|
第九章 愚者は乱れ狂う
彼女の死を知ったとき、三影の胸の内を襲ったのは激しい後悔だった。 愛していたというのは間違いない。戸籍など入れなかったが(もとより、三影に戸籍などは存在しない)、それでも夫婦であったことは確かだ。ゴッコ遊びと言われようが、偽物と蔑まれようが、彼女を愛していた心だけは本物で、ともに過ごした五年間は、表現するなら『幸せ』以外の何者でもなかった。 それでも二人は、かつての仲間が解散するのに二年遅れる形で別行動をとった。別れたわけではない。当然愛想が尽きたとか、喧嘩したとか、そういったことでもない。三影の背負う役目が、彼女との共存を許さなかったに過ぎない。 言い訳じみているとは思う。だがそれを差し引いても、五年も共にいられたのは行幸といえるだろう。年に一ヶ月ほど共同生活が出来ていたのが、実はヴァイミリア・L・ホーンの画策だったとしても、それこそ二人にはどうでもいいことだった。 「あのね、再来月から香港警防に出向することになっちゃった」 「香港警防というと……あの?」 「そう、あの、香港警防」 風呂上りの湯気立つ姿で彼女は言った。九月の頭。まだ気温は高く、水玉模様のパジャマは夏用のそれだった。濡れた髪を優しくタオルで拭きながら、三影の入れた麦茶に口をつける。 「うん。そんなわけで、来月には引越ししないといけなくなっちゃった」 「まぁ仕方ない」 「うん。住所決まり次第、連絡するから」 「了解した」 会話は短絡的だった。特に何を言うまでもない。互いの仕事への不干渉は、今に始まったことではなかった。国際警察官と永久犯罪者。立場上の二人は、絶対的な敵でしかないのだから。 「ねぇ」 「ん?」 「またしばらく会えなくなるから、今夜は甘えていい?」 「ああ。そうだな。そうしよう」 不可思議な感覚が全身を襲う。嫌なものではなかった。不思議と心地よく、同時に少しだけ胸に痛みを覚える感情。『心』をはっきりと言葉にできるほど、三影は自身を人間扱いしていない。 だが『愛情』を信じていられるくらいには、彼は真正面から『人間』と向き合っていた。今、彼の胸中に渦巻く『心』を否定する気もなかった。 結局、朝になるまで二人で抱き合っていたその日の記憶が数年前のもの。
自らの役目を忘れたわけではない。 彼女が死んだことも理解していないわけではない。 それでも三影が戦う理由の一端として、和泉十鬼という存在は確かに心の内にあった。
◇
唱える。詞はただ一言。 「黒鋼」 浮かぶは影の刃。宙を舞いながら、三影は力を解放した。 「疾く走れ」 息を継ぐ必要はなかった。現出した闇の剣が、念じる間さえ必要とせずに飛翔する。それは確かに一組の男女──見知らぬ灰色の男と、青みがかった髪の日本刀を携えた女性に降り注ぐ──はずだった。 「なにっ!?」 透明化する前だったからか。その影の剣を叩き落したのは見知った青年だった。味方であるはずの彼は三影が目を疑うほどの速度で飛来し、小太刀で全て──とはいえないまでも、特に女の方に向かっていた刃を砕き落す。 地面に着地するなり、三影は油断なく恭也をねめつけた。あの二人が敵であることはわかっている。男の方からは完全に生気がうせているし、女から感じる気配も虚ろで弱々しかった。ただの人間ではない。そしてただの人間でないことは、敵でない可能性はきわめて低い。この街の人間は消滅したはずなのだ。 「どういうことだ?」 その一言に全てを要約する。敵二人。そして恭也の後方でこちらを見守っている女性が二人。ここで何があったのか。説明を聞かねばならなかった。恭也の先の行動も含めて。 だが、 「すみません」 恭也はただ、それだけを答えてきた。操られているわけではないらしいことが解ってひとまずほっとする。