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「さすがにこれはひどいんじゃあ……」 これ──というのは、後頭部を背後から足蹴りして昏倒させたことを差したつもりだったが、その張本人は悪びれることなく肩をすくめただけだった。 「時と場所を選ばんからだ」 まるでエリザが悪いといわんばかりの双真の態度に、さすがに同意は出来ずに耕介は苦笑するしかなかった。 もとより悪いのは突然エリザを蹴った耕介であって、彼女には非がない。彼女の主張は当然のことなのだが、確かに双真の言うとおり、暴走している場合ではないことも確かだった。 お気の毒に……と、ある意味他人事のようにため息を吐きながら、耕介はエリザを抱え起こし、以前真雪から習ったことのある気付けを試みた。 「うっ!」 衝撃はすんなりとエリザの身体を伝わり、脳を刺激して意識を覚醒させる。やがて痛みを抑えながら立ち上がった彼女は、ふらつく足取りで周囲を見渡した。 「……あれ? 何で後頭部が痛いのかしら?」 「忘れておけ。とりあえずは」 「そう? まぁいいけど……」 耕介としては、このまま永遠に忘れていて欲しいと思ったことは秘密である。 「さて」 と、双真の言葉を皮切りに、雰囲気は再度緊迫したものに戻った。 耕介と双真。そしてエリザ。彼らと対峙する形で、綺堂さくらがいた。そこから少し離れた場所に、マユラが佇んでいる。知佳が診たところ、真一郎たちは気を失っているということなのでとりあえずは安心だと判断した。いざとなれば、知佳の力でさざなみまで逃げてもらうことも出来る。 (まぁ、でも、あの光で呼び寄せられたらどこにいて同じか) 今もなお余裕を見せているマユラの態度と、無言で佇んでいるさくらの態度が不気味ではあった。 「状況を説明して欲しいんだけど」 「そうだな。まず臥王はどうした?」 「へ?」 「臥王だ。倒したらしいということくらいは解るが、そいつはどこの誰だ?」 当のマユラは愉しそうにこちらのやり取りを見ていただけで、何もしていない。何もしてこない。敵意もなく、殺意もなく、話の途中に腰を折られたことへの怒りもないようだった。それ以前に、彼はこちらを見ていなかった。 どこか愉快気に、さくらの方を見つめている。 そしてまた、さくらもマユラを見ていた。何をするでもなく、しかしこちらは睨みつけるような感じで。 (何考えているのかわからないのはどっちも同じか) 自分に視線が集まっているのを察して、にこやかに、マユラが再度自己紹介した。視線だけはさくらの方に向けたままで。 「ああ、初めまして。マユラ・ヴェッセンフルグです」 本来なら、彼の名を知る者なら誰もが驚くはずだった。が、双真は全く動じることなく、知佳はマユラの存在にというよりも、むしろ双真のほうを見ながら、 「すごい。先生の言った通りだ」 と、感嘆の声を上げていた。そんな二人の反応に、マユラが始めてこちらに、双真のほうへ視線をくれる。 「なんだか驚いてないね」 「予想できていたからな。お前が復活することは」 「…………へぇ」 含みのある笑みを浮かべるマユラに圧される形で、知佳が後退りする。見えない圧力に耐えながらも、耕介は双真の発言が気になって仕方がなかった。 「どうしてって聞きたいんだけど?」 「面倒だ。話す気などない。あいつが本当は何者かなど、どうでもいいことだ」 「まぁ、そうかな?」 どうだろう? と自問する。答えは出なかった。 「私は気になるけど?」 「時間の無駄だ。後にしろ」 「…………何か腹立つ」 それ以上愚痴を言わないのは、エリザとてそんな場合でないことを理解しているからだろう。彼が名乗った名前に対して、本物かそうでないかを議論している時間は確かにない。 「…………ああ、なるほど。いや、しかしそれではつじつまが……」 「何をぶつくさ言っているの?」 エリザの問いかけにも気づかないのか、それとも完全に無視しているのか。