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数日後。 高町桃子の姿を見かけたのは、ナースセンターの前の待合椅子だった。缶コーヒー片手に、なにやら雑誌を読んでいる。何をしているのだろうと考えて、だがすぐには答えが出てこなかった。しばらく一考して、 「ああ、士郎さんを待ってるのか」 ようやく導かれた結論に、設楽はぽんと手を打った。記憶が正しければ、彼は今日検査をしているはずだ。回復が順調ならば来週末には退院できるという。しかし本当なら今週中に退院できたはずなのだ。設楽の無情な一撃が、ことのほか大ダメージを残したらしい。 ちなみにそれが判明したとき、陸王は呆れ、恭也は何故か父親に同情していた。そして彼女は…… (怒ってましたね。凄く) さて、では彼女にはなんと声をかけるべきだろうか。 (こんにちわ) まず挨拶。 (士郎さんのお見舞いですか?) そして現状確認。 (大変でしたね。退院が一週間延びたみたいで) ……って、それはまずい。原因作った本人が言うべきせりふではない。ならば、 (今日は検査と伺いましたが) そう。これで少し様子を見よう。もし怪我の原因の話になったらしらばっくれてやろう。 「…………」 が、 (素直に謝ったほうがよさそうだなぁ……) すぐに思い直す。彼女は怒ったら怖いということは、先日経験済みだった。迫力があるのは間違いないが、それにしたって素人レベルだ。数多くの実戦経験のある設楽なら笑って受け流せる程度だし、士郎とてそれは同じだろう。だというのに、あの場にいた全員が──遅れてやってきた医師までもが縮み上がったのだから、高町桃子と言う人物はつくづく不思議だ。 彼女の本気の眼は、見た瞬間に何故かこちらが悪いことをしたような気になる。それを思い出して、設楽はすぐに謝ろうと決心した。 とりあえず、声をかけることにする。まずは「こんにちは」だ。しかし、何故自分は、たかだか挨拶するだけにこんなに緊張してるんだ? 疑問は消えなかったが、ひとまずそれはわきにおいておくことにした。息を吸い込んで、手を上げる。 しかし。 「あら。こんにちは」 寸前で顔を上げた彼女の視線がこちらを捕らえ、無常なほどの笑顔で声をかけてきた。 「あ、えっと。あの、はい。こんにちは」 上げた手を握って開いてまた握る。所在のなくなった右手をもてあましていると、 「今日はどうなされたんですか?」 先に聞きたかったことを聞かれてしまった 「あの、えー、士郎さんの……お見舞いに」 「そうですか。わざわざありがとうございます」 何故彼女が礼を言うのだろう、と。ここは突っ込むべきだろうか。 「士郎さん、今日は検査の日で、ちょうど今検査中なんです。もうあと二十分ほどで終わると思いますけど」 「……そ、そうですか」 としか言えずにいると、彼女は雑誌を閉じてラックにしまい、席の半分を設楽に譲った。 「そういえば、まだお名前聞いてませんでした」 「あ」 端的に。設楽はそれだけを漏らした。高町桃子の隣に腰を下ろしながら、緊張して固まりつつある声帯に活を入れる。 「設楽です。皇設楽」 「皇さん、ですか」 「設楽で結構です」 苗字で『さん』付けされるのは、何故か無性にむず痒かった。 「えっと……高町桃子さん?」 名前を呼ぶ。彼女がこちらを向いた。いや、最初から向いていた。設楽が意識していなかっただけだ。そうしてようやく、設楽は自分の緊張がどこから来るものなのか察し始めていた。 「貴女は何故ここに?」 「私も士郎さんのお見舞いです」 「ええ。それはもちろんそうでしょう。そうではなくて、僕が聞きたいのは、何故お見舞いに来ているのかということです。それも毎日」 「え?」 今度は彼女のほうが驚いたように目を見開いた。 「助けてもらったということでしたら、貴女が恩を感じるまでもありません。怪我をしたことに関しても、貴女が責任を感じる必要はありません。あれが彼の仕事で、怪我をしたのは自業自得です」 「あの、でも、士郎さんが助けてくれなかったら、私は死んでたと思いますし」 まぁきっとそう言うだろうな、と思ったとおりに、彼女は言った。 「それでも、ここまで貴女が付き添うことはない──と、まぁそんな言い合いをしたって無意味ですから、本題に入りましょう。単刀直入にお尋ねしますが、士郎さんのこと、どう思います?」 「え?」 その「え?」は、そう聞かれたことに驚いたものではなく、どちらかといえば話の転換が急すぎたためのものに見えた。 