4

 

 こんなものか、という落胆があった。

 この程度か、という失望もあった。

 そしてそれ以上に、こんなものではないだろう? という期待が、双真の心には確かに存在した。

 

      ◇

 

 後悔しているのかもしれない少年の表情を、なんとはなしに見つめる。エリザが倒れていく姿に、彼らが何を思ったのかは知れない。知りたいとも思わなかった。

 感情に身を任せることが正しい命の在り方であることを、双真は一片たりとも疑ったことはない。だがそれでも、少年が激情に身を任せることを許しはしなかった。

「動くなと言ったはずだ」

「!」

 淡白な一言。それだけで少年の足が止まる。蛇に睨まれた蛙──立ちすくむ彼は、まさに蛙だった。色々な感情が交じり合った中で、彼の瞳に色濃く映るのは恐怖しかない。

「何をするつもりだ? お前のような素人が」

「…………っ」

 地に伏して動かなくなったエリザの身体を越えて、双真は一歩一歩、ゆっくりと地を踏みしめながら少年に近づく。

「ここに来て、何をするつもりだった?」

「……俺……はっ!」

 瞬間、今まで硬直していた少女二人が地を駆けた。双真が忠告をはさむ暇さえなかった。

「相川!」

「真一郎!」

「動くなと──」

 何度言わせればいいのか。子供は嫌いではない。だが自分の能力とその限界を知れない大人は嫌悪以外の何者でもなかった。

 大人と子供のちょうど境目を生きる真一郎との間はおよそ十メートル。その間に割って入った少女二人が、どう安く見積もっても素人ではない動きで戦闘態勢を取る。とはいっても、結論からすれば双真にとってはそれもどうでもいいことだった。

 彼女達の戦闘力がたとえ自身を凌駕していようと、敵であるなら殺す。殺せるかどうかという疑問など考える必要はない。

「で?」

 だが、彼らの意向を知らないまま敵対する気もなかった。

 立ち止まる。ただそれだけで彼らの意識がざわついた。訊かれたことが伝わらなかったのか、彼らは何も答えず、ただじっとこちらを睨みつけてくる。

「聞こえなかったのか? 動くなと言った忠告を無視して、何をするつもりだ? 貴様らは」

「……」

 答えは返ってこなかった。ただ答えを探していたのか、それとも、それを吐露するためには時間が必要だったのか。真一郎の口から紡ぎ出された言葉は細く、だが力強く震えていた。

「彼女に何を……した」

 彼女? と訊かれて一瞬誰のことか迷う。

「見て解らなかったのか?」

 嘲りを含んだ笑みが届いたかどうかは、真一郎の顔が俯いているせいで伺えなかった。双真の前に立ちふさがる少女二人を、押しのけるようにして彼が前に進み出る。

「何で…………」

「ん?」

「何で……エリザベートさんが死ななきゃならないんだ!」

「余興だとも、言ったはずだが?」

 その言葉を真一郎が理解できたとは思えなかった。聞こえていたのかさえ怪しい。が、理解を示さなかったのは彼だけではなかった。

「余興? ……そんな理由で? 人を殺せる?」

 髪を後ろに束ねたつり目の少女が、怒りに満ちた瞳でこちらを睨んでくる。逆手に構えた小刀が闇夜に鈍く光るのを眺めながら、双真は呆れたように嘆息して見せた。

「なら、恨みがあったなら納得したのか? 報復される理由があの女にあったなら、お前たちは俺の行為を認めたのか?」

「……え?」

 呆気にとられた真一郎の数歩手前まで歩いて止まる。手を伸ばせば喉に届くその距離で、双真はしかし、あえて何もせずに彼を見下ろした。

「どのような理由なら、人を殺すことを許容できる? 違うだろう? 最初から、例えどのような理由があろうとも、お前達は納得も理解もしないのではないのか?」

「……そんなのは……」

「当たり前デス」

 震える真一郎の肩を、中国系の少女が掴む。明らかに敵意のこもった視線は心地よい刺激だった。

「例え知り合ったばかりでも、知人が、しかも友人の親戚が無作為に殺されて、納得できるわけありません。そこまでわたしも人を棄てた覚えはないデスし、真一郎やいづみはもっとそう感じてるでしょう」