何にしても双真は己の中で何かを考察しているようだった。幾度か呟いて、ようやくまとまったらしい考えに自ら首肯する。 「……気にするな。俺の予測が間違っていただけだからな」 「え? でもちゃんと……」 双真の予測が正しかったのだと納得した今、しかし当の双真がそれを否定したのだから、知佳の呟きも無理らしからぬことだった。 「なまじ余計な知識があったせいで、少し遠回りをしてしまった。耕介、アレがマユラであることに間違いはないんだな」 「保障するよ。他でもない僕がね」 だが双真は、その言葉に何の信用も置いていないようだった。 「そうか。まぁ真偽の程はどうでもいい。で──だ。マユラ・ヴェッセンフルグ。いくつか質問がある。というか、確認だな。これまで俺が得た情報を元に、貴様の目的を再度推測してみた」 双真の、いつにもまして鋭い視線に臆することなく、マユラは微笑んで見せた。それに便乗する形でさくらが口を開く。 「私も気になります。聞かせてください、そこの人」 「…………綺堂さん」 知佳が耕介の手を握ってくる。話し声、顔、身体の造詣、その全てがさくらそのものでありながら、中身が違えばこうも無機質になるものだろうか。 彼女の物言いに何かしら思うことでもあったのか、双真は一瞬語るのを止めた。 「……まぁいいか。さて……」 そこから先──マユラ・ヴェッセンフルグが復活するだろうというところまで──は、耕介は初耳だったが、知佳が言うには、双真は随分前に予測できていたらしい。 目の付け所が違うというべきか。本来なら、その手の情報に強いはずのエリザよりも真実に近いところにいたというのは、どこか皮肉にも思えた。 「問題は、狼王と狼神の真の役割だ」 「真の?」 「根拠のない推論だがな。それも、お前らという存在を実際に確認して、結果として得られたものでしかない」 「まぁいいか。うん。聞かせてもらえる?」 「……神と王の立場が逆のものであるという仮説を立ててみたが、どうも今、お前を見ているとそれもしっくりこない。というところで、改めて推測したことを言うとだ……」 全員が、静かにそれを聞く中で、双真はマユラから視線をそらすことなく続けた。 「お前が狼王──というよりは、人狼族の代表であったことは間違いない。で、当時存在した『神』に匹敵する何か──ああ、これが『狼神』の原型だろうとは思うが──を巡って戦争が起こった。記録では、狼王であるお前が全生命種に対して戦争を仕掛けたとあるが、俺は逆だと見ている。むしろ、人狼族が管理するその『神』を手に入れるために、人類が人狼に戦いを仕掛けたのではないか?」 「何故そう思うのですか?」 聞いたのはさくらだった。さすがに以外だったらしく、双真の口が一度止まる。 「……動機が不明瞭──というか、まぁその方が理由としてわかりやすいからだ。が、これに関しては、どちらに原因があるかはどうでもいい。とりあえず、ここまでの仮説で気になるのは『神』という存在だ。これだけはどこにもヒントも情報もなかったから、完全無欠に、ただの推論でしかないんだが……」 「いいよ。ここまで来て、今更出し惜しみはなしにしよう?」 マユラの表情から笑みが消えている。それだけに、双真の話が気になった。 「……そうだな。ところで俺は『神』を信じていない」 いきなりの話に、エリザが再度声を上げ、耕介とマユラは一瞬だけ目を見合わせた。 「全知全能な存在などこの世にいない。が、それに近しい能力を持った連中がいたことは知っている。なら当然、『神』と呼ばれるそれも、そこに近しい存在であると予測した。俺の知識の中で『神』と呼ばれるか、それに近しいもの。もしくは『神』を越える要素を持ち合わせ、加えて今回の騒動に関係のある伝説上の存在は、北欧神話に登場する『フェンリル狼』以外にいない」 誰も何も反応しなかった。しばしの沈黙──その間に、真一郎たちが目を覚ます。