イグチトシオがふと考えたこと、感じたことを書き留めておきます。念のために再度申し上げますが、見せたくない部分は書かず、こういう所を見てほしい、こう見られたいというところを書いています。
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2004年1月1日〜3月31日
3/30
<寓話その2>
今週に入ってから搭乗ゲートに入ると動悸がする。食欲も確実に落ちている。今朝などは吐きそうになった。フライトスーツを着た途端、喉がカラカラになり動悸が始まる。実際の飛行にはまだ日数があるのに、機内の無重力状態を今から恐れているのだ。会う人みんなに「大変だねえ。」と言われる。今回のようなフライトコースを命じられた人は「大変だねぇ。」と言われ、帰還した人は「お疲れ様。よかったね。」と言われる。そのフライトコースが厳しくても、それなりの目的があり充実感があれば希望する者も出てくるだろう。が、このフライトコースには何の目的があるのか理解に苦しむ。テレビでは立案者がこのコースがいかに有意義であり、挑戦するに値すると大きな身振りで説明している。会見を見た視聴者がその耳障りのいい言葉にうっとりするようにあらゆる演出もする。しかしいつも大変な目に会うのは搭乗員たちなのだ。もちろん成功すれば立案者の勲章。普通だったらこういう人がコースを決める立場に置いておくことなどありえないことだ。
5月の個展までは何とか我慢していようと思う。その後、突然急降下するかもしれない。
退社後、ユーロスペースで「ナコイカッツィ」を見る。一番前の真ん中の席だ。隣に二組のサラリーマン風の男性が座る。
「なにここ、試写室みたいじゃん。これはもっとでっかいスクリーンで見るべきもんだろう?」
「まあな。でもここでしかやってないんだ。」
「音はデジタルなんだろうなあ。映写機がどんなのか調べた方がいいんじゃないのか?なんでもっとでっかいところでやらないんだよ。でもさ、もっとでかくていい映画館がないとだめだよな。だからいいのが出てこないんだよ。」(ああ、あなたは映画を見てない人ね。特に日本映画なんて全然見てないでしょう。)
「まあでかいところってみんな西武系資本だからな。」(理解不能。いつの時代のどこの場所の設定なんだそれは。)
いったいこの人たちは何者なのかと思っていたら、映画が始まってからずっと小声でしゃべり合い、皮肉な笑いを漏らし、そして途中で席を立っていった。ただのフィリップ・グラスのファンだというだけなのか。グラスが映画音楽を担当した映画だというだけで見ているような人たちなのかもしれない。それに、二人で来たからそういう態度が取れたのだろう。ひとりで来ていたらおとなしく見ていただろう。
映像は「コヤニスカッティ」よりは引き込まれたように思う。が、それは「これが今の最新技術だ。」ということで見られるものなのかもしれない。あと何十年かすればただの使い古された技術と飽きられてしまうかもしれない。安易にテクノロジーに頼らない表現こそ、いつまでも見るものを惹きつける力を持っているのだと思う。自分のローテク(手作業と言い換えてもいいですか?)な作風を正当化しているつもりはないけれど、手仕事というのはそうしてかけられた時間の分、情報が蓄積されているように思うのだ。
3/27
今日は鎌倉の神奈川県立近代美術館に松本竣介・麻生三郎、別館の片岡球子を見に行った。でも鎌倉で一番印象に残ったのは、それらの作品ではなかった。
神奈川県立近代美術館の二階の展示室を回った後、階段を下りて一階に降りて池に面したところに出る。池の水面に反射した光が、天井に不定形な輪のようなパターンを作っていた。ほとんど風もなく、水面が緩やかに波打っている。天井に反射した光のパターンが微妙に揺れている。愕然とするほどのの美しさだった。松本竣介も麻生三郎も忘れてしばし見入っていた。
残りの一階部の展示を見終えてから、再びその場に戻ってきたときには、ほんの少しの風で水面に細かな波ができていた。先ほど見られたような緩やかに動くパターンはできず、面全体が騒がしく揺れるようなものしか見られなかった。天候と風の偶然が作り上げた幻のような美しさだった。そしてまたそこで思い至ったのは、このような実体のない「光の揺れ」こそがわたしの表現したいと思っているものではないか、ということだった。昨年の倉重光則展で、青いネオン管によって照らされている壁の、うっすらとした明るさの領域、境界線のない、曖昧な「間(あいだ)」の領域こそがわたしの表現したいものではないのかと思ったのと同じだ。
それから横浜の赤レンガ倉庫で行われている鯨津朝子展へ。赤レンガ倉庫1号館のエントランス部が展示会場だ。視点の変化で線がつながったり、その関係が変化したりする作品で、エントランス部で立つ位置を変えながら鑑賞して、わたしとしてはかなり楽しめた。が、来場者はほとんど気がつかずに素通りするだけだ。いくらわたしがじっと「サクラ」のように眺めていても、ほとんど効果なし。「この印の位置に立って見てください」の指示に従って立って(何が見えてくるのか期待して)前方を見て首をかしげる人もいれば、アクリル板に描かれた線を見て「もっとちゃんとした絵を描いてほしいわよね。」と切り捨てる人も。制作過程を示すビデオが流れていても、それをじっと見る「サクラ」のわたしがいても、一瞬見るだけで終了。実際に公開制作が行われるようだが、そのときに偶然居合わせて見ることができた人だけが制作の意図を理解できるのではないかと思ってしまった。鯨津朝子の作品が、ギャラリーや美術館といった特殊な環境で現れていた力は、人通りの多すぎる場所では発揮できないのではないかと思う。たぶん同じ技法を持っているジョルジュ・ルースの方が色がついている分、アピール度があるのではないかと思う。
この場所で美術作品を見せる「ゲンダイビジュツ ?から!へ」ってのは「ゲンダイビジュツ ?から??へ」になってしまいそうな気になって、ちょっと沈んだ気分になってしまった。でもわたし自身はとても好きな作品だ。
それからギャラリー二葉の兼藤忍さん。新しい形が出てきて、これが今後どんな形で発展していくのか、かなり楽しみだ。兼藤さんとは今後の展開のことで長い時間お話させていただいた。ギャラリーの近藤さんとも近況など結構長い時間お話させていただいた。笑えたのは、
「イグチさんって松本竣介の絵に出てますよね。」
「それって『立てる人』のことですか?」
それは光栄だなー。うれしいなー。「立てる人」ではなく「立ちつくす人」だろうけどね。
そのうちに栗本佳典さんも立ち寄られた。栗本さんの登場で、栗本さんの作品と兼藤さんの最新作がかなり似ていることにそれで気がついたりした。きなり色に黒い着色と細かな斑点が似た印象を持たせたのだろうが、両方とも生命を連想させるものにつながっているところもそういう印象を持たせたのかもしれない。
それからオーパ・ギャラリー/ショップに利用申込書を提出。藤波さんとしばらく談笑。藤波さんには神奈川県立近代美術館の天井に映った水面の反射光のパターンの話をずいぶん気に入っていただいた。
さて制作に取り組もう。今後しばらくは制作に時間をかけるために、あまりしっかりと日誌を書けなくなるかもしれない。
3/26
動物園の中では昨日のショックからか、食欲がだんだんなくなってきているのがわかる。
今日は仕事帰りにオペラシティーギャラリーに立ち寄る。「Time of My Life」だ。難波田史男の作品をこれほどしっかり見れたのはとても貴重な体験だった。短い作家生活の中でも初期の繊細な線が最後は色彩の面に変わっていくのを見出せるのは興味あるものだった。それから面白い作家といえば工藤麻紀子かな。杉戸洋はどうしちゃったの?こんなんでいいの?
オペラシティーギャラリーに行く理由のひとつは、難波田龍起を見られるということだ。企画展がどんなにしょぼくても、上の階に行って難波田龍起を見て、なんとか溜飲を下げてきたものだ。が、今回は上の階に行っても企画展が続いて、結局難波田龍起は一点もなかった。なんだよー!!!!
3/25
<寓話その1>
今日、動物園での新しいイベントの内容が示された。アクロバット並みのパフォーマンスでない限り、一週間前に内容が示される。しかし、皮肉なことだ。一緒の檻になるのが嫌で逃げ出してしまうほどだったガラガラヘビと一緒になってしまうのだ。なんということだ。あまりのショックでイスラエルによるヤシン師殺害のことや、「女性国際戦犯法廷」についてのNHKの内容改変など、書きたいことは一杯あったが、それらも吹き飛んでしまった。
多分ガラガラヘビは動物園の中で一緒の檻に入りたくない動物の一つだ。常にガラガラ音を立てて威嚇する動物には、他のどんな動物も近寄りたくないだろう。みんながガラガラヘビに関わりたくないために遠巻きに眺めているだけだ。それが動物園にいい雰囲気を作るわけがない。
今まではのどかでのんびりした動物と一緒だったから、ゆっくりした感じで過ごすことができた。今回のイベントはなかなか厳しいものになりそうだ。そろそろ動物園ではなく、森の中で暮らすことも考えるべきかもしれない。
望みは最低制作活動に支障を来たさないようにしてもらいたいことだ。とにかく5月の個展に向けてしっかりと準備して行こうと思う。でも案外ストレスがたまって、その分、制作ではじけるかもしれないね。
3/21
亀有のギャラリー・バルコの田畑義継展へ。しばらく見ていると榊原さんの奥さんのお父様が来られて、それで榊原さんを呼んできていただいた。お父様には一回しかお会いしたことがないのに、すぐに榊原さんの関係者だとお分かりになられたのは、さすが経営者です。榊原さんはギャラリーの隣のビル建設現場に組まれる鉄板の塀(よくありますよね)に、壁画を描くための準備をしていたとのこと。榊原さんの話では、建設会社の人が挨拶に来た時にすぐさま「絵を描かせてください」と申し出て、すんなり受け入れられたのだそうだ。それどころか葛飾区内ならば今後も可能であるとか。壁画は榊原さんや平野太一さん、三浦充訓さんらが参加するらしい。さらに幼稚園や小学校も参加するという、結構広がりを持ったものになるらしいのだ。地元ケーブルテレビも取材に来るし、区役所も今後の展開に興味を持っているらしい。なかなか着実に地元に溶け込みつつ活動をしている。ギャラリーとしても軌道に乗ってがんばっているが、榊原さん自身も今後いくつかイベントや個展が控えていて、今アイデア満載というところだ。そのとめどなくあふれ出てくるアイデアってのは本当に天才肌だ。尊敬しちゃいます。
明日月曜日に壁画制作の予定らしい。冬に逆戻りの天候の中、お体気を付けてがんばってください。
田畑さんの作品は地の色を60回くらい塗りこんでいるらしい。目を凝らすと浮き出てくる色や垣間見られる色が奥行きをまた深くしている。なんとも美しい色だ。しかもそれは漢字で書く群青とか赤銅とか鳶といった色だ。う〜ん、また欲しくなってしまった。
それから新宿の世界堂に行って上質紙のロールを買う。新宿駅から世界堂までの間でちょっと疑問符を付けたくなる言葉を小耳に挟んでしまった。
チラシ配りのにーちゃんが目の前を通るインド人夫妻が連れる小さな男の子を見て、
「かっわい〜。おさるさんみたい。」
(あなたはおさるさんではないの?)
信号が青になるのを待つおねーちゃんが、
「アジアの人ってさぁ、○×○×だからさぁ。やっぱアジアの人ってさぁ、○×○×でしょ?」
(あなたはアジアの人ではないの?)
