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(誘拐生活二日目) どこぞのテレビ番組を思い浮かべながら、猿ぐつわをはめさせられているため声には出さずに(出せずに、が正解である)耕介は呻いた。口に溜まったつばをいやいや飲み込んで、空を──それをさえぎる廃工場の天井を見上げる。 見上げたところで何があるわけでもない。打ち捨てられたものが錆びれて行く様を見るのはさすがに気の長い話だった。 それはさておき。 「くか〜〜」 「…………」 鳴り響く奇怪な音に苛まれながら、耕介はゆっくりと視線をおろし、そのまま眼球だけを横に向けた。場違いないびきが、漂う空気や緊張感というものを根こそぎ壊してくれている。悩んでいることさえ馬鹿らしくなってくる顔で寝ているのは、耕介の幼馴染の少女だった。 手と足が縛られ猿ぐつわをはめられた状態で寝ているその彼女──千堂真由もまた、一昨日学校へ登校している最中に一緒に攫われて来たのである。 が、 (なんでこいつはこんな状況下で爆睡できるんだ?) そのあまりに誘拐された子供らしくない幼馴染の態度に心中で毒つきながら、耕介は自由の効かない身体をどうにか動かして、ひじで完全に熟睡している彼女を突いた。 「……にゅ?」 鼻風船をパンッと割ったかのように、真由が目を覚ます。もう一度小突くと、彼女は寝ぼけ眼でこちらを向いた。 (ほはひょー) (…………) おはようと、そう言いたいらしい。だが耕介は、確かに外はいい天気らしいが、とてもおはようといえる気分ではなかった。こちらは寝不足だというのに……と、妬みにも似た目線で疑念を投げかける。 (いいご身分だな。よく寝てられるよ) (何で?) その疑問自体がわからないといった風に、真由が首をかしげた。 (昨日も言ったけど、誘拐されたんだぞ? 俺たちは! どうなるかわからないじゃないか。殺されるかもしれないって、不安にならないか? 普通) (うーん) 考えることでもない気がするが、彼女はしばし黙考して、ようやく結論が出たように目を瞬かせた。どうもまだ思考が寝ていたらしい。 (ま、なるようにしかならないでしょ) (諦め早いな、おい) (……なら、耕、あんたなんとかできる?) (いや、無理だけど) 素人目にも、誘拐した男たちが只者ではないことは昨日の時点でわかっていたことだった。武器を持っている。手足の縛り方も手馴れていた。動かしてもびくともしないその手法は、犯人たちがその道に通じるものであることを示唆している。つまり、映画や漫画でしか見ないような裏業界の人間だということだ。 そんな連中相手に、無事にこの状況下から脱する手段を思いつけるほど、耕介は器用ではなかった。 (なら、開き直るが勝ちよ。殺すなら昨日の時点で殺してるでしょ?) (目的にもよると思うけどなぁ) そう意見すると、真由はようやくそこで目線を曇らせた。 (それなのよね。昨日も聞いてみたけど、目的教えてくれなかったでしょ?) (オーソドックスに身代金目当てとか) (あたしと耕の? 千堂家と槙原家、合わせてもたいした資産なんてないわよ、きっと) もっともな意見だった。耕介とて、その点については賛成である。槙原家は貧乏ではないが、決して誘拐の対象になるようなほど裕福な家でもない。千堂家とてきちんと把握しているわけではないが、小市民であることには違いなかった。 (アンタだけだと小母様あたりにあっさりと見捨てられる可能性を考慮して、あたしを巻き込んだとか……) (おいおい) さすがにそれはないだろうと、耕介は突っ込みを入れた。いくら天上天下唯我独尊な──と、耕介や真由が思っているような──母親でも、誘拐された息子を見捨てるとは思いたくない。 (他の線で言うと……?) (怨恨とか) 再び唸る。だとして、誘拐されて脅しを受けるほど怨まれる人物が両家を通しているだろうか。が、二人はほぼ同時に同じ結論に至った。 (可能性が一番高いのは……) (お袋か?) 耕介の母・彰子の顔が浮ぶ。想像の中の彼女は腰に両手をやり、胸を張って笑っていた。無残に倒された亡者たちの上に仁王立ちして。 