第八章  魔属侵犯

 

 

 生物として、彼女は人間だった。

 心もまた、人間だった。

 身体から生えた翼。竜を想像させるような異質な肉形。彼女は人間とは認められず、人間として扱われず、人間として生きることを許されなかった。

 故に彼女も気づかなかった。

 自分が人間であることを。

 自分が異質であることさえも、彼女は知らなかった。

 

 だというのに、どうして彼女は、幸せだと感じたのだろう。

 知らないが故の幸福か?

 無知であるが故に無邪気。だが決して無感情ではなく、無自覚でもなかった。

 彼女は自分が人間だとは思わなかった。

 身体も心も。

 

 どうしてだろうか?

 ルギルキア・ソリュードに拾われ育てられて──彼から魔属の存在を聞いたとき、彼女は全てを知った。生まれ生きる理由。その役目も何もかも。

 自分はこの世界のために生きている。

 ならばいつか現れるはずだと感じたという。

 自分という存在を、余すことなく抱いてくれる存在が。

 世界が生んだその存在を。

 彼女はただ待ち望んだ。

 かつて世界を滅ぼした存在が現れるのを。

 

 だから彼女は笑っていた。笑顔は不幸の嘆きではなかった。死ぬときも。死ぬ瞬間も。

『彼』が生と死を見取ってくれたから、彼女は幸せだった。

 

 二十七年前。テテニス・クラーケンは、その命で世界を救う。

 滅亡でも消滅でも、見捨てた果ての破局でもなく。

 見返りのない救済で、たった一人の少女の命と引き換えに世界は救われた。誰にも知られることなく、世界を救う道を選んだ。

 だから──

 

 今ここで起こっている戦いは、きっとあの時、テテニスを見殺しにした自分のまいた種なのだと、三影は熱波の渦中で感じていた。

 

      ◇

 

 光が奔る。

 幾重にも別れた熱波の渦が、大気を焼き、地を抉り、目標に向かって飛来する。周囲を荒野と化すほどの熱量をその実に浴びながら、三影は平然と青年のほうに近づいていった。

 それは三影自身が張り巡らせた防御結界のおかげなのだが、

「くっ」

 慌てたのは、そうとは知らない青年のほうである。攻撃が効かないという事態は想定していなかったらしく、その狼狽は隠しきれていなかった。

「この攻撃力は尋常ではないな。貴殿は何者だ? HGSではないだろう」

 男には翼があった。どちらかというと、鳥のような小さな翼である。ただHGSのフィンとは違い、それは腕から生えていた。透明感のある翼が小さく羽ばたき、彼の周囲にフィールドを形成していく。

「あんな失敗作と一緒にするな」

(失敗作……?)

 その意味を思索する間もなく、青年の周囲に更なるエネルギーが収束する。敵の放つ光熱波を躱し、時には防ぎながら、三影はゆっくりと再び歩を進めた。周りの建築物が容赦なく煙火を上げて崩壊していくが、中に人がいないのなら知ったことではない。

(だが……おかしい。この程度で私の足止めが可能などとは考えていないはずだ。奴が結界を張った者の仲間だったとして、ではどちらの勢力だ?)

 行動を開始した敵は現在二人。ヴァイミリア・L・ホーンと、煌美星(ファン・メイシン)。結界を張るという面倒なことをしている点から考えれば、おそらく前者だろうとは予測できる。が、だとして送り込んできた刺客がこの程度というのは納得がいかなかった。

 時間稼ぎにもならない。

「くっそ!」

 どうにもHGSではないらしい彼の特性を見極めるために、あえてこちらからは攻撃せず、相手を挑発する形をとっていたが……

(これ以上、無駄に時間ばかりかけるわけにもいかんな……)

 先よりずっとワンパターンな攻撃を続ける敵に痺れを切らして、三影は一気に間合いをつめた。光熱波が真正面から降り注ぐ。

「無駄だと思うが……」

「そうかな?」

 不敵な笑みを浮かべて、青年は指を鳴らした。途端、浮かんでいたいくつかの光球が帯となって飛来する。

 それをこれまでどおり防ぐ気でいると、ちくりと、こめかみが痛んだ。

「!」

 ただの勘だった。躱せ、と本能が命じてくる。それに身体が従ったのもまた、ただの気まぐれでしかなかった。光熱波は三影の周囲を薄く囲んでいた結界を貫いて、間一髪で彼の衣服を焼き捨てる。

(私の防御を貫いた?)

