3

 

 夜の一族史上最強と謳われた綺堂裕一の数多ある戦歴の中で、最も大きく語り継がれているのは、『消去砲』と称される武器の開発にあった。

 意味消滅を引き起こす術の体系──アンチ・ディナミス。完全に存在を消し去るこの力の本質は、世界に記録、構築されていた対象の『情報』を霧散、消失させることにある。『消去砲』はこれを武器として採用し、『対象』を『意味消滅』させる効果を、使用者を選ばず扱えるようにした量産型の決戦兵器だった。

 彼が『王』となった当時の人狼族は、二代目狼王マユラの引き起こした戦争──人狼族以外の全生命種に対する侵略──の過程で数多の種族を根絶やしにし、末に敗北した『ツケ』を払わされていた。他種族に頭を垂れ、プライドを捨て、隷属するしかなかった千年近い時を経て、ようやく現れた三代目たる綺堂裕一への期待は、尋常なものではなかったという。

 果たしてその苦悩がどの程度のものだったかは、当時を生きた存在が少なくなった今となっては想像するしかないわけだが、綺堂裕一が有能であったことだけは間違いない。その期待に応えられるだけの才覚を持ち合わせていた彼の手腕によって、どうにか一族の夜明けが見え始めたところまで回復した頃、人間種族を代表にして一つの話が持ち上がった。

 それ(・・)を害悪と切り捨てることは出来ない。生き残るための策だったと、必要悪を掲げるのもふざけた話だった。彼らは単に、自分たちに牙を剥く可能性を持つものを、弱者的観点から排除しようとしたに過ぎない。だが、それは決して偽善などではなかった。

 生存本能は他の何よりも優先される。互いが互いに、そう感じ取っていただけのこと。人狼族が望んだのは他の種族に侵されぬ自由と権利を。人間種族をはじめとする他の種族は、人狼族が攻め入らぬ保障と、自分達の安全を。

 それ(・・)は綺堂裕一が王の座に就いて数十年にわたって奮闘してきた交渉を全て吹き飛ばしかねない意見だった。

 だが言い換えるなら、それほどまでに人狼族を根絶せんとする意志は強かったということなのだろう。

 二代目が引き起こした禍根は事のほか大きく、三代目の覚醒によってもたらされた『復讐』の可能性(・・・)に対する恐怖が、彼らに綺堂裕一の和睦の姿勢に対して疑念を抱かせていたのは紛れもない事実だった。人類側の暗黙的な共通認識として、綺堂裕一は一個人として圧倒的過ぎた。

 急速な展開に、しかし人狼族は真っ向から反発した。これもまた当然の展開ではある。もとよりプライドの高い種族であった彼らに──王が誕生している状況を思えば──頭を垂れる理由を見出せなかったに違いない。

 だが宣戦布告を受けるその直前、人間種族代表を務めていた男──ザギ・パジータから戦争回避案が出された。

 曰く、他種族が人狼族の侵略を恐れずに済む手段を作ること。

 数日後には全面戦争が開始される直前の出来事だ。選択肢があったとは思えない。もしくは、ザギ・パジータが故意にその発言を先送りにしていたかもしれないが、当時を知らない『彼』にとって、経過はさほど重要ではなかった。

 意識すべきは結論のみ。綺堂裕一が、汎用を前提とした術、もしくは武器の開発に乗り出し、『消去砲』を造るに至った結果こそが意味あるものだった。

 それを踏まえつつ、『彼』は再度考察する。

 世界に『存在が存在する意味を失くすこと』を認めさせること(・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・)こそがアンチ・ディナミスの本義であることを鑑みれば、綺堂裕一が発案、開発した消去砲は、そのコンセプトである量産型決戦兵器としての役割を十二分に果たしていると言ってよかった。

 だが客観的に見るなら──否、どの立場から見ようと、消去砲を人類に渡すことは滅びの道へ自ら足を踏み入れる所業に他ならない。

 だが戦争回避を理由にした暗黙的な服従──それに従った綺堂裕一が臆病者だとは思わなかった。夜の一族でもあった彼にとって、戦争の先に待つ結果など容易く想像出来ただろう。どちらかが滅びるまで殺しあう戦いの連鎖を、彼は王失格という汚名を着せられることで回避したのだ。決して愚かではない。

