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「で、どうするつもり? 母さん」

 夕食時。

 やたら薬品の匂いのするリビングで少し遅めの昼食を取りながら、耕介は彰子に聞いた。

 家のほうでのゴキブリ退治は、ヴァルサンの後、ホウ酸団子とポイポイの設置に決まったらしく、朝に炊いた煙の匂いはまだ取れていなかった。

「そうね〜。ヴァルサンみたく全体に効果のある方法が取れない以上、疑似餌の設置と十四郎君の言ったミント効果が一番効率いいんじゃないかしら」

「ま、妥当ではあるね」

「家と違って職場はね〜、清潔にしておきたいから」

「完全って言うのは無理だろう? あれは人間が滅んでも生き続けるって云われているからな。生命力強いし」

 と、槙原家の主が沢庵を頬張りながら言った。

 年の頃は四十前半といったところ。彼を見ると、一人黙々と食事を続ける長男裕司に、つくづくよく似ていることが分かる。いや、この場合は裕司が彼に似ているというべきだろうか。

「そうね、やっぱり防御するしか手はないわね」

 飲食店であるだけに、その衛生の管理は市から許可を得た上で営業しなくてはならない。ゴキブリがでるということは、例えそれが外部からやってきたのだとしても、その予防を怠ったことには違いないのだ。

「ま、油断してたわ」

「確かに、もっと早くから対策は練っておくべきだったな」

 裕司も同意する。

「それじゃあ、もう今日はお店閉まってるから、明日の朝買いにいくか」

「何言ってるの?」

 と、不意に反論してきたのは彰子だった。

「母さん?」

「あれの疑似餌ってホウ酸団子でしょ? ホウ酸なら家にあるから、自分たちで造ればいいじゃない」

「作り方は?」

「普通の団子と何か違うの?」

「いや、違うの? っていわれても知らないってば」

 呆れたように、耕介も反論した。

「だがなぁ、もしまかり間違って他の生き物が食べたりしたら、それにも影響を与えるだろう、多分」

「例えば?」

「野良猫や犬。もしくは蛇」

「庭先で死んでるところを見るのは、あれ以上にいやだね、確かに」

「うっ! ま、まぁ……そう言われれば、ちゃんと市販の奴を買うべきなんだろうけど」

「んじゃ、決まりだな。母さんも諦めて、明日にしよう……ね?」

「……そうするしかないわね……」

 未練たらしく呟く彰子のコップに、彼女をなだめながら耕介はお茶を注いで──

 一抹の不安を抱えながら、耕介は残った夕食を平らげた。

 

      ◇

 

「で、それは何?」

 翌日。

 再び集合させられた耕介と真由は──十四郎は大学で実習。瞳はさすがに連続で休ませるわけにはいかないからと、残るよと言ってくれた彼女を彰子が学校に行かせたため──二人だけで、サフランの厨房にいた。

 そこで彰子が見せた物体は、白いボールだった。白い。とことん白い。そして丸い。大きさ卓球のピン球より一回り小さい程度である。天井の電球の光に反射して輝いているその球体は、それが何であるかを昨日の話の流れから想像できるだけに、あまり信じたくはなかった。

「何って、ホウ酸団子」

 さも当然であるかのように、彰子は即答した。

「ホウ酸団子? ピン球ではなくて?」

「どうみたらこれがピン球に見えるのよ!」

「どこから見てもそうとしか見えない……」

 真由もそう思っていたらしく、さりげなく耕介に同意する。

 その耕介は、彰子からピン球、もとい、ホウ酸団子を受け取って、それを手の中で転がしてみた。

「すべすべだね」

 という感想に、彰子は満足したようだった。それほど、団子の表面は艶やかで、横から指で団子の表面をなぞった真由も、素直に驚く。そして耕介は、おもむろに団子を持つ手を上に挙げ、掌を開いた。

「あっ!」

 と、彰子が声を上げた時はすでに遅かった。

 団子はそのまま重力にしたがって落下し──

 カツーンという音を立てて跳ね返った。

『…………』

 反動で、再び耕介の胸の辺りまで跳ね上がる。それをキャッチして、耕介は彰子のほうに向き直った。

 一時の沈黙が辺りを支配する。

『…………』

 沈黙を破ったのは、二人の冷たい視線に耐え切れなくなった彰子だった。

「傑作?」

 何故か疑問符をつけて、彰子が苦笑いした。

「んなわけあるかぁぁ!」

 叫び返して、耕介はそのある意味傑作の団子を厨房の地面にたたきつけた。地面のコンクリートを微妙に凹ませると、そのまま反動で跳ね返って厨房仕様で少し高目の天井に突き刺さる。

