5

 

 結局、二人は移動しなかった。

 十四郎は話した。自分が知る限り全てを。過去の話。祖父の話。死有現象依存障害である自分が、死体を見たときに沸き起こる感情についての話。『銀の剣(シルバー・ブレード)』の話。

 その間、耕介は一通り黙って聞いていた。時折、意味の分からない単語や事情を質問してきたが、それくらいだった。

「俺が殺した者たちの中に、その使用人の家族、友人、恋人など、何らかの形で近しい人間がいたんだろう」

「使用人と犯人の関係は?」

「わからん」

「何で?」

「剣が盗まれたと知ったとき、俺は屋敷中の人間をまず調査した。極めて近い位置にいた側近以外は全員だ。そしてあっさりとその使用人に行き当たった。自殺していたよ。自室で」

「…………」

「剣を受け取った男はおそらく、七年前の俺の犯行を真似てるんだろう。俺への警告の意味も含めてな。何人その手にかけるつもりなのかは知らないが、最終目標は間違いなく俺だ」

「……それで、この場所?」

「ん?」

「いや、おびき寄せるためにここに来たんじゃないのか?」

 言われて、十四郎は今更思い当たった。実のところ、そんなつもりは全くなかった。

「ああ、いや。ここは、俺が一番最初に人を殺した場所なんだ。今でも、時折その時のことは夢に見る。肉の感触。血の臭い。死んでいく人間の顔。そして、それを笑ってみている俺の顔。吐き気がするほど醜く歪んでいた」

「…………」

「間違えないでくれ。俺はあの頃の、無意味に行動していた自分が嫌いなだけで、人殺しそのものに後悔はしてないんだ。ただ、もう戻りたくないんだ。自分を含めた世界全が色あせていたあの頃には」

「そっか。でもあちらさんは、十四郎の気持ちなんて考えてない見たいだけど?」

「え?」

 言われて初めて、十四郎はこの場所にあるもう一つの気配に気づいた。耕介の視線を追い、闇の向こうにある人影を見つける。

「…………あいつか」

 言葉に出して確認せずとも、十四郎には分かっていた。人影──体躯からして男だろう、間違いなく──は、背格好からして十四郎に似ていた。髪を伸ばし、スーツを着こなし、そしてその右手には、銀色の輝きを放つ一本の洋剣があった。

「長かった」

 男は言った。

「ここまで5年もかかった。ようやくお目にかかれて光栄だ、名鳥十四郎。私からの贈り物はいかがだったかな? 鮮やかな死体だっただろう。キラキラと輝く傷口は見事なまでに銀だ。売れば高く売れたのではないかな?」

「……復讐か」

「ありていに言えばそうなるのか?」

 どこか疑問調子で、男は肯定した。こちらに近寄ってきて初めて、その容貌がわかった。似ているのは格好だけで、男は極めて不恰好だった。似合っていない。自分というもの全てを台無しにしているかのようだった。髪も痛んでいるらしく、ぼさぼさだった。ただ無作法に伸びた結果のようにみえる。