「……貴様は」

「何だ?」

 三影は一度言葉を飲み込んだ。核心はすでに内にある。

「いったい、何なのだ?」

「あん?」

「HGSが失敗作というからには、貴様は遺伝子改造の成功作なのだろう。ところで知っているか? 人とチンパンジーの遺伝子は、どれほどの違いがあると思う?」

「何だと?」

 いきなりとの問いかけに、男の行動が不意に止まった。気にせず、先を続ける。

「一パーセント以下だ。たったそれだけの違い。だがそれが決定的な差を生んだ」

「何が言いたい!」

「その仮説からすれば、貴様は──いやHGSも含め、遺伝子が変わってしまった存在はすでに人間ではない。ならいったい、貴様らはどこに分類される? 生物学的な人間ではすでにない。では心は? 人を、己が目的のために容赦なく殺せる存在を『ヒト』とは呼ぶまい。お前のそれは、進化か、それとも退化か?」

「……ハンっ! そんなことか!」

 鼻でせせら笑って、男は一気に間合いをつめてきた。それに対して三影は半歩足を下げ、敵の手刀を躱してから一気に後ろへ跳躍する。

「進化だ退化だ! そんな小難しいことは関係ねぇだろ。ニューマン・ギーという男は、人間でも悪魔でもねぇ。俺は俺だ。強さを求め、それを手に入れた存在だ」

「戦闘狂か」

 三影は嘆息交じりに呟いた。男の激昂は続く。

「だからここにいる! ヴァイミリアに手を貸したのは強くなれるからこそだ!」

「ヒトでも悪魔でもなく魔属ですらない。他者を思いやらないものはすでに生物ですらない。生きる目的が強さのためだけというなら……」

 言葉が熱を帯びていく。己の内にあるのが確実な怒りであると、三影ははっきりと自覚していた。

「貴様はここで殺す」

「やってみろ!」

 挑発を受けて解き放たれた光熱波を片手でなぎ払って、三影は己が右手にある力を解放した。

黒鋼(くろがね)!」

 闇が浮かぶ。影が立体化して剣を形成し、三影の周囲に十数本の刃となって具現化した。それが即座に敵に向かって飛来する。

「なっ!」

 敵の躊躇は、まさしく好機だった。

 宙を飛翔する過程で、やがてそれらは景色の溶け込み完全に透明化する。敵が姿を消した剣の行方に困惑している間に、無常なる刃は彼を完全に囲んでいた。

「その場から動くな。死ぬぞ」

「くっ!」

 挑発と受け取ったらしい彼が、再び手を掲げて光熱波を放とうとする。が──

 鮮血とともに、ボトリと、その腕が落ちた。

「がっ!?」

「言っただろう? 動けば死ぬ。さきの影の剣は貴様をすでに取り囲んだ」

 それは死刑宣告だった。盛大に吹き出した血が、透明の刃を赤く染めていく。それが余計に彼の逃げ道がないことを明確にした。彼が痛みで身動きするたびに、刃の群れは彼の元へと近寄っていく。

「最後に一つだけ聞いておく。結界を作ったのは貴様か?」

 舌打ちする音が三影のところまで響いてくる。答えない彼に歩を進めて、三影は別の質問を投げかけた。

「聞いてどうする。さっさと殺せよ」

「そうだな」

 肯定の言葉と同時に意思を込める。突き刺さる刃に音はなく、影は敵を貫いて霧散した。絶命の声さえ上がる間もなく影の剣が彼を切り刻む。後に残ったのは最初に切り落とされた腕だけだった。

「結界は……」

 敵の絶命を確認してから、三影は上空を見上げた。

「解ける気配はないか」

 奴は結界師ではなかった。この周辺に残っている未知の気配は、後一つ。

「耕介たちは……」

 死体さえ残らぬ惨状からあっさりと意識をそらして、三影は友人たちの行方を追った。と──それを拒絶するかのように、天に光が疾る。

「ちぃっ!」

 すぐさまフィールドを張って跳躍する。

 向かった先は鉄筋の城。少年少女の箱庭たる学校だった。

 

      ◇

 

 対魔属決戦部隊(・・・・・・・)リバース・D(・・・・・・)』──

 耳に残ったその言葉を反芻するのはとてつもない労力が要った。

 

