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 戦い。

 逃走。

 以下繰り返し。

 そして舞台は月村邸へ……

 

      ◇

 

 同日、午後四時二十七分(・・・・・・・・)  隆宮市月村邸、玄関前

 

「…………」

 忍は唖然とした。

 聞けば計四時間以上、逃走劇を繰り広げていたらしい。ぼろぼろになるのは無理もなかったが、一方で忍にしてみれば「信じられない」の一言だった。

 夜の一族はその体力も知力も人間を遥かに上回り、そして密かに秘めた特殊能力を持ってすれば人間など敵にもならない存在である。

 その中でも、エリザベートという女性は随一の能力を誇る人物だというのが忍の中での見識だった。吸血種であり、同時に魔術師でもある彼女は、一族の中でもずば抜けて強い。圧倒的な実力とそれに裏づけされた経歴。そしてそれを生かしきる彼女の有能さが認められ、わずか十代で一族の後継者に納まった彼女の手腕は誰もが一目置くほどなのだ。

 信じられない思いでいっぱいになる。

「追われてるって……」

 彼女が逃げるという手段しかとれず、あまつさえ助けを請うなどとは、忍にとっては冗談にも等しい事実だった。

「一体誰から逃げてるの?」

 だからこそそれが冗談でないこと、そして追ってくる敵が尋常でないことをいち早く察知したさくらが、深刻な顔になった。

「あ、悪魔よ」

 短く、エリザはそれだけを言った。

『悪魔!?』

 全員が素っ頓狂な声を上げる。

「ちょっとエリザ。詳しく話して。一体、何故、追われてるの?」

「わからないの」

 口早にまくし立てる彼女の態度は何かを隠している風ではあったが、忍は何か事情があるのだと踏んで聞くのをためらった。

「わたしのことを貶めようとしているの。わたしの弱みをことごとく知ってる点からしても、最悪の敵だわ」

 さくらがつばを飲む。

 エリザの実家──エッシェンシュタイン家は、世界でも有名な富豪である。彼らが経営する企業のライバル社がよからぬ事をたくらんでも仕方ないほど、ヨーロッパ経済に影響力があるのも事実なのだ。

「追手は?」

「一応、振り切ったけど、多分見つかってると思う。ごめんね、忍。わたし、もうここしか逃げる場所が思いつかなくて……」

「ここに来るの?」

「悪魔が?」

 口々に驚きの声を上げる少女たちの疑問には答えず、忍は唇をかんだ。

「大丈夫。忍ちゃん特製のセキュリティシステムがあるから、敵が来ればすぐにわかるし、撃退してくれるよ。なんたって、ノエルと高町君に実験体になってもらったんだから」

「ああ、確かにあれはな……」

「少々、やりすぎのような気もしないではないですが」

 なにやら弱気に同意してきた二人を無視して、忍は胸を張って答えた。

「ってなわけだから、安心して良いよ。ここには強い味方がそろってるんだから。ね?」

 彼女を励まそうとウインクして見せたそのときである。

 轟音を上げて、炎が空を焦がした。

 爆発は月村邸の門のほうで唸りを上げ、炎柱となって天へ昇っていく。灰色の煙を吐き出しながら敷地内の林を焼く炎の渦に、一同はシン……と静まり返った。

 

 …………

 

 さくらが無表情でこちらに向き直る。どういうこと? と、目が語っていた。

「忍?」

「あー……えっと」

 言い訳を考える。が、もとより答えは一つしかなかった。

「全ての攻撃手段を用いても撃退できずに、かつセキュリティシステムが破壊されて、それでも侵入者が健在の場合は、最後の一機を壊した時点で自爆するようにセットしておいたんだけど……」

