『HELL&HEAVEN』

 

  夕焼け小焼けの反力者

 

      1

 

 天変地異。

 天の変化と大地の異常。

 自然界に起こる変事。

 異常──。

 目の前に広がる光景を吟味しつつ、耕介は確信した。

 長崎県長崎市。

 繁華街の裏手。撤去途中で放棄された廃墟ビルの一室で、彼は無造作に室内の机の上に腰掛けていた。

 彼──槙原耕介。十四歳。

 現在中学二年生の少年。だがその高い身長のせいで歳相応には見えない彼は、鋭利な刃物で切り刻まれたかのようにズタズタになったジーンズ姿でそこにいた。そのせいもあるだろう。少し子供っぽさが残る彼の容姿は、同年代の少年たちに比べれば随分と野性的ではある。

 その上着の背中にペイントされているマークは、この地方において最大最強の暴走族連合『HELL&HEAVEN』の『天獄』の文字だった。赤い文字で描かれたそれは、彼がその幹部であることを示している。

 ひび割れて崩れかけた壁を背景に、ベッドと机以外何もない部屋。その幹部専用の一室に、彼はいた。

 その部屋に訪れた異常。

(異常だ……)

 心中で、繰り返す。

 だが、不意に思い直した。

 異常。

 けれどそう思わない人も、もしかしたら世界中で二人くらいはいるかもしれない。生まれる前の赤ん坊や、ご臨終数秒前の老人。いやいや。ひょっとしたら、行列になっているアリの数を完璧に数えられる根性を持っているかもれない人間がいたならば。またはその巣の中に、煮えたぎる熱湯を注ぎ込むことを至上の喜びとする人間がいたならば。彼らは異常だという認識を持たないかもしれない。

(……ちょっと、例えが悪かったかな?)

 それはともかくとして。だからまぁ、数えるのも面倒くさいほど譲りまくって異常ではなかったとしよう。

 表現を変えてみる。

 それは嵐。

 それは台風。

 すこしひねりを加えて、雨の中で傘も差さずに黄昏れる詩人のごとく。

(あ、最後のはちょっとだけ違うか?)

 考え直す。が──

 答えはすぐに見つかった。

(やっぱり異常なんだよな、結局)

 諦めて、耕介は目の前の事実を見つめ直した。

 目の前にあるのは、ベッドである。折りたたみ式ということを除けば、特記するほどのこともない大人用のシングルベッド。その上には、布団が敷かれている。それは当然だろう。ベッドなのだから。

 問題は、そのベッドの上に寝ている人間だった。

 男。

 ちなみに言えば、耕介の知人でもある。

 その彼は、ただ何もせずにベッドに横たわっていた。近づかなければ、ひょっとしたら呼吸すらしてないんじゃないかと思えるほどに。静かに、横たわっている。

 静かに──

「双真?」

 彼の名を呼んでみる。

 ベッドに横たわっている彼は、だが何の反応も見せなかった。

 寝ているかもしれないと思いながら、耕介は机から下り、彼に近づいてみる。普段目つきも悪く、愛想も悪く、人付き合いも悪く、極めつけに凶暴性の高い(少なくとも耕介はそう認識している)彼──神楽双真は、だが寝ている姿はとてつもなく普通だった。

 そこに異常性などない。別段、普通の寝顔。とは言え、そもそも彼がそうして寝ていること自体が異常であることを、耕介は本能的に実感していた。

 なんにしろ、彼は酷く汗を掻いていた。けれども寝苦しそうだという感じは受けない。きちんとかぶさった冬布団の中で、彼は微動だにせず、胸のあたりの布団だけが、小さく上下運動を繰り返している。

 耕介が知る限り──

 神楽双真は一匹狼である。基本的に他人と馴れ合うことを嫌う彼は、普段からして単独行動を取ることが多かった。

 『HELL&HEAVEN』の幹部の一人。役割としては、特攻隊長である耕介の補佐にあたる双真は、だが実質の戦闘力は耕介とは比べ物にならないほど高い。少なくとも耕介は、彼が幹部メンバー以外にダメージを受けたところなど見たことがなかった。

 実際には、耕介が彼と敵として対峙したのはまだほんの数ヶ月前のことである。それにも関わらず、他チームとの抗争時には常にコンビを組んでいる辺り、お互いの相性に関してはさほど悪いというわけでもない。