耕介が目線で知佳へと合図を送る。妹はすぐに察して、彼らのところへ向かってくれた。すぐさま、テレパシーで伝聞が返ってくる。 (みんな大丈夫みたい) (ありがとう、知佳) それから、こちらへは来ずに、逃げる心構えだけはしておくように伝えてから、耕介は双真に先を促した。 「フェンリルのことならそっちの方が詳しいだろう? 人間の神話では、主神オーディンを喰らったとされる狼。そして人狼族の伝承では初代『狼王』とされている存在だ」 「なら、フェンリルは『王』であって、『神』ではないんじゃないか?」 耕介の疑問に、しかし双真は軽く首を振って否定した。 「いや。そうとも言い切れない。そもそもフェンリルという狼の役割が、神話どおり主神という存在を殺すことにあったのだとしたら、何も狼という生物である必要性がない。むしろもっと扱いやすい、何かしらの武器の名称であった可能性もある。ま、その辺もどうでもいい。俺の疑問はだ。マユラ。お前が狼神と狼王の立場を何故逆転させて伝承したのか、この一点に尽きる」 「……へんなところにこだわるね」 「こだわるさ」 マユラの反論にも、双真は眉一つ動かさなかった。 「それで考えてみた。何故逆にさせたのか。何故逆にする必要があったのか。お前が復活するためかと最初は思ったが、それならわざわざ、『神』とセットにする必要性はないからな」 「……それで?」 「諸所をすっ飛ばして結論を先に言うぞ? 例外として扱われる『狼王』と『狼神』の二つのクラス──どちらもお前のでっち上げだろう?」
………………
「は?」 素っ頓狂な声を上げたのは、双真の後ろに控えていたエリザだった。耕介もまた、反応こそ遅れたが、彼の言葉の意味を理解できなかった。マユラは何の反応も示さない。それが答えなのかどうか、彼の表情からは図れなかった。 「でっち上げ?」 「そうだ。でっちあげ。嘘っぱち。何から何まで全部嘘。百パーセット出鱈目だ──いや、というよりは、ほんの少しの真実を残して、それを覆い隠すための体裁を整えたといったところか」 「………………体裁か」 初めて──長い時間ではなかったが、それでもいくらか会話を交わしたマユラの言葉の中に初めて動揺を感じ取って、耕介は思わず唾を飲み込んだ。 エリザもまた硬直している。さくらは物言わず、知佳は目を見開いていた。 ひゅうッ──と。 大きく息が吸い込まれる、小さな音が響いた。 瞬間、笑い声が弾ける。 「く──」 それは期待と失望、疲労と充足、歓喜と落胆──相反する二つの感情が織り交ざったような声だった。 「ハハハッ! ハハハハハハハハハッ!」 笑うマユラの表情から、彼の感情を読み取ることは出来なかった。笑いを受けて、双真は無言で彼を見つめている。さくらの口元が薄く歪むのを見て、ようやくマユラは息を整えた。 「信じられない──っていうか、すごいね。あなたは! よくそこまで、突拍子もないことを考えられるものだ」 「褒めているのか? それは」 「ああ、褒めてるよ。当然だ。こんなところで! しかも人間が! 勘とはいえ気づくなんて思わなかった! ああ、嬉しいというのはこういうことをいうのかな!」 嬉々として、マユラが叫ぶ。あまりに大仰な声に、それはある種、演技にも見えた。 「ご褒美と言っては何だけど、教えよう。全部とは言わないが、君の言うことは正しい。ああ、そうだ。狼王と狼神。この二つのクラスは、僕がでっち上げた」 「…………うそでしょう?」 エリザがそう言いたい気持ちは、耕介にも痛いほどわかった。 その『狼王』になるために臥王は行動を起こしたのだ。綺堂家を襲い、自分の集落の人狼全てを食い荒らし、挙句、さくらを手に入れるためにさざなみを襲撃しようとした。 その根底に在った『狼王』と『狼神』。その全てが偽物だといわれて、はいそうですか、と納得できるわけもない。 臥王はまだいい。奴は自業自得だ。同情などしないし、共感も出来ない。 