『HELL&HEAVEN』

 

  『友達』から始めよう!

 

      1

 

──フランス、国際刑事警察機構、特別犯罪局本部。

 その局長室にて。

 

「左遷ですか?」

 少々棘のあるその声に、この部屋の主、ヴァイミリア・L・ホーンは小さく首を横に振った。その白い肌を過労のために曇らせながら、とにかく疲れた身体に鞭打って、机の向こうで険しい表情をしている女性に顔を向ける。

 対面に立っているのは、実年齢にしても二十歳にもなっていない──その外見が示すとおりの人物で、人懐っこい印象が男子職員の間でも人気だという少女である。妹にしたいナンバーワンとか何とか。東洋人は総じて幼く見えるというから、言うほど彼女とて子供ではないのだろうが。

 その彼女に対して、とりあえずヴァイミリアがすべきことは誤解を解くことだった。

「違う。早合点するな、和泉捜査官。左遷ではない、異動だ。君の赴任地が日本、長崎県になる」

「ですから左遷でしょ?」

「違う」

「えー、でもー」

 妙に間延びした文句の物言いに、しかしヴァイミリアは辛抱強く説明を続けた。

「だから違うと言っている。左遷ではない。任務だ」

「東京なら理解できますよ。部隊の支部がありますから。でも長崎って、確か日本の端でしょう? そういうの、普通は左遷って言いません?」

 至極もっともな意見を言って、彼女──和泉十鬼の視線が強まる。

「極秘であるがゆえに、味方にさえ知られてはならない。従って、君の異動先は東京支部の長崎方面担当ということになる。これが辞令だ。なお、この辞令書も保存されない。今日限りのものだ」

 言って、一枚の書面を彼女に差し出す。最初から机においておいたものだから、彼女とて気づいてないはずはなかった。その書面をなじる様に目を通す十鬼の顔が再びこちらに向くのを待ってから、ヴァイミリアは続けた。

「第一級の機密任務──それも後方支援型の君にしかできない重要なものだ」

 もったいぶった言い方だったが、中身は決して過言ではなかった。だがしかし、彼女は何が嫌だったのか、ものすごく渋った顔をした。

「わたし、基本的に内勤なんですけど」

「それは知っている」

「今現在、担当している事件もあるんですけど」

「理解している。が、先ほども言ったとおり、第一級の任務だ。何をおいても最優先される」

 彼女はしばし悩んだ末に、確認の意味も込めて聞いてきた。

「今の仕事よりも?」

「そうだ」

「一ヵ月後の署内仮想パーティよりも?」

「そんなものがあるのか? いや、というか比較するな」

「わたし、実は外に出て日の光を二時間以上浴びると干からびるって持病が……」

「そんなものを持っているなら、直ちに科学研究部へ送還してやる」

「人間恐怖症なんです」

「うそつけ」

「そうやって頭ごなしに否定するっていけないことだと思いますぅー」

 さらにふくれっつらになった彼女の顔に、しかしヴァイミリアはニコリともせずに賛同した。

「私もそれには賛成だ。しかし私が、君が仲間内でなんと呼ばれているか知らないとでも思っているのか?」

「なんて言われてるんです?」

「ひっつき虫。または寄生虫。抱きつき魔。寂しがり屋の猫みたいなどという輩もいるが、むしろ蚤に近いのではないかという話もある」

「わたしが血を吸ってもかゆくなりませんよ」

「否定するのはそこか?」

 奇妙な沈黙が降りた。コホンと軽く咳払いし、ヴァイミリアは本題に戻った。

「まぁとにかくだ。本部の守りを薄くしても優先しなくてはならない。もう一度言う。これは最優先事項だ。そして君にしか任せられない任務でもある。和泉十鬼捜査官」

 口に出したことで、ヴァイミリアはようやく目の前のこのとぼけた女性捜査官の能力を再認識した。

 和泉十鬼(いずみ とき )。ICPO特別犯罪局、特殊犯罪捜査課、特例対応技能班として彼女は任に就いている。超常現象や人間外生命体による犯罪を取り締まる課の、さらに特殊な対応が必要な部隊の、その後方支援チームに所属する彼女は、その防御能力においてはヴァイミリアが知る限りでも髄一ものを持っていた。特異な存在を取り締まるには、特異な存在でなくてはならない。その理念から端を発したチームに所属する彼女もまた、常識外の特殊能力の持ち主である。

