2

 

 ない。

 何故? どこに行った? いやいや。慌てるな。無機物が勝手にどこかに行くわけがない。見当たらないという事象には、見当たらなくなった原因があるはずだ。それをきちんと整理できさえすれば、間違いなく探し物は見つかる。因果律は決して狂わない。

「原因を挙げて見ましょう」

 自分に言い聞かせるようにして、エリザベート・フュンフト・フォン・エッシェンシュタインは言った。

 黒髪黒目。年の頃二十歳半ばの、透き通るような白い肌に、整った顔立ちが印象的な美女である。愛称エリザと呼ばれる彼女は、今は仕事用の背広姿で自室にいた。

 自室といっても、親戚の家にあてがわれた部屋である。ドイツ生まれの彼女には、日本を含めた各国に親族が散らばっており、ここ矢後市に邸を構える綺堂家もその一つだった。仕事で──そしてそれ以外でも、立ち寄った時などには利用させてもらっている部屋ではあるが、室内の全てが全て、自分の記憶にあるわけではなかった。ホテルほどに他人行儀でも無関心でもないが、祖国の自室ほど馴染みがあるわけでもない──要するにそんな部屋である。

 あるのはベッドに、デスクと椅子。本棚と、小瓶などを飾るガラスケースなど。八畳の部屋にある家具は質素なものばかりだった。特にデスクは通販で買ったもので、木組みのデザインは可愛らしく、エリザのお気に入りでもあった。床のフローリングに靴下を滑らせながら、デスクの下やベッドと壁の隙間などを詮索するが、やはり目的のものは見当たらない。

 そうしてゆっくりと、エリザは記憶を整理した。

 考えられる原因その一。

 どこかに置き忘れた。つまり、自分が原因ではないだろうか。ありえない話ではない。むしろ大いに可能性はある。普段ならば。

 だがしかし、今朝仕事に出かける前にきちんとその存在を確認し、なおかつ持って出かけていない。これは、自分と仕事で会っていた人物の反応からも予測できるものだった。あれを見て、その存在を見過ごせるわけがない。だが少なくとも、エリザはそれについて何かしらの反応を受けた覚えはなかった。故に、すぐにこの考察は間違いだと知れた。

「違うわね。なら次は……」

 その二。

 誰かが持って行った。可能性としては、前者のそれと合わせて二種類しかないのだから、自分でなければ他の誰かに違いなかった。まさか勝手に足や羽が生えてどこかへ行ってしまったわけでもあるまい。

「だとしても、一体誰が?」

 次の考察に移る。

 犯人の考察その一。

 ここのメイド。

 一番可能性が高い選択肢だった。だがその場合、逆に悪意があったとは言い切れなくなってしまう。エリザが出かけた後は、ホテルのルームサービスよろしくといったふうに、メイドたちは部屋の掃除に来るのだ。ゴミと勘違いして捨てられても、それは彼女たちの責任ではない。むしろ、そう見えるようなものを、そう見えてしまうように置いておいた自分が悪いことになる。

 続いてその二。

 この屋敷に出入りしている誰か。

 これは、この屋敷の持ち主も含めて全てが該当者だ。先の考察とは矛盾するが、自分もその中に含まれる。だが考えてみると、ここには綺堂家の人間しかいない。そうなったらエリザは家族を疑うことになる。それだけはしたくなかった。

「けど、この家に泥棒なんて絶対に入れないしねー」

 まるでそうあって欲しいかのように、エリザは笑った。

「綺堂家のセキュリティシステムによって外部からの侵入者はなし。内部の犯行によるものに違いはない。犯人はちょっと脇においておくとして、なら動機はなにかしら?」

 動機に関する考察その一。

 恨み。

「…………」

 恨みを買っているかどうかなどわかるわけもなかった。ここに住むものたちは親戚であり、エリザの家族でもあるのだ。メイドはそうでないかもしれないが、わざわざ嫌われるようなことはしないし、していない。多分。

 考察その二。

 いたずら。

 しかしながら、自分に対していたずらを使用などと考えるのは、エリザの知る限り、この家には一人しかいない。

 彼女の姪であり、この家の娘でもある綺堂さくらである。考えたくはないが、彼女しかいない。だが、さくらの性格と自分との関係をどう捻じ曲げて考えてみても、彼女がこういった種のいたずらをするタイプには見えないのもまた事実であり……

