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その事実をリオ・カリスマンが耳にしたのは、午前中の仕事を終えた自室への帰り間際だった。ドアノブに手をかけたところで呼び止められて向き直ると、相手は屋敷のメイド長──早起きの同志であるため年齢は倍以上違うのに仲のいい彼女が、珍しく慌ててやってきて、息を切らせながら言ったのだ。 「エリザ様が倒れた?」 要約するとそういうことらしい。状況を整理すると、仕事の終わりかけに届いた一通の手紙に目を通した瞬間、パタリと気を失ったのだという。慌てた周囲の者が医者を呼んだのだそうだが、結果は異常なし。貧血を起こしたわけでもない。体調不良という線は消えた。しかし、彼女はまだ起きる気配を見せていないのだそうだ。 最後まで聞いた後、リオは嘆息して見せた。 「手紙ですか?」 「え、ええ」 こちらの態度を疑問に思ったのだろう。メイド長の表情が曇った。心配していないわけではないが、リオのそれは、メイド長や他関係者のものとは大きくずれていた。 「……まぁ、でもじきに目覚めるのでしょう? お医者様が健康だっておっしゃったなら、放っておいていいんじゃないですか?」 「けれどねぇ」 不安げに呟く彼女の言うこともわからないではない。精密検査をしたわけではないから、もしかしたら何か疾患があるのかもしれないと。しかし、それよりももっと可能性として高いものがあることをリオは直感で悟っていた。 「ちなみに、その手紙は?」 「燃えてなくなったそうよ。何らかの魔術効果が付与していたとか。よくわからないけれど」 「なら大丈夫ですよ。想像ですけど、多分マスターの場合、ただの逃避でしょうから」 想像といいながらも、リオはきっぱりと言い切った。 「え?」 「ですから、手紙を見て気を失ったのでしょう? たぶん、マスターにとって嫌なことでも書かれていたんじゃないですか?」 「そ、その程度で?」 「さぁ。あの方を手紙一枚で気絶させる内容なんて想像がつきませんけど」 一応断りを入れてから、リオは自分の推理を言った。 「どうせ自分で原因を作っておきながら、しかもその原因解決は絶対にご自身の力だけでは出来ないようなことだというのに、今の今まで完膚なきまでにきれいさっぱり忘れていたのでしょう。そのことを今になって指摘されて、どうにも出来ないことを自覚して、出来ないと一言いえば済む話が挑発されて意地張って出来ると言ったがために追い込まれて、墓穴掘って自分から穴に入り込んで出られなくなってもがき苦しんだ結果──頭がショートして気絶したんじゃないですか?」 何故かメイド長の顔に縦線が浮かんでいたが、リオは気にせず満足げにうなずいた。我ながら見事な推理だと自画自賛する。 「リオちゃん。いくらなんでもそれは言いすぎじゃあ」 「まぁ、ただの憶測ですから。冗談と受け取ってもらっていいですよ」 それで締めくくって、リオは自室に入った。荷物を置き、昼食をとろうとまた退室しようとした瞬間、机上にあるランプが鳴る。雇い主からの呼び出しの合図だ。 ということは、ようやく姫様がお目覚めらしい。 「…………」 あながち冗談でもなかった先ほどの推理を思い出して、リオは何故か身震いした。
「大事件よ」 起き抜けにそう言ったのは、リオの雇い主。欧州でも有数の大富豪たるエッシェンシュタイン家の次期当主、エリザベートその人である。黒髪黒目に白い肌。スラリとした体つき。美人の代名詞といっても過言でないほどの女性は、寝起きで寝癖がついていようとやはり美人だった。 とりあえず寝癖のことは後にして、リオは聞き返した。 「事件、ですか?」 「そうよ」 「いったい何があったのです? 倒れられたと伺いましたが」 「仕方ないでしょ? 大事件なんだから」 「はぁ……左様ですか」 先ほどから抽象的な表現ばかりなので、リオの返事も自然と曖昧にならざるを得なかった。 「で、結局何があったのです?」 「…………ぁ……あ……」 「あ?」 「……………………あ、姉が……来るの」 「はぁ?」 聞き取れなかったわけではなかった。