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名鳥財閥の創始は江戸時代にまで遡る。今の北九州市あたりに端を欲した医師の家系は、明治に入って後は医業よりも事業経営のほうに力を注ぎ、そしてその才能は遺憾なく発揮された。数年で名鳥グループという名前を全国に売り、医療関係企業の代名詞とまで言われるに至ったのは、しかし当代たちの実力だけではなかった。 当時は貴族でも華族でもなかった彼らは、文字通り成金だった。が、医療というのは人の命に関わる仕事である。政府役人から貴族にいたる『高貴』に属する者たちでさえ、医師と関わらず生きていける者はいない。決して安定していたとは言えない時代──自然と彼らの秘密に接することになっていった名鳥の人間たちは、それを『餌』にして肥大した。 同じ要領で、明治、大正、昭和──数度行われた戦争を加速機として世界へ飛躍する。バブル崩壊でさえ予期していた彼らは、慌てふためく他企業を尻目に成長を続けた。それを鑑みれば、確かに彼らには商売の才能があったことになる。何より、時代の流れを読むことに長けていたのは大きな武器だった。 そうして平成に入る頃にはすでに世界でも有数の財閥となっていた彼らに敵はいなかった。他にも規模を同じくする組織は皆無ではなかったが、むしろ彼らとは進んで敵対行為を避けるきらいがあった。それは単に、世界経済の破綻を嫌って衝突が自然回避されたというだけに過ぎないが、とにもかくにも名鳥の力は世界に羽ばたいたのである。 もはや何者も彼らを阻むものなどない──かのように思われた。 間違いに気づいたのは、まさしく彼ら自身だった。それは考え方を変えれば運が良かったといえるかもしれない。少なくとも、ライバルに足をとられることはなかったわけだから。 確かに敵はいた。 名鳥にとって最大の敵──それは何のことはない、もっとも身近な者だった。名鳥を受け継ぐ血脈そのもの。 彼らの敵は、彼ら自身だったのだ。
◇
(権力争いが絶えないよな、あの一族も) 男は少年少女が見えなくなった辺りで、そっと呟いた。周囲は静かで、廃棄された鉄骨が山になっている。沿岸部であるから潮の香りも強かった。 「さて、あの坊主たちはどうするかね」 「後、数分で依頼人がこちらに来るそうです。それまでに人質は殺しておけという命令が来てますが?」 すぐ傍まで来ていた部下が、彼にしか聞こえない音量でささやいた。 「命令ねぇ」 あきれを多分に含んだ声で、彼は笑った。その反応を否定と受け取ったらしい部下が、怪訝に眉をひそめる。 「よろしいんですか?」 「ま、俺たち以外にも何人か雇っているみたいだし、ここはとりあえず静観しておこう。人質を殺したら交渉もくそもないだろ? その辺がわかってないのさ、依頼人様は。もとより人質なんて意味がないことさえわかっていないとくりゃ、こっちが自己判断で動くしかないだろ。それに……」 「それに?」 「あの二人、殺してしまうにはもったいない気がする」 「もったいない……ですか?」 「ああ。さっきの会話、聞いてたろ? 中々に面白いぞ、あいつら」 久々に興味を抱く人間に出会えたことに、彼は内心、心躍っていた。 彼らは信じていない。こちらのことを。 だというのに、自分たちが死ぬとは思っていない。だが決して殺されないとも思っていない。矛盾した心理だが、その違いは大きかった。 ただの楽観主義とか、現実逃避とかではなく、単純に生き延びるだろう事を信じているのである。理解不可能な──不安と恐怖に駆られるような状況下で、『生きて帰る』ということを信じる、または不思議に思わないというのは、ひどく労力が要るのだ。 疑念と欺瞞。他者を蹴落としてでも生きたいという醜い感情。それすら彼らにはない。 これを稀少といわずになんと言おうか。 (ま、単に何も考えてないだけかもしれないが) それならそれで、いい度胸の持ち主である。 「しばらく様子を見ようか。面白ければ生かして返すし、つまらなければ……まぁそのとき考えるさ。それよりも、お前は先に警察やあいつらの実家に行って根回ししてきてくれ。マスコミがかぎつける前に、事件はもみ消さないとな」 本気とも冗談とも取れる彼の物言いに、部下がさらに眉間にしわを寄せた。