しかしそれだけでは全く納得がいかないのも確かだった。表情には出さず、三影は舌打ちした。 「そこの二人は敵だろう?」 「ええ」 問いただす暇はなかった。端的に頷く恭也の間隙を縫って、灰色の男が動く。だが注意すべきは男の行動ではなかった。それを囮として行動を起こした女の周囲に高エネルギーが収束していく。気づいたときには遅かった。 日本刀から光がほとばしる。 「ちっ!」 状況を理解することを一端思考から除外する。全力で前方に防御フィールドを張って、三影は恭也とともに後方へ跳躍した。放たれた光熱波を、受け止めるのではなく受け流すことでやり過ごす。巻き起こる爆発を背に、彼は再び力を収束させた。
◇
考えるより先に行動に移っていた。 知り合いが目の前にいる事実。敵に殺されたという現実。目の前が赤く染まったのは気のせいではなかった。それでも殺気に我を飲み込まれなかったのは、ひとえに三影の乱入があったからに過ぎない。自分よりも先に攻撃が繰り出されたことで、恭也は己を取り戻す前に地を蹴っていた。 日本刀で油断なく身構える彼女は──神咲薫は敵ではない。例え操られていても。 三影が解き放った黒き刃を出来る限り打ち落とす。理由を求めて来た彼にどう説明するかを悩む暇を、だが敵は与えてくれなかった。三影もまた。 「闇舟」 三影の立つ地面──その周囲五メートルほどに、小さな影の円が生じる。 「待ってください! あの人は──!」 恭也の声を、彼は聞かなかった。 「呑み沈め」 トップン──と。水の中に溶け込むように三影の姿が消えた。影の円もまた、即時に収束して消え去る。数秒の沈黙の後、変化は突然やってきた。 「があぁっ!」 うめき声を上げたのは灰色の男である。何かに殴られたように顔を変形させ、次の瞬間には男の腕が身体ごと吹き飛んだ。次節、薫の姿をした敵は── 見えない何かに身構え、その気配を手繰れないと知るや、一気に間合いをあけた。それを『何か』が追う。そう思えたのはただの勘だったが、根拠がないわけでもなかった。 三影が気配と共に消えて、男が攻撃を受けた。女は『何か』敵意を感じて後退した。 (透明になった?) それだけじゃないと、脳裏が結論を拒絶する。だがどうあれ、三影が『彼女』に攻撃を繰り出そうとしていることには違いなかった。 (止めろ!) 瞬時に感じたのはたったそれだけだった。 行動に移る。声を発する。味方であるはずの三影の行動を停止させたのは、しかし恭也の言葉ではなかった。 「やめた方がいいよ。その人、さざなみ寮の住人でしょ?」 声変わりしていないボーイソプラノに反応して、三影が忽然と姿を現す。まるで隙だらけの背に、少年はさらに言葉をつむぐ。 「それに、そのお姉さん、まだ生きているよ?」 「──っ!」 今度こそ完全に意識が凍った。彼は──レベッカは今、なんと言った? その言葉で動きが止まったのは、しかし恭也と三影だけだった。不覚に生まれた隙を見逃さず、一気に地を爆ぜた薫の剣が三影の肩をえぐり、灰色の男から伸びたムチ状の武器が軽々と彼の身体を吹き飛ばした。 「椿さん!」 粉塵巻き上げて建物の瓦礫に沈んだ三影のことも気がかりだったが、恭也は優先順位を見失うわけには行かなかった。 御神流の精神制御の修行を怠ったわけではない。だが膨れ上がった感情は簡単には収まってくれなかった。 「くそっ! レベッカ! どういうことだ? 薫さんは生きてるのか?」 「うん。心臓は確かに動いてる。ヴォミーサのような死体じゃないのは確かだね。熱はあるし、瞳孔が開いている様子もない」 「わ、わかるのか?」 「企業秘密だけどね。解るよ」 八つ当たりのような恭也の問いかけに、ホコリだらけの身体をはたきながらレベッカは頷いて見せた。程なくして三影もまた瓦礫から起き上がってくる。