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 別段、何がどうということもない。覗かれていたという事実にはそれなりにショックを受けはしたものの、その犯人も女性だとわかればさほど大した問題ではなかった。

 何故か恥らったままのストーカー女を引っ張りながら、真由は長崎県警への道を歩いていた。後ろから、耕介と月野喜和子がトコトコと、世間話などしながらついてきている。

「真由様。一体どこへ?」

「とってもいいところ♪」

「楽しみです」

 楽しみにされても困るとはさすがに言えずに、後は黙ったまま歩く。と──

 前方に現れた見知った後頭部に、真由は目を見開いた。後ろで、耕介も小さく声を上げる。

「瞳」

 呼んでやると、真由と同じ深緑の髪が揺れて、少女がこちらを振り向いた。真由の妹、千堂瞳である。

「お姉ちゃん……に、耕ちゃん?」

「何してるのよ、こんなところで」

「お母さんに頼まれてお使いしてたの」

 見ると、確かに彼女の両手には買い物袋があった。ちょっとした買い足しなのだろう。調味料がいくつか、透明の袋から透けて見える。

「お姉ちゃんたちこそ何してるの?」

「これから警察に行くところよ。なんていうか、まぁ視姦されちゃったの」

「? シカンって、何?」

「真由! 瞳にいらんこと教えるな!」

 後ろから激昂を飛ばしてくる耕介は無視する。きょとんとしている瞳に軽く手を振って、真由はまた重い足取りを県警に向けようとした。が、引っ張っているはずの存在からいきなり抵抗を受けて、思わず立ち止まる。

「なっ!?」

 後ろを振り向くと、歌子が目を見開いたまま硬直していた。怪訝に思って、その視線の先を見つめる。いたのは何のことはない。瞳だった。

「可愛い」

「へ?」

 思わず唸る。歌子の呟きは、どこか不穏だった。

「ねぇ、君って千堂さんの妹さんでしょ? 名前は?」

「……えーと、瞳ですけど?」

「瞳ちゃんか。可愛らしい名前ね」

「あ、ありがとうございます」

 いやな予感がした。呼称が、『真由様』から『千堂さん』に変わっている。

「それに可愛らしい顔。あああぁ、お人形さんみたい。ねぇねぇ、お姉さんと気持ちいいことしない? 瞳ちゃんのパンティとかくれたら、いいことしてあ・げ・る♪」

「やめんかあぁぁぁ!」

 唐突に──

 思いっきり歌子の後頭部をけり倒して、耕介が絶叫した。突っ込むタイミングを見失って、さすがに動きを止める。

(うわ、痛そう……)

 アスファルトに見事にキスをした彼女に同情しながら、真由はさりげなく二人から離れた。こちらまで痛くなるほどの激突音がしたにもかかわらず、歌子があっさりと復活する。

「何をなさいますの? 野蛮人!」

「やかましい! お前、すでに汚れきった真由ならともかく、瞳に手を出したら今度こそ見逃せないくらい本気で犯罪だぞ。それでなくても変体街道爆進中だってのに」

「失礼な男ね。しかも何だかニュアンスが微妙に違うような気もしますし。第一、いくらなんでも女性の頭をけり倒します? 普通」

「犯罪者に情けかける気なんて毛頭ないね。それにあいにく俺は普通じゃない。HELL&HEAVEN特攻隊長をなめるなっつってんだよ」

「あーら。野蛮な連中が寄り添っているだけの不良グループなんて、チクチクもムズムズもしませんわ」

「痛くも痒くもないって、そう言いたいのよね? あれは」

「そうでしょうね、きっと。ひねくれまくってますけど」

 しみじみとうなずいたのは、さりげなく非難していた真由と喜和子である。

「それに、ちょっとお待ちなさいな。貴方、今、瞳ちゃんのことを呼び捨てになさったわね」

「それがどうした?」

「許しませんよ。あんな可愛らしい子に向かって、貴方みたいな野蛮人が呼び捨てだなんて。そもそも、同じ空間にいるだけでもあの子が汚れます。あの子の半径数キロ以内から今すぐ離れなさい。しっしっ!」

「てめぇ。真由に執心かと思いきや、今度は妹にも手を出そうってのか?」

「真由? ああ。もういいですわ、あんな汚れた女」

 さすがに今度は聞き咎める。だが何とか理性で怒りを抑えて、真由はその場にとどまった。歌子の口上は続く。

「これからの時代は、瞳ちゃんのものです。私はここに宣言します。あの子を守り、慕い、あの子のためだけに生きると。そのための第一歩として、まずは千堂瞳ちゃん親衛隊を結成することを。そして記録し、後世に残すのです。日常生活はもとより、恥ずかしいお風呂からトイレまで、余すことなく記録して見せましょう!」

「お前というやつはぁぁぁぁぁぁっ!」

 両手を戦慄かせて呻く耕介に、真由は後方から静かにエールを送った。盛り上がる二人を尻目に、ポケットから携帯を取り出してピポパとプッシュする。押す番号はたった三つで事足りた。

