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『銀の悪魔』と呼ばれる男がいる。
幼い頃、祖父の死んでいく様子を目の当たりにすることで心に大きな傷を受けた彼は、その事件から数年後──それは今から七年ほど前──祖父の死の再現をすべく、自ら行動に移し始めた。
その欲求の原因が本当にそれであったかどうかはわからない。しかし、それは間違いなく『銀の悪魔』誕生の引き金であったのだ。
何故なら、まだ少年だった彼が犯した殺人行為は、全てが過去の傷に収束する最悪のものだったからだ。彼を診た医師によって『死有現象依存障害』と断定された後も、少年の殺人活動は続けられる。
合計にして、何人が彼の手にかかっただろうか。
そのうち、表沙汰になったものが七件。新聞をはじめとする報道機関によって、犯人は『銀の悪魔』と仮称されるが、未だ逮捕には至っていない。
当然だった。犯人と警察庁の間の関係を考えれば、誰にでも分かることだった。事実上の捜査打ち切りは無論表沙汰にはなっていないが、七年間、犯人逮捕に何の進展もない事件であるだけに(捜査していないのだから当然だが)、『銀の悪魔』の名は今ではもう都市伝説扱いになっている。
だがそれも無理はないと、神逆無月は思っていた。
彼の異名は、彼の手にかかって殺された被害者の血液が、傷口付近のみ『銀』に変化していたことに由来している。とうてい科学的でないこの奇怪な現実に、当時の日本、特に犯行のあった長崎市内は恐怖に震え上がった。
今もなお、その犯人を知る者は少ない。被害者の血液が『銀』に変化する理由を知る者もまた然りだ。
だが、当事者である彼は言う。
「俺は後悔していない」
その言葉が本当かどうか。それが問われる時がきたのだと、彼を知る無月は考える。
それを快く思わない者たちによって、今また殺人事件が起きたのだ。彼はそれを清算しなければならないだろう。これは義務だ。
その上で、考えればいい。
償いが必要かどうか。償うべきか、否か。それを決めるのは他人でも、社会定義でも、警察でも裁判官でもない。彼自身なのだから。
◇
「いらっしゃいませ」
という定例句を耳にして、名鳥十四郎は初めて自分が今いる場所を自覚した。
長崎市、千間坂通りの一角。洋食屋『サフラン』である。実家が北九州市にある彼が、長崎に来た時に必ず立ち寄る店の一つでもあった。習慣に近いものがあったからだろうか、
神逆診療所を出た後、無意識のうちにここへ足を向けていたらしい。ドアを押して、中に入った記憶さえなかったことに少なからずショックを受けながら、十四郎は自分に声をかけた店員を見やった。
「真由ちゃん?」
私服に『サフラン』のロゴが入ったエプロン姿で店内を行き来していたのは、十四郎にとって馴染みのある少女だった。
深緑の髪が印象的な少女──千堂真由は、常連であるはずの自分が店内入口で突っ立っていることを不審に思ったらしく、訝しげにこちらを見ていた。
「十四郎さん? そんなとこ突っ立ってどうしたの?」
「あ、ああ。いや……別に。真由ちゃんは、手伝い?」
「そう。忙しい時間帯だってのに、耕の奴ってばいないらしいのよ。んで、臨時のバイトしてるってわけ」
「……耕介、いないのか」
「何? 耕に用事?」
「いや、そういうわけじゃないんだけど……」
「……とりあえず座ったら? 注文、後でもいいでしょ?」
「ああ、お構いなく。手が開いてからでいいよ」
勝手知ったる店内を歩き、十四郎は指定席ともいえるカウンターのほうへ向かった。運良く──というよりも、ここが指定席ということを知っているこの街の店の客たちは、どれだけ込み合おうとこのカウンターに座ることはない。
そのことはわかっていたのだが、席が空いていたことに幾分か気分を良くしながら、十四郎は席に着いた。
「耕介、どこ行ったんですか?」
「いや、聞いてないよ」
幾ばくか機嫌の悪い声で、キッチンの中から返答したのは、耕介の兄である祐司だった。ここ『サフラン』のコックでもある彼は、店の手伝いもしない弟に憤りを感じているらしかった。