肩に大きな傷を作っていたが、その割には平気な顔をしていた。血も流れていなかった。両者ともにさしてダメージらしきものが見当たらないのは些か疑問だったが、その異常性について問答を行う余裕はなかった。 その不信を思考から無理やり押しやって、恭也はレベッカに向き直った。 「どうやったら助けられる?」 「本人に聞けば?」 レベッカの返答はそっけなかった。ふざけているようで、その視線は二人の敵を見据えて微動だにしていない。 沈黙が流れた空間に、口火を切ったのは三影が先立った。 「彼女はさざなみの関係者か?」 確認するように薫を値踏みする。こちらの返答を待たずして三影は言葉をはき捨てた。そこに明らかな怒りを込めて。 「恭也殿が私の攻撃を邪魔したのは、それが原因か──で、そこの少年。貴様は何だ?」 「捕虜でーす♪」 何故かお気軽にブイサインを掲げながら、レベッカは満面の笑みを三影に向ける。 「さっき恭也さんに捕まってしまいました。なので現在、敵対意思はありませんのであしからず」 「…………」 訝しげな表情がこちらに向けられる。恭也はなんて言ったものか心の底から迷った。やはり『あの人』の同類だと思ったことは秘密である。 「説明は後でします。今は気にしないでください。敵対するなら今度こそ倒せばいい。それよりもあの二人です」 三人の視線が、薫とヴォミーサの二人に向かう。 「レベッカの言葉が本当なら、薫さんはまだ生きてます。助けられませんか?」 「…………本人に聞くしかないな」 いくらか逡巡した後、発せられた三影の言葉は先のレベッカと同じだった。 「どういうことです?」 答えたのはレベッカのほうである。 「あのお姉さん──薫さんだっけ? その人が生きてるってことは、ヴォミーサを含めて二人を操っている敵の『本体』は薫さんの中にいるってことでしょ?」 その瞬間──レベッカの説明を裏付けるかのようにして、『薫』の纏っていた空気が変わった。 「…………何故解った?」 搾り出されたようなその声は、確かに聞き知った薫のものだった。その表情も、姿も、やはり彼女に違いなく、だがその瞳に込められた意思の色だけが異様な輝きを放っている。 恭也は我知らず、喉を鳴らしていた。 「意識がないように装ってはいるけど、さっきから感情が漏れまくりだよ。ポーカーフェイス、苦手みたいだね」 「……フン。まぁいい。では改めて自己紹介と行こうか。我が名は骨牌。そこなる椿三影は存じていようが、魔属『煌美星』に従う眷族だ」 レベッカの表情は変わらない。名指しされた三影も同様で、恭也だけがその言葉の意味を汲み取れずに眉をひそめた。 「さて、さっそくだが提案がある。諸君らには一切の抵抗をやめてもらいたい。さすればこの身体の持ち主、神咲薫は助けると約束しよう」 「なっ──」 喉が詰まる。脅迫というにはあまりに下劣な敵の行為に殺意さえ覚えたそのとき、 「くだらないね」 「まったくだな」 何故か意気投合する三影とレベッカから意識をはずして、恭也は怒号した。 「そんなふざけた提案、呑めるわけがない!」 「なら、この女は死ぬだけだ」 「よく言うよ」 レベッカが鼻で笑った。 「どうせ助ける気なんかないくせにさ」 「それも同意見だ」 あくまで冷静な二人は、いつでも攻撃に移れるようだった。恭也が納得するのを待っているのか、それともこの不毛な会話が終わるのを待っているのか。少なくとも三影は、すでに彼女がさざなみの関係者と知ったうえで戦う決心はついたらしい。 「恭也殿」 三影が端的に呼びかけてくる。その意図を察して、恭也はしかし首を横に振った。 「諦めろとはいわん。助ける方法があるならば、そうしよう。が、今ここで戦闘放棄するわけにはいかない。アレが他者を操る性質を持つなら、絶対にここで我らがやられるわけにはいかない」 「…………はい」 解っている。