◇
名鳥十四郎は自分が置かれた状況を振り返って、心底嫌なため息を吐いた。 手は打った。裏切り者が牛耳る長崎支社へは、彼自身が名鳥家とは関係ないところで集めた『忠臣』達を向かわせている。時間的、物理的制約で五人しか集められなかったが、それでも片田舎の支社一つを制圧し返すのには十分な戦力だった。 問題は、彼自身の身の置き場のほうである。神逆無月から仕入れた情報によれば、誘拐された槙原耕介と千堂真由の居場所は人気のない廃工場だという。定番といえばその通りだったが、敵の情報管理の甘さにも嫌気が差していた。 「つまり、こっちから出向けって事だよな」 誘っている。罠だということはわかっていた。敵が何を狙っているかも理解している。彼らは自分を殺しはしないだろう。パーソナルキーは、ただそれがあるだけでは起動しない。調べればそのくらいはわかるだろうから、問題なのは十四郎本人より人質二人のほうだった。 「すんなり交渉に応じてくれるといいんだが」 助けるか否か。だが十四郎は、可能なら、という点であっさりと方針を決めた。無理なら諦める。可哀相だが、優先すべきは人命救助ではなく、パーソナルキーというただ一点だった。 廃工場、一歩手前で現状を確認する。コートの下にいくつか持っている武器と、その弾数もまた目を通しておく。拳銃がたった二丁。サブマシンガンを調達できなかったのは痛手だったが、個人が単独で、金銭的余裕も時間的猶予もなく、ましてや周囲の人脈にコネもない状況下で用意するのはこれが限界だった。 敵の親玉は意外と賢しく、長崎市内で名鳥の(特に十四郎の)名前が使えるもの全てをシャットアウトしたのである。本社に連絡を取れば当然、長崎市支社の謀反も知れる。そうなれば、無関係な人間も巻き込むことになる。それは絶対に出来なかったし、また長崎市から出れば何とかできようが、それには時間がなさ過ぎた。 「ま、これを持って出られただけでも上出来か」 腰に差した、一本の愛刀を意識する。 銀色に輝く西洋製の剣。アナイアレイト・リーチソークアタッカーと呼ばれるその剣は、略称として製作者の名をとりラウクリフの魔剣、または銀の剣と呼ばれる希代の名剣であり、彼にとって最も愛着のある武器だった。 それらを確認して、彼は歩を進めた。歩くこと数分。前方に見える廃工場跡地、その中央の広場に高級車数台が止まっていた。さらにその中心には見知った男が立っている。大仰にふんぞり返っているらしいが、もとよりやせ気味のひょろりとした風体であるため、あまり様にはなっていなかった。周囲にいるガードマンたちの屈強さに押しやられて、むしろ憐憫さえ感じさせる。 「……来たな、十四郎くん」 齢にして四十を超える男が言った。十四郎からすれば、すでに何等親離れているかもわからないような遠縁である。関係を思い起こせるような接点もない。今すぐ銃で撃ち殺したい気持ちに駆られたが、人質二人を助け出さないことにはそれもままならなかった。 「で?」 用件は何だと、十四郎は視線で問いかけた。わかっていることではあるが、それを認めるわけにはいかなかった。 「パーソナルキーがほしい。君の眼球、指紋、声紋、血液によるDNA反応、全てと人質を交換だ」 予想通りの展開だった。敵はこちらが抵抗しないものだと思っている。人質に価値があると信じている。 「断る」 だからこそ、十四郎のその言葉は敵にとって驚愕を与えたに違いなかった。 