2

 

 海鳴市のはずれにあるマンション──その一室。神楽双真の部屋を訪ねる人間は限られている。同市内に住む友人が三人。他は宅配や郵便、セールスなどと言ったものであるから、自ずとチャイムが鳴った時の彼の対応は、性格というファクターを除いてもずさんなものだった。

 インターホンが鳴る。いつもの通り返事はせず、応対もしない。それでも諦めずに立ち去らない者はもう一度ホンを押す。それで留守だと立ち去る場合、たいていは双真にとって無関係な人間だった。二度目も無視し、三度目でようやく腰を上げる。友人には鍵を渡し、勝手に入ってもいいことを了承してあるのだから、三度も鳴らす人間はそうはいないのだが。

「やれやれ」

 億劫な気配を隠すことなく受話器を取る。

「誰だ?」

「わたし」

 玄関の向こうから、えらく端的な答えが返ってきた。

「わたしではわからん。誰だと聞いている」

「わたしよ。可愛い可愛い貴方の彼女♪」

 カチャ。

 問答無用で受話器を置く──と、再びホンが鳴った。少なからず苛立ちながら、再びそれを手に取る。

「何だ」

「切らないでよ! ただの冗談なんだから」

「それ以前に、お前は誰だ?」

「まだわからないの? んもう、だからわたしだってば。いいから開けてよ。借金の領収書も渡したいし」

「…………」

 そこまで言われて、双真はようやく相手が誰だか知った。だがやはりリビングから玄関までの足取りさえ重く、億劫な気分のまま鍵を開け、ドアノブをひねる。休日の昼間に訪ねてくる馬鹿の顔を予測しながらドアを開けた。

 そこにいたのは予想通りの顔をした女だった。黒髪黒目。贔屓目に見ても美人な彼女は、ドアが開いて双真の顔を確認するなり満面の笑みを浮かべた。

「やっほー♪ マイ・フレンズ。元気だった?」

 ガチャン!

 とりあえず。

 双真は無言でドアを閉めた。

(……何だ? 今のは)

 己で見たことを確認する。夢を見たことにするほど、彼は現実逃避するタイプではなかった。とにかく見知った女性がたずねてきたことは理解し、納得し、渋々ドアの向こうで文句を言っている彼女に向かって話しかける。

「何の用だ?」

「せめてドアを開けてよ」

「断る。話ならこの状態で言え」

「えーっ! せっかく会いに来た友人に向かってそれはないんじゃない?」

「……」

「開けてくれないと、ここであることないこと騒ぐわよ」

「いいから帰れ」

 喧騒がさらに高まった。

(ああ、喧しい鬱陶しい面倒くさいっ)

 休日の昼間からいったい何の用だというのだろう。いや、それ以前にこのままだと近所から苦情がくるか。心の底から沸き起こってくる倦怠感をどうにか制御しつつ、双真はため息混じりにドアを再び開けた。

 途端ににっこりと笑う彼女──エリザベートに確かな殺意を抱きながら。

 

 

「あいかわらず殺風景よねぇ」

 言われずともそのくらいは自覚していた。というのは家具に使用した形跡がほとんどないという意味で、どちらかというと生活感を感じさせないという雰囲気が強い。

 部屋を満たすのは鋭く尖った刃物のような空気。これはもう、双真独自のものである。黒髪黒目。日本人にしては肌が白い。百八十を超える身長と、細身だがしまった身体つきに。視る者を射抜くその視線をものともせず、エリザは勧められてもいないのに勝手にソファーに腰を下ろした。心地よい肌触りにうっとりとしながら、いまだ立ったままの家主のほうを向く。

「ね、のど渇いた。お茶頂戴」

「お前は一度遠慮とか、礼儀とか、知ったほうがいいと思うぞ。俺が言うのもなんだが」

「とかいって、手に持ってるそれはコーヒーポットじゃない」

「一人分だがな」

「…………」

 ちょっとした沈黙が降りる。こぽこぽと注ぎいれるカップは確かに一人分しかなく、それを彼女に差し出すほど、双真はお人好しではなかった。

「のど渇いたぁ」

「自分の血でも飲んでろ、吸血鬼」

「あ、今の発言は偏見です。ピピーッ! イエローカード! 大体、わたしは吸血種であって吸血鬼ではありません。あんな見境のないハイエナと一緒にしないで」

「……で、結局何の用だ」

 無視する形で双真は会話を切り替えて、湯気立つカップとともにエリザの前に腰を下ろした。淹れたコーヒーもまた、言ったとおり彼自身のために用意したものである。コクリと喉がなる。心地よい喉越しにほっと一息ついたとき、エリザが文句を言った。

