3

 

──Adsolute(告げる)

 

 念じる言葉はただ一言。敵を屠るために集約した力が形を成して具現する。渦巻く大気の流れに銀髪がなびき、紅の瞳が意思に応じて輝きを増す。

 魔術師としての自分を客観視する。怒りに彩られ、どれほど醜い顔になっているかと思うと、だがそれだけでエリザは歓喜に打ち震えた。

 同族に牙を向ける吸血鬼に魔力の塊を叩きつけるために、純粋な力──単純明快な破壊の本流を制御する。

 

──bid farewell to the departed(死者に別れを)

 

 最闇に臨むのは反力者と呼ばれた者の模倣者(コピー)。迷いはなかった。命を奪うことに慣れているわけではなかったが、初めてのことでもない。覚悟は自分が吸血種として生きることを理解したときにすでに終わっていた。見捨てた同族の命も含め、自分が決して綺麗なだけの存在でないことなど百も承知だった。

 故に迷いなどなく、故にその詠唱に淀みもなく、

 

──all higher than the sky, lower than earth(空より高く、大地より深く)

        darkly than the dark, brightly than light(闇より暗く、光より明るく)

 

 渦巻く感情全てを力に変えて、

 

──Purely single-hold (ただ純粋であり続けよ),the your world ends.(さすれば汝が世界は終わる)

 

 静かに。目立たず。感づかれることもなく。ただ孤独に、一つの絶望が彼女の手中に生まれる。全力を注いで生成した光球は、その華奢な掌にすっぽり納まる程度の代物だった。その輝きも鈍く、小さな明滅の後、さらに小さく凝縮する。

 やがてビー玉ほどの大きさになった頃、それは青白い光を放ち、色を失って視界から消えた。

 

──Nobona fide(真なる虚無)

 

 最後の詞を唱えた瞬間、エリザの背筋に今までにない悪寒が走った。感じたのは恐怖でもなければ寒気でもなく──打ち出されたであろう魔術を成功させた、その達成感のせいだった。彼女が知る限り最悪の魔術は、その知識のみがあるだけで、使用したのは今回が初めてである。

 だからだろうか。汗ばんだ掌を見つめ、エリザは誰にも聞こえないほどそっと息を吐いた。心の緊張を解いて、きびすを返す。見届ける必要はなかった。勝敗にも意味はない。先ほどの魔術によって魔力の八割がたを消費していることは周知の事実だった。効果の有無に関わらず、彼女の役目はここまでなのだ。

 銀髪が黒に、褐色肌が白へ変色していく。

 瞳の赤がやがて落ち着きを取り戻したころ、背後で閃光が瞬いた。

 音はなかった。

 ほとばしった光もまた、カメラのシャッターのように一瞬のものだった。集約された力のつぶては標的のみに効果を及ぼし、その存在を根底から覆していく。

 消え逝く景色を背中で感じる。

 それは漠然とした興味から起こった行動だった。視線をやって、飛び込んできた光景に不思議と驚かなかったのは、意識のどこかで予測していたからかもしれない。

 わずかな沈黙の後、

「化け物……」

 呟いた言葉を自覚して、エリザは心の底から嘲笑した。自分も同じではないか。何が違う? 吸血種という人外の中でも、更なる稀少価値を持つ魔術師エリザベートを省みたなら、決して他人事ではなかった。

 だがその反面、あの魔術に耐え切ることの異常さもまた、発したエリザには痛いほど理解できた。故にアレは化け物なのだ。それ以外に表現の仕様がない。

 それでも、化け物とて生き物であることに違いなく──光の消え去ったその場所に、文字通り満身創痍の男がいた。手足がもげかけ、地べたをはいずり、土色に身体が変色し、顔だけをこちらに向け憎悪の瞳を赤く染める吸血鬼、シイラ・ドラドの成れの果てが。

「……わ……」

 ここから彼女のいる位置まではかなり距離がある。だというのにエリザには、死相で睨むシイラの言葉が聞こえた気がした。

「…………わた……し……は……」

 かすれた声。男の声帯から空気が抜けるような声が発せられては霧散する。

(私は死なない)

 最後までは聞こえなかったが、エリザはその単語を至極当然のように連想できた。その文句が正当である理由はない。死ぬことは間違いないだろう同族の最後の言葉くらい聞いてやっても問題ないのだが、聞いたところで誰も求めないのなら、それが正しい遺言でなくても問題はないからだ。

 冷酷に、冷徹に、押し殺した感情の片隅で、小さく感じたのは嫌悪感だった。シイラ・ドラドに対して──と思っていたその感覚に、しかしわずかに違和感を覚えたとき、エリザは思わずつばを飲み込んだ。コクリと喉が鳴る。

(誰?)