「……弓華」

 真一郎に弓華(ユンファ)と呼ばれた少女の纏う気配は、言うなれば人を一度は棄てたことのある者のそれだった。洗っても拭いきれていない、かすかに漂う血の臭い。命を奪ったことのある者だけが持つ特有の空気は、しかし双真にとっては馴染みのあるものでもあった。

「……お前、もしかしなくとも暗殺者──それも戦闘訓練を受けた職業的暗殺者(アサッシン)か」

「『元』……デスけど」

 その嘲笑は、むしろ自身に向けられたもののように見えたが、どちらにしても双真にとって、弓華という元暗殺者は脅威足り得なかった。名前も知らない無名の暗殺者など、どうということもない。

「で? どうする? 仇として俺を殺すか?」

「…………貴方が、真一郎たちに牙を剥くなら」

 その包帯に巻かれた拳が、不自然な握りと共に弓華の胸元に掲げられる。

「待ってくれ、弓華」

「……真一郎?」

 殺気が爆発しかけた弓華を、ただ一言、小さな声でとどめた真一郎は、しかし俯いたままで表情が伺えなかった。弱々しい言葉はしかし、深夜の森に酷く響く。

「……俺は……俺たちはさくらを助けに来たんだ。誰かを傷つけるためじゃない。それはエリザベートさんだって同じだった。いや、俺たちよりも強く助けたかったはずなんだ」

 懺悔にも似た声色だった。泣いているのかもしれない。小刻みに震える身体を、いづみが抱きしめようとして、しかし思いとどまってやめた。

「お前はさっきのエリザとの話を聞いていたか? 綺堂さくらを殺すことは事件解決の最速で最良の手段だ」

 臥王は人間種族どころか、己以外の全てを見下し敵視しているきらいがある。同族とてアレにとってみれば餌でしかないことは、あの『村の成れの果て』を見れば一目瞭然だった。

 他の人間がどうなろうと知ったことではないが、双真は、自身のいる環境を壊す存在を許容しない。アレを殺すことは、例えアレが改心したとて変わらない決定事項だった。だがそれよりも先に、綺堂さくらを確保しなくてはならない。優先順位を間違えるわけには行かなかった。

 しかし──事情を知っているのかいないのか、目の前の少年達は、感情だけでそれを認めないでいる。エリザもまた、大切だからという感情のままに、さくらを助けたいと願っている。それが、順序を間違えていることに気づくこともなく。

「そんなの、絶対駄目だ」

「では聞き返そう。どうやって助ける? お前に何が出来る?」

 いづみや弓華のように、真一郎が体術に長けているとは思えなかった。知佳やリスティのように念が使えるわけでもない。エリザのように魔術師でもなければ、神咲薫や耕介のように霊術を扱えるわけでもない。

 目の前の、小柄な、ともすれば少女にも見受けられる華奢な少年は、正真正銘、ただの一般人でしかない。それは誰よりも当の本人が知っているはずだった。

「それを自覚しているのか? 弱者のお前が『誰か』を助けるだと? それこそ茶番だな。自身を過大評価する愚者の愚考だ。くだらない」

「それでも!」

 声に嗚咽を交えながら、真一郎が叫ぶ。何に対して悲しみを感じているのか、双真には計り知れなかった。エリザが死んだことか、さくらを助けられない自身の無力さか。

 涙で頬をぬらしながら、それでも精一杯顔を上げ、こちらを睨みつける彼を殺すことは容易だった。が、それをする意味はなかった。この少年は、双真にとって敵ですらない。

「何も出来なくてもか? 気持ちだけ何が出来る」

 それでも──繰り返し、真一郎は叫ぶ。

「気持ちがなければ、何も始められない!」

「お前の言うそれは、弱者が抱く理想でしかない。現実を直視できない、夢見がちな子供の論理だ」

 真一郎の意思を、双真は即座に切って捨てた。

「だからって、何も出来ないから、何もしないでいたら、もっと何も出来なくなる。そんなのは嫌だ。嫌なんだ! それが子供の論理だっていうなら、俺は子供でいい!」

「ならば喰われてみるか? 希望を抱き、夢を追い、しかし現実に裏切られ、何も出来ず、何も為し得ず、絶望に苛まれながら死んでいく者が、一体世界に何人いると思う? したくても出来ず、ただ生きるだけに心血を注ぎながら無価値で命を終える者が、幾人いると思う? 自分だけは違うなどと、どうして断言できる?」

