『HELL&HEAVEN』

 

  進路の薦め

 

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 毎年毎年。この時期になると恒例の行事──と言えるほど大層なものでもないだろうが、ただの通過儀礼のようなものとして、彼らはそこにいた。

 何の変哲もない部屋である。スチール製の机。だが椅子はない。ワンドアの冷蔵庫。他にあるのはベッドくらいで、カーテンや壁紙といった装飾が一切ない、鉄色の部屋。日陰に位置するので夏でも涼しいのだが、それにしても殺風景は否めない。

 その部屋に小さめのテーブルを持ち込んで、それを囲むように少年少女がじっと座り込んでいる。

「…………」

 その様子を他人事のように眺めながら、神楽双真はため息をついた。

 前髪が伸びているせいか、彼の視線は以前にも増して随分と鋭くとがっていた。引き締まった細身の身体。上下黒尽くめのスタイルが、どこか危険性を示唆している風体の男である。

(ここは自分の部屋?)

 そうだな、と続けて自答する。

 では、質問を変えよう。彼らは今、何をやっているのだ? その質問に、自分の隣に座って空手の本を読む千堂瞳は言う。

「毎年恒例だから」

 なんのこっちゃ、とは思う。毎年と言われても、彼らと出会ってまだ一年も経っていない。去年のことを知らない自分としては、やはり恒例と言われてもピンと来ないのは致し方ないのかもしれないが……

「瞳」

「なぁに?」

「何が恒例なんだ?」

「……えーと、毎年この時期になったら、お姉ちゃんと耕ちゃんは、ああなるの」

 言って、瞳は部屋の中心部で唸り声を上げている少年少女を指差した。

 テーブルに座ってなにやら問答を繰り返しているのは、双真も見知った二人だった。槙原耕介と千堂真由。前者はここからそう遠くない洋食屋の次男で、『HELL&HEAVEN』という、この辺りでは少し──かなり、いや、最大規模で有名なチームの仲間でもあった。後者は瞳の姉である。本人たちが思っているよりもかなり似た姉妹であるのだが、当然ながら中身は別だった。彼女らの性格の違いは、現状が明確に説明してくれている。

「ふむ。ああなるのか……」

 ベッドの上に腰掛けたまま、双真は二人の様子を観察した。

 青ざめている。切羽詰っている。危機的状況──に見えるのだが、その手元に広げるノートや本の類が今ひとつピンと来ない。何をやっているのだろう。

「結局、一体なんなんだ?」

 顔を上げた瞳の表情は、随分と年に見合わない大人顔をしていた。何故そう見えたのかはともかく、彼女は思い切りこれ見よがしに嘆息し、肩をすくめてみせた。呆れ顔を言葉どおり表現しつつ、姉と幼馴染の少年を見やる。

「夏休みの宿題。まだ全然手付かずなんだって」

 さめざめと泣き崩れる学生二人の様子に、双真もまた肩をすくめるしかなかった。

 

 能力に必須とされるのは何か。

 人間に要求されるのは何か。

 それは必要なものを、必要とされる期間内に、必要なだけ完遂することである。いくら能力的に優れていようと、期間が遅れれば意味がない。いくら性能が良くても、必要なものが足りなければ意味がない。

 締め切りを過ぎても許されるのは物書きくらいだろうし、罪を犯しても社会復帰できるのは芸能界くらいなものだ。

 現在の社会システムがどうあれ、人間関係においてそれは根本的に変わらない。

 だとしても……

「夏休みはいつまでだ?」

今日まで(・・・・)

 瞳の声は何故か辛辣だった。

「間に合うのか?」

「無理だよ」

「間に合わせる!」

 と、拳を振り上げて叫んだのは、年に見合わず長身の耕介である。

「去年も同じこと言ってたよ? 耕ちゃん」

「今年こそ!」

 それを引き継いで、真由が顔を上げる。どこか目が泳いでいるように見えたのは気のせいだろうか。

「それも去年言ったよね? お姉ちゃん」

「…………」

「…………」

 あっさりと沈黙する幼馴染から顔を離して、瞳はこちらを向いた。

「毎年のことなの」

「よぉくわかった」

 思い切り首を縦に振って、双真は納得した。

「納得するなよ! 双真は宿題ないから、そんな余裕なんだ!」

「まぁそれはそうだが……」

 何を言ったらいいものか。迷いかけて、だがそれよりも疑問が彼を襲った。

「そういえば、何故瞳は宿題やらないんだ? 学生にはあるんだろ? 夏休みの宿題」

「あたしはもうやったもん」

 ビクリと、耕介と真由が身体を痙攣させた。

「どういうことだ?」

「夏休みはね、七月末から八月一杯。四十日間あるの。その間学校は休みで、その間の宿題なんだけど……」

「……けど?」

「二人と違って、あたしは毎日コツコツと宿題やってたから。最後の今日になって、あんなふうに慌てる必要はないの」

「うぅぅぅっ! 裏切りものぉぉぉぉっ!」

 真由が呻く。妹を睨みつけるその双眸からは滝のように涙が流れていた。その姉を、

「計画性があるって言ってよ。大体、お姉ちゃんも毎年こうなるってわかってるなら、もっと早くやればよかったの。誘ったのに、遊んでばかりいたじゃない」

 と、軽く一蹴する。

「うううぅぅぅぅぅぅぅ」

 泣き崩れる真由から視線をはずして、双真は言った。

「ところで瞳、武術は面白いか?」

「うん」

「ちょっと待て!」

 叫んだのは耕介だった。

「なんだかいきなり興味失ったみたいに話題変えるな。頼むから!」

「間に合わんぞ?」

「あぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 そうしてやはり、真由と同じようにうめき声を上げて崩れる耕介から意識をずらして、双真は手元にあるものに目をやった。

 それは箱だった。何の箱かは見れば分かる。英語でチョコレートと書かれたもの。これで中に納豆やらもずくが入っていたら、今すぐ業者に文句を言うところだ──が、何はともあれ、持ち主に許可を貰うべきだと双真は判断した。

「瞳、これ、食べていいか?」

 彼女の父が出張で買った土産らしいそれを手にとって、双真は聞いた。

「え? ……あぁ、うん。いいよ。溶けてないかな」

「大丈夫だろ。この部屋、涼しいからな」

「あ、あたしにも一個」

「お姉ちゃんは宿題終わってからね」

 ここに来て、ようやく双真は何故自分の部屋に彼らがいるのか分かったような気がした。テーブルに座る耕介と真由は宿題を終えておらず、その提出が明日に迫っている。その監督者として、この幼い武術好きの少女がいるのだろう。

(難儀だな)

 まるっきり他人事のように──実際にその通りなのだが──包装を解き、双真は箱を開けてチョコレートをいくつか手に取り、そのうちの半分を瞳に手渡した。

「ありがと」

 目線で応答して、包みを破って口に放り込む。

 じんわりと甘い匂いと感触、舌を包み込むその味が広がったその瞬間──

 双真の視界が反転した。

 

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