が、その過程で失われた命に対して、それはあまりに酷すぎないか。臥王が犠牲にした命は、百を軽く上回るというのに。 それを知ってか知らずか、マユラの声は酷く淡々としたものだった。 「嘘じゃない。本当だ。『狼神』と『狼王』はね、完全無欠に僕の作り話だよ」 「理由は……話してくれるんだろう?」 マユラは笑みを浮かべたまま、耕介の言葉に首肯した。 「君達が望むならね。でもその前に、そこの人。どうやってそれに気づいた? 今の話じゃ、疑問に思うきっかけにはなったかもしれないけど、大本の理由じゃないだろう?」 「……最初の疑問は三代目の存在だ。奴には神がいなかった。それはマユラ──お前が死んでいないからだろうと最初は考えたが、それも違う──というよりは、それだけではないかもしれないとふと思ってな。マユラ・ヴェッセンフルグは確かに死んだ。が、三代目に『神』はいない。現れなかった」 「何で? 綺堂裕一は王じゃなかったの?」 「人狼族の代表だったのは間違いない」 エリザの問いに対する切り返しは早かった。 「綺堂裕一は、意味消滅の体系──『アンチ・ディナミス』の力を『消去砲』と呼ばれる武器として形にした男だ。力量も、おそらく当時でいえば種族問わず世界トップクラスだ。そんな奴が臥王に劣るはずもない。同族食いをしていないからだと最初は思ったが、それだけでは理由に弱い。霊力に同族も糞もない。あれはただの生命エネルギーだ。誰から摂取しようが、自身で鍛えて高めようが、結果は同じだからな」 だからこそ、綺堂裕一が狼王として失格した理由に『神』がいないからという理由が納得できなかったと、双真は語る。 「そこではじめて『狼王』という存在自体に疑問がわいた。奴が『王』になれなかったのは『神』がいなかったからだと、そう考えることも出来るが、もっと簡単に説明することができる。『神』なんてものは最初から存在しない。だからそれにセットで誕生するはずの『王』もいない」 「メチャクチャな推論だね」 「ああ、俺もそう思う」 マユラの言葉にあっさりと頷いて、双真はしかし、彼らしくない笑みを浮かべた。 「が、考えに至ったきっかけならある」 「きっかけ?」 「わからないか、マユラ。お前が伝えたんだろう? 『狼王』とは、強大な霊力によって、遺伝子に組み込まれた『何か』が覚醒することで『誕生』するのだと」 「その通りだけど?」 「だが実際には違った。『神』と『王』──綺堂裕一に『神』がいなかった時点で、その伝承が嘘かもしれないという可能性は考慮できる。が、嘘だからといって、その文言が何の根拠もなく作られたかというとそうではないはずだ。知っているとは思うが、遺伝子というのは遺伝する」 「当たり前でしょう?」 エリザの反論は、耕介も思ったことだった。 「本当にわかっているか? 遺伝子は血によって遺伝するんだぞ? いくら同族でも、大昔の御先祖であっても、血が繋がってなければ赤の他人だ」 「それはそうだけど……」 「じゃあ、聞くが。臥王の中にマユラの遺伝子が含まれていたと思うか?」 「……さすがにそれは……」 マユラ・ヴェッセンフルグは軽く見積もっても数万年前の存在である。系譜をたどったところで──系譜があればの話だが──複雑に絡み合っているだろう事は予想に難くない。人狼族のように群れで生息するならなおさらだ。 「臥王と綺堂裕一は親戚だ。臥王がマユラの生贄になって、奴よりもおそらく霊力が高かった綺堂裕一がそうならなかったのは明らかにおかしい。人狼族は群れが同じなら、その殆どはどこかの代で近親の交わりがある。だから思った。遺伝子云々も嘘だと」 「ならどうやってマユラは復活した?」 双真の話では、最初、『狼王』は霊力がある一定を超えた時点で覚醒するといった。が、遺伝子云々も嘘なら、たとえ霊力があっても復活できるはずがない。 「その答えは、俺よりも綺堂さくらの方が詳しいだろう?」 「私に聞くのはルール違反ではないですか?」 