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 椿三影。永久指名手配コード『009』認定者にして、特一級危険生命体。能力他、データは詳細不明。特別放置処置対象とされ、現行以外においていかなる警察機関、軍隊、司法組織はこれに関与することはならない。

          国連司法機関犯罪対策要項、椿三影に関する制約書第十二項

 

「……」

 手元にある制約書を頭に叩き入れながら、十鬼は素直にため息を吐いた。この文章の指し示していることは、要は現行犯以外で、椿三影を犯罪者として扱ってはならないというものである。捕らえるなら現行時において他なく、それ以外では例え物的証拠があったとしても彼を被疑者扱いすることは不可能であるというものだった。

 なら現行犯で逮捕すりゃいいじゃないかと言うかもしれないが、それが出来るならこのような制約書はできたりしない。一国の軍隊、一個師団丸ごと相手に出来る特殊能力と戦闘力の持ち主だ。その実例(・・)があるだけに、各機関もおいそれと手出しが出来ないのが実情である。

 平たく言えば、椿三影という男は世界的に『化け物』扱いされているのだ。人間外生命体として扱われ、人権すら存在していない。

 そんな犯罪者を相手に、普段は後方支援で前線に出ることのない自分が諜報員として椿三影を監視し、その行動目的を調査しなくてはならないのは、もう大変を通り越して無謀ではないかとさえ思えてくる。

 いざとなったら逃げようと硬く心に決めながら、彼女は目に見えぬプレッシャーに押しつぶされないように、手のひらに人を三回書いて飲み込む仕草をした。

 それが上がり症に対してするおまじないだということにさえ気づかないまま、目と鼻の先にいる目標を確認する。

 不意に──

「げっ!」

 こちらを向いた目標から慌てて視線をそらして、十鬼は呻いた。

(気づかれた?)

 今の彼の位置からは、こちらは見えないはずである。彼女が見えない位置にいるのではなく、見えないようにしているに過ぎなかったが。

 目標はしばらく前を見やると、傍にいた少年と連れ立って歩き出した。

 一人は随分と長身の少年である。顔立ちからすると思ったよりは年下なのかもしれない。

 そしてもう一人。十鬼が監視する目標である全身黒尽くめの男。

 背の高い、何故か鬱な表情をした少年を引き連れて歩く彼を視認して、十鬼は内心で何度も十字を切った。

 

      ◇

 

「見つけた」

 あまりにも唐突に彼は言った。ともすれば聞き逃してしまいそうなほど端的にあっさり告げると、耕介を無視して即座に視線だけを後方へ向ける。

「え? どこどこ?」

 慌ててその視線を追ったが、そこには誰もいなかった。当然だ。三影が見ていたのはなんと屋根の上である。

「……あっちの方角?」

 可能性としてはありえないことではない。三影がどのようにして見つけたのかはこの際気にしないことにした。どうせ考えてもわからないのだから。

 しかし三影は、耕介の考えを意外な形で否定すると、その屋根を指差し、

「いや、あの屋根の上にいた」

「屋根?」

 言われてもう一度見やる。いない。というか、いるはずがない。いたらいたで、耕介は一体そんなところで何やってるんだと心の底から思っただろうが、とにかくいないのだから仕方ない。

「気のせいじゃないか?」

「違うな。私の感覚が間違っているかどうかはさておき、あの屋根に人がいたことは確かだ」

「あんなところで何やってたんだろ」

「わからん。が、こちらが振り向いたとたん姿を消した。気配の消し方からしても、素人ではない」

「こっちを見ていた?」

「そう考えるのが妥当だな」

 二人そろって唸る。感じたものはそれぞれ違ったが、危惧したことは同じだった。

「つけられてた?」

「おそらくは」

「俺かな、それともアンタ?」

「槙原殿には誰かにつけられる覚えがあるのか?」

 何故か驚いた顔になった三影に、耕介は苦笑を返した。確かにただの中学生が追跡者につけられるようなことがあるはずもない。耕介自身はただの中学生なのは間違いなかったが、この街での自分の悪行と知名度は時として少々厄介なことを引き起こす。

