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「『世界なんでもナンバー1大会?』」

「そ」

 あまりにも簡潔な相槌に面食らいながらも、設楽は耕介が差し出したチラシを受け取った。

 裏界を抜け、耕介の実家が営業するサフランの商店街よりもさらに一キロほど向こうのココロ繁華街を、東に向かって早足で歩いている途中のことである。時間は午後になったばかり。そういえば耕介は学校をどうしたのだろうかと思ったが、平日のこの時間にここにいるということは、つまりさぼったのだろう。今さらだと思ったので、設楽は何も言わずに置いた。

「何々?」

 受け取ったチラシを、上から順に眼を走らせる。その視線が『要項』という部分にさしかかったところで、言葉に出して読み上げてみた。

「えーと。何でも良いから世界一になってギネスブックに載ることがこの大会の主旨です。皆さんがこれだけは譲れないと思う特技を思う存分自慢してください。その記録を申請し、ギネス記録として公的認定を受けましょう。テレビ放映予定アリ。奮ってご参加ください」

 読み終えたところで視線を上げると、耕介が肩をすくめて見せた。

「なんだか海外のローカル番組みたいな企画ですね。で、これがどうしたんです? 見た感じだと、何も変なところはないですけど……」

「それ自体はね」

 と、何やらため息混じりに呟く耕介の態度が気になって、設楽は意味もなく不安を覚えた。

「これ自体はって……」

「それに参加している人間に問題が大アリなんだ」

「…………」

(ま、そんなところでしょうけどね)

 そうして二人は、やがてちょっとした広場にたどり着いた。商店街の隅。イベント会場などでよく使われる場所である。

 最初に目に付いたのは、無駄に派手なステージと、その上で実演をしている人間だった。ステージの裏にはおそらく仮事務所のようなものだろう──テントが張られ、実行委員らしきハッピを着た人間が行ったり来たりしている。広場の中央では、ステージの上の参加者を見守る多少の観客と、それをねらった露店がいくつかたむろしていた。チラシにはテレビ放映予定アリとはあったが、見たところテレビカメラの類は一台もない。予算として見送りになったか。もともと客寄せのブラフだったのか。

 なんにしろ、椅子も何もない客席の一角で、設楽と耕介は足を止めた。

「まぁ予想はつきますけど、参加してるのってもしかして……」

「陸王だよ」

 キョロキョロと辺りを見渡しながら、耕介が言った。途中から走ってきたせいか、多少息切れしながら彼は呻いた。

「もしかしてもう間に合わなかったかな」

「でも何故彼が出場するのが問題なんです? 確かに僕たちの職業柄、あまりテレビとか、こういう目立ったことは避けなければならないのはわかりますけど」

「いや、もうそういう次元の問題ですらないよ。ったく、あの馬鹿。もしかしてもうスタンバったんじゃないだろうな!」

「だから何が問題なんで──」

──すか? と聞こうとしたところを、司会者が遮った。マイクで増幅された大音量が、嫌がおうにも耳につく。今の出演者の演技が終わったらしかった。

『本当に惜しかったですねぇ。実は鼻からスパゲティを食べる特技は一九八二年のイタリアで実践されています。ですから、ギネスブックに載るにはその記録を上回る早食いをするしかありませんでしたが、惜しくも及ばなかったようです。また特訓して第二回ではきっと雪辱を晴らしていただきたいと思います』

 第二回があるのかよーという野次が飛んだ。観客がどっと沸き、司会者も笑った。

『きっとあると信じています。では、次の出演者の方、どうぞ!』

 その言葉と同時に、ステージの横にある階段から上がってきたのは、一人の見知った男だった。黒いシャツにジーンズパンツ。だがその逆立った金髪が問答無用に彼を目立たせている。高い身長。鍛えられた体躯。その職業柄、引き締まったその様相にはさすがと思わざるを得ない。

 知る人ぞ知る、HELL&HEAVEN副長、姫月陸王である。

「ああああっ! やっぱり間に合わなかったぁぁぁっ!」

 頭を抱えて呻く耕介の隣で、だが設楽は結局何がいけないのかさっぱりわからずにいた。

 司会者のマイクが、陸王の胸元に向けられる。

『はじめまして。登録番号とお名前とお歳をどうぞ』

『十一番、姫月陸王。二十一歳です』

『今日はどんな世界一を目指しますか』

 その一言を待ってましたと言わんばかりに、陸王は息を吸った。その瞬間、設楽は何か嫌な気分に囚われた。隣にいる耕介はもはや諦めたように様子を伺っている。

 そんなこちらの気持ちなど素知らぬ顔で、右腕を高らかと上げると、選手宣誓をする様にして彼は叫んだ。

『姫月陸王、世界一の馬鹿を目指します!』

「な、馬鹿だろ?」

 どこか悟ったように向き直る耕介の隣で、設楽は思い切り地面に突っ伏していた。

 

