5

 

 双真の言うことは正しい。いつもそうだった。これまでも、これからも。

 あまりにも自分本位な彼は、嘘をつくことをしないからである。つまり方言としての嘘以外には、決して人をだますようなことはしない。性格だからか。流儀だからか。それはわからないが、それが決して正義や善意からくるものではないだろうことは、耕介はいやというほど知っていた。

 彼が言うことは正しい。いつも。例え、それが目を伏せるような耐え難い真実でも、人をどれだけ傷つけようとも、彼は真実しか言わない。

 だから、彼が「殺す」といった以上は必ず殺すし、彼が「敵」と判断したのならば、それは彼にとっては敵なのだろう。敵であるなら、彼は確実に殺す。それが自分にとって敵でなくなるまで。

 

「肯定という概念を成立するためには誰かがそれを『否定』しなければならない。否定する存在が必要となる。それが……」

 

 ──神楽双真。

 

 そう。だから彼は敵を否定してきた。

 世界の全てを。世界そのものを。

 

「そうだ。俺たちも敵だった。敵だったんだ」

 

 殺し、殺され。奪い、奪われる。

 否定という存在意義を、命を賭して実行に移す存在。

 それが彼。

 目の前の、酔っ払っている相棒。

 

 けれど──

 

「そんな哲学ごときに……」

 

 叫びは、もう声になっていなかったかもしれない。

 

「俺たちの人生が、決められてたまるか!」

 

 それでも、耕介は叫んだ。迫り繰る殺気の塊。双真という一人の友人に向かって。

 

      ◇

 

 圧迫。

 脳が回転し、連動するようにぐらりと内臓が震動した。続けて燃えるように胸が熱くなり、吐き気が食道を通って一気に駆け上がってきた。額から、腹部から、手、足、身体のあちこちから、さび付いた鉄の匂いと、液体が身体を這う感触が覆い尽くす。

 自分がどうなったかわからないまま──

 少年は、そこで意識を失った。

 

      …

 

 原因。

 それを理解した者が、はたしていたのかどうか。彼には今ひとつ納得できなかった。存在に意味消滅を仕掛ける能力を持ちえてしまった自分を、『肯定』できる存在がいたのかどうか。

 父、母、兄、姉、彼らに仕える使用人、神楽の家と関わりのある人間、少年が見たことのある人間全て。

 地下牢。岩壁に両手両足を縛り付けられ、呼吸以外の全ての自由を奪われながら、少年はただひたすら考えた。

 自分の存在理由。

 自分の能力。

 否定することから始まるこの能力が生まれた理由。

 そんな能力に目覚めた自分。

 

 自分を『否定』することすらできなかった連中など切り捨てて。

 いずれ会うだろう、自分を殺せる存在。自分を否定することで肯定できる存在。この世界のどこかにいるその誰かのために、少年は能力の制御に取り掛かった。

 

      ◇

 

「俺を殺してみろ!」

 叫んだことを、後悔したわけではない。例え数人がかりあろうとも、自分を殺せるのなら、彼らは双真を否定したということになる。

 つまり『肯定』したのだ。『否定』することが双真の全てなのだから、『否定される』ことはすなわち、彼にとっての『肯定』となる。

 そんな意識を、彼らに知ってもらおうとは思っていなかった。理解してもらおうとも思わない。

 地面に仰向けに寝転びながら、双真は切り裂かれた右の腹部を押さえていた。抑えている左腕でさえ、銃弾に貫かれて血を流している。弾が残っていないのでさほど痛みがあるわけではないが、出血のために意識が揺らぐのは防ぎようがなかった。

 どちらにしろ、もうすぐ自分は死ぬ。彼らの手によって。

「HELL&HEAVEN」

 天国と地獄。光と闇を抱える連中によって。

 と──

「あー、悪いんだけどさぁ……」

 あまりにも飄々とした声で、少年は双真の面前にやってきた。寝転がっている双真の顔を覗き込むようにして身を乗り出す。

「勝手に自己完結して死なないでくれる?」

「……何?」

「だから、死なれると困るって言ったんだ」

 一瞬、理解できなかった。先程まで、尋常ならざる殺気を放っていた少年とは思えないほどのあどけない顔。周りに存在する五つの気配からは、いまだに明らかな殺気を感じられたが、この少年にはそれがない。殺気、いやそもそも暴力とは無縁の、普通の少年に見えた。

