イグチトシオがふと考えたこと、感じたことを書き留めておきます。念のために再度申し上げますが、見せたくない部分は書かず、こういう所を見てほしい、こう見られたいというところを書いています。


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2004年4月1日〜6月30日

6/29
 休暇をとった。いろいろな人から休暇を取ることを勧められていたので、スケジュール的に大丈夫であることを確認して休んだのだ。
 世田谷美術館の宮本隆司展に行った。世田谷美術館に行くのは3年ぶりくらいだ。途中の遊歩道でカタツムリを見つけた。もう子どものころからカタツムリを見ていないのに気がついて、少し立ち止まって観察をした。
 九龍城砦の写真集を持っていても、宮本のこれまでの仕事を知っていても、こうしてまとめて見るとさすがにまた違った面白さが見えてくる。じっくりと堪能したためか、部屋を出るとベンチに座りたくなるくらいに疲れていることに気がついた。
 美術館を出てから砧公園を散策した。木陰のベンチでしばらく横になってこもれびを目にしてみたり、風にそよぐ葉陰が移ろいゆくのを眺めていた。立ち去るのがもったいなくて、しばらくそこでボーっとしたり本を読んだりして時間をすごした。
 貴重な時間だった。

6/27
 川村記念美術館の中西夏之展へ。中西夏之が目当てではあるが、もうひとつの目当ては常設のロスコ・ルームだ。常設展示は印象派を軽く飛ばして早速ロスコ・ルームへ。まずは一通り部屋を回って見てから、次は椅子に座ってじっくり見ていく。冷房で体が冷え切ってしまっても、なかなか部屋を出て行く気になれない。もしかしたらロスコの作品との対話というだけではなく、ロスコの作品を通して自身と対話をしているのかもしれない。あるいは今回が今までで一番長く鑑賞していたかもしれない。
 一段落させてから二階に上がり、中西夏之を鑑賞する。大きな部屋全体が絵画とインスタレーションとでひとつの作品となっている。見ごたえのあるものだった。中西を見終えた後、再度ロスコ・ルームへ。もう一度作品と対峙した。ロスコの絵が一体どのくらい深いものなのか、今のわたしには計り知れない。ロスコの深さを実感できるほどの深さをわたしは持っていないのだろう。癒されたいということでは決してないのだが、今のわたしはロスコの静寂と深遠を求めているのだ。
 バスの時間まで少し時間があったので、遊歩道に足を伸ばした。アジサイ、オオガハス、ネムノキの花が美しかった。
 ふとひとつのプロジェクトを思いついた。たぶんこれからの一年はわたしにとっては結構大きな変化が生じるのではないかと思う。これからの一年、毎日小さいものではあるが一枚ずつその日々の色をパステルで置いていこうと思うのだ。365枚の色彩。たぶん発表はしないだろうけれど、その一枚一枚がわたしのなにかの発露であり、また何かのきっかけになるのではないかと思う。

6/26
 白楽の神奈川大学セレストギャラリーへ。駅を降りてから若者たちの後を付いていけば自然に大学に着くはずなのに、DMにある地図を見て、なぜかわざわざ近道だと思い込んだ道を選んだつもりだった。が、たぶん道を一本間違えたりしたのだろう。どこまで行ってもそれらしき建物など見えてこない。暑いわ湿気はあるわでギブアップしてタクシーを拾った。運転手さんに聞くとどうやら反対側に向かっていたらしい。それだけではない。帰りも駅までの徒歩13分の道がわからず、なんとなく歩いているうちにまた道に迷い、ギブアップしてコンビニに行って地図を見て、帰りも駅の反対方向に向かおうとしていたのに気がついた。いやはやなんともふがいないものだ。常に道に迷い、時として反対方向に向かってしまうというあたりは、もしかしたらわたしの生き方そのものを暗示しているなどと思ってしまった。
 展覧会自体は与那覇大智、田中宏美、たべけんぞうといったわたしが興味ある作家たちを中心に、見ごたえのあるものだった。与那覇さんは抽象時代の作品「光の匂ひ」四連作で、じっくりと時間をかけて鑑賞することができた。
 その後、表参道から新橋、銀座、京橋とギャラリー巡りをした。OPAで藤波さんとしばらく談話。自分の個展から一ヶ月が経っているのがなんだか懐かしい気がする。それから表参道画廊の神谷徹さん。去年の府中市美術館「ゾーン」展でかなり注目した作家だ。期待以上ではなかったけれど、まあそれなりによかった。それからマキイマサルファインアーツで榊原勝敏さん。あいかわらず過剰系のエネルギッシュな絵画だ。素晴らしいです。湧き上がってくるものをそのまま引き出してくる力を榊原さんは持っている。うらやましいところだ。