「……って、ちょっと待ってくれ。リバース・Dって、あのリバース・D(・・・・・・ ・)か?」

 レベッカの言葉を飲み込んだ瞬間、恭也は己の心臓が跳ね上がったのを自覚した。驚愕から焦燥へ。感情の流転がさらなる混乱を呼ぶ。

「知ってるの? 恭也君」

 恭也の態度の豹変振りに驚いたらしいさくらの問いかけに、だが恭也は答える余裕はなかった。蒼白な表情で少年に詰め寄る。

「ま、知っててもおかしくはないよね」

 一方、少年は一人納得したように頷いていた。それが否応なく事実であることを知らせてくる。

「…………」

 だが恭也は、それを知ってなお、それが真実だと受け止められなかった。納得したくないという思いが胸中を渦巻く。ただでさえ不可解な状況で、これ以上不安要素を持ち込まないで欲しかった。

「……どういうことだ? リバース・Dは暗殺者ギルド(・・・・・・・・・・・・・)だろう?」

 リバース・D。裏の社会でも有名な、日本に唯一の存在する暗殺者ギルド──日本を拠点に活動する、世界屈指の暗殺者集団である。総勢にして二十名弱の戦闘者たちの実力は一級品で、決して軽視できるような相手ではない。恭也が知る限りでも、性質の悪い連中であることに間違いなかった。

 であるから、それが本当は国際刑事警察機構──ICPOに属する組織などと言われても、にわかに信じられるわけがないのだ。

「言葉の通りだよ。僕たちは国際警察官。暗殺者っていうのはあくまで隠れ蓑──ってわけでもないか。リバース・Dは対魔属戦闘用に組織された警察お抱えの暗殺部隊だよ。あ、魔属のことは知ってる?」

 混乱覚めやらぬ頭で不承々々頷くと、レベッカは満足げな笑みを見せた。

「その魔属を暗殺することが、ボクたち組織が何を差し置いても優先しなきゃいけない最重要任務……って、リーダーから聞いてなかった?」

「リーダーって?」

 何が不満だったのか。何が不安だったのか。消化出来ていなかった疑問が、レベッカの言葉で確かな形となる。リバース・Dを仕切っているのは、昔も今も、あの男(・・・)であるはずなのだ。

 だがこちらの心情など露知らず、レベッカの口調はどこまでも軽かった。

姫月陸王(きづきりくおう)だよ。以前、一緒に仕事をしてたみたいだから、てっきり知ってると思ってたけど? お兄さんのことは、リーダーからよく話を聞いてたし」

「……何て?」

 そんなことは重要ではない。さして問題でもない。が、恭也は何とはなしに聞いてしまった。

「ん? 高町恭也が、リーダーのお気に入りだって話」

 眩暈がした。ついで頭痛も。

 姫月陸王とは、リバース・Dを束ねる一級の暗殺者のことである。『不死人(アンデット)』の異名で呼ばれる彼は、三十代半ばを越えて今なお第一線を張れる実力を保持しており、その名は裏社会で知らぬ者はいないくらい有名人でもあった。

 と同時に、恭也にとっては親しくしたくない(・・・・・・・・)知人でもある。

 今は亡き・士郎と仕事上の付き合いのあった陸王は、恭也とも顔を合わせることが多々あった。恭也が大学入学してからは、幾度かボディーガードの仕事を紹介してもらったこともあるし、また仕事を共にしたこともある。

 暗殺者だからって暗殺ばかりしてるわけじゃない、というのが彼の言い分らしい。基本的には一級の実力を持つプロ気質な人物なのではあるが、恭也から見れば、プライベートの姫月陸王は徹底的なまでに自己快楽主義者である。

 要するに、『自分さえ楽しけりゃ、あとはどうなろうと知ったこっちゃない』思考型の人間なのだ。彼に気に入られることは、人生に迷惑を被ることと同義である。

「しまった」

 今更ながら、恭也は己の心が揺れるのを感じていた。この事件の裏に姫月陸王が一枚かんでいると知った今、恭也の心中に言いようのない不安がこみ上げてきたからである。

(話を聞く気がなくなってきた、とは言えんし……)

 聞かないほうがいい気がしてきたという方が正しいだろうか。

「……あー、まぁお兄さんが何を苦悩してるか分かるし、心情も物凄く理解できるんだけど……どうする? 聞く? やめとく?」

 なにやら同情めいた口調に、恭也は多少救われた気がした。

「いや。聞いておこう。あの人が関係してたとしても、きっと黒幕じゃないだろうし」

「どうして?」

 聞かれるとは思っていなかったが、恭也は躊躇せずに返答した。

「こういうやり方はあの人らしくない。部下に襲わせて自分がおいしいとこ取りなんてことはしないはずだ。最初の一歩から過程を含めた結果まで、何から何まで独り占めするほうがよっぽどあの人らしい」

