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その崩壊は、いつとも知れずやってきた。 それを知っていたのは世界でただ独り、彼女だけだった。 少なくとも、事の起こりを知っていたのは彼女だけだった。全ては彼女の責任であり、罪を背負うのは彼女であるべきだった。 だがそれが他者の耳に入ったとき、事件は起こる。 彼女にとって運が悪かったのは、それが身近な親族だったということだ。
◇
某月某日、午後四時十二分 高宮市月村邸、月村忍の私室
指先に込めた微妙な力加減の調整に戸惑いながら、それでも高町恭也は忙しなく指を動かし続けた。←、↓、→、←、→、○、○、×。 コマンド入力と同時に画面が光る。音が鳴る。二次元平面上で三次元的に構築された世界の中で、キャラクターが派手な演出で周囲の敵をなぎ払う様は、なるほど、確かに爽快かもしれない。『WINER』と表示されたその裏でポーズを取っているのは、隣に同じ格好でコントローラーを握っている妹の操作していたキャラだった。 「むぅ。また負けた」 言葉ほどに残念な様子を見せず、恭也は嘆息して見せた。 「なのはは強いな」 「えへへ」 髪をツインテールにした妹の頭をなでながら、恭也は立ち上がった。敗者は語らず、ただ去り行くのみ。負けたら交代するルールで、今のところ妹のなのはが六連勝中である。 「今度は結構善戦したんじゃないですか? 師匠」 「ま、ゲームは現実とは別もんやし」 ショートヘアと、おかっぱ髪の関西弁の少女が、慰めとも諦めとも取れぬ評価を下す。それを受けて、憤然と立ち上がったのはこのゲームの持ち主だった。 「よし。ここは忍ちゃんにお任せ!」 「がんばってください、忍さんだけが便りです」 「忍さん、ファイト!」 城島晶と鳳蓮飛の応援の下、第七回戦が始まる。が── 恭也との勝負にかかった時間の約三倍ほど。よく粘ったのだろうが、それでもなのはの勝利で幕は閉じた。 「うーん。やっぱ勝てなかったか」 「おし、こうなったらもうノエルさんにご登場いただくしか……」 なにやらいきまいている子供たち──と、大学の同級──から一歩退いて、恭也は和やかな雰囲気に目を細めた。 天気もよく、空気も心地いい。皆で和気藹々と過ごすのにはもってこいの一日である。 今日は高校時代に知り合った月村忍の家でゲーム大会だった。ここが高町家と離れているせいで、皆が集まって遊べる機会は中々少ない。連休を利用したお泊りに、妹と妹的立場の中学生二名は楽しそうにはしゃぎ、読書に目がないもう一人の妹は先ほどから一度として本から目を離していない。こういう場には不慣れな恭也も、戸惑いながらも楽しんでいた。と── 「なのはちゃん連勝阻止の前に、ちょっと休憩入れようか。もう四時過ぎちゃったけど、ちょうどさくらも来てるから。みんなでお茶しよ」 忍の提案になのはが賛同し、手伝いを買って出たレンと晶を見送った後、恭也は外界から完全に孤立した妹の頭を叩いた。 「痛っ、何するの? 恭ちゃん!」 「美由希も、下に降りて休憩しろ。あまり魂をつめすぎると目の毒だ。今日みたいなときに鍛錬はしないから、夜にでも存分に読め」 「あ、うん……」 それでも続きが気になって仕方ないらしい。後ろ髪を引かれるように、本にチラチラと視線を向けた美由希の背を押して、恭也は一階のリビングに下りた。 紅茶のいい匂いがする。鼻腔をくすぐる甘味の気配。恭也は甘いものが苦手だったが、それを承知してくれている月村邸のメイドは、彼でも食べられるものを用意してくれたらしかった。 メイド姿の外国風美女が、大和撫子よろしくしずしずと意見を伺いに来た。 「恭也様には甘さ控えめの抹茶ロールケーキです。お嫌いでしたか?」 「いや、これなら大丈夫。ありがとう、ノエル。おいしくいただくよ」 「恭也君は、甘いものが苦手なんだってね」 小さく、嫌味にならない笑いをこぼした女性に頭をたれて、恭也は席に着いた。ノエルに促されて、美由希や忍たちも席に着く。 手を合わせて皆で「いただきます」。うれしそうにケーキをほおばる妹たちから視線をはずして、恭也は彼女に向き直った。 「すみません。さくらさん。待たせてしまいましたか?」 「ううん。大丈夫。でも、紅茶が冷めないうちにいただきましょう?」 微笑んで紅茶を口に運ぶ姿も優雅な彼女──綺堂さくらは、忍の叔母に当たる女性だった。大学院生の彼女は、暇を見ては車で忍の家に遊びに来ているらしい。 忍といい、さくらといい、そして屋敷のメイドであるノエルといい、この一族はひたすら美形が多いらしいというのが恭也の率直な意見である。以前一度だけ、そのさくらの叔母にも会ったことがあったが、これまた絶句するような美女だった。 (世の中、いるところにはいるよな) 抹茶のほのかな苦味を楽しみながら、そんなことを考えた、ちょうどそのときである。 ガタン──と玄関のほうで音が鳴った。 「誰だろ」 「見てきます」 忍の疑問に答えるようにノエルが玄関へ行こうとした直後、再び音が鳴る。今度は先ほどよりも大きな音だった。