『…………けど?』

 一同が静まり返る中、無慈悲に立ち昇る爆炎を背景に、

「火薬の量、間違っちゃったみたい」

 テヘッ──と可愛く舌を出したつもりだったが、さくらはこめかみに青筋を浮かべて詰め寄ってきた。

「てへ、じゃないでしょ? いくらなんでもやりすぎよ。あれは!」

「でも多分、敵は撃退できたと思う」

 誰も文句は言わなかった。確かに、あれで生きていたら悪魔と呼んで差し支えない。

 が──

「駄目よ。あの程度じゃ、多分、ダメージを負ってないわ」

「え?」

 そのエリザの言葉を証明するかのように、立ち昇る煙の向うから円弧を描いて落ちてきたのは、よく見知った金属の塊だった。

「あ、セキュリティロボ」

 正確には、その残骸である。彼女自身が開発したのだから見間違いはしない。それがやってきた方向に視線をくれるなり、忍たちは硬直した。

 人影があった。

 ゆっくりと大地を踏みしめながら、黒服の男が近づいてくる。やがて会話できるほどのところまで来ると、彼は煙立ち昇る焦げた服を破り捨てた。

「さすがに、今のは死ぬかと思ったぞ」

 そうは言っても火傷らしい火傷さえ負ってない悪魔の存在に、不意に何かに気づいた忍と、戦闘態勢に入っていた恭也や美由希までもが間の抜けた声を上げた。

『あ、翠屋の常連さん』

「ん? ああ、あの店のウエイトレスとウェイターか。何でこんなところにいるのか……は、もうこの際どうでもいい。そこの女を渡せ」

「彼女に何の用だ」

 気を取り直したように恭也がすごむ。エリザを背後に隠すように前に出た彼に、男の目つきがさらにきつくなった。

「とある男がこいつをある場所へ連れて行きたがっている。邪魔するなら排除しろとも言われている。怪我をしたくなければそこをどけ」

「断る」

 エリザと男の間に立ちふさがったのは、恭也と美由希、それからノエルの三人である。

「ちょ、ちょっと待って」

 慌ててそれを止めようとしたさくらの声も聞かず、先に動いたのは男のほうだった。

 ゆらりと男の姿が霞む。彼の身体を通して向うの煙が見えた瞬間、美由希が横へ吹き飛ばされていた。気配が揺らめく。

「残像!?」

 手に隠し持っていたフォークを投げつける動作よりも早く、男の拳が恭也の腕を打ちぬいた。二撃目の蹴りの威力で彼がガードごと弾き飛ばされた瞬間、ノエルが叫ぶ。

「ファイエル!」

 ほぼゼロ距離射程とも言える間合いからのロケットパンチが男の身体に突き刺さる。派手に吹き飛ばされ、月村邸の玄関扉を破壊した彼は、しかしあっさりと煙立つ向うから現れた。肩を慣らしながら準備運動して見せる様は、まったくといっていいほどダメージを追った風には見えない。

「ノエルの攻撃が利いてない?」

 信じられないものを見た思いで忍は呟いた。エリザが代わりに反応する。

「そりゃ、大型自動車に轢かれてもたんこぶ一つで済むような人だし……」

『ホントに人間?』

 その場にいた全員が男を指差して言った。憮然と言い返してきたのは、人間離れした当人である。

「失礼な連中だ。人間でないのはそちらだろう?」

 挑発とも受け取れる笑みを浮かべて、一歩、こちらに歩み寄ってきた。

「俺を斃したければ、ガソリン満タンのタンクローリーでもぶつけるんだな」

 それに匹敵する爆発の中心にいながら、火傷一つ負わなかった男がケロリと言った。

 と──あきれ返ったその瞬間、その姿が掻き消える。え? と呻いたそのときには、彼はノエルの懐に入っていた。

 完全な不意打ちだった。視えてはいた。だが反応はできなかった。

「くっ!」

 掌底で弾き飛ばされたノエルがいなくなってしまえば、エリザと男の間に立っているのは忍とさくらだけである。

「……っ!」

 唇をかむ。確かに尋常な敵ではない。忍が知る限りでも、ノエルは人間以上の戦闘力を誇っているし、恭也と美由希もノエルと互角以上に渡り合う剣士である。その三人を不意打ちとはいえ手玉に取る光景を目にしてみれば、エリザが悪魔と評したのも納得するしかなかった。