「連絡付くようなら、呼んでくれないかな? 今忙しい時間帯だってこと、あいつだって知らないわけじゃないだろうに」
「……いつもなら手伝ってますよね」
「まぁね。お袋に言われて嫌々みたいだけど」
と、この部分は小声で、祐司は言った。
「何かあったのか……」
「何かって?」
独り言のつもりだったのが、不意に聞き返されて、十四郎はなんと応えたものか迷った。とは言え、別段迷う必要も隠す必要もない。何かしら心配ごとがあるとするなら、それは例の事件のことくらいだった。
「ああ、えーと。今朝新聞に出てた殺人事件のことです」
料理をする手を止めずに、祐司が相槌を打った。
「ああ、あれね。まぁこの辺は危険だからね。七年前の事件以来、逆に殺人だけは起きなかったのが不思議だよ」
「…………」
「あ、ごめん。君たちが出来てからは、結構治安よくなってるんだ。その辺、住民はちゃんとわかってるよ」
こちらの無言の態度に、祐司は慌てたようにフォローを入れた。
それに愛想笑いを浮かべながらも、十四郎は別のことを考えていた。
今現在、『HELL&HEAVEN』を結成して二ヶ月半が経つ。今の幹部は十四郎と、耕介。そして姫月陸王という十四郎の幼馴染の三人で構成されている。三人でチームを作り、この長崎市内に幅を利かせる不良を制圧し終わったのは、ほんの一週間前のことだ。
次の活動は、市外、県外である。
他のチームを制圧する上で、『HELL&HEAVEN』が彼らに厳命した規則は、その第一項目から一貫していた。
「何をしようと、一般人に迷惑をかけるな」というものである。
それを破った者たちへの粛清は、ここ一ヶ月でいやと言うほど行ってきた。いい加減、組み敷かれた連中も学習する頃だろう。いくら馬鹿でも、幹部三人に敵うかどうかくらいは理解するはずだ。
だがそうした矢先に、殺人事件が起こった。それも、ここ長崎市内。『HELL&HEAVEN』の支配領域の中心たる『裏界』で。
(荒れるな……)
これを機に、なにかしら行動を起こす者は出てくるだろう。だがそれも少しは先のことだ。今心配なのは、ここからそう遠くないところで起こった殺人についてだった。
「犯人探し、してなきゃいいけど……」
「まさか」
祐司が軽く笑う。カウンターからは見えないキッチンの奥で、おしゃべりに気づいた耕介と祐司の母・彰子が檄を飛ばす。年齢の近い者どうし、お互いに肩をすくめて、会話は終わった。
と──
ガランッとドアベルが鳴り、勢い良くドアを開けて入ってきたのは、話題に上がっていた耕介当人だった。
「耕! いままで一体どこにいたのよ!」
それを見つけた真由が怒鳴りつける。が、息を切らせるようにしてやってきた少年は、それさえも無視してこちらにやってきた。
心なしか、彼の顔は青ざめていた。訝しげに思いながらも、笑顔で「おかえり」と言うと、彼は自分がここにいることに安堵したかのように深呼吸した。
「よかった、いてくれて。陸王は見つかんないし、十四郎までつかまらなかったらどうしようかと思った」
「何かあったのか?」
「今すぐ一緒に来てくれ!」
かなり切羽詰った様子で、耕介は言った。
「耕介?」
「耕介! アンタ、店も手伝わないで一体何して──!」
「説教なら後で聞くから!」
キッチンの奥からやってきた彰子に怒鳴り返して、耕介はもう一度こちらを見た。
「十四郎」
(ここでは出来ない話か……)
それくらいは想像が付いた。何かあったのだ。ひょっとすると、もう誰かが自分たち『HELL&HEAVEN』を倒すための策略を発動させたのかもしれない。
「わかった。彰子さん、すみません。耕介をしばらく借ります。何かあったら連絡入れますから」
「………………わかったわよ」
その一言で、耕介は救われたようにほっと一息ついていた。睨みつけていた真由にも謝って、二人は店を出た。
その後は、まさしく忙しなかった。耕介について千間坂通りを下り、裏道から隣町、そして裏界へと入っていく。
三十分ほど経っただろうか。誰も通らないような路地裏から、十四郎は血の臭いをかいだ。
「まさか……」
その先にあるもの。背中をばっさりと切られ、その斬り口が銀色に光っているそれをみつけて、十四郎は呻いた。
二人目の犠牲者だった。