2

 

 ふと気づくと、自身を押さえつけていた圧力は消えていた。

 あの人間の男に殴られた胸の痛みもすでにない。ただ、やはり己が内にあったはずの力の流れを感じ取ることが出来ず、臥王はしばし、呆けた瞳を虚空に向けた。

 視点は定まらず、自身がどこにいるのかもわからなかった。ただ深い闇。それを肌で感じながら、臥王は知らず失笑していた。馬鹿なことだ。この闇を心地よいと思うなど、あるはずがない。

 力こそが全てだ。そうだろう?

 自問して、胸中で頷き返す。それ以外のものに何の価値がある。価値──その単語をきっかけに、臥王は初めて記憶を取り戻した。

 つい先ほど起こった出来事。戦闘の一部始終を、思い出した。

 無様だった。

 弄ばれた。

 嘲られた。

 見下された。

 そのつもりがなくとも、臥王はそう感じ取っていた。臥王の霊力を打ち抜く際の、男の顔が鮮明に思い出される。

 たかが人間の男。脆弱な種族の、脆弱な力しか持たぬ、ちっぽけな羽虫に、しかし自分は打倒されたのだ。

 そのことを思い出した瞬間、臥王を突き動かしたのは怒りではなく、嗤いだった。自制できぬほどの嗤いの衝動が、臥王の胸中で渦巻き爆発する。

「ハ……ハ、ハ、ハッ…ハッハ──」

 最初は弱く。次第に強く。

「ハハハッ! ハハハハハハ──ッ! ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ──────ッッッッ!!!!」

 咆哮にも似た、絶叫すら超える嗤い声が盛りに響き渡る。

 声すらかれても、臥王は嗤い続けた。

 嗤う。嗤う。血を吐き、牙をむき出しに涎を撒き散らし、目を血走らせ、正気を省みることも、負けた理由を考えることもなく、ただ己の内にある名前のない感情を吐露するためだけに、彼は嗤い続けた。

 痛みを覚えるほど嗤い続け、体力が切れたところでようやく途切れる。それは感情が枯渇した証だった。

 と──

 ようやく気づいた己を取り巻く現状に、臥王は思わず目を見開いた。

 目の前は暗闇だった。一寸先でさえ見渡すことの出来ない真の闇。人狼は人間の数十倍の視力を保持しているが、それでも光がなければ意味がない。全ての物質は光を受けて、反射の角度で波長を変える。波長の変わった光を視覚が捉え色調を認識することで、ようやく物質は姿を現す。だがこの空間に光はなく、故に臥王は己の身体さえ見ることはかなわなかった。これでは目をつぶっているのと何ら変わらない。

 だが何故だろう──目の前に、何かがいることを臥王は本能的に悟っていた。見えないが故に、それが何者かはわからなかったが、感じる霊力は酷く不安定で、今にも彼果ててしまいそうなほど弱々しかった。

 そこに存在する何かは、何をするでもなくただ眼前に佇んでいるようだった。いつからいたのかは定かではない。嗤いはじめる前にはいなかった──少なくとも、彼は気づかなかった──のだから、彼が我を忘れている間に近寄ったのだろうと、そう思った。

「何者だ」

 手を伸ばそうと──果たして何故そうしようと思ったのかさえ自覚することなく、臥王は目の前の何かに触れようとして──

「…………何……だと……?」

 一瞬、臥王は何が起こったのかわからなかった。脳がようやく理解する。自分の状況が見えてくる。ここがどこなのか。自分がどうなっているのか。

 そんなはずはない。我は王なのだから。

 手を伸ばせなかったという事実が、臥王に現状を否応なく理解させる。

「莫迦な」

 首だけのはずがない。痛みがないのだから。

 霊力が枯れるはずがない。他者を喰らってまでも得た力なのだから。

 自分が死ぬはずがない。なぜなら──

「我は王だぞ!」

 その葛藤を何者かが見ているという事実が屈辱だった。聴覚だけはいまだ鋭敏に働いていたらしい。

 目の前の何かが、小さく、音もなく、だが確実に、唇から空気が漏れる程度に笑みを浮かべた気配を、臥王は見逃さなかった。

 瞬間、臥王の心が音を立てて爆ぜた。

 弄ばれた。

 嘲られた。

 見下された。

「本来ならば、貴様らごときが触れることすら敵わぬ存在なのだ! それを──っ」

 拒絶する。

 首だけの自分を。

 もはや生き物として機能していない存在に成り果てた自己を。

 彼は拒絶した。

 だが拒絶した瞬間、それはもはや生き物ではなくなった。悲鳴の嗚咽を上げることも出来ないまま、ほんの一回のまばたきの間に命の炎が消える。

 最期まで気づくことなく。

 暗闇の中で命が消える。それをきっかけにして、彼らのいる世界が崩れ始めた。何のことはない。ここは臥王の深層意識。死を前にした存在が行き着く三途の川の向こう側(・・・・)

 すでに渡ってしまった者同士だからか、臥王の命──その揺らめく炎が消えてようやく、その眼前でたたずんでいた何かが唇を動かした。

「ああ、礼を言うのを忘れていた」

 有難うと──すでに屍と化した頭部に声が届く。

「おかげで身体が手に入った。喜ぶといい」

 今度こそ、その声に愉悦の笑みが混じった。

「君が望んだ『王』の覚醒だ」

 

      ◇

 

 得体の知れない連中に、得体の知れない理由で襲われかねない状況というのは、存外に恐怖を感じるものなのだろう。殺気で包囲されるような経験がない知佳の動揺ぶりを眺めながら、双真は一人、静かに夜風を愉しんでいた。