 相変わらず、男からは殺気も行動の意思も──感情らしいものが何も感じられなかった。恭也と美由希の反応が遅れたのもそのせいだろう。二人ほど強くない忍も、心だけは負けまいと男をじっと睨みつける。どうしようか思索する間もなく、復活した恭也たちが男を取り囲んだ。

 再び一触即発しようかというそのとき──

 なにやらひとり、慌てた様子のさくらが間に突然割って入ってきた。

「ちょ、ちょっと待って! 忍も、恭也君たちも──!」

「さくら?」

 こちらの質問には答えず、彼女は男のほうを向いた。一度深呼吸してから、ためらいがちに話しかける。

「あの……神楽さん? でしたよね、確か。エリザを連れて行くって、誰に頼まれたんですか?」

 さくらが男の名を知っていることに驚いたのは忍だけではなかった。が、疑問は解消されないまま、男は無言で一度天を仰ぎ、軽く嘆息して見せる。

 やがて、聞き取れるかどうか、ぎりぎりの声量で彼は言った。

「ザイードだ。ザイード・エルメス・ダナ・エッシェンシュタイン」

『お爺様?』

 素っ頓狂な声を上げたのは忍やさくらだけではなかった。ザイードとはエリザの実の父。さくらの祖父であり、忍からすれば曽祖父にあたる。

「それじゃ、エリザを営利誘拐しようとか、貶めようとか、そういうことじゃないんですか?」

「……?」

 そこで初めて、彼は歩みを止めた。

「何のことだ?」

 首をかしげる彼の様子に、忍をはじめとして皆が首をひねった。てっきりどころか、もう確信に近い形でこの男がエリザを襲う犯罪者だと想定していただけに、この展開は予想外だったのである。

 エリザの顔が、あからさまに青ざめている。その様子は不思議な光景だったが、とりあえず詰問は男のほうへ向けられた。

「……あの、それで、何故、エリザを? 一体どこに連れて行けって言われたんですか?」

 またもや思索するように目を瞑り、やがて彼は、エリザに確認の意を求めてきた。

「……言っていいのか?」

「へ?」

「言ってもいいのか? 依頼主──お前の父親からは、この件は一族の恥だから、外部に漏らさないようにと厳命されたんだがな」

「どういうことですか?」

「つまりだな……」

「あ、ちょっと待って! 言っちゃ駄目! 黙っててお願いぃっ!」

 エリザの静止もむなしく、男は言った。

「俺がザイードから受けた依頼は、エリザを虫歯の治療のために歯医者に連れて行け(・・・・・・・・・・・・・・・・・・)というものだ」

 

 ……………………………………………………………………………………………………

 

 風が吹いた。

 容赦なく吹いた。

 この場の気まずい沈黙を全て吹き飛ばすかのような冷たい風である。

 やがて、後方で事の成り行きを見守っていた少女たちが、ポツリと呟いた。

「は?」

「い?」

「しゃ?」

 エリザがうなだれ、男が頷いた。

「この馬鹿女、吸血種のくせ(・・・・・・)犬歯が虫歯(・・・・・)になったらしい。痛み止めを飲まないと食事どころか日々の生活にも支障が出るくせに、歯医者に行くのがいやだと駄々こねていたところを、見かねたこいつの父親が俺に依頼してきたというわけだ。仮にもエッシェンシュタイン家の後継者が歯医者怖さに逃げ回っていたなど恥以外の何者でもない。当然、外部に漏らすわけにもいかないからな。内密に処理してほしいと頼まれている。これ以上てこずらせるなら、半殺しにしてでも連れて行くぞ」