相変わらず抑揚のない声でさくらが抗議するが、双真は鼻で笑い飛ばした。 「勝手にルールを作るな。俺はそんなことを了承した覚えはない。が、まぁ言いたくないのなら、当ててやろう。臥王の霊力を基盤にして、マユラを復活させたのはお前だろう? 綺堂さくら」 「…………何故?」 「他にそんなことができる奴がいない」 単純で、これ以上ないくらい明解な答えに、再度マユラが声を殺して笑う。 「それなら『王』と『神』がセットで覚醒することにも説明が付く。どういう理由かは知らんが、貴様らは二人でワンセットだ。王を目指す者が誰であろうと構わない。最悪の場合、いなくてもいい。お前という『神』が覚醒する条件が整ったところで、人狼族から霊力を確保して、手ごろな奴の肉体を使ってマユラを復活させる。ま、そんなところじゃないのか?」 「…………」 さくらは返事をしなかった。ただ無言で、マユラの方を見やる。彼は愉しげに肩をすくめて見せた。 「さて、俺の話も終わったところで根本的な質問をしようか、マユラ・ヴェッセンフルグ。お前は一体何がしたい?」 「何がしたい……か。ハハ。確かに根本的だな。全く、えらく驚いたよ。人狼の誰でもなく、ましてやそこの吸血種でもなく、多少の能力を持っているようではあるけど、人間に見破られるとは思ってみなかった」 計算外だといわんばかりにため息を吐く。マユラの顔は愉しそうだったが、その瞳は酷く疲れているように見えた。 「ま、ちょっとした復讐と、賭けだね」 「マユラ?」 思っても見なかった単語に、耕介は思わず問い返していた。 「別に話す必要なんてない──と、切って捨ててしまえばそれだけのことなんだろう」 その耕介に、マユラは肩をすくめて見せた。 「ご褒美、って言ったら怒るかな? 僕の万単位に及ぶ計画を見抜かれた、本来なら怒りを感じてもいい出来事のはずなのに、今の僕は、何故か気分がいい。久しぶりだよ。生きていた頃にすら、こんな気分は味わえなかったんじゃないかと思うくらいに。だから、というだけでもないけど──話そうと思う。ここに至った経緯を。少し、清聴願えるかな?」 誰も何も言わなかった。それを肯定と受け取って、マユラがうなずく。 「さて、どこから話そう。ああ、そうだね、まずは彼女が誰かを紹介しないといけない」 そうしてマユラは、ゆっくりとさくらの方へ近寄り、まるで長年寄り添った夫婦のように愛しげに彼女の肩を抱いた。 「もう感づいているかもしれないけど、彼女の名はフェンリル。僕ことマユラ・ヴェッセンフルグと、アンクルホダ・フィルマーニアという女性の間に生まれた、僕の娘だ」 それが、彼の独白の始まりだった。
◇
人狼は神族の手によって造られた、いわゆる神造種族だ。僕が生を受けたときはまだ神族は世界に存在していた。まぁ色々在って、彼らは滅びたわけだけど。
そんなくだりで、マユラの語りは始まった。
で、そもそもなんで神族が人狼なんてものを作ったのかって事を話そうか。ああ、そちらの人──神楽さんって言うんだっけ? 彼が予測したとおり、人狼って言うのは、神族が神族を殺すために作ったんだ。いわゆる兵士としてね。 その真骨頂が『フェンリル』という名の魔狼。初代狼王と云われた──っていうか、僕がでっち上げた存在だ。けれど『フェンリル』という名の兵器は本当に存在した。 神楽さんの言ったとおり、それは兵士ではなく、武器でもなく、兵器だった。 神殺し。まさにその何ふさわしい兵器として、ロキという名の一人の男が作り上げた最悪の兵器だ。それは剣とか槍とかではなく、物質的な形のないものに対して効果を発揮する。
「形のないもの?」
