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 日曜は快晴だった。晴れた空の下、彰子の声が響き渡る。

「千間坂通り商店街企画イベント! サフラン対抗! 客寄せ大会ーーー!」

 ドンドンパフパフ!──というラップ音を打ち鳴らしながら叫ぶ彰子の声が、ピンマイクによって拡張される。慌しく人が行きかう商店街中に木霊して、そして木霊しただけで終わった。

 ……

 …………

 ………………

『…………………………はい?』

 取りあえず。

 その場に集まった一同はそろって素っ頓狂な声を上げた。その視線が、なにやら嬉々としている彰子に集中する。だが周囲のノリの悪さに機嫌を損ねた彼女を見咎めて、皆を代表する形で耕介は一歩前に出た。

「……あ、あのさ、お袋。一体何なの? この騒ぎは」

「何って、さっき言ったとおりよ。サフラン対抗、客寄せ大会!」

「……だから、それはいったい何?」

「説明しないとわかんないわけ?」

「わかるわけないだろ? あぁ、でもちょっと待って。十鬼(とき)!」

「なぁに?」

 すぐ傍に──というよりも完全に密着してきている彼女に向かって、耕介は出来る限り疲れた口調で告げた。

「いい加減重いからどいてくれないかな」

「え? なんで?」

 頬と頬が触れる距離──ではない。すでに触れている。ピトッと耕介の頬に顔をくっつけた状態でスリスリしてくる彼女は、実に嬉しそうだった。

「なんでもくそも、そういうことは旦那にやれよ。いつも言ってるだろ?」

「えー? でも、みっちゃん最近どこいったかわかんないんだもん」

「それでも夫婦か!」

「夫婦だよ、もちろん。すっごくラブラブなんだから!」

「…………」

 返す言葉も失って呻くと、すでに慣れた口調で陸王が言った。

「俺、思うんだけどさ。最近、三影の奴が姿を現さないのは、十鬼のこの趣味が原因なんじゃないか?」

 後ろに控えていた全員がうなずいた。否、神楽双真だけは一人あさってのほうを向いてはいたが。

「そんなことないよ! 会ったらちゃんとマブラブしてるもん! 一方的にだけど」

「それで満足なの?」

「うん!」

 満面の笑みで十鬼がうなずく。真由が思い切り後退りながらフォローを入れた。

「……ま、まぁ本人が良いって言ってるんだからいいじゃない。ね、耕……役得だと思えば……」

「ああ、もうどうにでもして……」

「で、そろそろ説明しても良いかしら?」

 と──かなり不機嫌な声で、彰子が釘を刺す。自分の見せ場を奪われたからだろうことくらいは容易に分かったが、耕介は何も言わないことにした。あえて口を挟んで火の粉を飛ばす必要もない。

 コホンと咳払いをし、胸に突けたピンマイクの位置を調整しながら、彰子は言った。

「二ヶ月前、ここからそう遠くないところにデパートが出来たわ。それは知ってるわね?」

 有名な話だったので、耕介は素直にうなずいてみせた。その態度に気をよくしたのか、いくらか声のトーンを上げながら彰子は続けた。

「実は……っていうか、まぁよく観察すればわかるとは思うけど、そこのデパートのおかげでこっちの売り上げが落ちているのよ。駅に近いデパートのほうで客が止まってうちの商店街まで客足が伸びてこないってわけ」

「ふんふん」

「そこで、商店街のみんなで知恵絞って考えた企画第一弾がこれよ!」

 バンッ──と、後ろから効果音が聞こえてきそうなほど豪快に、彰子が広告用紙を耕介に手渡した。サイズはA2らしく、見た目にもかなりでかい。折りたたまれているそれを広げると、商店街に連なる店の名前と、そこで売られているだろうセール品が我こそはとばかりに安さを競っていた。サフランの定食も限定ではあるが載せられている。端にはアンケート用紙もぶら下がっていた。