 誰も何も言わない。

 あまりといえばあまりな結末にめまいさえ覚え始めた頃、ゆっくりと、さくらがエリザのほうへ歩み寄った。

「エ・リ・ザ?」

「は、はい……」

 虐待を受けた子犬のように身を縮めて、エリザがさくらを見上げる。

「歯、痛い?」

「結構痛い……けど。えっと、その……さくら?」

 にっこりと笑いかけるさくらに、顔を蒼白にしながらも、エリザは最後の勇気を振り絞って声をつむいだ。

「もしかして……怒ってる?」

「あたりまえでしょ!」

 怒鳴り声に幾人かがびくりと身体を引く。普段温和なだけに、さくらの怒張は親戚の忍でさえ怖かった。

 鋭く伸びた爪をエリザの肩に食い込ませながら、さくらは笑みを絶やさずに、

「いくら温厚な私でも、いい加減にしておかないと終いには切れるわよ(・・・・・)?」

「あああああっ!」

 頭を抱えて苦悶するエリザの襟首を捕まえて、男のほうへ叔母を引きずっていく。

「どうぞ。連れて行ってください」

「協力感謝する」

 軽々とエリザを抱えると、さくらは満面の笑みを浮かべて男にエリザを引き渡した。

「いやぁぁぁぁっ! 『キュイィィン』は嫌ぁぁっ!」

「黙りなさい! っと、保険証とかはお持ちですか?」

「歯医者の予約も含めて準備万端だ」

「そうですか、何から何までお手数をおかけします」

「まったくだな」

 心底呆れたように、下で泣き崩れているエリザを無視して二人が頷きあう。

「診療時間は五時までか。走って間に合うか……」

「なら送ります。車で来てますから」

「助かる」

 こちらのことなど眼中にないのか、男はさくらの申し出を受け容れた。泣き喚くエリザを延髄に一撃加えて昏倒させると、そのまま駐車場のほうへ消えていく。

 その手に、しっかりとエリザを引きずって。

「それじゃ、後でね」

 そうしてさくらも去っていく。

 後には。

 いまだ煙を上げ続ける林と、展開に取り残された者たちが呆然と佇んでいた。

「さっきまでのシリアスは一体なんだったのでしょうか」

 そんなノエルの冷静な突っ込みに答えられるはずもなく。

 夕日が赤く、彼女らを照らす──

 

      ◇

 

 同日、午後六時四十七分  海鳴商店街、喫茶『翠屋』

 

 程よい熱さの液体が、心地よく喉を通っていく。苦味と酸味のバランスが絶妙で、自分で淹れることのできない味にさくらはうっとりとした。

 姪の家で食べ損ねたケーキとコーヒー。それ以上の味を堪能しながら、さくらは隣でうなだれている叔母に視線をやった。そしてそのまま、対面に座る男に向ける。

「おいしいですね」

「ああ」

 常連というだけあって、彼はここのケーキを網羅しているようだった。ちょうどキャンペーンか何かで、日替わりで新作が発表されているらしい。今彼がフォークでつついているのもさくらも見たことのないケーキである。

 ちなみに、さくらが頼んだのはお気に入りのシューケーキだった。

「それ、新作ですか?」

「ああ」

「昨日の、食べました?」

「ああ」

「お味のほうは?」

「少し、甘みがくどかった。女子には良いかもしれんが、もう少しさっぱりしているほうが俺としては好みだ。それからすれば、今日のはイイ感じだな」

「そうですか」

 会話というほどの会話ではない。が、さくらはそれなりに楽しかった。

 なにせ、

「おごりで食べるケーキって、ホント、おいしいですよね」

「まったくだな」

「うぅ……」

 口内に詰め物をしているので満足に喋ることも出来ないエリザが、涙しながら呻いた。顔見知りの店長が何事かとたまにこちらを覗いてくる。そういえば恭也たちには悪いことをした。今度エリザに詫びを入れさせよう。

「そういえば、リオから電話があって、エリザがどこに行ったか知らないか? って。仕事、全部秘書に押し付けてたみたいですね」

「どうしようもないな」

「まったくですね」

「うぅぅぅぅ…………」

 当然、そのうめき声は無視する。と、不意に何かに思い立ったように双真が顔を上げた。

「エリザと知り合って十年以上経つが……」

 呆れたような口調を隠すことなく、双真が続ける。

「お前って本当に進歩してないな。少しは精神的な成長をして見せたらどうだ?」

「親戚ながら恥ずかしいわ、本当に」

「うぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ…………」

 うめき声は続く。どこまでも続く。

 周囲から投げかけられる奇異と好奇の視線をものともせず、二人は思う存分、少し遅めの午後のお茶を楽しんだ。

 もちろん、叔母のおごりで。

 

 

    逃亡者   完

 

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