 それらの背景があるためか、『消去砲』に関する研究記録は存在しない。開発者たる綺堂裕一についての資料もまた、彼が書いた研究日誌の後編──どこかに前編もあるのだろうが──だけだった。端から端まで、一字一句逃さず読み、それを何度も読み返す。重要なのはイメージ。ひらめき。フィーリング。およそ物的根拠のないものばかりだったが、だがそれでも、『彼』は消去砲について知る必要があった。

 意味消滅に汎用性を持たせた綺堂裕一は、しかし記録上、異能力者ではない。では意味消滅の制御法、それを応用した武器の開発理論はどこから得たのか。

 時折メモのように登場する単語や、ミミズがのたくったような走り書きだけでは推測するのも難しかったが、それでもきっかけが出来てしまえば理解は容易かった。流れるように脳に入っていく情報は気持ちよく、『彼』の気分を次第に戦場へと駆り立てていく。

「…………」

 ゆっくりと本を閉じる。念じる。軽く、本当に小さく、本に対して『消えろ』と。ただそれだけで、『彼』の意図は容易く世界を塗り替えた(・・・・・・・・)

「さて、完成には程遠いが、それでも扉は開けたか」

 真夜中。血の臭いの混じった空気に不思議な心地よさを感じながら、『彼』は静かに歩き出した。静寂に包まれた森を抜け、街の喧騒を掻き分けて、再び深淵に沈んだ木々の世界に足を踏み入れる。

『彼』が国守山に赴いたのとほぼ同時──黒くしなやかな肢体が森に降り立ったことは、森自身が教えてくれた。巨大な存在の出現に緑豊かな世界はざわつき目覚め、その凄まじき咆哮が闇夜の空気を一瞬にして凍りつかせる。

「役者はそろったな」

 その嘲笑を受け止める者はいない。それでも周囲に満ちていく殺気を心地よく受け止めながら、『彼』は、獣とは逆の方角へ足を向けた。

 

      ◇

 

 霊圧が一段と強くなったのを感じながら、エリザは疲れを覚えない程度の速度で山を駆け下りていた。後ろから付いてくる少年少女を出来うる限り引き離さないように気を配りながらの行動に、微かながらの苛立ちを覚えながらも走り行く。国守山の広さと向かう先との距離を鑑みても、それは決して迅速とはいえなかった。

(もうちょっと速く行きたいところだけど)

 実際問題として、付いてくるだけでも必死なのは真一郎だけだった。御剣いづみと兎弓華は元来の身体能力を発揮して、HGS二人は空を飛ぶという半ば反則的な能力を駆使している。

 息を切らせ、大粒の汗を流し、並び立つ森の木々の入り組んだ枝が、真一郎の頬を、身体を、容赦なく切り刻んでいく。足元に生えた草花は時として複雑に絡み合い、彼の足に更に重くのしかかる。

 だが誰も手伝おうとは言わなかった。言えないだけかもしれなかったが、エリザ自身、彼に手を差し伸べようとは思わなかった。付いて来られなければ置いていくと、最初に問いただした際にも、彼は拒否しなかったのだ。

 エリザが足を止めたのは、だから彼を慮ってのことではなかった。

「エリザさん?」

 全員がつられるようにして立ち止まる。視線で、もしくは直接口で疑問を投げかけてくる彼らを無視して、エリザはある一点を、正確には自分達の進行方向に意識を飛ばした。

「何か用?」

 月光が届かない闇に向かって投げた問いは、あっさりと聞き覚えのある声で返って来た。

「それは貴様次第だな」

 何のわだかまりもなく──そう思っているのは『彼』だけだろうが──足音すら立てずに男が姿を現す。

 逆三角の瞳。引き締まった細身の身体。耕介に比べれば背も低いが、バランスは取れていた。見ているだけで苛立ちを覚えるほど隙のない身のこなしに、いづみや弓華が警戒を強める。真一郎とリスティは、ざっくばらんにきられた前髪から覗く眼光におびえの色を示し、一人だけ──知佳だけが、目を丸くして絶句していた。