ついでにもうひとつ、ものすごく驚いた発言をテレビで聞いた。かの地に到着した迷彩服の集団の何番目かの部隊の一員が「サマーワに到着した今の心境は?」と尋ねられて、その答えが、
「『ファイト一発!』ですね。」
だった。ファイトってfightですか?fightを一発。そりゃやばいっすね。日本のCMを知らない通訳がそのまま訳したら大変なことになりますね。
言葉には気を付けましょう。他意のないときには特にね。
3/20
日暮里駅の改札を出たところがかなりの人だかりで、しかも年齢層が高いのでいったい何事かと思ったら、今日はお彼岸でした。駅から谷中霊園を通り抜ける。桜が咲き始めている。驚いたことにこの雨の中、ブルーシートをすでに敷いて明日の場所取りをしている人がいるのだ。ブルーシートには「3/21(日)飯田」なんていう張り紙が貼ってある。大きなゴミ箱も用意されてあるし。いよいよそんな季節ですか。
山本佳子さんの個展でK's Greenのに行く。相変わらずきっちりとした仕事をしていると感嘆する(って二日続けてだけど)。新作の小品も陶と吹きガラスを使って美しいフォルムを出している。それからアクセサリーも作ってたりして。素晴らしすぎます山本さん。
去年の10月のアートリンク以来だったので、しばし岡田さんや熊井さんとお話をする。
その後上野公園に出て、上野の森美術館のVOCAを見る。今年のVOCA賞の前田朋子や奨励賞の小柳裕、SASAKI、中山ダイスケ、西澤千晴、府中市美術館長賞の久保恵理子、その他大西久、小野環、上田風子(敬称略)など好きな絵だったり充実していたりするのだが、なぜなのかいまいちグサリと来るものがない。私の好きないい作品に囲まれているというのに、終わりの方では眠くなってしまった。わたしの感性が鈍り始めているのか、ここ数年言われ続けているVOCAの存在意義の問題なのか。案外入選作家を半分くらいに少なくすれば解決されるかもしれない。
それから日比谷公園へ。WORLD PEACE NOW 3.20に参加するためだ。もう野音でのプログラムは開始されている時間だったが、とりあえず腹ごしらえをしようと、カフェでドーナッツとコーヒーを食す。
日比谷公園はたくさんの人出で野音以外の場所でも集会が開かれていた。野音に着いたらすでにプログラムはある程度まで進んでいて、喜納昌吉のライブは終わっていた。プログラムが終了しても、他の集会を催した団体がいろいろとあって、それらのデモがなかなか出発しきっていないようで、野音のWORLD PEACE NOWの出発は予定より30〜40分は遅れたと思う。デモが出発するまでの間ゴッドブレスというバンドのライブがあった。ボーカルがあのヒロシマの佐々木貞子さんの甥っ子らしい。演奏や曲は悪くはない。でもそのときわたしは無性にMUSLIMGAUZEののアラビア音階のブレークビーツを無性に聞きたくなってしまっていた。
それでいよいよ出発。靴の中も湿っているし、風は頬に冷たいし。ずっと震えながら前回と同じルート、日比谷公園−新橋−数寄屋橋−常盤公園まで歩き通した。
何の高揚感も、充足感もない。歩いている間、ずっと重い気持ちでいた。ただただわたしの中にあるのはこの戦争に対する嫌悪と、この国が進もうとしている方向に対する居心地の悪さだ。ただ、イヤなのだ。この感情はきちんと持っていたい。
すっかり体も冷えていたけれど、どこかカフェにでも入って休もうとは思わず、そのまま東京ステーションギャラリーの香月泰男に行った。香月のざらついて美しくもある暗く寒々しく荒涼とした絵画は、今日の気分にはちょうどふさわしいものだった。と、思ったらデモ帰りに立ち寄った人たちが何人もいるようだった。絵画好きだったら全然かまわない。だがシベリアシリーズの香月の文章を食い入るように読み、絵はその文章の確認のために一瞥するような、そんな見方には同意しかねる。確かに香月のシベリアシリーズは圧倒的な迫力だし代表作だが、香月はただの「シベリア抑留体験を描く絵かき」ではないのだから。今日濡れた透明の雨合羽を持っている人って、やっぱりデモの参加者でしょう?お願いしますよ。
わたしの方は美術館にいる間に体が温まり、靴の中も大体乾いてきた。
3/19
仕事帰りに六本木に寄る。寺尾環さんの個展だ。相変わらずきっちりとした仕事をしていると感嘆する。曼荼羅図を見ているような、宇宙から細胞内を俯瞰しているようなスケール感がとても面白い。掛け軸の上下にうねるような書のような絵も、霧の中の朝日のような絵もしばらく見ていたくなるものだ。それから井筒俊彦訳のコーランの文章からインスピレーションを受けたという絵はアラビア文字をモチーフとしていて、それも美しい流れがあった。このアラビア文字をモチーフにした作品は、特にとても気に入ってしまい、食指が伸びてしまった。
閉店時間となったので、その場を辞させてもらい、せっかくここまできたのだからと、六本木ヒルズまで足を伸ばした。ルイーズ・ブルジョアの蜘蛛と宮島達男のcounter voidを見たかったのだ。寒い風の中、蜘蛛の足元のベンチに座ってしばらく見上げてみたり、周りを回りながら角度を変えて見た。生々しさと硬質さが相まって感じられる。ライトアップされた母蜘蛛が気高く立っているというように見える。日本で巨大母蜘蛛をパーマネントで見ることができるというので、森さんには感謝したくなる。それからぐるりと回って森美術館入口前を通り過ぎ、テレビ朝日の方へ向かう。森美術館は今日は心の準備ができていないので、寄らないことにした。
白い地に黒抜きしてカウントダウンしていく巨大な数字。それぞれ個々のリズムでカウントダウンしていくという宮島のコンセプトからすると、この数字はちょっとでかすぎる気がする。数字が多くても三つくらいしか同時に目に入らないのだ。しかもタイミングによっては隣り合ったふたつが「無」の状態のまましばらく変わらなかったりする。宮島の作品を知っている人が見れば、その数字の意味が理解できるだろうが、初めて見る人からすると、時計でもないのに巨大な数字が映し出されている程度にしか見えないのではないか。ただし、野外であの壁面に無数の数字があっても、現在のあの大きさで示されるほどの美しさは出せなかっただろうとは思うが。あー。それにしてもですね、あそこの六本木けやき坂通り。ケヤキというケヤキに白と青と紫の電飾を目一杯付けているのですよ。わたしはもうげんなりしてしまいました。
再度母蜘蛛を見て帰ろうと、来た道を戻った。そのときに、その場が廃墟になったというか、人が誰もいなくなってしまったというようなビジョンが一瞬頭をよぎった。そのビジョンにわたしはまったく違和感はなかった。人気スポットの風景を、観光用のポスターを剥がすようにして、一瞬のうちに底知れぬ空虚に作り変え得るものなのかもしれないと思ったのだ。廃墟のような荒涼としたビジョンには、わたしはなんの寂しさも感じなかった。むしろそこに重ねあわされる現実の賑わいに圧倒的な寂莫感を抱いてしまったのだ。帰りの途中、改めて母蜘蛛を見たら、おなかに白い卵をいくつも抱えているのが改めて見えた。母蜘蛛の母性にこの虚構のような空間が救われているのではないかと感じた。今日六本木で浮かんだビジョンには興味が惹かれる。また確認するために行ってみたい。
途中青山ブックセンターでSIGHTという雑誌を買った。表紙に坂本龍一と藤原帰一が並んで映っているのだ。この雑誌は知らなかった。ロッキング・オンから出ているのだ。読ませる上に写真が美しい。確かにこの紙面のデザインはロッキング・オンっぽい。帰りの電車の中では坂本龍一と藤原帰一の対談を読んだ。この対談以外に酒井啓子と姜尚中の対談、マイケル・ムーアやジョン・ル・カレ(実は読んだことない)のインタビューとか青山真治の文章なども載っている。青山の文章は面白かった。タイトルが「平和憲法のないこの国にいる理由はあるのか?」だ。曰く、
四十年前、親も国も選べないまま、僕は存在を開始したが、徐々に親に納得し、国に納得していった。納得の最大の理由は、この元ならず者国家の憲法に「戦争放棄」の項目があると教えてくれたからだ。それは未来永劫戦争をしない、という意味で、そりゃあいろいろ気に入らないこともあるけど、ここにいればとりあえず安全と考えて、この国にいることにした。まさか四十を前にして、同じ国民が戦争に行くとは思っていなかった。聞いてないよ、ってやつだ。
いつだって厚かましいフレーズを言わせたら右に出る者のない小泉純一郎氏の、わけても厚かましいフレーズを言い換えるなら、僕は「テロの驚異に屈」したくてしかたのない「臆病者」だ。テロリストの皆さん、何でも言うことをきくから、頼むからこの国を攻撃するのは、家族や友人の安全を脅かすことはやめてください。もちろんそんなこと懇願したところでテロリストが攻撃をやめるわけがないことは、ハリウッド映画を見てよく知っている。だから自分で武器を持ち、勇敢に敵を殺すことは絶対しない。だったらチョー怖いけど殺される方が全然ましだ。大量破壊兵器で丸焦げになる方が全然楽だ。「臆病者」でも「非国民」でもいい。とにかく戦争に行くのだけはごめんだ。
でも他に行く場所がない以上、青山は矢作俊彦が言った「在日日本人」として、
この国に居続けるのは、ただ面倒だからだ。それくらい無気力だ。でも居続けてガンジーに倣うしかない。今度こそ正真正銘の「在日日本人」として。
と言っている。相変わらず刺激的だ。
夜、NHKで解説委員が討論する番組があった。中身は「イラク戦争開戦1年後」だ。当然開戦の根拠となった大量破壊兵器だの、テロリストとの関係だののあたりの話になったとき、ひとりの解説委員(彼は大規模な戦闘行為があった時期に、戦況や今後の予想などをしていた)がなぜかやや興奮気味に「米英の諜報機関は世界で最高のものであり、ここが間違っていたとしたら、他国でこれに優る機関がない以上、仕方がなかったことではないか」みたいな発言をした。どことなく場がしらけた雰囲気になり、途中までしか見なかったわたしは、それ以降彼が発言したところを見なかった(もちろん編集上の関係かもしれないけれど)。あなたは何?諜報機関おたく?スパイ小説マニア?
今回の戦争に最初から批判的な発言をしていた柳沢解説委員は中東地域の専門で、第一次イラク戦争(一般には湾岸戦争)時に、開戦後もバグダッドに残って報告をしていた。当時の彼の言葉で、とても印象に残る言葉がある。あの当時盛んにピンポイント爆弾で目標を正確に爆破すると喧伝され、クリーンな戦争とか言われていたものだ。戦争終結後、戦時下で取材をしていてどんなことを思ったのかと聞かれた彼はこう言った。
「私が思ったのは、『戦争ってきたねえな。』でした。」
3/17
確か、BBC、ABC、NHKといった放送局だったと思うが、それらが協力をして、イラク国民2,500人を対象にアンケートをとったらしい。16日のニュース10でその結果を紹介していた。途中から見たのだが、酒井啓子氏がコメンテーターとして出ていた。NHKのHPではその結果を探せなかったが、BBCのHPでその結果を見ることができる。
概要はこちら。詳細はこちら(PFDファイル)。なかなか面白いというか興味深い結果だ。
予想以上に日本が期待されていることがわかる。酒井啓子氏によれば、70年代、80年代に日本の企業がイラクのインフラ整備をして、その高い評価が残っているからであろうとのことだ。こういう記憶はアメリカ政府には残らないが、現地の人々には着実に残っている。「国際支援活動」はこういった記憶に基づく形もあるのではないか。
もうひとつ面白い結果。こちらは読んでいて声を出して笑ってしまった。アフマド・チャラビ。亡命イラク人でヨルダンの銀行総裁時に横領罪に問われたという経歴がある。アメリカ国務省にはその手腕を見放されたものの、ウォルフォウィッツなどに拾われて、統治評議会のメンバーとしてあたかも勝者の凱旋のように45年ぶりに帰国した。妙にテカテカしたほくそえんでいる顔をテレビ見る機会がある。とにかく胡散臭く、イラク人からも徹底して嫌われている。中東のテレビの討論番組に出て、相手に論破されそうになって掴みかかろうとしたとかいうむしろ滑稽ですらある男だ。数多くいるいろいろな政治リーダーの中で、彼は信頼されない方ではかなりいい位置にあり、サダム・フセインの3倍嫌われているという結果が出ていた。
イラク人自身が現状や将来像をどのように考えているのか、なかなか貴重なアンケートだ。ただしいろいろな読み方もできそうな気もする。心せよ。
イラク基本法草案調印を受けた、Riverbendの言葉。
Furthermore, just how sincere are these puppets about this new Transitional Law? For example, there's a lovely clause that reads, "No one may be unlawfully arrested or detained, and no one may be detained by reason of political or religious beliefs." Will the American troops discontinue the raids and arbitrary detentions (which are still quite common) come June 30? Or is the Transitional Law binding only to Iraqis?
この言葉はなにか既視感があるように思えた。日米地位協定とか沖縄の現状とか、そんなところが連想された。
大江健三郎「燃えあがる緑の木 第一部 「救い主」が殴られるまで」読了。第二部、第三部と続くが、いよいよストーリーの動きがはっきりしてきたというところだ。たとえば四国の山村に深く分け入ったところ、世界に突き抜けてしまったとか、熊野の路地をさまよっていたら世界につながってしまったとか、そういった表現に近づきたいとも思う。微細なものを透して世界を見る。と、言うような。そういう意味で大江は大いに参考になる小説家だろう。
3/13
深川商店街を抜けて東京都現代美術館へ。結構な人出だ。でもみんな「球体関節人形展」に流れていく。これは人形ファンが多いということか。それとも押井守「イノセンス」ファンが多いのか。日テレの集客力なのか。それに比べるとわたしのお目当てのMOTアニュアル2004「私はどこから来たのか/そしてどこへ行くのか」にはさほど流れていかない。去年のスタジオジブリといい、今回の押井守「イノセンス」関連企画といい、東京都現代美術館の集客力は現代美術とは言えないものに頼っている。しかもどちらもテレビ局が絡んでいる。しかしこれがこの国の美術(特に現代美術)の状況なのだ。一般的にどちらが魅力的に見えるかということだ。自戒を込めて心しておこう。
わたしはここのところ平面に対する興味が非常に高くなっている。今日も内海聖史、奥井ゆみ子、山口晃(敬称略)を楽しめた。三浦淳子(敬称略)のビデオ作品もよさそうな感じではあったが、上映時間が長かったのでちょっと様子を見るだけで失礼させてもらった。心残りはあったが。昨日の続きで綿引さんをまた見たかったので。
そういうわけでタカ・イシイ・ギャラリーの村瀬恭子(敬称略)は都合よく忘れてしまった。
なぜなのだろう。昨日よりも綿引さんの作品がぐっと近くに見えた気がした。昨日はやはり水戸からの帰りで疲れていたのか、それとも今日は天候が暖かくて体調がいいからか。じっくりと鑑賞しているうちに、以前ガレリエ・キマイラで綿引さんから、キャンバスにまず墨を塗ってそれからオイルパステルで描いていくのだと聞いたことを思い出した。そうすれば色がさらに深くなるのだと。その記憶に「うん。うん。」と頷く。今日また伺って満足できた。
それからマキイマサルファインアーツに行って、堀正明さんの作品を受け取った。5月の個展後に交換用の作品を作らねば。でもその前に個展の準備を。
そんなわけで制作に着手。
3/12
この間の休日出勤の振替休日ということで、水戸芸術館に行った。
"Living Life Together Is Easy"。全体的な印象としては、「オペラ・シティ・ギャラリーで開かれているような展覧会並みの散漫さ」とでも言おうか。まあ中には結構印象的な作品もあったけど。
