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 長崎駅、南側。

「あの……おじ様?」

 上目遣いで身体をもじもじとくねらせながら、月野喜和子は中年の、おそらく休日出勤なのだろう──背広姿の男を呼び止めた。

「……な、なんだね」

 迷惑そうに男が眉をひそめる。最初の出だしは大抵同じなだけに、喜和子は慣れた仕草で相手に近寄った。

「…………あの。お願いがあるんです」

「今忙しいんだ。後にして……」

「……駄目ですか? ンック……」

 涙ぐむ。途端に男の相好が崩れた。

「あ、いや。その……ああ、わるかったよ、なんだい? お嬢ちゃん。何か困ってるの?」

 かかった。喜和子は内心で微笑んだ。

「あの、困ってて……ック……私、どうしたらいいかわからなくて、おじ様、とってもやさしそうだったから……もしかしたら……助けてくれるかもって……ヒック……思ったの……」

「あ、ああ。そうか。うん。そういうことだったらいいよ。おじさんなんでもやってあげる。何を困ってるんだい?」

 泣きやむように目を手のひらで擦り、うつむき加減で、喜和子は男のスーツのすそをつまんだ。これで男は喜和子を振りほどけない。もしそうしたなら、彼女は大げさに地面へ倒れ込み、周囲にどちらが加害者かを思いきりアピールするのだ。参謀が考えた作戦は見事といってよかった。

「私、千間坂通りのサフランって言う洋食屋でバイトしてるんです」

「バイトだって? でも君、どう見たって小学生じゃないか。けしからん!」

 その事実に憤慨するのも、大抵いつもの通りである。

「そこで今、定食割引サービスしてるんですけど、お客さんを呼んで来いって店長に言われて」

「なんと!……むぅ。よしわかった。その店長に抗議して欲しいんだな」

「あの……でも……」

「いいや。わかってる! 大丈夫だ。おじさんに任せておきなさい。どうせ食事もまずいんだろう。言って抗議してやる!」

「……あの……でも……後で私が怒られるから、何かご飯は食べてもらえませんか?」

「むぅ。しかしな、このままでは君はその店の言いなりに……」

「いいんです! わたしなんて、ドジでグズでのろまだから。それくらいはお店の役に立たないと……それにバイト代が入らないと、今月の学費が払えなくなっちゃうんです」

 そうすると、中年は涙ぐむように目頭を押さえ、

「くぅ。わかった。言うとおりにしよう。だがきっと、おじさんはその店長にガツンと言ってきてやるからな」

「本当……ですか?」

 おずおずと、顔を上げる。男は自信たっぷりに頷いて見せた。

「うむ! 任せておきなさい」

「ハイ! お願いします!」

 最後の仕上げは元気よく男に向かって微笑む。これで完璧。

「ハッハッハ。おじさんに任せておきなさい」

 そういって胸を叩き、なにやら照れたように顔を高揚させてサフランのほうへ歩いていく。チラシを渡したから、迷うこともないだろう。

 そうしてサフランに行っても、喜和子のところへ抗議が成功したという報告をしに来た男はいない。あの店の食事の味は文句なく美味しい。だから知らない人間はまずその味に驚き、たとえその後に抗議することが出来ても、あの彰子に勝てる人間など早々いないからだ。

 昼時に入り、大人も子供も食べる場所を探し始めている。今この時間を逃す手はない。

 喜和子はポケットに忍ばせたトランシーバーを手に取った。スイッチを押して、

「こちら、ベータ。司令官(コマンダー)応答願います。作戦は順調です。オーバー?」

≪こちら、コマンダー了解。引き続き、中年をターゲットに作戦実行よろしく。オーバー?≫

「ベータ了解しました」

 そうして喜和子は、再び同じ事を繰り返すべく、中年男を探して場所を移動した。

 

      ◇

 

「ねぇ、ちょっとお時間良いかしら」

 長崎駅北側。

 ジーンズの上着を脱ぎ、少々寒いのを我慢しながらも十鬼(とき)は中学生の男子グループに声をかけた。作戦参謀に言われたとおり、ポニーテールにしていた髪はおろし、サフランのエプロンははずしている(反則だということは分かっていたが、彰子の説明だとはずしても失格にはならないはずである)。

 そうしてみると、身体に密着するタイプのシャツとジーパンでボディラインがきっちりと強調された格好で、彼は少年たちに声をかけた。

 そのうちの一人に近づき、息がかかるほどに接近する。少年の頬を両手で包み込み、十鬼は静かに耳元にささやいた。

「お願いがあるの。君たちに」

「……お、お願いですか?」

 さすがに驚いて少年が身体を硬直させる。声が震え、緊張しているのは明らかだった。他の男の子たちも何事かと驚いた目で十鬼と、その彼女に軽く抱かれた形になっている仲間を見やっている。