「……へぇ。チラシ作ったんだ。いいんじゃない? カラーで見やすいし、わかりやすいし」

 寄ってきた真由が感嘆の声を上げた。耕介が知る限りでも、サフランがチラシに参加したのは初めてだ。

「あ、でも店の場所とか商店街の案内図がないな」

 と、これは後ろから覗いていた十四郎の言。

「それは大丈夫。一緒に商店街見取り図のチラシも入れといたから。今日の朝刊にいっしょに入ってるはずよ」

「……採算とれんの? そんなことして」

「だ・か・ら! あんたたちを呼んだんじゃない!」

『?』

 豪語する彰子とは対象敵に、耕介たちはそろって眉をひそめた。まるっきり話の流れが見えてこない。

「要するに、あんたたちはこれからチラシを持って街へ散会。お客さんの呼び込みをやって欲しいの。もちろん、報酬は出すわよ」

 鼻で息を鳴らす彰子とは対照的に、耕介はどこか不安が拭えなかった。

 報酬? あのお袋が? ここにいる全員に? だとするとたいした額じゃない可能性が高いよな……だがそれよりも気になるのは、

「……さっき、『サフラン対抗』とか、そんなこと言ってなかった?」

「言ったわよ?」

「……それってもしかして……一番客寄せに貢献できた人にだけお金を払うってこと?」

 恐る恐る聞くと彰子は、それこそ耕介が不思議がることそのものが不思議であるかのような表情をして言った。

「もしかしなくてもそうよ。なんか文句ある? そのほうが効率良いし、あんたたちもやる気出るでしょ?」

「賞金の額によるよ」

 隣でしきりに真由と陸王が頷く。

「フフフ。それじゃ、ご期待にお答えしてご登場願いましょう。見て驚きなさい! これが! その賞金よ!」

 勢いちく内ポケットから祝儀袋に入った『賞金』を取り出す。瞬間──サフランの店頭が一斉にざわついた。

「ぶ、分厚い!」

「随分と太っ腹ですねー」

「っていうか、それこそいいのか? そんなに放出したら逆に損する気もするけどな」

 暑さが軽く十センチ以上もある祝儀袋を見れば、その中身を想像してしまうのも無理はない。これにはさすがに成人組みも驚いたらしく、口々に感嘆の吐息を漏らす。

「……それ、実は中身が子供銀行発行のお札とかいうオチじゃないよな」

 それでもまだ疑いの目を母親に向けると、彰子は呆れたように言った。

「そんなことするわけないじゃない。大体、子供銀行発行のお札はサイズが違うわよ」

「……でもいいんですか?」

 耕介が不満気な表情をする隣で、設楽が不意に口を開いた。

「何が?」

「いえね。いくらこれがアルバイトだとしても、裏でこういうことして、しかもその報酬がその額──あれが全部千円札だとしても、数万はあるでしょう? だとするなら、後でデパートから営業妨害とかの文句が来ません? あそこも今日確かチラシ入れてセールするんですよね?」

「そうね。でもそれについては問題ないわ。これはこうして……」

 皆に見せるようにして、彰子はさらにどこからか持ち出したお菓子の箱に祝儀袋をしまい込み、器用に手際よく包装して、可愛らしいリボンをつけた。そうしてそれはピンクの包装紙に包まれたプレゼントになる。

「裏金かよ」

 誰かが突っ込んだが、彰子は無視した。

「ね! こうすればどこから見てもただのお菓子よね」

『…………』

「今回のバイト代は、お菓子──もうすぐバレンタインだから、私からの少し早いチョコレートよ。ただちょっと形が長方形で、その表に諭吉君の顔が書いてあるけどね(・・・・・・・・・・・・・・・・・・)

 クククと、時代劇のお代官のような笑いを浮かべる彰子に、さすがの暗殺者も後退りする。

 全員が黙考するかのように静まり返った。これからデパートとの販売競争を繰り広げようというだけに、千間坂商店街はかなり騒然としている。すでに客も大勢やってきており、サフランも通常通り営業は開始していた。今はモーニングタイムである。

 やがて歩くのも苦労することになるのは時間の問題だった。セールに大忙しのほかの店と異なり、サフランの店頭だけが対照的なまでに静寂に包まれる。

「……そろそろ時間ね──ってなわけで、参加するかしないかは自由だけど、どうする?」

「する!」

「します!」

 真っ先に参加を表明したのは真由と喜和子だった。続いて、設楽がゆっくりと手を上げる。

「最近、無駄な出費が続いたんで、僕も参加の方向で……」

「なら俺もするかな」

 同業者としての対抗心か、陸王もまた名乗りを上げる。耕介は思わず叫び返していた。

「ちょっと待て、陸王ってそんなことしなくても金持ってるだろう!」

「まぁそうだけど、金はいくら持ってても損はしないだろ? 大体、俺が仕切ってる暗殺者ギルド『リバース・D』は、顧客からの依頼料は組織の売り上げだ。俺らの給料は全部サラリーで定額なんだぜ?」

「……暗殺者がサラリー? 成功報酬とかじゃなくて?」

「おう。何か問題があるか? 保障ある労働って言うのは大事だぞ。だからローンの積み立てだって大丈夫だ。暗殺者だって一戸建て買いたいだろうし、車だってほしいからな。扶養者手当てもあるから結婚後も問題ない」