「結局、犯人がわからないと、動機もわからないのね」

 と、独りごちる。

「もう一度探して、見つからなかったら誰かに聞いてみようかしら」

 結局それが懸命だと判断して、エリザは再び部屋の詮索に取り掛かった。

 

      ◇

 

 コンコンとノックして、返事を確認してから、リオ・カリスマンはドアを開けた。

「失礼します。書類整理が終わりましたので、目を通していただけませんか?」

 一礼して入室する。

「ああ、ごくろうさま。机に置いておいて」

 その返事の通り、リオは何故か自室で立ったままでいるエリザの脇を通って、シックなデザインの机の上に資料を置いた。

 まだ十五歳になったばかりの、血のように濃い赤髪と赤い目、北欧出身者特有の白い肌が特徴的な、小柄な少女である。この部屋の主、エリザベートの専属秘書見習いである彼女は、予定の仕事を終えた報告と、次の仕事のための書類を手に、どこか思案顔でたたずんでいる雇い主に向かって言った。

「先ほど、本家のヴィクター様よりご連絡が欲しいと伝言があったそうですが……」

「ああ、そう。ま、どうでもいいわよ」

 よくはない。そう思ったが、リオは口出ししないでおいた。それを決めるのも、実行するのも彼女なのだ。今の自分に意見する資格はない。

 そう判断して、リオは他の話題を探した。ふと、先ほどからどうもこの雇い主の行動がおかしいことに気づく。

「あの……どうかされたのですか?」

「うん? まぁね。あ、ねぇリオ、この部屋にあった薬、どこに行ったか知らない? 多分、机の上に置いてあったはずなんだけど……」

「クスリ……ですか?」

「そう。薬。飲み終わったワインの小瓶に入れておいたんだけど。なくなってるのよ、小瓶ごと。」

 問われて、だがリオは思索することなく返答した。迷う必要はなかった。

「私は、午前中は秘書の試験勉強で書斎にいましたし、午後一で書類整理にかかりましたから、今日この部屋に入ったのは今が初めてです。申し訳ありませんが、存じておりません」

「そう……」

 がっくりと肩を落とすエリザに驚いて、リオは慌てて付け足した。

「あ、あの! 私も探すの手伝います。どんなクスリなんですか?」

「発情を抑えるための薬」

「…………は?」

 たっぷり数秒間は黙り込んでから、リオは寸頓狂な声を上げた。聞き間違いかと思った。

「あの……なんですか? それ」

「言葉通りよ。リオも知ってるでしょう? 私たち一族には、定期的に発情期と呼ばれる時期がある。個人差はあるし、男女差もある。男は軽いものなんだけどね。女性の場合、下手すると月経よりも身体に悪影響を及ぼす場合があるのよ」

「は……はぁ……」

 聞いたことはあった。見たことはなかったが。

 夜の一族と呼ばれる彼女たちは、個人周期で発情する時期があるらしい。ぶっちゃけた話、頭の中がHなことで一杯になるのだ。子供が出来にくい一族であるが故の、種族保存機能なのだそうだが、一族の血を引いていないリオとしては、その辺の苦しみは推測するしかなかった。クスリまで開発するくらいだから、少なく見積もっても軽視できない問題なのだろう。

「だから、それを一時的にでも抑えられる薬を以前から開発していたんだけど……ようやく試作品が出来て喜んでいたのに……」

「完成したのですか?」

「まだ実験してないから、なんとも言えないわ。ただ、これまで一族の研究者たちが作っていた物よりは、ずっと優れている自信はあるわよ。何せ、今度のそれは霊能者と協力して作ったんだから」

 なるほど、とリオは納得した。ここ最近、彼女が何度も日本を訪れいているのは、そのクスリを作るためだったらしい。

「日本の……ですか? どなたです?」

「槙原君。槙原耕介。名前だけなら、リオも知ってるんじゃない?」

「ええ、存じています」

 それはその通りだったので、リオは即答した。

「彼は霊能者で、さざなみ女子寮の管理人。女性の扱いになれているという点も含めて、被験者として丁度いい人物だと思ったのよ。で、その彼に協力してもらったってわけ。ちょっと体毛を分けてもらってね」