そんなことは百も承知だった。それでも感情のどこかで納得のいかない部分があった。その躊躇は決して薫の身体を傷つけることに対してではない。では何かと問われても、言葉に出来るほど確かなものでもない。 不確かな感情を持て余しながら、恭也は愛刀を握りなおした。 と、骨牌が不意に恭也から視線をはずす。 「レベッカ・リングス。ヴァイミリアの飼い犬か。貴様は何故にそこにいて、椿の味方をしている?」 「別に味方してるわけじゃないんだけどね。本当はやられた振りしてトンズラしようかと思ったんだけどさ」 軽く、本当にあっさりとした口調でレベッカは嘆息した。 「そっちのヴォミーサ・ペルは、一応、元お仲間なんでね。殺されて操られてる奴のことなんて本気でどうでもいいんだけど、作戦上、事後処理くらいはしないとまずいんだなー、これが」 「それで我らの邪魔をするか」 「どうせアンタの任務ってさ、煌美星がここに来るまでの時間稼ぎだろ? だったらむしろ手伝ってるのも同然じゃない」 「狗如きがほざいてくれる」 それで会話が終わる。侮蔑されてもレベッカの態度は変わらず人懐っこい少年のままだった。 「というわけで、ヴォミーサ──あそこの灰色の男は僕が何とかするから、あっちのお姉さんはよろしく。殺すも助けるもお任せするよ」 「レベッカ」 駆け出そうとした少年に向かった声をかける。彼は背を向けたまま、顔だけを傾けた。 「何?」 聞くべことはたくさんある。だが結局、事情を聞くタイミングを逃した今となっては悠長に話をしている暇もない。だから恭也は、唯一つ、もっとも気をつけなければならない事項を口にした。 「姫月さんは、ここに来ているのか?」 レベッカは笑った。本当に無邪気に。戦慄を覚えるほどの満面の笑みで、彼は、 「もちろん」 そう答えた。
◇
レベッカの風が疾る。 時間にしてみればただ数秒。ヴォミーサ・ペルという元仲間を殺すのに要した時間はたったそれだけだった。 生きていればそれなりに強敵だっただろう。命を奪われ、意識を刈られ、これまでの戦闘経験さえも生かせない能力者相手に後れを取るほど、レベッカは間抜けではない。 死んだ相手に同情するほどお人よしでもない。 戦いにくそうに動いている恭也と三影を一瞥して、レベッカは本当に一瞬だけどうしようかと考えた。 骨牌。煌美星の眷属。敵が結界の中にいることを考慮するなら、当然さざなみ寮の方にも敵は向かっているだろう。フィアッセ・クリステラを殺しに。どうやって結界の中に入ったのかも確認しないといけない。 いや、答えはわかっていた。だから跳んだ。 一瞬、こちらが逃げることに気づいたらしい綺堂さくらと目が合う。レベッカは愛想よく笑みを返して、その場を後にした。 (ああそう言えば、あのお姉さんが椿三影のどういった関係なのか、聞くの忘れてた) あっけらかんと、そんなことを思う。まぁそれは後でもいい。 気負う必要はなかった。やがて到着したのは学校からさほど遠くない場所である。瓦礫と炎で充満した悲惨な街並みを歩きながら、レベッカは目的のものを見つけた。 腕があった。殺されず、消されず、ただ残ってしまった腕である。運が良かったというべきか。いや、『彼』が殺されていないことは察していたから、その腕──もしくは身体の一部があることはレベッカにとっては確定済みの事実だった。 「そろそろ起きなよ、ニューマン」 『腕』に語りかける言葉に、出来る限り親密さを含ませる。 と、そこに変化が起きた。腕全体が透明になったかと思うと、アメーバのように形が一瞬で崩れ、そこからやがて人間大の塊が浮上する。外郭を形成した後、その物体はゆっくりと内部を整え出した。脳。内臓。心臓。骨。血管。神経。