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時刻は午後二時を少し回っていた。 「と──まぁそういうわけで、龍香湯の流通経路は主に二つ。フィリピンと台湾。いずれも『船』です。まぁオーソドックスですが堅実でしょうね。日本側の受け入れは長崎と横浜ですね。関係者等の情報も絞れましたから、根絶は無理でもかなり抑圧できるとは思います。士郎さんに言われたとおり、香港警防にも情報は回しておきましたが……」 と、そこで設楽は言葉を切った。こちらの情報になぜか驚いたような表情を見せている依頼主に向かって、多少不安になりながら聞いてみる。 「よかったんですか? それで」 「あ? ああ、上出来だ。ただ、たった一週間でよくそこまで調べられたなって驚いただけだ」 「陸王の情報網を借りましたからね。邪の道は蛇っていうでしょ?」 「あの男か……」 なにやら苦虫を噛み潰したような物言いに、設楽は軽く噴出した。アルバート・クリステラの護送を依頼した相手とはいえ、性格的な問題からか、それとも職業的な差異からか──むしろその両方のような気はしたが、士郎はあまり彼を好いてはいないらしい。 「彼の腕は確かですよ。戦闘力は僕や士郎さんに劣りますけど、『目的完遂』という点でいうならその完成度は世界トップレベルですしね」 「それは認めてるが」 「まぁ彼のことはおいといて、話は全く変わりますけど、彼女はどうなんですか?」 聞くと、士郎は何を聞かれたのか一瞬わからない顔をした。 「彼女?」 「高町桃子さんです」 「桃子さんがどうかしたのか?」 「いや、ですから、大丈夫なんですか? つまり素性とか、これまでの生い立ちとか」 そこまで言ってやっと理解したらしい。が、こちらの言わんとしたことを察したと同時にあからさまに機嫌を損ねたように眉を寄せて、士郎は憮然と言い返してきた。 「別に彼女はそんなんじゃないから問題ない」 「随分と言い切りますね。情報確認しました?」 「いや。してない」 「…………」 じぃっ──と、ただ見つめる。それだけでも十分にプレッシャーは伝わったらしく、士郎は慌てて手を振って弁解を始めた。 「いや、だから彼女はそんなんじゃない。確認はしてないが、どこかの組織のスパイだとかいう可能性は絶対にない!」 「根拠は?」 「ない」 きっぱりと言い切る声にはよどみがなく、その表情に迷いもない。が、だからこそ設楽は心底呆れたようにため息がついて出た。 「何故根拠なくそう言い切れるのか疑問ですが、その自信にもやっぱり根拠なんてないんでしょうね、貴方の場合」 「まぁそう言うな。シューケーキやらんぞ」 「いりませんよ」 きっぱりと断言する。こちらがつまみ食いするのを防ぐようにしながら、残ったケーキを口に含み、「うん、美味い」とうなずく彼の顔は実に満足そうだった。 「こんなおいしいお菓子を作ってくれる人が、悪い人なわけがないだろう?」 「……念のために聞きますが、それ、冗談ですよね?」 低い声で睨み付けると、さすがに彼は困ったように、だが変わらず微笑んだままで続けた。 「それはまぁそうだけどな。だけどやっぱり理由を挙げたらそんなもんだろう。後はなんとなく、これはもう信じてもらうしかないんだが──本当になんとなく、だ。これまでの俺の人生で培ってきた直感と思ってくれると助かる」 その視線にはやはり迷いの色はなかったが、設楽のほうもそれで下がるわけには行かなかった。事は彼だけの問題ではない。 「別に貴方の心配をしてるわけじゃありません。むしろ彼女が実は敵だった場合の、恭也君と美由希ちゃんが心配なんです」 「うっ……それは……」 「士郎さんが誰に惹かれようと、どんな恋愛をしようとそれは自由ですが、自分が子持ちだということは念頭に置いて然るべきでしょう? そしてその他多くの場合に言えることですが、貴方は御自身の立場をもっと自覚すべきです」 「自覚……ねぇ」 「ええ。