小声でぼそりとしていたが、もともと彼女らがいるのは個室である。二人の距離もさほど離れていない。周りは静かだし、聞き取るのはさほど難しくなかった。 「姉が来るのよ」 「マスターのお姉さま……ですか?」 そうよ、とエリザがうなずく。のどに詰まった何かを吐き出すように苦しげな彼女の態度に、リオはやはり首をひねるしかなかった。姉が来ることが何故大事件なのだろうか。 「お姉さまのこと、お嫌いなのですか?」 「嫌い?」 そういう質問を予測していなかったような表情で、エリザが言った。 「そんなこと考えたこともなかったわ。大体、あの人に対して好き嫌いが語れるような人間がこの世にいるとは思えないわよ」 「はぁ……」 「わたしの姉はね、リオ。人畜有害、百害あって一利なし、泣く子を黙らせ恐怖に引きつらせるような人なの。石橋を叩いてわたっている人を横から蹴落とすことを至上の喜びとするその悪魔のように狡猾で卑怯な性格に、わたしは何度泣かされたかわからないわ」 その比喩はよくわからなかったが、リオはとりあえずわかったことだけを確認した。 「……つまり、マスターに似ていらっしゃるんですね?」 「茶化さないでよ。あの人に比べたら、わたしなんて赤子みたいなものよ」 しかしリオは、そのエリザの姉なる人物よりも、エリザ本人が人畜有害その他の言葉を否定しなかったことのほうが気になった。 「で、そのお姉さまがどうなされたんです?」 「遊びに来るって手紙がきたわ」 「……もしかして」 呻くと、エリザの顔が苦渋に染まった。なるほど、その程度で気絶したことを恥ずかしいと思えるくらいの自尊心はあったらしい。 「でも、突然ですね」 思ったことを口にすると、エリザは違うのよと、これまた苦々しく呟いた。 「ずっと前からこの時期に来るってことは知っていたの。っていうか、わたしが指定したんだから当然といえば当然ね。それをうっかり忘れていたわたしが悪いのよ」 「指定というのは?」 気になったことだけを端的に聞いてみる。忙しさを理由に予定をあわせるなら、もう少し他の言い方があってもよさそうなものだ。エリザの言い方だと、わざと延期していたように聞こえる。 「最初のきっかけはね、さくらに友達が出来たことなのよ」 「さくらお嬢様……ですか」 綺堂さくら。エリザの兄夫婦の娘で、言ってしまえばエリザの姪に当たる少女である。生まれ持った美人ゆえの悩みか、はたまた一族特有の体質のためか、少女は昔から人間嫌いなところがあった。それが高校一年の終わりくらいから友達が出来はじめ、今年の夏にはついにその友人たちと旅行するまでになったという。その中に一人、男性が混じっていたらしいなどということを知ったときには、それこそ綺堂家は大騒ぎしたものだ。 エリザもそうだが、この一族はどうも不信感や嫌悪感が強く、友人関係がうまくいっていない人間が多い。リオとて人のことは言えないのだけれど。 「それをどうしてか耳にした姉が、いきなり連絡してきてわたしに言うの。『さくらに友達が出来たんですってね』って」 「……ああ、なるほど」 あとはもう想像に難くなかった。 「その後はもう、わたしにいまだに友達がいないって決め付けてネチネチ文句を言い続けるわけ。『そんなんでよくエッシェンシュタイン家をまとめていけると思ってるわね』とかね。自分だって家名捨てて出奔したんじゃないのよって言ったら、『わたしは個人として成功しているからいいのよ』って。もう頭にきて後は口げんか」 そのときのことを思い出したのか、次第にエリザの口調に熱がこもり始めた。 「好き勝手生きてる人に責任ある立場の都合を語られたくはないって文句言ったら『それじゃあ期間上げるから、友達つくってみなさいよ』って言うのよ? それも鼻で笑って『出来なるわけないわ。エリザは人間嫌いだし、そもそも自分勝手だし自己中だし後先考えずに暴走するし、何より運悪いし』ですって。自分のこと棚に上げるんじゃないわよ! 自己中で短気で人間嫌いで周りの迷惑顧みず突っ走るのは姉さんのほうでしょ?」 「でしょ、って言われても。私はお会いしたことありませんし」 リオが控えめに文句を言うと、エリザはハッと我に返った。 