「神楽……先生?」

「……ん? 何だ、仁村か。何でお前がこんなところにいる?」

「先生こそ……えぇと……どうして?」

「説明するのは面倒だな。話せば長くなる。が、話したところで貴様らの足りない脳が事態を理解できるとも思えんから、簡潔に説明してやろう」

「は、はい……」

 こくりと喉を鳴らしたのは一体誰だったのか。緊張に固まる少年少女たち。それを無感情に見渡して、双真は軽く手を掲げて言った。

「俺は敵だ。以上」

「簡潔すぎです!」

「ちょ、ちょっと待ってくれ!」

 真一郎が慌てて会話を遮る。言葉以上に、今の彼は焦っているように見えた。もしくは慣れていない殺気に対して感情を持て余しているのかもしれなかったが。

「仁村。あの人知ってるのか?」

「う、うん」

「誰なんだ?」

「えっと……」

 それを表現するなら、きっと万人が奥歯にものが挟まったような顔と答えたに違いない表情で知佳が振り向く。

「わ、わたしの担任の先生」

「……担任?」

 リスティが首をひねった。

「矢沢先生から変わった?」

「あ、そうじゃなくて! その……わたしの、学校の担任……なの」

「担任って……」

 真一郎の驚愕の声が、皆の意識を知佳から双真へと移す。

「あ、あんな人が?」

「世も末だなー」

「日本の教師事情、複雑デスか?」

「聖祥女子って色物好き?」

「…………えーと……」

 さすがに返答に困って、知佳は双真を見やった。助けを請う生徒の視線に、しかし担任の教師はそれをさらっと裏切る。

「順当な反応だ」

「み、認めちゃうんですか?」

「うむ。俺自身、俺みたいな教師がこの世にいていいのかどうか疑問だしな」

「それは、確かに私もそう思いますけど」

「なら何も問題ない」

「そう……ですか? そうなのかな? あれ?」

 論点のずれた会話に知佳の混乱は更に深まったらしい。が、当の片方はそれを気にした風でもなく、だが意識だけはエリザから微塵もはずすことなく一歩足を踏み込んだ。

 その挙動が臨戦態勢だと知れたのは、この場にいた中ではエリザだけだった。

「退いてほしいって言っても、きっと無駄なのよね」

 確認の意味も込めて問いかける。だが双真は、返答することなくその場でたたずんでいた。応とも、否とも。答えはなく、また反応もない。含みがあるようには見えなかった。もとより何を考えているか読めないのがこの男の──神楽双真の常だ。

 それを知ろうとすることの無駄骨さを、エリザはこれまでの経験から嫌と言うほど見知っていた。と、

「綺堂さくらはどこに行った?」

「臥王の元へ行ったわ」

 身体が強張ったのは、双真の殺気が強まったからではなかった。

 視線。表情。声。自身の全てに焦りの色が浮かんでいることを自覚しながらも、エリザは高鳴る鼓動を抑えきれずにいた。汗の滲んだ手のひら──その指先に痛みを覚えるほど強く握り締める。

 その痛みでどうにか落ち着き始めた頃、双真が声を漏らした。

「そうか」

「……え?」

 双真の言葉が脳内で反芻される。驚いた自身の反応に戸惑いを隠せず、エリザは反射的に聞き返していた。何に対して違和感を覚えたのか。彼の表情に、確かな殺気が宿ったことでその疑問が霧散する。

「なら聞き方を変えるが……」

「神楽君?」

綺堂さくらをどこへやった(・・・・・・・・・・・・)?」

 静かに、言葉が滑り込むように脳へと入ってくる。問われた言葉の意味が解らなかった。

「臥王の元からここまで──ああ、正確には耕介たちのいる場所から、だが──さざなみとはほぼ一直線。だが俺は、綺堂さくらの姿を見ていない」

「なん……ですって?」

「耳が遠いならもう一度言おうか。綺堂さくらはこの辺りにはいない。その様子だとお前も知らないようだな。さて、ではどこへ行ったのだろうな?」

「貴方、何を知っているの?」

 だが暖簾に腕押し──彼はかすかに肩をすくめただけだった。

 この辺り一帯は臥王の巨大な霊圧で塗りつぶされている。よほど強い霊力の持ち主でなければ探査することが出来ないのが現状で、事実、さくらがさざなみを去ってからの正確な居場所はつかめていなかった。

「特に何も? ちょっとした昔話と、この一件の張本人が誰かということくらいか」

「………………」

 双真の返答に対して感じたことは、ただの後悔だった。あれほど無駄だと解っていたことを繰り返してしまった。必要のない会話を断ち切らなければならない。双真がそのつもりなら、力づくにでも。

 だからエリザは、そっと人差し指──その先に軽くキスをした。

詠唱短縮(ダイヤル・カット)

