」

「今にして思えば必要な時間だったよ。無駄ではなかったさ。死滅したエースやディストール。すでにオルト・フィアラを失った他の主砲連中には悪いがね」

 二十数年のときを経て──

「此度こそ成就させてもらう。ルギルキアはもういない。奴の残した遺産であるHGSもあらかた駆除し終えた。やり方は違えど、私かヴァイミリア、椿のいずれかが目的に達すればいいのだからな」

「ならば、敵対する必要はないのでは?」

 至極当然な疑問を口にすると、美星は意外そうに目を細めた。

「価値観の違いだよ。優先順位も影響する。私が救うべくは、私の世界だ」

「ま、それはそうでしょうね」

 軽く息を吐く。それは微かな笑みを伴って顔に現れた。

「さて、ではそろそろ行くとしよう。だが一つ、去る前に確認しておきたいことがある」

「何でしょう?」

 いい加減喉が渇いていた。だが客に出すべき茶も、自分用の飲料もここにはない。丁寧な言葉遣いで話す十四郎の礼儀も含め、美星との間にあるものは虚偽でしかなかった。

「テテニスはどこにいる?」

「……ご存知のはずでは?」

 鎌をかける。美星は薄く唇を開けた。

「さて、どうだろうな。見当はついているが、確信が持てたわけではない」

「…………」

 ほんの数秒、十四郎は口をつぐんだ。答えるべきか否か。

「世界の内側──女神と死神は同一であり正逆。私の得た情報もこの程度です」

 結局、答えではない答えを口にする。だが美星はそれだけで察したらしく、寒気がするほど気味の悪い声で笑った。

「感謝するよ、十四郎君。これまでの協力も含めてね。今後も私共々、『龍』のバックアップをよろしく頼む……では、私はこれで失礼する」

「考慮しましょう」

 頷きはしなかった。しかし美星の方はそれで満足したらしく、軽く一礼して部屋を去っていく。見送りはしなかった。ドアの向こうに立っていた、彼の部下らしき男の視線が一瞬交差するが、それもすぐにドアで阻まれる。

 足音が廊下を進み、やがてエレベーターの内側に消えた頃、ようやく十四郎は肩の力を抜いた。

「さて、今度はICPOか」

 手元の電話を手に取る。幾度目かのコール音の後、聞きなれた軽い声が彼の耳に届いた。

 

      ◇

 

 小さな個室は少なからず窮屈だった。エレベーターという人間が開発した機械。確かに個体として空を飛べない人間にとっては便利なのだろうが……

 別に彼自身、エレベーターに乗る必要などない。が、監視されている以上、空間転移による移動は避けねばならなかった。こちらの行動を感づかれるわけには行かない。その面倒臭さを、先ほど目を通した資料を脳裏で反芻することで打ち消して、煌美星は小さく感嘆の息を吐いた。

「さすがに名鳥だな。情報網は半端ではない。名鳥家独自の力もあるだろうが、それを余すことなく使役する彼もまたさすがだ。我が『龍』に欲しい人材だよ、まったく」

 浮かんだ情報を全て、テレパスで部下に送る。赤い髪、赤い瞳をした男は絶えず流れてくる情報の渦に多少の痛みを感じているらしかった。

「よろしいのですか?」

 その痛みを少なくとも外見には見せずに、彼は進言してきた。

「あの男、ICPOのヴァイミリア・L・ホーンとも通じているはずですが」

「知っているよ。が、懸念すべきことはない」

「こちらの情報を向こうに渡す危険性は考えられませんか?」

「我らとてヴァイミリアの情報を彼から得ているだろう? お互い様だ。彼の──というより、彼が束ねる名鳥家の力は馬鹿には出来ん。情報が渡る危険性よりも接点を絶つことのほうが損害だ」

「それなら、いいのですが」

「不満かね?」

 それでもまだ納得しかねている男に、美星は軽く笑いかけた。

「始末しておくべきだと思います、今の内に。我らに敵対すれば、あの力は逆に脅威となるでしょう」

「そうなったときに考えればいい。それに、どうせ名鳥がどこかの陣営に就くことはあるまい」

 確信めいた口調で美星は言った。

「現状、世界が混乱の一途をたどっていないのは、名鳥、エッシェンシュタイン、レザーランス、シェン。この世界四大財閥が騒動の鎮圧に当たっているからだ。情報操作などその基本にすぎん。その点については信頼して良いだろう」

「敵対する可能性は?」

「皆無、とは言い切れんがね。基本的な彼らの立場は中立だ。いや、むしろ心情的には私たちに近いだろう。彼らがヴァイミリアのように世界全てを巻き込むやり口を嫌っているのは確かだろうさ」