「ですから、男としてどうかと。彼もいい年だし、子持ちですからね。どうしたって恋愛の先の、結婚を考える必要がありますから」 「け、結婚ですか?」 声が上ずっている。先ほどと立場が逆転していた。 「ええ。彼の仕事のことを考えても、気ままで気まぐれな恋愛をしている余裕なんてないでしょうからね」 「それはそうかもしれませんけど」 「けど?」 聞き返す。桃子は照れているのか、それとも迷っているのか。判断がつかない表情でつぶやいた。 「まだ心の準備が……」 「出来ていないのならしてください」 設楽は容赦しなかった。 「彼の仕事が危険だということは知っているでしょう? 詳細はいえませんけど、生半可な覚悟で彼に近づいてほしくないんですよ。傷つくのが貴方たちだけなら目を瞑りますが、恭也君と美由希ちゃんのこともありますしね」 「……設楽さんは」 「はい?」 「士郎さんとはどういうご関係なんですか?」 「全く持って赤の他人です」 きっぱりと断言した。それから小声で「でも……」と、付け加える。 「直接的な血縁はないんですけど、立場的には恭也君の従兄弟……いや、伯父かな? まぁそういう関係です。なので本音を言うと、士郎さんのことはどうでもよくて、恭也君のことが心配なんです。彼はしっかりしているように見えますけど、やっぱりまだ子供ですからね。士郎さんはどうなってもかまいませんが、恭也君と美由希ちゃんには幸せになってほしいのですよ」 「……」 沈黙する桃子に、設楽はさらに問いかけた。 「子供は好きですか?」 「……はい」 「恭也君と美由希ちゃんは?」 「好きです」 「士郎さんのことは?」 「それは……」 言いよどむ。何を迷っているのかわからなかったが、彼女の気持ちは少なくとも固まっているように見えた。 「士郎さんは、たぶん……っていうか、確実にあなたに好意を抱いていると思います」 「それは……わかります。私も同じですから」 ということは、少なくとも二人は両思いということだ。ならば彼女が何を迷っているのかと考えたとき、設楽は不意に答えにたどり着いた。 「士郎さんのことは……好きです。士郎さんもそう思ってくれてるだろうなって思います。でも恭也君と美由希ちゃんにとってはどうなのかなって」 なるほど。結局、問題はそこに行き着くわけだ。 「お菓子作り一辺倒だったから、母親なんて務まるのかなって」 「まぁ、誰だって最初は素人ですよ」 ありがちな慰み文句だったが、設楽は気にしなかった。彼女が子供たちを最優先に考えてくれているのであれば、何も言うことはない。士郎の言うとおり、彼女なら優しくて思いやりのある母親になるだろう。 となれば、残された問題は一つだった。 「もう一度お聞きします。士郎さんのこと、どう思います」 「好きです」 今度は即答だった。 「結婚を申し込まれたら?」 一拍。彼女は静かに深呼吸して、しかし相変わらず顔を真っ赤にしながら、 「……お受けしたいと思っています」 しっかりと設楽の目を見て、彼女はそう言った。同時に、設楽の手元でカチリと音がした。
──結婚を申し込まれたらどうしますか? ──お受けしたいと思っています。 テープに録音された会話が病院内に放送されたのは、高町桃子が帰宅した二時間後だった。
◇
「しぃ〜〜たぁ〜〜らぁ〜〜っ!」 鬼の形相とはこういうものかもしれないと、それを見た看護婦は後に語ったというが、そのときの士郎にはそんなことを気にする余裕は全くなかった。飄々と出迎えた黒尽くめの少年の胸倉をつかみ、これでもかというくらいに締め上げる。が、苦しそうな様子もまったく見せず、平然とした表情で彼は言ってきた。 「おや、士郎さん。何を怒ってらっしゃるんですか?」 「この期に及んでそういうことを言うのか!」 「はて。僕には何のことやら」 「しらばっくれるな。何だ、あの放送は!」 そこで彼はようやく思い立ったらしい(しかもわざとらしい態度で)。首を絞められた体勢のままポンッと手を打って、やはり笑顔のまま設楽は言った。 「皇設楽提供、愛のエチュードです」 「……このまま死ぬか?」 「や、やだなぁ。ちょっとした冗談じゃないですか」 「笑えん冗談だ!」 「でも、これで逃げられなくなったでしょ?」 「うっ!」 思わず設楽を締め上げていた腕の力が緩む。その一瞬の隙を突いて、彼は士郎から逃れていた。 「お互い気持ちは同じで、心配していることも同じ。だって言うのにぐずぐずしてるから、背中を押してあげたんじゃないですか」 その言い様だと、まるでいいことをしたように聞こえるから始末に悪い。 