印象に残った作品は以下のもの。スーザン・ノリーのビデオ作品は鍾乳洞、トンネルを歩く防護服の後姿や化学研究所での(たぶんハエを使った殺虫剤の実験)など、不穏な印象に満ちている。その妙な緊張感が印象深かった。それからフィオナ・ホール。「水の中の死体」は海の汚染で海面に浮かび上がった海洋性腔腸生物といった感じ。「瘢痕組織」は「トラトラトラ」とか「プラトーン」などの戦争映画のビデオのテープによって編まれたミッキーマウスとか人の顔とかトルソとかが吊り下げられている。デヴィッド・ロチェスキーの「ウィークエンダー」は男女各3人ずつの若者が海辺に遊びに来ているという映像に、それぞれのモノローグがかぶさるというビデオ作品。見終わって、さて出ようかと思ったところで、なんとなく後ろ髪を引かれるような気がして、もう一度椅子に座りなおしたら、同じ映像ではあってもその上にかぶさるモノローグが微妙に変わってきたりして、印象がずいぶん変わる。カップルが砂浜で仰向けになっているシーンで、一回目は男性のモノローグで「僕らはもう終わりなんだと感じていた。」というようなものだが、二回目は女性の声で「わたし、『愛している』って言われるのはとても嫌なの。」というものになる。4回目になって最初のモノローグと同じ組み合わせになったのでそこで終了とした。束芋も中村哲也も山口晃もよかったけど、でも上記のオーストラリアの作家の方が面白かったな。
この季節だから水戸は偕楽園の梅祭りとか、あんこう鍋などありますが、何もせずに帰ってきました。今日はバスも混んでいたし道も混んでいましたが、車中はよく寝られました。
東京に戻ってから京橋に行き、綿引展子、与那覇大智、永原トミヒロ、黒田悠子(敬称略)を見て回った。
綿引さんの作品は文句なしにいい。オイルパステルの色彩と和紙の表面の毛羽立ちとで、とても表情が豊かだ。もしかしたら今日拝見した時間内では全部受け止められなかったかもしれない。明日もう一回行っててもいいでしょうか。与那覇さんはまず驚いた。すっかり具象の風景画なのだ。去年のOギャラリーで少し具象のモチーフが出てきた(といっても、絵全体では抽象だったが)が、今回はすっかり具象だ。ちょうど与那覇さんご本人もいらっしゃって、わたしをどこかで覚えていたのか(でも去年のOギャラリーで挨拶した程度だったから、誰かと間違えたのかもしれない)、最近の方向性を説明してくれた。去年のOギャラリーぐらいから具象と抽象の要素が入り混じるあたりを考えていたようだが、どうも完成度がご本人は満足いかないらしく、まずは具象の方の完成度を高めて、それからいろいろと要素を入れていこうと考えているのだとのこと。わたしにとっての抽象とは、「強度」、「構成」、「色彩」といったあたりを要素と考えている。与那覇さんの具象には色彩の思いがけない構成が隠されているようにも思える。今後どんな展開になっていくのか、なかなか興味あるところだ。永原トミヒロさんは先週の土曜日に拝見したのだが、イベント前で人が作品の前にもいたりして、ギャラリーの空間そのものがつかめない状態だった。そのため、ギャラリー内での三点のみの作品同士の関係とか構成が、その時はわからなかった。今日はわたし一人だけ。じっくり拝見できた。永原トミヒロさんの作品は妙な触感を感じさせる。引き続き見ていきたい作家さんだ。黒田悠子さんは前回とほぼ同じ環境だったので、さほどの変化は感じられなかった。もちろん見て面白かった。わたしは地下1階の方の作品が好きだ。
そんなわけで今日の行動は終了。
3/10
最近の話題から。
長島茂雄氏入院。その後の病状経過が毎日報道されるのを見て、やはり彼は20世紀後半以降の日本のスーパースターなんだなと思った。そしてその報道ぶりはどこか「さきのおおきみ」の末期に毎日繰り返された「ご病状報道」に似ていなくもないと思った。
vittelのコマーシャルでデヴィッド・ボウイが出ているのを偶然見てしまった。でもずっと昔、ボウイは日本の焼酎のCMに出てたことあるんだよ。「クリスタル」とか言って。
若いころボウイにかなり入れ込んでいた時期があった。だが同時代的に見られたのはLOW、HEROESのあたりからだった。HEROESツアーで来日したときの武道館でのコンサートをNHKが放映した。オープニングはWarszawaだった。母はわたしの後ろからテレビをのぞき込んで、「なにこのお葬式みたいな音楽。」と言っていた。ライブは照明がものすごく斬新で、シンセサイザーで列車の音を出す人や、ニタニタしながらギターでへんてこな音を出す、なんか頭悪そうなやつがいた。ビデオデッキなんか当然なくて、その場限りでおしまいだった。
そしてご多分に漏れず"LET'S DANCE"以降の展開にがっかりした口だった。アメリカン・ヒット・チャートに馴染んでいくボウイの姿を、三島由紀夫の「午後の曳航」の竜二になぞらえたこともあった。その後彼に対する興味も失せて、どんな活動をしているのかまったく気にしなくなった。時々聞こえてくる彼の硬質で裂けそうな歌声には、「さすが腐ってもデヴィッド・ボウイ。」と思ったものだった。
それがなぜここに書いているのかというと、CMの中身だ。全部を把握することはできなかったが、現在のボウイがアパルトマンの中でHunky Dory、Ziggy Stardust、Diamond Dog、Station to Station、Scary Monstersなどで過去に自分が作り出したキャラクターに出会うというものだった。昔の映像ではなく、現在の彼が過去のキャラクターを演じているのだろう。過去を栄光として見ているのか、自分の過去をパロディー化しているのか。ある時期までのボウイ・ファンは後者を期待するだろうが。だが改めてデヴィッド・ボウイというキャラクターが70年代以降、特にヨーロッパで絶大な存在であったということが示されているように思えた。
でもイグチトシオがLOW、HEROESのあたりのボウイが好きだったっての、わかる気がするでしょ?(意外性のないオトコね)
大江健三郎を本当に久しぶりに読み始めた。少なくとも90年代に入ってからは、彼の小説を読んでいないと思う。当たり前のことではあるが、文章の速度なり揺れ具合なり、以前の記憶のままという感じだ。
3/7
今日は休日出勤。でも「待ち時間」の方が長い仕事だった。待ち時間の間にボブさんへの英語メールを書いた。結構時間がかかって、いい時間つぶしになった。
そろそろ真剣に制作に専念したい。が、水戸芸術館の「Living Together Is Easy」、東京都現代美術館の
「わたしはどこから来たのか/そしてどこへ行くのか」、神奈川県立近代美術館の「松本竣介・麻生三郎」、練馬区立美術館の「超 日本画宣言」に行きたいし。
3/6
起床後、洗濯を済ませてから外出。神奈川県民ホールギャラリーの小野憲一さんの展覧会へ向かった。
東横線からみなとみらい線へ乗り入れて一本で行ける。便利になったものだ。会場に到着したらちょうどエレベーターから出てきた小野さんとばったり会えた。
この展覧会には過去の作品に加えて新作もあり、とても充実した内容だった。小野さんの作品は鑑賞者との間に数え切れない対話が広がっていくというものだ。広がっていく意識とじっと対峙するときの緊張感とが混じり合って、何とも言えない陶酔に近い心地よさを抱く。鉛筆画は一旦平面に載せた色を減らしていくことによって、平面の上に限りない空間を作っていくという作品だ。INNERLINEはシンプルな線で構成されているアクリル画だが、作品のサイズと線の太さ、線の位置が計算されて、ここでしかあり得ないという軌跡を示している。この作品もその線によって余白が意識されるというものだ。しっかりとした計算とそれを実現する確かな手作業があってこそ、鑑賞者に意識を向けさせ、対峙させることができるのだということを改めて認識させてくれる。情報量の多い作品の、その情報を読み取りきれずに作品を後にしたときの、後ろ髪を引かれるような後ろめたさを、小野さんの作品が持っていないのが不思議だ。そうではなく、またいつまでもそこで待っていてくれるというような、そんな静けさを湛えているような気がする。
今日は小野さんと会場でいろいろと話ができた。それにしてもそうして話をしていて、わたしが小野さんの作品についていったいどのくらい理解できていたのかと、ふと冷や汗ものになってしまうことがあった。これからも自宅にある小野さんの作品とじっくり対話していきたいと思う。それに近年、小野さんには何度も的確なアドバイスをもらっていて大変感謝している。なんとかそのお礼を自分の作品の完成度で示したいと思っている。
しばらくしたらワークショップが始まるという時間になった。とても刺激的で興味ある内容のワークショップだったが、参加は辞退させてもらって帰ることにした。今日は午後に、今度の個展の会場であるオーパ・ギャラリー/ショップにプレスリリース用資料を渡す予定を入れていたからだ。山下公園を歩き、みなとみらい線の元町・中華街駅まで行き、そこから渋谷へと電車に乗った。なぜだろう。わたしにとって東横線は眠りやすい。いつも行きも帰りも必ず寝てしまう。気がついたら渋谷駅に到着してみんな席を立ち上がっていた。
改札口を出て宮益坂へ向けて高架の通路を歩いていった。すると東急文化会館がすっかり壊されつつあるが見えた。ここ何週間かの間に作業が進んだのだろうか。他にもその工事現場を眺めている人が何人かいた。「ららら科學の子」でもここが舞台になっていて、プラネタリウムが閉館する最後の回に主人公が入館するというシーンがあった。急速に変容する(消失する)風景。主人公の取り残されていくエトランゼの感覚はどことなく理解できる。たとえ東京で生活していたとしても、その行動圏から外れた場所は、あっという間に変貌して行ってしまう。これは記憶にあった建物がなくなっていくという喪失感ではなく、急速な変化に取り残されていくという疎外感に近いのではないか。
しかしわたしはこういった建物が取り壊されていく様子を眺めるのが好きだ。これはたぶん廃墟マニアとは違う嗜好だろう。
宮益坂から青山通りへ。「ららら科學の子」の主人公がここを歩いたのだと思いながら歩くのは、たとえフィクションであっても不思議な感覚だった。「志賀昆虫」や帽子屋など昔からあの場所にあったらしい。妙な懐かしさを感じるのは、ただ単にその時読んでいる本に影響を受けやすいということだけなのだろうか。
オーパ・ギャラリー/ショップでは藤波さんに資料を渡した後、少し個展の打ち合わせのようなことを話し、それ以外でもなんだかのんびりと会話を楽しんだ。もしかしたら1時間以上はいたかもしれない。
それから銀座に出て個展をいくつか回った。コバヤシ画廊の 岡村桂三郎さん。迫力ありました。ご本人と来場者がずっと作品の前で話しこんでいるので、すべてをあのスケール感で見ることができなくて残念でした。巷房の黒田悠子さん。前回は割りと小さなサイズの水彩画だけでしたが、今回は大きな絵もあり、とてもよかった。他の来場者が来ないのをいいことにじっくり拝見してしまいました。ギャラリーKの永原トミヒロさん。会場に妙に人が一杯いて、なんか間違えたかなーと思いながら見ました。後でHPで確認したら、今度の『知性の触覚2003それぞれの他者』シリーズのギャラリー・トークがあったのでした。でのその場で宇留野さんにパンフレットをもらっちゃったのですが、これって売り物ですよね。参加者と間違われたのかしら。もう一回そんなに人のいないときにじっくりと見たいと思った。そのときにパンフレットのことは聞いてみよう。そんなわけで今日はおしまい。
夜は「ザ・ホワイトハウス2」を見てしまった。結構テレビ見てますね。わたしは。
3/5
退社後に銀座のギャラリーに寄ろうかと思っていたら、仕事が予想外に長引いて8時を過ぎてしまった。結局どこも寄らずじまいで帰宅。
帰りの電車の中で、「ららら科學の子」読了。どこかの雑誌でこの本をぜひ映画化して欲しいと書いてあった。なぜか主人公の「彼」のイメージが、わたしの中では中平卓馬(もちろん現在の)として浮かんでしまっている。
昔は矢作俊彦がどこかギラギラしているようなイメージがあって、少し敬遠しているところがあった。でも今はなかなかのストーリーテラーだと感心しつつ読んでいる。軽妙で少しハラハラさせ、そして最後は希望の残る終わり方をしている。読んだ後も登場人物がわたしの中で消えずに残っている。
ところで最近なぜかよくテレビを見ている。インフルエンザで寝込んでいるときから「白い巨塔」を見るようになってしまった。昨夜は視聴率26.8%の一員になってしまったようだ。そして今日は「たそがれ清兵衛」を途中から見てしまった。だって「井口清兵衛」だなんて言うからさ。なんといっても田中泯の圧倒的な存在感。ただ者ではない眼光。殺陣の緊張感と流れるような死に様はなんとも印象深かった。それから宮沢りえはいろいろとあって10年。それらを糧にしていい女優になったなーと思った。それにタイトルの字は中川幸夫だったし。
ときどき時代劇の原作として使われる藤沢周平は、もう少し年をとったら読もうかなと思っている。
3/4
退社後、銀座の伊東屋に買い物に行こうとして銀座一丁目駅の改札を通り抜けて出口に向かおうとしたところで、背後に呼びかける声を聞いた。二度目か三度目でそれが自分を呼ぶ声だと気がついた。会社の同僚だった。彼は知人に紹介してもらった築地の歯科医に行った帰りらしい。「どちらへ?」「ちょっと買い物に。」という簡単なやり取りの後、彼は改札口に向かい、わたしは出口へと別れた。そのときふと思った。立場が反対だったら、姿を見つけてもきっとわたしはやり過ごしていただろう。声なんか絶対にかけないだろう、と。
買おうとしていたのは上質紙のロールだったが、どうも伊東屋で買ったという記憶は間違いのようだった。
3/3
インフルエンザの影響か、今週に入ってもまだ毎日一日中体がだるい。職場で記憶のない時間があり、気がつくと自分が一瞬どこにいるのかわからないときがあったりした。
アメリカ合衆国民が難民として他国へ。「難民としてアメリカから脱出」というには少々驚く。
ふと見るとはなしに見ていたテレビ番組で、「おや?」と思った。ウッチャン・ナンチャンの深夜の番組で、彼らが会ってみたい人とかいうのでアメリカの俳優の名前を上げていったとき、ナンチャンがふと、「会いたいっていやぁ、おれ、ブッシュに会いたいな。」「なに?会いたいの?なんで?」「うん。ちょっと言ってやりたいんだよ。『なあ。
どうすんだよ、今のを。』ってさ。」
彼らのことはよく知らない。だが政治的なことを言うのはプラスにはならないと思われる「バラエティー系」のタレントが時間帯にもよるが、そんな発言をするというのは、意外な感じがした。
イラクでの「同時多発テロ」。やはりかの地は戦場だ。
2/29
4年に一回しかやってこない日なんだから、記念に日誌をつけよう。
昼間は制作。午後4時前についに一枚完成。その後、部屋の中で今度の個展のプレスリリース、DM用の写真撮影をするために作品を設置してみる。暗くなってから何枚か撮ってみた。写真のデキはどうかわからないが、もしかしたら作品自体は結構いい線行っているかも知れない。早めに見たい方、うちに来て見てください(事前連絡必要。いきなりだと居留守使いますから)。
2/28
たった二週間振りなのに、なんだか久しぶりな感じがする。今日はギャラリーを四つ巡った。ギャラリーKの塩津淳司さんの作品は大変興味ある、参考になるものだった。テレビ画面を接写したという(そのためほとんど三原色の粒子状に見える)映像を、二台のプロジェクターでL字型に設置したスクリーン二面に、シンメトリーに映し出されている。そのスクリーンは編みこんだような花柄のビニールシートだ。そのため、シートを透して壁にも映像が映され、映像は二重に見える。プロジェクターの前を横切れば、その映像に自分の影が映りこみ、その影も壁に映し出されて二重に見える。スクリーンと壁の間を歩けば映像の回廊を歩くことになる。映像はまさにノイズ。しかし心地よいアンビエント・ノイズ。しばらくその映像の中にたたずんでいた。
そのうち自分の展示プランに修正を加えるべきだと思いついた。塩津さんの作品に目をやりながら、頭の中はその修正案で一杯になってしまった。それはあまりにも失礼な態度だと思って退場した。しかし塩津さんの作品を見ることで思いついた修正案だ。感謝したい。
今日は体調が悪く、歩くのが結構しんどかった。いつもならさっと歩いていける距離が遠く感じられ、なかなか進んでいけず、巷房からOギャラリーまでの途中でスタバに寄って休憩を取った。
展示プラン修正案が気になり、やらせていただくギャラリーに立ち寄ることにした。修正することにより、より一層コンセプトが明確になるのではないかと確信した。今日はなかなか体調が悪く、帰りの電車もなんとか席に座って変えられるようなルートを選んで帰ることにした。結構インフルエンザの後遺症が残っているのかもしれない。
「ビンラディン氏拘束」誤情報(?)。ちょっと半年ほど早すぎるんじゃないかと思う。たぶんタイミングとしては米大統領選の終盤になってでしょう。そこで支持率急上昇で再選ってストーリーを考えてるんじゃないかな。