「お姉ちゃん。止めなくていいの?」

「放っておきなさい。そのうち親切な人が止めに来てくれるわ」

「……?」

 訝しげに眉を寄せる妹に会釈して、真由は携帯をしまいつつ、二人を連れて後退した。少なくとも、あの騒ぎの関係者と思われるのは避けたい。

「それにしても、あの子。高見歌子、だっけ?」

「はい」

「何で私に惚れたりしてたの?」

「はぁ。なんでも、この前久々に出てみた部活で真由様を見かけたらしくて。スコートでなく生パンで練習している姿に引かれたのだとか」

「つくづく変態なのね……」

「それもありますけど、惚れっぽくて飽きやすいんですね、きっと」

「迷惑な話ねぇ」

 罵り合いは続く。

「貴方、もしかしてロリコンなんじゃありません? なんだかんだ言いつつ、私に瞳ちゃんを取られるのが嫌なんでしょう」

「それを言うなら、お前は何だ。ロリコンでレズで、妄想癖のあるストーカーで詐欺師だろうが。ここまで見事に人道から外れた犯罪者も珍しいわ!」

「人を犯罪者呼ばわりしないで! 一体誰がいつ、犯罪に手を染めたというのですか!」

「いい加減に気づけぇぇっ!」

 醜い。そう思えるほど、二人の戦いは熾烈だった。熾烈で、だがどうしようもなく馬鹿らしくもある。いつの間にか、二人を中心にして人だかりができていた。別段騒ぎの中身を理解しているわけでもないのだろう。ただ騒がしい罵り合いに、周りが感化されたように盛り上がっている。

 その人ごみに紛れつつ、真由はぼやいた。

「はぁ。ま、いいけどさ。もともと、私は誰とも付き合う気ないし」

「そうなのですか?」

 驚いたようにこちらに向き直る喜和子に、真由は微笑んで見せた。

「うん。今はまだ、耕たちと馬鹿やってるほうが楽しいしね。それに、私ってきっと自分から告白するタイプじゃないし」

「?」

「私って、きっと自分から言い寄って、相手にその気があるって思わせて、向こうから告白してくるように仕向けるタイプなのよ。しかもそれを振る女なのよね」

「それじゃあまるっきり悪女だよ、お姉ちゃん」

 小さく抗議の声を上げる瞳を無視して、真由は続けた。

「ま、だから。月野さんの気持ちには答えられないかな」

 喜和子の目が見開かれる。真由はただじっと、彼女を見つめた。笑いもしない。同情もしない。悲しみも嬉しさもない顔で見つめる。

「手紙、読んでくださったのですか?」

「うん」

 言って、真由は胸ポケットから小さく折りたたまれた封筒の端だけを覗き見せた。

「嬉しかったのは確かだよ。ラブレターなんて初めてだし。ま、初めてが女の子からっていうのも、それはそれでショッキングなんだけど」

「……すみません」

「謝る必要はないと思うわ。ま、これが冗談っていうなら、話は別だけど」

「私は……っ!」

 言葉に詰まって、喜和子が言いよどむ。小さく笑って、真由は続けた。

「本気だと思ったから。だから、これが私の返事。酷だけど、泣かないでね。泣かないで話を聞いて。キーちゃん」

「……キーちゃん?」

 うつむいていた喜和子の顔が、多分の驚きを持って真由のほうを向いた。

「うん。喜和子だから、キーちゃん。いいでしょ? 友達なんだし」

「……友達?」

 目に涙を浮かべて、喜和子が呟く。ただ真由の言葉を反芻しただけのようだったが、真由は笑い返した。

「恋人にはなれないけど、友達ならなれる。長崎に転向してきたばかりでまだ馴染めてないのなら、私が初めての友達。そうして馬鹿やって騒いで、遊べばいい。手紙が嘘じゃないなら、もうひとつのお願い(・・・・・・・・・)だって嘘じゃないんでしょ?」

「……真由様」

「それもうやめて。真由でいいわ。これから友達になるの、私たちは。いい?」

「……は……い……」

「泣かないで、って言ったのに」

「はいっ」

 笑う。笑いながら、喜和子は泣いていた。泣きながら、笑う。喧騒さが強まる中で、三人は笑った。

 一方で──騒ぎはそろそろ収拾がつくらしかった。

「現在、千間坂通りの商店街で怪しい不審者二人を発見! 手配中の変質者の可能性あり。凶暴につき、応援求むっ!」

「ちょっと待て。誰が変質者だ!」

「そうです。誰が凶暴なのですか!」

 暴れながら、警官相手に問答を続けている二人に軽く手を振る。

(うん。恋なんて、まだ私には早いわ。だから──)

 格闘が始まる。耕介と歌子。そして数人の警官。繰り広げられるバトルロワイヤルに感極まる観衆。

(だからこれからも、親友でいてあげるわよ、耕……)

 ちらりと、視線を下にさげる。

 瞳はきっと気づいていないだろう。歌子に瞳を取られるのが嫌なのかと聞かれた耕介が、それを否定しなかったということに。

(ま、なるようにしかならないだろうけどね……)

 きっとここにいる誰よりも、乱闘している幼馴染の少年を案じている妹には気づかれないように──

 真由は独り、密かに笑った。

 

 

 余談だが。

 母・彰子に見捨てられた耕介が留置所から帰ってきたのは、それから一週間後のことだった。

 

 

   誰がために春は散る    完

 

 

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