『HELL&HEAVEN』
この世で一番怖いもの
1
千堂真由の日課は、部活帰りに必ず幼馴染の家に寄ることだった。家といっても居住部分ではなく、その幼馴染の両親が経営している洋食屋に、である。
深緑のショートヘア。少し釣り目勝ちの、気の強そうな瞳が印象的な少女である。今日もいつも通り部活を終えた彼女は、心地よい倦怠感に身を任せながら、慣れ親しんだこの店独自のブレンドコーヒーを楽しんでいたところだった。
サービスで出してもらったクッキーをほおばりながら、それを流そうとカップに口をつけたところで、真由はその動きを止めた。
「ひは、ふぁんふぇひっふぁほ、ひーひゃん(今、何て言ったの、きーちゃん)?」
口の中をもごもごとさせながら、視線を前に向ける。
目の前にいたのは、ポケーとした表情のストレートロングの少女だった。きーちゃんと呼ばれた彼女──月野喜和子は、見た目は小学生くらいにしか見えないほど幼い。実質、真由よりも一つ年下の彼女はまだ十三歳。小学校を去年卒業したばかりだということを鑑みれば、それもさしておかしい話ではなかった。
部活の後輩で、真由にとっては気さくに付き合える友人の一人でもある。その彼女もまた、真由と同じクッキーをほおばりながら、もごもごと口を動かした。
「ふぇふふぁら、ふぉっほうふぁいひはひふぉうふぉほほひふぁふっふぇ(ですから、特攻隊に入ろうと思いますって」
「ひょうひふぁほ(正気なの)?」
「ふぁい(はい)」
「ひっふぉふへふぉ、ふぉふはへんひゅうひゃひゃいはふぉ? ふぉひふは(言っとくけど、ろくな連中じゃないわよ、こいつら)」
と、隣に座る幼馴染を目線で指して、真由は言った。
「ふぁふぁっへふぁふ……(わかってます……)」
しんみりと同意する。と、それをさえぎるようにカップで音を立てたのは、真由の隣に座る幼馴染、槙原耕介だった。
十四歳にしては明らかに育ちすぎた感のある、長身の少年である。制服姿とその年齢に見合った童顔がなければ、学生にさえ見えなかっただろう彼は、どこか呆れたようにこちらに視線を向けた。
「あのなお前ら……」
「……ング……何よ?」
ようやく口の中のものを流し込んで、真由は応えた。
「何でそれでコミュニケーションが成立するんだよ」
「そこは、それ。信頼と愛情の賜物です」
と、こっちも復活したらしい喜和子が後を継ぐ。
「しかもなんか、そこはかとなく馬鹿にされたっぽいぞ」
「きっぱりと気のせいよ」
疑惑の視線を投げかけてくる彼をあっさりと受け流して、真由は再び喜和子に向き直った。コーヒーで今一度口の中を潤わせてから、言葉を選別する。
「んで、特攻隊に入るって話だけど」
「気持ちは変わりません」
隣で、軽く噴出す音がした。
「おいっ! そんな話してたのか、お前ら」
慌てて耕介がまくし立てる。その理由はわからなかったが、とりあえず言っておくことは一つだった。
「そうよ。聞いてなかったの?」
「わかるか!」
「ったく、言語を理解できないお馬鹿さんはこれだから……」
呆れたように肩をすかしてみせる。
「このくそアマ……!」
「そういったときの語彙の少なさ、どうにかしないと本気でタダのチーマーよ?」
「大きなお世話だ……って、まぁそれはいい。それよりもきーちゃんの今の発言はどういうことなんだ?」
「どうもこうもないわよ。『HELL&HEAVEN』特攻隊に入りたいんだって」
呆れたように言った真由の言葉を裏付けるかのように、喜和子がほんわかと笑みを浮かべた。
『HELL&HEAVEN』
九州、長崎県長崎市を拠点とする、現代日本における最大規模の暴走族連合である。幹部七人とその直属の親衛隊、特攻隊を上層部として、以下十二のチームが現在指揮下に入っている。総勢五百を超える巨大な不良集団である彼らは、時として警察さえその影響力の前に平伏させ、圧倒的な力を持って中国・関西方面にまでその支配領域を広めていた。
その原因は幹部の力によるものが大きく、支配下にあるチームが束になっても幹部には勝てないというのが実情だった。彼らに負けたからこそ、勝てないからこその従属、服従である。
その特攻隊。現時点では男子十名で結成された『魁王』と、女子三名の『蓮華』で構成されている。彼ら特攻隊の役割は敵対グループの殲滅。この一点に尽きた。魁王はその突発的な行動力で、蓮華は知恵を駆使した内部的破壊を行う。
特攻隊とは、その名の通り『HELL&HEAVEN』における、言わば尖兵である。
それを号令するのは他でもない、特攻隊長である槙原耕介。隣にいる幼馴染だった。特攻隊長といえば、およそ泣く子も黙るといわれる程の最強クラスの戦士。というのが、実態を知らない連中の噂である。
が、現実は得てして予測を裏切るもので。
(小学生に頭の上がらないこいつが特攻隊長なんて、誰が信じるかしらね)
妹のことを思い出しながら、真由は心中で毒づいた。
それはそれとして。
「いい、きーちゃん。よく考えてみて。こいつらの仲間になる、それも特攻隊に入るなんてことになったら、どんな危険な目に会うかわからないのよ?」
神妙に、喜和子がうなずく。
「覚悟しています」
「それこそ、そのチームを内部から破壊するためにスパイしたり」
「はい……」
「身知らぬ男に抱かれたり」
「はい……」
「麻薬を密売する片棒を担がなきゃいけないのよ?」
「するか! そんなこと!」
という耕介の突っ込みは無視して、真由はテーブルに身を乗り出した。
「それでもいいの?」
「いいです」
彼女の決意は固い。真由はそう判断した。何よりも、喜和子の瞳には迷いや戸惑いが感じられなかった。こうなると彼女は決してその意志を曲げないだろう。付き合いはまだ短かったが、その分中身は濃いだけに、真由自身、喜和子の頑固さは身にしみていた。
「フゥ……わかったわ。でもどうしてなの? 理由くらいは教えてくれてもいいんじゃない?」
「……何か、したいんです」
「何かって?」
「わかりません。ただ、今の自分に何が出来るのか試したいんです。出来ること、したいこと、自分の可能性、そういったことも含めた全てを」
「随分、抽象的だけど……」
「……そうですね。自分で何言っているのか、ちょっと自信ないんですけど」
「そっか。でもまぁ、そこまで決意が固いんなら、してみるのもいいんじゃない?」
「ありがとうございます、真由先輩」
「どういたしまして」
穏やかに、二人は微笑んで──
だがふと、隣で一人、いじけたように外を向いている耕介に気づいた。
「どうかしたの? 耕」
「何だか暗いですよ?」
「いや、別に……。ただ、特攻隊に入れるかどうかの最終権限持っているのは俺なのに、何故ないがしろにされてるんだろうなぁとか、そんなことは全然気にしてないし、別にいじけてなんかいないぞ」
どことなく涙目になっている耕介に、真由は慰めるように彼の背中を優しく撫でてあげた。