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千堂真由はどうしたものか迷っていた。となりには一年下の月野喜和子がいる。彼女とはもうすでにアイコンタクトで協定を結んではいたのだが、何せ客寄せという漠然としすぎている競争である。勧誘した(?)客の数をカウントするわけでもない。とにかく、勝つためには彰子の耳に届くくらいに目立つしかないのだ。 どうしたものかと考えつつも、取りあえず真由は止まることにした。参加した全員が走り出したので、とにかく出遅れないように走っていたのだが、よく考えるとそんな必要性は全くない。 「これからどうします、先輩?」 「どうしようか」 気がついたときには、幼馴染の少年も、金髪と黒髪の暗殺者組もどこかへ消えている。おそらく一番厄介だっただろう十四郎は、出発前にその二人によって沈没するのが見えたから、もうしばらくは大丈夫だろう。 あとはどうやって客寄せするか。どうやって他の連中を妨害するか。 それを考え始めたその時、間延びした声が真由を呼んだ。 「あー、いたいた。真由ちゃん。喜和子ちゃん」 「あ、十鬼ちゃんだ」 やってきたのは、耕介たちが結成している『HELL&HEAVEN』というチームの親衛隊長、和泉十鬼だった。彼女を知って誰もが最初に思う「アンタ警官じゃないの?」という疑問は、だが彼女に聞いても答えが返ってくるわけでもないので、もう真由も喜和子も気にしないことにしている。 色素の薄いセミロングをポニーテールにして、彼女は大通りの向こうからやってきた。そうして気がついてみれば、いつの間にか長崎駅付近まで歩いてきていたらしい。日曜ということも手伝って、駅前は大勢の人であふれかえっていた。 横断歩道を渡ってくるなり、 「ねぇ、二人とも。女同士、ここはチームを組まない? バラバラでやるよりは効率良いと思うの」 「……うん。そうだね。そのほうがいいかもね」 確かに、成人している十鬼がいたほうが何かと便利かもしれないと考えて、真由は喜和子の方を見る。 「私はかまいませんよ」 「なら、それで行こう。よろしく、十鬼ちゃん」 「こちらこそ。それでどうする? これから。とりあえずチラシ配ってみる?」 「…………」 その問いかけに無言で返して、真由はしばし黙考した。 チラシを配る。それだけでいいのだろうか。敵は耕介と設楽、陸王。耕介はさておいて、残る二人は行動力も財力もそれなりにもっている。ただ、客商売ということに関して言えば、最も向いているのは陸王だろう。彼はその性格と行動力からやたらと目立つ。そういう雰囲気を持っている。暗殺者としては致命的な気がしないでもないが、本人が納得しているので問題はないのだろう。 なにはともあれ、この三人をどうにかしないといけないのは事実だ。 だが一方で、確実に客寄せは行わないといけない。 「…………」 真由はだまって二人を見た。 喜和子は──彰子から渡されたエプロンの下に、普段よく見る淡いピンクのワンピースを着ていた。袖と、襟元、スカートのすそにフリルがついた、可愛らしい洋服である。黒いストッキングがアクセントとなって、もとより美少女である彼女の可愛らしさは倍増している気がする。 それらも含めて全体的に少々子供っぽい気がしないでもないが、ストレートロングのサラサラの黒髪が綺麗な喜和子にはよく似合っていた。胸がないと自分で豪語するとおり、どう見ても彼女は小学生にしか見えない。 そして十鬼。彼女は逆にスタイルがいい。出るとこは出て、引っ込むところは引っ込む。女性なら誰もが臨む理想型と言えなくもない。着ている服は黒のジーンズでそろえ、下のシャツも黒いロングネックなので、エプロンが似合ってないことを除けばかなりの妖艶さを保持している。性格はさておき。 二人とも寒さ対策でそれぞれコートを羽織っていたが、客寄せするにはコートは脱がないと駄目だろう。幸い今日は二月だというのに気温は日中10℃を越えるらしいので、それに関しては心配していなかった。 そして最後に自分。 まぁ、客観的に見てスレンダーだとは思う。着やせするタイプだということは自覚しているので、おそらく他人から見れば胸はあまりないように見えるだろう。その辺はまぁいいとして、問題は武器だ。顔は可愛いといえる部類に入ると、うぬぼれでなくそう思う。健康的なスポーツ少女。まさしくその通りなのだが、はたして客寄せでそれが発揮できるかというと難しいのではないか? 「…………」 さらに三者を比較すること数分。真由は意を決して二人を呼んだ。 「いい? これから作戦を話すね。二人は客寄せ。あたしはほかの連中を妨害に行くわ」 「先輩がですか?」 「大丈夫?」 「考えがあるから任せて! それよりも、二人は客寄せするときすこし離れたところで──そうね、少なくともお互いが見えないくらい離れて欲しいの。駅の南側と北側くらいがいいかな」 『何で?』 声をそろえて疑問をぶつけてくる二人に身を寄せて、真由は他人にはそっと耳打ちした。 「それはね…………」