(落ち着けといったところで無駄かもしれんが……)

 その内に如何様にも戦いに応用できる力を秘めていることを省みれば、少女が動揺する理由などどこにもないはずなのだ。逃げることも出来るだろうにそうしないのは、こちらが動じていないからだろう。

「仁村」

「ひゃ、ひゃいっ!」

 こちらの言動にさえ大仰に驚く様は滑稽以外の何者でもなかったが、直立不動で固まる生徒を見続けるのも飽いていたところだった。

「言っても無駄だろうが、落ち着け。どうせ周囲の連中は、俺たちを襲えない」

「……え?」

 言葉の真偽を疑ったわけではないのだろうが、キョロキョロと周囲を見渡しながら、知佳の身体がわずかにこちらに寄る。

「お前、周囲のあれが何か判るか?」

「えっと……わかりません。先生は?」

 双真は首を振るついでに周囲を見渡した。

 二人を中心にしておよそ二十メートル程に位置する存在は、気配のみで姿は見えなかった。夜だからという理由だけではない。勿論、生い茂った木々の葉が邪魔しているということもあるが、それ以上に、双真の視界を遮る何かが周囲を覆っているのは間違いなかった。

 故に、例えそれに殺気がなかったとしても、敵であるという判断に間違いないだろうと踏んでいる。その光る瞳孔、時折聞こえる唸り声。獣特有の足運び。人間ではない。が、人狼でもないような気がした。もとより、人狼族はこの戦いに参加してなどいない。

「気配につかみどころがない。数も図れない。人のような理性ある存在ではないのは間違いない。だが獣にあるような野生も感じられない。呼吸も鼓動も、規則性がないから動きが予測しきれない。というわけで結論、こいつらは生物ではない」

「生物……じゃない? ということは、幽霊か何か、ですか?」

「それもどうかな」

 双真自身、言っていることに根拠があるわけでもなかった。知識と能力、そこから派生した経験則によるものである。

「でも、襲えないって言うのは?」

「予想だ。根拠はない。こいつらを差し向けた奴が俺の予想通りなら、これはただの監視だ。準備が整うまで、資格を有する者を外部から遮断し、外部への干渉を許可しない……といったところか」

「資格? って何のことです?」

「ふん。ただの昔話だ」

 話を続ける気はなかったが、かといって無意味に待たされるのは、それもそれで癪な気がしてならなかった。どうせ周囲の連中はエリザや耕介たちのところにも向かっているだろう事は予想に難くない。というとことは、結局時間が来なくては何も行動が起こせないということでもある。

 強行突破できないこともないが、そんなことで無駄な体力を費やすのはさらに気が向かなかった。

 結局のところ、今現在することがないのである。無駄な時間を過ごすくらいなら──と、双真は生徒に歴史の授業を始めた。

「お前、エリザからどこまで聞いた?」

「え?」

「事の顛末だ」

 端的に説明を求めたせいか、知佳の理解が追いつくのにはタイムラグがあった。根気強く待って、ようやく何を聞かれているか察したらしい知佳の口から、今現在彼女が知っている情報を聞き出す。

 この騒ぎの張本人が誰で、どういった経緯からどうして現状に至ったのか。その背景。原因。その他、エトセトラ……。

(ふむ)

 知佳の言葉を聞きながら独り胸中で頷いて双真は、自分の認識と随分と齟齬が生じていることに少なからず頭痛を覚えた。

「先生?」

「ああ、概ねわかった」

「そうですか」

「阿呆、勘違いするな。お前が何もわかっていないことがわかったと言っているんだ」

「へ?」

「……ま、暇つぶしにはなるか」

 知佳の知識の原本を思えば、この見解の差はつまりエリザとの差でもあるということだ。知識として、彼女らと差があろうがなかろうが双真にはどうでもいいことだった。が、このままでは会話が成り立たないのは確実であったし、このままこちらの行動に致命的に邪魔をされるのも癪に感じる。

「少し話を戻すぞ」

 ただの暇つぶしのつもりで、双真はそう切り出した。

「まずはおさらいからだ。元々、事件の発端は臥王という人狼が綺堂さくらを襲ったところから始まった。これはいいか?」

「はい」

 知佳の頷きを見て、先を続ける。

「臥王の目的は綺堂さくらの霊力だ。それを手に入れ、狼王になる。そこから先に目的があるのかも知れんが、まぁその辺はどうでもいいな。とりあえず、綺堂さくらを襲った理由は、その秘めたる霊力を手に入れることにある」

「はい」

「さて、では狼王とは何か。それに付随する狼神とは? お前がエリザから得た知識一辺倒のことは俺も聞かされている──で、結果として臥王の目的が狼王として不動の地位に上り詰めることだという見解に至ったわけだが……」

「……が?」

 首をかしげる知佳の疑念も、ある意味当たり前の行動だった。誰もがそう考えていたから、そういう結論に至った。不思議なことは何もない。

 が、双真にしてみれば──言い換えれば、人狼族とは何の関係もない彼にしてみれば、だから不思議なのだ。

「お前はそこで疑問に思わなかったのか? ではもう一度聞くが、狼王とは何だった?」

「えっと、狼王は例外のクラスで……それから──」

 そう──狼王と呼ばれるクラスは例外として扱われる。

 人狼族に適応される五つの基本クラスと、二つの例外のクラス。それが狼王と狼神。

 狼王とは、全人狼族の王となるべき存在に与えられる特別なクラスと云われる。全人狼族の中で一世代にただ一人、人格など関係なく、その『力』で一切を支配する絶対的な超越者。誰かが任命するわけでも、先代の『王』が命じるわけでもない、また常に存在するわけでもなく、強大な霊力によって、遺伝子に組み込まれた『何か』が覚醒することで『誕生』する。