「そ。君たちなら良いかなって思って声をかけたの。聞いてくれる?」

「お、俺に出来ることでしたら」

「……ありがと。素直な子って好きよ」

 そうして軽く耳たぶにキスをして、十鬼は少年から離れた。

「あのね、このチラシ見てくれる?」

 そういって、十鬼はチラシを見せた。その一点、サフランの定食が紹介されているコーナーを指差す。

「このお店ね、お姉さんの実家なの」

「はぁ……」

 話の中身がつかめていないのか、生返事を返す少年たちに向かって、だが十鬼は目線を伏せた。

「私ね、デザイナーになることが夢だったんだけど、親と喧嘩しちゃって。ほら、お店やってるでしょ? だから早く結婚しろっていう親の反対を押し切って家出したの」

「家出ですか?」

「スゲーッ! 勇気あるんですね」

 そういった別の少年にウインクで「ありがと」と言うと、たちまちその子の頬が赤く染まる。十鬼は、表情は幾ばくか暗く、だが本心は少年たちの純真さに噴出しそうになりながら続けた。

「でね、ようやくプロになって独立できたんだけど、まだ親と仲直りしてないの」

「わかった。仲直りしたいんでしょ!」

 早とちりして言ってくる少年の唇を、そっと人差し指で押す。真っ赤になって硬直する彼に首を振って「違うの」と、十鬼は告げた。

「まだそのときじゃないって思ってる。でもやっぱり家のことだから気になるのよ。だからみんなにお願いしたいんだ」

「何をですか?」

「何でもやりますよ」

「任せてください!」

 口々に息巻く少年たちに微笑んで、十鬼はそのチラシをその一人に手渡した。

「君たちにお願いしたいのは、お店が流行ってるかどうかなの。私が学生の頃は全然お客がいなくて……でもこんなチラシを出すくらいだから、もしかしたらお客さんが来てるかもしれないでしょ?」

「ああ、見てくればいいんですね」

 十鬼が最後まで言い切る前に、先ほど早合点した少年が言った。

「うん。で、お金に余裕があったらで良いから、何か食べてみて感想を教えて欲しいの」

「いいですよ」

「あ、でもどうします? ここで落ち合いますか?」

 十鬼は首を振った。

「ごめんなさい。私も仕事中だから、そうね……ここに……」

 代わりといってはなんだけど、と小声で断って、チラシの一角を差す。そこには一枚、小さなアンケート用紙がホッチキスで止められていた。

「そのアンケートに、サフランのこと書いてもらえるかな。たくさんいいことが書いてあったら、きっとあとで発表とかされると思うんだ。そうしたら、みんながどう思ったのか、私もこっそり知ることが出来るでしょ?」

「ああ、なるほど」

「それじゃ、早速行ってきます!」

「期待してくださいね」

「うん。ありがとう。お願いね」

 最後に少年のほほを撫でてあげると、それが止めとなって彼は熱であるのかと思わせるほど赤くなる。そうして勢いよく作り話に納得した少年たちは商店街のほうへかけて言った。

(さすがに、ちょっと申し訳ないような気がするなー)

 人の好意につけこんでいるわけだから、悪意がないとは言えないし、悪いのも全面的にこちらだ。同僚に見られたら減俸どころの話ではすまないだろう。だが……

 その一方で、十鬼は少年たちを惑わす魅惑の女性という役柄に快感を覚えていた。気持ち良い。可愛い。肌はすべすべ。純真無垢で、その声、仕草、表情、その全てが背筋に快感を走らせる。

(詐欺師の気持ちがちょっと分かったかも)

 変なことを納得しながら、十鬼は自分が用意したトランシーバーを手に取った。スイッチを入れて、応答を呼びかける。

「こちらアルファ。作戦順調でーす。どうぞ?」

司令官(コマンダー)了解! ベータも順調のようなので作戦継続お願いします≫

「OK! 真由ちゃんも気をつけてね」

≪もちろん!≫

 無線先から元気な真由の声が届く。彼女の様子からして、他の連中への妨害も順調なのだろう。こちらも負けてはいられない。

 そうして、十鬼は再び新たなターゲットを探して移動を開始した。

 

      ◇

 

 いったんサフランに戻った真由は、さっそく十四郎の行方を捜した。耕介の兄、祐司に教えてもらって裏路地に行くと、その通り彼がゴミ箱のすぐ傍で倒れている。足のつまさきでついてみたが、ピクリとも反応がない。

 これ幸いと、真由は用意していた登山用ロープとタオルを取り出した。十四郎の身長は百八十強。その彼の身体を、以前陸王に教えてもらった『されたくない嫌な縛られかた十選』のうちの一つで縛り付ける。なんだか記憶が曖昧だったせいで少々SMっぽくなったがそのへんは愛嬌だろうと勝手に理屈付けながら、真由は最後にロープの端を電柱に縛り付けた。

「よし。これで、あとはこうして……」

 山を登る時の専門的な縛りかたである。これもなんとなくだがそれっぽく出来上がり、最後にタオルで彼の口元に猿ぐつわをはめて完成。

 そうこうするうちに、十四郎が身じろぎした。少々きつく縛り付けたらしい。寝起きのようにボケた表情で、彼は目を開けた。

「………………ムモ?(あれ?)」

「あ、起きた?」

「……ムゥ? ムームームー?(あれ? なんだこれ?)」

「え? ごめん。何言ってるかわかんない」

「ムムム?……ム? ム、ムン! ムムッム! ムムムームームームームームームー!(真由ちゃん?……え? お、おい! ちょっとまて! さすがシャレになってないぞ、この結び方は!)」