そう── 全知全能でない神族は、不老不死でないが故に終わりは当然存在する。その神族を、寿命も力も関係なく、等しく生を終わらせることの出来る能力を有した『フェンリル』という名の兵器は、神族が滅んだと同時に、形無きものとして消滅したものだと僕らは思っていた。 けれど、やがてその認識が間違っていたことに気づいた。 当時、人間種族が少しずつ文化を築き始め、人狼や吸血種、他種族と交友を深めていく中で、人狼という自身の在り方に疑問を抱いたものがいた。まぁ結論を言えば、自分達を神族であると思い込んでいた連中が人狼の中にもいたってことだ。
漏れでた笑みは、どこか自嘲じみて見えた。
馬鹿な話だとは思う。神族は滅んだ。僕らがその滅びの対象から漏れたということは、結果として人狼は神族ではないと世界に断言されたのと同じだろう? けれど認めない連中っていうのはいるもので……ん? ああ、そうだ。神楽さんの言うとおり、彼らは神族であるというありもしない誇りを満たすために、自身たちの最強最高の存在を求め、形のない兵器を再現した。自分達が使えるようにってね。 それが『フェンリル』と同じモノであるかどうかということは問題じゃなかった。 問題は、全てに等しく死をもたらすことの出来る最悪の兵器が完成したことで、世界のバランスが崩れたことだ。 まぁ過程は端折るけど、結果として戦争が起こったのは事実だよ。 その兵器を手に入れるためにありとあらゆる種族が争い、人狼もそれに漏れずに参戦した。参戦せざるを得なかった。アレを作ったのは人狼だ。後始末をするにしてもなんにしても、他種族に渡すわけにはいかなかった。 まぁ、もう一つ理由はあったんだけどね。
「理由?」
そう。理由だ。僕が人狼族代表として最前線に出たのは、むしろこれが一番大きかった。そしてそれが、僕がこうして手の込んだことをして復活を望んだ理由でもある。
「もったいぶるな。さっさと話せ」
そう言わないでくれ。結構ナイーブな話なんだ。ああ、それとフェンリル。君もそんな顔をするのはやめてくれないか。解っているだろう? これは復讐であり、一種の賭けなんだから。 ……話を戻そう。 『フェンリル』を創り出すためには、いくつか条件が要る。そのうち最も重要で最も調達が困難なのが、十八歳未満の処女の肉体と、その母親の心臓だった。誰でもいいわけじゃない。霊力の高さはもとより、その少女が混血でなければならかった。 話は読めただろう? 結論を言えば、僕の妻と娘が犠牲になった。アンクルホダ・フィルマーニアの出自は、人間と妖精のハーフでね。だからファーファニル──ああ、娘の本当の名前だよ──はクオーターということになるのか。そして父親である僕は、人狼族を束ねる存在だ。申し分ないと連中は思ったんだろう。 もとより、僕らの結婚は祝福されたものではなかったことも大きな要因かもしれない。人狼は昔から人間を毛嫌いしていたからだ。 結果、娘は『フェンリル』となり、自我を失った。死骸となった母親を喰い、そして契約者の意図通り、戦争に兵器として投入された。 幾百、幾千──いや、万単位で生命が滅んだ。契約者を殺しただけでは『フェンリル』は止まらない。契約者の命令を受理した以上、際限なく、少女の身体が滅びるまで戦い続ける。 そして『フェンリル』となった娘を、僕が殺した。当時、人間種族でも極めて優秀だった魔術師ギヴァ・ウェッジの力を借りてね。自爆という形を取ったのは、そうすることでしか彼女を殺せなかったからだ。
「背景は理解した。では何故、復活を望んだ?」
復讐だって言っただろう? 僕の妻と娘の仇だ。憎みきれるほど容易い感情では済まされない。 けれど、全てがそうでないこともわかっている。少数の莫迦どものせいにして、全を滅ぼすのは早計だ。仮にも僕は王なのだから。 だから、一つ賭けをすることにした。
「賭け?」
そうだ。賭けだ。 人狼族全てに『狼王』と『狼神』という二つのクラスの存在を流布する。 いつか『王』などという言葉に踊らされ、同族を犠牲にしても力の身を求めるような愚者が現れたなら、今度こそ人狼なんてものは滅びるべきだと判断した。 『フェンリル』を宿すことの出来る可能性のある者──十八歳未満の処女で混血であり、かつ巨大な霊力許容量を持つ少女のことは『狼神』として、やはり嘘の情報を流した。 『王』になるために力を求め、霊力の器としての『神』を求める。そこに魅力を感じさせるように、出来る限り『狼王』の強大さに尾ひれをつけてね。