「だからって、ああいうのは反則だろう」 「幸せになるのにルールは要らないでしょう? 別に誰かを踏みにじったわけじゃないんだから」 「俺が踏みにじられてる!」 地団太を踏むようにして抗議する。 「プライバシーの侵害だ」 「おお。それは気づきませんでした」 「お前、絶対にわざとやってるだろ!」 目に熱いものを感じて、士郎は壁に寄り添った。 「でも優柔不断で奥手の士郎さんには、これくらい派手なお節介が必要でしょう?」 「大きなお世話だ」 「結果よければすべてよしとも言うじゃないですか」 「結果?」 「桃子さんの気持ちはもうわかったのだから、後は士郎さんが行動するだけでしょ? とにかく何かしらのアクションを起こさなければならないでしょうね。ちなみにここで逃げたら、士郎さんはこの病院の女性陣から総スカン食らうでしょうから、気をつけて発言してください」 「うぅ……」 確かにそれはきつい。病院という建物の中で、看護婦を敵に回して無事に済む可能性は皆無といってよかった。 「お前ってこういうことする奴だったのか?」 苦しまぎれにつぶやくと、それこそ心外だとでも言うように設楽は肩をすくめて見せた。 「僕はもともとこういう人間です。まぁ人生経験上、暗くなっていた時期もありましたけど、一部の特殊な人に出会って赤く染まったというかなんと言うか……」 朱に交わって赤くなったと、そう言いたいらしい。その原因に最初に思い浮かんだのは姫月陸王だった。 「というより、むしろ真っ赤だったのを思い出したというのに近いですね。大体、士郎さんは大事なことを忘れてます」 「大事なこと?」 何のことかわからず、士郎は聞き返した。設楽の表情がさらに楽しげに歪む。あれはこちらがまるっきりわかっていないのを、心底楽しんでいる顔だ。 「僕が、いったい誰に育てられたと思ってるんですか?」 「〜〜〜〜〜〜〜ッ!」 その一言で、士郎はもう何も言う気力がなくなった。がっくりとひざをつく。設楽がケタケタと笑い、脱力しているこちらの肩を軽くたたいた。 「ま、がんばってください。草葉の陰から見守ってます」 「やめてくれ」 「なら地獄から?」 「呪いじゃあるまいし」 「ハハハ。まぁそれだけ突っ込みいれられるなら大丈夫でしょ。そのノリでがんばってくださいな」 「お前な……」 「がんばって幸せになりましょうよ」 お互いにね……と。最後にポツリと付け加えられたそのせりふがあまりにも自然で、だからこそ士郎はあわてて顔を上げた。 「設楽……?」 いつの間に立ち去ったのか。声の名残はいまだ耳に残っているのに、姿形はどこにもなかった。と──彼の姿を探すうちに自室のベッドの上に一本の小太刀を見つけて、士郎はそれを手にとって見た。 「八景?」 それは紛れもない彼の刀。預かっていた仮の愛刀。そしてその所有権は設楽にあるはずのもの。その小太刀に、付箋が張ってあった。
──これは士郎さんに差し上げます。
「いったいどういうつもりだ?」 追いかけて問いただしたい感情に襲われるが、士郎は寸でのところでそれを押さえつけた。縁があればまた会えるだろうし、真意を聞くならそのときでもいい。今はただ、言葉にすることの出来ない感覚に身をゆだねていたかった。 怒りと焦燥。やるせなさ。どうにも出来ない悶々とした気持ち。結局、自分は設楽という少年を嫌いになりきれてないのだと実感しながら目を瞑る。 「……?」 だがすぐに耳に入ってきた喧騒に、士郎は目を開けた。部屋の外からだ。騒ぎは次第に大きくなり、部屋の前までやってきた。そうして通り過ぎることなく停止する。嫌な予感がした。 ノックもなくドアが開く。そこには看護婦長を先頭に、この病院の看護婦が集合していた。さらに後方には入院患者の姿も見える。いずれも女性だった。 「さぁ不破さん。男らしく、はっきりしてください」 ああ、なるほど。これから自分は、生涯初めてのプロポーズを彼女たちの前でしなくてはらないのか。そうして、もし桃子を振ったりしたら、最低のレッテルを貼られてつまはじきにされるわけだ。 「不条理だ」 呟くその抗議が聞き入れられることはない。それはわかっていたが、士郎は溢れ出す涙を止めることは出来なかった。とりあえず、返すべき第一声は決まっている。 「設楽の馬鹿野郎ぉぉっ!」 張り上げた怒声は、ことのほか気持ちよかった。
恋愛注意報 完
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