自称「武士道の国から来た」という集団。わたしのご先祖は小作農なので、なんのことかよくわかりません。
2/27
網野善彦氏死去。職場でふと見たniftyのニュースで知った。肺がんだった。
最近の氏に対する強い印象というのは、講談社から「日本の歴史」全26巻を刊行するというその編集委員となり、氏が執筆した00巻『「日本」とはなにか』(2000年10月刊行)だった。この国が大きく変わりつつあった時代において、氏が自身のそれまでの研究から得られた成果を見据えつつ、改めて「日本」というものを問い直そうとした姿勢は、非常に力強いものだった。その力強さはなんなのか、この著作についていた小冊子の中にあった対談の中に述べられていた。この著作があと5、60枚という時に入院して肺がん手術を行い、退院後の放射線治療を受けながら残りを書き終えたということが書かれていた。まさに渾身の力を持ってなし得た著作だったのだ。
今からもう20年近く前、氏の「異形の王権」を読んで、絵巻物など図像から読み解く歴史学に非常に興味を持った。支配階級ではなく、一般的な民衆の生活を中心に掘り起こしていく氏の著作は大変興味深いもので、その後何冊も読んだ。図像を基にした研究から、能登の時国家に残る文書の調査に至るまで、元来農業中心と考えられてきた日本社会が、多くの非農業民が活躍する多様な社会だったことが述べられていた。最近では「水呑百姓」と位置づけられた「田畑をまったく持つ必要のない極めて裕福な商人、職人、廻船人」が少なからずいたということに驚かされた。
もちろんわたしは歴史学者ではなく、氏の著作を残らず読み、氏の最近の活動をきちんと追っているというような者でもない。ただ「もののけ姫」を見て、氏の影響をいくつか発見できるという程度の者だ。
最近、氏が編集委員になって刊行されていた「天皇制」についてのシリーズも書店で見かけたように思う。76歳ではあったが、まだまだ多くの視点を提示して欲しかった。ご冥福を祈る。
2/26
現実の世界はまだまだ遠い。昨日は朝出勤したとき、駅から職場までの5分がいつもより遠く感じられてしんどかった。午前中、ほとんど調子が悪かったので、午後には早退させてもらった。調子は悪いんだが、早退するときには「ああ、これで本が読める。」とほくそえむ部分が少しはあった。
そんなわけではあるが、帰宅してから布団に入って3時間ほど眠った。その睡眠で気分がよくなったかというと、さほど変化はなかった。もしかしたらこんな、よくもならないし、さらに悪くもならない状態がずっと続くのかもしれない。職場では本当にインフルエンザが治ったのかと疑っている心配している人たちがいる。
インフルエンザに罹ってから昨日までで三冊本を読んだ。矢作俊彦「あ・じゃぱん」、藤原帰一『「正しい戦争」は本当にあるのか』、サラーム・パックス「サラーム・パックス バクダッドからの日記」。熱のある中で横になりながら読み終えたものもあるので、本当に理解できているのか疑問なところもある。いずれ感想など書きたいと思う。
今日は昨日早退したにもかかわらず、ほんの少し体調はよくなった程度で、まあ今までと同じような感じで過ごした。が、切りのいいところまで仕事をしたら、2時間ほどのプチ・サービス残業をする羽目になった。
今日から矢作の「ららら科學の子」を読み始めた。一昨日あたりから制作するものしんどくなったので、明日あたりまで制作は控えて読書をすることにした。
2/24
どうも調子が悪い。職場に着くと一層悪くなる。打ち合わせなどで比較的多くしゃべったりすると、頭がくらくらする(でもメールで長文はOK)。それでぐったりして帰宅する。
月曜から出勤しているが、帰宅後に熱を測ると36℃台後半だ。これは微熱だ。それでも制作に手を付けるが、どうも調子が悪い。ここはじっくり睡眠をとった方がいいのかもしれない。上司からは「もう休まないでくれ。」と言われている。確かにいろいろとスケジュールが詰まっていて休むと明らかに影響が出そうだ。
あれ?なんかサラリーマンっぽいなー。いかんいかん。
今日は時間の関係かどうかわからないが、帰り道では上弦の月とその斜め右下に火星を見れた。
2/23
ほぼ一週間ぶりの通勤。職場。
でも一番すうっと自身の中に入ってきたのは、帰り道で見た上弦の月とその斜め右上に浮かぶ火星だった。この一週間、夜空を見ていなかった。
2/22
現実の世界にようこそ。に近い感じだ。この五日間ほとんど寝込んでいたのだ。
17日は朝起きたとき布団の中が異様に寒く、足の裏が凍りつくように感じられた。体温を測ったら37℃を越えていたので、これで出勤したらさらに悪化するだろうと判断し、休暇をとった。しばらく横になっていたが、体温はだんだん上昇していった。午後も夕方近くなると、妙に体が熱くなり、頭痛もひどくなった。熱を測ってみると39.5℃にもなっていた。食欲もなく、買い置きしてあったバナナとカップスープで済ませた。
翌18日になっても38〜39℃あたりになっている。それで近所の開業医に行くことにした。行きの道も結構しんどくて、待合室で診察を待っているのも辛かった。診察に呼ばれていわゆる問診の後、喉を見て聴診器を胸と背中にちょちょいと当てて、あとは「インフルエンザかどうか調べる」と鼻の穴にコヨリのようなものを入れられた。診察は以上でおしまい。
待合室にしばらく座っていたら窓口で呼ばれ、「いぐちさん。インフルエンザでした。」と言われた。それで抗インフルエンザウイルス剤、抗生物質、風邪薬、咳止め、鼻炎のくすり、消炎鎮痛剤、熱さましの一式をもらった。ええ?ちょっと待ってくださいよ。薬の服用の仕方は教えてもらいましたが、どういうふうに安静にしていたらいいのか、どうなったら出勤していいのか、そこら辺は一切教えてもらえないんですか?そもそも窓口で待合室にいる人たちの前で「インフルエンザでした。」と受付の方から病名を告知されるのもどうなんでしょう。とは後で思ったこと。とにかくクラクラで座っているのもしんどかったので、そのときは「あれ?」としか感じなかった。後で看護士の知り合いに聞けばいいと思っていたし。そんなわけでその場はおとなしく立ち去り、少し遠くまで足を運んで、スーパーマーケットで食べられそうなもの(主に果物)を買ってきた。
帰宅してからその看護士さんにアドバイスを受け、職場にインフルエンザでしばらく休暇することを連絡。不思議なものでインフルエンザでただただ寝込むだけなのに、しばらく休暇をとることの解放感をどこかで感じでいた。一人でいることの不安とかは特になかった。よく言われるような、「ひとりこのまま死ぬのかなー。」なんてせりふも出てこなかった。どちらかというと、たとえば真冬のアフガニスタンで薄い毛布しかない難民だったとしたら、こんな高熱だったら確実に死んでしまうだろうなと、自分の境遇をありがたく思った。
それで土曜までは本当に毎日ずっと布団の中にいた。時々本を読んだが、たいていは寝ていた。そんなわけで
38℃→37℃→36℃と日を追って熱も下がってきた。土曜日には36℃台になったし食べるものもなくなったしで、またスーパーマーケットに買い物に行った。徹夜明けとか寝不足の時に車の音が妙に響いて不愉快なのと同じような状態だった。さすがに体を動かすのは久しぶりなので、少しふらふらしながら歩いていたと思う。こういうときは水気のあるものが必要だし、水気のあるものは重いし、体調は万全ではないし。病み上がりの買出しは辛い。一人暮らしはこういうときには厄介なものだ。
仕事が滞るのはどうでもいいのだが(!)、制作がこれで遅れてしまうのは辛い。なんとか週末くらいは手を付けようということばかり考えていた。そんなわけで22日は一日中制作をした。
そういえば水曜日に職場に電話をしてから人と話をしていないなー。
月曜日からお手柔らかにお願いします。
2/16
で、結局今日は午前中休暇を取って、少し寝させてもらった。でも疲れはなかなか取れずに職場でもグッタリ。で、帰宅して制作に取り掛かろうとすると俄然元気が出てくる。
2/15
朝から制作だが、なかなか切りのいいところで終了できず。
他の作家さんも似たり寄ったりだろうが、わたしは制作も食事も就寝も同じ部屋で行うことになる。なので、切りのいいところまで終了させないと眠るためのスペースが確保できないのだ。それで結局明け方の4時過ぎまで制作することになってしまった。
2/14
うらわ美術館へ。会場に入って早々に川村直子さんの作品。めまいがしそうな「まどわしの空間」だ。行きつ戻りつ伸びをしたりしゃがんだりしてあらゆる角度から楽しんだ。それにしても川村さんは1932年生まれなのだそうだ。すごいパワーと繊細さだ。あともうひとり気になったのは、鯨津朝子さんだ。展示ケースのガラスと奥の壁に線を描いているのだが、それがある位置に立つとつながって見えたりするという、まあジョルジュ・ルースの線描版ではある。しかし美術館の現場で線を引いて作り上げたのだから、まあその緊張感と集中力には敬服する。それからタイガー立石。彼の作品は随分先駆的な絵画だ。「今思えば」と言わなくてはならないのが残念だ。今回の「まどわしの空間」はサブタイトルが「遠近法をめぐる現代の15相」となっている。西洋近代の遠近法という呪縛とそれから逃れることによって成立した20世紀美術といったあたりをめぐる、なかなか興味のある展覧会だった。
ところでうらわ美術館で以前「遠心力・求心力」というタイトルの展覧会があった。なかなかいいタイトルだと思ったら、友人が「こんな訳わからないタイトル付けて。お里が知れるよ。」と言ったので、ちょっとガクッと来た。今回のキャプションでも「『表徴の帝国』の中でロラン・バルトが言った『空虚な中心』が云々」というのがあり、ここの学芸員のお里が知れてしまった。そのお里はわたしのお里と結構近かったりするのではないかと思う。「こんなタイトル付けて。」発言の友人とはたぶんお里がやや遠いのだろう。
浦和からまた京橋へ。再びINAXギャラリーの北山善夫を再び訪れ、それからコバヤシ画廊の川村直子さんへ。どうやら会場にいらっしゃるのがご本人のようだ。
「うらわ美術館では会場に入っていきなりでーんと展示してある。空間に引きがないから全体が見えない。なんだかオプティカル・アートをしてしまった。」
などと来場したお友だちに反省しきり。それで今回のコバヤシ画廊の展示での苦労話もいくつか。いくつになっても試行錯誤している姿勢は見習いたいものだ。わたしもこれからも発表していくとしても、きっとずっとずっと迷い続け、どれがベストなのか確信できないまま発表していくだろう。その迷いこそがわたしがずっと持ち続けていける表現の「きっかけ」ではないかと思う。これからもより一層迷い続けていこう。どこまでもいつまでも迷い続けるという方向性については自信を持っていこう(はは。こういうのをレトリックと言うんだよね)。
トキアートスペースの柳原詮子さんの写真と映像。今までは平面の作家さんと一緒に、主に照明を使って光と影を表現していたとのこと。個展は今回が初めてらしい。ご自宅で経営していたという工場跡を撮影している。さすがに光と影をうまく使っている。廃墟好きのわたしとしては、基本的に好きな写真です。日陰のコンクリートの床の埃っぽいにおいとか、そこに留まっている冷たい空気とか感じられて、いい写真でした。ただ説明いただいた言葉の中で、幼少のころから見てきて、いよいよ取り壊されるということで、その工場を写すことで自身の原点を見つめなおしたというようなことをおっしゃっていたけれど、写真だとか取り壊される建物という状況で、一番すんなり出てくるであろう「記憶(自身の、あるいはその工場に来ていた多くの人々の)」という言葉を使わなかったのは、何か意図してのことだったんだろうか。
2/13
午後、錦糸町にある機関に外勤。部長+課長3人+その他(もちろんわたしはこのその他だ)で合計10人という大人数で。職場のビルのエントランスホールに集合し、みんな一緒に出発し、みんな一緒に同じ電車に乗って。用件が済み、またみんな一緒に錦糸町の駅まで歩く。当然のようにみんな一緒に同じ電車に乗って帰るために。このときすでに勤務時間を過ぎていたので、残務がなければそのまま帰宅していいわけだ。錦糸町のホームでわたしは残りのメンバーとすっかり気持ちが離れてしまった。気がつかないうちにホームではみんなから離れて立っていた。やってきた電車には違うドアから乗り、そのまま何も接触しないまま秋葉原で総武線を降りた。普通「失礼します。お疲れ様。」と挨拶をするだろうが、特にそれもしなかった。それを許してくれる職場に感謝しなければ。こういう職場でなかったらわたしはとっくの昔にやめていただろう。
ところでわたしは敢えて職場ではアーティスト活動をしていることは口外していなかった。というより秘密にしていた。元々プライベートなことはあまり言わなかったからでもあるが、そういったことを口外することで、いろいろと揶揄されることが予想されたし、それは愉快なものではないからだ。でも「この職場を辞めてもお付き合いをするであろう方々」何人かを選んで知らせていた。一応「取り扱い注意」としてお話はしていたが、「機密厳守」であることを徹底していたわけではなかった。「これは口外しないでね」と少しずつ他の人に伝わっていくのは別に仕方のないことで、特にそれをどうとも思わなかったからだ。しかしそのうちのひとりがなぜか「秘密にしておく必要はない」と自主的に判断して、ボランティアで広報係を買って出てしまったのだ。少なくない人数に公表したらしい。それでわたしがアーティスト活動をしているということが職場にどっと広まってしまった。それがいったいどこまで広まっているのかわからない。
ときどき尋ねられる時がある。だいたいアートとはまったく関係のない職場なので、どういう意味なのか理解されていないことが多い。趣味のレベルだと思われているかもしれない。部屋のレイアウトをしろとかWebデザインをやれとかTシャツのデザインをやれとか言われることもある。でもそんな時にはただ黙ってしまうだけだ。だれもわたしが出す結果に興味を持っているわけではないからだ。
でも不思議なもので、わたしが「これは口外しないでくださいね。」と言ってお話した方たちはまったく口外しないでいただいている。感謝している。
まあ、そんな話はどうでもよくて、秋葉原で総武線から山手線に乗り換え、有楽町で降りた。そこから少しギャラリー巡りをした。
藍画廊の多田布美子さんの絵はよかった。テトロンとその下に透けて見える綿布の二重の絵を見せている。彼女の絵画に対する迷いとか、一旦異なる方向に向かってそこから今のところにたどり着いたという、その道程は面白く小耳に挟ませてもらった。それにしても彼女を迷わせ別の方に向かわせてしまった「こんなの絵じゃない」という発言はいったい何なんだろう。どういったものが絵画なのか。何が絵でなんのために描くのか、という命題を常に画家は持っていなければならないが、それはあくまでも画家の側の命題だと思うのだ。まあそういう形の批評はあっていいもので、後は批評を受けた側がどうとらえていくかだろうけれど。
が、彼女の友人たちだというカップルがだね、あの藍画廊の空間の中でいちゃいちゃしているのだよ。わたしからすれば絵の前でそれを繰り広げるわけだ。きみたち、友人の個展の邪魔をしてないか?そうでもして確認していないと不安なのかい?藍画廊はいい空間だが、やはり鑑賞者といちゃいちゃするカッ
プルとが一緒いるのにはすこしスペース的に狭い空間だと言えよう。
それからOギャラリー川城夏未さんへ。油彩と蜜蝋の赤の豊かな世界。赤と言ってもいろいろな赤があり、深かったり輝いていたりする。その組み合わせがロスコを思い出させた。手元でじっと見ながら過ごしてみたい気になる。彼女のファイルを拝見させてもらって驚く。「蕎麦アート」の2回目の参加作家さんだったからだ。それでお話でもしようかと思ったけれど、他の来場者とお話ししていて、それに加えてもうおひとりどうも待機している雰囲気だったので、お話しするのはやめた。「蕎麦アートの一回目に参加しました。お蕎麦屋さんとのコミュニケーションはどうでしたか?お客さんの反応は?」なんてこと聞かなくてもよかったしな。次の個展の時にはコレクション前提で拝見させていただきたく。それにしても彼女の消え入りそうな声はまた赤の世界と違った雰囲気で面白かった。
2/12
これはやりすぎだろう。
いやむしろ免罪符を与えてしまっているようにも思える。「なにせサルだから。」と。
それ以上に笑いものにしている間にいろいろとやらかしてしまうのを放置させてしまう危険性もある。
こんなんで溜飲下げてるくらいだったら、もっとましなことをしてよ、アメリカの皆さん。