「お客様にお茶くらい出そうよ」

「すぐ帰る人間には不必要だ……って、それはもういい。いいからさっさと用件を言え。何しに来た」

「ちょっとね。お願いがあってきたの」

「…………なぁ、エリザ」

「なに?」

 軽く、ごく自然にため息が出た。眉間に確かなしわを寄せながら、彼は、どちらかというと呆れたような口調で言った。

「お前な。ここに来てからの自分の態度を振り返ってみろ」

「え?」

「人に物を頼みに来た態度か? あれが」

 再度沈黙──したのは、エリザ自身が、双真が言ったことを理解するのに時間を要したからである。

「貴方がそんなこと気にするとは思わなかっただけなんだけど」

「相手にもよる。友人でもない女に傍若無人に振舞われて、どうしていい気分でいられる?」

「まぁ確かにちょっと礼儀をわきまえなかったかなとは思うけど……って、ちょっと待って、今なんかきついこと言わなかった?」

「ん?」

「友人がどうのこうのって」

「聞こえなかったならもう一度言おうか? 『友人でもない女に傍若無人に振舞われて、どうしていい気分でいられる?』」

「…………」

 沈黙、三度目。

 もとより静かな空気が好きな双真は気にしなかったが、今回のこれは少し旗色が違うようだった。

 エリザの表情が凍り付いているのがあまりにも容易に見て取れる。文字通り青ざめているその顔色が、それを通り越して少しずつ白くなっていく。いや、それとも乾燥して干からびるとでも言うのだろうか。げっそりとやせ細ったように見えるのはただの気のせいに違いない。双真はそう思うことにした。

 震える声を隠すことなく、エリザがつぶやく。

「……友人じゃない?」

「違うな」

 迷わず即答した。

「友達じゃないの? わたしたち?」

「そうなった覚えはない」

「わたしのこと嫌い?」

「嫌いだ」

「………………………………」

 今度こそ、容赦ない沈黙の刃がエリザを襲った。次の瞬間、爆発する。

「なんでぇぇーーーーーーっ」

 流れる涙をぬぐうことなく叫ぶエリザとは対照的に、双真の態度は冷えていた。

「お前は俺に好かれていると思っていたのか?」

「……うっ!」

 双真は決して間違ったことは言っていなかった。確かにエリザのことを好きになる理由がない。言葉に詰まったのは、彼女自身もまたそのことに気づいたからだろう。

「しかし安心しろ。死んだら葬儀くらいは参列してやる。棺の前で笑いながら、祝辞を述べるくらいはしてやろう」

「ただの嫌味じゃない、それ! っていうか、そこまで嫌いなわけ? わたしのこと! 顔も見たくないほど嫌いなら、そもそもなんで家に上げたりしたのよ。それって残酷よ? 女に期待させておくだけさせておいて、最後の最後で切り捨てるなんて」

「『どうでもいい』よりはましだと思うが。ところで『期待』とは何のことだ?」

 あくまで冷静な双真の言葉に、しかしそれ故にエリザは気を落ち着けることが出来なかったらしい。

 だが双真にとって見れば、それはある意味賛辞でもあったのだ。神楽双真という人間にとって、他大多数の存在が『どうでもいい』に分類される。であるから、例え『嫌い』であっても関心が向いているという点では他の人間よりは上位であることには違いない。

 それがわかっているのかいないのか。エリザは執拗に問いかけてきた。

「何で嫌いなの? 何が嫌いなの? わたしの何がいけないの? 理由を言いなさい。今ここで、はっきりと! 原稿用紙三枚以内で!」

 そういうわがまま身勝手なところだと言おうとして、しかし双真はふと思い直した。それを言うなら自分もだ。言うなれば、エリザを好きになれない理由はただの同属嫌悪である。だからむしろここで言葉にすべきは、彼女との間にある決して埋められない確執のほうだと判断した。

