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「耕!」

 文字通り突進するかのように、千堂真由が飛び込んできた。バタンと勢いよくドアを開け、部屋の持ち主を睨みつけてくる。

 それを受け流すように、一瞬覚醒した意識に従って、槙原耕介はうすく開けた双眸をそちらに向けた。ぼやけた視線の先に、幼馴染みの少女の姿を確認する。別段、いまさら部屋に来て驚く相手でもなかったので、ほどなくして、彼はそのまま目をつぶった。

 長崎市、槙原家の二階にある耕介の自室である。眠気に負けて、彼は私服でベッドに突っ伏していた。

「ねぇ、耕! 起きてよ、いますぐに! 起きてくれないとなんだかとってもアンニュイでつまらない話を聞かせなくちゃならないの! そんなの私も退屈だから早く起きて!」

 叫びながら、彼の身体を揺らす。

 夢うつつに、親友のよくわからない叫びを聞きながら、耕介はぽっかりと目を開けた。薄くまどろむ意識の中で、先程聞こえた言葉を反芻する。

 退屈な話。だというのなら、やはりこのまま眠った方がいいのだろうか。それとも、起きたあとでも結果が同じなら、今体験しておくべきだろうか。第一、退屈でつまらない話をするのが退屈なら、初めからしなければいいのだ。

 そんなことを考えながら、とりあえずベッドの上で身体を仰向けに変え、耕介は上体を起こした。うつ伏せに寝ていて胸が圧迫されていたせいもあるのだろう。少しばかり胸部に感じる痛みを無視して、彼は窓から覗く光を見やった。もう夕刻らしく、太陽が随分と赤く染まっている。学校を自主早退──いわゆるサボリを敢行して帰宅してから、ずっと寝てしまっていたらしい。いまだ覚めやらぬ意識の中で、彼はベッドの横にいる少女を見やった。

 千堂真由。学校帰りで直接ここに来たらしい──学校指定のセーラー服といった見慣れた姿で、憤然と彼女はそこにいた。

「……なんだよ、一体」

 呻きながら、嘆息する。寝間着で寝ていなかったこともあってか、起きた後の違和感をもてあましながら、耕介は立ち上がった。開けっ放しのドアを閉め、再びベッドに腰を下ろす。

 その彼に、真由は詰め寄った。

「耕、聞きたいことがあるの!」

「なんだ?」

「私のこと、好き?」

「……は?」

 質問の意味と意図、というか彼女の全てを計りかねて、耕介は首をかしげた。

「何言ってんだ? お前」

「説明は省くわ」

「いや、省くな」

 端的に突っ込んでみるが、真由は聞く耳持たないといった風に明後日のほうを向いた。

「そう。好きなのね」

「勝手に納得されて溜息つかれてもな……」

「私も耕のこと、好きよ」

 突然、真由は耕介のほうを向き直って言った。耕介の手を取り、真正面から彼を見据える。

「好き」

 が、一方の耕介は、半眼で冷たい視線を送りながら呻いた。

「……で、何が望みだ?」

「え?」

 きょとんと、真由が目を見開く。

「お前が俺にそういう言い方で迫るときは、決まって何かしら後ろめたいことがあるんだ。その手には乗らん。というわけで、寝ぼけてないで本音を吐け」

 と、真由はよろよろと耕介からはなれて、崩れ落ちた。手で顔を覆い、泣き崩れる。

「酷い!」

 よよよと、しなを作りながら、彼女は続けた。

「せめて夢の中くらい、好きって言えたら幸せだと思って決心して告白したのに……近すぎる関係というのは、逆にお互いに距離を開けてしまうのは本当だったのね。ああ、何て悲しいのかしら」

 泣き続ける彼女を冷めた目で見つめながら、彼女が何を言いたいのかさっぱり把握できないで、耕介は再び首をかしげた。普段の真由ではないことは見て明らかだが、それにしても少し変な感覚が支配する。と、彼女の言葉の端に聞こえた単語に反応して、耕介は聞き返した。

「……夢の中?」

「そうよ。だってこれ、夢だもの」

 そう答えてきた真由の声は、今まで聞いたことのないくらい冷たいものだった。背筋に悪寒が走る。それと同時に、重い何かが、耕介を押しつぶした。

 

      ◇

 

 重い。重苦しい。肺が圧迫される。呼吸困難というわけではないことは、無意識ながら把握していた。が、だからといって現状が回復するわけでもない。苦しいことには違いないのだから。

 目を見開く。ついて出た言葉は、至極端的だった。

「重い」

「失礼ですね、女性に向かって」

 独り言のつもりだったが、答えが返ってきたことに驚いて、耕介は身体を動かした。が、思うように動かない。どこか違和感がある。うっすらと目を開けると、自分の上に人がまたがっていた。記憶の端で認識する。

