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「あ」

 これ以上ないほど端的に呻いて、設楽は嵐が立ち去った方を見た。呆然と見送ってしまったことを多少後悔しながら、しかし『あれ』に逆らうことなど誰にも──もちろん設楽にも出来るはずもない。彼は小さく嘆息した。

「ま、大丈夫だろ」

 隣にいつの間にかやってきていた血まみれの陸王が、のほほんと言った。血だらけではあったが、すでにダメージは回復しているらしい。異常なまでの回復能力。彼が『不死人』と呼ばれる所以の一つなのだろうが……

 その彼が、唐突──に見えたのは設楽だけだったのかもしれないが──に、広場にいた全員に向けて叫んだ。

「んじゃ、いい感じでオチもついたところでそろそろお開きにしようか! お疲れさん。エキストラの皆さんもご苦労様でしたぁっ!」

「へ?」

 設楽の呟きなどどこ吹く風で。

 陸王のその声で、一斉に観客から臨場感が消えた。彼らだけでなく、会場スタッフをはじめとするステージの四人もまた、伸びをしたり、疲れたように座り込んだりと、おのおのにだらけ始める。

 エキストラ? その単語の意味するところを思索しながら、設楽はステージに近づいた。世界一馬鹿同盟と名乗った四人も、大会の実行委員から救急箱を受け取って互いに手当てをはじめている。

「あの……陸王?」

 同じく手当てを受けていた陸王に、設楽は疑問をそのままぶつけてみた。

「エキストラって、何のことです?」

「エキストラはエキストラだ。さすがに俺たちだけだと寂しいんでな」

「いや、ですから一体何のことです?」

「あのなぁ、設楽」

 と、先ほどまでの馬鹿が前面に出ていた表情から一転してまともな顔に戻って、陸王は言った。

「世界何でもナンバー1大会とか、世界一の馬鹿を目指す同盟とかなぜない鑑定団とか、そんなものが本当にこの世に存在すると思うか?」

「……思いたくはないですが……世の中、どんな人種がいるかわかったものでもないですしね。たとえば貴方とか」

「ハッハッハ! またまた、冗談がうまくなったな、お前も」

「いえ。貴方は変です」

「…………」

「…………」

 訪れた小さな沈黙を咳払いひとつで破って、

「いや、だからな。みんなでっち上げの嘘ってことだ」

 今までやってきたことはみんな自作自演であったのだと、彼は続けて言った。

「また何のためにこんな手の込んだ演技を……」

「それこそ愚問だぞ。俺たちの仕事は暗殺業。ただでさえ世界中を飛び回るんだ。せっかく長崎に帰ってきたんだから、耕介をからかうのは当然だろうが」

「そんな和やかに言われても……」

 薄ら笑いを浮かべながら、

「さすがにちょっと……いえ、かなり不憫な気がします」

「いいじゃん。ただでさえ、俺たちはしくじったらもう会えなくなるかもしれない仕事をしてるんだぞ? 仕事で会えない分、怒った顔と笑った顔、泣きそうな顔に困った顔──できるなら喜怒哀楽全部見たいだろうが。それを一度に経験できる企画を立てたらこんなんになっただけだ」

「……怒った顔しか見なかった気もしますが」

「気のせいだろ。あいつ、あれはあれで楽しんでたぞ」

「開き直っただけでしょう?」

「ハッハッハ。それも計算済みだ。ま、最後はちょっと狂っちまったが、おおむね計画通りだな」

 顔にこびりついていた血をふき取る陸王の言葉に、設楽は首をかしげて見せた。

「あれ? 彰子さんのことは計画外ですか?」

「おお! さすがにあれは俺もびびった」

 言葉とは裏腹に、陸王はカラカラと笑いながら言った。

「……売り上げが下がらないことを祈りますよ」

 心にもないことを言って、設楽はもう一度広場を見た。

 観客──エキストラたちは、どうやらこの商店街の人たちらしく、スタッフの一人からなにやらお土産のようなものを受け取っている。それがどうやら報酬らしかった。ということは、それを渡しているスタッフは何者なのだろうと考えて、

「で、馬鹿同盟とか、鑑定団とか、あの司会者とか。あそこのスタッフもそうですけど、彼らってもしかして……」

「おう。俺の部下だ。日本が誇る暗殺者ギルド『リバース・D』のメンバーだよ」

 隠すことなく陸王が言った。

 リバース・D。

 日本で唯一の暗殺者ギルド。総勢十七名しか所属しておらず、だがその戦闘力の高さと目的執行能力の優秀性から、世界でも注目される組織のひとつである。依頼を受け、それを実行する。ただそれだけだが、暗殺業においては──というよりも裏業界においては、人の思惑が交差してなかなか思うようには行かない。確実な成果を挙げることの出来る暗殺者は、その数に対してかなり少ないのが実情だった。