「その話に臥王は乗せられたというわけか。いや、臥王だけではないな?」
ご名答。臥王だけじゃない。これまで幾人もが『王』を目指し、力を求め、その巨大な力を御しきれずに自滅していった。もちろん、そこで貯蓄された力を無駄にするようなことはしない。きちんと有効利用させてもらっている。復活したばかりの僕にこれほどの霊力がみなぎっているのもそれが理由だ。 王を目指す人狼が最初に求めるものは、その強大な霊力を貯蓄するための肉体の強度だ。いくら自らを鍛え、他者を襲って霊力を得ても、それを維持できるだけの能力がなくては意味がない。
「そのためのお膳立ても用意済みか」
もちろん。『填元』と呼ばれる小さな石を使う。造り方は簡単だ。人狼族なら誰でも造れるようなお手軽な品だよ。伝承自体が薄れても、お守りのようなものとして扱われるモノを用意した。それをただ、身につけるだけでいい。填元は装備者の霊力を少しずつ、気づかれないほど微かな量を吸収する人工石だ。そこから集められた霊力は、『僕』という本体を保存したオリジナルの填元へと送られる。 考えただろう? 填元は呑めば体内で消化されずにとどまり、霊力を貯蓄する核となる石だ──例え王を求めるものがいなくとも、数万年経てばその量はやがて『僕』を復活させるだけの水準に達する。 けれど、例え霊力が復活に必要な量だけ溜まったとしても、既に死んだ僕が、自ずから現世に戻ることは出来ない。だから『神』の条件に該当する混血の少女が現れるのをじっと待った。 意識を持つことが出来たのは、ほんの数日前──臥王が現れてからだ。同族殺しは、霊力の増幅に最も有効な手段だからね。臥王がそれを行ったおかげで、石の中に刻まれたマユラ・ヴェッセンスフルグという、ただの情報でしかなかったモノは、一気に意識を覚醒させることが出来た。
「そうしてお前は、現状、最も『フェンリル』を宿すに足りる者にアクセスした。それが綺堂さくらか」
当たり。話が早くて助かるよ。
「だが解せない。何故綺堂さくらだった? 十八歳未満で混血の処女という条件はいくらなんでもゆるすぎる」 もちろんだ──マユラがうなずく。
『王』を目指し、『神』を望む者の出現。十分な霊力が貯蓄できたとして、そこに条件に見合う少女がいなくては意味がない。また、複数いても意味がない。 ああ、だから賭けでもあったのだけれどね。 フェンリルの持つ力は強大だ。その強大な力を保持するには『人』との混血では不足が過ぎる。 だから混血にも条件があった。
「それで吸血種か」
別に吸血種でなければならなかったわけじゃない。人間外の血──鬼、竜、吸血種をはじめとした妖魔に分類される種族のうち、最低三種以上という条件を入れただけだ。だけど結果としてそれはいい方向で作用してくれた。 僕が求めたのは混血であり、そしてフェンリルの力を宿せる器だ。吸血種は条件としては申し分ない。肉体的にも。戦闘力の面でもね。 でも、もっと大きな理由は、綺堂さくらという少女が人間性だ。器になったのはある種必然性に基づいているんだよ。
そんな必然性があってたまるものか。その意思を隠しながら、耕介は言葉出来ない力みを無意識にその手にこめていた。
娘のファーファニルは内向的でおとなしい子だった。他人を嫌えないくせに、好きにもなれない。他者に信じてほしいと願いながら他者を信じきれずにいる。だから他者の悪意にはひどく敏感だ。感情を表現するのが下手で、だが決して無感情なわけじゃない。やさしさを他者に向けることに臆病で、やさしさを向けられることに慣れることの出来ない子だった。
エリザの顔が歪む。感情を表に出すことを我慢しない彼女は、しかし全く気配に変化がなかった。