あ、でもわたしら日本の皆さんもですね。
2/11
昨日買えなかった材料を買いに新宿のハンズに行った。今回購入したのは材料の紙ではなく、会場で設置するためのアクリルのアングルだ。幅の広さによって作品の寸法も調整する必要が出てくる。その種類を確かめ、いいものがあれば購入しよう、ということで結構いいものがあったので買うことにした。
それでついでにタワーレコードに寄ってしまった。6Fのアヴァン・ギャルドのコーナーへ直行。試聴コーナーで、細長いケースが目に付いた。ムスリムガーゼのCDだった。去年あたりからムスリムガーゼの再発が目立ってきている。ムスリムガーゼ主宰(?)のブライアン・ジョーンズが99年に死去してから(何とわたしと同い年なのだ)、5年がたったところで再評価され始めたのだろうか。それとも彼がテーマとしていたアラブ・イスラム社会の情勢が、新世紀になってから不安定化しているのが再発の誘因なのか。
試聴コーナーにはムスリムガーゼがふたつあり、ひとつは本人によるリミックスバージョンの2枚組で(CD2枚を縦に並べて入れたために細長いジャケットになった)、もうひとつは死去の3年前にレコーディングしてあったマスターテープから作ったものとのこと(新作と言っていいのか?)。ノイズインダストリアル、テクノ/ブレイクビーツ、コラージュといったテクニックにアラビア音階のグルーブが加味された音響世界は今でもかなり刺激的だ。新作(?)の方はいきなりハーシュ・ノイズで始まる。こちらは"ALMS FOR IRAQ"というタイトルになっている。ジャケットはどこで撮ったのか、足の裏が当たる部分にUSAとISRAELと彫られているゴム草履(きっと手作りだろう)とそれを履こうとしている男性の足の写真だ。内ジャケットはイラクやパレスチナの流血とインティファーダの写真などがある。壁の落書きは(英語で)
世界のテロリスト
ブッシュ&アリエル(・シャロン←注;イグチトシオ)
死を侵略者に
卑怯者に
ドラキュラに
野蛮人に
と書かれている。
今までムスリムガーゼが再発されて店側が「マストです!」と注釈を入れていても食指を伸ばさなかったが(すでに持っているものもあったし)、今回は2枚ともノイズとグルーブに圧倒されて買うことにした。またCDが増殖していく〜。
そういうわけで今日はムスリムガーゼをかけながら制作。わたしはときとしてノイジーな音をかけながら制作している。その結果が結構きれいで細かい作品だったりするのはちょっとしたギャップを感じさせるかもしれない。
2/10
どこでその情報を入手したのかは忘れたが、Salam PaxのBLOGが本になったのは知っていた。だがそれは英語版だ。そしてその和訳版が出版されていたのは知らなかった。しかも昨年末に出版されていたとは。Salam Paxのブログを見て初めて知った。彼は日本語版のカバーはcoolestだと気に入っているようだ。確かに。英語のペーパーバックもポーランド版もあまりセンスよくない。英語のペーパーバックは銃弾を無数に打ち込まれたサダム・フセインの壁画が使われ、ポーランド版はサダム・フセインの剥がされたポスターが使われている。英語圏もポーランドもCoalition of Willingの国だもんな。装丁からして戦争の大義の(何番目かの)言い訳をしているみたいだ。
それにしても今年に入ってから何度も池袋リブロには足を運んでいるのに、ぜんぜん気がつかなかった。Salam Paxという文字をわたしが見落とすわけがないのに。そんなわけで今日、早速買ってしまった。
今日は朝から「打ち合わせ」漬け。最終的に解放されたのが夜の7時半だ。もう少し早く解放してもらえたら、ハンズに行って材料を買って来れたのに。そうすれば明日朝から制作を進められるのに。
2/7
また、ギャラリー巡りです。
まずはINAXギャラリーの北山善夫。わたしの彼に対する評価は「越後妻有」前後で変わる。「よい」から「たいへんよい」に変わったのだ。一回目の越後妻有アートトリエンナーレで(すべてを見たわけではないけれど)、わたしの中ではベストの作品だった。ちょうどそのころ「記憶と場所」というようなテーマを考えていたというタイミング的なものもあるけれど、でもやはりその年に見た展覧会を通した中でも最高のものだった。今回は宇宙の天体と粘土の人体のインク画だった。二周回ってじっくりと見てみるが、しかし全部を把握できてはいないことがわかる。たぶん会期中あと1、2回は来て見るだろう。
前もっての知識がないまま入ってみて、いいものを見られたと満足できる個展がある。今日はギャラリー山口の伊東玲子さんと巷房の渡辺洋さんだ。なかなか力もある。しっかりと鑑賞させてもらった。また次も見てみたいと思うものだった。
今日のメインは北山善夫以外にはコバヤシ画廊の川村直子さんとGALERIE SOLの松木恵次さんがあった。川村直子さんの作品はは吊り下げられた極細ステンレス糸に鉛の粒が等間隔に付けられ、鉛の粒が宙に何千と浮いて見える。目がくらみそうなほどの浮遊感。松木恵次さんはギャラリーの奥から4本の紐を絶妙な曲線を付けて手前まで広げ、その間を等間隔に紐で結んでいる。紐の持つ有機的な印象と紐の作る一本一本の線の緊張感が見事にバランスを保っている。素晴らしかった。会場にいらした松木さんと少しお話をさせてもらった。DMをもらってから楽しみにしていた個展だった。また次の機会にもぜひ拝見したいものだ。
次は資生堂ギャラリーのlife /art '03。今回の特筆すべきは何と言っても須田悦弘の椿を手にとって見られることだ。椿の花びらを表から裏から、茎や葉もいろいろな角度からじっくりと見せてもらった。今までのようにそっと離れて見ている時には感じなかった木彫らしさを見ることができた。これはなかなか感じられないことだ。得した気になった。そのほかの参加作家?金沢健一?ああ、だれも叩かないんで、わたしがデモンストレーションとして叩かせていただきました。中村政人?なにかあったっけ?
マキイマサルファインアーツSでは三浦充訓・榊原勝敏・平野太一のお三方があの狭い区間にいた。作品からして濃いのに、そこに三人もいると高濃度だ。でも楽しい会話をさせていただいた。
それから表参道に出てギャラリーエスの橋爪彩さん。Oギャラリーに置いてあったDMが気になって寄ってみた。なんと彼女の作品は島田雅彦の「美しい魂」の装画として使われているのだ。瑞々しい写実画でよかった。
この後、国際交流基金フォーラムの「アウト・ザ・ウインドウ」へ行こうと思ったが、頭が満杯状態になっていて、早く帰宅したかったので、そこでギャラリー巡りは終了。
本の装画はいいなあ。わたしも使われてみたいものだ。CDなんかのジャケットより、本の方がなんだかうれしい。でもまあひとつずつ手作りになってしまうので、そんなことはありえないことだ(反対に安心したりする)。
2/6
退社後、ユーロスペースで「パリ・ルーブル美術館の秘密」を観た。ルーブルの裏側を見れてなかなか面白かった。実は10年ぐらい前にパリに遊びに行ったことがある。しかしルーブルは通り過ぎただけだった。そのときはジュ・ド・ポームとポンピドゥーとピカソとクリュヌーなんかの美術館には行ったんだけれど。あのときはなぜかヴァルター・ベンヤミンの「パサージュ論」を伴った旅行だったっけ。
今年は小熊英二の著作に挑戦することになっていたが、今はとても小説を読みたい心境だ。それもやや一貫した傾向を持つものを。今は矢作俊彦の「あ・じゃぱん」で、次は「ららら科學の子」。それ以降は大江健三郎の「燃えあがる緑の木」や「二百年の子供」、井上ひさしの「吉里吉里人」、阿部和重の「シンセミア」あたりを考えている。「あり得たかもしれない世界」を見てみたいのか。
2/5
わたしは職場での飲み会はほとんど参加しません。飲まないし食べないししゃべらないし。宴会嫌いなのだ。友人同士のごくごく身内のお食事会(アルコールを飲みたい人はご勝手に)は大丈夫なのだが、こと職場の宴会ときたら、すっかり冷え切る。途中でトイレに行ったら、そのまま抜け出したくなる。で、今日は職場の新年会なのだ。もちろん不参加。こういった行動を許してくれる職場に感謝しよう。で、宴会のかわりに国際交流基金フォーラムの「アウト・ザ・ウインドウ」へ行った。中・韓・日の若手キュレーターが選んだ作家のグループ展。
ビデオ作品が一杯。ビデオ作品は嫌いではない。だが、ビデオ作品は鑑賞者に対して例外なく均質に、その時間に連れ添うことを強要する。なので今回の展覧会は全部見て回るのに時間がかかる。だからだろうかパスポート制になっていて何度も入場できる。また来ることにして今回は大体のところを見て回ろうと決めた。
ほとんどがビデオ作品である中で例外的なポル・マロの作品は、いくつかのパターンで日本語と英語の文章が書いてある無数のワッペンがテーブルに山盛りになっている。そのワッペンはお持ち帰りOKとのこと。わたしはその中から
"Is national identity one of the biggest counterproductive lies ever?"
"WHY ARE PEOPLE FIGHTING FOR THEIR SERVITUDE AS IF IT WERE THEIR SALVATION?"
という二つのワッペンを選んだ。わたしが選びそうなものでしょう?
キム・チャンギョンの作品はたとえば水槽とか鏡とかを立体として(石膏で?)作り、そこに水槽や鏡の映像を投影する作品だ。手紙の中身をささやきながら書いている映像では、そのささやきが心地よく聞こえる(文章の中身は不安定な心情を綴っていたとしても)。その横では喫茶店の風景を映した映像で水槽とか鏡とかが映されている。とりあえずさっと見てその場を去ろうとしたところで、「行かないで。」と訴えられた。なんという偶然。ほとんど音声のない映像なのに、絶妙なタイミングでその言葉が聞こえてくるなんて。行けなくなってしまい、また戻ってしばらく見ることになってしまった。鏡に映る映像と、まるでプロジェクターの前を横切ったような陰の映像が流れる。しばらく見入った。
そこで時間切れ。まだ見ていない作品もある。また来ることにして会場を去った。
2/4
退社後、吉祥寺のライブハウス「曼荼羅」へ。「わがままな月」を見に行ったのだ。1月12日「青い部屋」でのライブ以後、かなり気になるバンドになったからだ。今回は録音させてもらおうとMDを持参した。入り口に「わがままな月」のふたりが並んで座っている。挨拶をしようとしたら、いきなりめぐろゆかさんに「受付は下です。」と言われて、階段を下りて入り口へ行く。その受付では「どのバンドをご覧に?」と聞かれて「わがままな月です。」と答えたら、「わがままな月は上で受付してください。」と言われた。それでまた階段を上がり、そこで割引券で入場させてもらった。めぐろゆかさんにはわたしの風貌が「わがままな月」を聞きに来たようには見えなかったのかしら。それとも「わがままな月」目当ての客がそんなにはいないと思っていたからなのか。
あらかじめライブを録音するのに一言断っておいた方がいいとのおのさんのアドバイスに従って、「今日のライブ、録音してもいいですか?」とめぐろゆかさんにそのときに尋ねた。「ああ、おのてつさんのおともだち?」と答えられた。おのさん、前もって言っておいてくれたのだ。感謝します。スタートの7時ごろ到着したためか、前の方しか椅子が空いていなくて、随分前の正面に座った。そうしたら、一つ目のバンドが始まる直前、おのさんも椅子を探して前の方に来て、偶然わたしの横に座ることになった。聞くのにも録音するのにもいい席だと思えばいいんだろうけれど、しかし一つ目のバンドは、なんというかもう少しお勉強しようよという感じのバンドで、バンドをまともに見ることができずに下を向いて聞いていた。だってユーミンのなんとかっていう昔の曲をなんのひねりもなしに歌うんですよ。二つ目のバンドはブルージーでうまかったけれど、わたしの趣味ではなかった。最後の曲の前まではちゃんと見ていられたし。でも最後の曲がね。だって「最後の曲はわたしが一番好きな曲『この素晴らしい世界に』です。」とかって言って、なあーんだルイ・アームストロングの"What a Wonderful World"をただ好きだから歌ったってことかよ、ってとこだったし。そんなわけで「わがままな月」の登場まで辛抱の時間となってしまった。
「わがままな月」は今日はふたりでのライブ。ちょっとハラハラするところもあったけれど、まあまあですね。「青い部屋」よりは「曼荼羅」の方が音がいいように思えるし。でもやはり全体的には前回の方がよかった。やっぱり三人での演奏の方がいいのだろう。5月4日にライブがあるようなので、そちらもまた録音させてもらおう。しかし5月4日はちょっと厳しいな。実は5/14〜5/26に個展を開催することに決まりましたもので。2/1はその会場の寸法計測と個展開催の打ち合わせをしたのでした。これが2/1の「まだ言われへん」ことでした。
「わがままな月」のライブ終了後、最後にもうひとつあったけれど、そこで帰らせてもらった。だってその前の二つのバンドを聞いたら、最後の人もどうだろうとかって少し考えてしまいまして。
2/1
今日は何をしたか。それはまだ言われへんな。
1/31
原美術館のパトリシア・ピッチニーニ「WE ARE FAMILY」へ。シリコンや人毛を使ったハイパーリアルな像によるインスタレーション。昨年のベネチア・ビエンナーレで「ゲーム・ボーイ・アドバンスド(ゲームに講じる老いた少年達)」を出展させたことでも有名なオーストラリアのアーティストの展覧会だ。出てきた形はかなり違うけれど、その元となっているものにはわたしの作品コンセプトをクリアにさせるものがあると感じる。そのためじっくり作品を楽しむことができた。
ピッチニーニが「生命体としての連続性」、「異種との共生」といったコンセプトを表現するために、ハイパーリアルであることが必要であると考えたことは理解はできるが、それはまた同時に危険なことでもあることを強く感じた。たとえば「幹細胞のある静物」では、観客のほとんどはハイパーリアルな少女像にばかり目をやっている。しかし作品は少女が「まるでほんものそっくり」であることを表現するためのものではなく、また人の皮膚と同じ表皮を持ち、小さな口腔を持ち、血管があり毛が生えている肉塊のような生命体のグロテスクさを見せたいわけではなく、少女がその生命体を抱いたり撫でたり優しく眺めているという、そこに漂う慈しみの空気を表現したいのではないのか。ほとんどの観客は少女像などに顔を近づけてその精巧な作りに感嘆しているが、作品の意図を理解するためには、少し離れて少女と生命体の関係性を眺めるべきなのではないかと思うのだ。
「若い家族」という作品で、豚とも人間ともつかない若い母親が横たわって子どもに授乳している作品は、その母親の足が「手のひらみたい」と感嘆したり、あまりにもリアルなので、立ち上がってきそうでドキドキしたとか、しまいには「こんなやつをペットで飼いたい。」(!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!)とか、そんなところでおしまいになってしまう危険性がある。そういった印象が、母親の持つ慈愛の眼差しや子どもの無防備なほどに無垢なところとかが、その奇異な容姿の由来(テクノロジーの生み出した新種の過程なのか失敗なのか)から来る漠然とした不安感とミックスされて、危うくささやかな幸福感を感じることを妨げやしまいか。
「皮の風景」はミアキャット(というかプレーリードッグというか)と人間の混じったような生物のコミュニティに人間の赤ん坊が歩み寄っているという作品だ。人間の赤ん坊はただの好奇心から屈託のない表情でその生物を笑みで見つめている。生物の方は人間の赤ん坊が敵ではないことを理解して近づこうとしているという図だ。ここには異種との遭遇と意思の疎通と共生が示唆されている。ここでわたしはジョン・ダワーの「容赦なき戦争」を思い出した。第二次大戦中の日米双方の敵国に対するイメージ操作に対する著作だ。敵のイメージを異種、野蛮で、狡猾でと作り上げ、動物にたとえる(当時日本人は当たり前だがサルにたとえられた)。「皮の風景」はそういうようにイメージされた他者との遭遇とコミュニケーションをも想起させる。そんなわけで、パトリシア・ピッチニーニはいろいろと考えさせられて、とても面白い展覧会だった。そういえばまだ高校生のとき、ごくごく初期のクローン動物を作る過程で、牛を使った実験で誕生した生命体が牛の形を成さずに死んでしまったというような(うろ覚えな記憶だが)記事を読んで、それなりの衝撃を受けたわたしは、日記にグロテスクで不定形な肉塊の絵を描いたことがあった。そんなことも思い出した。