 普段はのほほんとしている彼女が果たす役割は意外と大きい。職業柄、内外限らず敵を作ることが多い組織であるから、『守ること』という一点において他の追随を許さない十鬼の重要性は改めて考えるまでもない。本部のあるここがテロに侵犯される危険性が皆無といわれているのは、ひとえに彼女の存在あってのことなのだ。

 だからこそ『最強の盾』を持つ彼女に異動の辞令が下るはずがない。それは本人を含め、事情を知る誰もが考えることだ。だからこそ今の話に彼女が驚くのも無理ないといえる。

「最重要課題だ。先日の上層部との会議で決まった」

「そういえば聞き忘れてましたけど、いったい任務って何ですか?」

「監視だ」

「監視?」

 先ほどからオウム返しで聞いてくる十鬼にうなずき返して、ヴァイミリアは内ポケットから一枚の写真を取り出した。

「……?」

 そこに移る黒髪の男性の顔を、十鬼が知るはずがなかった。名前は知っているはずだが、その姿までは情報規制されているため捜査官でも知らない者は少なくない。

 だからヴァイミリアは、脅かすつもりで含みのある笑いを浮かべた。

「永久指名手配コード『009』所有者だ。コードネームは『シャドウ』。通例として『 椿 三影(つばき みつかげ)』とも言うかな」

「……は?」

 予想通り、間の抜けたような彼女の表情に胸中で笑いながら、さらに説明を補足する。

「人類と敵対関係にある中では、現存する最悪の生命体だ。彼が現在、日本長崎県長崎市にいるとの情報が入った。目的は不明。君の任務は、彼の監視とその行動目的の調査だ。奴が長崎にいる間は任務は何をおいても続行しろ。しかし干渉は不可。接触は出来うる限り避けろ。接触してしまっても、敵対行為だけは絶対にするな。例えどれほど君が防御に優れていようと、手を出してはならないものは存在する。なお君に拒否権はない。これは命令だ」

 辞令書を差し出す。戸惑ったままの彼女から目を離して、ヴァイミリアは書類の束の中からもう一枚、『経費に関する制約証書』なるものを取り出した。

「?」

 そこに机から取り出した責任者の判子を押し、その横に直筆でサインする。

「捜査にかかる必要経費は特殊対応班の年間予算三年分以内に納めること。ま、一億ドルも使うことはないだろうけどな」

 今度こそ目が丸くなった十鬼に、ヴァイミリアはようやく隠すことなく声を上げて笑った。

 

      ◇

 

 魔属と称される者たちがいる。専門的な言葉でオルト・フィアラとも呼ばれるそれらは、定義するなら『高次元(もしくは異次元)生命体』の総称である。

 その生命体に対して、人類が解明したことは限りなく少ない。

 それらはおよそほとんどの生命体が単体個々で存在する。群集意識などなく、生命活動に必要なエネルギーは全て自らの『意思』によってまかなうことが出来るそれらにとって、世界とは独立であり、孤独こそが世界の真理だった。

 そうしてそれらは他の存在を無視し、ただ自らがより高位になることを目的として活動を続ける。中にはより高次元へ昇華するために、意識や肉体を単一化した存在も少なくない。そういった者たちは己が存在理由を果たし続けるだけの個体となる。しかし例え生命体として単機能であろうと、魔属は寿命も能力も、そしてその身に宿す『力』もまた、人類と比べるべくもないほどの巨大なものを持っていた。