 問いかけてから、更なる自問を繰り返す。

(って、何? 今、わたしは『誰?』って言ったの?)

 それその通り、『それ』は人だった。背丈は百七十の半ばほど。細身の肢体は空気のように存在感がなく、黒髪はあまりにも自然すぎて気を抜くとすぐに見失ってしまう。あまりにも唐突に、あまりにも自然に、故に劣悪なまでに希薄なその存在を認識した瞬間、エリザは身の毛もよだつほどの寒気に襲われた。

 アレは誰だと、問いかける脳に、解りきったことを聞くなと、理性が嘲り笑う。

「神楽双真」

 呟きは真実だった。同時にピースがカチリとはまる。シイラが出雲を離れなかった理由はひとえにここにあったのだと。単純に、擬態したオリジナルを殺し損ねていたのだと。

 右腕から白い包帯を覗かせているそっくりな男を見た瞬間、結論は落雷のように鮮烈にエリザの脳裏に鳴り響いた。

「あれがオリジナル……」

 震える手にもう片方の手を添える。何がそこまで畏怖を感じさせるのか。今すぐ大声で問いただしたくなるほどエリザの身体は震えていた。シイラがこの地にいた理由に思い至らなかった自分を叱責する。それでどうにか笑っていたひざが力を取り戻した。

 だがそのとき、

≪作戦は失敗です≫

 あまりにもぶしつけにコキュトスから連絡が入る。

≪時間を稼ぎます。逃げてください≫

「逃げる? どうして?」

 問い返す言葉に迷いはなかった。事実、エリザの意識に撤退の文字はない。恐怖の正体が全くわからない現状で逃げるという選択肢は取る気はなかった。自分が何を恐れているのか。それによってとるべき行動は全く違ってくるからだ。

 コキュトスの声が無機質に響く。

≪オリジナルの登場が早すぎました。シイラがあの威力に耐え切ったこともまた計算外でした。今の彼女を殺すことは容易です。しかし、それでも『アレ』を二体同時に相手にするのには不確定要素が高すぎるからです≫

 とどのつまり、コキュトスはオリジナルの神楽双真が生きていたことを知っていたということでもある。

 何にせよ、現状を理解し、行動に起こすためには相手の出方を見る必要があった。

 オリジナルは漠然とそこにいる。『自分』と同じ人間を見下ろす気分など知る由もなかったが、彼はただ、静かにシイラ・ドラドのすぐ傍にたたずんでいた。

「!」

 その唇が薄く開かれた瞬間、大気が震えた。淀みなく振り上げられた足が、迷うことなく振り下ろされる。その靴裏が容赦なく人の頭を踏み潰したさまは、圧巻としか言いようがなかった。

 血しぶきが舞う。頭蓋が砕かれ脳漿がはじけ飛ぶ。生臭い肉片は、しかしやがて灰になって、残っていた身体ごと崩れ落ちていく。やんわりと吹く風に、人間一人分の質量を持った粉末が緩やかに流され消え逝った。

 それがシイラ・ドラドの最期だった。吸血鬼に成り下がった魔女の、あまりにもあっけない死だった。吸血鬼にとっての弱点は心臓と脳。潰されたなら、いくら治癒能力に長けていようと死ぬしかない。その直接の原因となった彼の行動を振り返って、エリザは事態の展開の味気なさに逆に度肝を抜かれていた。

「殺した?」

 ああもあっさりと。

 何の戸惑いもなく。

 何故──とは問わなかった。実のところ、そんなことを考えるゆとりがなかったからである。消滅したシイラから唐突に視線を動かした彼の意識が、確実にエリザの居場所を捕獲するのを察したからだ。

 それでも、逃げるという選択肢は浮かんでなかった。

≪緊急です。逃げてください!≫

「嫌よ」

 端的な返答に、潜伏場所でコキュトスががなり声上げた。

≪エリザベート・ドロワーテ・フォン・エッシェンシュタイン!≫

「その名でわたしを呼ぶな、コキュトス!」

 叫び返すエリザの声に明らかな怒張が色をなす。

 だが結局のところ、これらは意味のない会話だった。こんなことをしている場合ではないことは理解している。だが、それでもこの場所から動く気はない。

 神楽双真の歩調は実にゆっくりとしたものだった。理由はわからない。エリザが逃げないことを暗に悟っているのかもしれないし、逃げられても構わないと考えているのかもしれない。