弱い……というのは語弊があるね。あの子は繊細な子だった。だからこそ愛おしかった。その少し馬鹿なところも含めて。 綺堂さくらという少女はどうだった? 僕は知らない。けれど想像は出来る。きっとその子もまた繊細な子だ。だからこそ人にやさしく出来る。だからこそ人に愛される。そして、だからこそ傷つきやすい。今こうして、君たちが綺堂さくらを助けるために集まっていることを踏まえてもよくわかる。 いい子なのだろう? 似ているのだ。価値観や感受性、その心のあり方。そして魂そのもの。でなければ、こうまで確実に、早期に『僕』は復活できなかった。 かつて僕が『保存』したファーファニルの人格が、こうも早く綺堂さくらを上書きするとは思っていなかった。 本音を言えば、もっと手こずると思っていた。だからこれは予想以上の予想外だ。
「悪趣味ね。結局、娘すら利用しているだけじゃない」 それこそ本位だといわんばかりに、マユラの顔に笑みが浮かぶ。
その通りだ。でも、何を利用してでも成し遂げたい願いがあった。 僕の目的は一つ。人狼族を殲滅すること。混血であろうとなかろうと関係ない。人狼の血を引くものはすべからく根絶やしにする。 ああ、それで、僕の方からも一つ、君達に質問だ。
さて、君らはどうする?
◇
戦うか、退くか。マユラと双真の会話を聞きながら、エリザの胸中にあったのは、そんなことはどうでもいいという結論だった。 人狼がどうなろうと、極論を言えばどうでもいい。さくらを助けられるか否か。疑問はその一点だった。 「さくらを元に戻す方法は?」 「ある。今の彼女は『フェンリル』の力を宿している『ファーファニル』の残骸だ。だから『フェンリル』そのものではない。『フェンリル』を造るのはこれからやるんだ、彼女の母親の心臓を使ってね」 「…………そう。ということは、貴方を再殺すれば、少なくとも彼女は行動を止めるのね」 「そういうことになるか。ん。お姉さんは邪魔する側に回るか。で、槙原さんと神楽さんは?」 「……あんたには同情はするけど、共感は出来ない。悪いけど、綺堂さんを助ける」 これで二人──と、マユラは最後に双真のほうを見た。 「で? 貴方は?」 「最後に一つ、質問がある」 「何?」 「今の『フェンリル』の契約者は?」 「僕を復活させることで契約は無事執行され、リセットされたから今はいない。けれど……」 「! ちょっと待ちなさい──っ」 嫌な予感がしたときには遅かった。 さくらの顎を軽く押し上げ、その小さな唇にマユラが口付ける。さくらの瞳孔が開かれ、瞳が赤に染まった瞬間、エリザたちは見えない障壁に弾き飛ばされていた。
我が名、マユラ・ヴェッセンフルグの名に於いてここに契約を望む。 汝、綺堂さくらよ、原初の狼──その力でもって、我が願いを叶えよ。
「契約者と認定します。マユラ・ヴェッセンフルグ」 どこまでもさくらと同じ瞳で。 「私の名は『フェンリル』──その御霊に於いて、貴方の願いを聞き届けましょう」 さくらと同じ顔で。 「契約執行には条件があります。私は不完全であり、貴方の願い、全てを叶えることは現時点で不可能である可能性があります。従って、貴方は即刻、私という兵器を完成させてください」 さくらと同じ声で。 「フェンリルよ。君は何を求める?」 「私が求めるのは、綺堂さくらの母親の心臓です」 「与えよう。君に、愛しき母のその命を」 マユラの言葉を受けて、さくらと同じ笑顔でフェンリルが微笑んだ。それが証。 「ここに契約は完了しました。これより執行に移ります。さぁ、貴方の願いを──」 「僕の願いは、全ての人狼族の根絶。そしてそれを邪魔するものの排除だ」
さぁフェンリルよ。謳え。破壊の詩を。 全ての人狼に等しく死を与えるために。
暗闇に深く沈む森の中で、一匹の狼が、その産声をあげた。
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