そこから銀座に戻りいくつかギャラリー巡り。ギャラリーKの杉浦大和さんとギャラリーb.TOKYOの横井山泰さんはかなり面白かった。注目していきたいところだ。
それからシネリーブル池袋で「地獄の黙示録 特別完全版」を見た。上映前にトークショーがあるとのことだったが、登場したのはフジテレビのなんとかという男性アナウンサーだった。朝の何とかテレビに出ているらしい(見てないので知らない)。なんでこの人なの?とか思ったけれど、大の映画好きで中高生のあたりから映画を見て、その感想などをノートに書き留めていたらしい。まあまともなお話でした。撮影秘話やらコッポラの狂気やらよくある話に加えて、ベトナム−アフガニスタン−イラクと続くアメリカの外交政策のある意味一貫した愚かさや、政府による情報操作といったあたりにまで触れて、まあまあ聞いて悪くはなかったな。
で、映画の方は。う〜ん。実は「地獄の黙示録」は断片的にしか見たことがなく、映画館で全部見るのは初めて。ハリウッド映画に慣れていないわたしは、前半のとにかく派手な戦闘シーンや流血シーンはかなり辛かった。以前の劇場公開版ではカットされていた、フレンチ・プランテーションのシーンは、確かにこれがなかったら映画がやや曖昧なものになっていただろうと想像される。それにこういった形で完全版へと再編集した意図については感嘆する。さらに当時商業ベースそのものの映画にこれだけのメッセージを注ぎ込もうとしていた熱意には驚異を抱く。でもね、確かに傑作ではあるけれど大傑作ってわけじゃないなって感じました。それにしてもイラク国内で今起こっているであろうことがまさにこの映画の中にも描かれていて、その寒々しいまでの狂気になんともやる場のなさを感じた。
1/30
退社後吉祥寺のギャラリー人に立ち寄る。エミコ・サワラギ・ギルバートの"Near Bay"。DMに載っていた本人の文章に興味を持っていた。9.11以降、アメリカのテロリズムに対する戦争行為によって撹乱され葛藤するエミコ・サワラギ・ギルバート自身の正義(観)を再構築するために訪れた、アメリカ西海岸の最西北端(シアトルの先)にあるアメリカ先住民のリザベーションであるニアベイで、ふと立ち寄ったダイナーのテーブルに敷いてあった紙にアメリカの地図があり、そこに失われたアメリカ先住民の数え切れない部族名が地図を覆うように書かれていて、ところどころ「リストは不完全」と注記されているのを見て、そのときの「深甚な衝撃」から制作された作品であるとのこと。作品はそのダイナーにあった地図をコピーし、それをチャコールペンシルで塗りつぶしたものだ。フロンティア・スピリットというかの国の「建国神話」が、広大な土地にかつて無数にあったそれらの部族を塗りつぶしていく過程であったことを告発しているような、あるいはフロッタージュで今はすでにない部族の痕跡を浮かび上がらせたような、そういったことを考えさせる作品になかなか足が動こうとしない。大きな作品が5点あり、その中の1点は真っ黒に塗りつぶされている。しばらくその作品に囲まれて、エミコ・サワラギ・ギルバートがなぜもとの地図さえも見えないほどに塗りつぶしているのかを考えていたら、ギャラリーからご説明いただいた。4点は連作で、真っ黒に塗りつぶされているのだけ別の作品ということになるのだそうだ。ああ、なるほど。
この作品についてはボブさんにメールで書いてみようかと思った。
1/29
今週にはいってからずっと体調が悪く、もう少しで風邪になる直前で留まっているという感じだった。それが昨日の午前中、2時間ほど職場にある広くて冷えるホールにじっと座っていることになり、すっかり体が冷え切ってしまい、それで一線を越えてしまったのだろう。頭痛、喉痛、寒気で「まじやばいっす」状態になり、健康管理室で体温を測らせてもらったら、37℃を超えていた。
わたしは平熱が35.5〜35.8℃で、ちょっとからだが重いなーと思うと、だいたい36℃半ばを超えている。なので、37℃台に乗ると、もうそれだけでアウトだと判断してしまう。それで午後早速早退させてもらった。家で床についたらまあ寝るわ寝るわ。夕食時に起きたくらいで12時間以上は寝てしまった。それだけ体調が悪かったのだろう。
が、これには裏がある。今日、三軒茶屋のグレープフルーツムーンでのハモンドブラザーズのライブに行きたいがため、前日に予防的にダウンしたのだ。狡猾!
とは言うものの、今朝起きたときにあった余剰エネルギーは通勤ですっかり使い果たし、マイナスになってしまった。席に着いたときには体調がそれほどよくはなく、見た目も緑色だったらしい。でも今日はハモンドブラザーズのライブだ。早退するわけにはいかない。昼休みにお昼寝をして午後には持ち直して、退社後三軒茶屋のグレープフルーツムーンに向かった。
結構早めに着いてしばらく一人待っていた。しばらくして受付のあたりでこちらに会釈をする女性がいた。え?もしかして山本佳子さん?でもおかしいなあ。彼女は今西宮に住んでいるはずだし。人違いかも知れないなと思っていたら、おのさんが挨拶しに行ったので、ようやく本人だとわかった。山本さんはクマイ商店のK'sグリーンで2〜3月に小品を展示するために、その搬入でちょうど東京に来ていたらしいのだ。ああ、そういうことだったんですかと納得。
わたしがもっている「Beans」という山本さんの作品のガラス玉は光の加減や見る方向で白、赤、紫、青、緑と変化する。それに気が付いたときには、その作品をずっと見続けることができるのを本当にうれしく思った。またどんな作品を展示してくれるのかとても楽しみだ。なので今山本さんに風邪をうつしてはいけないと、ちょっと距離を置かせてもらいました。ご無礼をお許しください。
そうこうするうちにだんだん来場者も増え、いよいよ会場もにぎやかになってきました。今日登場のメンバー(ハモンドブラザーズのスーさん?)のお友達なのか、2〜5歳程度のお子さんを連れてこられた方もいらっしゃり、どうなっていくのか興味もあるライブになった。
最初は「金色夜叉」。と、言ってもひとりのギターの弾き語りです。しかも超絶ブルース。テクニックもさることながら、それに加えてギタリストのアクションや恍惚をパロディ化してしまうところなど、ただ者ではないところを感じさせます。演奏を始めるときに(ひとりなのに)「さん、しっ。」とか掛け声をかけて始めるし。ブルージーなフレーズをノイジーにかき鳴らし、(自分で弾いているのに)「オーケー・カモン・ギター」とか言ったり。それになんとも歌詞の不思議な世界。「真冬のおじさんがステテコをはいて、カレー屋さんでカレーを食べる。あぁ〜っ。からぁ〜い。」とかっていうブルースなのだ。子どもたちも呆然。もしかしたらごくごく初期のブルースなんかはこんな歌詞もあったのかもしれないと思った。それにしても世の中まだまだすごい人たちがいるんだと感心してしまった。日比谷カタンを初めて見たときの衝撃にも近いものがあった。すこしお笑いが入っていますがね。
それで次のハモンドブラザーズの登場との合間にイトケンのDJ。「サインはV」や「ど根性ガエル」の主題歌とフランスあたりのトイポップを続けてかける。イトケンのルーツはこんなところにあったのかと納得させられる選曲だった。
そうこうするうちにいよいよハモンドブラザーズの出番となった。ピアノ、ハモンドオルガン、ベース、サックス、トロンボーン、ドラム、パーカッションという編成で、ラウンジ系ジャズという感じ。おのさんの守備範囲の広さを感じさせる。いい感じの軽快なノリだ。おのさん絡みの音楽のなかでわたしの好みとしては、おのさんのソロの次にハモンドブラザーズがお気に入りということになるだろう。ウェブ・サイトも立ち上げたし、次回のライブも決まったことだし、今後はコンスタントに活動していくのだろう。なかなか楽しみだ。
1/27
グレン・グールドのゴールドベルグが頭の中で響いている。もちろん、グールドの歌声付だ。
1/26
昨日の状態がまだ残っていて、やっとの思いで出勤。結構辛い時間を過ごした。
こんな体調ですが、次回の個展のスケジュールが正式に決まりそうです。
1/25
午前中は掃除と洗濯後、制作の準備を少々。
午後になって日比谷野音を目指して外出。"WORLD PEACE NOW 1.25"に参加するために。今回は「単独行動主義」でやらせてもらいました。
今回は集会に9.11の犠牲者の家族たちを中心にして作られたアメリカの反戦グループ(?)"PEACEFUL TOMORROWS"のメンバーが参加するということで、それにも興味があった。その"PEACEFUL TOMORROWS"のメンバーとして壇上に立った男性は、ルースという愛する女性を失ったらしい。彼女との日常の些細な思い出とともに生きているという悲痛さを語る彼は、その悲しみがアフガニスタンの子どもやイラクの父母にも及んでいることを知っている。彼あるいは"PEACEFUL TOMORROWS"には攻撃の犠牲になったアフガニスタンの、イラクの個々の人々が見えているのだ。それこそが戦争を否定する基本的な立脚点だ。ただね、そういった態度表明以上に、愛する女性ルースとの思い出の細部を語るのに多くを費やすことが、きっとアメリカ人には受け入れられやすいんだろうかなあ、なんて思ったんですけれど。それが一般的アメリカ人のよくある表現方法なのか、それとも犠牲者の家族でなくても、多くのアメリカ人が持っているであろう被害者意識の扉を開けるための方策なのか、そこらへんはわかりませんが。それはともかく、"PEACEFUL TOMORROWS"というグループ名は、マーティン・ルーサー・キング・Jrの演説の一節から取られたということを初めて知った。
それから「桃色ゲリラ」。彼女たちは去年の3月8日からずっとコンスタントに続けている。それに今度2月にイラクに行って、自分たちが反対していた戦争の実態をその目でじかに見て、それから当地のアーティストたちと交流してくるのだそうだ。そして帰国後、その成果をどこかで展覧会として報告したいとのことであった。こういった反戦運動に付いてまわる硬さとかとっつきにくさを、なんとか息苦しくなく開かれているようなイメージに変えようとしつつ、しかもしっかりと地道に行動しているところは本当に敬服する。真冬にわざわざ肌を露わにした衣装でアピールするのも、そういった柔らかいイメージを演出するという目的でもあるだろうが、そうやって自らの身体に対して負債を背負わせようとする態度表明でもあると思う。まあ彼女らはいかにも楽しげに笑顔でそれをやってはいるけれども。
集会が終わってパレード(デモ)開始となった。出発を待つ列の中から一緒に歩きやすい人たちを探してみる。4月にひとりで参加したときには、韓国・朝鮮の打楽器の人たちのところで一緒に歩いて心強かったので、今回も彼らを探した。短い時間では探せなかったが、かわりに沖縄の三線を持った人たちを見つけて、そこにちゃっかり入れさせてもらった。琉球音階と一緒に歩くのはとても気持ちよかった。
集会途中まで日差しもあって暖かかったのが、途中から太陽が雲に隠れて、最後の方はすっかり冷えたままベンチに座っていたため、冷えたままパレード(デモ)でいくら歩いても一層体が冷えていって、だんだん体を小さく固めるようにして歩いてしまった。たぶん踊ったりしながら歩いたら暖かくなっただろうが、桃色ゲリラにはなれないわたしにはそんなことできませんので。
パレード(デモ)は日比谷公園から新橋を通り、数寄屋橋交差点を渡り、東京駅を過ぎて日本橋近くの常盤橋公園で散開。体は冷えていてもそれなりの達成感があり、ほんのしばらく常盤橋公園に佇んだ。そこに渋沢栄一の銅像があるのは知らなかった。拝ませてもらった。それからとにかく熱いコーヒーでも飲みたくて、みんなが歩く方向についていったら東京駅に着いた。スタバがあったけれども混んでいて座る場所もない。体を温めたいが、座りたくもあり、八重洲地下街をさまよった。普通の喫茶店でもよかったが、どうも冷えた血流で動いている頭は「カフェ」を求めているようだった。きっと喫茶店では帽子やマフラーを取るべきだが、「カフェ」ではそのままの格好でいいだろうというような判断があったのかもしれない。どうにも「カフェ」は見つからず、諦めてすぐに電車に乗ろうと思い、途中のキオスクで温かい飲み物を買って、それを歩きながら飲みつつ丸の内線の改札を目指した。ほとんどふらふらの状態だった 。いったんは座れた電車も途中譲ったりして、帰宅するまでゆっくり座ることもできなかった。咳、鼻水が止まらず、夕食後もぐったりしていて、結局夜10時半ごろになってようやく復活した。そのころ復活してもねえ。なにもできないし。当初はパレード(デモ)終了後に時間があるだろうから、原美術館かうらわ美術館にでも行こうかと思っていたんですが、それはとんでもなく甘い考えでした。
次回は3月20日。世界規模のデモンストレーションとなるようです。日本ではこれからの情勢次第で大規模になるかもしれないし、抑制した(あるいは抑圧された)ものになるかもしれない。
1/22
職場に出入りしている業者さんのオフィスが赤坂から六本木に移ったとかで、用件の前にちょっと雑談で六本木の話を軽くする(社会人っぽい!)。
わたし:いやあ六本木って最近行ったことないですねえ。再開発以来(行ったこと)ないですよ。
先 方:じゃあ六本木ヒルズなんかもですか?そうですねえ。ああ、なんか映画館がすごく評判いいんですよ。音がいいそうですね。インターネットで予約ができるので、待たなくてもいいですし。・・・まあ映画ご興味あればの話ですが。
この「・・・」の間にわたしが考えたことというのは、「ああ、『ヴァージンシネマなんとか』ね。確かに設備的にはいいんでしょうねえ。でもわたしの好きそうな映画ってやってんのかなあ。六本木で映画って言ったらシネ・ヴィヴァンだよなー。古いかなあー古いよなー。」みたいなことでした。でも「・・・」は2秒はなかったと思います。
最近奥歯が疼くので歯医者でそれについて尋ねてみた。なんだか奥歯2、3本の付け根に悪いところがあり(レントゲン写真で暗い影の部分を見せて素人にもわかりやすい言葉で説明してくれるわけですね)、それをみんな治療するには3ヶ月かかり、完治できるかどうかもわからない。しかしここで治療を施しておけばあと10年はその歯はもつ、と言われました。今はそれほどひどくはないようだから、改めてしっかり腰をすえて治す覚悟ができてからいらっしゃいと言われて、今回はパスしました。そのとき「ああ、10年ね。じゃあ治そうかな。」って思いました。でも、同僚から「20年ローンで一戸建てを買った。」と聞いた時、「そんな20年なんて想像できないな。20年なんていうタイムスパンは想像の範囲を超えて怖く感じる。」と思いました。ここらへんにわたしが想像可能なタイムスパンの上限が見えてきます。
自民党が主催した「国際政治・外交論文コンテスト」の「総裁賞」受賞者の言葉。「現実を踏まえれば自衛隊のイラク派遣は必要。汗をかかない国は一人前と言えません。(中略)決して平和ではない世界の現実と向き合うことが大切だと思う。」
こういうこと言う人にとっては、この世界の中で「現実」ってのはたった一つしかないんだろうなー。でもこの場合の「現実を踏まえる」っていうのは「現実を追認する」っていうことではないのか?その踏まえたり向き合う現実というのはかの国のむき出しの暴力のことか?だったら行くべきは「イラク復興支援」ではなく、「グアンタナモ基地査察」ではないのか?でも確かにこういう「現実」は限られたものだ。すでにアフガニスタンはふたたび「忘れられた国」の定位置に戻りつつある。さらにサハラ以南のアフリカはあまり話題にされない。毎日何千人もエイズで死んでいるし、何百人というレベルで虐殺が起こったりしているのに。
ところでその「自由の大義を主導するという特別な召命を与えられた偉大な共和国」の現在の政権は宗教右派と軍部に主軸を置いている。マーガレット・アトウッドの「侍女の物語」の状況設定に酷似していないか?危険度がイエローからオレンジになり、ついにレッドになったとき、一体それが何の危険度なのか明らかになるのかもしれない。
明日はカジュアルデー&ノー残業デー。
1/21
「嫌な予感がしたから」ではない。ただただ「嫌だから」それを躊躇なく拒否する。と、いうことをわたしはときどきする。そんなわけでわたしは今日打ち合わせに欠席するため、午前中休暇をとってしまった。どうしても嫌いな人物二人と一緒にならなければならない打ち合わせがあり、その議題がとてもとても愚かしい内容だったからだ。この年になってもまだまだそんな態度を示すなんて、ちっぽけな奴でしょう?