 唱えた言葉は力となってエリザの心に刻み込まれる。飾り気のない爪に小さく明かりが灯る。その色が次第に赤へと移り行くのと連鎖して、エリザの瞳がゆっくりと赤銅へと変わった。

 星の光の少ない夜空の下、やがてはっきりと輪郭の浮かび上がった世界の色は白と黒のモノトーンでしかなかった。

 たった二色しかない世界は瞳に優しく、しかしどこまでも鮮明で美しく、それらを構成する力の流れをはっきりと自覚しながら、エリザは一歩前に踏み出す。

「貴方は何を知ってるの?」

 聞く必要のない問いであることは承知していた。神楽双真の行動は、他者から見てどれほど理解できないものであろうと、一本の線として繋がる筋道の通ったものであることが多い。意味のない行動を起こすほどこの男は酔狂でもない。理由もなく顔を見せることなどあるはずもなかった。

「言い直すわ。これから何をするつもり?」

「現状の問題点はたった一つだ」

 指先から溢れた粒子の風が、瞬間弾け消えて再生する。思っても見なかった会話の流れに一瞬集中が乱れたからだった。

「臥王は『狼王』として完成した。今も感じている圧力から察するに、一個体が保有できる霊力としては最大級のものだろうな」

 既知を語る彼の真意が読めず、エリザは知らず眉を寄せていた。

「アレが綺堂さくらを手に入れたなら、その霊力は無尽蔵になる。だが今は有限だ。どれだけ強くとも。今ならまだ間に合う」

「ええ、そうね。それがどうかしたの? 今ならまだ勝てる要素はある。わかってるわよ、それくらい」

「そうか? なら何故、お前はこんなところにいる?」

「…………どういう意味?」

「臥王の目的を効率よく妨げる方法は二つある。『王』である臥王を倒すか。『器』である綺堂さくらを壊すか。どちらがより簡単か、考えるまでもないだろう? エリザ」

 そこで初めて、双真がこちらの視線を捕らえた。

「お前は何故、綺堂さくらを殺さなかった?」

「ありえないわ」

 即決だった。迷うことなく断定した否定の言葉は、エリザの心を急速に冷やしていく。冷静さを取り戻した瞳で双真と向き合うこと数瞬──小さな反動が彼女を襲った。向けられたのは無感情な殺気。彼の黒い瞳の奥に、しかし自分の顔は写っていなかった。

「腑抜けるのも大概にしておけよ。エリザ」

「貴方こそ見誤らないで。私は家族を裏切らない。何が起ころうとも、絶対に」

 気を抜いた瞬間に気を失いそうなほどの殺気は、すでにエリザの喉元まで突きつけられていた。跳ね上がりそうな心臓を必死に押さえ、押し切られる前に、等量等質のものを相手に向けて解き放つ。

 双真に動揺の色はなかった。ただ独り、呆れたように嘆息してみせる。

「馬鹿は死なないと治らんとよく言うが……」

「!」

 言葉の続きを聞く前に、エリザはその場を跳躍した。傍で控えていた真一郎を抱えてさらに後方へ。何かを察した少女達がそれぞれで反応するのを視界の隅で認識しながらも、エリザに出来ることはその場を離れることだけだった。

 そのエリザを、言葉だけが追う。

「一度、本気で死んで見るか?」

 着地と同時に、エリザは体勢を崩した。殺気と呼ぶことすら生ぬるい暴力的なほどの圧力は周りの少女達にも伝わったのだろう──恐怖に顔をゆがめながらも、真っ先に反応したのは知佳だった。

「ちょ、ちょっと待ってください!」

 それは、まさにこちらを殺そうと足を踏み出す一歩手前だった。知佳の声に反応して双真が止まる。心中で彼女に感謝しながら、真一郎を置いてエリザはもう数歩ほど双真から遠ざかった。目算でおよそ二十メートル。それでもまだ、双真なら一挙動で間合いを詰められる距離でしかない。

「し、死んで見るかって……えぇと、その……本気ですか?」

「冗談を言うタイプに見えるか? 俺が」

「見えません」

 そこだけはきっぱりと断言する知佳に、双真もまた頷いてみせた。

「当然だ。しかし、まぁ丁度いいか。仁村。他の餓鬼共もよく聞いておけ。これからエリザを殺す」

 あまりにも教育によろしくない台詞で子供を怖がらせる教師が一名、周囲の戸惑いなど全く目もくれずに淡々と告げる。

「動くなよ? 特に仁村とそこの銀髪。お前達は耕介にとって家族も同然だろう? 出来得ることなら殺したくはない。が、動いた時点で参戦したと見なす。そして戦いに加わった以上、敵として処理する」