6/22
 職場のメンタルヘルスということで、カウンセリングというものを初めて受けた。「とにかく言いたいことを吐き出してください。」と、一体どういう方向に持っていかれるのだろうかと用心深く言葉を選んでいるわたしに向かって促しの言葉。でもストレス源のことをしゃべると、胃が痛くなるのですよ。実際にそのときも痛くなってお腹を押さえながら話した。
 どうも最終的にはストレス源と直接対峙して言いたいことを言うような段階に持っていくという結末を想定しているらしい。それだけは勘弁して欲しい。自分の感情すら自分で処理できずに周囲に当り散らすような人物に、そんな高度な人間関係が作れるわけがない。と、拒否するわたしに向かって、「今は体力的にも落ちているので難しいと思ってしまうかもしれませんが。」との回答。「とにかく栄養のあるものを食べて体力を付けて、それから。」という助言をいただいた。確かに食欲が落ちて栄養不足のためか、目の下の隈がずっと取れないままだ。きっと今はやつれて見えるだろう。痩せたというよりは。

6/20
 暑い一日だった。今日は故あって吉祥寺・三鷹界隈を歩いた。
 帰りにギャラリー人の田端麻子さん。以前Oギャラリーで見たとき、可愛さと不気味さの混じった不思議な絵に惹かれたものだ。今回は不安な心象も加味されて、なかなかいい感じだ。それにしても100万円の絵が売れている。やはり熱狂的な(コアな)ファンがいるんだろうな。もしかして現代美術にも「市場」というものが存在していたのか?

6/19
 渋谷駅を降りてユーロスペースへと向かう歩道橋の袂で、「ビッグ・イッシュー日本版」を売っている男性を見つけた。新聞やテレビで紹介されているのを見たことがある。「ビッグ・イッシュー」はホームレスの人が街頭で販売し、収入を得ることで自立を応援するという雑誌で、去年あたりから日本版が発売され始めたものだ。しかし今まで一回しか出会ってことがなかった。今日、ついに買うことができた。200円を渡したときのその男性の手のひらが思ったよりやわらかかったのが印象的だった。雑誌はカラーで写真がふんだんに使われていて、内容は音楽、映画からパレスチナ問題、護身術あたりまで多様で、普通に読める雑誌だった。今後も見つけたら購入することにしよう。
 映画は「心の羽根」。夫とまだまだ小さな息子との三人で平和でのどかな暮らしをしていた母親が、突然愛する息子を失って精神的に破綻してしまったのが、森でひとりバードウォッチングをしたりマスターベーションをしたりする孤独な少年との交流を通して快復していくという過程を描いている。アントワープ郊外の林や畑や池が美しくもあり寒々しくもある。主人公の母親の心象風景そのままだ。ベルギーもなかなかいい映画が出てくるところだ。
 でもまだこのご時世にボカシですよ。この映画では少年が林の中でマスターベーションするときの「おかず」のエロ本のグラビアにまでご丁寧にボカシが入っている。そして母親が一回だけの少年との逢瀬で、恥らいながら下着を脱いで少年に近づいたときの、少年の驚きのような感嘆のような視線の先に、ボカシが入っているのだ。
 昔はわたしにとってボカシは冷笑の対象だった。だが、表現をする立場になってからは怒りを感じるようになった。たとえば自分の作品が「規制」に反しているからと、一部を切り取られるようなことを想像すればいい。そんな暴力は耐えられない。そもそもボカシて隠さなければならないようなモノを私たちは身体の一部として持っているというのか。
 銀座に出てギャラリー覚の久保恵理子さんへ。青い霞のような色彩の中に、形を表現しているわけでもなさそうな、色を置いているような不思議な連なりや塊が見える。ご本人がいらしたのでそこを尋ねてみようかと迷ったが、結局聞くこともなく帰ってしまった。でも疑問はあったとしても、あの青や深紅色は好きなのだ。もう少し小さい作品が出たら入手したいものだと思っている。

6/13
 亀有のGallery Barcoで、柴田有子さん。今回は女の子と猫がテーマ。白地に水色のワンピースで青い髪の毛の女の子とこげ茶の猫というシリーズがとてもきれいな構成でいいなと思った。でも全部売約済み。わたしはポストカードを買わせていただきました。
 最近本を読んでいても、あまり頭の中に入ってこない。電車の中では常に本を読んでいたのだが、最近はボーっとすることが多くなった。これって集中力が欠け始めたってこと?病状のひとつ?やばいな。