 先ほど聞いたものと同じ言葉を知佳が口にするのも無理はなかった。彼女はエリザから聞いただけの知識しか持ち合わせていない。エリザが隠したとは思えなかった。確認したわけではないが、おそらくエリザもその程度しか知らないと見て間違いない。

 が、判断する材料が少ないのは致し方ないにしても、そういうことだから(・・・・・・・・・)として受け容れる知佳の順応さもどうかと思えた。

「ああ、エリザからは俺もそう聞いている。だから不思議だったんだがな」

「何がですか?」

 会話の流れを理解できていない生徒に、呆れ以上のため息で返して、双真は説明した。

「あのな、遺伝子に組み込まれた何かが覚醒する──って、それじゃあ、それは何だ?」

「え? 何かは何か、じゃないですか?」

「阿呆。だから(・・・)狼王という存在自体が何なのかということになるんだろうが」

「へ? あ、えっと……」

「要するに、狼王がどのようにして誕生するかはまるでわかっていない。これが実態だ。なら、臥王が綺堂さくらを襲った理由すら覆るだろう。巨大な霊力を手に入れたとしても、狼王になれるとは限らないからな」

「あぁっ!」

 理解の遅い生徒に、逐一説明しなくてはならない教師という職業は、やはり自分には一番向いていないように思う。なにやら面倒くさくなりながらも、話し始めてやめるのもすっきりしなかったので、双真は仕方なしに続けることにした。

「もちろん、臥王がそこまで考えていない、ただ霊力が高くなれば王になれると考えている馬鹿だという可能性もある。だから、これはあくまで可能性の話だ」

 誰も臥王と腰を下ろしてじっくり話をしていないのだから、全ての話は結局推論でしかない。

「先生は、霊力が高いだけじゃ狼王にはなれないと思ってるんですね?」

「そう思うだろう? 普通は。俺は人狼族じゃない。吸血種でもない。ただの人間だからな……って、何だその目は?」

「いえ、別に……」

 なにやら疑念に満ちた知佳の視線はあえて無視しておく。

「第一、霊力が高いだけで、どうして種族全てを従えることが出来るんだ? いくら同種族とはいえ、人格のある複数の生命体の意識を縛るなどといった大それた呪的メカニズムを、霊力が高いだけで成立させるのは絶対に無理だ」

「はー」

 と、あやふやに感心した息を吐く知佳は、取り合えず話にだけは付いていけているようだった。

「さて、狼王の定義があやふやになった時点で、狼神という存在の在り方も疑問が生じてくる」

「えっと、狼神は確か……狼王に霊力を供給する役割として存在するクラスで……」

 その後を引き継いで、双真はエリザから聞いた通りの文句を口にした。

「そのクラスは、人狼族、またはそれに準拠する一族の中で、最も霊力許容量の大きい、十八歳未満の『処女』が任命される──だろう? が、これもそもそもがおかしい」

「……どの辺が?」

「少しは足りない脳みそで考えたらどうだ?」

「あう……」

 苦笑いを浮かべる知佳の額を軽くこついて、双真はもう一度意識を周囲に展開させた。取り囲む気配は変わらず存在し、変わらずこちらには近寄ってこない。

(まだ時間はあるか)

 月の傾き具合から適度に今の時間を推測する。時計を持ってきていないのは失敗だったが、正確な時間が知りたいわけではなかったので不便はなかった。

 少し間をおいて、生徒に聞いてみた。

「わかったか?」

「……いえ」

「やはり阿呆だな」

 一言で切って捨てる。涙目になっている知佳の心情など知ったことではないので、双真は答えを解説することにした。

「これも答えはない。狼神のことも、何も解らない。解っていない。これが実態」

「わからない、ですか?」

 わかっているじゃないのか? と言いた気な知佳の表情を察して、双真は意地悪く笑んで見せた。

「狼王とは何だった?」

「え?」

 戸惑う知佳に質問を続ける。

「狼王は、どうしたらなれる?」

「えっと、さっきの話じゃ、霊力が高いだけではなれない可能性があるって……あ」

「ふん。少しは考えられるじゃないか」

 ようやく会話が成り立ち始めたことに気をよくして、双真は自分の考えを、持ちうる知識と、半ば確信に満ちた想像で埋めていく。

「そうだ。狼王が霊力許容量だけで決まらないのであれば、その狼王に霊力を供給する狼神というクラスの定義が根本的に覆る。確かに霊力が高ければ、その分不老不死に近い寿命を生きていられるだろうが、だったらなおさら、そのクラスに『神』などと名づける意味がない」

「でも──」

 エリザから聞き知った知識が邪魔をしているのだろう。確かに意味はあるのかもしれない。狼王として覚醒した者を、神話の時代に存在した最古の狼へと近づけることを願って、神と名づけたのだと。

「ああ、そうだな。どんな理由で名づけたかなど、当事者でもない限り知るはずもない。どれだけ推測しても所詮は水掛け論だ。が、それでも疑問は潰えない。だから俺は、仮説を立ててみることにした」

