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 路地裏を回り込む。経路的に遠回りだったが、結果的に追いつければそれでいいのだ。追いかけている後姿しか知らぬ女性がどう逃げるかで方法も変わるが、あの方向へ進んだ際の、最も効率のいい逃げ方を逆算すれば、どこにたどり着き、どこに隠れるかはすぐに思い当たった。

 木を隠すなら森の中。同様に、人が隠れられる最良の場所は人ごみの中である。

 その予想の通り、彼女はそこにいた。耕介の実家からはいくばくか離れた商店街の中央通りである。

 ゆっくりと近づく。三影が言うには彼女は素人ではないらしいから、気づかれたら終わりだ。また逃げられる。そうなったら追いつく手段はあっても、体力的に難しくなるのは目に見えていた。

 視線を向けず、意識せず、ただ人の流れが過ぎ行くのを待つ。自分は動かず、彼女が人ごみに流され自分のすぐ傍を通るのを待つ間に、そばの店舗の屋根に三影が到着したらしい。全く息を切らすことなく、屋根の上から人ごみを散策する姿は怪しすぎて言葉もない。彼がこちらに気づけば当然ながら彼女も気づくだろう。耕介は三影に視線を合わせないように、慌てて傍の店頭に並ぶ商品に目を落とした。

 一歩。また一歩。彼女が近づいてくる。そうして肩が触れそうになった瞬間、耕介は瞬間的にその顔を確認し、そっとその女性の腕を取った。

「!」

「やぁ」

 にぱっと笑う。対してその女性は顔面を硬直させていた。何故君がここに? と言った表情で凍りつき、その視線をゆっくりと屋根のほうへ向ける。目だけでそれを追うと、目的達成に微笑んでいる三影がそこにいた。

 

「ICPO特別犯罪局──特殊犯罪捜査課特例対応技能班?」

 一息で言うには長ったらしい名称を読み終えて、耕介は目の前の女性を見た。小さく頷くその態度に、今読んだものが本物であることを思い知る。

 三人がいるのは、金持ちの知り合いが建てた、仲間内で集まれる『溜り場(ホーム)』である。彼女と三影に客用のコーヒーを淹れて一息ついたところで、耕介は彼女が差し出した身分証明書を見た。顔写真。そして名前。その下に彼女が所属するらしい組織の名が彫ってある。そしてそれが真実だと、彼女は無言で語りかけてきた。随分青ざめた表情でうなだれてはいたが。

「聞いたことはある」

 と、なにやら納得した顔で頷いたのは、隣に座っていた三影である。

「ICPO、言うなれば国連刑事警察機構に、人間外生命体の犯罪を取り締まる部隊があるのは有名だが、近年、その中でもさらに特殊な処置──例えば私のような魔属を異次元に強制送還したり、即死性の細菌を持つ人間外生命体に対して有効な駆逐手段を取ったりと──そういった対処法を講じ、実行に移すことの出来る特例対応班なるものが設立されたというのは耳にしていた。他の司法機関にはない、非常に希少性の高い部隊だそうだ」

 まるごとそのまま。ものの見事に的を得た説明に、彼女はまた小さく頷いて見せた。

「だが、その部隊に所属する彼女が私を追跡する理由がわからん」

「アンタ今、自分みたいな魔属を強制送還するため、って言ってたじゃないか」

「それはあくまで例だ」

 真面目な顔で否定して、三影は続けた。

「聞く限りでは、ICPO特殊犯罪捜査課は人間外生命体による現行犯罪を取り締まるものであって、過去の罪に対する罰則を問うものではない。故に、私に対しても現行犯以外で接触することは国際法で禁じられているはずだ。ま、私に関しては少々特殊な事情があるが」

「……なんだかスケールがでかくなってきたなぁ」

 思わず呻くが、その言葉は誰にも届かなかった。

「それで? 私を追跡していた理由を聞かせてもらえるだろうか」

「……あ、え、その、あの……」

 よほど言いにくいことなのか、と考えて、耕介はあることに思い立った。映画に出てくる諜報員などはそう簡単に口を割らない。彼女もそうなのだろう。勝手な憶測でしかなかったが。と──

「……あ、その……え、っと……」

 なにやらもじもじと手を動かしながら、

「実は……」

「実は?」

 ともすれば聞き逃してしまいそうな小声で、和泉十鬼と名乗った捜査官は言った。

「知らないんです」

 ゴトンッ──と鳴ったのは、耕介と三影が驚きのあまり落としたカップの音である。

「知らない?」

「はい」

「何故?」

 もっともな三影の質問にも、十鬼は頭を振った。

「聞き忘れてたってのもあるんですけど、多分聞いても教えてくれなかったと」

「…………」

 それはアンタが頼りないからか? とは聞けず、二人は口をつぐんだ。

「それで、あの……わたし、どうなるんでしょう?」

 おずおずと、彼女は聞いてきた。その問いに対する答えを持っているのは三影だけだったので、耕介もまた彼女に習って視線をそちらに向ける。彼は、なにやら自分が予想した展開と違っていることに苦悶しているらしかった。