 そんな男のなりに、少なからず嫌悪を抱きながら、十四郎は呻いた。

「……そうか。だが悪い。俺はお前が誰なのか知らない。誰の復讐なのかも知らない。知りたいとも思わんが、教えてもらってもおそらく思い出せない」

「お前が殺したのだよ」

 男は言った。十四郎も、否定する気はなかった。

「おそらくな」

「お前が殺した。この剣で。弟を殺した」

 それは事実をただ述べているだけのように聞こえた。そこに何かしらの感情を十四郎は男から見出せなかった。

「…………で?」

 その言葉を吐いた途端、男が初めて驚いたようにこちらを見た。隣で、耕介が一瞬だけ動揺したのを感じながら、それでも十四郎は態度を変えなかった。

「なるほど、反省や後悔もしていないのだな。何故お前はそう平気な顔をしている? 人殺しなのだろう?」

「ああ、その通りだ」

「ならば何故だ?」

「お前はどうなんだ?」

「何?」

 聞き返されるとは思っていなかったらしい、男の顔が歪んだ。

「俺に復讐するために、お前は人を殺した。人殺しなのはお前も同じだ。で、お前は人を殺して、反省や後悔はしているのか?」

「そう見えるか?」

 見えなかった。

「君の言葉を借りるなら、それは復讐のためだ」

「それがどうした」

 男の目が見開かれる。

「復讐だろうが、死有現象依存障害だろうが、人を殺した結果は変わらん。俺を許せるのは俺だけだ。お前なんぞに許しを請う気はない。公的機関にも然りだ」

「開き直っているわけか……」

「開き直る? それこそ笑わせる言葉だな。お前が殺した人間が、お前の復讐の犠牲になったことを理解してくれるのか? そのために命を捨ててくれるのか? 違うだろう。お前は俺と同じだ。理由は違えど、堕ちた殺人鬼だよ」

「……なるほど。理にかなっている。だがいくらか違う部分もある。私はお前を憎んでなどいない。妹がお前の屋敷にいたのは偶然だ。その偶然を知った時、私は歓喜した。お前に会える。お前を殺せる。邪魔な妹だったが、それなりに役に立つこともあったわけだ」

(邪魔?)

 その言葉にいくらかおかしな雰囲気を読み取って、十四郎は眉をひそめた。そういえば、最初からこの男の態度はどこか変だった。復讐者というには、あまりにも落ち着きすぎている。彼が何をしたいのか、十四郎のはわからなかった。

「妹だったのか、あの使用人」

「そうだ」

「死んだぜ? 自分で舌をかんで」

「そうか」

 その瞬間、小さく男の唇が歪んだのを、十四郎は見逃さなかった。

 それがきっかけだった。

 不意に沸き起こる違和感の正体に、十四郎は目を細めた。何の前触れもなく、映像が脳裏に流れていく。脳というハードディスク。圧縮されたていたファイルを解凍、断片的な記録が画面にピックアップされる。

『兄貴……』

 映像に浮かんだのは、崩れ落ちる男だった。いや、まだ少年といってよかった。その視線は、ただ自分を見ている。目だけがこちらを捉え、だが少年の瞳にはもう光は宿っていなかった。

(ああ、これは俺が殺した少年だ)

 いつだったかは思い出せない。何人目だったのかもわからない。だからこそ、何故今更になって思い出したのか、十四郎は分からなかった。もう一度繰り返す。少年の顔。色を失って崩れ落ちていく華奢な身体。

 もう一度。

 顔。

 くぼんだ一重まぶたの瞳。下唇が太く、鼻は細い。髪はスポーツ刈りで、耳にはピアスをしている。

(なんだ?)

 気づく。違和感の正体をつかめそうな気がして、十四郎は繰り返した。

 さらにもう一度。

 色を失って崩れ落ちていく華奢な身体。その顔──くぼんだ一重まぶたの瞳。下唇が太く、鼻は細い。髪はスポーツ刈りで、耳にはピアスをしている。

 ピアス?

 はっとなって、十四郎は目の前の男を見た。男のぼさぼさの髪。その脇から覗いている耳とピアス。少年のしているものと同じだった。

「お前……一体、何人殺した?」

 だから、それは自然と出てきた呟きだった。

「何?」

「今まで何人殺してきた? その『銀の剣』で殺したのは二人だろうな。だがそれ以前にも、お前は人を殺してきた。違うか? ああ、この場所のせいで気づくのが遅れたが、お前から感じる違和感の正体は血の臭いだ」

「血?」

 耕介が怪訝な顔をした。

「お前から臭ってくる血の臭いは、一度や二度の殺人で付くようなものじゃない。殺人鬼だった俺にはわかる。その上で訂正しよう。お前は俺と同類だ」

 ピクリと、男の眉が動いた。

「同類って、もしかして『死有現象依存障害』のこと?」

「ああ、そうだ」

 他に考えられることなどなかった。

「そういえば、無月さんが『死有現象依存障害』は二人いて、そのうちの一人が犯人かもしれないようなことを──」

「言ってたのか?」

「うん」

(聞いてないぞ、そんな話!)