      ◇

 

『馬鹿といいましても種類があると思います。どんな馬鹿を目指すのでしょうか?』

『ハッハッハ! 馬鹿だから考えてきてません』

『なるほど! 確かに馬鹿っぽいですな』

『そうでしょう』

「どこがっ?」

 思わず叫び返すと、会場の視線が一瞬にしてこちらを向いた。同時に、こちらを視認したらしい陸王が親しげに手を上げる。

『よぉ耕介。応援に来てくれたのか?』

『おや、もしかして馬鹿のお仲間ですか?』

「断じて違うっ!」

『照れてますね』

「こらちょっと待て、そこの司会者。勝手に解釈するな!」

 が、司会者は聞いていないようだった。陸王からマイクを遠ざけ、ステージを降りながら舞台を進行させる。

『では、はじめていただきましょう。姫月陸王さんで、世界一の馬鹿です』

「だぁぁぁっ!」

「あっさりと無視されましたね……」

 後ろで設楽が冷静につっこんでくる。耕介は地団太を踏んだ。踏んだだけで終わったが。

 こちらを完全に無視する形で、マイク片手に陸王が仁王立ちになる。大仰しいポーズを取って、彼は言った。

『では始める前に、俺様の意見を聞いていただきたい。本来、人間は千差万別。同じ人はいないように、同じ馬鹿もこの世にはいない。馬鹿になるには狭く険しく、厳しい試練を乗り越え──ているかのように見せかけることが重要なのだ』

『おおぉぉぉぉぉぉぉっ!』

 ひたすら疑問だったが、何故か観客から一斉に歓声が上がった。

『よってここに俺様は宣言する。馬鹿は馬鹿であることを自覚してはならないのだと! 無自覚のまま馬鹿になろう。馬鹿になって馬鹿なことを馬鹿馬鹿しくしてみよう。さすればきっと、馬鹿馬鹿しいまでに馬鹿っぽい道が開けているような気分に浸れるはずだ』

 前向きな様でいて、思い切り後ろ向きな演説はさらに続く。

『重ねて言う。馬鹿になろう! 馬鹿なようでその実やっぱり馬鹿な人間であり続けるために。あえて俺はここで馬鹿っぽい苦難を示そうと思う! 馬鹿であることは苦楽を伴うものであることを。そして今こそ、俺様こそが真髄の馬鹿、骨の髄まで馬鹿一色男であることを証明して見せようではないか。この──』

 一度言葉を切ってから、陸王は懐から何かを取り出した。

『学生時代に取得した学校のテストの最低点、百点満点中マイナス十五点に誓って!』

「確かに馬鹿だ!」

「っていうか、学校のテストでマイナスってあるのか?」

「よっぽど馬鹿なんだろうよ! アッハッハ!」

 好きなようにはやし立てる観客の言葉を受けて、陸王は満足したようだった。

(しちゃだめだろ)

 という言葉を口内に呑み込んで、耕介はうなだれながらも地面に合った小石をいくつか──出来るだけ大きいものを選別して拾い上げる。

『さて、俺様は今、更なる馬鹿になった。時は常に変化するように、俺様は常に馬鹿になっていっているのだ。馬鹿を叫ぼう! さすればきっと馬鹿になれる!』

「何故です?」

 妙に抜けた質問をしたのは設楽だった。

『ハッハッハ! 知らんのか? 馬鹿って言う奴が馬鹿だってよく言うじゃないか!』

「言ったがどうしたっ!」

『うむ。つまり、馬鹿といえば言うほどランクが下がっていく仕組みなのだ! よってここで俺は連呼しよう! ばーか! ばーか!』

「だぁぁっ! なんか知らんが果てしなくむかつくぞ!」

 腹の底から声を張り上げつつ、耕介は思い切り手の中の小石を投げつけた。それが陸王の顔面に突き刺さり、バタッと後頭部から地面に倒れる。血をだらだらと流しながらも、スクッと立ち上がった彼の顔には満面の笑みが浮かんでいた。