一気に生気が失せた。二人そろってため息を吐く──まねをする。 (…………あ、ありえそうで怖い) (っていうか、あの人、敵はきっぱりと斬り捨てるタイプでしょ? これまで何人血の海に沈めてきたのよ) (俺が知るかよ! っつーか、それだとやっぱりお前を巻き込む理由にはならないじゃないか!) (それもそうよねぇ……) 結局、そこで行き詰る。いくら考えても予測の範疇を出ないのだから、議論するだけ無駄な気がしないでもなかった。が、やることがないのも事実である。誘拐犯は耕介たちをここに縛り付けると、定時に食事を持ってくるとき以外決して近寄らないのだ。 (どういうつもりかしら) (さあね。っと、そろそろ食事だろ?) 腹時計というのはこういうときには役に立った。普段から規則的な食事を取っているせいで、時間が来れば腹が減る。運動部に入っている真由などは、耕介よりも顕著に空腹を訴えていた。 と── 「面白いことするな、お前たち」 いつからいたのか、普段の食事番とは違う男の声が耕介のすぐ後ろから聞こえた。振り向きたくてもできないので、視線だけを後ろを向ける。 そこにいたのは金髪を逆立てた若い男だった。身長的には同程度だが、耕介よりも年は上である。釣り目気味のその相貌が何故かニヤニヤと歪んでいるせいで、どうにもしまりがないように見えた。 「もが(飯)?」 「ああ、朝飯だ」 問いかけを理解したらしい。食事を入れた袋を手に苦笑しながら前に回りこんでくると、男はさらにからかうような口調で笑みを浮かべた。 「それにしてもいいねぇ、若いってのは」 そう言う男も、まだ年齢的には二十歳前後のはずである。 「アイ・コンタクトで会話なんて、よっぽどツーカーでないと出来ない芸当だぜ? いいよなぁ、彼氏彼女っていうのも」 『…………』 何を言われたのか。理解するのは至難の技だった。 思考が停止する。人質二人の間に通う空気が凍りついた。 (……は?) その疑問の呻きが、もがもがと声を発したらしい。食事時ということもあって、男はさして躊躇することなくまずは真由の猿ぐつわをはずした。ついで耕介のそれをはずしたちょうどそのとき、案の定、叫び声が耳元で木霊する。 溜まっていたつばを飲み込んだ分だけロスタイムがあったらしいが、それだけに溜め込まれた怒声が廃工場全域に轟き渡った。 「ちょっと待ちなさい! よりにもよって変な勘違いしないで!」 「そうなのか? 結構お似合いだと思うが」 ああ、やめろ。それ以上、地雷を踏まないでくれ──という、こちらの願いもむなしく、男はからかうように笑う。予想通り、真由の怒声は更に高鳴った。 「ふっざけるんじゃないわよ! なんであたしがこいつと恋人同士にならないといけないわけ? そんなことになるくらいなら死んだほうがましよ! ただでさえ年下にしか欲情しないような変態なんだから、この妹好きは!」 「ちょっと待て」 が、さすがに我慢ならなかった。喧嘩を売られて遠慮するほど耕介は殊勝ではない。特にその相手が彼女の場合は。 「それは俺の台詞だ。俺とお前が恋人同士? 天地がひっくり返ってミックスされても絶対にありえないね!」 「言ったわね、図体がでかいだけのロリコンのくせに!」 「言ったがどうした! この究極破壊電波女! 違うって言うなら、先月お前が壊した学校の備品の弁償合計額、今この場で提示してやろうか? 行動範囲広げるたびに破壊活動起こしてんじゃねぇよ!」 「何でアンタがそんなこと知ってるのよ! それは校長に部外秘だってあれほど脅したはずなのに!」 「脅してる時点で犯罪だろうが! って、そうか! 校長が最近腰痛で学校休みがちなのは、お前の電波のせいか!」 「人を勝手に怪電波発生源にしてんじゃないわよ!」 「ちょ、ちょっと二人とも待て! 落ち着け! 喧嘩はよくない!」 際限なく怒声が飛び交う二人を引き離すように、男が割って入ってくる。が── 『アンタが黙れ!』 人質二人はあっさりとそれを一蹴した。 「誘拐犯に喧嘩するなって言われたって納得できるか! 説得力ないだろうが!」 「そもそも喧嘩じゃないわよ、これは」 「……じゃ、一体何なんだ?」 微妙に後退りながら、男が聞いた。