どちらかといえば、扉を蹴破る音である。 「ノエル」 「はい!」 不法侵入者。 二人だけでなく、恭也もそう判断した。目配せで美由希に待機を伝え、ノエルの後について玄関に向かう。この中で男手は自分ひとりである。気を引き締めて恭也はドアの向うの気配を探った。 慎重にドアの取っ手にノエルが手を置いたとき、外から女の声が響く。 「ねぇ、忍! ノエル! ちょっと開けて。お願い!」 後からそろっとこちらを覗いていた忍とさくらが顔を見合わせた。 「あれ? この声って……」 「声紋照合。エリザ様と思われます」 「へ? エリザ?」 ノエルの証言を疑うことなく、忍は前に進み出て扉を開けた。そうして皆が顔を出して見たなら、確かにその珍客はエリザベートその人だったのである。 「あら、高町君。お久しぶり」 心底疲れたような顔で笑いかけてくるその姿は、見た目にも無残だった。髪は乱れ、頬は煤け、服は泥で汚れてよれよれになっている。それでもなお美人の想定を崩していないのは、さすがといえるかもしれない。 「どうしたの? エリザ」 「何があったんですか?」 口々にエリザを心配する中、しかし何も言わずに口をつぐんだ彼女に、皆が静まり返った。 『…………』 痛い沈黙。重苦しい空気が場を支配する。何か言いにくそうに、だが切羽詰った様子で、彼女はポツリと呟いた。 「……助けて」
◇
全てが彼女の責任だとしても、その発端までも知っていたわけではなかった。 ただ、彼女は感知したに過ぎない。 その崩壊を。 やってくる、終わりの刻を。
事の起こりはその日の朝──とある一室から始まった。
◇
同日、午前十時半 綺堂邸個室
「事は急を要する」 「そうだな」 何か反論があるわけでもないので、即答しておく。 「何故こうなったのか。それは『彼女』のみが知ることだ。我らとて──つまりは、二百年以上の時を生きた存在である私とて、知らないことは数多くある。世界の一体何割の事象を知り、何割を理解しているのか。それを確かめる術はない。あったとしても役には立たんだろうが──」 そう言って、ザイード・エルメス・ダナ・エッシェンシュタインは背もたれに身体を預けた。 別段、何の変哲もない部屋だった。机と椅子。それも部屋の主であるザイードのためにあるもので、客用のそれはない。従って、必然的に客である彼は立ったままだった。 夜の一族と称される吸血の一族。そのトップに位置する目の前の男は、見た目に比べかなり若々しい口調をしていた。老年であるということは疑いようもなく、だが語りかけるその声はまだ四十前後の父親のようである。 もっとも、話の本当の内容は確かにザイードの娘に関する事であるから、その雰囲気もあながち間違ってはいないだろうと彼は予測した。 濃緑のスーツがあまり似合っていないことに気づきもせず、ザイードは続ける。 「時間はない。あまり、ない。あるかもしれないが、それはきっと錯覚だ。余裕を失ったものと解釈してくれてかまわない。従って、用件だけを簡潔に述べようと思う」 「ああ」 これにも反論はないので、うなずいておく。 「彼女を捕獲し、しかるべきところへ連行してほしい。彼女は今、秘書と『レゴブロックの王子様と水泳教室』という映画を鑑賞しているはずだ」 「聞いただけで見る気が失せるタイトルだな」 隠す気もなく、彼は正直に告げた。ザイードがその通りだといわんばかりに含み笑いする。 「それは私も同感だ。が、事はその映画に起因しているわけではない。それはただ、逃避の一種なのだ。その映画を放映している映画館側にも抗議したのだが、聞き入れてもらえなかった。あそこの社長は頑固でな。金や権力で動く連中ではないのだ」 ザイードは憤慨していた。そのときの様子を思い出したのか、それとも自分の思い通りに事が運ばなかったことへの憤りか。 どちらも大した差はないことに気づいて、彼は何も言わなかった。 ザイードの言葉は、先程と少し変わっていた。 「ある程度は暴力を働いてもかまわない。力ずくでも彼女に強制してほしい」 「アンタの娘に関わることだろう? それでもいいのか? 五体満足で捕まえられるとは限らない」 「ある程度は許容する。この際だ、いたし方あるまい」 「他に邪魔が入った場合は?」 その質問は、ただなんとなしに聞いたものだった。だがザイードの表情は変わらなかった。それまでと同じ、抑揚のない、重低音の声色で断言する。 「かまわん、蹴散らせ」 「…………」 「経費は別途で支払う。人手がいるなら貸し与えよう。方法は君に任せる。好きにしてくれていい」 「成功報酬は?」 「経費抜きで、円で五十万。前金で半額を支払う」 「全額前払いだ」 こちらの断固とした物言いに、だがザイードは即決を示した。この辺りは、さすがに欧州に名だたるエッシェンシュタイン家の頂点に立つ男だと、彼は思った。 「いいだろう。だがそれなりの働きはしてもらうぞ、『反力者』」 その問いかけに、反力者と呼ばれた彼──神楽双真は「無論だ」とうなずいて見せた。
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