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第一案。
「はい、瞳ちゃん」
「スリッパか、丸めた新聞紙で殲滅するっていうのはどう?」
「それだと、出てきてからじゃないと対応できないでしょ?」
「ということは、殺虫剤もだめですね」
堅実な意見を述べたのは十四郎である。
「そうね」
「うちなんかだと、新聞の棒の先にガムテープをその粘着性が出るように貼り付けるんだけど……」
実例を挙げた瞳に、彰子はなるほどねと頷いた。
「まあ、突発的に出て来た分に対しての対処法としてはいい案よね、それ」
「うん。ゴキブリ嫌いのあたしだとそのまま汚れないところに行って殺虫剤をかけられるし、すぐに始末したいならガムテープの端をはがして封印できるから」
「恨みがあるならその状態からたたきつけてもオッケー! 汁や身がはみ出さないからスカッとするわよ♪」
と、軽く言ってのけたのは真由だった。
『…………』
沈黙。
「あ、あれ? やったことない?」
「ないな」
「お姉ちゃん……」
「やったのか?」
「真由ちゃん、ウップンがたまってるなら耕介貸してあげるから」
「なんで!?」
という耕介の叫びはあっさりと無視され──
第一案、脱線。
第二案。
意外と真面目に取り組んでいるのは十四郎だった。
「ありきたりではあるけど、ゴキブリポイポイなどは?」
「効果的だけど、時間がかかり過ぎるし、出て来たやつしか殺せないからダメ」
第二案、却下。
第三案。
「ヴァルサンは?」
三つ目にして意見を言ったのは耕介だった。
「ああ、それなら手の行き届かないところにも攻撃できるよね」
「あんたたちね……」
と、呻くようにしてこめかみを押さえながら、彰子は言った。
「ここはどこ?」
「洋食屋」
「そうね。ヴァルサンのような煙を充満させて、さてここにある機材や食材はどうなるのかしら?」
「あっ!」
ポンッと納得したように、耕介が手を打つ。
「無理だね」
「そうね……っていうか、アンタからその意見が出るとは思ってなかったわよ!」
ガコっという一撃であっさりと息子を昏倒させて、彰子は第三案を消却した。
第四案。
「掃除機」
人差し指を立てながら、名案だとでもいうように立案したのは真由。が──
「それを吸い込んだそれを今後使いたい? 満帆に詰まっているはずの掃除機の詰め替えパックの中でごそごそと動くそれを取り替えたい? 下手してそれを踏んでしまったら、なんだかパックの中から液体がにじみ出てきそうな気がしない? っていうか、それだと殲滅作戦じゃないと思わない? ねえ、まゆちゃぁぁぁぁぁぁぁん!」
「ひいぃぃぃぃ! ごめんなさぁぁぁい!」
「っていうか、やったことあるのか? 母さん」
なんだか恐怖の大王化してしまったゴキブリにある意味同情しながら、地面に突っ伏した状態で耕介は呻いた。
第四案、無理。
第五案。
不意に思いついたように、耕介が呟いた。
「超音波は?」
「確かに効くらしいっていう話は耳にするけどね……」
「誰が出すの?」
『…………』
第五案、不可能。
休憩。
「そう言えば、親父と兄貴は?」
不意に、残りの家族のことを思い出して、耕介は聞いた。
「ああ、あの二人なら、自宅のほうを任せてあるわ」
「あっそ……」
本気で疲れたように呻いて、耕介は椅子にもたれかかった。
「それより、耕介。あんたのところのチームメイト……」
「ん?」
「『HELL&HEAVEN』の他の面子はどうしたの?」
「げっ! 皆にも収集かけたわけ?」
「俺がいることで気づけよ」
驚く耕介に、十四郎は呆れたように呟いた。
「ふっ! どうせ日頃、街中走り回ってるんだけなんだから暇なんでしょ? だったらたまには社会の役に立ちなさい」
「なんか酷い言われ様だけど……まぁ、そう言われれば皆どうしたんだろ? 十四郎、知ってる?」
「電話はしたよ」
と、こちらも少し疲れたように、十四郎は言った。
「全員、『急用』があるのだそうだ」
「逃げやがったなあぁぁぁぁぁ!」
叫ぶ。
一方、彰子がブレイクタイムとして淹れてきたコーヒーを手もつけずに見つめていた千堂姉妹が、その視線を同時に彰子に向けた。
「うるさいわねぇ〜。後でちゃんと報復するから大丈夫よ……って、どうしたの? 二人とも。温かいうちにコーヒー飲んだら?」
さり気にとんでもないことを言いながら、彰子は二人の視線を感じて向き直った。
「……おば様」
「何? 瞳ちゃん」
「このコーヒー、なんだかこの色に似てない?」
言って、虫かごのほうを指差す。
『ぶっ!』
それに口をつけていたその他三名が吹き出したのは、その一瞬後のことだった。
◇
気を取り直して、第六案。
「アルコールは?」
「だからそれだと殲滅作戦にはならないでしょう? 真由ちゃん」
「でも、揮発性高いんですよ?」
「…………」
「恨み晴らせます」
「面白そうね♪」
「ちょっと待て! なんだかものすごく目的から逸脱してないか? それは。第一危険だろう!」
あっさりと意見を覆した母を、耕介は慌てて止めた。燃えるのは、それだけだとは限らない。