 双真の指先が、真一郎の眼前に向かっていく。弓華もいづみも、傍で見ていた知佳やリスティも、真一郎と双真のやりとりに圧倒され、誰も反応できずにいた。

 後一息、それだけで彼の眼球をえぐることの出来るところで、双真は指を止めた。

「この世は弱肉強食だ。強ければ生き、弱ければ死ぬ。それだけのことだ」

「そんなの俺は認めない!」

 強情とも取れる真一郎の瞳が、真正面から双真を射抜く。それは、先の弓華の殺気よりもなお心地よく、より激しく、双真の心を揺さぶった。

「だが現実にお前は弱い。故に、例え気持ちがあったとしても、何も出来ずに終わる。ならば何もせずに端で脅えていろ。邪魔する小石を、いつまでも無視してやれるほど俺は気が長くない」

 瞳をそらさず、瞬きもなく、呼吸すら忘れたようにこちらを食い入る真一郎を、気だるく感じながら双真は目線を細めた。肩の力を抜く。指先が、ほんの少し彼の眼球から離れた。

「弱者は強者によって淘汰される。その強者はより強い強者に。食物連鎖と同じく、それは人間社会でも変わらない。弱ければ死ぬ。感情とて例外ではない。愛情も、怨恨も、弱ければ死んでいく。弱さが悪だとは言わない。が、弱者を助けようとする行為は明らかな『偽善』だ。そんなものに踊らされている貴様らに、助けることなど出来るわけがない」

「それでも! 何か、俺に出来ることはある! きっと!」

「ないな。無力な貴様には何も出来やしない。今のように、せいぜい女の影に護られていろ」

 その一言で会話を切り上げて、双真はきびすを返した。少年に向けた指先はすでにポケットの中。背を向けた彼らがどんな表情をしているかは知れないが、その困惑だけは気配で伝わってきた。

 背後から、切羽詰った叫びが響く。

「何で! さくらを殺さなきゃ駄目なんだ! 何でエリザベートさんが死ななきゃ駄目なんだ!」

「弱かったからだろう?」

「!」

 つまるところ、何も認めることの出来ないでいる真一郎の心境は、さくらを助けることと、臥王を倒すことが合致していないことから引き起こっていた。臥王を倒すことはよく、綺堂さくらを殺すことはいけない。それを偽善と呼ばずになんと呼ぶのか、彼らは気づいていない。

「三度目の忠告だ。今すぐここから立ち去れ。これ以上時間を無駄にする気はない。もしどうしても綺堂さくらを殺すことを許容できないなら、力ずくで俺を止めてみるんだな。ただし──」

 構えを取ったいづみと弓華を視線だけで牽制する。

「死ぬ覚悟はして来い」

 その言葉が届いたのかいなかったのか。呼吸を荒げ、俯き加減でゆっくりと、真一郎が近づいてくる。慌てたいづみと弓華を手で留めたところをみると、どうやら正気を失ったわけではないらしかった。

「勇気と無謀は異なるのだと、まだ解らないのか?」

「解ってる。この中じゃ、俺が一番弱いってことくらい! でも!」

 双真が再び振り向いたその頃には、真一郎は彼の眼前にまで近づいていた。仁王立ちから腰を落とし、両足を開いて体重を乗せる。流れるような動作で半身を傾け、その勢いのまま振りかぶった拳が、彼の胸板に突き刺さろうとして──

 それを、双真は人差し指一本で難なく止めた。真一郎の──おそらく渾身の──自身の抱える感情を全て込めた一撃はしかし何も感じなかった。力はやはり、力でしかない。

「!」

 もとより敵うとは思っていなかっただろう。それでも、自身の力が全く通用しない現実が、真一郎に確かな絶望をもたらしたようだった。顔色が目に見えて沈んでいく。

「臥王は──お前達が倒そうとしている相手は、俺と同レベルかそれ以上の戦闘力を保持している。直接的な破壊力で言えば間違いなく俺よりも上だ。わかるか? お前の力は、俺の指一本、折ることすら敵わない。臥王を相手にしたところで秒殺されるだけだ」