 故に過去、それらを利用して欲望を満たさんと目論む者も少なくなかった。より高位の魔属は知能も能力も高く、だからこそ、それらが人類にもたらす知識は容易に世界に革新をもたらすからである。近年の成功例は原子力爆弾だろう。それを人類に完成させた魔属は、数百万の人間の命を取引材料としてその知識を研究者に伝えたという。日本への爆撃は、研究者たちにとっては渡りに船でもあったのだ。

 そうしたごくわずかな成功例の裏で、その数百倍の失敗、それによる甚大な被害をもたらす魔属の召還が、現代においてもなお幾度となく執り行われている。

 しかしどれほど時代が進もうと、現代までに三次元生命体代表格──つまり人類が『魔属』について明らかとしたのは、こういった特性と呼ぶことすら出来ない基本事項でしかなかった。それ以上を知るには、魔属はあまりにも危険すぎた。魔属もまた自ら三次元空間に干渉しようとはしないため、結果的に彼らの利用に成功した者が少ないことも理由の一つである。

 

 そして四百数十年前。

 最高位の魔属の一人である彼は、椿三影という名とともに地上に降臨した。

 唯一、己が力で世界を行き来する存在として。

 唯一存在する、世界の守護者として。

 

      ◇

 

 …………

 その少年に対して椿三影が抱いた印象は、変わり者だということだった。もう少し砕けた言い方をするなら、

「変態か?」

「……誰が?」

 きょとんとした表情で、その少年が振り返る。年齢のわりに育ちすぎた感のある高身長の彼は、こちらの台詞にいくばくか疑念を抱いたようだった。

「いや、変わっているなと思ったのだ」

「だから誰が」

「君が」

 断言する。少年は考え込むように眉をヘの字に曲げると、しばらくして思い出したように目を吊り上げた。

「いま、なんて言った?」

「聞こえなかったのか? その年で耳が遠いというなら、今すぐ病院へ行くことをオススメするが」

「いいから言え直ちに言えとにかく言え!」

「そうか。では告げよう。君は変態だ」

「断定するな! っていうか、何で俺が変態なんだ?」

 表現としては適切ではなかったかとは思ったが、一度口にしたことを撤回するのも気持ちが悪い。

「私から見て君は随分と変わって見えるのだ、槙原耕介殿。もちろん人間的に。だから変態だと思ったのだが……?」

「…………」

 ぱたりと会話が止まった。周囲を歩く人間がこちらの会話を聞いて何事かという顔で通り過ぎていく。長崎市のとある商店街の一角。その住人である少年──槙原耕介にとってみれば、ここは庭のようなものだろう。顔見知りもいるのかもしれない。それはどうか定かではなかったが、少なくとも彼の眉間がピクピクと痙攣を起こしているのは確かだった。だがどうにかして自制が成功したのだろう、口元を引きつらせながら、彼は言った。

「ならせめて変人とか、そういうのにしてくれ」

「そうか。なら撤回しよう。君は変人だ」

「誰が変人だ!」

「君だ。可笑しなことを言う。先ほど君自身が変人にしてくれと言ったのではないか」

 その言葉に反応して、近くにいたが女の子が「ママ、変人ってなぁに?」と無邪気に問いかけているのが聞こえた。

「だぁぁぁぁぁっ!」

 頭をかきむしりながら、少年が叫び声を上げた。何事かと思ったが、何のことはない。ただ自制が利かなくなったようである。

「そうじゃなくて! いや、そうなんだけど! っていうか、何でこんな話題になってるんだ? そもそもどっからそういう思考に至った!」

「そう叫ぶことでもない気がするが。まぁ、君がそう言うなら話を戻そう」

「ああ、出来る限り力の限りそうしてくれると助かる」

 ゼェーッハァーッ! と荒い息を立てて、少年が言った。三影としても彼を怒らせる気はないのだから、本人が落ち着くというのであれば話を戻すことに抵抗はなかった。

「そうか」

 頷いて、続ける。

「君は変態か?」

「そこじゃなぁぁぁいっ!」

 だが結局、少年の叫びは止むことはなかった。

 

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