◇
槙原耕介は独り、駅向こうの商店街まで来ていた。千間坂ほどではないにしても結構な賑わいである。今日が日曜だからということもあるだろう。まだ早朝だというのに、主婦だけでなく子供や、よく見ると耕介と同年代の少年少女もいる。 「…………」 さすがにここでチラシを配るのは少々まずい気がして、耕介はジャンパーのファスナーを上げた。こうすれば取りあえずはサフランのエプロンだとは分からないだろう。そうして踵を返そうとしたそのときだった。 「あれ、耕ちゃん?」 「?」 振り返ると、そこには見知った少女がいた。深緑の髪に、少し茶色が買った双眸。彼女を見ると、いつも自分の周囲にスカートをはくような女性がいないことを自覚させられる。その中ではおそらく一番似合わないだろう彼女の頬には絆創膏が張ってあった。それもいつものことで、決して珍しくもない。 彼女──千堂瞳は、肩にスポーツバッグを引っさげてこちらに近づいてきた。 「なんだ、瞳か」 「なんだはないでしょ? もう! こんなとこで何やってんの? それは何?」 「ん? ああ、何やってんだろうな。まぁ俺のことはいいよ。瞳は?」 「今から道場!」 「ああ、護身道だろ。楽しいか?」 「うん!」 満面の笑みを浮かべて、瞳は身体を動かす振りをした。技を覚えることが楽しくてしょうがないらしい。今年(正確には去年の四月)になってから始めたというのに、その一年で彼女は信じられないほど怪我をしている。うち一回は入院にまで至っているほどだ。それでもずっと入り浸るほどに熱中しているのは、良いことなのか悪いことなのか。 まぁ本人が楽しそうなので、耕介も姉の真由も何も言わないでいる。 「そういや、真由がぼやいてたぞ。怪我するのは良いけど、やたらとマッサージやらされるって」 「うん。でもね、マッサージはお姉ちゃんが言い出したことだよ?」 「へ?」 「家の手伝いを代わるかわりにマッサージ一回!」 人差し指をおったてて、瞳が無実を証言する。 「ははは。まぁそんなことじゃないかとは思ってたけど。あ、よかったら今度俺がしてやろうか?」 「え?」 「お袋や親父に毎日無償労働させられてるからな。マッサージは得意だぞ。身体の隅々まで気持ちよくしてやる」 ワキワキと両手を動かすと、アハハハと瞳が無邪気に笑った。 「耕ちゃんのエッチ! そんなだからロリコンって言われるんだよ?」 「良いんだよ。言いたい奴には言わせておけば良いさ。大体俺はまだ十四だぞ? ちょっと身長が百八十あるだけじゃないか!」 「知らない人が見たらそれで十分だと思うよ? ほら」 「ん?」 瞳が指し示した方を向くと、商店街にいた人間の大半が耕介たちを──正確には、その視線は耕介のスケベそうな両手に注がれていた。 彼らの会話に耳を澄ますと、 「やだ、あの人。あんな小さな子に!」 「ロリコンって本当にいたのねー」 「あんな小さな女の子に手を出すなんて、何て奴だ!」 「ああいう奴がいるから児童ポルノ法が改正されるんだ。くそっ、僕のミミちゃんが……」 「…………」 「…………」 さすがに気まずくなって手を引っ込める。それを見た瞳が無邪気に言った。 「あたし、『イヤー! 襲われるー!』とか叫んだほうがいいのかな」 「お願いだからやめてくれ。っつーか、ただの冗談だろうが」 だが時すでに遅く…… 「貴様か! 幼い少女に不埒なことをしようとしたのは!」 大衆を掻き分けて前に出てきたのは、案の定警官だった。 「い、いや。ちょっと待って。俺たちは知り合い! 幼馴染! な、瞳!」 「何くれる?」 「……今度好きなもの買ってやるから」 「うーん。もう一声!」 「この前欲しがってた新品の胴着買ってやるから!」 「やった! ね、お巡りさん! この人の言ってること本当だよ?」 だが警官は、瞳の言うことに悲しげに首を振った。 「いいんだよ。お嬢ちゃんは優しいね。でもね、本当に幼馴染なら、物で釣るようなことはしちゃいけないんだよ」 ギクリと胸が軋む。 「あ、でも本当に──」 「いいんだ! わかっているよ。何も言わなくてもいい」 「いや、何もわかってないだろ。