「な、何故ですか?」

「ん?」

 それは至極当然の疑問だったろう。彼女らには殺されなければならない理由など思いも寄らないに違いない。人間社会という枠組みから外れた存在に、その内側にいる子供達が対応できるとは思えなかった。

「あえて言うなら余興だ。今そこで、静かに戦闘態勢に移行している魔術師に、もう少し広い視野を養ってもらおうと思ってな。命懸けで」

 真一郎が、不安の瞳を向けてきた。

「エリザベートさん?」

「聞いたとおりよ。動かない限り、神楽君は貴方達を標的にはしない。本当なら、私独りここに残りたいところなんだけど」

「却下だ。耕介たちの邪魔はさせん」

「この通り、他にも何か、含みがありそうだからね」

 軽くウインクをして、エリザは少年を勇気付ける。彼女自身、疑問に思うことは多々あった。現状を生み出した原因からして疑わずにはいられない。だがそれを聞いても答えてくれないだろう事くらいは、双真という人格を見知っていたつもりだった。

 だから問わない。だから疑念は棄てる。彼が敵としてこちらと相対する以上、逃げても無駄だと解っていた。

「というわけで、私が彼をのしちゃうまで、少し待っててね♪」

 言葉とは裏腹に、胸中は必要以上の緊張で破裂しそうだった。油断は許されず、気を抜いたその先に待ち受けるのは絶望的な敗北──『死』でしかないことを理解したうえで、彼を『殺す』ための覚悟は決して難しくなかった。

CDIVThunder(四百四番目の電撃)

 呪文詠唱を引き金にして、前方の空間に生まれた光の渦が地面を切り裂き、闇を断裂させながら迸った。一直線に伸びる光の槍が軽い先制攻撃となって双真へと飛来する。

 熱波に包まれる瞬間まで、双真はその場を動こうとすらせず──

「ふむ」

「え?」

 そしてそのまま、動くことなく白炎に飲み込まれた。

 爆音が轟き、視界全てを覆うほどの粉塵が舞った。ただの牽制が当たるなどと思っていなかっただけに、次弾装填を忘れ、思わず眼前を凝視する。

「倒した?」

 疑問というよりは確認したかったのだろう──真一郎の言葉に、しかしエリザは胸中で否定した。

(まさか!)

 たとえ直撃を食らったとして、あの程度で倒れてくれるほど神楽双真という人間は容易くない。

 やがて砂塵が晴れる。エリザの予想通り、全く変わらない双真の姿に少年達が驚き、傷一つないその事実に驚愕と畏怖を抱いたようだった。

 そしてそれはエリザも同じだった。ふとした疑念が沸き起こる。疑心を確信へと変えるため、あえて声量を大にして呪文を唱えた。

XLIXCleft(四十九番目の断裂)

 水面に触れたかのような波紋が指先に生じる。緩やかに消えゆく見えざる空気の波は双真の立つ大地へと伝わり、亀裂の生じた地盤はやがて地上の彼を巻き込んで爆砕する──はずだった。

「…………」

 何も──というのは語弊があった。何も起きなかったわけではない。否、正確には、何も起こせなかったのだ。

 意志の力で世界を構成するエネルギーを操り、物理法則を想像して創造する──森羅万象全ての物理現象を人工的に引き起こす手法。それが魔術である。

 イメージした任意の物理を、どのようにして創造するかを世界に伝える儀式を行使することから始まり、魔術師は呪文を唱えることで引き金を引く。つまりは術の発動を得ることが出来た。

 物理の想像(イマジネーション)、式の構成、呪文の詠唱。そのどれもが魔術師個人の感覚によって御されるため、魔術師の技量は精神力に、魔術の精度は精神状態に大きく左右される。自身にかかる術の負荷に耐え抜き、霧散するエネルギーをどれだけ確実に集約できるかが威力となって差を生じさせるからだ。

 だからこそ、今起こった現象がエリザには信じられなかった。自身の中で焦りがあることは認める。気負いがあったことも。が、神楽双真はもとより魔術師ではない。いくら精神的に揺らぎが起ころうと、魔術の行使に失敗するほど錯乱はしていなかった。