日本だけならいざ知らず、世界的に有名な暗殺剣術の遣い手。確かに剣術は殺人──それも日本のそれは不意打ちで殺すことを前提に編み出されたものですが、御神流ほど正統の流れを汲んだ剣術流派はそう多くありません」 「……」 こちらの言い方に眉をひそめる士郎の問いには答えず、設楽はさらに続けた。 「今更、貴方に言うまでもないことですが、御神は一重に暗殺に特化した剣術です。でもこれは以前から感じていたことですが、それを扱う一族の方がどうにもそれに適していないような気がします。だからといって、僕のようになれ、とは言いませんけどね」 だからね、と念を押してから、 「士郎さんがこれからどういう人生を歩むのかは知りませんし、干渉する気はありませんが、今後はもう少し思慮深く行動してほしいものですね。行き当たりばったりなんてもっての他です。子供の養育にもよろしくありません」 「お前……意外と教育とかうるさいほうか?」 「貴方の背中を彼が追っているのだから、これくらいは当然です。貴方だけの息子じゃないんですから」 「それは……わかっているつもりだが」 小さく、だがはっきりとうなずいた士郎を見て、ようやく設楽は相好を崩した。手を打ち鳴らして、思い切りよく思考を切り替える。 「はい。それじゃ、真面目な話はここまでとして、結局のところ、まぁ高町桃子さんが敵でないというその直感を信頼するとして、彼女とはどうなんです? うまくいきそうなんですか?」 「ん? ああ、んー、まぁな。その……我ことながら不思議なんだが、いい感じだとは思っている……」 「何でそれが不思議なんです?」 聞き返すと、士郎は今度こそ苦々しく顔をゆがめた。 「恥ずかしい話だが、俺は正面切って女を口説いたことがない」 「…………は?」 これはもう、何の含みもなく、ただその通り素直に驚いて、設楽は素っ頓狂な声を上げた。 「いや、冗談とかでなら言ったことはある。しかしこれまでの人生で、プロポーズとか、告白とか、したことがないんだ」 さすがに気恥ずかしいのか、頬を染めながら士郎は言った。 「……士郎さんって年いくつでした?」 「聞くな」 「本当に?」 「こんなことでうそを言うか」 「……えーと、ちなみに『夏織』のときは?」 「あれはなし崩し的だったからな」 なし崩しでできたのか、恭也君は。なにやら物悲しいものを胸に抱きながら、設楽はさらに問いかけた。 「学生時代は?」 「そもそも恋愛ごとに興味なかった」 「失礼ですけど、初体験はいつ?」 「高校二年のときかな。告白してきた後輩となりゆきで」 「その後、その後輩さんとは?」 「別に何も? 向こうもこのことは気にしないくださいって言ってたし」 「……まさか本気で信じたんですか? その言葉」 「ん? 何かまずかったのか?」 「…………」 無言になったことを疑問に思ったのか、士郎が不思議そうにこちらを見上げた。 「……設楽?」 「あ、いえ。気にしないでください。で、あの……これはちょっと本義から外れるんですが……」 と、あえて注釈してから、少し小声で、内緒話をするように、 「ここの病院の看護婦からお誘いを受けたりしませんでした?」 「よく知ってるな。誰から聞いた?」 「いえ、なんとなくそんな気がしただけです。で、どうしたんです?」 「俺は入院中だし、検査や治療があるし、平日の夕方は桃子さんが来るからな。まぁ暇を見て食堂やら庭やら屋上やらには付き合ってるが……」 「何人くらい?」 「どうだろうな。毎日違う人のような気がする」 「……で、高町さんとは毎日ラブラブと……」 「あ、いや。ちょっと待て。そんな腫れ物を見るような目で見るなよ。別にどうってことないだろう? 看護婦さんたちはボランティアだろうし」 本気でそう思ってるのだろうか、この男は……と心中で呻きながらも、設楽は表情だけはいつもどおりに聞き返した。 「高町さんは?」 「桃子さんは……いい人だ」 それは、受け取り方によってはかなり微妙なニュアンスだった。