って言うか話を聞けよ!」 耕介の叫びも、警官はあっさりと無視した。 「お嬢ちゃん。新品の胴着を買ってもらえるからって、このロリコン変態野郎をかばったりしちゃ駄目だよ」 「…………」 「…………」 「……ごめん、耕ちゃん。助けるの無理」 「あっさりとあきらめるなぁぁっ!」 叫ぶ耕介をギラリと睨みつけ、あやすように瞳の頭を撫でながら、こちらの話を全く聞こうとしない警官はそのままゆっくりと耕介の方へ近づき、手錠を掲げた。 「証拠は上がっている。目撃者もいるんだ! お前がロリコンだという証言を得ている」 「も、目撃者? 証言?」 と、いつの間にか商店街で見世物のように集まっていた群集の後ろのほうで、聞き覚えのある声が響いた。 「わたし、確かに見ました! その男、この前も小学生の女の子の身体を触ってたんです!」 「…………」 「…………」 「…………」 場内を沈黙が支配した。クククという警官の声だけが、嫌な響きを持って轟き渡る。 「そういうわけだ、変態! 大人しくお縄につけ!」 「ちょ、ちょっと待て。今の声、もしかして!」 「お姉ちゃんだね……」 あっさりと瞳が同意する。 「強制わいせつ罪の現行犯で逮捕する!」 「だから濡れ衣だっての! ってコラ! どこだ真由!」 彼女の考えは明らかだった。この客寄せ大会のルールでは、他競技者を妨害することは有効なのである。 「ぬぅ。公務執行妨害は重犯罪だぞ。大人しく捕まれ、変態!」 「だから違うって言ってるんだろ! 人の話を聞けぇ!」 状況は明らかに不利だった。まずい。このままではまた留置所行きだ。警官に世話になったらこのゲームは失格。いや、それどころの騒ぎではない。今度こそ母・彰子にどんな目に合わされるか分かったものではない。法の裁きよりも身近な鉄槌のほうがどれだけ恐ろしいかは、息子である自分が一番理解している。 そうこうしているうちに、向こうからさらに数人、警官が応援にやってきているではないか。 「くっ! ここは逃げるしかないか!」 踵を返す。振り向く寸前、瞳がお気軽に手を振っているのが見えた。 「あ、コラ! 逃亡は罪を重くするだけだ。大人しく罪を償いなさい!」 「何もしとらんのに何で犯罪者扱いされにゃあならんのだ!」 「犯罪者はみんなそう言うんだ! 検挙率百パーセントの私の警官人生に泥を塗る気か!」 「貴様の人生のために逮捕されるなんてまっぴらごめんだ!」 それを捨て台詞に、耕介は走り出した。後ろから警官が叫ぶ声が聞こえる。 「コラァァァ! 待てぇぇぇ!」 「待てと言われて待つ奴がいるかぁぁっ! っていうか、真由、後で覚えとけよぉぉっ!」
耕介が走り去る背後で──それはもう、本当に聞こえるはずもない声だったのだが。 「……フッ! これで一名脱落ね」 「お姉ちゃん。何がなんだかわかんないけど、さすがにあれはかわいそうだよ」 よく似た姉妹の会話が、他の全ての音を掻き消しながら耕介の耳に響いた。
◇
姫月陸王は急遽足を止めた。粉塵を上げて着地する。足の裏が地面を擦り、久方ぶりの大地にアスファルトのほうが悲鳴を上げた。 「もうこの辺で良いだろう。そろそろ始めようか」 それは自分にではなく、むしろすぐ傍にいた同業者へ向けた台詞だった。 「そうですね……でも陸王。僕たち別に協定組んだわけでもないのに、何ですぐ傍にいるんです?」 「そっちのほうが面白いだろ? どれだけ客を惹くことが出来るか。近くにいないと勝負ならんだろうが」 「……なるほど」 頷く設楽から視線をはずして、陸王は周囲を見渡した。サフランから駅を挟んで対角に位置する国道の交差点付近である。人の行き交いはさすがに多い。すぐ傍に全国展開しているデパートがあるおかげで、この辺りは路上駐車がやたらと目立っている。だがその分、人口密度が高いことは明らかだった。 「チラシを配る。それだけじゃ面白くないからな。何かパフォーマンスをしよう」 「……パフォーマンス?」 「そう!」 バッ! と、陸王は大げさな動きでコートを脱いだ。下からサフランのエプロンが現れる。 「格好はなんだかパッとしないが、それはお互いに同じ条件だ」 「……人の注意を引いて、先にチラシをはけたほうが勝ち……ですか?」 「そうだな。第一回戦はそんなとこだろう!」 「…………一回戦?」 「おうよ!」 大仰に、陸王は胸を張った。呆れたように視線を細める設楽を無視して続ける。すでに通行人の何人かが、陸王の大声に注目し始めていた。 「このゲーム。勝敗は勧誘した客の数では決まらない。