最後に顔の細部に至るまでが復元されて、ニューマン・ギーなる男が復活する。 (死んでないんだから、復活って言うのとはちょっと違うんだけどね) 「くそっ! くそっ! くそぉぉぉぉっっ! 」 そうして生き返った彼の第一声がそれだった。椿三影に負けたことがよほど悔しいのか、つばを吐き、つま先で地面をえぐり、挙句には腹いせとばかりに光熱波を放出してあたりを爆砕する。 (まるで子供だねぇ……) 自分の容姿を棚に上げて、レベッカは笑った。 「もう気は済んだ?」 「何の用だ!」 彼の怒りは収まらない。目は血走り、額には血管が浮いていた。 それでもひとまず大人しくなったのは、ひとえに身体に限界が来たからである。肉体の再生は想像を絶するほど疲労を伴うらしく、完全に元通りになってもしばらくは違和感が消えないらしい。起き抜けに破壊活動などすれば、身体に異常をきたすのは当然といえば当然だった。 苦痛以上の怒りに表情を歪ませながら軽く身体を慣らしているニューマンに、レベッカは微笑んでみせる。 「わかってるくせに」 「何?」 が、彼は本気で心当たりがないといった風に顔をしかめた。 「美星の眷属で、骨牌と名乗る男が来た。ヴォミーサは殺されたよ」 (っていうか、ぶっちゃけボクがトドメさしたんだけど) それは語らない。意味がないから。 「今、椿三影と戦っている」 「そうか」 「ん。多分、さざなみの方にも幾人か襲撃が行ってるだろうね」 「回りくどいことはいい。なら近いうちに煌美星も来るってことだろ! こうなった以上はサード・ルシフェルも終了だ。結界を解く!」 「いや。それはもうちょっと後。それより気にならない? どうやって連中はこの中に入ってこれたのか。それも、結界の核たる僕に感づかれずに」 「貴様は結界師じゃない。核ではあってもな」 「……それはま、そうなんだけどね」 レベッカは笑みを絶やさなかった。それを訝しげに思ったのだろう。ニューマンの機嫌が目に見えて悪くなる。 「さっきから何を笑っている?」 「いや、別に」 そう言いつつ、レベッカは笑うのをやめなかった。 「貴様のそういうところがいけ好かない! 人を小ばかにするもいい加減にしろ!」 「ああ、うん。それは僕も同意見。ニューマンの好戦的なところが僕は嫌い。純粋に強さを求めてるって言えば聞こえはいいけど、君の場合は、『強さ』というおもちゃを見せびらかしたくて仕方ない子供と同じだから。性質が悪いことこの上ない」 「おい」 明らかに殺気を込めて、ニューマンが半歩レベッカに詰め寄る。 「口の利き方に気をつけろ。今は俺がお前の上司だ」 「それは作戦上、でしょ? サード・ルシフェルは終わったんだから。もう君と僕は関係ない」 「餓鬼の理論だな。くだらねぇこと言ってる暇があったら、結界をさっさと解け! 命令だ!」 レベッカは首を横に振った。 「……その前に聞きたいんだけど、この街の人間、いったい、何人を無差別に殺した?」 「何だと?」 そこで初めて、ニューマンの目に困惑の色が混じった。答えない彼に向かって、言葉を投げる。辛辣に。冷徹に。陰湿に。 「答えられないようなら答えようか? 百八十四人だよ。結界維持のためのエネルギー源となる貴重なものを、君は身勝手な行動で百人以上も殺した。さっき言った『強さ』をひけらかしたいって、ただそれだけのことでね」 「何のことだ?」 ごまかしきれると思ったのか。なら飛んだお笑い草だ。レベッカは嘲笑を隠そうともしなかった。 「別にとぼけるならそれでもいい。結果として『今』があるのだから。言い訳も要らない。君が無駄に人員を殺したせいで、結界維持に綻びが出来たんだろう。もともと外部からの侵入にはさほど強い抵抗力を持たない結界だ。けど、侵入者を感知できないほど愚作でもない」 解説を聞きながら、ニューマンが、近づいた分だけ遠ざかった。 