 そして現在十九歳。耕介より五歳上で、身長に関しては男性平均を少し上回るくらいである。その大型ダンプに轢かれても、翌日には全快する程度で済んでしまう頑丈さを持ち合わせた青年は今、夏だというのに冬布団でベッドに入って大量の汗を掻いていた。

 その額にある濡れたタオル。

 何度瞬きしても、何度首を振ってみても、変わらないその光景。それを確認して、耕介は力なく呻いた。

「天変地異だよな、やっぱり」

「なんでそうなる……」

 小さな声。

 かすれた声で反論したのは、熱を出して倒れた張本人、神楽双真その人だった。

 

      ◇

 

「何が天変地異だ……まったく」

 逆三角の目をさらに鋭く細めながら、双真はぼやいた。どうやら起きていたらしい。熱がある割には、顔が上気している以外別段変わりないように見える彼は、いつものように呼吸を乱すことなく話しかけてきた。

「看病する気がないなら帰れ」

「いや、それもなんだか後味悪いじゃないか」

 味気なく返答して、耕介は彼の額にあるタオルを手に取った。きちんと氷水で濡らして、水気を絞る。長方形に綺麗にたたみ、再び彼の額にそれを乗せた。

 にやっと口元を歪めながら──その表情が寝ている双真にも見えるように、呟く。

「鬼の霍乱」

「くっ……!」

 悔しそうに呻く双真の反応に満足しつつ、続ける。

「と言うより、やっぱり天変地異だよな。それとも世界の終わり?」

「まぁ、大抵はそんな反応するだろうとは思ってはいたが。俺が病気で倒れるのがそんなにおかしいか……?」

「おかしい……っていうか、太陽は西から昇らないだろ?」

「つまり……ありえない事象だとでも?」

 冷たく睨み返す双真に、耕介は笑って返した。

「いや、双真でも病気するとダウンするんだなぁって。ほら、前に大型トラックに真正面から轢かれてもその翌日には全快してたじゃないか」

「あれはちゃんと防御していた」

「してどうなるものでもないと思うんだけど……」

 冷たい汗が頬を伝う。

 声だけはしっかりとしている双真は、ふと気付いたように耕介に視線を向けた。

「お前は?」

「忘れ物取りに来た」

「…………」

「まぁ、いいじゃないか、そんなことは。それで?」

 体温計を指で摘むように持って、耕介は聞いた。その意味を汲み取ったらしく、

「今朝の時点で四十度八分」

「っておいっ!」

 思わず突っ込み返す。慌てた反動で、耕介は体温計を落としそうになった。

「病院は?」

「行ってない。保険証ないし」

「薬は?」

「大麻ならその机の二番目の引き出しにあるが」

「……飲んだのか?」

「まさか」

 即答してきた双真の態度に安堵しながら、続ける。

「飯は?」

「昨日の昼に食べたチーズケーキはおいしかった」

「…………」

 反応に困って、耕介はとりあえず呆れた視線を送ってみた。だからどうだというわけでもないが、当の病気で倒れた本人は別段気にしていないようだった。

「病気を治す気があるのか?」

「あるぞ。とりあえず、冬布団、冬用毛布で寝ている。さらに上からもう一枚。三枚攻めだ。なので暑い」

「…………」

「ま、汗掻いて寝れば治るだろう? 多分な」

「……過去に病気した経験は?」

「ない」

「……水疱瘡やおたふく風邪は?」

「それもない」

「風疹や、はしかも?」

「ああ……」

「…………」

「…………」

 沈黙する。双真も、彼の心中を察したのだろう。いまさら気付いたように、重たそうに瞼を開けた。

「やばいのか?」

「……いや。うん。多分だけど。えーと、葬儀はどうしよう? 双真って宗派どこ?」

「なんで風習病にかかったことがないくらいで死なないといけないんだ」

「死ぬかどうかはしらないけど。なんか今までのツケ? みたいにさ。過去の悪行に比例して病気は酷くなるっていうじゃない」

「ふむ。なら、俺はもう終わりだな。じゃ、眠る。このまま死んだ方が、楽しそうだし」

「え?」

 思いつきでいった冗談からの思わぬ展開に、耕介は目を瞬かせた。