二人は同時に、示し合わせることなく声をユニゾンさせる。 『責任の押し付け合い』 「…………」 男は黙った。二人は彼が納得してくれたものだと判断して、再び言い合いを開始する。 「そういえばさっきから聞いてれば、何かと俺のせいにしてくれやがって。違ったらどうしてくれる!」 「そしたら耕の言うことなんでも聞いてあげるわよ。逆もいいわね?」 「OK! 受けて立とうじゃないか」 「あのさぁ……」 ヒートアップしていくこちらから微妙に距離をとりながら、控えめに、金髪ウニ頭が意見した。 「逃げられない状況下でそういう議論しても、果てしなく無意味だと思うんだが……」 『…………』 しばし、黙る。耕介と真由はそろって虚空を見上げ、同時にため息を吐いた。 「確かにその通りね」 「不毛な戦いだった」 「疲れたわ」 「腹減ったな」 「ご飯ちょーだい」 「……お前ら……自分たちが人質だっていう自覚、全っ然ないだろ?」 男の呆れたような突っ込みも、二人はあっさりと無視した。相手の唾でどろどろになった顔を袖でぬぐい、出された食事に手を伸ばす。コンビニ弁当ではあったが、男はそれなりに気を遣ってくれたらしい。中身はまだ温かかった。 「で──?」 腹が減っては何とやら。とにかく耕介は胃袋へ食事を流し込んだ。戦うには力が要る。特にすぐ傍に──どちらかというと、前より横に──敵がいるのだ。油断はならなかった。 「結局、何であたしたちを誘拐したのか、教えてくれないの?」 「うーん。依頼人からは何も応えるなって言われてるからな」 男は二人の──特に真由の食べっぷりに関心を抱きながら苦笑した。 「んじゃ、これは俺の独り言だけど……」 「ん?」 「何で犯人は俺たちを誘拐したんだろうなぁ」 目の前にいる男に聞くわけでもなく、耕介はただ天井に視線を向けながら呟いた。耕介の意図を理解したらしい男が、ニヤリと笑みを浮かべる。それはある種の賭けだった。彼はこちらを面白がっている。なら、乗ってくれれば少なくとも会話くらいは出来ると思ったのだ。 「んー、まぁ……いいか。それで俺が困るわけじゃなし。そのほうが面白そうだしな」 男はしばし迷ったようだったが、やがて意を決したように声を潜めた。 「んじゃ、ここからは俺の独り言だ。誘拐対象者──槙原耕介は、三日前の夜、ある男と接触した。男の名前は名鳥十四郎。世界有数の名鳥財閥の跡取り息子だ。まぁ、ニュースや新聞を読まないお子様以外は、誰でも知っているような財政会の有名人なんだが……」 「とんかつ一枚とコロッケ半分交換でどうだ?」 「いいけど。ついでに梅干も食べて。あたしこの硬いタイプのやつ嫌いなのよね」 「人の話を聞け、お前ら!」 男が怒声を上げる。ぴったり同じ動作で食事の手を止めて、二人は顔を上げた。 「んなこと言われても……大体、その名鳥十四郎……だっけ? 知ってるか? 真由」 「ううん。知らない」 「お前らもう中学生だろうが。ちょっとはニュースくらい見ろよ」 反論しようがなかった。それに今のは男の独り言である。独り言に返事を返すのはルール違反だった。 「まぁいい。んで、その名鳥の家は古くからある医者の家系で、その血筋がまた複雑でね。特に彼の曽々祖父が有能だったくせにひどい女好きで、ここで血筋が大きく膨れ上がった。で、当然のごとく先々代から後継者争奪戦が勃発。最終的にそれを得た名鳥十四郎の祖父は、一族の中でも歴代最高クラスの実力者として経済界に君臨した。名鳥のトップって言うのは、とんでもない競争率の上に成り立つ最上の地位でもあるのはもとより、全てを賭けるだけの見返りがあるのさ」 ま、金持ちにありがちな権力争いだな。と、男は肩をすくめて見せた。 「その最有力候補が今のところ名鳥十四郎だ。このままいけば彼が家督を継ぐことになる。とは言っても、それもこれから数年かけて、一族全体で吟味されるんだが、成績次第では他の人間だって可能性は十分にある。だからその獲得のために、候補たちは血なまこで真面目に仕事をしていたんだが、九州長崎支社の支社長を勤めていた分家の血縁者は無能じゃないが凡才でね。