 だからこそ、コキュトスの焦燥が滑稽だった。

≪作戦指揮官は私です。指示には従っていただきます≫

「黙りなさい! どうしてもこの行為が気に食わないのなら、わたしは今よりイレイザー部隊への協力を拒絶します。ほら、これで貴方にはわたしに指示する権限はなくなったでしょ?」

≪そんな身勝手な行為が許されるとお思いか!≫

 それこそお笑い種だった。

「身勝手?」

 事実、鼻で笑ってやることも忘れない。

「あのオリジナルの神楽双真が生きていること、知ってたわね?」

 コキュトスは応えない。沈黙が肯定だった。

「ま、それに関しては気づかなかったわたしも間抜けなんだけど、まだ不可思議なことはあるわ。彼の怪我は一体誰によってもたらされたものなの?」

≪シイラでしょう。おそらく≫

「違うわね」

 コキュトスの意見を、エリザは一言で払いのけた。

「シイラの同一化によって存在した二人の神楽双真がぶつかり合えば、それこそどちらか、もしくは両方が死ぬしか可能性はないわ。彼の能力を考慮すればなおさらね。でもそうはなっていなかった。どうして?」

≪…………≫

「応えたくなければそれでもいい。別にイレイザー部隊で何をたくらんでいようと知ったことじゃないしね」

≪でしたら……≫

「それでも──いえ、だからこそかしら? そんな貴方に、不用意に信用や信頼を預けられるほど、わたしは純粋じゃないのよ」

 それはある意味、決別の言葉でもあった。

≪正気ですか?≫

誰の命令でそんなことをした(・・・・・・・・・・・・・)のかもどうでもいいわ。だからさっさと貴方は消えなさい。神楽双真の矛先が変わる前に」

 同族のよしみで忠告だけはしておく。後は知ったことではなかった。性格的な問題で決定的なまでに嫌っている相手である。だからといって見捨てる気はなかったが、自分の進む道を曲げてまで彼と馴れ合うつもりもない。

≪……一つ忠告をしておきます≫

 気配さえ感じさせぬコキュトスがどこにいるかはわからない。それでも声のトーンから、彼がこの場を去りつつあることだけは察していた。

≪……不用意にアレを殺してはなりません≫

 殺せるかどうかという問題は脇においてと、コキュトスは言った。

≪反力が、消去砲と同質であるならなおさらです。戦わないことが生き残る最良の手段だということは念頭においてください。では、御武運を≫

 しかし彼が去る前に、そういえば──と、エリザは近づきつつある神楽双真を眺めながら思ったことを口にした。

「何で貴方は戦わなかったの?」

≪エリザ様がおっしゃられた通りです。能力の効果を考えた場合、確実にどちらかが死ぬしかありません。もしくは共倒れになります。『消去砲(ディス・フィックス)』を受け継いだ者として、それは得策ではありません≫

 結局、最後の最後まで、コキュトスに対する嫌悪感は消えないままだった。

 

      ◇

 

 逃げないのか? と。訊かれた言葉に対して、エリザはただ小さく首を振った。

 何故? という問いかけには、さぁ? と肩を傾げて見せる。

「なら問おう。貴様はあの白尽くめ死体モドキの仲間か?」

 その揶揄がコキュトスを差していることに気づくのに、エリザは軽く数秒を要した。

「違うとは言い切れないわね。残念ながら」

 今度ばかりはしぶしぶ回答する。念のための断りもつけて。

「でも、絶対に友達じゃないわ」

 返答はなかった。

 こうしてみると、神楽双真は意外と整った様相をしていた。逆三角形の眼。だが顔全体のバランスが悪いわけではない。ざっくばらんに切られた髪。引き締まった細身な身体。一分の隙もないその動きは、相対しているだけでも気疲れしそうだった。

 事実、彼の持つ雰囲気は『近寄りがたい』どころのレベルではない。たった少しのやり取りだけで、エリザは彼が完全に他者を拒絶し、孤立することに何の躊躇も感じていないのではないかと疑い始めていた。

 なんと言ったらいいのか。そもそも何を言いたくて、何をしたくて、何を期待して自分はここに残ったのだろうと。全く考えていなかった自分に失笑して、しかし察する前に再度神楽双真が先に口を開いた。