「…………」

 悔しさと恐怖と、現実の残酷さを一気にその身に受けて、うなだれる真一郎は今にも崩れ落ちそうだった。拳を突き出したまま、それを指先で受けたまま、双真は淡白に彼を追い込んでいく。

「お前は弱い。なのに向かってきた。何故だ? 綺堂さくらを助けたいからか? だが今ので解っただろう? お前が戦っても死ぬだけだ。そんな弱者が、戦場に何をしにいく? 死にに行く理由に他人を使うような奴が、どうして何かを為しえる?」

 最期勧告だと、双真は言外に告げる。これ以上の譲歩をするつもりはなかった。次は容赦なく殺す。その必殺の気合を込めて、真一郎の拳を指で弾く。それだけで、彼は簡単に地面に膝を着いた。

「……解っているんだ」

 きびすを返す、双真の背中から、かすかに声が紡がれる。気にせず歩み出そうとして、

「俺の我侭だってことくらい」

 しかし聞こえてきた言葉の意外さに、双真は足を止めた。

「…………」

「さくらと友達になろうとしたのだって、さくらが笑った顔が見たいと思ったから。一緒に遊んだら、きっと愉しいだろうって思ったから。氷村が騒動を起こしたときも、さくらが困っているとか、そんなことよりも、俺が、さくらの悲しい顔を見たくなかったから。それだけなんだ。友達で、仲間で。せめて大人になって、いつか別れるときまで、一緒に過ごしたいって思ったから」

 だから、今、ここにいると──告白する真一郎に改めて双真は向き直る。殺意は起こらなかった。

「わがままか……なるほど。だが、それが解っていながら、どうしてお前はここ(・・)にいる? 何も出来ないと知りつつ、何故ここ(・・)に来ようと思った? 自身に出来ることを、なすべきことを踏まえているのなら、何故それを為そうとしない」

 それも結局は、真一郎のわがままでしかない。帰りを待つだけの自身が許せなかったから。それ以上に、待つだけでは我慢が出来ないからだ。

 危ういと──双真は、独り、黙考する。この少年は、ともすれば自殺しかねないほどに危うい。大切と感じた誰かのためになら、火の中に飛び込むことすらためらわないだろう結果が今ここにある。

 確かに彼は子供だった。自身の力の限界を知らない子供だ。だからこそ、その想いは純粋で、しかしだからこそ、双真には濁って見えた。

「ふん。だがそこまでわかっているなら、もう何を言っても無駄だな」

 余興のつもりが、随分と気を遣ってしまったと、双真は内心、かなりの疲労を感じていた。

 ああ、まったく。だからエリザと関わると面倒なことこの上ないのだ。

 その呆れと諦めと、疲労と、それからいくばくかの八つ当たりも込めて、背後に向かって吐きすてる。

「──だそうだ。聞こえていたな、エリザ(・・・・・・・ ・・・)

 

 ……………………

 

『え?』

 双真を除く全員の声が重なった。間抜けなくらい、間の抜けた声だった。

「……エリザベートさん?」

「……うん」

 真一郎の呼びかけに、擦れた、弱々しい声が返ってくる。やがて、むくりと起き上がったエリザの瞳は赤く、肌は褐色で、髪はまばゆい銀髪ではあったが、それ以外におかしな(・・・・)点は見られなかった。