6/12
 目黒区美術館の小林孝亘展。初期の残酷なまでの日差しの中で固く身を閉ざす潜水艦から、柔らかいこもれ日に包まれていくという過程が見て取れる。作品数はかなり絞込み、余白を使って大きく見せているところがとても心地よかった。
 その後OPAに立ち寄り、受注のあった小品を納品した。結構長い持間、藤波さんと話をした。加藤休ミさんのポストカード購入。
 それから中野で大塚ゆか子さん。中野サンプラザが10年以内に取り壊されるのだということで、今回は「まちこちゃんと中野サンプラザ」が中心となっている。短い時間で必死に描いたそうですが、相変わらずしっかり描いています。個人的には夜景のバージョンが好きだな。
 ソニック・ユースの新譜「ソニック・ナース」。ニューヨーク・トリロジーの最終作。ポップなメロディーとノイズは相変わらず。

6/10
 いよいよ胃内視鏡検査の日だ。最近は胃がそれほどの自己主張をしていない。もしかしたらたいした結果は出ないのではないか。なんて、「病気ではない」ということになってしまうのを恐れている。
 自身ではそれほど感じないのに、やはり初めての内視鏡検査だということで緊張しているようだ。名前を呼ばれて検査する部屋に入って、ベッドに座らされて、まずは喉にスプレーで麻酔薬を吹き付ける。
 いゃー、これはきついわー。噴霧された液が口の中に残る。「あのこれって飲み込んでもいいんでしょうか。」なんて聞いてしまった。
 「ええ、飲み込んでも大丈夫ですよ。」と答えられてしまった。で、飲み込んだ。げー。こりゃひどいわ。と思って正面を向いたらスプレーが待ち構えている。二度目の噴霧だ。一気に気分が悪くなる。看護士さんがティッシュを用意してくれる。「吐き出してもいいですよ。」今度は吐き出した。嘔吐感が止まらない。それから横になり、血管注射で精神安定剤だとかなんだとかを注入。それからすっかり意識がボーっとなった。指先で脈拍を測っているので、内視鏡を入れる頃合がわかるのだろう。早速ぐいぐいと入れていく。ボーっとした意識でそれを感じる。画像を見せられながら説明を聞くが、ボーっとしていてわかったようなわからないような。
 内視鏡が取り出されて、別室のベッドに連れられていくが、やはりボーっとしているので、手を引かれるようにしてたどり着く。その後の30分は起きているんだか夢を見ているんだか判然としない感覚だった。普段、薬は一向に効かないのに、麻酔とかはよく効く体質みたいだ。
 30分くらい経って意識がはっきりしたところで、診断結果を聞く。症状は胃炎と食道炎だとのことだ。それで2週間分の薬をもらい、2週間経ったところでまた薬を出してもらうようにと、しばらくは薬を飲み続けることになった。
 胃潰瘍ではなかった。本来だったらこれで安心すべきなんだろうけれど。ただ病気は病気だし、原因は原因なので、職場では一応しかるべきルートで報告はした。職場のメンタルヘルスということで、何がしかの動きが始まったらしい。
 さて、TV-CFの撮影用に作品を貸し出したのが今日帰ってきた。なんだかクライアント(化粧品会社)に好評だったらしい。まだまだ未定ではあるが、この化粧品会社のパンフレットなどに使われる可能性もあるとのこと。角質層が剥がれているイメージではなく、アセテートフィルムの光沢が細胞とかその瑞々しさとかのイメージにぴったりなんだとか。本当はあんなにピカピカ光るなんて想像していなかったから、そこらへんは予定外だったんでねー。
 TV-CFができたら、ビデオをもらえることになっている。それから撮影風景のスナップなんかももらえることになっている。もらえたらホームページにアップしたいと思う。  

6/9
 明日はいよいよ胃内視鏡検査の日だ。なのに今週に入ってから胃痛が弱まってきている。もしかしたら連日打ち合わせが続き、ストレス源とそれほど顔を合わせていないからか?
 クリニックからもらった内視鏡検査前日の注意書に「20時を過ぎたら、食べたりしないで下さい。」とあった。今日は午後6時前から打ち合わせが始まり、結局9時過ぎに終わった。10時前に退社。そんなわけで今夜は何も食べちゃいけないんだ。まあ仕方ないか。