「ああ。ごめんなさい。ちょっとエキサイトしすぎちゃった。でもま、要するにそういうことがあったのよ」 「それで、友達を作る期限が来たと。その催促の手紙だったのですね?」 「そうよ」 「けれどマスターはそのことをすっかりと忘れていたと」 「そうよ」 「挑発に乗ったはいいものの、出来る見込みがない上に、すっかり忘れていて途方にくれていると」 つまり……と、リオは心中で整理した。似たもの姉妹が口げんかして、マスターは負けたのだ。ということは、先ほどの自分の推理は八十パーセント以上あっていたということである。詳しい中身はさておき、リオはそう理解することに決めた。 「……まぁ、その通りよ。悔しいけど」 「まるっきり自業自得じゃないですか」 「仕方ないじゃない。忘れてたんだから!」 バンッと近くにあったテーブルにこぶしをたたきつけて、エリザが叫んだ。 「何故です?」 「さくらが友達で来たのは、あの子が高校一年の冬なのよ」 「…………」 何が言いたいのか。リオはうっすらとわかりかけていた。確かエリザと戦いを繰り広げたのがその時期だ。 「いろいろあったわよね。危うく殺されそうになったもの。誰かさんに」 皮肉たっぷりに口元をゆがめて、エリザが言った。 「事後処理とかなんやかんやで、忙しかったものね。ちょっぴり忘れ物しても仕方ないと思わない? 戸籍、国籍、身分証明。いろいろ奔走したっけなぁ。友達作るよりも優先しちゃってたのよね。どう思う? リオ」 「感謝しています」 「そう? ありがとう」 にっこりと微笑むエリザと真正面から対峙して、リオは黙り込んだ。まっすぐ彼女の目を見る。別段にらめっこをしているわけではなかったが、先に目をそらしたほうが負けだという意識はあった。 「あの……マスター?」 「なあに? リオちゃん」 皮肉をこめるときだけちゃん呼ばわりするのは卑怯だと思ったが、もちろん口には出さなかった。 「あの、仕事ではともかく、私とマスターは、プライベートでは友人関係にあると思っていたのですが」 「それはもちろんわたしだってそう思ってるけどね」 と、存外あっさりとエリザは認めた。 「でも駄目。ああ、リオが駄目なんじゃなくて、仕事で上司と部下って言う関係が成り立っているから駄目なのよ。同じ生活環境下にある人間同士が親しくなるのは当然でしょ? それが馴れ合いじゃないって証明できるくらいの何かがないと」 なるほど。確かに自分とエリザでは、敵対関係になったことはあっても、絆が強まるような出来事はなかった。お互いに信頼しているし、好意を抱いてはいるが、証明できるようなものはない。この場合、問題なのは本人たちではなく、それがないと納得しないエリザ姉の性格の方だろう。 確かに、エリザの何倍も性格が悪そうだった。 「今、何か不穏当なこと考えなかった?」 「いえ。そんなことは」 慌てて首を振る。たまに鋭い雇い主から視線をそらして、リオはハッとなった。 「あの、そうしたらどうされるおつもりですか? さくらお嬢様は親族ですから駄目でしょうし」 「見つけてくるわよ。だからリオにはその間、姉さんの相手をしていてほしいの」 「それはかまいませんが、いつ頃いらっしゃるのですか?」 「明後日」 「は?」 思わず間の抜けた返答をしてしまって、リオはすぐさま後悔した。 「明後日、ですか?」 「そうよ。だから困ってるの。いえ、この際相手を選んでいられないわ。片っ端から手当たり次第チャレンジあるのみよ。手段なんて選んでいられない。『当たって砕けろ』って日本のことわざよね?」 「…………」 なにやら暴走し始めたエリザに怖いものを感じて、リオは思わず後退りした。友達作るのなら手段は選んだほうがいいと思う。それにそれはことわざじゃない気がする。根拠なく自信たっぷりと息巻く雇い主に対して不安がぬぐいきれずに、リオは気づかれないようにそっとため息を吐いた。 友達云々の結果がどうであれ、面倒なことになるのは間違いないようだから。
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