「何故?」

「理由が必要?」

 先程の仕返しだろうか。それともそういう質問をされると予測していたのだろうか。嫌味にも似た笑みを浮かべて、少年は言った。

「そうだね。確かに俺はアンタの敵かもしれないけど。アンタは俺の敵じゃないから……かな?」

「俺が敵じゃない?」

「そう」

「つまり、殺すに値しないと……」

「そうじゃないよ。ああ、もうっ! 何て言うかな。同じなんだ、ここにいる皆。アンタ見たく傷を負って、独りで生きてきた」

「家族は?」

「いるよ」

 実にあっさりとした、少年の答え。双真に至っては、もう顔面にハテナを浮かべるしかなかった。

「そう意味じゃなくて。だから、何て言えばいいんだよ? 十四郎!」

 と、少年が長髪の男に向かって愚痴を飛ばす。それに習って視線を向けると、男は「耕介の好きにすればいいよ」とだけ言って、肩をすくめて見せた。

「うん。ま、言ってしまえばアンタの生殺与奪の権利は俺にあるってことで。そんなわけだから、アンタは生きろ」

「……殺せ」

「嫌だ」

「他の誰でもいい」

「それも駄目」

「何故?」

 結局、辿り着いたのは先程と同じ疑問だった。ワシワシと、苛立たし気に自分の頭をかいて、少年は諦めたようにため息をついた。

「だから同じなんだ。俺も、アンタも。結局のところ、アンタの言ったことは正しいんだよ。そうさ。俺は人を殺したい。殺したくなる。でも、それじゃあ駄目なんだ。正しいからってだけじゃあ、許されないことだってある」

「…………」

「解せないって顔だね」

「当たり前だ」

 そう応えると、少年はふと何かを思いついたようにあごに手を当てた。そのまま他の面子を見回す。長髪の男同様、他四人も反応は同じだった。つまり、少年の好きにすればいいと。それを受けて、少年がさらに考え込む。

(考える必要などない。俺を殺せば、それで終わる)

 そう思う。そうとしか思えない。なのに、この少年は生きろという。死なれたら困るとも言った。

「解せないな」

「なら、確かめてみる?」

 考えがまとまったらしい。両手を腰に当てて、少年は言った。

「確かめる?」

「そう。俺たちの傍でさ。俺が今言った言葉の意味を、確かめてみる気はないか?」

「仲間になれ……と?」

「いきなりそんな大胆なことは言えないって」

「友達からはじめましょう?」

「いや、こっちはそれでもいいんだけどね? いいの? それで」

「嫌だ」

 きっぱりと言い切った双真に、少年は深くため息をついた。

「なら、どうしたいんだ? アンタは」

「殺せ」

「またそれかい!」

 いい加減、問答の繰り返しに苛立ったのだろう。声を張り上げて、少年は続けた。

「だから駄目だって言ってるじゃないか! ああ、もういい! 今からアンタは俺の部下。十四郎! 確か特攻隊にはもうひとつくらい幹部ポストがあっても良かったんだよな?」

「ああ。もう後ひとつ(・・・・・・)ならな」

「決まり! アンタは『特攻隊長補佐』ね。文句は言わせないからな!」

「言うに決まってるだろう!」

「アンタが生きるも死ぬも俺次第。なら、アンタに拒否権はない」

「……自殺するかも知れんぞ?」

 動けない身体では、何を言っても無駄かもしれなかった。が、少年の不理解な言動を振り切れる自身もない。どうしようもないとはまさにこのことだと、双真は頭痛を感じながらかぶりを降った。額に流れる血が、砂利に混じってどす黒い染みを地面に作る。

「そんなことはしないさ。それだとアンタは自分の人生を完遂できない。だろ?」

「……くっ!」

「ま、いいんじゃない? ちょっとした人生の寄り道だとでも思えば」

 明るい笑顔。双真の睨みも、殺気も、何をもってしても崩せないような。そんな表情で、少年は笑った。

 本当に無邪気に。

 久しく会ってなかった友人と再会したことを喜ぶように。

「名前は?」

 息を吐く。肺から、すべての酸素を搾り出すかのように、深く、深く。

「……神楽、双真」

 咳き込むかのような苦しさを胸に感じながら、双真は自分の名前を吐き捨てた。

 