今日は帰りにリブロに寄って本を買った。酒井啓子の「イラク 戦争と占領」とティツイアーノ・テルツァーニの「反戦の手紙」。ふと目に付いたから。酒井啓子氏はアジア経済研究所参事でイラク関連専門家として、よくニュースにも登場している。なんと酒井氏はわたしの夢に一回出てきたことがある。かなりマニアックな夢ではある。
本当は小説なんかも読みたいんですけどね。
1/17
寒い。雪も降るかもしれないそうだ。そのくらいだったら土曜でも午前中なら渋谷もあまり人出がないだろう。と、4年くらい前に渋谷のハンズでしか見つけられなかったアクリルケースを買いに出かけた。少し雪が風に舞っている。確かにあまり人がいなかったので気分よくセンター街を歩けた。でも結局そのあやふやな記憶にあったアクリルケースは、新宿でも池袋でも売っているやつだった。まあいいや。堀さん用の作品制作のために使おうと思っている。ケースを眺めているうちに新しい構想が浮かんだ。
それにしてもこんな寒い中、auが109の前で女の子にミニスカートはかせてキャンペーンしてるぞ。渋谷駅ビル内では同じauが女の子にパンツをはかせている。気温ではなく場所で衣装を選んでるな。今日は女の子たちには災難だ。いくらお金もらえるからって。
まあそんなことはどうでもいいのであって、今日外出した一番の目当てはかねこあーとぎゃらりーの川田祐子さんの個展だ。川田さんの作品は実物を見る機会を逸していて、VOCAでようやく拝見できたという感じだった。やはり実物は素晴らしかった。でもそれから個展に行くのはこれがまだ3回目だ。
一見、色彩が非常に豊かになったのと、はっきりとした構図があるという印象を持った。今回はスクラッチングが一切なく、ハッチングの技法の作品のみだった。その技法の選択とその意図について訊いてみたいところだった。しばらくして川田さんが来られて、もうひとり来場されている方から同じようなことを尋ねられて、それに答えられていた。それでだいたい疑問が解けました。スクラッチではうまく出てこない色彩についてもっと取り組みたい、構図も意識したいという意識の元、しばらくはハッチングをするとのことだ。それによって得られた経験をスクラッチングで活かすことになるかもしれないとのこと。なんだか今までのスクラッチングの時のファンの中にはあまりハッチングの作品を評価しない人もいるようだ。わたしにはハッチングで重ねていく明るい色を、その構図の中でどのようにして選択して組み合わせていっているかというのを見るのはなかなか興味ある。明るい色もとても鮮やかできれいだ。色彩同士の関係も面白く見られた。わたしは川田さんの意図が十分納得できるし、そうやっていろいろとチャレンジしていって、それが今後どういうようにひとつの作品の中に融合していくかとか、とても楽しみに思える。それから川田さんの話だと、キャンバスに白金箔を貼ってそこにグアッシュでハッチングしているとのこと。そうすると本来厚みがなく見える一本のストロークも浮き出て見えるという効果を狙ったのだそうだ。スクラッチングしているときの一本の線の深みが、ハッチングでも単なる軌跡ではなくひとつの存在としてそこに在ることができる。川田さんからいろいろと意図や技法について話を聞けてとても楽しかった。
そんな会話の途中、ふと芳名帳を見たら「辰野登恵子」の名前が。さっきの女性が?と二人でびっくり。でもイメージが全然違っていた。なんだか「一戸建てに住んでいる奥様」という感じのイメージだったので。
自分の個展のときも友人知人の個展のときも気になることがある。せっかく来てくれた友人知人なので、話をしていると、会場の広さにもよるが、そのぶん場所をとってしまい、他に来ていただいている方たちの邪魔になってしまうことだ。今回も川田さんと話が弾んだのはいいものの、他に来られた方たちの鑑賞の邪魔になったのではないかと少し反省。そこらへんどうしたものだろう。
それからいくつか回ってギャラリー福山へ栗本佳典さんが参加している木版画4人展を見に行った。栗本さんもご在廊。栗本さんのアクリル画が展示されていて驚く。でも発表はしていないものの、自宅ではよく描いているとのこと。今年の終わりごろにはアクリル画の個展もするのだそうだ。やはり木版に近い印象はあるけれども、木版とは違う色使いもあり興味あるところだ。しばし栗本さんと並んで座って作品を眺めながら歓談をする。栗本さんの木版画は線の繊細さもあるが、面の強さもあり、いつも楽しく拝見させてもらっている。それから木版もやってみたいと思わせられる。
今日は寒い中外出したが、川田さんと栗本さんとお話できてとても有意義だった。技法や意図などお話を聞けるとなかなか参考になるし刺激も受けるし知識も増える。
夜も遅くなり、街燈に大粒の雪が照らされている。地面には積もっていない。静かな夜の雨や雪はしばらく眺めているのがとても心地よい。
1/16
金曜日は「カジュアルデー」でもあり「ノー残業デー」でもある。カジュアルデーはきちんと守っているが、ノー残業デーは守れていない。そして毎日がノー残業代デーではある。それでも隙を見てさっと退社させてもらった。夜暗くなってから堀正明さんの絵を見たかったからだ。
やっぱり行ってよかったと思った。明るいうちははっきり見えなかったのだが、暗くなると堀さんのタッチがはっきり見えるようになり、作品はまったく違って見えるのだ。より一層引き立てられた味を堪能するようにじっくりと拝見させていただいた。
それから世界堂に材料のケント紙のロールを買いに行く。が、最近使っているニューケントロールが在庫切れのようだ。取り寄せてもらうことにして店を出た。
新宿駅南口に上がる階段のところで若い男の子が拡声器を持って「自衛隊派遣に反対」と言っている。先遣隊が今夜出発するようだ。だが彼の主張はほとんど気にされていないようだ。あそこは路上ライブも何組かやっているし。自衛隊より音楽の方が楽しげだしね。
帰宅してテレビニュースを見たら、先遣隊は出発した後だった。
ある雑誌にriverbendのblog、Baghdad Burningの日本語翻訳版のサイトがオープンしたことが書かれていた。わたしとしては年々先細りの英語力では読み取れなかったニュアンスが理解できそうでうれしい。その雑誌によると欧米ではriverbendは「バグダッドのアンネ・フランク」と称されて注目を受けているようだ。
ところで「イラクの民主化」というイラク戦争の何番目かの理由についても、疑問符が付きそうだ。
独裁者であってもまがりなりにも「アラブ社会主義」を標榜していたバース党政権によって作られた国家は女性にもそれなりの権利を認めていたが、今後はそれらが否定される旧来のイスラム的な家族法が復活しそうなようだ。それについては欧米メディアはあまりカバーしていない(よって日本のメディアもカバーしていない)。Where is Raed ?、Baghdad Burning参照のこと。
1/15
朝日新聞朝刊に全面で「私たちは戦争に協力しません」の意見広告。暇なんだと思わないでいただきたいが、賛同者として連なっている名前にざっと目を通してみた。今回は学者、文筆業の人が多いように思えた。その名前の羅列の一部を太字にして、岡本太郎の「殺すな」の文字を作っている。見落としているのかもしれないが、イラク戦争当時は「殺すな隊」を作ってグループの先頭に立ってドラを叩いていた椹木野衣も、デモ行進中に主催者側のアナウンスの音声がうるさいとワゴン車のボンネットに上がって抗議したという松陰浩之も、自分らのデモ隊がはっきり目立つように前方の空間がきちんと空いるように速度の調整係をしていた堀浩哉だのの名前はない。中心になった人たちの中で見つけたのは小田マサノリの名前だけだった。彼のテキストにあったと思うのだが、「『殺すな』と言うためには『殺す』を言わなければならない」という言葉にはなかなか興味を持った。「殺すな隊」のデモ中の態度にとても後味の悪い印象を持ったのが、彼のテキストで少しだけれどもマイナス度が薄れた。小田マサノリのそれ以外のテキストも「現代思想」で何度か読んだ。彼はまだ続いているのだろう。だが他の人たちは?きっと彼らは忙しくてなかなか手を出せないのだろう。と、いうことにでもするか。
決して他人事ではない。疑わしい理由によって始められてしまった戦争に、わたしたちの税金が使われているのだ。わたしたちの手が汚れていないなどともはや言えまい。口を閉ざしていればつまりは賛同しているのと同じだ。わたしたちはすでに当事者なのだ。
1/13
そういえば今日は火曜日で、今週は出勤するのは4日間でした。ちょっと気が楽になったりして。
どうでもいいことですが、最近光沢系のルージュってありますよね。あれって時々思うんですよ。朝の電車の中で見たりすると、「この子、朝から油っこいもの食ったんか?」とかってね。あと、「あれ?よだれ?」とかって思ったときもあったし。すいません。おやじなんですね。あたしってば。
夕食後は堀さんとの物々交換のための作品について、いろいろと試してみた。む、難しい・・・。
1/12
今日は8時半前に起き上がる。朝食を摂って、簡単に掃除をしてから制作を始める。いいペースだ。
午後、ある程度進んだところで、壁に貼ってみて確かめてみる。う〜ん、ちょっと違うだろうって感じた。今度予定の空間に対する作品のサイズや切り取る大きさを再度検討してみる。まずはPC上で(って言っても
excelですけど)構成比を見てみて、実際に壁に印をつけてみてサイズを見てみる。まあこんなもんでいいだろうというサイズを見極める。切り取る大きさは今のではちょっと細かすぎる気がする。いつも制作の最初の段階はついつい小さく細かくなってしまう。今年に入ってから制作していたシートはそんなわけで使わないかもしれないけれど、それで一歩後退ではなく、先に一歩進んだような気がする。ちょうどタイミングのいいことに材料の紙がもう残っていないので、今度の土日あたりにまた世界堂に行って材料を購入することとしよう。
夜は「青い部屋」でおのてつ企画「名曲のアブラハム」に。わがままな月とMusic From The Marsが登場。おのさんがそれぞれのバンドの曲を一曲ピアノ用にアレンジして、それを弾いて紹介するというスタイルをとった。わがままな月は最初聞いたときから、なぜなのかとても好きになってしまったバンドだ。ボーカルのめぐろゆかさんが元非常階段だと聞いたからかもしれないし、メロディーや歌詞に結構ハマッタからかもしれない。なので今日おのさんの企画でまた久しぶりにわがままな月を聞くことができてうれしかった。で、あれ、ドラムがいないなーと思ったら、脱退して今では3人になってしまったんだとか。2月にはギターも抜けてふたりになっちゃうみたい。さびしいなぁ。そういうわけで今日はドラムなしのアコースティックバージョンで、じっくり聴かせてもらいました。ドライブ感がないのはちょっと残念だったけれど、それ以上にメロディーの美しさがはっきり聞こえてきて、一層好きになってしまった。新しいCDを早く出してほしいです。お願いします。
そうこうするうちに戸川昌子先生がご登場です。「エディット・ピアフの部屋」(エディット・ピアフの写真が何枚も貼られたガラス窓越しの別室)にお入りになりました。ライブの客の前を通るときに「ごめんなさーい。」とおっしゃりながらお通りになりましたが、そのお声はまさに「あなたーのもえるてでー」のあのお声だったのには感激でした。やっぱりその存在感たるやもうあなた・・・。
Music From The Marsは省略させていただきます。まあよかったんですが、わがままな月の感動の方が大きかったので。
明日からまた仕事だ。今度はしっかり五日間ある。つらいのぉー。わたしも村上龍の「13歳からのハローワーク」でも読んで考えようかしら。
1/11
緊張感がないからか切迫していないからか、どうも朝しっかり起きられない。前だったら制作でどんなに夜更かししていても、8時半前には起き上がり、新聞を読みつつ「新日曜美術館」を見つつ朝食を摂っていたというのに、今日は布団の中で半分ウトウトしながら「新日曜美術館」を見ていた。
そんなわけで11時過ぎくらいから制作に着手。後で気がついたが、イラク自衛隊派遣に反対して、今日の午後1時11分に音を出すというイベントがあったはずだった。たぶんそのときはovalprocessをかけながら制作していたはずだ。一応その時間には音を出していたということにしてもらいたい。
制作中にドアのベルが鳴る。わたしはいつも居留守を使いますんで、用事のある方は前もってお電話ください。で、電話も一回かかってきた。
−はい。
−こちら○○の××と申しますが、ご主人様はいらっしゃいますでしょうか。
(う〜ん、知らない人からだ。間違い電話か?)