『痛いぞ。しかし突っ込みは甘んじて受け、血を流しながらも次のシーンには回復していることが馬鹿の必須条件なのだ』

「それはさすがに物理的に無理っぽい気もしますが」

『それを可能にするからこその世界一の馬鹿なのだよ。例えどれだけ物理法則に反していようと、いつかきっと二頭身キャラになって見せる! 何故ならそれこそがギャグキャラの基本だからだ。俺はあきらめない。馬鹿だから引き際を知らんのだ』

「駄目だろそれは!」

『うむ。駄目だな』

「納得してどうするっ!」

 両手を戦慄かせて──怒りに満ちた耕介の抗議が空しく響く。彼はさほど気にした風でもなく、きょとんとした表情で言った。

『むぅ。駄目か? しかし耕介は何故そこまで怒ってるんだ? むしろ安心してくれていい。この姫月陸王、例え馬鹿になろうと、馬鹿をやろうと、耕介に迷惑はかけんと去年の夏祭りで釣った金魚のピンクちゃんに誓えるぞ。もう死んでるけど』

「そんなもんに誓うなぁっ! っつーか、陸王、二日前に自分が何やったか覚えてないのだろ!」

 軽いめまいを覚えながら、耕介は呻いた。きょとんと、陸王が聞き返してくる。思い出したように手を打って、

『おお! そういえば、後ろ歩きで、後ろを見ずにどこまで歩けるかを実験したような気がする! で、ぶつかって壊したケンタッキーカーレルおじさんの像の請求書をお前宛にしたな。払ってくれてどうもありがとう』

「だーかーらぁっ! 反省しろよ、少しは!」

『ハッハッハ!』

 だがそんな様子は微塵も見せず、高らかに笑って、

『そんな高等技術を俺が出来るわけないだろう? 猿を甘く見るなよ!』

「いばれることかぁっ!」

 叫ぶが、陸王はやはり聞いた風ではなかった。こちらを無視して、ビシィッとその指先をこちらへと向けて、

『設楽! お前もわかるだろう。道を究めることの辛さと、究めて行くことの充足感を』

「わかるような気はしますが、思い切り否定させてください」

『アッハッハ。照れてるんだな。いいさ。今は照れても。だがいつかお前の主役の舞台がやってくる。そのときまで覚悟を決めておいてくれ』

「それ、言ってて悲しくなりせん?」

『悲しくなんてないぞ。だって馬鹿だからな』

「さっき馬鹿は自覚しちゃならないって言いませんでした?」

 そう言葉を交わす二人の傍らで、耕介はとりあえず息を整えようと深呼吸した。そうして落ち着かせてみて、改めて陸王を見やる。まだドクドクと頭から血を流し続ける彼は、だが至って平気らしかった。やせ我慢と言うわけでもないらしい。彼が頑丈なことは耕介も知っていたので、別段心配などの感情は起こらなかった。

 どことなくすでに何かが手遅れのような気がしたが、手遅れなことを考えるのはもうやめにしようと心の片隅でそう固く誓ってから、もう一度彼を見る。

 彼はなにやら心外だとでも言うように肩をすくめて見せた。

『そんなのでっち上げに決まってるじゃないか。馬鹿じゃないのか?』

「貴方だけには言われたくない……って、あれ? 耕介、さっきからどうしたんです?」

「うん?」

 設楽と陸王の会話をただなんとなく聞き流しながら、しごく冷静に顔つきで耕介は設楽のほうを向いた。別にどうかしたわけではない。

『フフフフ。耕介はようやくわかり始めたみたいだな。もう俺様に何を言っても無駄だということを。救いようがないことを知ったのだ。賢明だよ』

「果てしなく嫌な悟り方ですね」

 その突っ込みを陸王は無視したらしかった。

『だが! お前たちには、いや、お前たちだからこそ言っておかねばならん! さぁ耕介、今から俺が言うことを聞いて驚け!』

「なら聞かない」

 …………

 唐突に──

 風が吹き抜けた。

 会場も静まり返った。

 これ以上ないってくらいに静寂が訪れた空間で、飛んできたチラシが風に煽られて地面を擦りながら転がりぬけていく。落ち葉が舞った。誰も何もしていないはずのくずかごの中で捨てられた空き缶がひとりでにカランと音を立て、誰かの携帯の呼び出し音が取る様子もなく悲しく立ち消えた。たまたま立ち寄ったらしい女性の、その腕で眠る赤子がいきなり泣き出して……

