『HELL&HEAVEN』
この世で一番怖いもの/おまけ
その頃の彼は……
夜も更け、商店街の灯りも其のほとんどが消え去った深夜の街道。大学の研修での疲れを冷気で癒しながら、名鳥十四郎は馴染みの店に向かって歩いていた。
年齢は二十歳を超えた程度の、長身、長髪、絵に描いたような美青年である。およそ年齢には似つかわしくないほど上品で高級のスーツで身を固めた彼は、これでも立派に? 巨大な暴走族グループのリーダーだった。
『HELL&HEAVEN』頭首。
それが彼の肩書き。彼のもう一つの顔。私立病院を営む名鳥財閥の長男にして、問答無用の金持ち。現在彼が持つ数十億の私産全てが、彼自身が手がけた商売によるものだというが、その経営能力の凄さを物語っている。事実、彼は政財界を含む色々な方面からも注目を受けていた。彼が現在、九州大学医学部に所属していることをもったいないという声は多い。
もっとも、十四郎自身は医者のほうが経営者よりも向いていると思っているので、別段気にも留めていなかったが。と──
トゥルルルルル……トゥルルルルルル……
不意に電話が鳴って、十四郎は内ポケットから携帯電話を取り出した。非通知ではないが、未登録の見慣れぬ電話番号を見て、訝しげに受話器を取る。
「はい、名鳥ですが?」
『あ、お世話になっております。私、シルクロード通販会社の竹村と申します。夜分遅く申し訳ありません。名鳥十四郎様でいらっしゃいますか?』
「はい。そうですが……」
あいづちをうちながら、十四郎は名乗った相手について考察した。
シルクロード通販会社。
(……ああ。ビデオを買った通販会社か)
ようやく思い出す。
『先日ご注文いただいたビデオの件でご連絡させていただきまして』
『あれ? もう届けてくれたんじゃないんですか?』
向こうの物言いに疑問を抱いて、十四郎は聞いた。竹村と名乗った彼の声が、トーンの落ちた、バツが悪そうなものに変わる。
『いえ。ビデオのほうは届けさせていただきました。それでですね、実はその届けたビデオがこちらの手違いで間違えてしまったらしくて』
「間違えた?」
『申し訳ございません。搬入係の者の手違いで、間違った商品が、えーとご注文の際の届け先となっていた『槙原耕介様』宛に送られてしまったということで、ご連絡させていただいたのですが』
「……はぁ……」
『在庫ビデオの数に不備がございましてですね。調べましたところ、名鳥様がご注文くださったビデオが余っていて、他の方が注文されたビデオが足りない状況にあったので、夜分遅くで失礼かとは存じましたが、ご報告させていただきました』
「いや、報告はいいんですが……それで、ビデオの方は、もう間違ってしまったほうを届けてしまったのでしょう?」
『はい。それでですね。ご注文いただいたビデオのほうを再発送させていただこうと思っているのですが、よろしいでしょうか。間違って送られたビデオの方は、もし開封してしまっているようなら、名鳥様の方で引き取ってもらっても結構ですし、いらないとおっしゃるのでしたら、こちら宛に着払いで送っていただいてもかまいません』
「…………」
さて、どうしたものかと、十四郎は思索した。
注文したビデオは、暴露すればなんてことはない任侠映画だった。月野喜和子という最近出来た耕介や真由の友人が、HELL&HEAVENの特攻隊に入隊したいというので、その試験用に注文したに過ぎない。別段、十四郎が見たいわけでもなんでもなかった。
実を言えば、彼女に課した課題には別段意味などなかった。ただ、耕介と双真に、その少女がどういう人物かを見極めて欲しかっただけだ。それゆえに、できるだけ奇抜なものを試験内容に選んだ。
その内容はきっと彼らを驚かしていることだろう。それ以上に憤慨しているかもしれないが。
そして結果はまだ分からない。終わって、決断が出来たら連絡をくれとはいってあるものの、耕介たちからの連絡はまだない。もしかすると、迷っているのかもしれない。だとするなら、やはり少女を入れるべきではない。迷う要素のある人間を、そばに置くべきではない。
だが、
(ビデオが間違って送られたっていうなら、一体どうやって審査したんだ?)