 心中で愚痴るが、ここにいない人間に対してそんなことをしても不毛なだけだと、十四郎は思い直した。

「……ここからは推測だけどな」

 それでも、何故か自信を持って十四郎は言った。

「お前の弟はお前が、殺人鬼だと知っていた。だからそれを止めようとして、俺に殺された。背格好は同じだし、髪は長いから、闇夜じゃ気づかなかったんだろう。妹は逆に知らなかったらしいな。だからお前の名目上の『復讐』に手を貸した」

「…………」

 男は答えなかった。十四郎はさらに続けた。

「で、これはさらに推測だが。お前は俺を殺したかった。自分と同じ障害を抱えていた俺を。大方、無月のところで俺のカルテでも見たんだろう。だから『復讐』の名を借りて、俺のところにいる妹に接触した。だがその後、妹はお前自身も殺人鬼だと分かったんじゃないか? だから自殺した。人を殺し続ける兄を止められなかったその罪を償うために。それでも弟の『復讐』だけはして欲しかったから、『銀の剣』を盗むことまではやってのけたんだ」

「……そうかもしれん」

 意外にも、男は認めてきた。

「妹は死んだ。苦しんで死んだか? 舌をかんでも、その力が弱ければ一気に死ぬことは出来ない。どうだ? 名鳥十四郎。妹は苦しんだか?」

「知らん。見つけたときには死んでいた」

「そうか……残念だ」

「死ぬ間際の様子を見れなくて……か?」

「…………」

「もう一度聞く。お前は何人殺した?」

「覚えてない」

 それは、全てを肯定する言葉だった。

「名鳥十四郎。お前は何を望んで人を殺したのだ? 何を求めて人を殺した?」

 十四郎が答える前に、男は続けた。

「俺は何故人が死ぬのか知りたかった。そのために人を殺した。人が死んでいく様は千差万別だ。どうして死ぬのか、死なない方法はあるのか、それが知りたかった」

 十四郎は呆れたように肩をすくめた。そして結論を得る。

「俺はもう人を殺さない。お前とは違う。欲求に負けるようなことはもうない。自分の欲求に哲学的な理由付けするのは自由だが、死ぬ瞬間を眺める時に得られる快感から逃れられないのが『俺たち』障害者だ。お前のそれは屁理屈って言うんだ」

「抜け出せたといったな」

「ああ、言った」

「何故だ?」

「教えてやらん」

 きっぱりと、十四郎は言い切った。教えてやる気など、微塵もなかった。

「だがいいことを教えてやる。本気で弟の『復讐』したければ、その対象は俺じゃない、お前だ。妹と弟を死に追いやった原因であるお前自身だ」

「…………」

「十四郎!」

 その時、耕介が止めに入った。十四郎が続けるだろう先の言葉を、彼は直感で汲み取ったらしい。だが十四郎は止まらなかった。

「あの二人に少しでも詫びる気持ちがあるなら、少しは抗ってみたらどうだ? 障害から抜け出したいのなら、その努力をしたらどうだ? それもせずに、お前は欲しいものを手に入れようとする。 死なない方法が知りたい? 何故死ぬのかが知りたい? 人が死ぬ理由を知りたければ、お前が死ね。死なない方法があるのか知りたければ、自害しろ。そうすれば知ることが出来るぞ? 死なない方法なんてないってことがな」

「そうか……そうだな。お前への『復讐(・・)』は、それが一番かもしれん」

 そう呟いて、男は『銀の剣』をのど元に当てた。驚いたが、十四郎はそれから目を離さなかった。ただ、耕介の視線だけは覆い隠す。驚いてもがく彼を押さえつけるようにして目を覆っている間に──

 にぃっと笑ったまま、男の首がゴトリと落ちた。

 

      ◇

 

「結局、お前はもうひとり殺す羽目になったのだな」

 神逆無月(かみさかなつき)の無遠慮な声も、今はどこか心地よかった。耕介はもう閉店してしまったサフランの奥で母・彰子から説教を喰らっているらしい、怒鳴り声だけが、こちらまで聞こえてくる。何を言っているのかは聞き取れなかったが、かなりおかんむりらしかった。

「槙原に話したのか?」

 必要時意外、めったに家から出ない彼女が何故閉店間際のサフランにやってきたのか不思議だったが、どうやら気になっていたのは自分のことではなく、耕介のことだったらしい。