「──っ!? し、正気か? ……フン! それとも我々が本気でないと思っているのか? だったら残念だったな」 慌てて取り繕うその表情には、威厳も何もあったものではなかった。 「姫月! いいからあのガキどもを殺せ。そうすればこちらが本気だということもわかるだろう」 「え!? マジで?」 何やら驚いたように、傍にいた金髪男が素っ頓狂な声を上げた。この事態を他人事のように傍観していたせいか、話しかけられたこと自体に驚愕した様子で依頼者に向き直る。耳をかきながらいかにも面倒臭そうにしてみせる態度の暗殺者に、主犯の男は金切り声を上げた。 「当たり前だ! そのためにお前を雇ったんだからな。殺し屋だろう? だったらさっさと殺して来い!」 「殺し屋じゃなくて暗殺者なんだが、まぁそれはどうでもいいか。んで、あいつら殺せって事だけど、それはさっきも言っただろ? 人質に意味はないって。その価値もない。あいつら殺したところで、十四郎は多分全然堪えないぜ?」 「な、何んだと!?」 十四郎本人がさっきからそう言っているのだが、男は全く信じていなかったらしい。一方金髪のほうは何やらニヤついた笑みを浮かべて、あからさまに呆れたように肩をすくめて見せた。 金髪の言葉を証明して見せるかのように、十四郎は不敵な笑みを浮かべて一歩足を前に進める。敵の首領が軽く腰を引いた。 「ひ、人質がどうなってもいいのか?」 「別にかまわんさ。俺は警察じゃないし、他人の安全を護る義理も義務もないな」 「あ、あの餓鬼は君の命の恩人だろう?」 慌てて男が指差した向こうには、堤防にくくりつけられた少年少女がこちらの成り行きを見守っていた。彼らのすぐ後ろは海である。だが特に死に面しているわけでも、銃を突きつけられて脅えているわけでもない。爆弾がある可能性は否定できなかったが、十四郎はその意見もあっさりと却下した。この男がそんな派手な仕掛けをするとは思えない。彼が小心者だということは先刻承知である。騒ぎ立てて事件が外部に漏れるようなことをするはずがなかった。 「まぁ恩を仇で返すのは確かに気が進まないが……」 袖に隠し持っていた拳銃を引き抜く。 「運が悪かったと思って諦めてもらおう」 「な──っ! 貴様それでも人間か!」 その驚いている隙に、十四郎は問答無用で銃を発砲した。比較的重武装の三人を残して、十発全てを命中させて他ボディーガードを無効化する。敵の顔が驚愕と緊張で歪んだ。さすがにいきなり発砲してくるとは思っていなかったに違いない。 だがその甘さが──さらに言えば、その感情の揺らぎそのものが命取りだと、その場にいた何人が気づいただろうか。その一瞬で、十四郎は間合いをつめていた。 「人を撃ち殺そうとしたお前に言われる筋合いはないな」 敵の首領のすぐ傍でささやく。男のぎょっとした顔に満足しながら、十四郎は残った連中の始末にかかった。右手に持っていた銃を放り投げる。武器を手放したことに仰天した敵の胸元にベレッタを数発叩き込むと、十四郎は返す刀で残り二人の銃を文字通り斬り捨てた。 銀の刃が宙に煌く。砲塔を失った弾丸が暴発して敵二人をあっさりと吹き飛ばし、周囲を灰色に染めた。やがて白煙晴れた沈黙の果てに、十四郎と事件の張本人、そして姫月と呼ばれた暗殺者だけが残る。 その暗殺者は無視して、十四郎は倒れ伏した敵を見下ろした。 「……仕返しのつもりだったんだが……」 文句が自然と漏れ出た。敵のあまりの三流ぶりに不満を隠せなかったのだ。不完全燃焼なことこの上ない。傷を受けたお返しのつもりで残した三人も、十四郎にとっては三流以下に過ぎなかった。 「ま、いいか」 気を取り直して事件の張本人に詰め寄る。青ざめたその顔にゆっくりと銃を向けると、何パーセント混じっているかもわからない同じ血の持ち主は、腰を抜かして裏返った声を上げた。 