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同日、午後一時二十二分 海鳴市国守山さざなみ女子寮、玄関
昼過ぎの突然のインターホンに、槙原耕介は茶菓子を運ぶ手を止めた。 彼が管理人を勤めるさざなみ女子寮は海鳴市のはずれ、国守山の山中にある。故に昼間からチャイムを鳴らしてくる人間にあまり心当たりはいない。客が訪れるには地理的に少々不便なだけに、セールスの類はもっぱら電話が主流であったし、知り合いなら事前に連絡くらいは入れてくれるはずである。 「誰だろ」 一緒にテレビを見ていた友人たちをその場に残して、玄関に向かうと、 「はい、どちらさまですか?」 ドアを開けたその向こうにいたのは、見知った女性だった。 「やっほー。お久しぶり」 にこやかな笑顔でその女性──エリザベートが手を振る。 「…………」 しばし無言で互いの顔を見詰め合っていると、 「耕介? 誰かお客さん?」 声がしないことを疑問に思ったのか、リビングから愛娘が顔を出してきた。彼女に向かってにっこりと笑みを返しつつ、耕介は玄関扉をそのまま閉めて言った。 「気のせいだった。誰もいなかったよ」
……………………
奇妙な沈黙が降りた。ドアを指差しつつ、娘が首をかしげる。 「……いや、でも……そこに女の人、いなかった?」 「だから気のせいだよ、リスティ。見間違い。幻覚。そうでないなら妄想だよ」 「そこまで言う……」 ドアの向うから、ドスの聞いた声が返ってくる。 「やっぱり誰かいると思うけど……」 「……はぁ、仕方ないなぁ」 本気で嫌気が差しながら、耕介はドアを再び開いた。先ほどとは違い、額にうっすらと青筋を浮かべた美女が、こめかみを引きつらせながら立っている。ハテナ顔でリビングに戻っていく娘に笑みを返してから、耕介はエリザに向き直った。 「で、何か用ですか?」 「そんな心の底から嫌そうな顔しないでよ」 「…………」 嫌そうな、ではなく、嫌なのだ。そう言ってやりたかったが、耕介はぐっとこらえた。彼女と意味のない問答をする気はない。最初から。 「それで?」 「かくまってほしいの」 「……かくまう?」 オウム返しに聞き返す。彼女は頷くと、掌を合わせてお願いのポーズをとった。 「そう。実は神楽君に追われてるの」 「さようなら」 即答して、再び扉を閉めようとする──が、今度ばかりは彼女も抵抗してきた。 「ちょ、ちょっと待ってよ。見捨てる気? 彼は貴方の友達でしょ?」 「だから?」 素で聞き返すと、エリザは本気で困ったようだった。 「どうせ、エリザさんのことだから、取り返しのつかないようなどうしようもないことを気づかないうちにしでかしちゃったんじゃないんですか?」 「どうしてそこでわたしが原因だって決め付けてるかな。わたしのこと、営利誘拐しようとしてるかもしれないじゃない」 「双真が?」 友人の顔と性格を思い浮かべながら、耕介は聞いた。 「正確には、その依頼人がね」 至極真面目な顔で言ってきたエリザに、耕介もさすがに真面目に答えを返した。が、返せる答えは最初から決まっている。ありえない。 「それこそありえませんよ。あいつが他人の利己目的に利用されて動くことなんてまずないです」 「…………そうかしら」 それこそ疑問だとでも言うように、エリザがあごに手を当てる。深刻に悩み始めた彼女をさすがにほうっておくわけには行かず、耕介は胸中でため息を吐いた。 (この人が連絡なしに押しかけてくる時ってのは、絶対に厄介ごとなんだよなぁ) とりあえず、玄関で立ち話もなんである。あまり気は乗らなかったが、耕介はエリザに寮にあがることを勧めた。 「入ってお茶でもどうぞ」 「あ……うん。ありがとう。でも、それじゃ、営利誘拐じゃないとすると、一体何の目的でわたしのこと狙ったのかしら……」 「はぁ……そうですねぇ……」 あいまいに相槌を打ちながら、耕介はリビングにエリザを案内した。入り口のところで彼女を先に部屋に入れ、自分は客用のカップを取りにキッチンへ向かう。と、その前に、気づいていないらしい彼女に耕介はさらりと助言した。 「せっかくですから、本人に聞けばいいじゃないですか」 「え?」 きょとんと。 リビングに入っていく足を止めることなく、流れる動作でそのまま視線を部屋の中に向ける。 ズズズ……とお茶をすすっていた双真の姿を視認して、エリザはその場で床に突っ伏した。
◇