 その雰囲気の大元である陸王の瞳も、少しだがうるんでいるように見えた。

『驚くんだぞ?』

「へぇ……」

『凄いんだぞ?』

「そりゃよかったな」

『…………』

「…………」

『……えーと、言葉にすると伝わらないかもしれないが、とにかく凄いんだ! どれだけ凄いかって言うと、俺が俺の人生で経験したことをランク付けしてみたら、きっと仰天ニュースとして間違いなくスクープになるってくらい凄い!』

「…………」

 耕介は答えなかった。ただじっと、陸王の両目を見やる。カラーコンタクトを入れているからだろう、彼の瞳は淡い橙だった。

『……絶対に驚くぞ。何せ当社比0.6倍くらいは凄い事実なんだからな!』

「それって、実は大したことないんじゃないですか?」

 冷静なツッコミを入れたのは設楽だった。もう一度、今度こそ情け容赦ない問答無用の沈黙が降りる。

「…………」

『…………』

「…………」

『……聞いてよ。お願いだから』

「いやだ」

『シクシクシクシク……』

「わざとらしく声で泣きまねしても聞かないからな」

「何故です?」

 何を思ったのか、陸王の肩を持つような質問をしたのは設楽だった。もしくは、別に深い意図はなかったのかもしれないが。

「ぶっちゃけた話、もう疲れた。馬鹿に突っ込むとつけ上がるだけだし、冷静に対処したほうが効果的だろ? ギャグって聞き流されると寒いし。迷惑かけないって誓えるならもう勝手にやっててくれ……」

『ギャグじゃないのに。本気なのに』

「へぇー……」

『シクシク……あぁ、そうだ! ならこういうのはどうだ? 迷惑掛けられたくなければ俺の話を聞いてくれやがれ!』

 脅しなのか、お願いなのか、いまいちわからない言い方をして、

『さ、どうする?』

 巧妙を見出して明るく笑いかけてくる陸王に、耕介は淡白に言い返した。

「わかったよ。聞いてやる。一文字以上一文字以内(・・・・・・・・・・)で話せ。ちゃんと句読点は入れろよ」

『い……』

「しゅうりょー」

 笛を吹くまねをして終わりを告げると、何が気に食わなかったのか、再び陸王は地面に『の』の字を書き始めた。今度は本当に泣いているらしい。鼻水をすする音が聞こえてくる。

「っていうか、今のは要するにもうしゃべるなってことじゃ……」

 どこか引きつった笑いを浮かべて呟いた設楽に頷き返してから、

「だから言ったろ? 馬鹿でもアホでも思う存分なってくれって。俺はもう突っ込まない」

 冷めた目で陸王を見つめ、あからさまに嘆息して見せたその時だった。

『クックックック! そのやせ我慢。いつまで続くかな?』

 笑い声だった。含み笑い──なのだろう。どこか響いているのは、それが音響スピーカーを通して聞こえてきたからだった。声の主は複数いるらしいが、姿は見えない。

『誰だ?』

 泣き顔のまま大げさに叫ぶ陸王は無視して、耕介は声のするほうを探した。だが構える必要もないほど、声の主はすぐに知れた。

『とう!』

 叫び声とともにステージに躍り出たのは、ちょっと異様な集団だった。四人組の男である。ジャージ姿の四人組。ここまではいい。問題は、シャツの胸の部分にプリントされているロゴだった。星型のマークを囲うような文字は……

(え?)

 それをしっかりと確認するよりも早く、四人がいっせいに手を掲げる。ちょうど、先ほど陸王が馬鹿な宣言をしたときのように。

 いやな予感は、思った以上に早くやってきた。

『我ら、世界一の馬鹿者同盟!』

 息ぴったりと、四人が声を合わせる。同じ高さの同じダミ声。格好だけでなく、背格好も似ている。顔が似通っていないのがせめてもの救いだろうか。胸に着けた小型マイクから、声が響く。やはり四人いっせいに、

『我らは世界最高の馬鹿集団。そう! 我らこそが世界一の馬鹿を目指すといううわさを自分たちで振りまく馬鹿集団よ!』

「なんぼなんでも──」

 もはや考える余地すらなく、反射的に耕介はステージに飛び上がり、陸王のマイクを取り上げた。

「そんな集団がこの世にいるかぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 投げつけたマイクが男の一人にヒットする。もんどりうって転がる男の様子に満足しながら──結局、耕介は馬鹿相手に冷静ではいられないことに最後まで気づかなかった。

 

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