サフランにいる彰子さんにまで、俺たちの噂が広まる必要がある」 「まぁその通りですね」 「一回だけの勝負で終わったら、噂なんて立つはずもないだろう!」 「それはそうかもしれませんけど……」 「ってなわけだ。せいぜい、お前は俺の引き立て役としてがんばってくれ」 「…………なんですって?」 さすがに今の発言は聞き逃せなかったのか、設楽の表情がかすかに曇った。 「フッ! 確かにこういうお祭り騒ぎは貴方のほうが得意でしょう。それは認めます。僕は性格的に営業向きではありませんからね。でも、なにか忘れてません?」 設楽が顔を下げる。よほど癇に障ったらしい。だが彼の表情には怒りではなく不敵な笑みが浮かんでいた。 「…………なにをだ?」 唇に指を当て、チッチッチと舌を鳴らしながら、設楽は続けた。 「何故向いていないこんなイベントに僕が参加したのか。その理由を考えればすぐにわかることです。つまり僕の能力──『エッジ・オブ・ザ・ネザーフィールド』は、精神に侵食して他人を完全に操ることが出来る……となれば、もうお分かりでしょう?」 「…………」 「…………」 「…………フッ!」 「…………ハッハ!」 二人同時に噴出す。 「フッフッフッフッフ……」 「ハッハッハッハッハ……」 同調するように笑い声を上げる二人を、通行人が何事かと立ち止まる。立ち止まればそれにつられて人が集まり、いつしか陸王と設楽の周囲には人垣が出来ていた。 「フッフッフッフッフッフッフ──!」 「ハッハッハッハッハッハッハ──!」 笑いは伝染しなかった。周囲はキ○ガイでも見るかのように二人を怪しげに見つめ、そうして興味を失ってまた散会し始めた──その時である。 ガキッと、突然響いたのは、それこそ金属が折れるような鈍い音だった。 辺りが静まり返る。だが意識と視線は、二人ではなく、陸王の拳がめり込んだ電柱のほうへと向けられていた。 「……何するんですか、いきなり」 飄々とした顔で陸王の後ろへ回りこんで、設楽が言った。 「思わぬ伏兵に驚いて、つい」 「……『つい』……ねぇ」 「ああ、一番厄介な敵は十四郎だと思ってたんだが、どうやらあいつだけじゃなかったみたいだな」 「……で、それが分かってどうするんです?」 「お前は十四郎にどうした?」
「……そうですね。もちろん──」 ふっと、彼の姿が掻き消える。そう見えたのは周囲の人間にだけで、陸王には設楽の軌跡がはっきりと見えていた。たった一歩、軽くしゃがみこむように踏み込んで、真下から突き上げるように拳を繰り出す設楽の動きを、陸王は決して見逃さなかった。 すぐ後ろは電柱、横はガードレール。回避行動が制限されている中で、陸王は慌てることなく身体を斜めによじった。すぐ眼前を設楽の拳が──いや、すでに手刀へと切り替わっていた──鋭いナイフとなって空を切り裂く。そうして陸王がへこませた電柱に軽く穴を開けた。 「…………」 「…………」 電柱に腕を突っ込んだままの体勢でいる設楽と目線があう。二人は笑った。それはもうにっこりと。群集が、漂い始めた殺気に本能的な危険を察知して逃げ始める。その中で── 逃げ遅れたのか、それとも親からはぐれたのか。年端も行かない小さな男の子が、ポツンと取り残された。陸王と設楽がその視線に気づき、とりあえず離れようとしたその時、 「ねぇ……お兄ちゃんたち、どっちが強いの?」 『!!』 それはあまりにも無邪気な言葉だった。 興味深々で問いかけてくる純真無垢な瞳。 「…………」 「…………」 「フッフッフ……」 「ハッハッハ……」 二人はまた笑った。瞬時に跳躍して互いに間合いを読み取り、相手に対して半身に構える。武器はない。体術のみの近接戦闘。それを意識した動き。 戦闘の合図は、交差点の向こうで鳴り響いたクラクションだった。
………… 「ねぇ、お姉ちゃん。これでいいの?」 「うん。ありがとう。はい、これ約束のお礼」 「わーい! ありがとー!」 約束のぬいぐるみを渡すと、男の子は元気よくデパートで買い物をしているという母親の元へ駆けて行く。 それを見送りながら、彼女は小さく微笑んだ。男の子が走り去った方向とは正反対のところで、見知った男が二人、本格的な戦闘へ入っている。暗殺者という職業を考えると少々心配だったが、見たところ喧嘩レベルだったので彼女はほっと胸をなでおろした。あの程度のやりあいなら、彼女も何度も見たことがある。 「よし。作戦は順調と……取りあえず、一度サフランに帰るかな」 クスッと怪しげな微笑みをその場に残して、彼女は颯爽と踵を返した。
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