「仮説?」

「要するに、逆だな」

 立場の逆転。『神』が『王』のための器であるという定義自体があやふやである以上、ただ名前だけを入れ替えても意味がなかった。

『王』になるためには、霊力だけでない条件が必要である──この認識は間違っていない──これを『王』の資格者として定義する。

 ここで、三代目狼王と称された綺堂裕一の存在が疑問視される。三代目狼王は、王でありながら『神』不在であり、不在であるが故に失格となり、失墜して死を得たとされる。

 つまり彼は王でありながら、人間に頭を垂れたために王失格とされた。誇り高い人狼のプライドを傷つけた代償は決して安くなかったのだろう。それもこれも、彼に『神』という『器』が存在しないからだと当時の者たちは考えたらしい。だが失格という事実が正確なのであれば、何故失格したのか。

 そも、王という立場が資格者によって為しうるものであれば、失格という事実はおかしい。仮定による定義が間違っていないことを前提として進めるなら、綺堂裕一は狼王ではなかった──つまり、人狼族代表のような立場であったことは間違いないが、狼王としての資格は有していなかったのではないかと予測できる。であれば、彼の代に『狼神』のクラスに相当する者が確認されていないことにも説明が付く。

 狼神が狼王と同時に誕生することがシステムとしてあるならば、そこに異常が発生することは在ってはならない。もしくは異常事態が発生した理由があるはずなのだ。

 双真はそれを、異常ではなく、システムは正常に働いていたと推測していた。狼王が誕生していないのだから、神も誕生しない。これは正しい。

 が、ここで少し予測が挫折する。綺堂裕一の日記だ。

 彼の日記──人生の後半をつづった文章を読み勧めていく中で、双真は、彼が自身を資格者であることを仄めかすような表現をしている文面に出会っていた。要するに、綺堂裕一は資格を有していながら王ではなかったということになる。

 では何故王足り得なかったのか。

 答えは簡単だった。

 一世代に王は一人。ここから推測は、二代目狼王、マユラ・ヴェッセンフルグは生きているのではないかという予測に繋がっていく。

「二代目狼王が生きている?」

「予測だが……な」

 思わず唇が歪むのを自覚しながら、双真は己の中にある想像が、およそその域を超え始めていることにも気づいていた。

「それを踏まえてみれば、強大な霊力によって遺伝子に組み込まれた『何か』が覚醒することで『誕生』するという『狼王』の説も間違いではなくなってくる」

「? え? でもさっきは……」

「とりあえず、マユラ・ヴェッセンフルグが間違いなく、正真正銘の狼王であったとして話を進めるとだ。狼王にどうすればなれるのか、本当の意味で知っているのは奴だけだ。なら、その当人がそう言えば、それはイコール『真実』ということにならんか?」

 可愛く首をかしげるような行動は時と場合を選ぶべきだと忠告してやってから、双真は先を続けた。小突かれた額を押さえながら呻く知佳を無視して、それはもはや独り言のようになってはいたが。

「狼王になるには、同族を喰い、強大な霊力を得ることが必要。そう言っておけば、自分が逝去した後、王を目指そうとする者は力を求める。その霊力が一定のレベルを超えた時点で、そいつの肉体を奪う呪法かなにか。いや、それよりも自己の状態を死ぬ瞬間でとどめるのが先か? まぁなんにしても、何かしらの『仕込み』をしたのではないかと思う」

「……あの、さっきから何の話なんだかもうさっぱり……」

「お前も大概、頭が悪いな」

 とりあえず罵倒することだけは最低限忘れずにしておく。

「要するに、臥王はマユラの手のひらの上で踊っていた可能性が高いということだ。いや、おそらく王になることを望んだモノたち全てが。王になる。それには同族の犠牲による霊力が必要であるという二代目の言葉に従い、連中は力を求める。王が仕組んだ復活の儀式とも知らずに。そうすればいずれ確かに覚醒するのだろうさ」

 何かとは、他でもない。王自身のこと。

「マユラ・ヴェッセンフルグという狼王が覚醒する。復活と言ったほうが良いか? それと同時に、おそらく『神』の方も誕生する。いや、順序が逆だな。『神』があっての『王』という仮説の通りでいくと、『神』の誕生もまた条件の一つかもしれない。まぁ何にしても…………ん?」

 そう、言葉を濁したそのときだった。

 地響きと共に、知佳の身体がふわりと宙に浮く。念動で飛んだわけではない。単純に、地面そのものが縦に揺れたのだ。

 その揺れが到達する一瞬前に異常を察していた双真は微動だにしなかったが、それでも眉間にしわがよるのを防げなかった。

 震源はここから山の奥のほう──それはつまり、耕介がいるはずの方向である。何もないわけがない。ただの地震であるはずもない。あそこには臥王がいたはずだ。

「いたたた……」

 悲鳴を上げる間もなかったのだろう知佳が涙目でしりもちをついていた。身近につかまるところがなかったからか、双真の服の裾を掴んで起きようとしていた彼女を面倒くさそうに抱え起こして、双真は見えぬ場所で起こっている出来事に意識を集中させる。

「俺の勘もなかなか棄てたものではないな」

 何が起こっているのかを正確に把握は出来たわけではない。それでも、自身の予感は正しいと、遥か遠距離から解き放たれている霊圧が物語っていた。

 それはさておき。

「……ま、俺たちが暇であることには変わりないか」

 だからといって動く気にはなれなかった。正体不明の敵がいるかもしれないという事態は、しかし双真にとっては予測内のことである。最終的な目的を考えれば、その敵の存在をあえて意識する必要などどこにもなかった。