「ああ、話した」

「で?」

「怒ってるんだそうだ。許さないとも言われた。あの男が死んだ後は、さんざん怒られた。殴られなかった分、堪えた」

「ま、当たり前だな」

 やはり、彼女の言葉は辛辣だった。だからこそ、十四郎は言ってやった。

「けど……友達はやめてやらないんだってさ」

 その時、無月がなんともいえない複雑な顔をしたのを、十四郎は見逃さなかった。

「耕介曰く、『俺が傍にいれば、十四郎は今回のことで自分を責め続けるだろうから、しばらく離れてやらない』だそうだ」

「……最大の罰則だな」

「全くだよ」

 ため息を吐く。脱力感を身体全体で表現しながら、十四郎は不意に沸いた疑問をぶつけた。

「無月がいれば、あの男を助けられたかのかもな」

「無理だな」

 こともなげに、無月は言い切った。

「確かに、身体機能が完全に停止する前に首をつなげることは『修正血漿体(ダウンド・ライト・プラズマ)』を使えば出来ただろうし、そうすれば死ぬこともなかっただろう。だが──」

「だが?」

「たとえその場にいたとしても、私は修正しない」

「?」

 視線だけで問いかけると、無月は馬鹿にしたように鼻で笑った。

「死ぬことがあの男の意思だったからだ。助けても再びあいつは同じことをする。あの男は死にたがっていた。意味のある死を望んでいた。故に、再びあいつはこの街に来た」

「再び?」

「お前より少し前に、あの男がこの街で何度か殺人を犯していたのは知っているか? その後、奴はこの街を出た。奴の弟が誰か(・・)に殺されたのはそれから少し後だ」

「…………」

 知らなかったといえばうそになる。うすうすは感じていた。自分と同類がいるかもしれないことを、七年前の──十四歳の少年(・・・・・・)だった頃の十四郎は知っていたのだ。

「街を出たこの七年間、奴が何をしてきたのかは知らん。事情を聞いたのは二年前。怪我をした奴を診断した。何を思ったか知らんが、私に相談してきた」

「相談?」

「人を殺す方法と、殺さないで済む方法」

「矛盾してないか?」

「知らんよ。奴が何を思って私に自分のことを話したのかも知らん。だから一つ、例を挙げたのさ。もう一人の『死有現象依存障害者』のな」

 そう言われても、十四郎は別段憤りは感じなかった。あの男が自分を知ったきっかけが目の前の女医者にあることに、多少の驚きは覚えたものの、実を言えばそれだけだった。無月は友人ではあるが、決して味方ではない。利害なく自分のことを隠してくれるような関係ではなかった。

「それからの二年間、奴が殺人をせずに過ごしていたことには驚いたが……」

「……俺のことを調べていた?」

「そう考えるのが妥当だ。自分と同類がいることを知り、なおかつお前が自分の弟を殺したことを知った。生死をかけるにはもってこいの相手だ。結果、奴は死んだ。そうすることが、お前へのあてつけになるだろうからな。同類なりに感じ取ったんだろう。槙原の存在と、お前の関係をな。その上での自殺行為だ。私の能力は、私自身の身体を傷つけることが前提だろう? そうしなければ修正できない。そんないたちごっこのような無意味なことは出来ん」

「ごもっとも」

 納得したが、逆に彼女はまだ理解していないことでもあるらしい。訝しげにこちらを一瞥して、無月は言った。

「一つ聞き忘れていたことがある」

「ん?」

「何故、お前が『死有現象依存障害』から抜け出せたのか。その理由を聞いてなかった」

「ああ、それね」

 そういえば言ってなかったか? と自身に問いかけながら、十四郎は苦笑した。

「俺は確かに殺人鬼で、いつどこで誰を、合計何人殺したかなんて覚えてない。でもさ、実は俺、七十四人殺してるんだ」

「どういうことだ?」

 言葉の矛盾に気づいたらしい無月が眉を寄せた。

「俺の側近がさ、数えていたらしいんだよ。どこで、誰を、いつ、殺したのか。裏界の住人で、身元証明も何もない場合もあったのに、事細かにきっちり調べ上げて、ファイルにしてあった」