「……?」

 はて。今、何か聞き逃してはならない単語が出てきたような気がする。頭の中で、リオはエリザの言葉を反芻した。思い起こして、聞き返す。

「…………体毛?」

「体毛よ」

 エリザの応えはそっけなかった。

「どこの毛を使ったのか知りたいなら教えてあげるけど? 克明に」

「いいです言わないでくださいお願いします」

「ヒント。下半身」

「いやぁぁぁぁぁっ!」

 顔が火照るのを自覚しながら、リオは慌ててエリザを止めた。聞きたくはない。考えるのもやめたい。だがそれを見通しているのか、ニヤリと憎たらしいまでに雇い主の顔が歪む。

「意地悪しないでください!」

「楽しいのに」

「私は楽しくありません!」

 あっさりと言ってのけるエリザの顔が、確かに嬉しそうに崩れている。リオは出来る限り憤然している様に見せながら、質問を変えることにした。

「もういいですっ……それで、何故薬を作るのに体毛が必要なんですか?」

「ん? ああ、それはね……」

 と、なにやらごそごそと、机の上に詰まれた本の中から一冊を取り出し──

「これこれ。これに書いてある通りに作ったからよ」

 それを受けとって、リオは本の題名を見た。

『猿でも作れる魔薬精製本〜体毛一本で奴隷(ペット)を作ろう編〜』

 …………

 先ほどの怒りも忘れて、リオは呻いた。

「……マスター」

「何?」

「本当にこれですか?」

「そうよ」

 その返答を受けて、リオはもう一度本を見た。ハードカバーのその本は、しかしさほど厚さがあるわけでもなかった。B5サイズで、絵本程度の厚みの本である。魔術用語がびっしりつまっているのかと思いきや、中身は絵とサイズの大きい文字で(しかも英語で)懇切丁寧に、順序良く作り方が説明されていた。困った時のピンポイントアドバイスまである。猿でも作れると書かれてあるとおり、確かに初心者用の本なのだろう。材料さえ用意できれば、子供でも作れるに違いなかった。

 そしてもう一度、表紙に戻る。体毛一本で作る奴隷薬。表紙の下のほうには、『飲んだ相手を服従させ、主従関係になれる薬を体毛一本で簡単作製。これで貴方もご主人様!』という宣伝文句のようなものがゴシック体で印刷されていた。

 自分が冷静でいることを心底ほめてやりながら、リオはエリザに聞いた。

「……これのどこが発情を抑える薬なんですか?」

「ページの最初のほうに、効能って部分があるでしょ? 用意する材料の下当たり……その上から二つ目を見て」

 言われたとおり、リオは本を開いてその題目を探した。といっても、探すほどの事もない、確かに綺麗に単色刷りされた解説書の、一番初めのページにそれを見つける。

 その二番目。

『ただし、この薬は発情をかなり抑制するので、Hなことは出来ません。あしからず』

 そう書かれてあった。

「ね? 発情抑えるでしょ? これ、発行部数少なくてさ、見つけるの苦労したんだよね」

 それは確かに、こんな本が市場に出回れば倫理的に大問題だろうが……

「…………」

 自信満々に胸を張るエリザに対して、リオは心の底から言い様のない不安なものを感じ取った。何かがどこかで間違っている。そんな気がする。

「本末転倒って言葉、知ってますか?」

「うん? なんのこと?」

「いえ、何でもありません。それにしても、そのクスリ……誰で実験するつもりだったんです?」

 考えて見れば、その結果は恐ろしいことになるのではないかと、青ざめながらリオは問いただした。

「うん? 誰でって……あ、そういえば誰でどうやって実験するか、考えてなかった気がする……」

「…………」

「アハハハ、まぁそれはこれから決めればいいことよね」

 実験をやめるという選択肢はないようだった。

「でも見あたらないんでしょう? もし間違って誰かが飲んでいたら……」

「槙原君のところに押しかけているでしょうね」

 さらりと、なんでもないことのようにエリザは続けた。

「でも大丈夫よ。小瓶にはどくろマークを書いたラベルを貼ったから、間違って呑む人なんていないわよ」

 毒薬扱いですか? とは聞けなかった。

「でもそうね、その可能性も考えて、槙原君にも連絡しておこうかしら。実を言えば、彼にはまったく無許可なのよねー。黙って体毛使ったって知ったら、彼、怒るかしら?」

 大真面目にそう言ってのける雇い主に、リオはもう何も言うことはなかった。

 

【1】へ      【3】へ

TOPへ