 たとえ、耕介が死んだとしても。

「あの、先生?」

 何が起こったのかを聞きたがっているらしい知佳に、双真は皮肉気に言ってやった。

「何でそんなに深刻そうな顔をする?」

「え、だって、先生の話じゃ……っ!」

 綺堂さくらが、いや、彼女だけではなく、耕介や他のみんなも、更に危険な目にあうかもしれない。そう言いた気な知佳の様相は、ある種的が外れていると双真は思う。

「あのな仁村。俺の話はあくまでただの推論でしかない。根拠もない予測なんぞ、真面目に聞くだけ馬鹿だぞ?」

「へ?」

 今までのこと全てをひっくり返しかねない発言に、知佳の目が点になった。

「でも!」

「理に適っているように聞こえたからか? だがそんなものは錯覚だ。自分の目で見たわけでもない知識なんぞ紙くずも同然だろう? なら、今ある情報からおまえ自身が推測するしかない。今までの話は、所詮は俺が得た、俺だけの結論だ。左右されるのは勝手だがな、お前は一体俺の何を信じて今の話を聞いていた? お前自身の意見はどこにある?」

 ある意味教師らしい説教に、知佳が呆然としながらも黙り込んだ。少なくとも、言われたことを理解できるくらいには、この少女は頭がよかった。むしろ、同年代の中ではかなり聡いほうではないだろうか。

 他者の意見や知識を鵜呑みにしすぎれば、いつか致命傷を負う。他者を信じるなといっているわけではない。自己の行動の理由を他者に求めてはならない。その意味を、知佳は肌で感じているらしかった。

「それじゃあその……」

 おずおずと、それでも双真の意見は聞いておきたいらしい表情で知佳が上を向く。先ほどまで見え隠れしていた恐怖が、少しばかり薄らいでいるように見えた。

「先生は何が起こったと思いますか?」

 それに応えることなく、だが決して無視した形でもなく、微かに笑みを浮かべながら、双真は今も感じる巨大な霊圧の方へ目線を向けた。

 意識だけが、その霊圧につられて戦闘体制に移行する。

「せ、先生?」

 双真の気圧に押されたのだろう。知佳の瞳は不安に塗りつぶされていた。彼の急な態度の変化に戸惑っているようで、決して味方であるわけでもない彼を心配そうに見上げてくる。とはいえ、それが誰に対しての心配で、何に対しての不安なのかは理解できなかったし、双真にとってはどうでもいいことでもあった。

 もしくは、知佳なりに事態が急転したことを──それも悪い方向に──感覚的に悟っているのかもしれない。

「臥王の気配が弱まっていったと思ったら、一時完全に消えて、その後、以前とは比較にならないほど強大な霊圧が同じ場所に現れた」

「お兄ちゃんっ!」

 その説明を、知佳は珍しく取りこぼすことなく理解したようだった。耕介という、双真にとっても友人に当たる男は、知佳の中ではかなり大切な存在であるらしい。

 と──そのとき、双真は空を飛ぶ見知った少女の姿を見た。片手に剣を手にし、式服を纏った青い髪の少女が、凄まじい勢いで回転しながら宙を舞っている。慌てている知佳は気づいていないようだったが、教えるのは待ったほうがよさそうだった。

 知佳の見ている方向とは別──おそらくエリザたちがいる場所で微かに光が発せられるのを、双真は見逃さなかった。自然と唇が歪む。

(そろそろ仕掛けてきたか)

 それが誰なのかはどうでもよかった。加えて言えば、薫がやってきた──耕介たちがいるはずの方向に、おそらく最悪の敵がいる。その事実を胸に、彼が期待するのは、ただただ暇を潰すことだけ。

 踊る心中を微塵も出すことなく、双真は独り静かに嗤う。

 己が役割を果たす時は近い。その一瞬を見逃さないために、彼は全神経を集中して森の慟哭に耳を傾けていた。

 

      ◇

 

 自分の頭の悪さを呪ったのは一体何度目だろう──と、耕介は頭上の月を見上げたくなった。

 目の前にいる男は、確かにこう名乗ったのだ。

 マユラ・ヴェッセンフルグ──それは間違うことなき二代目狼王の名だった。千年以上も前に全生命種に対して戦争を仕掛け、世界を二分させた者。初代狼王が神代に存在していたと──いわゆる神話の中での空想の存在として扱われていたのに対し、彼はまさしく生きた伝説であったという。単一の生命体としては最上級の戦闘力を保持し、その力でもって世界を恐怖で震撼させた、人狼族をすべる狼王。それ故に、人類の歴史上から抹殺された絶対悪。

 まさしく神性を思わせるほどの強大な力を持った彼の最後は、最強であるが故の自滅であったというが、そのあたりの詳細は、耕介の知識の元であったエリザも確かなものは持ち合わせていなかった。

 ともあれ、没後には『天隷王(レジセイア)』と呼ばれ、戦神として崇められるようになったというくらいであるから、その実力は押して測るべし──疑う余地などありはしない。一介の霊能者が太刀打ちできるはずのない強者であるのは間違いないのだ。

 その、かつて世界を打破せんとした彼の者は、名乗るなり何気なく胸をそらして見せた。どうだ、驚け! といわんばかりの表情で微笑んでいる姿に、自然と小さく息が漏れ出る。それにつられて、心の底に仕舞いこんでいた本音が思わずこぼれ落ちた。

「…………うそくせー」

「いやちょっと待て」

 さすがに聞き咎めたらしい今の言葉を、マユラが不服そうに唇を尖らせて追求する。不満げに肩を怒らせながら詰め寄ってくる様は、見目よりも随分幼く見えた。

他人様(ひとさま)の自己紹介を、“うそくせー”とは何だ、“うそくせー”とは! よりにもよって“うそくせー”。僕の一体どのへんが“うそくせー”? 切るところを間違えたら“うそっ”“くっせー”! って、そんな酷いことを言うなんて、君はそれでも人間か!?」

