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 意識を失ったのは、ほんの一時だった。目を開け、現状を把握するべく顔を上げる。耕介と双真。視線の端に、避難している千堂真由。二人の男性陣は置いておくとして、十四郎はまず真由の方に視線をくれた。

 それに気付いたのか、真由が小さく声を上げる。

「真由ちゃん……は、無事か?」

「な、なんとか。十四郎さんは?」

「不意打ちだったからな、完全に。起き上がるのにもう一分くらいかかるかも。それよりも、双真だ。あいつ、どうしたんだ?」

 視線だけを、向こうで戦闘している二人に向けて、十四郎は呻いた。

「酔っ払ってるんじゃないの?」

「……あいつが下戸なのは知ってるけど。でもそれだけか?」

「そんなこと言われても……って、ああっ!」

「真由ちゃん?」

「ま、まさか……これが私の呪い?」

 耳にした言葉は、あまりにも素っ頓狂な台詞だった。

「は?」

「玉子酒に心から呪いを込めてみたんだけど。もしかしたらそれで……」

「死んだら絶対に恨むからなぁ!」

 と、これは会話を聞いていたらしい耕介の叫び。

「絶対に死ねなくなったな、これで」

 一方の十四郎も、呆れ顔で続けた。

「……もうここはいいから。いますぐ離れて『騎士(ナイツ)』か『魁王』もしくは『蓮華』のメンバーの誰でもいい、呼んできてくれ!」

 頭の隅で、自分たちに最も忠実な部隊を意識する。五百を越える人数を誇る「HELL&HEAVEN」──しかしその彼ら幹部に忠誠を誓っているのは、ほんの三十人弱しかいなかった。正確には、二十七人。彼ら以外は、権力と安全を手に入れるためにチームに所属しているに過ぎない。

『騎士』十三人が親衛隊。『魁王』十人、『蓮華』四人が特攻隊。彼らの強さは幹部七人には劣るものの、十四郎自身が選抜しただけあって戦力としては申し分ない。

 当然、真由とも面識があるはずだった。

「え? え、えっと、親衛隊と特攻隊……だよね?」

「そうだ」

「でも! どこにいるの?」

「どっかその辺!」

「そんないい加減な!」

「サフランの方向に走れば誰かいるはずだ。早く!」

「う、うん!」

 本当にたいした怪我もなかったらしく、彼女はすぐに立ち上がって走っていった。

(よし。とりあえずこれで彼女は安全だ。後は……)

 身体に残る痛みを呼吸で調整しながら、十四郎は気配を消しつつ立ち上がった。武器はない。持ち合わせといえば、内ポケットにあるシャーペンくらいなものだが、それで牽制できるような相手ではないことは、重々承知していた。

 だが──

(俺が会得した麻生流武装術は、武器格闘専門の流派。もちろん肉体そのものも武器として使用し、その極意は相手の武器破壊。敵の武器を喪失させることで、こちらの攻撃を最大限に生かすのが、俺の流儀)

 自分が武術を習い始めたのは親の押し付けだったが、それでも、今ばかりは親に感謝した。

 ありがとう。けれど、もしここで死んだりしたら、しっかりと枕元に化けて出てやることを心に固く誓いながら、十四郎は静かに息を吐いた。

 身体全体の力が抜ける。こちらに背を向けている双真はもとより、その双真と交戦している耕介も、彼には気付いていなかった。

 静かに、今度はゆっくりと空気を吸い込んで、ある程度酸素がたまったところで彼は呼吸を止めた。心臓の鼓動さえ止まったのではないかと錯覚するほど、外界と自分のつながりが希薄になっていく。

 焦点が狭まるのと同時に瞳に宿る光が消え、涙が乾き、瞳孔が開く。

 緑。赤。青。黄。黒。白。交じり合う世界の色。

 挙動は、ほんの少しだった。小さく、右足の先端に力を送る。踏み込みによる踏み込み。二重に重ねられた力は、反作用の働きで爆発的に十四郎の身体を地面から押し上げた。

 標的の後ろを捉える。双真の武器など、確認する必要はなかった。彼にはそんなものはない。足と腕。それを壊せば事足りる。

(壊れろ!)

 その瞬間、確実な殺気が十四郎を覆い、そして──

「やめろぉっ!」

 耕介の声だけが、彼の鼓膜を震動させていた。

 

      …

 

 楽しいこと。嬉しいこと。この際、百歩くらい譲ってHなことも。

 とにかく、神楽双真の攻撃に耐えながらも、彼に対して敵意を抱かないようにするために、耕介はひたすら別のことを思索した。

 遊び。ゲーム。学校行事。趣味の料理やバイクの整備。「HELL&HEAVEN」でやったこと。その他もろもろ。

(楽しいこと、楽しいこと!)

