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「風邪?」

 きょとんと、千堂真由は首をかしげながら耕介を見返した。

 綺麗な深緑の髪の少女は、クラスメイトであるはずの耕介とは違い制服姿だった。短い毛先は、天然のためか軽くカーブを描いている。片手に携えたスポーツバックから見えるラケットの柄からすると、どうやら部活に出ていたらしい。

 その彼女は、一瞬聞き間違えたかのように疑問に染まった瞳を、商店街で偶然出会った幼馴染みの少年に向けた。

「誰が?」

「双真だよ」

 部活帰りの途中である。身体が火照っているのか、額には汗が浮かび、真由は暑苦しそうにハンカチでそれをぬぐった。何事もなかったように、耕介に向き直る。

「……それで。耕は何してたの? 薬局で」

「いや。だから、薬を買ってたんだって」

「何で?」

「双真が風邪を引いたから。熱出して倒れたんだよ。さっき言っただろ?」

「…………」

 沈黙。たっぷり一分くらいは黙り込んで、真由は眉間にしわを寄せた。再び、同じ質問を繰り返す。

「……誰が?」

「だから双真が」

「双真クンが?」

「ああ……」

「あの大型トラックに轢かれても翌日全快する人が?」

「そう……」

「熱出して倒れた?」

「その通り」

「…………」

 どこか虚ろな眼差しで空を見つめて。

 そしてそのまま──

 真由はあっさりと昏倒した。前のめりに。

 がすっと、痛そうな音が響く。顔面から倒れた彼女の行動に面くらいながら、さすがに慌てて、耕介は彼女抱き起こした。

「おい!」

「耕……私……私ぃ……」

 力なく、真由が手を伸ばしてくる。顔面から倒れたからだろう。顔のいたるところに砂利が引っ付いていた。吹き出しそうになる気持ちを抑えながら手を握り返して、耕介は呻いた。

「真由。気持ちはわかるが、そういうボケは本人が見ているところでやれ。ここは往来だぞ」

「それもそうね」

 実にあっさりと同意して、真由は復活した。服に付いた埃を払い終えると、ポンッとバックを持っていないほうの手で耕介の肩を叩いて、深く溜息を吐く。

「ま、それはともかく。で、本当は何してたの?」

「いや、事実だってば」

「太陽が西から登るようなこと言わないで」

 疑心暗鬼な目で訴えかけてくる親友に、耕介は力なく首を横に振った。

「……残念ながら現実だ。受け止めろ」

「…………本当に?」

「本当」

「本当に本当?」

「本当に本当」

「本当に本当に本当?」

「本当に本当に本当」

「本当に本当に本当に本当?」

「本当に本当に本当で、本当っ!」

「本当に本当に……」

 いい加減苛立って、耕介は真由の言葉を遮った。

「だぁーっ! 信じたくないその気持ちは果てしなく理解できるけど、本当だって言ってるだろうが!」

「しょうがないでしょ? 信じられないんだから! 双真クンが熱出して倒れた? そんな天文学的な確立論を出されても私の理解範疇を超えてるわよ!」

「真実って言うのはそういうものだ! 受け止めろ!」

「世界が滅びたらどうするの!」

「くぅっ! 確かに!」

 思わず呻きながら──何が確かなのかいまひとつ理解していなかったが、耕介は真由に気圧されて後退りした。

「いや、まぁ。世界のことはさておくとして。熱が四十度越えてるらしいから。早く薬持ってあいつの部屋に行ってくるよ」

 とりあえず最優先するべきことを思い出して、耕介は言った。

「それはいいんだけど……」

 なにか思うところがあるらしい真由が、まだ疑問が晴れ止まぬ表情であごに手を当てた。

「何だ?」

「双真クンに、人間用の薬って利くの?」

「…………」

 さすがに返答に困って、耕介は真由を見返した。真正面から、幼馴染みの少女を見る。長い付き合いだ。彼女の表情からだけでも、ある程度のことは読み取れるはずだった。

 そして悟る。

 真面目に。心の底から本気で、彼女はそう思っているらしい。

「……いや、まぁ利くとは思うよ。さすがに」

 結局、それだけしか答えることができずに。

「この世の終わりが近いってことかしら。ノストラダムスの予言って当たるかも」

 かつての自分と同じような反応にある意味同感しながら、耕介は一旦家に帰るという彼女と別れて、双真のいる廃ビルへの帰路に着いた。

 