「誰もそこまでは言ってない! っていうか、小さな“っ”を入れるな、勝手に!」

「言ったも同然だ! なんだい、せっかく僕がこうしてここに現界したっていうのに、もう少しそれらしい反応してくれてもいいじゃないか!」

「それらしい反応?」

「そうとも!」

 一歩引いて、マユラは握りこぶしを掲げて演説する。始まったのはむしろ独り芝居だったが。

「『な、何だと! 二代目狼王が何故こんなところに?』とか。『そんな馬鹿な! 臥王は確かに倒したはずだ』とか。『新たな敵出現!? どうする俺!』とか。そういったリアクションが何で取れないかなぁ?」

「えーと、それじゃぁ……」

「オリジナリティを求めるのは人が成長する最も有効な手段だと僕は思うよ」

「…………」

 間を差されたせいで、言葉は切らざるを得なかった。一拍、耕介は考え込むようにして天を見上げた。剣を手にし、自身の在り方を見つめなおすには少々時間が足りなさすぎたが、それでも今、何故こんなことをしているのかという議題について考えるくらいの間はあったように思う。

 とりあえず、目下すべきことは一つだった。

「薫、大丈夫かなー」

「あ、そうくるか」

 残念そうに、だがどこか愉しそうに、マユラは笑った。自分の思い通りのリアクションが得られなかったことへの悔しさなど微塵もない。純粋に、数千年ぶりに他者との会話を楽しめたことに対して満足した風な笑みに、しかし耕介は思わず背筋が凍った。

(よーするに、余裕か)

「その通り」

 こちらの心情を呼んだのか、マユラが笑みで答えを返してきた。もとよりポーカーフェイスは得意ではなかったが、こうも簡単に表情の変化から心の内を読み取られる自身に情けなさを感じなくもない。

「ま、余裕だからね。ついでに君にも猶予を挙げようと思うんだ──って、気に入らないって顔してるね」

「……当然だろ?」

「む。確かに、僕が君の立場だったらムカついただろうね。絶対に」

「自分がされて嫌なことは、他人にしてはいけないって親に言われなかったか?」

「……あー」

 過去を思い出すように、マユラは顎に手を当てた。『生きる』ということすら遥か昔のことでしかない彼にとって、親の記憶があるのかは定かではなかったが、それでもいくばくかは思い出すことが在ったらしい。

「言われたことはあるかもしれないね。でも……」

 クスリと笑うマユラの顔は、いたずらを企む悪餓鬼のように見えた。

「それって、対等な立場の者同士の話だろう? 僕と槙原さんは対等じゃない。もしそう思っているのなら、僕が言えるのは一つだけだな」

 瞬間、耕介はただ直感でその場を飛びのいていた。マユラは何もしていない。ただ人懐っこい笑みが消えた。それだけだった。

「自惚れるなよ、人間」

 耕介の動きに追随するように小さな言葉が彼を襲う。霊気を開放したわけでもない。殺気を放ったわけでもない。『その気』になったという、ただそれだけのことが、耕介に得体の知れない恐怖を抱かせた。

(実力差があるのはわかっちゃいたが……)

 戦うことを考えることすらおこがましいというマユラの言葉は、至極正しかった。戦おうなどと思ってはいけない。生き残ろうと思うなど厚かましいにも程がある。逃げることもマユラは決して許しはしないだろう。

 耕介に出来ることは、ただ心が折られないようにするだけだった。

 だがそれにしても、という疑問は尽きなかった。臥王もまた、その霊力は凄まじかったが何とか倒すことは出来た。思ったよりも拍子抜けしたことは確かだが、奴が強敵であったことには違いない。本来なら、敵うべくもないはずだったのだ。

(二度続けて見掛け倒しってわけじゃないよなぁ、いくらなんでも)

 思い浮かんだ逃げ道を、耕介は胸中で否定した。だがどちらにしたところで、

「ま、臥王を倒したのは確かなんだから増長するのは仕方ないにしても、でもだからこそ僕との実力差だって量れるはずだ。僕と槙原さんでは戦いにすらならない。何なら、試してあげてもいいけど、でもそうすると確実に死ぬね」

 そんな淡い期待は、マユラの言葉によってあっさりと砕かれたわけだが。

 増長なんてしてないけどな、という反論は心にとどめたまま、

「なら──」

 コクリと、口内にたまっていたつばを飲み込んで、耕介はマユラに改めて向き直った。

「何故俺を殺さない?」

「……理由か。動機の言語化はあまり好きじゃないんだけどな。まぁ、でも、君には知る資格があるか……」

 あー、面倒くさい。

 言葉にしなくても、その意志が明確に伝わってくる。マユラの言う資格とやらが何を意味しているのかは解らなかったが、彼が無視できない、何かしらの意図があるのは間違いなかった。

 包んでいた空気が、元の弛緩したものに戻る。

 背後に──否、自分達を中心とした周囲にゆっくりと、だが着実に近づいてくる気配を、マユラが気づいていないはずはなかった。それでも気にしたそぶりなく、近くの岩に腰を下ろしてこちらに向き直る。

「さて。準備が整うまで少し、話をしようか」

 ともあれ。

 耕介の意志など関係なく話が進んでいるのだけは間違いなく、それがいつまで続くのだろうと──今このときに限って言えば、どうでもいいことを耕介は考えていた。

 