 非合法とはいえ、彼らの依頼人には公的組織も関与している。需要があればこそ彼らのような存在も成り立つのだが、それはあくまで暗殺業界の話であって、間違ってもこういうイベントに対してではない。

 なので、設楽が呆れがちに呻いたのもごく自然なことだった。

「質で言えば世界でもトップクラスの暗殺者たちが、そろいもそろって何馬鹿なことをしてるんだか……」

「いや、設楽さんが呆れるのもわからなくはないですけどね」

 その呟きに、ハッピを着たスタッフの幾人かが声を挟んだ。そうしてみると、彼らは一般人とは一種異なる雰囲気を持っている。歩き方。気配の操り方。その身のこなしから全て、一般人では見抜けないほどごくわずかな『不自然さ』があった。

 フリーではあるが、一応の同業者である設楽だからこそ見抜けたわずかな違い。だがそれだけで、彼らがリバース・Dに属する暗殺者であることを理解するには十分な違いがあった。もしかしたら自分のためにわざとそうしているのかもしれないが、なんにせよ、陸王の言葉が事実であることには違いない。

 設楽は再び肩を落とした。

「われわれも人間ですから。たまには息抜きしないと」

「そうですよ。こういうお祭り騒ぎは好きですし」

「面白いことはもっと好きです」

「しかし、あの彼。リーダーから話は聞いてましたが、からかいがいのある子ですよね」

「そうだろ?」

 と、陸王が話題に乗る。

「俺たちや設楽みたいな存在っていうのは、本来、正体隠して何ぼなんだけどな。あいつは違うんだよ。暗殺者だってつい話してしまう気配を持っている。雰囲気って言うかな。んでもって、そのことを全く気にかけない性格ときてる。普通の人間は、平気で人殺しが出来る俺たちを怖がったりするもんだけどな。馬鹿なのか大物なのか。わかっているのかいないのか。気にされないことを喜んでいいのかどうかもわからんが、とにかく一緒にいて楽しい奴であることには違いない」

 陸王の言葉に、暗殺者たちがうなずき、笑いあう。ふと、陸王の視線が設楽の方を向いた。身構える前に、彼の言葉がやってくる。

「プライベートと仕事の区別はつけないとな。楽しむべきところはきちんと楽しむ。人生の基本だぜ?」

「…………」

 設楽は答えなかった。もとより答えなど必要としていなかったのか、それとも独白だったのか、陸王が独り言のように淡々と続ける。ただ、その言葉は確かに設楽に向けられたものだった。

「もっと余裕持てよ。生きることを楽しむくらいの余裕をさ。人間死ぬときは死ぬ。何をどう足掻こうこうとな。どこで死ぬか判らないから、生きていられる。生を実感するのは死に直面した時。命を賭けて戦っている時。後一つは……」

 と、彼はにぃっと唇を歪ませて、

「笑ってる時だ。楽しいこと、嬉しいこと。何でも良い、とにかく笑え、設楽。笑う門には福来る。笑えない人間は『限界』が来るのが早いんだ。笑えるようになって初めて、俺たちは俺たちの生き方を──逝き方を主張できる」

「…………」

 だがやはり返事はせずに──

 撤収し始めるリバース・Dと陸王に別れを告げて、設楽はその場を後にした。

 

 

 日も暮れた時間。そろそろサフランも閉店しただろう時間になって、設楽はようやく槙原家へ足を向けていた。

「とにかく、一緒にいて楽しい奴には違いない」

 不意に思い出された陸王の言葉に思わず含み笑いをして、だがすぐに顔を引き締める。結局、根本的に考えることは同じなのだと設楽は思った。

 槙原耕介。十四歳。洋食屋の次男坊。意識変異によって戦闘力を爆発的に向上させる体質を持つ少年。

 その年齢にしては大きすぎる身長以外は目立つこともなく、普通の少年である。少なくとも設楽や陸王、あの場にいた暗殺者たちに比べれば、何の特色もない。いくら戦闘力が向上しようと、彼には人は殺せない。

 その一線は細く短く、そして脆い。誰でも簡単に乗り越えられる一方で、越えた後にとてつもない重圧が待ち受けている。それは、例えば社会的な制裁だったり、自身の心のバランスだったりと。どちらにしろ、人を殺すという概念は今の平和な社会を暮らす者にとっては重大な事件となる。それを少なくとも平気で超えられることが出来なければ、プロの暗殺者とはいえないし、決して裏社会に認められることもない。