 が、それも当然といえば当然だった。双真自身、彼女に特別な何かをしたわけではないのだから。

 真一郎が呆然と、誰に向かって訊いているのかも解らない問いかけをする。

「死んだんじゃ……?」

「なんだかね、何故だか解らないけど、生きてるみたい」

「殺したんじゃ……?」

「俺は殺す(・・)とは言ったが、殺した(・・・)とは一度も言ってないぞ」

 沈黙、再来。

 確かに言っていない。ただ少年達の勘違いをあえて正そうとはしなかったし、その勘違いを助長するような発言はしたかもしれないが。

「反力でエリザを殺したなら、そもそも肉体が残っているわけがないだろう?」

「貴方の力をこの子たちが知っているわけがないでしょう?」

「自身で確かめもせずに思い込んだほうが悪い」

 それはそうかもしれないけど……と、認めた時点で負けだということに気づくことなくエリザが苦笑する。

「でもそうね、結局、何でこんなことをしたのかは知りたいわね」

「記憶力がないのか、貴様らは」

 嘆息気味に双真は呟きをもらした。

「きちんと最初に、これは『余興』だと言っただろう?」

「…………」

 もう何度目かも解らなくなった静寂を無視して、双真はきびすを返した。座り込んだままのエリザに顔を向けることなく話しかける。

「ところでエリザ、いつまで座り込んでいるつもりだ? あまりのんびりしていると全てが間に合わなくなるぞ」

「誰のせいよ!」

 抗議の声など聞く気もなかった。が、不意に足を止める。言っておくべきことを忘れるところだった。

「最期にもう一度だけ忠告だ。綺堂さくらは殺さなくてはならない。これは決定事項だ」

「神楽君?」

 どうしてそこまでさくらの殺害にこだわるのか……疑念の色を強く遺して、エリザが声を紡ぐ。同時にそれは、双真の持つ知識を欲しているサインでもあった。

「臥王を倒せば事が済むと思っているなら、お前は今夜、確実に命を落とす」

 だが教えてはやらない。気を遣ってやる義理もなければ義理もなく、例えあったとしても教える気になるはずもないから、訊くだけ無駄でしかない。エリザもそれを解っていたのか、それ以上は問いただそうとはしなかった。

「覚えておくわ。でも、さくらは殺さない。殺さなくていい手段を考える。貴方がそこまで言う以上、理由がないとも思えないしね」

 立ち上がりふらついたエリザを真一郎が支えようとして、一緒にふらつく姿は情けなくもあった。

「エリザベートさん……」

「大丈夫。人生、何事も前向きでないと。でなきゃ、神楽君と会話なんて出来ないし」

「……はぁ?」

「とにかく! 有難う、相川君。風芽丘に入ってからのさくらが明るくなった理由がよくわかったわ」

「は……えっと……あの……」

 困ったように照れ笑う少年と、微笑む魔術師。それに駆け寄る少女達。が、双真はその中で、一番見知った生徒を呼び戻した。

「仁村。お前は俺と来い」

「え゛?」

 呼ばれた当人がぎょっと目を見開く。

「綺堂さくらを探す。手伝え。あれと臥王がかち合うことだけは避けねばならない」

「えっと……」

 心底嫌そうな顔をする知佳が、ほかに助けを求める前に、双真はその首根っこを捕まえた。

「言うとおりにしないと、強制的に落第だ」

「ちょっ! それはいくらなんでも職権乱用じゃないですか!」

「何とでも言え。第一、俺を自由にしていいのか? 綺堂さくらを見つけ次第殺す気でいる俺が、先に見つけたらどうするつもりだ」

「あっ!」

 現実には、知佳程度が止めに入ろうと全く障害にならないからこそ呼び止めたのであるが、生徒はそれに思い至らなかったようだった。

「うぅ。そうは言っても、先生と二人はヤダなぁ〜。リスティ」

「悪いけど遠慮させてもらっていい?」

「裏切り者〜っ」

 困惑しながらも首を横に振る銀髪少女の裏切りに涙する知佳を引きずって、双真は再び歩き出した。森を振動させる霊圧の波の中に見知った気配を感じながら、振り返ることなく親友のいる場所とは逆方向へ足を向ける。

 その後ろに、哀れな生贄を引き連れて。

 

      ◇

 

 震えている。そう感じ取れただけでも僥倖だった。

「……薫」

「大丈夫です」

 無意識に呟いた声に、ゆとりのある声が返ってくる。

 今このとき、彼女という先輩が傍にいたことに耕介は心の底から感謝した。凶悪な殺気を前に死を意識しなかったといえば嘘になる。だが決して敵が放つ圧迫感に屈したわけでも、その威圧に恐怖したわけでもない。

 自分より遥かに巨大な敵に立ち向かうのは初めてではなかった。だから耕介が怖れたのは──心の底から本気で怖れたのは、『敵』と相対した後に待つ結果だった。

 そして実感する。これは喧嘩ではないのだと。恐怖に震えたのは、これが簡潔で単純な方程式の元に成り立つ──勝敗が生存に直結する──命を懸けた戦いなのだということを、今更ながらに思い知ったからだった。

