3

 

 マイクは金属で出来ている。したがって、殴られると痛い。

 それは判っていたことだが、血だらけで立ち上がった男の形相は、耕介だけでなく陸王でさえも思わず後退りするほどのものだった。

『うぅ、さすがに痛い』

『大丈夫か、馬鹿二号!』

 馬鹿二号。それがどうやら耕介の投げたマイクに当たった男の呼称らしい。ということは、他の面子は一号、三号、四号といったところか。呼ばれた当の男はさも当然のように仲間に頷き返していた。痛々しそうに顔を歪め、涙目になっている姿が多少は悲哀さを感じさせる。だからといって同情はしなかったが。

『貴様! 我が同士に何をする!』

「あー、さすがにちょっとやりすぎたかもしれないって今思ってたとこ」

 なぜか怒り心頭をあらわにした彼らに、耕介はあっけらかんと告げた。

『これだけの大怪我をさせてちょっとだけって言い切るか? 普通』

「お前らにだけは普通がどーとか説かれたくない! 大体にして何者だ、お前ら」

『馬鹿者だ』

 四人同時に、声をそろえて言った。その言葉に思わず脱力する。言い返すのにはひどく労力が要った。

「そうじゃなくて! 世界一の馬鹿者同盟というのは何なんだと聞いてるんだ!」

『馬鹿者の集まりという意味だが』

「いや、だから、そうじゃなくてだな……」

 今度こそ頭を抱えて呻く耕介とは対照的に、世界一の馬鹿同盟と名乗る男たちは揃って手を打った。

『おお。もしかして、俺たちが何故こんなことをしているのかと聞いているのではないだろうか?』

『うむ。それっぽいな。だが確信はできんぞ。各員油断召されるな。相手は手ごわい。マイクは痛かった』

 先ほど耕介にマイクを投げつけられた男──馬鹿二号が言った。

『だが俺たちが馬鹿を目指すのに理由なんてあったか?』

『……そういえば、記憶にないぞ』

『俺たちは馬鹿だからな。原因や理由なんておぼえているわけがないさ』

『ああ、それもそうか』

『ハッハッハッハッハッ!』

 何故か、両手を腰にやって高笑いする連中の真正面で……

「本気で馬鹿ばっかりだ」

 呻く。と、その哄笑をピタリと止めて、男たちが頭をかいた。四人一斉にポリポリと。

『そんなにほめられると照れるなぁ……』

「照れるな! 笑うな! 頬染めるな!」

 肩が震えるのがわかった。内からこみ上げてくる感情を我慢することなく、嗚咽のように吐き出しながら、耕介はステージの隅にあるのぼりを引き抜いた。

「だいたいお前ら、ここに何しにきた!」

『知れたことよ!』

 やはり四人一斉に、今度は耕介の隣で泣き崩れている陸王を指差す。

『世界一の馬鹿を目指す我らを差し置いて、そこの姫月陸王なる男が無謀な挑戦をしようとするのが我慢ならなかったのだ。我らこそが世界一の馬鹿になるにふさわしい』

「先ほどから聞いていれば、つくづく愚かな……」

 指差された陸王が、目元を真っ赤にしながら立ち上がった。取り出したちり紙で鼻水をかむ。それでも鼻声だったが、彼は気にしていないようだった。

「集団でしか行動できない者が世界一を名乗るなどおこがましい。馬鹿世界選手権に団体戦はない事を知らんらしいな」

『無論だ。我らは馬鹿だからな。そんなことは知る由もない』

「威張ることか? っていうか、陸王もさも当然のことのようにメチャクチャなこと言ってんな!」

「そうだ! 威張れることではない!」

 その部分以外は全て聞き流したらしい陸王が、我が意を得たりと言った風に頷いた。

「しかも! 貴様らは根本的に間違いを犯している!」

『なんだとっっ!』

『我々が?』

『間違っている?』

『なんというかそれは──!』

 一泊置いて、四人同時に感嘆の声を上げた。

『とても素晴らしいことじゃないか!』

 マイクで拡大された四つの音声がスピーカーから響き渡る。

『知らない間に根本的な間違いを犯している。馬鹿を目指す我々にとってこれほど素晴らしいことはない』

『もう最低馬鹿って感じだ』

「最低って……自分で言ってていいのか?」

『いいんだ。だって馬鹿だからな』

「ひょっとしてこいつら、その言葉があれば何でも許されると思ってんじゃないだろうな……」

 そのやり取りを──

 哄笑と嘲笑の入り混じった笑い声で遮ったのは陸王だった。

「クックックッハッハ!」

 無理やり二種類の笑いを入れながら、唇を陰険に歪ませて、

「だから愚かだというのだ。先ほど俺が演説した話を聞いていなかったのか? 馬鹿は無知とは違う。ましてや愚か者でもない。馬鹿という言葉を傘に来て、なんでもして良いというものでもないのだ」