とりあえず、当たり障りのないことを聞いてみる。 「どんな人なんです?」 「まず料理がうまい」 「ふむ」 うなずく。士郎はもとよりこちらの反応など気に求めてないかのように話し始めた。 「お菓子作りはさすがだ。特にシュークリームは絶品だな」 「なるほど」 「気が利いていて、優しくて……世話好きで、子供好きだ。人見知りの激しい美由希が意外とすぐに懐いたのは驚いた」 「ほほう」 「懐っこい感じなのは、たぶん彼女の性格だろう。本人は童顔だからといってるが。でも見た感じだと胸は大きそうだ」 「……士郎さん?」 なんだか話がずれてきている気がして、設楽は少し遠慮気味に、小声で士郎に呼びかけた。が──独白は続く。 「首の後ろに星のような形のほくろがあって、俺も同じものを、しかも三つ並んだものを持っていることを教えたら見せてと言われたのにはまいった」 「……おーい……聞いてますかー?」 「で、調子に乗って尻を見せたら、はたかれた」 「…………」 とりあえず、設楽は無言で手のひらをかざした。意識して具象化する。イメージはさほど難しくなかった。現時点で必要なのは大きさでも形でもなく、ただ硬い物である点に尽きる。まさか稀代の名剣をこんなことに使うことになろうとは思ってなかったし、そうするのは甚だ遺憾だったが、この不快感を晴らすためには仕方がない。 そうしてフッ──と手のひらの上だけ空気が動き、まばたきした次の瞬間にはその手の内に黒い物質が具現していた。本来は剣であるはずのそれは、だが角材のような形でしっくりと手に馴染んだ。 相変わらずこちらの様子など微塵も気にした風もなく、士郎は思い出したように軽く噴出してみせた。 「しかしその後、顔を真っ赤にして、「可愛いほくろですね」と呟いた彼女は実に可愛らしかった。ああ、そうだ。可愛らしいといえば彼女、背中が弱点らしくてな。以前、いたずらしようと思って指先で背中をなでたら身悶えていたことがあった。あれは可愛かったな。思わず背筋がゾクゾクっと……」 「てい──っ!」 ひどく端的な掛け声とともに、設楽は手に持っていた角材を思い切り、なんの迷いもなく振り下ろした。不意打ちだったせいもあるだろうが、それはさっくりと標的の後頭部にめり込む。無意識と呼ぶにはあまりにも攻撃的な獲物から、後頭部を殴りつけた骨の嫌な感触が伝わってきた。 と── 士郎が声もなく昏倒したのとほぼ同時だったか。軽くノックする音が響き、こちらの返事を待つよりも早くドアが開いた。 「ウイッス! 元気してるかぁ?」 なにやらひょうきんな掛け声とともに、片手に果物かごを掲げながら入ってきたのは見知った二人だった。姫月陸王と、今ここでのびている不破士郎の息子、恭也である。 「……父さん?」 驚きの表情を、そのまま沈黙して物言わなくなった父親からゆっくりとこちらへ向けて、恭也が問いかけてきた。 「あの……これは?」 陸王は──おそらく殴ったときの音を聞いていたのだろう、あからさまに手の中のそれは何だ? と言いたげな視線を投げかけていた。二人の視線から逃げるように、設楽は思わず角材──の形をした剣──を後ろ手に隠してから、 「あ、えっと。これはですね。何て言うか、それ以上のろけやがるのもいい加減にしとけ、この野郎! とか、そういうことを気にしてるわけじゃないんですよ、決して」 「……いや、話が全っ然見えてこねぇんだけど……」 「っていうか、父さん、頭から血を流して痙攣してますけど大丈夫なんですか?」 二人の原因追求の視線に追い詰められながら、設楽は軽く、本当にちょっとだけ後悔した。当の怪我人を放っておくわけにもいかないので、ナースコールを押そうとして、ふと、手にある自分の剣を見る。 「あ、舞姫が血で汚れてる」 今度こそ冷たい視線になった二人から逃げるようにボタンを押して、設楽は病室からそそくさと退散した。
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