「最後の質問だ」

 声はバスの一歩手前。テノールよりも少し低いくらいだった。聴いていて心地よいくらい、その音色には澱みがない。

「貴様は俺の敵か?」

 訊かれて、エリザはその質問の意味を──正確には、質問の応えをもっていない自分自身に理解できなかった。

 何を今更と思う自分と、そういえばどうなのだろうと再考する自分がいる。

「敵だったら?」

「殺す」

「そうじゃないって言ったら?」

「信用には値しない。やはり殺す」

「どちらも同じなら、何でさっさとかかってこないの?」

 訊きながらも、エリザにはその理由はわかっていた。彼にとってはどうでもいいのだ。それこそ道端の雑草程度にしかこちらのことを認識していない。進む道を防ごうがなんだろうが、ただ踏みつけていくだけである。

 ああそうか、と。妙な会話を交わしながら、エリザは自分の行動の理由を知った。

「さっきのあれ」

 唐突に話題を変える。神楽双真はわずかに眉を動かした。

「貴方が殺した、貴方そっくりの姿をしていたシイラ・ドラドっていう吸血鬼はね。わたしのしる限り最強の殺傷力を持った攻撃に耐え切ったの」

「それがどうした?」

「彼女は、他者の能力を、思考パターンから全て同一化する能力を持っていた。だから訊きたかったのね」

 一歩、自分から彼に近寄る。それだけで、神楽双真の殺気が増幅した。二人の間隔は現在およそ五メートル。

「知りたかったのかもしれない。あの攻撃に耐えうる貴方が何者なのか」

「……知ってどうする?」

「別にどうもしないわ。同じ姿をした全く同じ人間を──言ってしまえばドッペルゲンガーに会うってどういう気分なのかしらと思ったの。それを躊躇なく殺せる貴方も異常で、だからこそ知りたくなった。シイラに何か言われた?」

「何も。死にたくないとは呟いていたようだったが」

「何故殺したの?」

「アレは俺ではない。俺であってはならない。だからだ」

 応えてくれるとは思っていなかっただけに、エリザは内心驚きを隠せなかった。

 答えの意味がわかったわけではない。それでも納得できたのは、シイラの最期の言葉を理解したからである。

 結局、シイラは誰になろうと『自分』を捨て切れていなかった。復讐に走っているのがその証拠ではないか。最期まで、根底にある『シイラ・ドラド』が消えることがなかった。だから神楽双真であっても彼自身でなく、彼の姿をしたシイラでしかない。

 対峙してわかったことがある。おそらくこの『オリジナル』ならば『死にたくない』などとは決して言わないだろうし、そもそも死を拒絶する思考があるかどうかさえ疑わしい。生への執着を持っているようには見えなかった。

 なら、何故彼は己が眼前の存在を否定するのだろうか。

「わたしを殺す?」

 漠然とした興味で訊いてみた問いに、神楽双真が頷く。

「そう。なら抵抗するわ。全力で」

 嘘だった。すでに全力を出し切れるだけの魔力が残っていない。単純な体術だけで勝てる気がしないのは、きっと気のせいではないはずだ。

 だからこそ迷いたくはなかった。

 何故逃げなかったのかという後悔もしたくはなかった。

 己がここに残った理由に気づいてしまったからこそ。

 結局のところ、エリザは考えても答えのない──自身の経験則からは全く得体の知れない神楽双真という存在に、この時点で毒されていたのだ。

 

      ◇

 

「…………」

 言葉もないとはこのことかもしれない──と。槙原耕介は冷や汗をかきながら思った。喉を流れるアイスコーヒーが心地よい。カランと涼しげな音を出すグラスに視線を落とすと、解けた氷の表面に天井のライトが反射して綺麗な模様を彩っていた。

「若気の至りって言ったら変だけどね」

 と、会話の主は独り、納得したように続ける。

「生まれたときから後継者で。一族の伝説の魔女であるエリザベート・ドロワーテ・フォン・エッシェンシュタインの名をそのまま貰ったわたしは、きっと自分というものが持てないでいたのよね。その点で言うなら、シイラとは全く逆なのよ」

 彼女の注文したオレンジジュースは、今は氷が溶けて二分化していた。うすくなっただろう液体を、ストローで混ぜながら喉に流し込む。

「期待され、それその通りに生きるだけの人形。造られたコースから足を踏み外すことが出来ないどころか、コースに踏み外す余地さえなかった。踏み外すには、エリザという自分を殺すしかない。列車って脱線したら後が大変だしね」

「だからね。孤独でも何でも、自分を持ち続けている神楽君はわけのわからない存在だったの。列車って、線路に石があったらそれだけで転倒するでしょ? 意外とそれを跳ね除ける力がないの。どれだけ力強そうに走っていてもね」