 人殺しに慣れるからではない。そもそも人を殺すことが悪であるという概念がないこと。それがプロとしての最低条件だった。設楽も陸王も、それを乗り越えて──とは少し違うが、その線を越えることになんの感情も抱かない人種だった。元から線がなかったといっても良かった。

 その点からすれば、耕介が自分たちの存在を受け入れ、仲間として見ていることは不思議でしかない。犯罪者にも身内はいる。気にかけてくれる人はいる。近い例をあげるならそういうことなのかもしれないが、それとも少し違う気がする。

 槙原耕介という少年はどうも他人に対してあまり壁を作ろうとしない。一度信頼すれば、その相手がそばにいることを疑問に思うことさえない。

「何で設楽ってうちにいるの?」

 今日、裏界の溜まり場で最初に投げかけられた質問は、だから設楽にとっては少し驚くことだった。

 それにしたって、彼が気にしていたのは設楽がHELL&HEAVENにいる理由であって、暗殺者という仕事をしていることに対してではないのだ。普通なら誰もが関わりを拒絶するだろう存在に対しても、やはりその態度に遜色はない。

(確かに、付き合って面白い人物ではありますね)

 陸王は言った。

 馬鹿なのか大物なのか。わかっているのかわかっていないのか。暗殺者であることを気にされないことを喜んでいいのかどうか。

 それは少し違うと、設楽は思った。

(彼は危ういんだ)

 純粋で傷つきやすく、だがその自分の脆さに気づいていない。他人を信じ、自分を信じ、仲間を信じて、一緒にいれば何でも出来ると信じている。

 それは嬉しくもあったが、同時に少しだけ怖かった。

(僕や陸王のような存在と関わっていれば、きっといつか、彼の日常が壊れる日がやってくる。壊したくない。壊れてほしくない。でもそれがわかっていながら、僕たちは……)

 そうしているうちに、設楽は家の前についていた。自然な流れでインターホンを押す自分に嘲笑して、マイクから聞こえる声に返事をする。

『はい、どなたですか?』

「設楽です。遅くなってすみません。お言葉に甘えてこさせていただきました」

『今、耕介を行かせるわ。今日の晩御飯は手抜きでカレーだけどね』

 彰子の声だった。

「いいですね。彰子さんのカレー、好きです」

『そ。まぁ、積もる話は家の中でね』

 マイクが切れたのと、ドアが開いたのはほぼ同時だった。

「よ、お帰り。遅かったな、設楽」

 耕介だった。あれから何もなかったのか。それともこれから何かあるのか。わからなかったが、とりあえず無事らしい。

「…………」

(僕たちは離れられないでいる。この場所から。彼のそばから……)

「ん?」

「……いえ。ご無事のようで何よりです」

「ああ、それね。とりあえずゲンコツ三発で許してもらえた。メチャクチャ痛かったけどな。後は死に物狂いで働いたからかな。おかげで疲れた」

「……今日は遠慮したほうがよかったですか?」

 控えめにそういうと、逆に耕介は目を丸くした。

「何言ってんだよ。飯は大勢で食ったほうがうまいんだから、何の問題もないって」

 そういう意味ではないのだけど。そう思ったが口にはしなかった。

「久々の長崎だろ? 今回はどれくらいいられるんだ? 次の仕事はいつ?」

「しばらく先になりそうです。少したて続けでしたから、一ヶ月くらいはゆっくり休もうかなって」

「んじゃ、部屋用意するからうち泊まっていけよ」

「……いえ、それはさすがに……」

「気にしない気にしない」

 大らかに笑う彼の勧めるままにリビングに行くと、すでにテーブルにはカレーが盛られた皿が並んでいた。きっちり六人分。先にテーブルについていた真由が、「やっほー!」と軽く手を振った。

「それじゃ、みんなそろったからそろそろ飯にするか」

 槙原家の主の掛け声とともに、少し遅めの夕食が始まる。

『では、お疲れ様でしたーっ!』

 自分ひとりだけ部外者ではあったが、設楽は場の流れに従って乾杯を受け入れた。グラスが打ち鳴らされる。大人たちは泡立つビールに口をつけて、思い切り悦に浸っていた。

「とりあえず、設楽はお帰り」

「……」

 結論は出ていた。それを自覚もしていた。

(結局、僕たちは……)

 結局自分たちは、彼のこの言葉を聞くためにここにいて、ここに帰ってくるのだと。

 耕介が差し出したコップに自分のそれを打ち付けて、

「ただいま帰りました」

 本当に久方ぶりに、設楽はその言葉を口にした。

 

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