      ◇

 

 長崎市。

 耕介の実家、洋食屋「サフラン」のある商店街から、数キロとはなれていない繁華街の裏手。廃ビルや建築途中で放棄された建物が集合する危険区域は、いまでは警察でさえ手の出せない無法地帯と化していた。通称『裏界(りかい)』とよばれるそこは、基本的に『HELL&HEAVEN』という暴走族集団の本拠地でもある。

 九州地方最強にして、現時点の総数五百の人数を誇る最大の不良グループ。ひっきりなしに傘下に入ろうとするチームが後を絶たない彼らは、その勢力を確実に伸ばしつつあった。それら全ては、幹部七人の働きが大きい。

 そのうち数人が寝食を過ごしている居城。その一室。神楽双真の部屋。

 ドアから入って、目に見えたのはベッドで静かに眠る宿主だった。反対側にあるスーパーの袋。それ以外に、彼女が気になるものは存在していない。

「何でいないのよ。耕の奴は……」

 毒付きながら、真由は机にある袋を物色した。

 はじめに目に付いたのは、一本のビンだった。表に『魁作』と書かれてあるラベルが這ってある。その上にある「清酒」の文字を見つけて、それが日本酒だと知れた。

 風邪薬。解熱剤。そして、

(ネギ? 生姜汁? 卵、塩に砂糖。お粥でも作る気かしら……)

 しかし、肝心の米は見当たらない。

 そのほか、蜜柑の缶詰。ミネラルウオーター。

 中身は、それだけだった。それらを買った張本人は、何故か部屋にはいない。

「ま、いいか」

 あまり深くは考えずに、真由は寝ている双真に近づいた。洗面器の水がぬるくなっているのに気付いて、台所に向かう。廃墟ビルであるにもかかわらず、電気や水が通っているのは、当の宿主たちが料金を支払っているかららしいが。

 何はともあれ、真由は自分がすべきことを考えながら、ベッドに近づいた。タオルを取り、水に浸してよく絞る。冷蔵庫などという気の効いたものがないために、氷で冷やすこともできない。買ってくるべきだった(もちろん氷を)と後悔しながら、彼女はそれを双真の額に乗せた。

「さて。双真クンは寝てるし。耕はいないし。私はこの状況で、世界のために何をどうしようかしら」

 自分で言っておいてなんだが。実質、どこまで冗談なのか判らなくなるときがある。神楽双真とは、本気でそういう人間だった。要するに、風邪で倒れるような人間らしい一面を、少なくとも真由は見たことがない。知り合ったのは、まだほんの数ヶ月前でしかないのだ。

「とりあえず、起こして薬を飲ませるべきよね。この人のことだから、何も食べてないんだろうなぁ、きっと。ってことは、薬も飲んでない可能性が高い。病院なんて絶対行くタイプじゃないし。でも、私はお粥の作り方知らないしな〜」

 空腹に抗生物質が危険なのは、彼女とて知っていた。が、現状ではどうすることもできない。ミネラルウオーターで腹を膨らませようか。2リットルもあれば、それなりに胃も一杯になるとは思うが、それを実行した場合、今後の自分の身が危険だった。