「ひぅっ!」 「喧嘩を売る相手が悪かったな」 名鳥の後継者であるなら、己の身くらい護れなければ意味がない。盾を用意してその後ろで隠れているのではなく、全ての先導に立って銃弾の嵐に飛び込まなくてはならないのだ。 知識、実力、才能、そして心構え。この男は全てにおいて名鳥を名乗る資格がなかった。むしろ、こんな男に出し抜かれて重傷を負ったことを恥とすら思えてくる。 「生か死か。最後に選ばせてやろうか?」 「わ、私を殺すというのか? そ、そうだ。姫月……姫月はまだ無事だろう? おい、姫月はどうした?」 「あいつなら、あそこ」 あごで金髪男のいる場所を示すと、敵は血走った眼球をそちらに向けて、そしてそのまま硬直した。信じられないものを見たように、くぼんだ目がさらに浮き出る。ミイラのようなその視線が向けられた先──雇われの暗殺者、姫月と呼ばれたその金髪の男は人質二人を解放しているところだった。 「な、何故だ? あ、あいつは──」 「暗殺者ギルド『リバース・D』の頭領、姫月陸王、だろう?」 その言葉の続きを、十四郎が受け継ぐ。 「お前、あいつに仕事を依頼するとき、きちんとした手順で契約を交わしたか?」 「な──にを……」 言っているのか。彼にはわからなかったのだろう。目が文字通り点になる。 「口約束程度であいつを雇った気でいたのならとんだ間抜けだ。あれは仕事に対してはプロフェッショナル気質だから、一度交わした契約は絶対に遵守する。逆に言えば、そうでない仕事は己の判断で動くんだ」 敵は何も言わなかった。銃口を向けている十四郎ではなく、姫月のほうをじっと睨んでいる。それに気づいた暗殺者が、してやったりといわんばかりに満面の笑顔を──その白い歯を見せて、ピースサインを掲げた。 「その判断ってのいうのが、あれだ。見ればわかると思うが、あいつが一番面白いと思うやり方で動く。勝手気ままに他人を巻き込んで、どれだけ事態が面白おかしくなるかという点だけを追求する」 「な、なんでそんなこと……」 何故そんなことをするのか。それは十四郎にもわからなかった。強いてあげるなら、それが姫月陸王の人間性だから、としか言いようがない。だが何故そのようなことを知っているのかと聞かれたのなら答えは簡単だった。そしてその上で、今回彼がどうして偽の依頼人を裏切った(その表現は正しくない。正確にはもてあそんだ)のかという点についても、その答えは至極容易に導き出せた。 「ああ、俺とあいつは幼馴染だからな。今回に限って言えば、俺に貸しでも作る気でいるんだろ?」 「…………」 男の顔が、哀れみすら感じさせる青ざめた形相が、こちらにゆっくりと向いた。声はなかった。ぽかんと口を開けて、瞬きすら忘れて眼前の銃口を凝視する。 「これでわかっただろう? お前の敗因は俺に喧嘩を売ったこと、あんた自身に才能がなかったこと、姫月陸王を内側に入れたこと、それ以上に運がなかったこと、そして──」 引き金に指を置く。躊躇はしなかった。 「ひっ!」 男の悲鳴さえ無視して、その指に力をこめる。故に、 「何より、『名鳥』の存在意義を忘れたことだ。生き残る覚悟と能力のないお前にどうにかできるほど、この家は甘くない」 その声が男に届いたかどうかはわからなかった。肩と足に数発。それだけであっさりと気を失った男が地に崩れ落ちる。決して少なくない量の血がアスファルトに流れ出たが、十四郎は気にしなかった。むしろ感謝してほしいくらいの気持ちで男の身体を軽く蹴り上げる。命を奪わなかったのは、この様子を見ていた無関係な少年少女たちに、唯一気を遣ったからだった。 「やれやれ、もう終わりか?」 不満の残った感情をもてあましながら、十四郎は一件落着のため息を吐いた。
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