「それでも綻びがあるなら話は別だ。連中ほどの実力者なら、その穴から完全に気配を絶ちつつ侵入を果たすことも可能だろうさ」 「俺の責任だと言いたいのか!」 「そうだよ」 ようやく解ってくれたらしい元仲間に、また笑いかける。ニューマンの態度は変わらず不遜のままだったが、どこか落ち着きがなくなっているのを、レベッカは心臓の鼓動から感じ取っていた。 「それでどうする? 上に報告するか?」 「まさか。それこそ面倒だ」 肩をすくめて否定する。たったそれだけで、ニューマンの表情に安堵の色が見えた。 くだらない。そしてなんと矮小なことか。 「僕の個人的な事情だけどね、美星が襲来するまではこの結界は展開しないといけない。だけど、結界はかなり弱まってる。それじゃ駄目だ」 「おい」 何が言いたいのか、察したニューマンの表情が固まった。 「もう少し結界維持を続けるには、当然エネルギーが必要だよね。百人近い生体エネルギーの肩代わりになるものが」 「ちょっと待て! まさか──っ!」 「責任はとってね♪」 パチンと指を鳴らす。瞬間、気づかれないように展開していた風の檻がニューマンを拘束した。わめき散らす彼の声すら遮断する確かな質量を持った空気の壁が、彼に呼吸すら許さないほどに縛り上げる。 それでもまだ意識を失わないのはさすがというべきか。封絶の中で、必死に力を解放しようとしているニューマンの叫びは止まらなかった。罵詈雑言。事態を受け容れていない瞳。覚悟のない表情。 その目が語っていた。風を操るしか能のない能力者が、どうして?──と。 それを聞いたとき、レベッカは『?』と首をかしげた。そう言えばそんな風に装っていたことを思い出す。 「一つ訂正があるね。僕は結界師じゃない。風を操ってはいるけど、そういう類の能力者でもないよ?」 彼の動きが止まる。体力が切れたのか。諦めたのか。雑談をするようなレベッカの声に反応したのか。ただ目を見張っていた。 レベッカの足元に展開された魔方陣に。
──The contract was completed. Rupturing of all the worlds crossed at present as the future and the past, I sacrifice the life here, receive his spirit of the dead, and obtain the plinth.
呪を唱えるのは幾年ぶりだろうか。懐かしさ以上の愉悦を含んで、レベッカはニューマンに向き直った。 「最後に何か、遺言ある?」 「貴様は──!?」 ニューマンの声に正気の色はなかった。耐え切れずに漏れ出たのは死を実感したおかしさで、やがてそれは彼の全身を蝕んでいく。 「自己紹介を訂正するよ。僕はリバース・D所属の、対魔属戦闘訓練を受けた魔術師だ。だから当然、この結界も僕が張った。僕という存在を核にしてね」 レベッカは仲間にさえ嘘をついていた。いや、正確なことを教えていなかった。当然といえば当然だった。自分の情報を容易く教えるほど、間抜けでもなければ平和ボケもしていない。結界師は自分ではない。確かにその通りだ。自分は結界師ではない。 魔術師であるからこそ、レベッカは己が正体を決して明らかにしない。 「じゃ、バイバイ♪」 唖然としたまま、ニューマンの姿が空間に飲み込まれていく。元仲間を見送るその幼顔に凶悪なほど純粋な笑みが浮かぶ。微かに声が漏れ出ていることに気づいて、レベッカは何事もなかったかのように気を引き締めた。 「さて、そろそろ本来の業務に戻りますか」 その本質はリバース・D。魔属を殺すことが最優先任務であることを、レベッカは決して忘れていなかった。
|