6/5
 昨日、OPAの藤波さんから連絡が入った件で、詳細をお聞きするためにギャラリーに伺った。なんだか近所に住んでいる高名なイラストレーターでありアートディレクターでもある方から、キューブの作品(小)を合計6つ注文があり、さらにその方から紹介されたTV-CF製作会社がスキンケアの化粧品の文字バックに使いたいというオファーがあったのだそうだ。作品がきれいだからなのか、角質層がはがれてしまっているというイメージとして使いたいのか。それはどちらでもいい。「業界」がわたしの作品をどう料理するのか、それを見てみたいという好奇心がある。ギャランティーはあまり気にならない。
 その後代々木八幡のGalerie sur-mursに行った。そこで個展を開いているのが、わたしの個展にいらした白倉美奈子さんなのだ。いろいろとお話をしていく間に、光と影(特に影)、色彩に対する姿勢がとても共通しているのにふたりして気がついた。お話をしていてなかなか楽しかった。元々白倉美奈子さんにわたしの個展を紹介されたのは繁田直美さんで、繁田さんの洞察力には感謝したい。ガラスという素材も少し興味を持った。
 その後、銀座に行き、そこから谷中のK's Greenへ。千葉祥子さんのご自宅の内装の土壁をされた 村尾佳州子さんの土を使った作品の展示だ。土の温かみを感じさせるなかなかの展示だった。
 千葉さんとはわたしの近況についてが話題になったが、今までどう抜け出すかを考えてばかりだったのだが、今日はむしろこれからどういうように新しい展開へ進んでゆくかというような話になり、少し明るい展望を見ることができた。千葉さん、備前さん、いろいろとアドバイスありがとうございます。
 一旦帰宅後、江古田のライブハウスへ。「わがままな月」と「遅れてきた青年」のライブに行った。「わがままな月」は録音させてもらった。が!!!!!!!!!!!!!!!!!!。帰宅してから操作ミスですっかり消してしまいました!!!!!!!!!!!!!!!。めぐろゆかさんごめんなさい。
 デジタルって怖い。ボタンの操作ミスで何もなかったことになってしまうんだもの。っていうか、気にせずにどんどんボタンを押してしまった自分も怖い。あー、残念残念。今回がギターとボーカルのデュオだったのに。

6/4
 せっかくの金曜だから帰りにどこかに寄ろうと思い、ギャラリー・エスの工藤春香さんを見に行った。DMを見て気になっていたからだ。少女がひざを折り丸くうつぶせになっている絵だ。DMでは影だと思っていたのが、赤い色だった。経血?初潮?いや腕をひざの中に入れているということはリストカット?プレーンな色彩の中でその赤がとても生々しい。ファイルを見ると、リアリズムの風景の中にブラジャーが浮かんでいたりする絵がある。なんとなく女性性というよりは少女性といったあたりが強く印象に残る。しばらく追ってみたい作家さんだ。
 その後新宿のタワーレコードのアバンギャルドコーナーに行く。そこで携帯に話とメールが入っているのに気がついた。OPAの藤波さんからだった。なんだかいろいろと新たな展開があったらしい。お電話をして、明日お伺いすることにした。
 GLENN BRANCAとDAVID TOOPとMOTIONというのを買った。フランスのコーナーに行ったら、なんと「ジュリー・デルピーが歌手デビュー!」。すごく迷ったがしばらくそのまま迷うことにして買わないでおいた。

6/3
 胃痛が続くので、ついに今日帰りに職場の近くのクリニックに寄った。すぐに結果がわかるものと思っていたら、問診と触診で今日はおしまい。来週胃内視鏡検査をすることになった。「胃潰瘍の疑い」があるとか。 胃潰瘍じゃなかったら、じゃあなんなのこの痛みはってところなんですが。
 胃カメラって生まれて初めてだ。
 個展が終わってからはこの胃痛とそれの原因のことで頭が一杯。この状態から抜け出したくて、もっともっと決定的な病気になれないかと考えたりもする。そうすれば病欠で堂々と脱出だから。胃痛でだめなら心療内科でどうだ、なんてことも考える。そんなことを考え出していることこそが心療内科マターの第一歩のようにも思える。そんなわけですべてが心から楽しめない。きっと愛想も悪いだろう。それでも職場では「イグチさん、今日お昼食べましたか?」と聞いてくれる人もいる。今日は「牛乳とサンドウィッチ」だった。おとといと昨日は「牛乳(小パック)。」
 胃が痛覚を利用して自己主張しているみたいだ。「わたしはここにいるぞ。」と。

6/2
 携帯にメッセージが入っていた。でも何語なのかわからない。東アジアではなさそうだ。東南アジアか南アジアか南の方の印象もある。この人は何を伝えたかったのだろう。ポール・オースターの小説めいたことは起こらないだろうが。