      ◇

 

「あ」

──という小さく漏れ出たリスティの声を聞きとめたのは、ただの偶然でしかなかった。

「どうしたの?」

隣にいる銀髪の少女を見やると、彼女はなぜかエリザの方を──正確には、エリザを通り越して、さらには生い茂る木々よりも更に上を見ていた。

「何かあるの? リスティちゃん」

 その言葉に気づいた幾人かが立ち止まって、同じように空を見上げ、そして──

『へ?』

 そろって間抜けな声を上げた。

 神咲薫が夜空から落ちてきた。表現するならこの一言に尽きた。ただそれだけのこと。だが本来、普通の人は空を飛べないし、従って宙から突然降ってくるはずもない。

 その先入観が、エリザの反応を鈍らせた。

「え? ちょっと待って、これって直撃コース?」

 薫の進路──その行き着く先を予測して、エリザの全身が総毛立つ。彼女を助ける方法など、冷静に考えてみればいくつもエリザの中には存在したはずだが、このとき何故か頭の中に浮かんだのは、飛び降り自殺の危険性についてだった。

 飛び降りで危険なのは、飛び降りた当人よりも下にいる人間なのだという、この際全くどうでもいいことを考えながら、

「ああ……」

 と、何故か感心した声をあげる。近くになってようやくわかったことだが、薫もまた、こちらが何故ここにいるのかわからないといった顔をしていた。

 薫は剣を手にしており、ともすれば霊術か何かで危機を脱するつもりだったのだろう。エリザたちがいるせいで反応が遅れたのか、彼女が何か力を使うそぶりは見せなかった。

 ということに思い至って、ようやく自身の危機的状況を悟る。

「げ」

 このままでは間に合わないことに気づいたときには、行動に移っていた。

 およそ美女にはあるまじき声を上げながら、それでも間に合えと祈りにも似た形で魔力を練る。それは瞬時に形を成して輪となり、防御の盾としてエリザたちを包んだ。

「リスティちゃん!」

 だがその一瞬前に、隣の少女に声をかけることも忘れない。こちらはエリザの魔術で安全だろうが、そこに設けられた防御の檻に薫がぶつかれば、彼女がただではすまない。魔術で他者へ干渉するのは骨が折れるので、エリザは手っ取り早く手近な念動者に助けを求めた。

「大丈夫」

 返ってきたのは、年齢に見合わない頼もしげな応えだった。銀髪の少女は少しの戸惑いも見せることなく黄金の羽を広げ、薫の身体を念動で受け止める。ふわりとその華奢な身体が宙に浮くのを確認して、エリザはようやく緊張を緩めた。同時に、彼女らの周囲にあった結界も消える。

「薫」

「神咲先輩!」

 皆が駆け寄るのに少し遅れて、エリザも薫の方へ歩み寄った。

「っ……たぁ……」

 リスティの力に助けられ、ふわりと浮くような形で地面に降り立った薫は、しかしそれでもいくばくかのダメージがあったらしく、大地に立つなりその場に崩れ落ちた。軽い脳震盪を起こしてしばらく気を失っていたようだが、やがてゆっくりと起き上がる。ふらつきながらもそんな状態でもきちんとリスティに礼を言う辺り、彼女の生真面目さがうかがえた。

「大丈夫?」

「……あ、ああ。ありがとう。リスティ。おかげで助かった」

「それはいいけど。でも、何で?」

 言葉は端的だったが、それは気持ちが十分にこもった問いだった。何故落ちてきたのか、皆の疑問はそこに尽きる。

「……え? ああ、何かに吹き飛ばされたんだ。突然」

 薫が何を言ったのか、とりあえず皆がそれぞれに心の中で言葉を咀嚼し、吟味してからゆっくりと飲み込む。それでも反応がなかったのは、それだけでは理解に足りなかったらしい。

 目は口ほどにものを言う。少なくとも薫が冗談などを言っているはずがないことくらいはエリザにも解っていた。が、それでも、本物の現役霊能者をここまで豪快に吹き飛ばすものとは一体何なのか。想像は出来なかったが、予測は出来た。

 あまりいい知らせではないことだけは間違いない。

「臥王の仕業?」

「あ、いえ。そうといえばそうですし、違うといえば違います」

「はい?」

 その煮え切らない態度は、あまり彼女らしいとは思えなかった。

「どういうことですか? 神咲先輩」

「ああ、信じてくれるかどうかは微妙なところなのだけれど……」

「構わないわ、話して」

 そうして薫から聞きだした話はなるほど──聞けば聞くほどわけが解らなかった。

「何、それ」

 結局のところ、自分のあずかり知らぬところで何かが動いていることは間違いない。だからこそ神楽双真はエリザの前に姿を現したのだと、今更ながら、彼女はそれを実感した。

 余興だといいながら、自身の力の完成を知らせに来たこと。下手に相川真一郎を刺激したこと。どれもらしくないといえばそうだし、らしいといえばらしい。

 神楽双真の行為は、その思考も含め、わけが解らないのが常なのだから、考えるだけ無駄なのだ。だからこそ、彼がわざわざ自分のところへ来た意味を図るのは至難だったのだが、それがようやく繋がりを見せ始める。