−はい?
−こちら○○の××と申しますが、ご主人様はいらっしゃいますでしょうか。
(ご主人?わたしの場合、わたしはご主人なのか?えーっと、どう答えたらいいんだろう・・・)
−えー。ご用件は?
−お子様でしょうか?
(まあわたしも一応、人の子だよなー。)
−あ、はい。
−お父様かお母様はご在宅でしょうか?
(まあ両親とは一緒に暮らしてないからなー。)
−あ、いいえ。
−失礼しました。ではまた後ほどお電話いたします。
○○という会社名から推測するに、売りマンションの勧誘の電話だったんだろうな。こういうケースではわたしはだいたい「お子様」で通しています。声が若くてよかった。それにしてもどうやってこういう会社は電話番号を知るんだろう。「△◇さんのお宅でしょうか?」などと電話をしてこないから、ランダムにかけているのか。
シネ・ラ・セットのレイトショーで、マイケル・ウィンターボトムの「イン・ディス・ワールド」を見る。
前から3列目に座ったが、ちょうど前に、絶対深く座って頭がスクリーンの邪魔をしそうな人が座ったので、最前列に座りなおした。マイケル・ウィンターボトムは今までつまみ食いみたいに見ている。「バタフライ・キス」と「ウェルカム・トゥー・サラエボ」だ。気になる映画監督のひとりなのだが、なぜかところどころ抜かしてしまっている。今回の映画もまたすごい映画だった。パキスタンにあるアフガニスタン難民キャンプから延々陸路でロンドンまで不法な旅をする少年の話だ。手持ちのDVで撮ったために、映像はぼやけていたりざらついていて、臨場感などというレベルではなく、ほとんどその少年とともに過酷な旅を続けているような気持ちになるほどだった。夜のイラン−トルコ国境の夜の山越えなど、暗視カメラで見ているような感じで、かなり緊張して見ていた。まさにフィクションと現実の境界のような、そんな映像だった。それはやはり脚本が優れているということの現われでもあると思う。
ところで銀座シネ・ラ・セットは今月末で閉館なんですって。驚き。シネ・カノンのHPにはそこらへんのことはまだ書かれていません。銀座シネ・ラ・セットの廊下の壁に、「さようなら銀座シネ・ラ・セット特集」っていうチラシがぽつんと貼ってあるだけです。シネ・カノンの経営状態とか、映画館維持が困難だとか、そういう理由ではないと思うけれど。たとえばビルの取り壊しとかそんなあたりかな。そういえば有楽町駅前の再開発って話があったな。
1/10
マキイマサルファインアーツで堀正明さんの鉛筆画。堀さんとはちょうど3年前にわたしがおのさんと二階のSの方で二人展をした時に、三階で個展をされていて、それ以来、東京で個展、グループ展のあるときは拝見させていただいている。堀さんの鉛筆画は室内の窓やカーテンを描いていて、とても内省的。その部屋の雰囲気や気配、冷ややかな冬の冷気がそこから醸し出されている。個展会場で絵画と会話をしても、しきれないほどのささやきがそこにあるように感じられる。今日は堀さんも会場にいらっしゃったので、一通り拝見してから少しお話をさせていただく。わたしは堀さんの作品について尋ね、堀さんはわたしの作品について尋ねる。特に緊張するわけではないけれども、自分が今後制作し続けるためには、堀さんの作品に対する姿勢や人となりはとても参考になるように思えるので、しっかりと聞きたいと思う。会話が途切れないように、常に何か話題を出されるところは本当の大人だなあと感心する。静かな語り口からすると意外だが、堀さんは割りと若者たちとわいわい語り合うのがお好きらしい。そういう開かれたところはわたしも見習わなきゃ。
以前から堀さんが小品を作られたら、ぜひ手元に置いてずっと見ていたいと思っていた。今回小品を描かれて、そのなかでとても心に留まった作品があったので、それを購入させていただくことにした。が、堀さんは「作品の交換ということにしましょう。」とおっしゃられた。ええ〜!滅相もない。そんな堀さんの作品と引き換えにできるほどのクオリティーはわたしには出せません。と何度か申し上げたが、堀さんは絶対言質を変えることはなかった。堀さんの作品を手元におけるという喜びと、堀さんがわたしの作品を手元に置いてもいいと思っていただけることの光栄さ。それと堀さんの作品に見合うものを作らなければならないというプレッシャー。それらが複雑に入り混じっている。大変なことになってしまった。
日曜、月曜は日中はこの間手をつけた大きな紙に取り組む予定。
1/8
今朝、駅前のポストにハガキを投函しなければならないのを、あまりの寒さにすっかり忘れてしまった。
最近はわりかし普通にまじめに仕事してます。
突然思いついたNEW YEAR'S RESOLUTION。以下の通りです。
小熊英二の著作3冊「単一民族神話の起源 〈日本人〉の自画像の系譜」、「〈日本人〉の境界 沖縄・アイヌ・台湾・朝鮮植民地支配から復帰運動まで」、「〈民主〉と〈愛国〉 戦後日本のナショナリズムと公共性」を読むこと。エドワード・サイードの「オリエンタリズム」を最後まで読むこと。以上。
あれ?アートは?もっと生活に関係したことは?なーんにも思いつかなかった。アートは生活そのものであり、それは新年に抱負など立てるようなものではない。ってことにしてお願い。
1/5
仕事始めの日。なぜかとても疲れた。それからとても眠かった。どうやら職場はわたしを眠くさせるような空気を持っているようだ。年始の挨拶をして歩くうちに、やはりすぐに喉が疲れて声が枯れ始めた。
帰りにユーロスペースによって「息子のまなざし」を見た。ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌの映画は「イゴールの約束」、「ロゼッタ」と見てきたが、ドキュメンタリー風な撮り方と、決して物語をきれいに完結させない作り方がとても興味を惹かれる。元々ドキュメンタリー畑の人たちだったらしく、相変わらず音楽もないし、手持ちのカメラで主に主人公の背後から状況を伝えるようなカット割りになっている。そして今度の映画の終わり方は驚かされた。まるでここに出された映像は今まで続いてきた、そしてこれからも続いていく生活のある一部分のみを切り取ったものでしかないというような終わり方だった。映画として終わった後のそれからの物語は観客が建てていかなければならない。ダルデンヌ兄弟の映像は寒々しく、そしてざらついた空気を感じさせる。そのヒリヒリした感覚にわたしは無性に惹かれる。
バグダッドの大晦日がどんなだったか知りたいでしょう?英語ですけど読んでみてください。
すみません。アルヴォ・ペルトのALINAを聞いて「癒されて」います。
1/4
と、いうことで掃除終了後、久しぶりに大きな紙を切り始めた。やっぱり大きなものは小品とは違う神経を使う。「最近の絵描きがやたら大きい絵を描き過ぎるのは自信がない証拠だ。」と、トーキョーワンダーウォールの評であの暴言都知事が言ったようだが・・・と、この話は長くなるのでやめる。
今までは机の上で切っていたが、今日は床に敷いて切ってみた。だからといって結果的に見違えるほどの変化をもたらすわけでもなく、ほとんど同じに見えるだろうが。
今日も結局人と話をしなかった。そういえば年末年始の間、人と目を合わせることもあまりなかった。明日の職場がやっぱり不安だ。えら呼吸から肺呼吸(あるいはその反対)に変えるほどの意識がある。それだけの違いがあるからこそ、職場ではあまりわたし自身の活動についてむやみに触れられたくないのだが。
1/3
ユーロスペースで「息子のまなざし」を見ようと、朝、急遽決めて出かけていった。開始15分前に到着した。なかなかいい時間だと思ったのに、どうやら初回はすでに座れないらしい。次回以降だったら座れるらしいが。と、いうようなやり取りをわたしの前に到着した人が窓口でやっている。それを聞きつけてわたしはそのまま帰ることにした。そしてどこにも立ち寄ることもなしに帰宅した。その後は制作。
なんだかとても眠くなり、早めに就寝。明日は比較的早く起きて部屋の掃除をして、大きく紙を切れるようなスペースを作ろう。
1/2
セバスチャン・サルガドを見に東京都写真美術館に。年始特別開館ということで今日からオープンしている。思ったより来場者が多そうだ。正月早々からサルガドを見に来る人たちってどんな人たちなんだろう。
わたしの場合、サルガドの写真で強く惹かれるのはその人物像だ。カメラに背を向けた少女の写真にしても、その少女がその時何を考えていたのか、もしかしたら歌を口ずさんでいたかもしれない。そんなことを考えながら、一枚一枚写真の中に入り込んでいく。シャッターが切られたその瞬間の彼ら彼女らの思いを想像する。カメラが向けられる前の、あるいはその後の彼ら彼女らの感情の不定形な塊を思い浮かべてみる。
サルガドの写真すべては、掴んだ端緒から気が遠くなるほどの物語が引きずり出てくるように思える。会場は4部構成になっていて、1部ずつ行っては戻りを繰り返しながら進んでいく。最後まで見て、また再び最初に戻って強く惹かれた写真の前に立ってみる。写真の中の人々が語り終わらないうちにその前から去ってしまったような気になってしまうからだ。
力強い生を抱いてカメラの方を向く表情や強いまなざしだけでなく、どんな表情を浮かべているのかとても気になる少女の後姿や、爪が割れて干からびた泥のついた素足が、わたしを引き留める。最後の方にあった難民の若い母親が腕の中の乳児を笑みを浮かべて眺めている写真には、神々しささえも感じた。きっとサルガドはそこにダ・ヴィンチやラファエロの聖母子像を重ねたのではないか。それにしても写真の中に子どもの姿があるとその子のことを思うようになる。もしかしたらミハルちゃんの印象が強く残っているからかもしれない。
サルガドの写真には構図や光の明暗を十分に考慮した跡が窺える。そういった技術を用いているのは、偶然現場に居合わせて撮られたドキュメンタリー写真ということではなく、サルガドがどういう意図を持ってその場所に行き、何を訴えるためにシャッターを切ったのかというところに明確に集約されていくように思える。
ところで「一般に遠隔の見知らぬ土地を表すのに用いる」という「トゥンブクトゥ」というマリ中央部の都市近郊の写真もあった。近くのファギビンヌ湖が干上がって砂漠化し、人々が村を見捨てていくのだというキャプションが付いていた。皮肉なことに本当に誰からも「遠隔の見知らぬ土地」になってしまうかもしれないのだ。
ようやく会場を出た時に疲労感を感じ始めた。2時間はその会場にいたのだ。その間3度くらいは場内アナウンスがあった。美術館の1階や2階のロビーで「ヘブン・アーティスト」のシャボン玉を使ったパフォーマンスやパントマイムとかチェロ演奏があるのをアナウンスしていたのだ。お正月とはいえ、サルガドですよ。会場のすぐ近くの2階ロビーってのはちょっと勘弁してほしかった。チェロ演奏の癒して進ぜようという曲は時々会場にも聞こえてきた。わたしは写真の中から聞こえてくるはずの呟きに耳を澄ましたかったのだ。
美術館を出て少し休みたくなった。しかし喫茶店に入ってもそこのBGMが気になるだろうからと、外のベンチで缶コーヒーを飲むことにした。4月上旬の気温だとかで、なんとも暖かでしばらく雲を見上げていた。きっといつまで見ていても見飽きないのは水面と雲だろう。そろそろ帰ろうと思ってしばらく歩いたら、まだ十分に回復していないことに気がついて、別のベンチに座りなおした。
恵比寿ガーデンプレイスも、普通の週末と変わらないくらいのなかなかの人手だ。いつのころからだろう。お正月に自宅でのんびりとしなくなってしまったのは。ってなことを考えながら人の流れを眺めていたら、そこに老夫婦が通り過ぎていった。さっきサルガドの会場で見た老夫婦だった。もしかしたら70代後半かもしれない、腰も曲がってちっちゃくなったご夫婦だった。じっと真剣に見ていられたので印象に残ったのだった。ご夫婦でお正月にサルガドをご覧になったのだ。いつまでもお元気でいらしてください。
渋谷で井の頭線に乗り換えて吉祥寺に出る。ギャラリー人は元旦から5日までコレクション展を開催している
。「初詣のお帰りに、ぜひお立ち寄りください。」とかって、わたしにとってはサルガド展が初詣みたいなもんだったのか(まあそうだろう)。それぞれ力のある作家たちの作品なので、何度見ても何周しても見飽きない。が、村田朋泰さんの映像はちらちら見るだけで勘弁させてもらった。
帰りは一旦荻窪に出てバスに乗ることにした。石神井公園駅まで乗らずに、途中の三宝池の手前(JAあおば前)で降りて、そこから歩くことにした。まあ15分から20分程度だろう。無性に歩きたかったのだ。その間サルガドの写真のことや自身の作品の構想など考えながら、でもきちんと順序だてて考えるわけでもなく、だんだん日が暮れていく気配の中を歩いていった。
ヤナーチェクのピアノ曲を聴く。「10ミニッツ・オールダー イデアの森」のイジー・メンツェルのパートで使われていたのだ。そこに出ていたチェコの老優ルドルフ・フルシンスキーの顔は憶えていた。メンツェルの映画にも出ていたが、遥か昔「東欧ファンタジック映画祭」なるものの中のチェコ映画でも登場していたことを思い出したのだ。そしてヤナーチェクのピアノ曲は「存在の耐えられない軽さ」で使われていたし。まあ少しはノスタルジーに浸ってもいいじゃないですか。
あ、今日は東京都写真美術館の窓口で「サルガド展を。」って言ったきり、何もしゃべっていないぞ。いや、大晦日に帰宅して以来、人に向けてしゃべった言葉は今のところこれだけだ。声帯を使っていないだけで、かなり言葉は使っているけれど。これは休み明けに少ししゃべっただけで声がかれるのが目に見えているな。
1/1
なんかぬるい。元旦はもっと寒いはずだぞ。やっぱり年々亜熱帯化しているんだろう。
「10ミニッツ・オールダー」のサントラとPAN SONIC関係者のノイズを聞きながら小品の制作をする。差し迫った個展の予定がないためか、こんなに緊張感のない元旦はここ何年も経験していない。と、いうか元旦に緊張感を持って自宅にこもっている人間はあまりいないのか。
タイトルは「マトリックス」の中で出て来るセリフらしいですね。実はわたしはこの映画をテレビでチ
ラチラとしか見ていないので、どこで出てくるのかよくわかりません。わたしはスラヴォイ・ジジェクによる
テロとその後の戦争について論じた文章のタイトルとして知ったのでした(現代思想臨時増刊「これは戦争か」より)。
なお、画像は島田雅彦の「ミス・サハラを探して」(KKベストセラーズ)
の中のチュニジアの砂漠の写真(撮影;中島誠)を無断借用しました。