「……別に三枚もいらん。理由は一言で事足りる」

「何よ!?」

「お前に借金がある。以上だ」

「…………」

 四度目の沈黙。双真がコーヒーをすする音が響くのとほぼ同時に、エリザの頭の上にひよこが飛びだした。ピヨピヨ。

「………………それだけ?」

「それだけだが」

「本当に容赦なく冗談抜きの掛け値なしに本気で──それだけなの?」

「それだけで十分だと思うが」

「……えーと……それじゃあ例えば、わたしが今ここで借金をチャラにするって言えば、どうする?」

「今すぐコーヒーを淹れてこよう。客はもてなすべきだ」

「それじゃ、借金がチャラになったらわたしたちは友達?」

 しばらく逡巡した後、しかし双真はある違和感に気づいた。

「……さっきから気になっていたが、何故そんなに『友達』にこだわっているんだ?」

「へ?」

 思わず素っ頓狂な声が出る。その反応そのものが肯定を意味したことにお互いが気づき、もう何度目かもわからない沈黙が室内を支配した。

「……なぁ、ひょっとしてとは思うが……」

 びくりと、エリザの肩が跳ねる。かまわず、双真は続けた。

「お前、友達いないのか?」

「え?」

「友達だ。いないのか?」

「いや、えっと、その……友達? いない……こともないわよ。ええ、いるわ。結構、ほんのすこし……たくさん少ないけど……」

「どっちだ。いや、まぁいい。今の態度でよくわかった。要するに友達がいないんだな、お前」

「いるわよ!」

 無視する。相手の嫌がる推論を語るのは嫌いではなかった。

「ということはなるほど、頼みというのもその方面か。でなければわざわざ話題にする必要性はないし、借金の振込みの領収書ごときでわざわざ俺の家まで来る理由もない。大方『友達になってほしい』と頼みに来たか、もしくは『友達であるかを確認しに来た』かのどちらかだろう? とすれば、裏事情もおおよそ見当がつくな。見栄を張るのもいい加減にしとかんからそうなる。自業自得だ。自重しろ」

「……ことごとく正解なだけにむかつくわっ」

 図星だったらしい。おおよその事情を理解しながらも、双真はしれっと辛辣なことを聞いた。

「で、俺に頼みとは何だ?」

「そこまでわかっててそういうこと聞く?」

「言葉にしなければわからないこともある。俺はまだ、お前の口からは何も聞いていない。すべて推測だ」

「……うぅ……いじめだぁ……」

 いつのまにか強者と弱者が入れ替わっていることにさえ気づいていないらしい。エリザはいつしかすすり泣いていた。が、そんな彼女に対しても双真は容赦なかった。

「で、どうする?」

「な、何が?」

「借金をチャラにして、俺に『友達になってください』と頭下げるか、それともなけなしのプライドを守って友達いない街道突っ走るか」

「うぅ……」

 言うなれば究極の二択である。

「なんで? どうしてこうなったの? 何故神様は自分にこんな試練を与え下さったの? わたしがいったい何をしたというのよ。そりゃあちょっとくらいは、自由奔放に他人の迷惑顧みず暴走してた時分もあったかもしれないけれど……」

「で、どうする?」

 美女のボヤキをあっさりと一蹴して、双真はもう一度聞き返した。怒りに満ちたエリザの目線がこちらに向き直る。それに怯むような彼ではなかったが、それでも彼女が身に纏う一種異様な気配に、次に吐き出されるだろう言葉は予測できなかった。

「い──っ!」

「い?」

「いらないわよ! 友達なんて! 神楽君なんか友達じゃないもん。頼まれたってなってあげないんだから。いーだっ!」

 思い切り啖呵を切って、双真の反応を待たずしてエリザは立ち上がった。ドタドタとリビングを闊歩し、しかしドアの前で一度立ち止まってチラッとだけ視線を双真にくれる。

「本当に、友達になってあげないよ?」

「……そうか」

 端的に答えた。それが一番ダメージが大きいと予測しての行為だったが、ことのほか思い通りの効果をもたらしたらしい。一瞬悔しそうな顔をして、エリザはリビングから出て行った。乱暴な足音が玄関先で止まる。

「後悔したって遅いのよー? 今なら半額でお買い得よ?」

「それは凄いな」

 半額の意味はいまひとつ理解しかねたが、双真の気のない返事は変わることはなかった。

「っっ! なによ! 勝ち誇っていられるのも今のうちなんだからね! だいたい貴方だって友達いないくせに偉そうにすんじゃないわよ!」

 せめてもの反撃だろう口撃。しかしそれだけは言ってはならなかったことに、彼女は気づいていないらしかった。

「いるぞ。数は少ないが、こういうのは数より質だろう」

「──ッ!」

 ドアの向こうで硬直する気配が伝わってくる。しばらく静寂が続いた次の瞬間──

「うわーんっ! 神楽くんのばかぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 なにやら子供のように泣き叫んで、彼女は走り去って言った。

「…………」

 気配だけを追う。マンションの階段を駆け下りる音とともに、泣き声のエコーもやがて聞こえなくなった頃、双真はもう一口だけコーヒーで喉を潤し、それからおもむろにため息を吐いた。

「子供か……あいつは」

 そんなツッコミも独り言となって宙に消える。次にエリザが行きそうな場所を想像し、しかし容易く推測できてしまったことに、彼はあからさまに呆れた顔をした。

「やれやれ……」

 口調ほど気を悪くした様子もなく立ち上がって、車のキーを手に取る。目的地は決まっていた。

 古くからの友人がいる場所。

 海鳴市のはずれに位置する国守山である。

 

【1】へ      【3】へ

TOPへ