「いや、まぁ特にどうということはない。貴女が私を追跡していたということに対しても特に責めるつもりはない」

「本当ですか?」

「ああ」

「本当の本当に?」

「本当の本当だ」

「本当に、生贄にしたり、焼いて食べたり、人買いに売り飛ばしたり、携帯ストラップにしたり、性奴隷にしたりしないんですか?」

「しない──というかどこからの誤情報だ、それは」

 なにやらぶっ飛んだ被害妄想を語る彼女に三影が怒鳴り返すと、それだけで彼女はまた小さく悲鳴を上げた。

「私が司法機関にどういう目で見られているかよくわかるな」

「あんまりいい印象じゃないみたいだねー」

「うむぅ」

 頷きあって、ため息を吐く。

「っていうか、携帯ストラップって何?」

「知らないんですか?」

 まさかと言った表情で見つめきた彼女に、二人は力なく首を振って見せた。知らないわけではない。が、およそ恐ろしいイメージが全く思い浮かばなかった。

「あの……でしたら……」

 その様子を上目遣いで見つめながら、十鬼は言った。

「何故、わたしは追いかけられたのでしょう」

「あー、それはね……」

 言いかけて、耕介は口をつぐんだ。ここから先は、本来なら三影の事情である。

「その件に関してはかなり私情が入っている。実は、貴女に頼みがあったのだ」

「わたしに……ですか?」

「うむ」

 さすがに言いづらそうに口元を歪める。三影が一瞬こちらを見て、しかしすぐに意を決してまた十鬼の方に向いた。

「うむ。実は、貴女に私の子供を生んでもらいたいのだ」

 今度は彼女のカップがテーブルに落ちた。

「…………」

「…………」

「…………」

 問答無用の沈黙が室内を支配した。気まずい。とてつもなく気まずい。プロポーズした瞬間、相手の女性に固まられることほど嫌な空気はないだろう。それに同伴する羽目になった耕介は本人たちよりさらに居場所がない。

「あー、あのさ……」

 いたたまれなくなって、二人に──というよりは三影に話しかける。

「とりあえず、ちゃんと事情を話すべきだと思うけど」

「む、それもそうだな」

 そしてまた数分後。事情を聞き終えた彼女は、なにやら心底ほっとしたようにため息をついた。

「び、びっくりしました。さすがにこういう展開で、プロポーズされるなんて思ってなかったので」

「そりゃそうだ」

 乾いた声で、耕介は笑った。

「でもドキドキしました。プロポーズされたのも初めてだし。祝♪ 初告られ!」

「アンタ本当にプロの諜報員か!?」

 思いっきり疑念の目で見ると、十鬼は随分慌てて弁解した。

「違いますよ。わたしは普段は内勤ですし、出動する際も後方支援に徹して、敵と接触しないんです」

「なるほど、気配の消し方は上手いのに、追跡の仕方が妙に子供じみていたのはそのせいか」

「うぅ……」

 三影の言葉がなにやらショックだったらしく、彼女はさめざめと泣いた。

「それで、返事は如何様に」

「え……? ああ、お子さんのことですか? あの……いきなり言われても……困るんです……けど……」

 まぁそりゃそうだよなぁとは思ったが、耕介は口には出さなかった。彼女の仕事は三影がこの街に来た目的などの調査らしいから、一応これで任務の一つは完了したことになるのか。

「むぅ。困った。しかしようやく見つけた逸材だ。私としてもそう簡単に見逃したくはないのだが」

 そこに愛はあるのか、と聞きたかったが、それこそ耕介が気にすべきことではなかった。

「…………」

「…………」

 まるで男女のお見合いのようだな、とか思った瞬間、耕介は今この場を収める最良の手段を思いついた。自分がいたたまれないというのが本音だったが、ただじっとしているよりは遥かに前進だということで、ここはきっぱり割り切ることにする。

「んじゃあさ、お友達から始めるってのは、どう?」

『友達?』

 二人がそろってこちらを向く。なにやら期待に膨らんだ四つの目に、耕介は思わずたじろいだ。

「そ、そう。だって二人とも初対面だろ? 片や子供がほしい。片や調査しないといけない。ほら、お互いがお互いを必要としてるなら、とりあえず歩み寄ってさ、友達づきあいから始めてみよう! それからゆっくり考えてみたら?」

「確かにここで彼女に逃げられるよりはましか」

「わたしとしては、上司に報告できる情報がいただけるなら……後、わたしの身の安全が……」

「それに関しては問題ない。貴女の身はむしろ私が守る」

「はぁ……」

 そうきっぱりと断言されては、さすがに彼女もどう反応すればいいのか困っているようだった。そのほんのり頬が赤くなっているのは、この際気のせいということにしておく。

「ま、それじゃ、そういうことで……って、ところで今、何時?」

「ん?」

 問われた三影が、腕時計を見る。返答はすぐに帰ってきた。

「五時二十分だが?」

 瞬間、耕介の身体に電撃が走った。

(まずいっ)

 遅刻だ。サフランの夕方の営業は午後五時から始まる。真由が取り繕ってくれていることを祈るばかりである。

「悪いっ! 俺、ちょっと用事があって抜ける! この家、好きに使っていいから、子作りでも何でもやって!」

「どうかしたのか? 槙原殿」

 慌てふためく耕介を疑問に思ったのだろう。二人そろって驚いた顔でこちらを見ていた。

「アンタらがハッピーエンドを迎えられても、俺がデッドエンドになっちゃ洒落にならんだろうが!」

「なんだかよくわからんが、敵がくるなら殲滅に助力するが」

 横で彼女もまたうんと頷いた。耕介は一瞬、本気でどうしようか迷った。しかし、この場合、敵とは自分の母親である。

「……いや、いいや。どうしても死にそうになったら助け呼ぶから、それからにして。んじゃ!」

 鍵を手渡して、耕介は『溜り場』を出た。後は走る。ただひたすら走る。自分の命が失われないくらいに全速力で駆け抜けて、しかし耕介はその日、初めて視界いっぱいに広がる花畑を見た。

 

 

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