「ま、考えたってしょうがないか」

 愚痴りながら、彼女は袋から日本酒と卵、生姜汁のビンを取り出してキッチンに向かった。調味料の類も、ついでに持っていく。塩と砂糖しかなかったが、それで十分だった。

 この部屋唯一の小鍋へ酒を注ぐ。まず酒だけを煮立て、そこへ適量の砂糖を入れ、一度火を止める。これまたひとつしかないお椀を洗ってから(埃を被っていたため)そこで卵をほぐし、鍋にとじこむ。卵が固くなると味が落ちるため、酒と少量の砂糖を加えて味を調えながら、続けて加熱する。ゆるゆるとかきまぜ、熱くなったところで椀へもり、これに生姜の搾り汁を落す。

「ほい、出来上がり♪」

 ガスの元栓を切りながら、真由は自慢げに目の前に出来上がった酒を見つめた。

 命名、真由特製スペシャル玉子酒。

 といっても別段普通の玉子酒と変わりない。とにかく彼女にできる唯一の料理がこれだった。かつて彼女が親から教わった、風邪への対処法のひとつでもある。と──

「何をしてる?」

 静かに、抑揚のない声を上げたのは、病人・神楽双真そのひとである。

「起きたの?」

「今さっき……」

「そう。ま、いいわ。起きたならこれ飲んで。世界のために」

「お前もか……」

 ある意味想像できた反応に、双真は力なくため息をついた。本当に疲れているらしく、顔が少しやつれている。

「いいから飲んで。どうせろくなもの食べてないし、薬も飲んでないんでしょ? だったら、これ飲んで安静にしてなさい。きっと効くわ。私が心と呪いを込めたんだから」

「呪い?」

「言葉のあやよ」

「…………」

 きっぱりと言い切った真由の態度に、明らかに双真は不安そうな表情を浮かべた。普段の彼にはあまりみられない表情に、真由は素直に驚く。

「何だ?」

 見つめてくる真由の視線に疑問を持ったのか、お椀を口に触れる寸前のところで双真が手を止めた。

「え? 何?」

「いや、何を見ているのかと思ってな」

「別にぃ♪ さ、飲んで飲んで」

「その楽しそうな顔が気になるんだが……」

 釈然としないまま、彼は御わんに口をつけた。ゴクリゴクリとそれを飲み干し、そして──

 そのままベッドに倒れこむ。

 視界が反転する中で、真由の慌てた声を他人事のように聞きながら、双真は暗闇の中に落下した。

 

      ◇

 

 神楽双真。

反力者(アンチ・ディナミス)』の異名を持つ男。

 その名は彼の特殊能力、『反力(アンチ・ディナミス)』から由来している。

『反力』──

 彼が意識する領域において、彼に敵意を持つ者のみを限定に意味消滅をしかける能力。

 意味消滅が起こるのは、奪い取る力に正負の方向性が関係ないためだ。このことからも、『反力』は物理現象の根源を覆す能力とも言える。故に、その発動に掛かる制約も大きい。

 まず奪い取った力は双真自身には加算されない。またその領域は彼の視界に納まる程度に限られている。長時間の使用は彼自身の精神を侵し存在確立を脅かすために、発動後は短期決戦を強いられる。それまでの彼の疲労にも拠るが、制限的におよそ五分といったところか。そして何よりも、双真に敵意を持っていることが全ての前提条件となる。

 そう言った制約があるにも関わらず、『反力』発動中に限ってしまえば、神楽双真はほぼ無敵であった。

 何故なら、彼自身のもとより秀でた戦闘能力に加え、『反力』発動によってその標的となった敵は確実にその半分近い生気を奪われるからだ。普通の人間ならば、能力発動直後に気を失ってしまう。

 故に──神楽双真を倒すには、彼以上の反応速度をもって、『反力』が自分をターゲットと認識するより早く彼に攻撃を加えなければならない。しかしながら、双真の動体視力と運動神経を考慮した場合、その行為はまず不可能といってよかった。

 超能力を超える能力を持ち、最強を誇示する存在。

 

 であるからして。

 彼が熱を出して倒れたという事実は、身近な人間にさえショックを引き起こすほどの威力と震動を持って、周囲に広まったのである。

 

 言い忘れていたが。

 神楽双真は下戸でもあった。

 

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