 エリザが知らず、双真が知り得ている情報。

 そのうちの一つが、間違いなく現実のものとして起こっていること。

「さっき……」

 言いかけて一度やめる。が、力を感じる能力を持たない真一郎たちが説明を求めているのを視線で感じて、エリザはあえて視線を強め、なじるような口調で先を続けた。

「臥王の霊圧が一瞬消えて、そのすぐ後、先ほどまでのとは比べ物にならないほどの霊圧が同じ場所に現れたの。ホラ、さっき地震があったでしょ? その時よ」

 宙を浮いていた薫を除く皆が頷いた。

「私はてっきり、臥王が本当に『王』として覚醒したのかと思ったけど」

 薫の話では、どうやらそうではなかったらしい。

 いや、違うのか? と自問したところで答えは出なかった。臥王が王になったと思った。だからこそさくらは、その遠吠えに魅かれて奴の元へと向かった。

 そう思っていた矢先の突然の双真の乱入。彼が言うには、さくらの姿がどこにも見えないという。

 そして当然、臥王と対峙していた薫も、さくらの姿は見ていないという。臥王を倒したという耕介の力の在り様には疑問を覚えなくもなかったが、今は些細なことだった。

「ああっもうっ!」

 そこまで思考を整理して、エリザは内に抱える苛立ちを抑えきれずに頭をかきむしった。真一郎がぎょっとして後退りする。

「だ、大丈夫ですか?」

「全然!」

 気を遣う余裕なく、エリザは首を振った。痛いくらいに指が頭皮にめり込む。

「何が起こっているのかまるでわからないじゃない! ったく、こんなとき都合よく現れて、こちらのことなんかお構いなしに事態の解説をしてくれるのが神楽君の唯一の長所なのに、どこで何油売ってるのよ!」

「……無茶苦茶言ってますね」

「言うわよ。言わなきゃやってられないじゃない! 神楽君の行動も読めない。臥王を倒せたのはいい知らせだけど、その後起こっていることがさっぱり理解できないのよ!」

 薫を吹き飛ばした存在は、今も変わらず同じ場所にいる。耕介の存在も知覚出来る。つまりそれは、耕介がいまだ戦っているということだ。その割には国守山には再び静けさが戻っているが、そんなのは嵐の前の何とやらだと、エリザは全く気を許していなかった。

 そして、何よりエリザを苛立たせているのは、自分達の周囲に展開している得体の知れない連中の存在だった。

 白い影。言葉通り、連中は影だった。

 影に形はなく、だが獣のように四本足で歩き、本能に従い行動しているように見せているそれらは、しかしどこにも生命の息吹が感じられなかった。法則性などなく、連帯感があるようにも思えない。実体がない故に影。そして影であるが故に、こちらからの干渉を全く受け付けなかった。

 魔術で攻撃しても無駄だった。リスティが電撃で試していたが、これも徒労に終わっている。それならば──と、いづみと弓華が物理攻撃を加えてみたが、何の反応もなく、成果はまるでなかった。

 強行突破しようと進軍したところ、影と衝突した瞬間、エリザたちは再びもとの位置に戻っていた。つまりは──

(空間回帰──それとも連結? どっちにしてもこいつらは私達を殲滅するためではなく、ただ足止めするためのもの)

 何にせよ、ここから動けないという結論に変わりなく、故に焦燥だけが募っていく。加えて、誰がこんなものを差し向けたのかさえわからないのだ。

 冷静に、その話を聞いていた薫は、しかし力なく首を振った。

「力では無理と思います」

「私もそう思う。でも……」

 と、思いつきにも近い形でエリザは薫を見返した。

「一個だけ、脱出する方法があるんだけど……」

「あるんですか?」

「この辺一体、一年間くらい草木一本生えなくなるけど、いいかな?」

 ハハハと、力なく笑うエリザに、容赦なく冷たい視線が注がれた。

「ごめんなさい。冗談です」

 がっくりとうなだれるエリザの傍らで、ふと何かに気づいたらしいリスティが顔を上げる。

「何かいる」

「え?」

 薫に気づいたときと同じく、リスティの視線に促される形で全員が同じ方向を見た。

 うっすらと、周囲と取り囲む陰に混じって、確かな輪郭を持つ人型の影があった。

「……?」

 油断なく、エリザは真一郎たちの前に進み出た。いづみと弓華が横に並ぶのを待ってから、

「誰?」

 答えを期待したわけではなかった。案の定答えはなく、その代わりとばかりに、影はゆっくりと歩み寄ってくる。軽く重心を落とし、いつでも戦闘に映れるように身構えて──

「…………!」

 そこで、エリザは硬直した。

「え?」

 現れた探し人──会いたかった少女の姿を視認して、彼女の意識に浮かんだのは、安堵ではなく疑念だった。

 何故だろう?

 もう手の届かない場所に行ってしまったかのように、目の前にいる少女にその声が届くはずがないと思ったのは。

「さくら……」

 目の前に在ることを疑ってしまう自身の感情に恐怖を抱きながら、エリザは呆然と、小さく彼女の名を呟いた。

 

       ◇

 

 それを会話と呼んでいいのかどうかは、甚だ疑問だった。

 それでもマユラの口上を止める理由は思いつかない以上、耕介にできることは、ただ黙って聞くことだけである。何せ相手は狼王だ。下手に反抗して機嫌を損ねてしまえば、そこで人生が終わってしまう可能性すらある。

 事は慎重に。返す言葉は吟味しなくてはならないと、緊張で飲み込む唾すら枯れるのを感じながらも、耕介はマユラの言葉の先を待った。

「昔々、あるところに神様がいました」

「あんたもちょっと待て!」

 とりあえず──

 こんなときにでもツッコミを入れてしまう自身に悲しくなりながら、自棄とも取れる声で耕介は叫んでいた。

 

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