「ま、ちょっとね。俺も色々やってるんで、この街では結構有名なんだよ」

「むぅ。それにしても驚きだが」

 まだ納得していない三影だったが、耕介は無理やりその話題を終わらせた。このタイミングで追跡者。どう見ても三影のほうだろう。

「心当たりは?」

「ありすぎて見当がつかん。私はこれでも世界的な犯罪者なのでな」

「…………」

 ひとまず。耕介は無言で三影を見た。彼もまたこちらを見てきた。

「正義の味方じゃなかったの?」

 聞くと、三影はなにやら微妙な笑み浮かべた。

「私は世界の味方であって、人類の味方ではないからな。人を守ることもあるが、時として人の世の法に反することもある。それがどうやら、現代人間社会の上層部には気に召さないらしいのだ」

「……大人の世界はよくわかんねぇ」

 まぁ考えても仕方ないと、耕介は迷いを切り捨てた。今までの会話で彼が悪人でないことは理解したつもりだったし、実のところ耕介にとって重要なのはその一点だけだった。

「で、結局、どうする?」

「……追う。今すぐ形跡をたどれば追いつけるはずだ」

 しばし逡巡した後、三影は断言した。付いて来るか? と言いたげな表情にもちろんと笑みを返して、二人は同時に跳躍した。屋根の上に。

 店舗の主人が何事かと騒いでいる上で、耕介ははっきりと見た。ここからさほど離れていない場所──小さなアパートの屋上に、確かにこちらを意識している存在がいることを。

 

      ◇

 

 彼女は呻いた。

(何故?)

 見つかったのか。疑問はその一点に尽きる。自分は捕まるはずがない。見られるはずもない。しかし確かに目標はこちらを視認し、あろうことか追いかけてきた。

 史上最悪の犯罪者が、である。隣にいる少年のことも気になったが、この際どうでもいいことだ。逃げ切らなければ命が危ない。

 追いかけてくる四つの瞳から、彼女は脱兎のごとく逃げ出した。

 

      ◇

 

「逃げたな」

 確認する意味で言うと、耕介は無言で頷き返してきた。彼の運動神経にいささか驚きを隠せなかったが、今問題にすべきことではない。三影もまた頷く。

 追いかけよう。

 言葉にせずとも通じる何かを感じながら、三影は地を蹴った。

「逃げられれば追いかけたくなるのが人の心情だからな」

「アンタ人間じゃないだろ」

 独り言に返ってきた突っ込みは、ことのほか冷たかった。

 

      ◇

 

 三影の後を追いながら、耕介は思索した。

(さすがに人間じゃなって言うだけあって、速っ!)

 彼の走る速度は尋常ではなかった。このままでは後一分もせずにこちらの息が切れる。ならば──と、耕介は足を止めた。何事かと思った三影が、少し前方で急停止する。

「どうかしたか? 槙原殿」

「い、いや! さ、さすがに早すぎて、俺の体力が続かない」

「そうか」

 息を切らせながら言うと、三影はなにやら残念そうな顔をしたが、意を決したように真顔に戻った。

「いや、ここまでの協力で十分だ。感謝する。後日改めて礼を──」

「ああ、だからそうじゃなくて!」

「?」

 彼の言葉を遮って、耕介は一度三影のさらに前を見た。早くしないと見失ってしまう。

「確かに体力はないけど、この街は俺に庭だからね。追いつくのは無理じゃない。だから、俺は俺の方法で行く。後で合流しよう」

 三影は少し迷ったようだった。しかしこちらとしては、もうここまで関わった以上は最後まで付き合う気でいるのだ。ここで帰れといわれるほうが困る。気になってしょうがない。

「……了解した。ではよろしく頼む」

「オッケー!」

 きびすを返す直前、後ろから三影が呆れたような、それでいて少し嬉しそうな口調で語りかけてくるのが聞こえた。

「槙原殿。君はやはり変わり者だ」

「よく言われるよ」

 なんだか新しい友人に出会えたような感覚で、耕介は屋根を降りた。

「さ、追いかけっこを続けましょうか」

 自分は自分のやり方で戦う。ここは彼の庭。彼が育ち、彼が住む街。

 逃がす気は毛頭なかった。

 

      ◇

 

「あれ? 一人減った?」

 あの少年がいなくなっている。出来うる限り全速力で駆け抜けながら、彼女は振り向かずに後方を意識した。しかし問題の相手はいまだ尋常ではない速度で追いかけてきている。追いつかれないのは、こちらが展開している不可視の結界のおかげだろう。

 自分は結界師。何者も貫けぬ最強の盾を持つ者。

 上司の言葉を借りるならそれでさえ目標に通用するかどうかはわからないが、さりとて何もしないわけにはいかない。運動能力で違いすぎているのだ。手を打たねばものの一分もせずに追いつかれてしまう。

 泣き言は後。とりあえずは逃げよう。どこまでも。ひたすらどこまでも。

(っていうか、何で追いかけてくるのよぉぉっ?)