      …

 

「否定すればいい。世界を。全てを」

 

 否定。

 

「そう。それが、君の存在意義だ」

 

 存在意義。否定が、己の全て。

 

(……そうだな)

 

 だから──

 確かめよう、敵が誰なのかを。何を、どのように『否定』すべきなのかを。

 彼の傍で。

 

      ◇

 

 赤く、赤く。燃えるような赤。その赤で街全体を照らしながら、太陽は静かに地平線の向こうに沈みかけていた。とは言え、街中で地平線が見えるはずもなく、ただビル群の中に目に見えて降下していくのを、静かに見届けるしかない。

 赤く染まる景色。瓦礫と砂。人の生活が感じられないこの裏界でさえ、空は美しく平等に広がっていた。昼と夜の一瞬の隙間であるからこその壮大さ。どんな芸術家でも真似できない輝きは、やがて姿を消してこの世界に闇を落とす。

 その様子を見届けたい気持ちをぐっと抑えて、双真は自分の足元付近に視線を戻した。

 見渡す限り、瓦礫だった。というのは大げさか。別段、いつもどおりに廃ビルが立ち並ぶ、裏界の一角。記憶にある限りでは、彼の部屋からさほど距離が離れているわけでもないだろう。

 裏界は基本的に公道が広いわりに、危険区域という理由でその中を車などが走ることがない。そのためか、交差点などは少し広目の広場として用いられている。集会や宴会、喧嘩などはこういうところで行われることが多く、彼がいるのもそのうちのひとつだった。もちろん、信号機などはない。

 その広場。周りにある瓦礫と交わるように、しかも怪我だらけで、沢山の人間が倒れていた。数にして十数人程度だが、どうにもその服装を見る限り、見知った人間のような気がしないでもない。

 耕介、十四郎を筆頭に、『蓮華』や『魁王』、それに『騎士』がそれぞれ数人ずつ。

「……耕介?」

 とりあえず、一番身近に倒れている耕介に声をかけてみる。と、気を失っていたわけではないらしい。ムクリと、耕介は顔だけを上げた。

「双真。気は確かか?」

「……? ああ、まぁな。熱も下がったようだし。もしかすると、真由が作った玉子酒を飲んだからか?」

「呪いのお陰だってば……」

 逆方向から、こちらは運がよかったのか何なのか、汚れているだけで全く怪我のない真由がぐったりと瓦礫にもたれながらぼやいた。

「なら、今度またお願いするか」

「いや、やめて。お願いだから……」

「何で耕介が泣く?」

「それはともかく!」

 同じく意識があったらしい十四郎が、会話をさえぎった。

「双真……この状況見て、俺たちに何か言うことないか?」

 問われて、双真はゆっくりと、普段見せない困惑した表情を浮かべた。もう一度倒れている連中を見渡す。そのまま考え込むように腕を組んで、彼は一度赤く染まった空を見上げた。

 雲の流れは緩やかだった。風が強いわけではない。穏やかな気候。もうすぐ夏が終わり、秋が来る。秋が来ればやがて冬になるだろう。それは当たり前で、至極自然なことだ。

 双真が風邪を引いたからといって、本当に秋の次が春だったりすることはない。

 夏。時期的には残暑。それでも肌に感じる気温から、そろそろ冷える時間帯だろう。寝間着一枚で外にいる今の恰好を思い出し、それと同時に思いつく。

 ポンと手を打って、彼は言った。

「そんなところで寝てると風邪引くぞ?」

『お前が言うなあぁぁぁぁっ!』

 寝ていたはずの者たち全ての悲痛な叫びが、冷え始めた裏界の夕方に響き渡った。

 

 

 後日。

「HELL&HEAVEN」内において、神楽双真絶対禁酒令が発案、満場一致で施行されることとなり──

 それ以降、この法を破る冒険者はチームを解散するまで現れなかったという。

 

 夕焼け小焼けの反力者     完

 

【4】へ     あとがきへ

Top