 ストレートの髪。ピンクのワンピース。紛れもなく、耕介を襲った少女だった。

「俺の上で、何をしているんだ?」

「いえ。なかなか起きそうになかったので。股乗りをされると男は泣き叫んで喜ぶと聞いたものですから……」

「どっからの知識だ」

 呻きながら、耕介は少女の身体をつかんで自分から下ろさせた。身体を起こし、現状を把握するために辺りを見渡して、そのまま目を見張った。

 彼らがいたのは、レンガ壁で覆われた個室だった。広さにして四畳くらいだろうか。天井が低いこともあるだろうが、とにもかくにも狭い。レンガ自体もかなり古いものらしく、その全てが変色して黒くなっていた。窓もない。唯一の出入り口らしい穴は、木製のドアでふさがれていた。

 なんにしろ、理解不能だった。できるはずがない。こんな牢屋のような場所に自分がいる理由について、心当たりなどなかった。

「……ここは?」

「お母さんです」

「は?」

 返ってきた答えの意味がわからなくて、耕介は思わず声を上げた。

「いえ。ですから、私の情報源」

「……こ・こ・は! どこなんだ?」

 それは無視して、再び疑問をぶつける。

「えーと……私たちが使っている『お仕置き部屋』です」

 反応がいまひとつ遅い彼女に苛立ちを覚えながら、耕介は根気よく質問を続けた。

「お仕置き部屋? なんの?」

「規則を破ったり、約束に反することをしたときに、ここに入らなくてはいけないんです。これも規則なんです」

「規則って?」

「えーと……抜け駆けしたり、グッズを無断で他人に売ったり……と。でも最大の禁忌は告白でしょうか。私、告白したいんですよ。したいの。してもいいですよね?」

 言葉尻だけ聞くと誤解を受けそうだったが、とにかく理解のできない状態で、確認すべき重要なことがあったことに気付いて、耕介は少女に問いただした。

「結局、君はいったい何なんだ?」

「話しませんでした? 昨日の夜」

「覚えているようで、覚えてない」

 正直に告げると、少女は溜息をついてこちらを見返してきた。どこかうつろな、ぼけーっとした瞳は、なかなかにして感情が読めない。変化のない表情のまま、彼女は告げた。

「えーと、ですから。私たちは、千堂真由非公認親衛隊なんですよ」

 

      …

 

 親衛隊。

 その言葉は、決して馴染みがないわけでもなかった。元首の身辺を警護する集団のことである。芸能人などのファンによく聞く言葉だが、当然暴走族たる「HELL&HEAVEN」にも存在する。が、こと彼らに関しては親衛隊とはほぼ百パーセント、党首である名鳥十四郎の私兵である。十四郎の身を守ると言うよりは、裏界の秩序維持に努めると行った意味合いが強い。加えて、特攻隊長の耕介に対してさえ命令さえあれば敵に回るであろうくらい、彼らは十四郎に忠誠を誓っていた。

(ま、十四郎が俺の敵になるなんてことはまずないんだけど)

 対して、彼女の言葉は、文字通り親衛隊ということなのだろう。記憶できて、なおかつ理解できた単語だけを抜粋して耕介は聞いた。

「親衛隊って、真由の?」

「えーと。はい。千堂真由様の親衛隊です」

「……また、奇妙なものが存在するんだなぁ」

 しみじみと、だが一方で素直に感心しながら、耕介は呻いた。ある意味馬鹿にしたような口調だったのだが、少女のほうは差しあたって気にした風でもなく答えてきた。

「そうですか? でも事実は小説より奇なりとも申しますし。真由様暗殺隊よりはましかとも思います」

「そらそんなものがあったりしたら、奇妙どころじゃすまないけど」

「うふふ。そうですねぇ」

 笑って、彼女が同意する。どこかおかしな会話に頭痛を覚えながら、耕介はとりあえず今の状況をはっきりさせて置こうと、少女に向き直った。

「それで、君は誰だ?」

「私ですか? 千堂真由非公認親衛隊、隊員番号千百十二番、月野喜和子と申します」

「……喜和子さんね」

「はい。なんでも姓名判断で一番脱サラしやすい名前だそうで」

 きっぱりと断言する少女に、耕介は思わず肩を落とした。

「何か意図とか意味とかあるのか? それは」

「ないと思います。でも誰も真似できないことをひとつだけ持ちなさいという祖母の教えを母が守ったらしくて……」

「いや、まぁ、そうなのかなぁ? ものすごく判断に困るよな、それ」

「はぁ……私もそう思いますけど」

「まぁいいけどさ。質問を続けるけど、君が千百十二番ということは、親衛隊ってそんなに人数いるのか?」

「いえ。「千」は真由様の苗字「千堂」から取っただけです。さらにいえば、番号は全部偶数なので、隊長を入れて私で六十二人目というところです。三日前に加入したばっかりなんですよ、私」

「六十二人って、それでも多いな……」

 呻く。結局、それはどうでもいいことだと思い出して、耕介は本題に入った。

「で、ここはどこだ?」

「お仕置き部屋ですってば」

「いや、そうでなくて」

 聞きたいことが伝わっていないことに苛立ちながら、耕介は言った。と、彼女──喜和子は、やっと理解したようにうなずくと、にこっとこちらに笑みを向けて答えた。

「えーと。この部屋は、以前は防空壕だったと聞いています。戦時中、空襲を避け損ねた怪我人専用の。そのまま死んじゃった人がほとんどらしいので、よくこの部屋で火葬が行われたそうですよ?」