 魔術師が引き起こした魔術による現象は、言い換えるなら『ある任意の方向性を持たせて発現させられた物理力』だ。故に他者の魔術に対して干渉するためには、それが発現した後(・・・・・)でなければならない。

 絶対に覆ることのない、覆るはずがないと思っていた魔術における基本法則──それが今、目の前で覆っている。起こそうとした爆発が起こせなかった。ただそれだけのこと。

 だが否定する。感情全てが、在り得ないという気持ちに塗りつぶされた。

「何を……どうして……?」

 彼は魔術師ではない。彼は魔術を行使していない。することも出来ない。ならば何を持って、その異常を成し得たのか。

「……反力で、魔術の発動を消した?」

「ほう? 脳みそ種無しピーマン女のくせに、随分理解が早いじゃないか」

「誰がピーマンよ!」

(──って!)

 自身に思い切り胸中で突っ込んで、エリザはどうにかその場に思いとどまった。

「さらりと重要なことをギャグで流すんじゃないわよ! 今までの緊張感全部台無しじゃないのよ! どうしてくれんの! っつーか、そもそも種無しって何! 種無しって!」

「注文が多いな。だいたい、聞かなければ解らんのか? だから種無しなんだ」

「……よーするに、頭の中がスカスカだってことですか?」

「正解だ。よくわかったな、仁村。ハナマルをやろう。よしよし」

 確実に馬鹿にしているとしか思えない口調でのたまう双真に、一同はとりあえず沈黙で返すしか出来なかった。

『…………』

 ただ風が流れていく。静かに、緩やかに、冷やかに、凍てつく波動が皆の喉を痛めつける。ヒリヒリと渇きを訴える眼球を、無理を押して一同はエリザへと移した。

 代表で、真一郎が口を開いた。

「スカスカなんですか?」

「そこで疑問符浮かべて、しげしげと私の顔を見ないで!」

 勢いのままに真一郎をはたき倒す。完全に八つ当たりだった。

「まぁ今回は及第点か。察しただけでも良しとすべきだな」

 我慢の限界突破はあっけなかった。一歩進むごとに髪が銀髪に、肌が褐色に変移していく。腕を組みながら大仰に頷く双真にずかずかとにじり寄り、エリザはその襟首を思い切り掴み上げ、力の限り締め付けた。普段は内に封印している力の余波が、双真をつるし上げる腕を伝わり周囲を圧迫する。

「あ・な・た・という人はぁ〜〜っ!」

 ぎりぎりと軋んだのはどちらの骨か。力いっぱいに締め付けながら、しかし首を圧迫されているはずの双真は涼しい顔でこちらを眺めていた。まるで何もかもが他人事のように。

 それを憎しみのこもった赤い瞳でねめつける。

「私をからかって愉しい? ねぇ? 愉しいの?」

「愉しいか愉しくないかと訊かれたら、かなり愉しい部類に入る。しかも最近、お前をからかうのは少し趣味になりつつあるな」

「今すぐ棄てなさい! そんな悪趣味!」

「お前に隙があるのが悪い」

 さも心外だといわんばかりの双真の視線に触発されて、エリザの理性はあっさりと吹っ飛んだ。

「責任転嫁してんじゃないわよ! このくそ忙しいときに真面目にやる気あるの? っていうか、ここに何をしに来たの! 何を考えているの! 真っ当に生きてる人間の気持ちを考えて見なさいよ! 少しは人に迷惑かけずに生きてみようとか思わないわけ?」

「何で俺がそんな面倒なことをするんだ?」

「仮にも立場上は教師でしょう!?」

「反面だがな」

「自分で言うな!」

「俺だから言えるんだろうが」

「威張るところでもないわよ! 大体、さっきから何で私に対して命令口調なわけ? 貴方、一体何様よ!」

「俺様だが?」

「………………」

「………………」

 フッ──と。

 双真の首を絞めながら、エリザは心の底から何かが沸き起こってくるのを感じた。『何か』が何なのか──愉悦に近い感情のように思えたが、実際にははっきりと自覚できたわけではなかった。ともあれ、口からもれ出た笑みは確かに彼女の口元を歪ませていた。

 漏れでた息とともに、呪文が詠唱される。

DCLXXI Brute(六百六十六番目の獣)