「ハハハ。ムームーしか言えてないよ」

 慌てる彼は滑稽だった。腹を抱えて笑うと十四郎の視線が思い切り鋭くなる。怒っているのはわかったが、全くといって良いほど迫力はない。

「ムムムー! ムムムー、ムムムッムムムムー!(はずせ! っていうか、何のまねだ!)」

「はずせ、って言ったのかな? でもやだ」

「ムー!」

 十四郎が叫ぶ。だがその声も猿ぐつわに阻まれて小声でしかなく、そしてやはり真由には『ムー』としか聞こえない。

「この勝負で厄介なのは十四郎さんの財力と、顔の広さだからね。悪いとは思うけど、今日一日、ゲームが終わるまでそうしてて」

「…………(ひょっとしなくても、サフランが閉店する九時までこのままか?)」

「んじゃ、またね。その格好だと恥ずかしいから、表どおりには出ないほうが良いよ」

 忠告だけ残してその場を後にする。

「ムゥーーーーーッ!(ちょっと待てぇぇぇっ!)」

 後ろから聞こえる十四郎の叫び声に快感を覚えながら、真由は次の作戦のために商店街のほうへ移動した。

 

      ◇

 

 その悲鳴を聞きながらそっと微笑む。

 全ては順調だった。

 

      ◇

 

 ふと気づく。今何時だ?

「…………ちょ、ちょっと待て、設楽!」

 数時間連続で動き続けたせいで、少なからず疲労を感じながら陸王は叫んだ。身体の節々が痛んだが意識するほどのものでもない。設楽もまた、陸王の声に従ってとりあえず動きを止めた。こちらも疲れているようではあったが、陸王同様に対したダメージを負った様子はなかった。

「日が沈む? もう四時じゃねぇか! 俺たち七時間近く喧嘩してたのか?」

「ああ、もうそんな時間ですか。どうします? もう気は済みましたし、そろそろ帰りましょうか?」

 随分あっさりと、しかも方向性の違う返答をする彼に、陸王は呆れた口調で言った。

「……なぁ、ひょっとしてとは思うが、お前、もう完全に忘れてるだろ。本来の目的」

 そう言うと、設楽はきょとんとした眼でこちらを見つめ、そしてあごに手を当てて首をかしげた。

「………………」

「………………」

「…………あれ?」

「一拍置いても思い出さんのか!」

「い、いえ。そんなわけないじゃないですか! やだなぁ、陸王。いくら僕でも覚えてますよ……って、ああ、そうか! そうだそうだ! サフラン対抗、チョコ獲得大会! でしたね」

「その途中の『そうか!』が微妙に気になるし、なおかつ大会の名前も少々違う気がするが、まぁいいか」

 取りあえずその話題は脇に置いて、陸王は周囲を見渡した。あれから幾ばくか移動して、今は随分辺鄙なところにいる。

「それ以前に……ここどこだ?」

「どこでしょうね……あ、ちょっと待ってください」

 言って、設楽は空を見上げた。空は晴れている。二月の日没は早い。そろそろ一番星が見える頃だろう。太陽と、うっすらと浮かぶ月の位置関係を把握して、彼はなにやらぶつぶつと呟いていた。

「概算なんではっきりとは分かりませんけど、長崎よりちょっと東ですね……」

「東ねぇ……どれくらい離れてるんだ?」

 良いにくそうに、設楽が口ごもった。

「……………多分、直線距離で大体百二十キロくらい……」

 しんと静まり返る。もとより人気のない県道の脇で、二人は静かに硬直した。田んぼの泥で汚れたような軽トラックが、時折ゆっくりと走り去っていく。

『………………』

「…………百二十?」

「しかも直線距離で。でも実際、感覚的に今日移動した距離を考えると、たぶん僕たちがいるの、熊本あたりじゃないですかね」

 もう一度沈黙が降りる。設楽と目線があって、だが二人ともしばらくそのままでいた。

「……今からどれだけ高速で帰っても、もう九時過ぎてるじゃねぇか。車でも盗むか?」

 九時とはサフランの閉店時間──つまりこのゲームのタイムリミットでもある。

「あ、でもここが熊本なら、佐賀県を迂回するより海渡ったほうが早いかも」

「二月に数十キロも遠泳できるか!」

「いや、ボートでも借りれば……」

「それでも微妙だな。間に合っても結局客寄せできてないし。そういえばチラシどうした?」

「……あれ?」

 二人ともその手には持っていなかった。処理した覚えすらない。人のことは言えない。今の今まで、陸王も綺麗さっぱり目的を忘れていたのだから。

「…………唯一の武器も喪失。帰ってもチラシ配る時間があるかどうか不明」

「…………」

「…………」

 ゆっくりと、二人はまたお互いを見た。そして同時に肩の力を抜いて、同時にため息をつく。

「……諦めましょうか」

「そうだな。もうのんびり帰るか」

 そうして静かに、二人は夕日に向かって笑った。

 

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