候補の末端の、さらに端っこの片隅に繰り上がりで入れた自分に勝ち目がないということがわかっていたんで、切れたのさ。つまり──」 指先を頭に押し付けて、弾く動作をする。 「謀反を起こした。周到に準備を整え、十四郎が支社に視察に来るときを見計らって決行。裏業界のスイーパーを雇って奴に重傷を負わせ、本社のスパコンから情報を引き出せるパーソナルキーを奪取した後、名鳥財閥の情報網を制圧するというのが作戦だ。が、最後のところでへまをした。つまり逃げられたのさ。それを助けたのが……」 「……俺か」 「ご名答」 「これって独り言じゃなかったの?」 「おっと、まずい」 慌てたように口に両手を当てる動作は、腹が立つほどわざとらしかった。 「ともかく、パーソナルキーはまだ十四郎が持っている。奴が神逆診療所に助けられたなら、すでに動けるくらいは回復しているはずだ。そうなる前に奪取したかったんだが、あの女には俺たちでさえおいそれと手を出せなくてね。なので、君らにご足労願ったのさ。君にパーソナルキーを渡した可能性だって、誘拐当時はまだあったからな」 もはや独り言の範疇を超えた話し方だったが、あえて突っ込みはしなかった。 「それじゃ、なんであたしまで誘拐されたわけ? その男の人と何の接点もないわよ?」 真由が聞くと、男はかなり申し訳なさそうに眉をひそめた。 「……えーと、これは非常に言いにくいんだが。なぁ、頼むから落ち着いて聞けよ? 実は……君はただのついでだったりするんだな、これが」 …………………… 「はぁ?」 場が凍る。男は二人の表情を見比べて軽く苦笑した。 「だから、お嬢ちゃんを誘拐したのはついでなんだ。もののはずみ、その場のノリって奴? ま、彼と一緒に登校してたのが運のツキって事で、その辺は諦めてくれ」 一方の耕介は心臓を握りつぶされたかと思ったほどショックだった。痛みしか感じない空気の中で── 「…………」 ギリギリと、歯車がきしむような音を立てながら、真由がこちらを向く。その表情は知れない。恐ろしくて凝視できなかった。 ゆっくりと歯噛みするような彼女の声が、耕介の耳に届いた。 「あたしの勝ちね。耕……」 「…………」 返答はしなかった。沈黙を肯定と受け取ったのか、空気が漏れ出るような甲高い笑い声が上がる。 「さぁて、どうしてくれようか。何かをおごらせるなんて程度じゃ、もったいないしね。そもそも生きて帰れるかどうかもわかんないんだし……ククク」 舌なめずりする音を強制的に思考から排除して、 「…………なぁ」 耕介は近くの味方ではなく、少し離れた敵に向かって懇願した。 「助けてくれないか? むしろ隣から」 「救援を求める相手が違うと思うぞ、絶対」 その耕介の身体を、がしりと真由が掴む。 「この期に及んで逃げるなんて事は許さないわよ〜。もともとアンタのせいなんだから、自分で責任くらいはとりなさいよね〜。例えこの場で助かっても、地獄の果てまで追いかけるわよ〜〜クククククク……」 「わ、わかったからひっつくな! お前の顔のほうが怖いっての!」 「……ま、まぁ、二人とも落ち着けって」 何やら仕返しをする自分に陶酔している真由に苦笑しながら、男は二人の両手を再び縛り付けて、身動きが出来ないように処置する。 「とりあえず、報復は後で考えればいいだろ? 悪いが、もうしばらくこのままでいてもらう。ああ、猿ぐつわははずしておくよ。無意味に叫んだり、ましてや逃げたりはしないだろ?」 それは確認というよりは、懇願に近かった。俺はそちらの要望に応えたんだから、少なくともその恩くらいは返せよ、と。男は目線でそう語っている。 仕方なしに──というより、逃げる算段なんぞ全く考えていなかったのだが、二人は素直に頷いた。どちらにしても逃げる手立てはなかった。 そうして男が去った後、 「ククク……」 二人残された空間に、ただ陰気な幼い笑い声が響く。 耕介は絶望的な瞳で虚空を見上げた。 逃げられない。 きっと、自分の命はここで散る。 たった今、唯一の味方であるはずの同士は、完全に敵に回ったのだから。 涙がピチャンと地面をぬらした。
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