 つまるところ、彼女にとっての神楽双真は──

「生涯で初めて、わたしの前に置かれた石だったんじゃないかって、そう思うのよ」

 それで結局、

「負けて脱線して、道を踏み外したんですか?」

「人を人生の負け犬みたいに言わないで頂戴」

 耕介の何気ない申告に、エリザが憮然と言い返した。それでも口調ほどに怒ってはいないことくらいは、耕介にもわかっていた。

「自分を持てないでいたから、自分を捨てたつもりになっていただけのシイラは気に食わなかったし、自分を持たず全てを打算で行動するコキュトスには腹が立ったし、自分を持ちながらも、その自分さえあっさりと否定できる神楽君には負けたくなかったのよ」

「わがままだったんですね。今も昔も」

「茶化さないでよ……って、強く否定できない自分がちょっぴり悲しくもあるんだけど」

 困ったような笑顔を浮かべるエリザに、耕介は話題の先を促した。

「で、戦ってどうなったんです?」

「秘密♪」

「は?」

 思わず眉をひそめる。ここまで話を聞かせておいてそれはないだろう。結果を聞かされないままでは逆に気になるではないか。

 だがそれでも、勝敗は付かなかったからこそエリザはここにこうして生きている。双真が勝てないという事実を想定するのは難しかったが、目の前にいる魔術師もまた常識ではかれる存在ではないことくらいは承知していた。

 言いたくないのなら、無理に聞く必要もない。こうして聞かせてくれたように、いずれ彼女がその気になったら話してくれるだろうと、耕介は深く追求はしなかった。

「……まぁいいですけど。それで何がどうなって今の関係になったんですか?」

 耕介が知る限り、今現在、二人の間にあるのはあくまでビジネス的なものだけだ。それ以上のものはなく、またそれ以下でもない。それでも、話に聞いたような敵対関係にあるよりは遥かに建設的である。

 だがエリザは、こちらをしばらくじっと見つめて、何かを堪えるように含み笑いをした。

「多分原因は槙原君でしょうね」

「何が?」

「だから、わたしたちの関係が今みたいになっている原因」

「?」

 首を傾げるが、それで問題が解決するわけでもない。理由を追求しようにも、エリザは何か含んでいるような笑顔でこちらを見つめているだけである。訊いても答えをかわしそうなその笑顔に、耕介は諦めたようにため息を付いた。

 代わりに、彼女に結論を訊いてみる。

「結局、『自分』は持てたんですか」

「さぁ、どうかしら。自分の好きな生き方くらいは見つけられたつもりでいるけど」

 ああ、それはその通りかもしれない。

 今ここにいるのは、休日に暇だから買い物に付き合ってと呼び出されたからである。有無を言わせぬ口調に流されるように応じたのがちょうどお昼過ぎ。映画を見た後、翠屋でケーキセットをおごってもらい、少し共通の話題でも振ってみようかと考えなしに聞いてみた神楽双真との出会いの話は、しかし聞いた瞬間に失敗したと後悔した。

(彼女は我侭?)

 それは違うと思った。もちろん、我侭なのは事実なのだが、それは的確な表現とはいえない気がする。

(うん。エリザさんのそれは、きっと我侭とか、自分勝手とか、マイペースだとか言うのとは少し違う)

 強いて言うならそれは、

(天上天下唯我独尊)

 何故か、その言葉がぴったり来るような気がして、耕介は力なくテーブルに突っ伏した。結局、彼女と神楽双真は似たもの同士なのだ。

「どうかした?」

「いえ。このケーキ、おいしいですね」

 そうね、と笑う彼女の笑顔は美人の一言に尽きる。こんな美女と休日を過ごすことができる自分は確かに運がいいのかもしれないと思って、だが耕介は力なく首を横に振った。

(微妙だ。物凄く微妙だ……)

 それでも、エリザのことは決して嫌いではなかった。決して口には出したくないが、友人として認識もしている。人格としては好きな部類だ。美人だし面白い。少々のいたずら好きは可愛いものだ。もっと酷い人物はいる。しかも身近に。

 ああ、だがそれでも。

 神楽双真というファクターをはさんだその瞬間、エリザが普段の冷静さを失うのも事実なのだ。お願いだから巻き込まないで欲しいと願う気持ちもまた本心だった。

 気分よく、デートのひと時を楽しむエリザを前にして、過去も未来も、どうして自分の周囲の人間は『普通』の人がいないのだろうと──自分が『普通』でないからという自覚のないままに、休日の午後は過ぎていく……

 

 

      完

 

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