 が、

「…………」

 やはり何も起きない。何も起こせなかった。

 呪文とは、そもそも魔術師が行使したい魔術の結果をイメージとして手伝うためのものでしかない。複雑になればなるほど想像は容易ではなく、故に物理を構成するエネルギー──魔力を操るのは至難となる。

 それを手助けするために存在する呪文の詠唱は、言うなれば他者ならず万物に対する意思表示であり、自己暗示に直結する行為だった。

 その自己暗示すら否定されてしまえば、後に残るのは空虚でしかない。思考が止まったのは数秒。瞬き数回にも満たない時間に過ぎなかった。が、

「俺の持つ能力、『反力』は……」

 呆けて力の抜けた腕をゆっくりとはずしながら、双真が耳元でささやく。

「アンチ・ディナミスと称される、存在の意味を消滅させる体系に連なる『()』に過ぎない。アンチ・ディナミスに分類される術の施行者は俺一人ではないことはお前も知っているだろう?」

 だからこその『術』なのだと、双真は語る。会話の流れが読めず、エリザは双真に手を握られたまま、途方にくれた目をした。

「な……何の話?」

「まぁ聞け。とにかくアンチ・ディナミスは、意味消滅を『術』として発動させ、行使するために編み出された原典(オリジナル・ソース)だ。現存する意味消滅を成しえる術・道具は全てこれを元にして開発されている。俺の『反力』然り、お前の師匠であるギヴァ・ウェッジが編み出した『Dis-Fix(ディス・フィックス)』然り」

 だが──と断りを入れる双真の瞳に、初めて熱が灯った。

「『反力』と名づけられた法術──その発端は『禁術』の一種だったが、最終的に、神道においてはどれにも分類されない秘奥義とも呼べるものだけが、現代においてはアンチ・ディナミスと称されている」

 何故だろうな? と。すでに理由を知っている笑みで双真は問いかける。

「さて、一つ注釈すると、反力もまたアンチ・ディナミスを元に開発されているから、当然最終的に行き着く先は『存在の消滅』だ」

「け、けど……貴方の力は……」

「だが俺の反力はそうではないと──そう言いたいのだろう? だからそれは間違いだと言っているんだ、エリザ。お前が見知っている『存在が存在する力を奪う』という結果は、結果ではなく術の過程だ。言い換えるなら、俺が、俺自身の巨大すぎる力の発動を御するために抑えた二次的なモノでしかない」

(なら、その制御法がより完全なものとなったとき、彼は……)

 双真の言葉が続くだろうその先を読み取って、エリザは推測する。結論は簡単に導き出された。それは、思うほどにたいしたことではなかった。今になって、驚くようなことでもない。

 だから何も感じなかった。戦慄を覚えるはずがない。笑い飛ばしてしまえばいい、些細なことだ。思えば、そんなことははじめから解っていたこと。解っていなくてはならなかったことなのだから。

 だが痛いくらいに早まる心拍に比例して、呼吸が次第に荒くなる。

「理論は手に入れた。制御の完成は近い。エリザ。解るだろう? 俺だけが──」

 軽く、抱きしめるように腕をこちらの肩に廻してきた双真を、エリザは拒絶できなかった。まさか彼の腕の中に収まる日が来ようとは思いも寄らなかったが、そんなことはこの際どうでもいいことでもある。

「俺だけが、意志だけで存在を消滅させることのできる『能力』を持つ(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・ ・・・)、本当の意味で、存在を否定する者だ」

 そうして彼は、念じるだけで魔術を──こちらの意志によって生み出されようとしていた物理を否定したのだ。その結果が何であるかなど関係ない。彼が否定した存在は、それが例え存在する前であろうと、存在することを許されない。

 双真は術者ではない。彼には『反力』という『術』は扱えない。彼に出来るのは、反力と『同じ過程』でもって引きこされる意味消滅を、意志の力だけで施行することだけ。

 だからこそ神楽双真は──彼だけが、『反力者(アンチ・ディナミス)』の名で呼ばれる。

 見上げた先、彼らしくない優しげな瞳の奥底に底冷えする殺意を秘めながら、双真がこちらを見下ろしている。心の片隅に念じるだけで自分(エリザ)を殺せる黒い瞳の中に、自分の顔が写っていることを認識した瞬間──

 彼女の世界は、音もなく静かに崩れた。

 

 

【2】へ     【4】へ

Top