 考える。早急に、考えなければならない。何を差し置いても。

(今週やったこと……)

 今週の休日。真由と、その妹である瞳と一緒に遊園地に行った。

 長崎といえばハウステンボス。入園料から食事、乗り物代全て彼女らの分まで支払うことになった。いろいろな乗り物。パレード。食事。ホライゾンなんとかという洪水を体験する乗り物に乗った際、水に驚いた真由に突き落とされて全身びしょぬれになり、不審人物として警察に補導されそうになった。

 その翌日。先日の外出で小遣いを使い果たしたために、サフランで朝からバイト。学校は当然自主休校。その夕方、日直の相方だったらしい真由に脳天から唐竹割をくらい、目が覚めたときには朝だった。

 翌日。つまり一昨日。久々の学校。出席日数の計算に午前中を費やす。午後一の体育の授業で行ったバスケットでダンクをかました際に、ゴールが重量に耐え切れなかったのかあっさりと大破。教師による二時間の説教後、帰宅後に母・彰子にかかと落としをくらってその日は終了。

 そして昨日。

 午前中にあったデパートの大売出しに彰子が出撃。サフラン臨時休業はよかったのだが、学校休まされた上に荷物持ちとして強制連行される。以降、人ごみと尋常じゃない労働のために記憶を消失。

 そういえば、いつもと同じような内容だった気がする。

「…………」

 沈黙している間にも、双真の攻撃は止まない。身体能力的で上回る彼の動きから逃れるすべはない。結果的に、耕介は少しずつ体力を消耗していた。楽しいことを考える余裕がなくなってくる。

 いや、そもそも。

「楽しいことって何!?」

 叫ばずに入られなくなって、耕介は両手をわななかせた。

「俺の人生って……」

 嘆きと悲しみ、そして多分の呆れを載せて、彼は呻いた。涙を流す暇もなく、身体に指令を送る。致命傷だけは、何が何でも避けなければならなかった。

 と──

 瞬間的に膨れ上がった殺気は、双真の後方からやってきた。視線をずらし、確認する。耕介と同時に、双真も気付いたようだった。攻撃の手が止まり、一瞬だけ視線が後ろに向いた。

 風に揺れてたなびく黒髪。白いスーツ姿の長身の男。

(十四郎?)

 すっかり忘れていた彼の存在に安堵して、だが即座に耕介は彼の殺気に恐怖を抱いた。彼が抱く殺気。それが向けられている対象は。

(双真!)

 唇が震える。言いたいことは沢山あったが、とりあえず最重要事項だけを選択して、耕介は声をひねり出した。

「やめろぉっ!」

 誰に言ったのかもわからないほど、それは一瞬だった。まばたきする間もないほど、一瞬で双真の気配が完全に後方に向けられる。そして──

 スローモーションのように、十四郎は崩れた。あっという間に力を奪われた彼を両目にしっかりと焼き付けながら、耕介は一方で最悪の事態を目に見えて察知していた。オーラのような赤いモヤが、双真の身体を包んでいる。

「反力が発動した……! っていうか……」

 震え。なんというか、もうそれしか表現の方法がなかった。

「十四郎の役立たずうぅぅぅっ!」

 叫ぶ。自分の人生、命、未来。その他もろもろ全てをかけて、彼は叫んだ。「HELL&HEAVEN」の党首であるはずの彼は、地面に伏してすでに沈黙している。

「……生きてやる!」

 十四郎が意識を失ったのを確認してから、ゆっくりと、双真が顔をこちらに向けた。殺気などという生易しいものでない、視界に入る全ての存在を否定するかのような視線。それを真正面から受けて、耕介は思わずたじろいだ。

 知り合ってしまったからこその、仲間として過ごしてきたからこその躊躇い。逃げることも、戦うこともできない。いや、それよりもなお強いのは。

「……死ぬもんか!」

 生きたいという意志と。

「……こんなところで、こんなことで死んでたまるか!」

 とりあえず、人として最低限守っておきたいプライドだった。ベッドの中で寿命で死にたいとはこの際言わない。けれど真由の呪い、もとい双真の飲酒で酔っ払った挙句に殺されましたでは、例え死んでも死に切れない。

「死んでたまるかぁぁぁっ!」

 雄叫びだけが虚しく裏界に響き渡り、耕介はそのまま猛ダッシュで双真に背を向けて走り出した。

 

      ◇

 

「何故……殺した?」

 何度耳にしただろう。何度聞かれたのだろう。そう飽きるほど繰り返し問いかけてくる少年と対峙しながら、彼は無造作に右手に力を込めた。地面を蹴り、少年との間合いを詰める。彼の握力からすれば、人間の肉体を素手でちぎるのは簡単だった。それを狙って、少年の心臓部に凶器を振り下ろす。

 が、仕留められると判断した攻撃は、あっさりとかわされた。

「何故?」

 後方に飛びながらも、少年はさらに聞いてきた。何故、殺すのか。全く理解できないといった表情で。

(いや、違うな)

 理解していないわけではない。少年から感じる匂い、鼓動、息遣いを感じ取って、彼は確信した。

(こいつは同類だ)

「わかっているはずだ」

 彼の呟きは、少年の耳にも届いているはずだった。

「力が全て。ここはそういう世界のはずだ。ここで生きるお前だって他人に殺意を持っている。実行するかしないか。ただそれだけ」

「殺す必要はないだろ!」

「お前だって、殺したいはずだ。いや、殺人自体はただの通過点だ。実際、お前はあの現場を見て警察などという連想を思い浮かべたか? 違うだろう? 要は否定したいんだ。他者を。敵を。自分と相容れぬ存在全てを」

「違う」

「違わない。殺したいんだろ?」

「……違うっ!」

「力で他者を傷つけるのが怖い。許せない。だから「HELL&HEAVEN」とかいうお前たちは一般人には手を出さない……か。くだらないな。結局、力でここら辺の不良を押さえつけているに過ぎない餓鬼の集まりじゃないか」

「…………」

「もう一度言ってやる。殺す理由か? 簡単だよ。そいつが敵だからだ」

 

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