「大丈夫」

 浮かびかけた想像を振り払って、今度は意識して呟く。

 かつて故郷の長崎にいた頃の仲間達の生き様を思い描くと、不思議と心が落ち着いた。恐怖はなくならない。だが震えは止まってくれた。

 木々の陰。薄暗い隙間から人狼がこちらに向かってくる。一歩進むごとに空気が凍る──そう感じたのは決して比喩などではなかった。真夜中の冷え込み始めた空気をさらに凍てつかせながら、やがてゆっくりと現れたそれは、獣であって、獣ではなかった。

「また会ったな。人間」

 狼の口が開く。先日見た人狼の姿そのままで。同じ声で。だがそこに纏った気配は、昨夜のそれと全く異なる大仰なものだった。思わず悪態が付いて出る。

「……随分、変わったな」

「ホウ? 我が変わったと? 下等種族でもそれくらいは理解できるか?」

「いや、口調からして全然違うし」

 昨夜の下卑た雰囲気を知ったものが見れば、その変化は一目瞭然だった。

「……そうだな」

 悠然と仁王立ちする自身の姿に一瞬だけ視線をやり、臥王が頷く。

「我は変わった。より強く、より気高く、より崇高になった」

「自分で言うか」

「言うさ」

 恥じらいなどなく、断言する姿には確かに微塵も揺らぎはなかった。

「我は強い。我の霊圧を肌で感じた貴様なら解るだろう?」

「だからってその口調はどうだろう?」

「気に食わないか?」

「気に食わないって言うか……」

 特に何が、というわけではなく、耕介の意見もただ感覚的なものでしかない。心の隅で、やられ役の典型だな、なんて思ったことは絶対に秘密だった。

「ふむ。我が気質を理解できぬか? では、力の差はどうだ? これなら脳の足りぬ貴様でも理解できるだろう? 理解できないか? そうであったなら我の買いかぶりすぎか」

「ん?」

 そこまで来て、耕介はようやく臥王がここにいることに疑問を感じた。

「そういや、あんたは何でこんなところに現れた?」

 不意に沸いた疑問はしかし、よく考えてみれば根本的な疑問だった。国守山全土には薫が張り巡らせた結界が、殺意ある侵入者を探知するために随時目を光らせている。本来なら、臥王が入り込んだその場所へ耕介たちが向かう手はずだった。

 だが臥王は自身から耕介たちの前に現れている。

「借りを返さねばならぬ。王たる我が、いつまでも人間に負い目をつくるわけにもいくまい?」

「律儀なことで」

 言葉を返さずにはいられないのは、自身の悲しい性か。耕介はこんなときに──いや、こんなときだからこそか──自分の性格を呪わずにはいられなかった。何にせよ、敵はさくらを襲うよりも自分達を倒すことを優先させたらしい。予想していなかった過程(・・)だが、逆によかったのかもしれないと思った。

「何、気を張ることはない。綺堂さくらを手に入れ、『神』となる前の余興に過ぎぬ。だが……」

 土を蹴り、臥王が一歩前に踏み出した。

「我の誇り、全てを懸けるに値する余興だ。昨夜、貴様らに受けた屈辱全てを晴らさねば、我は王たる自身を許せぬ」

「ご立派なことで」

「貴様と、もう一人。確実に息の根を止めてくれよう。喜べ、貴様らが手始めだ。我が王として君臨し、神となるこのめでたき日に。我が上り詰めるための最初の礎になれるのだから」

「礎になるのも、漬物石になるのもごめんだけど……」

 ちらりと、薫の方に視線をやる。会話に加わらなかった彼女は、一人静かに霊力を練りこんでいた。

「綺堂さんをお前にくれてやるのはもっとごめんだ」

 薫が頷く。

「耕介さん!」

 息を吐いた瞬間、恐怖は消えた。

 問題ない。目的を見失わなければ、決して迷う必要はないのだから。

「大丈夫だ、薫。有難う。もう覚悟(・・)は出来た」

 それが、かつての仲間達にあって今の自分に足りなかったもの。

「あいつを倒すぞ!」

「はい!」

 剣を構える。霊剣の本体である二人の姉弟が、その刀身の内で持ち主の意気に呼応する。咆哮は、三者同時だった。

「神気発勝!」

「神我封滅!」

「我が受けた傷。誇りを穢された責を、その命で償え! 人間」

 その咆哮とともに、空間が歪む。霊圧に押しつぶされるようにして圧縮された空気が弾け、視界は光に包まれた。

 

 

 

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