「っていうか、真由! お前なんでそんなにゴキブリに恨みあるんだ?」
「耕介の計り知れない深い理由があるのよ」
「たかがゴキブリだろう。そのゴキブリ程度にどれほどの……」
「ゴキゴキうるさいわね! 逐一名前出すんじゃないわよ、こんな原始生物!」
後ろからの彰子の不意打ちで、耕介は本日二度目の意識喪失を果たした。
第六案、まあ、ストレス解消にはお勧め。
その後どうなっても責任は誰も取らないが。
第七案。
「ミントなんか、どうです?」
それまで沈黙していた十四郎が言った。
「ミント?」
あまり聞かない退治法に、耕介を除く全員が眉をひそめた。サフランの次男坊は、まだあちらのほうで沈黙を続けている。とりあえず命の心配はないだろうと──なにせ、二撃目はしっかりと後頭部に入っていたから──勝手に判断して、十四郎は続けた。
「あれって、確か一匹見かけたら三十匹はいるって言われるでしょう?」
「そうなのよ。ということは三十匹いるということよ! つまりはその三十倍の九百匹!さらに倍の八十一万匹って、いやあぁぁぁぁぁぁぁ!」
群がるゴキブリを想像でもしたのか、彰子は全身に鳥肌を立てて叫んだ。
「い、いや。だから落ち着いてください。ということは、彼らを全滅させるのは不可能に近いでしょう?」
「泣き寝入りしろって言うのぉ?」
ほとんど涙目になっている顔を十四郎に向けて、抗議する。不思議と似合っているその仕草に気おされながら、十四郎は続けた。
「だからミントを使うんです」
「ミントって?」
「退治する、というよりは寄り付かなくさせるんですよ。そうすれば、とりあえず目のつくところにはいなくなりますし、そういうところにポイポイなんかを置いておけばいいんじゃないですか?」
「そうねぇ〜」
「でもこの家からいなくなることはないのよね」
「まぁ、確かに殲滅するには決め手にかけますが」
「直に仕留められないし」
と、ぼやいたのは真由である。
「お姉ちゃんは、とりあえずそこから離れたら?」
「ゴキブリの天敵だな」
言ってしまってからしまったと十四郎は口をつぐんだ。視線だけを向けると、だが彰子は気にした風でもなく一人呟いている。
「いい案だけど。とりあえず殲滅最優先ってことで、保留でいいかしら?」
「ええ……まあ……」
「……差別だ……」
という耕介のぼやきは、だが誰にも気付かれなかった。
第七案、初めてまともな意見が出るも、とりあえず保留。
第八案。
「エアガンは?」
『はい?』
突拍子もない意見を言ったのは、真由だった。全員が、それを測りかねて疑問符を浮かべる。
「エアガンよ。狙う技術は必要だけど、当たれば瞬殺よ!」
言って、銃を打つ構えを取る。
「……エアガンって、空気で玉を発射するあれだよな」
テーブルにもたれかかった状態で、耕介は言った。
「そうだけど?」
「当たった標的はどうなるんだ?」
「だから必殺必中!」
「狙う技術がいるって、さっき……」
瞳のぼやきは無視された。
「仕留めた後の標的は?」
「砕け散るわ」
『…………』
自信を持って言い切った真由とは対照的に、周りは全員言葉もなく彼女を見つめた。
「……真由ちゃん」
ポンッと、娘同様に接してきた彼女の肩を優しくたたいて、彰子は言った。
「それ、誰が片付けるの?」
「え?」
「あれの破片は一体誰が片付けるの?」
「あ!」
いまさら思い当たったように、真由は声を上げた。
「もういいから、あなたはちょっと黙ってなさい」
肩に置かれた手に力が入るのを感じて、真由はあっさりと首を縦に振った。
第八案、勇気の問題で除外。
第九案。
「母さんには意見ないの?」
と、ここに来て、彰子がまだ一度も意見を言っていないことに気付いた耕介が言った。
「うーん。ないことはないんだけどね」
「いいから言ってみれば?」
「そう? 私は毒エサなんかいいんじゃないかと思ってたんだけど」
「毒エサ?」
「そう。『アリの巣コロリン』って知ってるでしょ?」
「ああ。アリの進行方向にそれを置いておいて、持ち帰った巣の中にいるアリを全滅させるって言うあれ?」
「そう」
「言われて見れば、ホウ酸団子とか、市販にもゴキブリ用の疑似餌は売ってますからね」
思い出したように、十四郎が同意した。
「でしょう? いい案だと思わない?」
「それで殲滅可能ならね」
「無理かしら?」
「いや、知らない。やったことないし。そもそもあれって巣があるの?」
さりげなく“ゴキブリ”の名を避けながら、耕介は聞いた。
「あるぞ」
答えたのは十四郎だった。
「へえ……」
「基本的に匂いで行動するからな、あれは。だからまぁ、彼らの好きそうな匂いのする疑似餌を撒けば、それを仲間のところに持っていってくれるし、その匂いに引かれてそこにまた仲間が集まるから……」
「いいわね、それ採用!」
「けど、死体が集中するから、結局片付けるのには勇気が要ります」
「…………」
「どうする?」
「……ちょっと考えさせて」
こめかみを押さえながら呻くように答えて──
結局、この日はそれで解散となった。