「後の連中にはよろしく伝えておいてくれ、耕介。それなりにまぁ退屈でないくらいには、変則的かつ怠惰ながらも比較的面倒な生活が送れたとな」

「いや、最期の台詞としてそれはどうかと思うよ?」

「では遺言はお前が考えろ。じゃあな」

 それだけ言い捨てて、双真はゆっくりとその瞳を閉じた。

「…………」

 再び沈黙。目の前の病人はすでに寝入っていた。死出の旅立ちとは思えないほどに汗を掻きながら、表情だけはひたすら穏やかに。

「えーと。俺は双真の看病をするべきだろうね、やっぱり」

 同時に、本気で無視して帰ろうかな、という考えが頭をよぎる。選択肢としては無難なほうを選びつつ、耕介は双真の額からタオルを取った。再び、氷水にひたして冷やす。しっかりと水を切って彼の額に乗せた。

 そして考える──までもなく。

 双真は死ぬだろう。放っておけば必ず、いつか彼は死ぬ。寿命とは別に。今回の風邪のことは別にしても、生への執着が全くない彼は、死にたくなったら実にあっさりと死ぬに違いなかった。それが自分の手であれ、他者によるものであれ。

 神楽双真がそういう人間だと言うことを耕介は身に染みて知っている。

 今このときに関してはどうでもいいことではあるが。

「ところで……」

 別段誰が聞いているわけでもない。ましてや聞こえるわけなどない。にもかかわらず、耕介は声に出していた。ここは幹部専用の廃ビル。その一室。であるから、連中が帰ってくるか、よっぽどの緊急で耕介たちの傘下に入っている他のチームの誰かが呼びに来るか。それ以外に人が立ち寄らない場所である。例外と言えば、耕介の幼馴染みの姉妹くらいだろうか。

 つまるところ、誰かが聞いている可能性は極めて低かった。

 だから、これは無意識と言うわけではない。むしろ意識して、声を出す。

「陸王が前にここに持ってきていたAV。双真が持ってるわけないよな……やっぱり」

 そういう状況でないことに落胆しながら、耕介はとりあえず薬を買いに部屋を出た。

 

      ◇

 

 神楽双真。

 奈良県出身。それ以外の生い立ちは不明。

『HELL&HEAVEN』の幹部──特攻隊長補佐。

反力者(アンチ・ディナミス)』の異名を冠する男にして、一対一の戦闘においては紛れもなくチーム内最強を誇る人物。頭の回転も速く、戦闘力においては随一であろう。

 その彼の批評をまとめると、以下のようになる。

 曰く──

 頑丈。トラックに轢かれても翌日に全快する。

 凶暴。彼にとっての暴力とは、呼吸するのと同義語らしい。

 鬼。というのは、以前敵陣に独り置いていかれた耕介談。

 普段無口なくせに、戦いが絡むと途端に饒舌になる根っからの事件好き。

 性格は極めて独断的で自己中心。味方であろうが仲間であろうが、自分に利益がないことには決して見向きもしない。

 何を捨て置いてでも決して敵に回したくない人物。

 そして最強。

 というわけであるから、チーム内においても彼の評判はすこぶる悪い。殺しても死なないだの、人を不幸にするために生まれただの、木の股から生まれた悪魔だのと、色々な噂がある。最も、そんな噂を流したことがばれた瞬間、冗談でもなく明日の太陽は絶対に拝めないのだが。

 唯一、彼が手を出さないのが子供である。それも七歳以下。その基準がどこからくるかは誰も知らないし、誰も知りたいとも思わない──少なくとも、ロリコンと言うわけではないらしい──が、とにかく子供には甘い。彼自身、子供が好きというわけでも、好かれるというわけでもない。むしろ、小動物や幼児には嫌われる体質である。

 余談ではあるが、甘党でもある。特に洋菓子には目がない。

 繰り返す。

 神楽双真。

 奈良県出身。チーム最強を誇る男。『反力者』の異名を取り、その性格は極めて自己中心的。目つきは鋭く、それに見合って本質も凶暴。自分に利益のないことには興味を示さず、生への執着もない。

 なんにしろ、神楽双真という人間はそういった男であるのだが──

 

 最も特筆すべきことは、彼が能力者だということである。

 


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