「いいっ!」

 さすがに驚いて、耕介は後退りした。といっても、何の変化があるわけでもない。ただ、彼女との距離が開いただけだ。背筋に悪寒を感じながら、部屋を見渡す。レンガの黒ずみは、それこそ本当に焼けた痕だったらしい。オカルト関連が苦手な耕介は、身震いしながら喜和子に向き直った。

「なんでこんなところ使ってるんだよ!」

「いえ、隊長さんの判断です。この部屋、戦後に牢屋に改造されたらしくて。ここに放り込まれて反省しない人はまずいないだろうと……」

「まぁ確かに……」

「でも、一人だけ反省しなかった人がいるらしいんです。すごいですよねぇ?」

「確かに凄いな、こんなところで平然としていられるなんて」

 君のことじゃないのか? とは言わないでおいた。本人は気付いていないようで、しきりに感心している。と、不意にわいて出た疑問を耕介は聞いてみた。

「しかし、いいのか? こんなところ無断で使って。一応市や町が管理してるんじゃないの? こういうところは」

「はぁ。なんでも会長さんや副会長さんたちが市役所に交渉を行ったとか……」

「許可下りたのか?」

 素直に驚いて、耕介は目を見開いた。申請するほうもするほうだが、許可するほうもどうかしているとしか思えない。使用目的「お仕置き」と書かれた申請書を読んだ市役所役員の反応が気になるところではあったが、この少女がそれを知っているとは思えなかった。が、喜和子のほうはあっさりと、首を横に振った。

「その後日、真由様から使ってもいいという啓示を受けたらしいのです。隊長が。夢の中で」

「要するに無断なんじゃないか!」

 思わず叫び返して、耕介は喜和子に詰め寄った。が、きょとんとした表情のまま、彼女は至極当然のことのようにうなずいてみせる。

「でも、真由様からの啓示ですし」

「妄想って言葉、知ってるか?」

 半眼で、睨む。それをさらっと受け流して、喜和子は自慢げにふくらみのない胸を張った。

「勿論です。妄想は事実に合わない不条理なことや、根拠のないことを固く信じ込むことでしょう? むやみに想像を働かせることは、人の判断力を狂わせます。なので、やたら滅多に使うものではないと、常々母は申しておりました」

「言ってることは全て正論のくせに、なんで自覚ないんだ……?」

 力なく肩を落としながら、耕介は呻いた。自覚のない少女は、こちらの反応が予想外だったのか、相変わらず感情の読めない表情で聞き返してきた。

「自覚ないのですか?」

「あんたがな!」

「それは難儀ですねぇ」

「だからアンタのことだ!」

「そうですか?」

「そうなんだよ!」

「それはびっくりしましたでしょう?」

「あー、びっくりしたよ。しまくったよ!」

「それはそれは、ご愁傷様です」

「ぬがあぁぁぁっ!」

 両手を戦慄かせながら叫ぶ。脱力感と、やるせなさが全身を支配する。会話の通じない相手との接触が、これほどの苦痛を伴うものなのだということに初めて気づいて、耕介は力なく項垂れた。

「……姓名判断。他に何か言われなかったか?」

「えーと、そうですね。天然とか、世間知らずとか。後は、物を忘れやすいとか、よく物を失くすとか……」

「あー、なるほどね」

 納得するが、納得できなかった。本当にわからない。わからないことだらけだった。彼女たちの存在。千堂真由親衛隊。幼馴染みの少女にそんなものが存在したことさえ、初耳である。非公認ということを考えてみれば、真由本人さえ知っているかどうか疑問だった。

 そして、最大の疑問はいまだ晴れていない。すなわち──

「大体、なんで、俺はここにいるんだ?」

 夕べのことを思い出す。時間的感覚は曖昧だったが、腕時計の数字は正確に午後二時を差していた。意識を失ってから、つまりは十二時間程経過していることになる。

 この少女との戦闘──あれはそう呼べるものではなく、どちらかと言えば、武道の延長のような感じではあったが──の最中、後ろからの不意の攻撃を受けたことが原因だとは認識できる。つまり、その背後の敵も喜和子の仲間であった可能性は高い。だとしても、彼女が今こうして耕介と一緒になって「お仕置き部屋」にいる理由にはならないが。

 と──

「それは!」

 声は、上から聞こえてきた。どこか、響きを持った声。この部屋が狭いからだけではなく、その音声そのものに雑音が混じったような響きをもって、それは耕介の耳に届いた。

 二人そろって、上を見上げる。何もないと思っていた天井には、

「貴方が、千堂真由様の幼馴染みだからですわ! 槙原耕介!」

 ぽっかりと明いた天窓のような穴から、女が独り、顔をのぞかせていた。

 

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