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 改めて言うまでもなく、エリザベートはその男が嫌いだった。何か理由があるわけでもない。あえて言うなら全てが癇に障る。その存在そのものを許容できないという点では、かの黒光りの原始生物にも劣らないほどに、男に対する彼女の嫌悪ぶりは発揮されていた。

 その男──コキュトス・アナザー・ワン。ただでさえ白い肌と白い髪に加え、上下共に白で統一した様相には正直死体を連想させられる。その瞳だけが赤くアクセントのように光り輝くだけに、誰が見ても、そして誰もが彼を『不気味』と評価するような男だった。

「珍しいですね。貴女がその姿になっているのを見るのは久しぶりです。何かありましたか?」

「あなたが目の前にいるからよ」

 あからさまな蔑視の視線を投げかけながら、愛称エリザで呼ばれる彼女は機嫌を損ねたように言った。実際、機嫌はすこぶる悪かった。

 黒髪、黒目。長いストレートロングの似合う絶世の長身美女──というのがエリザベート・フュンフト・フォン・エッシェンシュタインに対して誰もが抱く印象である。が、今の彼女は銀髪に褐色肌。コキュトス以上に紅く輝く双眸を、厳しく目の前の男に向けていた。この状態こそが実は彼女本来の姿であることを知るのは一族でも極わずかしかいない。だからこそ男も驚いたのだろうが、無表情で言われても皮肉にしか聞こえなかった。

「で、一体、何の用? わたしがわざわざ貴方と同じ部屋の空気を吸わなくてはならない理由って何かあったかしら?」

「仕事です。互いに互いが嫌いなのは認めますが、今は自重ください」

「わたしは用件を聞いているのだけれど?」

「……では率直に言いましょう。『シイラ・ドラド』が脱獄しました。かの有名な『擬態吸血鬼』です。見つけ次第捕縛、叶わぬなら今度こそ消去せよとの命令を受けています」

「消去……ねぇ。ま、それがわたしたち一族のイレイザー部隊である貴方の仕事だもの。文句は言わないわよ」

 文句ありまくりだとでも言わんばかりの口調で、エリザは続けた。

「シイラ・ドラド。名前だけは知ってるわ」

 言葉を適度に選びながら語る。

 十八世紀末に存在した『夜の一族』の女。彼女の悪癖は他人に完全に擬態して、その他人として生きること。当然ながら、擬態したオリジナルのほうは殺した上での行動である。外見だけでなく、性格、記憶、感情、能力、全てが同じものに擬態できるという非常識な行為を、彼女は見事成功させてきた。

 だからこそ一族は彼女を危険視して、当時のイレイザーが数人がかりで逮捕した。抹消しなかった理由は一つ。彼女の存在が特異で、その能力に研究価値があったからである。捕まった後の裁判では、『気に入った他人の人生を送れるなら、結果的に自我がなくなろうとかまわない』とまで言い切ったそうだ。

 資料で見た程度の知識を引っ張り出すと、コキュトスは神妙に目だけで頷いた。

「そこまで判っていらっしゃるなら話は早い。シイラは完全に他人になる。それは『なりきる』や『演技する』などといったレベルではありません。従って、彼女の通り名である『擬態』は擬態ではなく、正確には『同一化』です。この世に同じ人間は要らない。だから彼女はオリジナルを殺す。いえ、同一化した以上、彼女もまたオリジナルなのです。人物Aに同一化したシイラは、それまでの自分だった人物B──つまり『他人』の人生全てを破棄します。残るのは、自分が元はシイラ・ドラドである意識と、再び他に気に入った存在に同一化したいという欲求。そしてそれをかなえる能力。以前の裁判記録では、彼女はすでに自分の元の姿さえも覚えていなかったそうです」

「徹底してるわね」

「はい。そのシイラ・ドラドが脱獄したとの情報が入りました」

「……脱獄ねぇ」

 むしろ今まで生かされていたことが驚きだった。その疑問の意思も込めて、半眼になって相手を見つめる。睨んでも仕方がないので、嘆息交じりにエリザはぼやいた。

「言い訳、聞いてほしい?」

「いえ。そのようなことで時間をとりたくありませんし、そもそも責任は警備部にあります。私が弁解すべきことではありません」

「ま、それもそうだけど。で? そろそろ用件言って頂戴。わたしのところに来たということは、何かしら助けが必要だからでしょ?」

「肯定です」

 コキュトスは軽く頷いて、一束の資料をこちらに差し出してきた。

「彼女を追いかけた倒滅隊が全滅しました。唯一、報告に帰還した者も、例外なく」

「…………」

 エリザはさすがに黙り込んだ。彼らは一族きっての戦闘部隊であるからこそのイレイザーだ。人間でない彼女らが、人間として暮らすための最終手段として、彼らは存在する。いくら同族とはいえ遅れをとることなどありえない。それは憶測でも自慢でもなく、ただの厳然たる事実だった。一族中でほぼ最強クラスの戦闘力を誇るエリザとて、彼らには勝てない。理由は単純で、組織と個人という絶対の壁があるからだ。

 夜の一族と称される吸血種。そのトップに連なる者として、エリザはその事実を重圧の瞳で見つめた。返ってくるコキュトスの視線に変わりはなく、だからこそ予測は確信に変わる。

「……すでに誰かに擬態していた?」

「はい」

「誰?」

 おそらく手渡された資料にはそれが記されている。だがエリザはあえてコキュトスにたずねた。彼の表情の変化の方が、より相手に対する認識を深められると判断したからである。当てには出来ないかもしれないと言ってから思って、しかしエリザは眼を見はった。