不意に疑問がわいた。そして電話の相手もその答えを持っていることに気づいて、十四郎は聞いてみることにした。多少の期待感を込めながら、
「それで、一体どんなビデオを送ったんですか?」
『姉妹いじり・禁断の関係へ3!〜調教編〜、です』
…………
「はい?」
思わず素っ頓狂な声を上げて、十四郎は歩く足を止めた。携帯に耳を押さえつけ、よく聞き取れるようにしてもう一度聞く。
「なんですって?」
『いえ。ですから、ロリロリ専攻会プレゼンツ、姉妹いじり・禁断の関係へ3!〜調教編〜、です』
「……それを送ったと?」
『はい。ちなみに、内容はといいますと……』
感情を込めて内容を説明する男の声は、それこそ憎たらしい親の仇のような響きを持っていた。そう思えたのは、だが十四郎の思い込みだった。親は殺されてなどいないし、そもそもまだ両親揃って健在だ。竹村という男が目の前にいたら、それこそ思い切り殴っていただろうという今の気持ちを自覚しているからこその思い込みだった。
特に、「私たち、お兄ちゃんが喜ぶのならなんでもするよ」という台詞を男が言ったときには、今すぐ全力で持ってこいつの努める会社を倒産させてやろうかと思ったほどだ。
『それで、ビデオの方は再発送させていただいてよろしいでしょうか』
「いや、そうですね……」
あいまいな返事をしながら、思考をめぐらせる。
どうすべきか。もう耕介たちがビデオを見たのであれば、注文したものは不必要だ。アダルトビデオが送られたのは完全に誤算、というか通販会社のミスだが、それに関してはもう手遅れだろう。だとするならやはりもういらないのではないか。料金は後ほどクレジットでの引き落としになっているし、ここでキャンセルしても、向こうのミスから発したのだから、問題はあるまい。
「そうですね。それじゃあ……」
と、そこまで言いかけたところで十四郎は言葉を止めた。否、続けることが出来なかった。
街灯でぼんやりと照らされた先に、紅い二つの光点があった。それが丁度、十四郎の目線よりも少し下あたりで、中に浮いている。その間隔といい、浮いている高さといい、それが誰かの『目』であることを、彼はすぐに理解した。半ば反射的に身体の位置を変え、いつでも移動できるように体勢を整える。
「誰だ?」
「俺だよ」
あっさりと返答されて、十四郎はぎょっとした。ゆらりと危ない足取りで姿を見せたのは、誰であろう、槙原耕介その人だった。何故か体中に包帯を巻き、顔中にあざを作り、ふらふらと揺れながらこちらに歩み寄ってくる。
「こ、耕介? どうしたんだ? 一体誰にやられた!」
電話中であることも忘れて、十四郎は耕介に近寄った。倒れかけた耕介を受け止めて、十四郎は同時にその無残な姿に驚愕した。
「耕介。おい! 大丈夫か?」
「いや、俺のことはいいんだ」
「良くない! いいか? これは問題だぞ? 俺たち『HELL&HEAVEN』に対する立派な敵対行為だ。いや、そんなことよりも、俺がお前にそんなことをした奴を赦すと思うか? どこの誰かは知らんが、絶対に見つけ出して殲滅する!」
拳に力を入れながら、十四郎は力説した。耕介を支える腕で、優しく彼の背中を撫でてやる。
「殲滅?」
「そうだ。仇は取ってやる」
「本当に?」
「ああ、もちろんだ。地の果てまで追い詰めて地獄を味合わせてやる。だから耕介、一体誰にやられた! 誰がお前をこんな目に合わせた!」
「……お前」
「…………へ?」
あっけにとられたのは一瞬だった。彼が自分の身体から離れるのも一瞬で、弟のように思っている彼の腕が高くあがり、振り下ろされるのも一瞬だった。
唸る拳。膨れ上がる殺気。それは死の宣告。
少年は笑う。そして叫ぶ。力の限り、怒りの限り。
「お前だっつーとるんじゃあぁぁぁぁっ!」
そして再び響く打撃音。
呼応する悲鳴。
長崎市の夜はもうしばらく静まりそうになかった。
この世で一番怖いもの 今度こそ完