「ご苦労様としか言えんな」

「ああ、俺も最初に見たときはそう思った」

 十四郎は苦笑した。

「だけど一年後、捜査やら何やらで遅れてた爺さんの墓が建った後、もう一度見てみたんだ。中身は増えていた。爺さんの墓参りで、感情が高ぶっていたからかもしれないけど、その時初めて、俺はこれだけの人間の人生を壊したことに気づいた。敵でもない、何の関係もない人間を、意味もなく殺してきたことにようやく気づいたんだよ。ただ金が欲しいからってだけの理由で、名鳥財閥の総帥だった名鳥拳十郎を──あの優しかった爺さんを死に追いやった連中と同じことを俺はしてたんだってことに気づいて、どうにも涙が止まらなくなってな」

「…………」

「そうは言っても、症状から抜け出せただけで、俺自身、傷は消えなかった。爺さんが死ぬ直前の光景は今でも夢に見る。自分で自分の身体を、孫の俺の前で切り刻みながら死んでいったあの人の死ぬ様子を、俺はきっと生涯忘れない」

 奇妙な沈黙だった。無月からは反応がない。十四郎は、先を続けていいものだと判断した。

「それが今から七年前だ。俺はまだ十四のガキだった。何も出来ない子供だった。だからがむしゃらに勉強した。医大に入って、学生ながらも、両親から経営のノウハウを学んでいくつか事業にも参加した。名鳥家を完全に自分のものとする。それが爺さんの仇討ちになると思った。全てを捧げてきた。麻生流武装術を習い、身体的にも、もう守られる必要のないほど、傷つくことがないほどに俺は強くなった。その力も手に入れた」

「大人だろうが、子供だろうが、人は不安定だぞ。大人が傷つかないなんていうのは、子供の理想でしかない」

 無月の進言は至極当然のことだった。

「わかってる! だけど、少なくとも大人はそう見せない力がある。子供にそれを気づかせないだけの努力ができて、子供を不安にさせないだけの精神力を持っている」

「だから、槙原か……?」

 その一言が、十四郎の精神を大きく揺らした。動揺しているのとは少し違う、だがどこか、後ろめたさを含んだ感情が、彼の心を支配する。

「耕介は優しい奴だよ。優しすぎるから、だから誰かを傷つける時は、その怖さから身を守るために、意識変異するようになってしまった」

「破壊活動をするためだけの精神か……。命名者はお前だったな。確か……」

「『破壊者(デストロイア)』だ」

「なるほどね。心優しき少年が、自己防衛のために生んだ心の傷。それを守るのがお前の役目か? つまるところ、槙原がお前にとっての償いそのものなのだろう?」

 十四郎は首を振った。それは事実だが、唯一のものではなかった。

「……そういうつもりで──そのためだけに付き合ってるんじゃないさ。けど、確かにそういう気持ちもあるのも事実だ。優しすぎるあいつを守ることが出来たなら、俺はようやく自分自身を許してやれるんじゃないかって。耕介を守ることで、俺はあの子供だった頃の自分を抱きしめてやれるんじゃないだろうかって、そう思ってる」

「駄目な大人の、勝手な言い分だ」

「わかってる」

「いつかは壊れるぞ、そんな関係は」

「承知している!」

 そう言い返しても、無月は何の反応も見せなかった。無月が本心からそれを望んでいるのではないことを、十四郎はなんとなくだが気づいていた。

「けど、そんな俺の心情以上に、俺は耕介が好きだ。『名鳥家』という呪縛に囚われていた俺に、再び世界の色を教えてくれたあいつが好きだ。だから守る。俺みたいにならないように。せめてあいつ自身が、世間から身を守れるくらい大人になるまで」

「甘いことで」

「よく言われるよ」

 ようやく笑い返して、十四郎は耕介がいる方を見た。

 彰子の声はまだ響いていた。あれから二時間は経っているだろうに、まだ終わらないらしい。説教が終わったら、耕介から文句が来るのは間違いなかった。

(聞いてやるさ。いくらでも)

 だがとりあえず、何かおごってやろうとも思う。そういえば、明日から駅前のラーメン屋が学生割引を始めるはずだ。財閥の跡取りがせこいこと言うな、などと言われるかもしれないが、侮ってはならないのはそのラーメンの味のほうである。満足すること間違いないだろう。

 行列にでも並びながら、話をしよう。

 もっと多くのことを。もっと広い世界のことを。お互いのことを。

 彼が自分を必要としなくなる前に。

 いつかはやってくるだろう、別れの前に──

 

 

 銀の悪魔     完

 

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