同日、午後一時二十四分 海鳴市国守山さざなみ女子寮、リビング
「なんでここにいるの?」 冷戦を申し込んできたのは、意外なことに敵からだった。油断なく身構えながら、リビングにいた寮生(といっても、耕介の義娘であるリスティ・槙原しかいなかったわけだが)に挨拶してから、勧められるままにお茶を口に運ぶ。 日本茶は嫌いではなかった。ついでに言えば、せんべいも。 日本のテレビ番組は面白いものが多いし、そのエンターテイメント性は評価すべき日本の文化だと判断している。それを見ながらお茶とせんべいで休息のひと時を過ごすというのは、至極贅沢な時間ではないかとも思う。が── その中に神楽双真という要素がプラスされただけで、何故にこんなに違和感があるのだろうか。 答えてこない彼に痺れを切らして、エリザはもう一度同じ質問を投げかけた。 「どうしてここにいるの?」 「別に……」 こちらに視線すらくれず、彼は小声で答えた。 「友人のところに遊びに来ていても不思議ではないだろう? お前のように友達がいないわけじゃないからな……」 至極平坦に、感情のこもっていない声で呟く双真に、エリザは怒張を込めて身を乗り出した。 「くっ! それって嫌味よね? 嫌味でしょ? 嫌味でしかないわよね! 喧嘩売るなら買うわよ。三割り増しで!」 「あー、ちょっと二人とも?」 その険悪な空気を見てとったのか、耕介が慌てて間に入ってきた。 「争うなら、ここ、出て行ってもらうからね」 『…………』 互いの目を合わせる。そこに含まれる意見を互いに汲み取って、二人は頷いた。異論はなかった。 「ま、冷戦ってことで」 「異議なし」 高ぶった気持ちを抑えるために熱めのお茶を喉に流してから、エリザはソファに座りなおした。テレビの雑音は無視して、双真に向き直る。 「それじゃ、質問を変えるけど、どうしてわたしがここに来るって事がわかったの?」 「理由はいくつかあるが。一番大きな原因は、お前の交友範囲の狭さだな」 「え?」 「他国ならいざ知らず、この国で、かつこの街でエリザが頼れる人間はそういない。家族想いのお前のことだ。親族に迷惑をかける前に、絶対に耕介のところにいくだろうと踏んでいた」 「…………」 悔しいが図星である。結果、先回りされたことを合わせても、エリザの完敗というしかなかった。ここで争ってはならないと言ってくれた耕介に、密かに感謝する。 「……えっと……さっきも槙原君に聞いたんだけど、何でわたしを狙うの? 一体誰に頼まれたの?」 「……本気で心当たりがないのか?」 「え?」 聞き返されて、エリザは思わず黙考した。自分を営利目的に狙う組織ならいくつも存在する。心当たりもある。双真と彼らの接点があるとは思えなかったが、彼とて裏社会では有名な存在だ。依頼がやってこないとも限らない。だが結局、それは彼の付き合いであってエリザが知るべきところではなかった。 首を振って否定すると、双真は存外に残念そうに言った。 「そうか。ところでお前、昼飯は?」 「食べてないわよ。誰のせいだと思ってんの?」 「元を正せばお前のせいだな」 眉間を険しくしたエリザの言及をさらりとかわすと、双真は唇の端を小さく持ち上げた。本当にわからないのかと。こちらを試すような口調で、先を続ける。 「昼食をとっていないなら、そろそろ薬の効果は切れてるはずだ」 「薬?」 再び思案して、今度は即座にハッとなったようにエリザは硬直した。 「えっと……あの……」 声が上手く出せない。原因は確かにあった。欧州でも一、二を争う財閥、エッシェンシュタイン家の名誉や沽券に関わる重大な問題である。 「つまり……そういうことなの?」 コクリと、双真が頷く。確信した。ならばやはり逃げるしかあるまい。エリザの将来を左右する問題であることは重々承知した上で、彼女に出来ることはやはり逃げることなのだ。立ち向かうには敵は巨大すぎる。 決心は意外とあっさりと彼女に行動を促した。 「……そう。わかったわ。それじゃ、やっぱり……」 息を吸う。吐かずにとめて、エリザは耕介のほうを見た。 「お茶、ご馳走様。ありがとうね、槙原君」 「ええ」 ただそれだけを、耕介は返してきた。目線が「ほどほどにね」と物語っている。エリザとしては、それはむしろ双真に言ってほしかった。 「それじゃ、お先に」 見た目だけは優雅に挨拶して、さざなみ寮を去る。 直後──周囲を満たした背筋も凍るような殺気が、冷戦終結の狼煙だった。
◇
同日、午後二時四分 海鳴市内