 相手がひたすらどこまでも追いかける気でいることなど露知らず、彼女は走り続けた。

 

      ◇

 

 妙な感覚だった。追いかけている最中に、何故か標的の姿を見失うのである。

「何か不可視の術でも使っているのか? 結界?」

 自問するが、答えを持つ者は遥か前方にいる。追いつこうと思えば追いつける距離なのに、何故か距離が縮まらないのは、その姿や気配を見失うからだった。

(只者ではないか)

 そっと一人ごちて、三影は静かに視線を強めた。金色の目が淡く輝き始め、その瞳孔がゆっくりと開かれていく。

(ならば千里の瞳で見通すまで)

 全てを見抜くその黄金の瞳を標的に向ける。うっすらと白い盾に守られるようにして存在する女性を視認して、三影は再び駆けた。

 

      ◇

 

「何やってんの?」

 問いかけられたのは唐突だった。裏道を駆け抜ける途中である。自分が今何をしているかも一瞬忘れて、耕介は思わず立ち止まってしまった。

「ま、真由?」

 そこにいたのは幼馴染の少女だった。部活帰りなのか、肩から鞄と、随分使い込んだテニスラケットをぶら下げた状態で、彼女──千堂真由は聞いてきた。

「いや、特にこれといって何も……ってわけでもないんだけど……」

「どっちなのよ」

「……ああ、えーと。これには山より高く谷より深いわけがあってだな」

「ま、いいわよ。別に、言いたくなければ。それより行こ」

「……どこへ?」

 聞き返すと、真由はさらに怪訝そうな表情でこちらを向いた。

「やっぱり忘れてたわね。今日、裕司さんが結婚式でいなくてお店忙しくなるから手伝ってって、おば様に言われてたじゃない」

「…………」

 忘れていた。綺麗さっぱり忘れていた。

 耕介の実家はサフランという洋食屋を経営している。そのコックが両親と兄なのだが、その兄の裕司が、友人の結婚式で今日はいないのだ。だから全体的に今日は忙しくなるだろうことを見越して、母から店を手伝うように言われていたのである。

「…………あー、でもちょっと今取り込み中で」

「何やってんのよ。手が離せない理由なら、ちょっと遅れるからっておば様に言っておくけど?」

 親切な親友に対しても、耕介はどういったものか迷った。が、正直に告げないと後が怖い。

「いや、ちょっと子作りの手伝いを……」

「はぁ?」

 思い切り理解不能な顔をして、真由が呻いた。そして理解は出来なかったが、状況を察したらしい表情で、

「アンタまたくだらないことに首突っ込んだの?」

 なんだか無性に腹立たしい仕草で──具体的に言うなら鼻で笑って彼女は言った。

「いや、くだらないといえばくだらないかもしれないけど。でも一応、正義の味方の手助けだし」

「何わけのわかんないこと言ってんだか」

 時間がない。それはわかっていた。しかし、彼女とて意味もなく、また意味があってもここをすんなりと見逃してくれるとは思えない。が、そう持った矢先、

「あとでちゃんと事情教えてくれるなら、おばさまには話さないでいてあげるけど」

「ホントか?」

「ええ」

 その提案にはまさかとは思ったが、しかし頷く彼女の顔に嘘がないことは付き合いが長いだけにすぐに理解できた。

「サンキュ! 恩に着る」

「ま、避妊だけはちゃんとしなさいよ……って、子作りするんなら避妊しちゃダメよね」

「言っておくけど俺じゃないからな!」

 そう言い残して、耕介は再び走った。後ろからポツリと──

「ええ、ホントのことは話さないでいてあげるから。ウフフ」

 なにやら不気味な笑みが聞こえたような気がしたが、耕介は恐ろしくなって考えるのをやめた。

 

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