 信用は出来ないがな、とは口には出さないでおく。

「では放置すると?」

「名鳥がつぶれれば『龍』の活動にも支障をきたす。『エッシェンシュタイン』と『シェン』がすでにヴァイミリアに抑えられた(・・・・・・・・・・・・)以上、彼らまで奴に渡すのは癪だ。それに忘れたわけではないだろう? せっかくの貴重なスポンサーだ。敵でないのなら、無碍にする必要もあるまい」

 確かに名鳥家は美星が作り上げた犯罪結社、『龍』のスポンサーについている。が、同時に彼らは香港警防のスポンサーでもあるのだ。

「敵ではなく、味方でもない。だがそれでいい。科学の発展にモラルは要らないのだよ」

 先ほど名鳥家当主に言ったのと同じ言葉を吐き捨てる。

 と同時に、エレベーターが地下五階に到着した。このビルの駐車場のある階で降りて、二人は車へと足を向ける。

「さて、情報も手に入れた。そろそろ手に入れに行くとしよう」

「では──?」

「ああ、ヴァイミリアの策のおかげで思わぬ準備期間が手に入ったのは運が良かった。現状は魔属同士の小競り合いに過ぎないが、ここからは本格的に人間と魔属の戦争になる。名鳥の情報によれば、後数時間後には国連軍による衛星軌道上のギルバートへの攻撃が始まる。奴の意識がそちらに動いている間に、我らが本命をいただくとしよう。禍斗(かと)、貴様は直ちに日本へ向かえ」

「了解しました」

 車に乗り込むのは美星だけだった。彼には動いてもらわなければならない。

「制限時間は?」

「最大三時間だ。肝心の椿の相手は骨牌(かるた)に任せる。他は私が着くまでに片をつけておけ。法螺の不幸の御印(アンラッキー・サイン)は『彼女』に届いたのだろう?」

「そのはずです。椎名ゆうひに接触し、間接的に届けるとの連絡がありました」

「少し不安が残るが、あれの性質上仕方ないか」

「……はい」

 その返事にちょっとした間を見つけて、美星は意地悪く笑んだ。

「何か不服か? 時間が短いわけでもあるまい。禍斗」

「どちらとも取れます。骨牌が椿三影を攻略するのには短いと言えますが、女神を殺すだけなら一時間も必要ないでしょう」

「果たしてそうかな──」

「は?」

「さざなみ寮の人間を甘く見るなということだ。女神の周囲には御神の遣い手もいる」

「問題ありません。所詮は人間です」

 きっぱりと、自信を持って禍斗は言ってのけた。

「自信を持つのは良いがね、過信は油断を生むぞ、禍斗。骨牌にも伝えておけ。あれの相手をするのに手段は選ぶなとな」

「は──しかし、本当に骨牌でよろしいのですか? 無駄死にではありませんか」

 美星は軽く笑って見せた。そんなことは百も承知である。例え誰であろうと、三影には勝てない。そう──自分でもだ。

「どちらにしても、椿は私の策に乗らねばなるまい。奴はこの世界の守護者だ。故に誰よりも強く、同時に誰よりも弱い。限定された最強の能力は、同時にその条件外では最弱となる」

 つまり、と。美星はいったん言葉を切った。

「比較の問題なのだよ。逆に言えば、他の面子にその『条件下』で椿の相手はさせられないということだ。お前たちには他の役目がある。もっとも、その先にあるのは骨牌と同様に死滅だが」

「理解しています。主命を違えるつもりはありません。命じるままに、我らはその命を散らすでしょう。それに三時間という制限も、創主に言わせれば必要な間隔でしょう?」

「ああ、そうだ。これ以上は望めない。この間に『女神』を破壊しろ」

「了解」

土愚羅(どぐら)法螺(ほら)涅槃(ねはん)にも連絡しておけ。捨て駒として死んで来い」

「はっ! ではそのように」

 禍斗の気配が、姿形が、跡形もなく、音もなく消える。視線を向けることさえせずに見送って、美星は車を発進させた。ほどなく地上に出ると、空はもう日が暮れて闇が落ちていた。ゆっくりと空を見上げる。日本の道路は、空を見上げるには適さない場所だったが、彼はかまわず空を仰いだ。

「遥か上空より視ているか? ギルバート。時が来た。貴様はいつまで人の命とどかぬ宇宙より静観しているつもりだ?」

 夜空は何も答えない。だがその一点、ともすれば星の輝きにしか見えないその小さな点の一瞬の瞬きを、彼は決して見逃さなかった。

 

【6】へ    【7】へ

Top