辿り着いたのは暗い路地裏だった。 日中だというのに、日の明かりの届かない道をゆっくりと模索しながら、エリザは呟いた。路地は狭く、建物にはさまれて空さえもかすんで見える。 (海鳴にもこんなところがあるのね) 自然協和区域。 海鳴市が掲げるコンセプトどおり、この街は自然をうまく利用した振興開発が進んでいる。耕介を務める寮のある国守山は自然保護区域に指定されているし、海に面した臨海公園は作られてからずっとボランティアによる清掃活動が盛んだと聞いている。 だがどの街にも裏の顔があるように、まだその意識が行き届いていない地区があるというのが現状なのだろう。講釈よりも解りやすい現実を見れば、多少の残念さ以上にエリザはほっとしていた。 完全でない、完璧でないことを見て安心する。 (ま、わたしだってしがない一個人なわけだし……) 卑小だとは自覚していたが、エリザはそっとぼやいた。彼女もまた、その受け持つ仕事は責任重大なものが多く、ほとんどが一族の未来を左右するシロモノである。その重圧は他の比ではない。 その重責を他者に理解してもらおうとは思わないし、理解してほしくもない。秘書のように、ただ同調して手伝ってくれるだけでいいのだ。 ときおり全てを投げ出したくなるが。 (んなことよりも今はどうやって逃げ切るかが先決よね) 身体を襲う痛みにさいなまれて、エリザは小さくため息をついた。双真の言うとおり薬が切れてしまっている。額に汗が浮かび、歩く足取りも重かった。時折吹く冷たい風が唯一の慰みである。 と、その頬を撫でゆく風に髪の毛が揺らされ、反動でエリザはくしゃみをした。 「クシュンッ!」 瞬間── 「!」 『雨』が降った。 『水滴』は地面に突き刺さると、派手に金属音を奏でて跳ね返ってきた。目にも留まらぬ速さで耳元をかすりながら通り過ぎ、空気を切って後方の壁に穴をあける。 「…………」 頬を滴り落ちる血と痛みを無視して、エリザは頭上を見上げた。建物の屋上から、残念そうな声が聞こえる。 「………ちっ! はずしたか」 「あ……あ……」 「あ?」 漏れ出た声を紡ぎ直すのには努力が要った。 「貴方ねぇ! ちょっと待ちなさいよ! 今のは洒落になってないわよ! 当たり所が悪かったら死ぬじゃない!」 「そうか? それは気づかなかった」 いけしゃあしゃあと、黒い金属の塊を構えなおして、双真は言った。 「では次からは気をつけよう」 その砲塔がこちらを向く。 「ええいっ!」 文句を言う暇さえなかった。エリザが舌打ちしたのとほぼ同時に、銃声が鳴る。 集中は一瞬。意識を刈り取り、形を成す。 「Reverse Attack!」 その言葉を呪文にして、エリザは魔術を発動させた。うっすらと半透明の盾が眼前に現れ、降り注いだ銃弾を防ぎ、文字通り敵に向かって打ち返す。 「ちっ!」 跳ね返した計六発の鉛の玉があっさりとよけられたのを確認して、エリザは即座に後方に退いた。正直なところ、接近戦だけは避けたかった。神楽双真の運動能力、そしてそれを駆使した戦闘力は、本来人間のそれを凌駕しているはずの夜の一族をも凌ぐかもしれないというのがエリザの客観的な意見である。こと近接戦闘に関して彼以上の強者を、エリザは見たことがなかった。 故に念じる。近づけなければ問題ではない。 「Wide Wipe Storm!」 風が吹きすさぶ。狭い路地裏で視認できるほどの残滓を纏いながら、怒り狂った風が荒々しく世界を吹き飛ばしていく。青いエネルギーの塊が、屋上からこちらへ跳躍してきた双真を飲み込み、逃げる場所を見出せなかった風力エネルギーを暴発させた。 砂塵が巻き起こる。 爆発する空間から数歩離れて、エリザは気配を探った。この程度で抑えられる相手だとは思っていない。ならば── 「Look Like Lack Life!」 前方に掲げた両の手の平の中央に生じた光の弾が、煙の向うから伸び出た敵の腕と接触した瞬間、エリザは宣言した。 「Unlack Return!」 発現した光の弾はエネルギーの渦となって空間ごと飲み込んだ。光熱の刃が、まだ煙の向うにいたはずの敵ごと爆砕する。あまりに近距離での爆発にエリザでさえも吹き飛ばされた。渾身の威力を込めた魔力の弾は、思った以上の成果を上げたらしい。 やがて砂塵が晴れたそのとき、エリザの前方──神楽双真がいたと思われる場所には何もなかった。球状に壁が抉り取られ、地面が削られた無残な跡が残るのみである。 