「よくわかってるねぇ、リーダーのこと」

 感心したようにレベッカが笑う。その声にどこか仲間意識の色を感じ取って、恭也は顔を歪ませた。

「それはいいから、そろそろ本題に入ってくれ。世界で何が起こり、何故フィアッセが狙われているのか」

「まぁその程度の情報なら渡しても良いんだけど──っ!」

 だが急に態度を一変させて、レベッカは視線を強めた。戦闘態勢に入った少年に対応するように、恭也とさくらが身を固める。が、彼は視線を自らの後ろに向けていた。

「盗み聞きはいい趣味じゃないね。出てきたらどうだ?」

 声をかけたのは恭也やさくらにではなく、ましてや唯子でもなかった。何もない空間。校庭の一角、時折砂塵が飛び交う場所に殺気を飛ばす。

「気づいてないと思う?」

「レベッカ?」

「敵がいる。気をつけてね」

 それだけ言うと、レベッカは恭也たちから顔をそむけた。

「出てこないならこちらから攻撃するよ」

 言い終える頃には、少年の細い腕の周りに白い気流が渦巻いていた。一瞬後には、熱を帯びた大量の風が、レベッカの視線の先へと伸びてゆく。

 それに応じるように現れたのは、一本の腕だった。

「鍵を開ける・ここに開ける・故に我は開闢なり──」

 声は、まるで腕そのものが発しているように聞こえた。

「ヴォミーサ?」

 吹きすさぶ風が、ガラス細工のように結晶化して霧散する。驚くレベッカと、自体を飲み込めない恭也たちを尻目に、空間に現れた穴は徐々に広がりを見せていた。

 腕が更に伸びる。肩。やがて胴が現れ、足が見えた頃には顔も姿を覗かせていた。

 やせ細った男だった。灰色の肌と髪。黒い目は虚ろでレベッカを見ていないように思えた。何もない空間からいきなり現れ、レベッカの声に反応するように時折不気味な声を上げる。

「……レベッカ?」

「ヴォミーサ・ペル。一応、この作戦においては仲間……リバース・Dじゃないけどね」

 聞きたいことを先読みして、レベッカが唸った。でも、と彼は断りを入れてから、

「どうも死んでるみたいなんだ……」

 あっさりと、非常識なことを言った。

「は? いや、しかし……」

「うん。わかってる。でもさっきから、ヴォミーサから心臓の鼓動が聞こえない」

 口にした言葉を、レベッカは己自身で吟味しているらしかった。

「空気を操るのが僕の能力だ。心臓の音を聞くくらいなんでもないよ。ところで綺堂のお姉さん」

「な、何?」

 いきなり話を振られて、さくらがぎょっと身構えた。

「車でこの街に来る前、あいつに会った?」

「いえ、会ってないわ」

「だろうね。ってことは、貴女が行動を起こす前にヴォミーサは殺されていて、ついでに操られているってところかな?」

「…………どうするんだ?」

「そりゃもちろん」

 その頃には、彼はもう事態を把握して、行動の優先順位までも決定していたらしい。

「敵対するなら殺すに決まってるじゃない」

 その笑顔に、恭也は思わず戦慄を覚えた。幼く見えても彼は暗殺者である。命を奪うという行為に、およそ人間的な価値観や概念を持ち合わせていない。

 何故命を奪うことがいけないのか。

 その根本的な疑問を、リバース・D(かれら)は徹底して恭也に投げ続けてくる。

 歯軋りして、恭也もまた抜刀した。周囲に敵ばかりの状況下で油断は出来ない。レベッカの言葉を全て信じるわけではないが、彼はヴォミーサという灰色の男が操られていると言った。なら、その操者がいるはずだ。

「気をつけて」

 戦いの気配を察したさくらが、唯子を抱いて数歩下がるとほぼ同時に、ヴォミーサの腕が動いた。

 レベッカが地を蹴る。瞬間──

 その少年の風を嘲笑うように、突如飛来した白光が彼を包んだ。全くの不意打ちだった。予期せぬ方向からの攻撃が、レベッカを熱波の海へと引きずり落とす。校舎の崩壊とともに瓦礫の下に消えた少年に、だが恭也は注意を払う余裕はなかった。

 目を見張る。止まってはいけない。足と止めてはいけない。だがその戒めもむなしく、恭也は呆然と立ち尽くした。

「……薫……さん……」

──女史と近しい者を、いつまでも自由にしておくはずがない

 思い出したのは三影の言葉だった。

 敵は魔属。

 残虐に世界の歯車を回す、人ではない存在。

 神咲薫の姿をした敵。彼女を手にかけた敵。

 それを意識した瞬間、恭也の目の前が赤く染まった。

 

 

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