「自覚して言ってるか? お前」

 冷たく言い放つが、陸王は聞いてないようだった。

「いいか! お前たちの犯した間違いは、例えどうしようもない人類史上最低最悪、食物連鎖的に最下層にいそうな馬鹿でもしないようなものなのだ! つまり、お前たちは馬鹿ですらない! 基本がなっていない! 重ねて言うぞ! 馬鹿を甘く見るな!」

『な、なんだと!』

『我らが馬鹿ですらないだと? では我らは何者だ』

『馬鹿の基本とはなんだ?』

『それを知らない我らはやはり馬鹿ではないのか?』

『そうだそうだー!』

 最後の台詞は馬鹿二号のものだった。

「ええい! ピーチクパーチクやかましい! 人の話くらい黙ってきちんと最後まで聞けんのか!」

「だからつくづく自覚して言ってるか?」

 それをさらりと無視してくれやがったのは、だが今度は馬鹿四人衆のほうだった。

『黙って聞くだと?』

『ハッハッハ! それこそ愚かなり。そんな殊勝なことが出来るくらいなら、我らは人としての道を間違えたりはせん!』

「それって今は思い切り間違ってるってことだろう!」

『無論だ!』

 威張れることではない。決してない。だが自覚している分、それがない陸王よりもたちが悪い。突っ込む前に、勝ち誇った陸王の嘲笑が響いた。

「ふん。生半可な外れ方の癖に威勢だけは良いな! 確かに聞く気がない話を黙って聞くわけがないが……」

「ないのか?」

 呻く。それも案の定、無視される。

「フッフッフ! だが貴様らが重要なことを忘れていることもまた事実。それはずばり、馬鹿の基本だ!」

 拳を胸元で握り締めて熱演する陸王の横で、

「いや、だからなんでさっきからさも当然のことのように話が進んでるんだ? そもそも盛り上がれる話題じゃないだろ。どこか何かがおかしいって、誰も思わないのか?」

 別段、無視されているわけでもないのだろうが。ふと気になって、耕介はステージの下を見た。高さ的には一足飛びで上がることの出来る程度のものである。幼児でも手を使えば楽々上がれるだろう。そのステージから少し離れたところで、どこか我関せずと言った風に様子を伺っている設楽がいる。そのさらに数十歩後ろにいる観客たちは、どうやら完全に自分たちを一種の見世物と判断したようだった。

(俺は一体こんなとこで何やってんだろ……)

 不意に悲しくなるが、もちろん、その元凶たる彼らはそんなことかまってくれやしなかった。

『馬鹿の基本だと?』

『カッカッカ! そのとおーーーーーりっ!』

 意味不明な笑いを浮かべる陸王の胸元には、どこから調達したのか、いつの間にかピンマイクが刺さっていた。その声量に比例した叫びがスピーカーから拡大されて流れ出てくる。耳が痛かったが、その感覚すらないのか、彼らは一向に気にしていないらしい。

 びしぃっと四人組みを指差して、陸王が言った。

『馬鹿になるためにはとある重大で重要な要素が必要不可欠なのだ。三人寄れば文殊の知恵というが、馬鹿が何人集まろうと馬鹿は馬鹿! だが馬鹿集団の中で馬鹿をやろうと、それは当たり前であって決して珍しいことではない。朱に交わった赤の中では、赤は映えないのだ! つまり! 馬鹿になり、馬鹿を目立たせるには、正反対の属性が必要なのだ!』

 何か。

 とてつもなく嫌な予感がした。

 身体を大きく広げ、腕をこちらに向けて、陸王が叫ぶ。

『さぁ、黙って聞いて驚き騒げ! 彼こそ我が相棒! 究極のつっこみ役! 不幸の申し子、槙原耕介だぁぁぁっ!』

「お前が黙れぇぇぇっ!」

 とりあえず。

 力一杯に叫びながら、耕介は持っていたのぼりで横に立っていた陸王を滅多打ちにした。

 

      ◇

 

「いやぁ、白熱してますねぇ……」

 後ろから話しかけられた声に、設楽は目線だけをそちらに向けた。

「白熱……してるんですか? 一方的な殴りあいに見えますが……」

「ハッハッハ。そのような意見もちょっぴりあったかもしれませんが、おおむね無視されてますな」

 朗らかに、司会者は笑った。

「おお、見てください。鑑定団の皆さん。つっこみ上級者にしか出来ないと言われる先の尖った拳による眉間の滅多打ちです。さすがに死亡率が高いので誰もしないのですが、彼は容赦ないですな」

「確かに」

「久々に見ましたな」

「彼はおいくつですか?」

 その質問を投げかけられたのが自分であると、設楽はしばらく気づかなかった。

「……十四歳ですが」

『おお!』

 鑑定団と呼ばれた男立ちが、一斉に驚いた声を上げた。

「十四歳であそこまで出来るとは」

「確かに! つっこみの天才かもしれませんね彼は」

 訳のわからないことを言って感心する彼らの横で──設楽は何か気にしなければいけないことがある気がしていた。とりあえず、司会者に向き直ってみる。細長い顔。細長い瞳。胸の蝶ネクタイは全く似合っていなかった。