「何てことするのよ! せっかくの団子を!」

「この期に及んであれを団子と言うか! まるっきり鉄球じゃないか」

「それよりはちょっとくらい、もしかしたらやわらかいわよ!」

「もしかしたらとか言ってる時点で団子じゃないだろ!」

「自信作なのに!」

「どこが!」

「純粋に丸いところが」

「目的がすでに違ってることに気づけよ!」

「だって白いのよ! 丸いのよ!」

「だから何!」

「昔遊んだ砂場を思い出しなさい」

「はい?」

 いきなり話が飛んだことについていけず、耕介は思わず声を上げた。

 ポンッと耕介の肩をたたいて、彰子は続けた。

「泥んこ遊び。どれだけ固く泥球が作れるか。その先にある道は果てしなく遠いわ」

「つくづくどういう発想だよ、それは……」

 結局、本末転倒であることには違いなかった。学校を強制的に休まされた上に鉄球団子で止めを刺されて、耕介は脱力しながら呻く。

「それにホウ酸は濃いほうが効き目がいいのよ!」

「それはそうだけど。食べられなきゃ意味ないじゃないか」

「…………」

 沈黙。それから数秒もたたぬうちに、

「それもそうよねぇ……」

 ポンッと手を打って彰子は頷いた。

「いまさら気付くなぁぁ!」

「まぁまぁ……」

 なだめる様に耕介の背中をさすりながら、真由は天井を見つめた。団子は──

 団子は、見事に突き刺さっていた。周りの天壁ごとけずり取らなければ、奪取は不可能だろう。確かに固さからいえば、鉄球にも引けを取らないかもしれなかった。というより、どうやってあんなものを作ったのかが不思議でもある。

 なんにせよ、いかなる生物でも食べられないであろうホウ酸団子であることには違いない。

「それで、昨日は市販のもの使おうって言ってたのに、何でいまさらホウ酸団子なんて作ったの?」

「コックとしては、市販に負けるのはシャクじゃない?」

「土俵が違うだろ?」

「それでもよ! コックたるもの、いかなる時にも万全を尽くして戦わないと」

「誰と?」

「あれと……」

 言って、布のかぶっている虫かごを指す。

(あれって言ってる時点で、いかなる時でもなんでもないし)

 結局あれが嫌いなだけだろうと心中でそう思いながら、耕介は彰子が指差した先に視線を移した。

 虫かごは、昨日解散した時のままだった。どうやら昨日から厨房に置きっぱなしだったらしい。十四郎の話では、ゴキブリは仲間を匂いで呼ぶと言っていたから、ここにおいて置くのは危険だということは分かっていた。が、せっかく殺虫した家のほうに持っていくわけにもいかないので、今は虫かごの蓋の上にビニールをかぶせて完全密封してある。

 さすがに窒息で死んでるだろうな、などと思いながら、耕介はそこから視線を外した。

 そこで、ふと気付く。

「あれ、真由は?」

 見渡すが、いない。狭いわけでも、隠れるところがないわけでもないが、どちらにしろ、サフランの厨房はちょっと動いて見つからないほどの造りではなかった。

 完全に、真由は姿を消していた。

「そう言えば、いないわね」

 こちらも彼女の存在を忘れてたのか、彰子が言った。

「どこいったのかしら……って、あら?」

 と、彰子は厨房内にあるホワイトボードに目をやった。

 見慣れぬ文字は、だが耕介のそれに比べたら綺麗ではあった。中学生の子供らしい、すこしいびつな形で、

『ホウ酸団子とミントを買ってきます。真由』

 そう書かれていた。

「…………」

「…………」

「とりあえず、真由ちゃんの帰りを待とうか」

「そうだね」

 お互い叫び疲れて、二人は手近な椅子に腰を下ろした。

「ねぇ、耕介……」

「何?」

 顔だけを息子のほうに向けて、彰子は続けた。

「あれに勝とうとするのは間違いなのかしらね?」

「さあね。なにせ、相手は原始生物だし」

「進化って、時に残酷よね……」

 わかっててるんだかいないんだか、それすらもよくわからないような口調で、彰子は深々とため息をついた。

 

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