 それは予想以上に効果をもたらした。初めて男の瞳が揺れる。

「名は神楽双真。極東の日本において、『反力者』と称される戦闘者です」

 

 

 一拍おいて、エリザはなんとなしに復唱してみた。

「神楽双真……ねぇ」

 聞いたことのない名前だった。

 日本には一族の一角である月村、氷室、綺堂がいる。エッシェンシュタインの分家も存在する。故に馴染みのない国というわけではない。独特な文化はむしろ好きな部類に入るし、何よりあの国の面白い風習はエリザにとっては格好の暇つぶしにもなっていた。

 だからというわけではない。むしろ逆の意味で、それはただの足踏みにしか過ぎないことを意味していた。エッシェンシュタインと同格として存在する世界四大財閥の一角、名鳥家が日本の財閥であるからこそ、エッシェンシュタインが手を出すことが出来ないのが実質である。あの国に存在する裏事情に疎いのは認めるしかない。

「実力的には、まぁ返り討ちにするくらいだからすごいんでしょうけど」

「私は、今回の事件以前に彼を知っていました」

 思わぬ告白に、エリザは目をきょとんと瞬かせた。コキュトスは無駄話を好まない。それは付き合い上知っていた。ということは、これは必要不可欠な内容ということになる。

 だが話の展開が唐突過ぎた。

「どうして? 日本には日本で、貴方と別の部隊があるでしょ?」

 極論を言えば、日本にもイレイザーと同格の部隊が存在する。コキュトス率いる本家ほどではないにしろ、腕利きの存在であることには違いない。彼らがいるからこそ、基本的にコキュトスが日本まで出向くことは限りなく少ないはずなのだ。

 接点がまるで想像できなかった。

「四年前です。知ったきっかけは、日本で行われた大規模な作戦でした。抹消対象は現在でも最大最悪の吸血鬼軍団である『快楽市(ラクス・カーニバル)』です」

「は?」

 思わず素っ頓狂な声を上げる。

 快楽市。ラクス・カーニバルと称される吸血鬼の集団。組織ではない。軍団と称されるが、彼らには仲間意識さえない。ただのお祭り。ただ人間の血をすうために集まり、好き放題血を吸って、好き放題暴れて人の世を混乱に陥れた、最悪の『お間抜け集団(・・・・・・)』である。

 当然、それほど派手に動けば人間も黙ってはいない。夜の一族もまた人間との協和を謳っている以上、それを放置はしなかった。かくして彼らは淘汰される。あっさりと。

 だが結局、裏のない欲だけで集まった『彼ら』という『行事』は、潰しても潰してもまた現れるのだ。だからこそ最大にして最悪。対処法は、元となった吸血鬼を狩るか、祭りの計画を事前に把握して芽の内につぶすしかない。

「四年前、日本で史上稀に見るほどの大規模に行われた快楽市を殲滅するために向かった我々と時を同じくして、現れたのが彼です。誰に依頼されたのかはいまだ不明。しかし目標は同じく快楽市の抹消」

「そんな報告、聞いたことないけど?」

「当然です。もみ消しましたから」

 あっけなく、裏事情をコキュトスは語った。目で問いかけると、やはり無表情のままで軽く首を振る。否定という肯定がそこには含まれていた。

「ザイード様の許可もいただきました。事実を公表するわけにはいきませんでした。彼を敵として認識するには情報が少なすぎたのです。当時は」

「…………」

 彼らしくなく、歯切れの悪い言い方だった。

「結局、何があったの?」

「こちら側に対しては特に何も。ただ先を越されたのですよ」

 軽く肩をすくめて、コキュトスは嘆息してみせた。

「は?」

「言葉とおりです。いくら快楽市に参加する吸血鬼が『吸血種』として劣悪でも、人外であることに変わりありません。その戦闘力は人間とは比較にならない。その百名以上の吸血鬼を、神楽双真──当時十五歳だった少年は、我らが到着する前に壊滅させました」

 驚く気も起きなかった。なんというか、それはいくらなんでも……

「嘘でしょ?」

「私は虚言が嫌いです」

「知ってるわ」

 だからこそ嘘だと思った。そんなことがあるのだろうか。十五歳といえば、人間で言えば成長期である。戦闘経験を積んだ退魔師ならばいざ知らず、たかが十五歳の少年が可能な所業ではない。

 ならばおそらく、彼は──

「結論を先に言いましょう。エリザベート様が予測されている通り、神楽双真は能力者です。それも、分類するなら特殊系の」

「もったいぶるってことは、それだけ最悪ってことなのね?」

「その二つ名の通り、神楽双真の特殊能力は『反力(アンチ・ディナミス)』と呼ばれるもので──」

「もう少しポピュラーな名称で言い換えてくれない?」

 話をさえぎる形で文句をはさむ。

「聞いたことないんだけど。名前の響きからしたら何かを無効化する系統?」

 軽く首を振って否定するコキュトスの態度に、少なからず反感を覚える。だが彼はこちらの心情などどこ吹く風で、あっさりと事実を口にした。呆れを多分に含んだ口調で、

「いえ、ただの自爆能力ですよ」

 そのとき、エリザは初めて彼の嘲笑を聞いた。

 

      ◇

 

 彼女は、己が存在を省みて思った。

『これ』はいったい何なのだろうと。

 全てを否定し、自らを否定し、世界を否定する存在。

 自己が潰されそうになるほど、『彼』の内側は理解できなかった。

 ただ独りであり続けようとする否定者の気持ちなど、理解できるわけもなかった。

 

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