「あの……鑑定団って、なんです?」

「は? ああ、この方々ですか? この催しの審査員を務めてくださっている『なぜない鑑定団』の皆さんです」

『よろしく!』

 三人一斉に頭を下げる彼らは、どこかステージ上にいる馬鹿同盟と同じように見えた。当たり障りのない事を選んで、聞いてみる。

「って、何を鑑定されるんですか?」

「良くぞ聞いてくれました。我々は世界中の馬鹿を鑑定し続ける団体。馬鹿を目指すところに我らあり。我らあるところに馬鹿はあり。このスローガンの元に、日々世界中をうろついているのです」

「…………」

 こういうとき。

 耕介のようなツッコミが出来ればさぞ気持ち良いだろうなぁとか思いながら、設楽はまだ自制できている自分に感心しつつ、さらに疑問をぶつけてみた。

「なぜない鑑定団?」

「またの名を、馬鹿を尋ねて世界中をうろつく徘徊者。要するに問答無用に社会からのあぶれ者です」

 司会者がポツリと呟いた。その罵言を気にした風でもなく、徘徊者と言われた彼らはうっすらと笑いを浮かべて言った。

「世界中の馬鹿を鑑定し続けて云十年。我々の眼は真の馬鹿を求めています」

「馬鹿を鑑定する団体で、何で『なぜない』なんですか?」

「何故かどこに行ってもないがしろにされる鑑定団だからですよ」

「自慢することかぁっ!」

 と。

 唐突に目の前を通り過ぎたのは、なんでも世界ナンバー1大会ののぼりだった。その長い柄で、三人が一斉になぎ倒されていく。あっけなく昏倒する鑑定団はさておいて、それのやってきた方向を向くと、案の定ステージ上にいた耕介が何かを投げたポーズのまま息を切らしていた。

「耕介。聞いてたんですか?」

「マイク使ってるから聞こえるに決まってるだろ!」

 そう叫ぶ彼の拳からは、少し血がにじんでいるように見えた。

(馬鹿に付き合ってもつけ上がるだけなんですが……今の耕介にそれを言っても意味ないでしょうね……)

 確かに、喧騒はもう収まりそうになかった。ステージから少し離れてはいるものの、イロモノとしてはその中にきっちり自分も含まれていることを自覚して、設楽はなんだか悲しくなった。

 ステージの上では、殴られても起き上がる陸王と世界一馬鹿同盟に、耕介が問答無用で暴力を振るうと言うパターンが続いている。

『この世に生まれついての馬鹿がいるように、生まれついての突っ込み役というものも存在する。耕介! お前は世界一の突っ込みを目指すべきだ。俺と一緒に!』

「何で俺がお前なんぞとコンビ組まにゃあならんのだ!」

『アハハハ。その通りだ。耕介君とやら』

『君は我らのチームにこそふさわしい。否! 我らこそが、君のツッコミを受けるにふさわしい!』

「よーし! ならお前から順に一列に並べ! 希望通り容赦なく血祭りに上げてやる!」

『だまされるな、耕介! 相手の裏の裏をかき続け、表がどこにあったか忘れるような馬鹿な連中にお前の拳はもったいない!』

『愚かなのは貴様だ。それでこそ馬鹿の真髄と言うもの。何故ならぶぎゃッ!』

『ああっ! 台詞の途中で突っ込むのはよくなめぎゃっ!』

「や・か・ま・し・い!」

 一語一語をはっきりと発音して、耕介が叫ぶ。そろそろ終盤らしいことを読み取って、設楽は危険が届かないところまでさりげなく後退した。

「馬鹿が馬鹿なりに馬鹿なことを馬鹿っぽく考えやがって! お前らが馬鹿やるたびに馬鹿馬鹿しいことに巻き込まれて馬鹿を見るのは俺なんだよ! 頼むから俺を平穏に帰してくれ! 迷惑をかけるな! 馬鹿に言っても仕方ないのは分かっちゃいるが、馬鹿が馬鹿やるのは当然なんだから、人生で一度くらいはその馬鹿な脳みそを馬鹿みたいにフル回転させて、馬鹿馬鹿しいことしないように心がけて見ようとか思わないのか? この馬鹿ども!」

『ああ、そんな馬鹿馬鹿言ったら……』

 と、鼻から血をぼたぼたと垂れ流しながら陸王が言った。それに乗じて、気絶していたはずの男たち四人ものろのろと立ち上がる。

 その様子を半眼で見つめていた耕介が、拳を握り締めながら聞いた。

「馬鹿馬鹿言ったら……なんだよ」

 テヘッ──と、彼らが笑ったのは気のせいだったのかもしれないが、なんにしろ彼らは──陸王までもが──声をそろえて、

『馬鹿になっちゃうぞ♪』

「いっぺん死ねぇっ!」

 今度こそ最後のような叫びと、全てを終わらせるための拳が、馬鹿を目指す者たちへと降り注ぐ。そして再び、長崎の商店街に血の雨が舞った。

 

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