 胸を張って言う陸王に、何かしら言いようのない不安を感じながら、耕介は呻いた。

「いや、でも暗殺者集団でしょ」

「だから?」

「もうちょっと、倫理的に気にしないと駄目な部分が他にある気がするんだけど。むしろ根本的な点で」

「ハッハッハ! それは気にしちゃ駄目だ。それにな……」

「それに?」

「こういうイベントは報酬抜きにして大好きだぞ。個人的に」

「……陸王が参加したイベントって、ことごとく平和で終わった試しはないよな……」

「それは個人的な趣向だ。さすがに彰子さん主催のイベントでそんなことはない……と思うぞ。俺も命が惜しいし」

 会話の方向があさってのほうへ向きかけたとき、彰子が拍手を打って場を仕切りなおした。

「はいはい! 耕介も他人のことは良いから。で、陸王君は参加と。十鬼ちゃんと十四郎君は?」

「そうですね……ま、面白いという陸王の意見には賛成です。やりましょうか」

「わたしもやりまーす」

 賛同の意を示した十四郎と、今度はその彼に寄生するように密着したままの体勢で十鬼が答える。

 残るは耕介と双真。

「双真君は?」

「…………」

 ……………………

 場が、先ほどとは違った意味で静まり返った。全員が双真に視線を集中させたが、当の本人は答えるでもなくじっと彰子を見つめ返している。どれほど待ったか。多分一分も経っていないとは思うが、それでもかなりの時間のように感じられるほど場が白けた。やがてポツリと、答えることさえも億劫のように彼は言った。

「…………俺がそういうことすると思うか?」

「ごめん。聞いた私が悪かった」

 さすがに後悔したらしい。思わず顔を背けて呻く。だがすぐに気を取り直して、彼女はこちらを向いた。視線だけで問いかけてくる。やるかやらないか。彼女が聞きたいことはいたってシンプルだった。

「…………」

 迷い──はあったが、それは漠然としていて形にならない。だが、参加するかしないかに関する迷いではなかった。

「で、アンタはどうする?」

「やる!」

 こうして、サフラン対抗、客寄せ大会が幕を開けたのである。

 

 ルールは簡単。

 選手に与えられる武器は商店街のセールチラシのみ。それ以外は個人で用意すること。突然の競争ではあるけれど、条件は全員同じなので文句は言わないこと。

 デパート、ならびに商店街以外の他の店の営業妨害などは却下。警察の厄介にもならないこと。判明した時点でその選手は失格。

 個人の能力なら何を使っても可。他者を利用するのも可。

 選手同士でチームを組むのは有効。その場合、もちろん報酬は山分け。逆に、他の選手を蹴落とすのも有効。ただし、これも無関係な人に迷惑をかけた時点で失格とする。

 それらを踏まえたうえで、全員、『サフラン、定食サービス開始!』とプリントされたエプロンを着て客寄せを実行。

 閉店時に再集合。それに間に合わなかった者も失格。

「勝敗は客の数ではなく、私の偏見で判断するから。だから私のところまで勧誘の噂が立てば勝利は確実と思って良いわ。誰が買って文句なし。良いわね」

 説明を終えて、彰子は商店街出口に向かって全員を一直線に並ばせた。このときのために用意したピストル(入手経路が設楽なので、もしかしたら本物かもしれないが、怖いので考えないで置く)を掲げて、

「ルールは分かったわね?」

「イエーアー!」

「準備はいい?」

「イエーアー!」

「チョコレート目指して皆がんばれ! それじゃ位置についてぇー! ヨーイ!…………」

 双真を除く参加者全員が腰を落とす。各々こちらが用意したエプロンを着用し、片手にチラシを手にして、賞金目指して客の下へ──

「スタートォォッ!」

 パンッ! といい感じで銃声が鳴り響く。だが同時に、ドガッ! という鈍い音が二発、次いで変な悲鳴が響いた。見ると、商店街出口へ向かって駆けて行く参加選手とは対照的に、独りアスファルトにうずくまっている人物がいるではないか。

「じ、十四郎君!?」

 それはたしかに、名鳥十四郎──世界有数の財力を誇る名鳥財閥の次期総帥その人だった。

「ま、賢明な判断だな」

 だがまるで動じることもなく、痙攣しながら失神している長髪の友人の背に立って、双真が言った。

「この戦いで厄介のはまず間違いなく十四郎の財力だ。個人の能力であるなら何を使用しても良いということは、十四郎の私財も範疇に入るからな。自由にさせればその時点で勝敗は決まる」

「……な、なるほどね。でもなんだか、さすがに気の毒な気がするわ」

 やがて痙攣が治まると、彼はそのままピクリとも動かなくなった。

「十四郎の両隣は陸王と設楽だった。まぁあの二人なら、こいつを一発でKOさせることも可能だろうな……」

「……ど、どうしようか」

 さすがにどうしたものか困っていると、こともなげに双真は言ってのけた。

「通行の邪魔だ。どこか路地裏のゴミ置き場にでも放っておけばいい。気がついたら勝手に参戦するだろう」

「…………」

 今度こそ本気で気の毒に思いながらも、足を引っ張られて引きずられていく十四郎にかける言葉もなく──彰子は勝負の世界の出来事だと自分に言い聞かせて、今見たことはすっぱりと忘れることにした。

 

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