「…………」 その焼け跡を目の当たりにして、 「…………あれ?」 敵を倒したにしては存外に間抜けな声を上げて、エリザは目をパチクリとさせた。 「も、もしかしてやりすぎた?」 答えは返ってこなかった。誰もいない空間。エリザだけがぽつんと取り残され、瓦礫の山だけが惨状を物語っている。乾いた風がホコリを吹き飛ばすように吹き抜けていく。 跡形もなく消滅してしまった(かもしれない)敵のことを考えて、エリザは蒼白になった。 「……えーと……」 まずい。そう思い始めたのは、路地向うに人影が見えたからである。あれだけの騒ぎだ。いくらここが人気のない場所といっても、騒げば気づくものもいるだろう。 それ以前に、神楽双真のことをどうすべきか、考えないといけない。 死んでしまったのだろうか。 殺してしまったのだろうか。 リオになんて言い訳しよう……。 もしかして自分は、彼がなにをしても死なない化け物だと思ってはいなかったか。 心臓を止めれば死ぬ。脳を撃ち抜けば死ぬ。いくら戦闘力があっても、彼とて生身の人間である。急所を貫けば死ぬしかないのだ。 「……どうしよう」 ようやくその結論に至ったとき、現れた人影がのっそりとこちらにやってきた。 「おい」 声が響く。どきりとした。殺人現場を見られたなら消さないといけない。これから始まる犯罪者人生を思って、エリザは胸中で泣いた。と── 「お前こそ、俺を殺すつもりか?」 あっけらかんと。 人影はそう言ってきた。 「…………あ、生きてた」 思わず呟く。 その人影は、確かに神楽双真だった。ところどころ焦げてはいるが、五体満足で地に足をつけている。生きていたことがわかってほっと一安心した後、わいてきたのは純粋な怒りだった。 「って、何であれで死んでないのよ! 何で無傷でいるわけ?」 力いっぱい突っ込むエリザに、双真はさらりと答えてきた。 「なんとなく避けられた」 「無理に決まってるでしょ、そんなもの!」 指差して思い切り叫ぶ。怒りを抑える努力する気は毛頭なかった。 「なんだ、死んでほしかったのか?」 心底意外そうな顔をした双真に、 「そうじゃないわよ! 生きていたのには安心したけど、それとこれとは別なの! さっきの魔術は紛れもなく、掛け値なしに本気で仕掛けたのよ? 防いだのか躱したのかは知らないけど、わたしの全力攻撃が効かないなんてどういう身体構造してるのよ、貴方は! どう考えたって死んでないとおかしいぐらいの威力なのよ? 変よ! 絶対に変! でも生きててくれてありがとう」 最後は何故か涙目になっていたが、エリザはかまわずわめき散らした。 訝しげに双真が首をひねる。 「お前は一体何を言いたいんだ?」 「ほっといてよ! 犯罪者にならなくてほっとしてるんだから!」 「そうか」 「そうよ!」 しばし沈黙。やがて落ち着きを取り戻した頃、それを見計らって双真がこちらに一歩近づいてきた。 「さて、落ち着いたようなのでそろそろ行くぞ」 「そうね」 頷いて、そろって歩き出す。そして不意にエリザは立ち止まった。何事かと双真もこちらを向く。 「…………」 「…………」 互いに顔を見合わせること数十秒。違和感に気づいた瞬間、エリザは叫んでいた。 「って、そうじゃないでしょーーっっ!」 「ちっ。気づかなくてもいいものを」 残念そうに舌打ちする双真に怒鳴り返すと、 「何どさくさにまぎれて連れて行こうとしてるのよ!」 先を歩いていた彼が、やれやれと肩をすくめた。 「おとなしくしてついて来い。さもないと力ずくになるぞ」 「最初から力ずくで来たくせに、さも説得に失敗したみたいな顔をしないで!」 「む。では聞こう。何が不満なのだ? あえて気に触るようなことした覚えがないのだか……」 「これまでの経緯を振り返って、どうしてそういうことが言えるかな……」 「俺だからな」 きっぱりと言い切る双真の表情は全く迷いがなかった。 「うっわー。果てしなく自己中心的だわね」 同時に、果てしなく彼らしい理由であり、だからこそ理解できる理由でもある。 「納得したな。では行くぞ」 その言葉を受けて、エリザはゆっくりと息を吸った。そして吐く。一字一句。全てに感情を込めて、 「だ・れ・がっ!」 背を向けて歩き出した双真に、手を掲げる。 「行くか────っ!」 再び打ち放った光熱波が、辺り一体を焼き散らしながら双真を吹き飛ばした。
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