5/30
 なんともゆっくりした一日の始まりなのだろう。個展会場に行く必要はなし、制作をするわけでもなし。ゆっくりと部屋の気になるところ(だけ)を整理したり、新聞、雑誌を読んでいるうちにお昼になった。
 たぶん午後一番暑い時を選んでしまったのだろう。2時半ごろ自転車で善福寺公園に行った。「西荻まちメディア2004野外アート展」に行ったのだ。高島亮三のジンネル(犬小屋住宅)や松本恭吾のピンホールで景色を見せる小さな箱(人が入れる)など、結構楽しめるものがあった。しかし残念なことにトーマス・ビールが作った木彫の鳥と地雷の作品を持って帰ってしまった人がいるらしい。野外展示でこういうことも考えなければならないのはとても不幸なことだ。
 作品を見て池の周りを歩いているうちに、作品を接写で撮影している女性がいて、目が合ったら笑ってくれたので、思い切って話しかけてみた。やはりその作品の作家であるリンダ・デニスさんだった。オーストラリア出身で今は東京に4年くらい住んでいて大学院生であるらしい。彼女の作品は女の子がよくやる「せっせっせーのよいよいよい」でお互いに手を使う遊びを、おもちゃのハンマー(聞かなかったけどあの音はそうだと思うんだよな)を仕込んだような大きなボタンを押すことで再現するような作品だった。下のほうにあるボタンは犬が噛み付いたとか、子どもが土で汚れた手で触るから汚れちゃっただとか、善福寺公園はとてもいい雰囲気だから近くに住みたいとか、まあそんな話をしてくれた。あー、もっと英語をブラッシュアップしないと、作家らしく作品の意図を聞いたりとか、「面白いですいね」以上の感想が言えないですよねー。
 それにしても今日は暑かった。30度を越えたらしい。梅雨を通り越して夏ですか。

5/29
 3週間ぶりくらいの画廊めぐりで、懐かしいような気もする。
 かねこ・あーとで浜田浄さんの平面。川田祐子さんのときに小品展が同時開催だったので、作品は以前にも拝見している。今日はご本人がいらして、いろいろとお話をお聞きすることができた。20年前の鉛筆で塗りこんでいった作品と、最近の塗りこんだ絵具を彫るという作品と、両方が展示されている。どちらも行為の蓄積が示されていて、一方は加える方向に、もう一方は減らす方向に表現されているということを面白くお聞きした。最近平面に対してとみに興味を抱くようになってきているのが、今日の浜田さんのお話でそれがより一層強くなった気がする。
 そのうちに、Kさんが登場。この間の個展を評価してくれた。うれしかった。
 川田祐子さんの作品集を購入した。自費出版とのことだったが、しっかり作っていてしかもとても安価だ。大変な作業だっただろう。川田さんの作品をじっくり見られるようになったことに感謝したい。が、やはり本物を見たい。
 その後、京橋銀座を軽く巡り、表参道へ。まずはギャラリーGANの本田健。相変わらず静謐な森の絵だ。彼の作品はやはりしっかり作品と対峙して、彼の描いた森の木々や小川の流れや描いている彼自身と対話するように鑑賞したい。が、だね。なんなんでしょう。ギャラリーの中を歩きまわる若者がいるのですよ。作品を見ている時間より床や壁を見ている時間が長く、せわしなく歩きまわっているのですよ。あれはなんだったんだろう。
 ワイスワイスカフェというところでおのてつさんと待ち合わせをして、小野憲一さんの作品を眺めながら話をする。どうもわたしの近況話になってしまう。つまらない話なので本当に申し訳ない。だがこれで結構ストレス解消になったりするのだ。お許しください。その後、小野憲一さんも登場し、三人で引き続きアートや音楽、あるいは信条に近い話にまでも展開する。こんな話はあまりしないだろうなという、結構シリアスではあるが面白い、とても充実した時間を過ごさせてもらった。全体で2時間半くらいはそこで話をしていたか。
 小野憲一さんの話は、いかに自分の枠、「等身大のもの」を超えたものを作り出していこうとするかという、アーティストとして貪欲なまでの「意識」みたいなものを持って作り続けていくということだった。たしかにわたしにとっても等身大のレベルで制作をしている現在から、それを越えたものを作って飛躍するということは重要ではあるが、でも正直なところ、わたしはまだまだ等身大であれ、なんとか美術作品らしきものを作れるようになったというレベルでしかないと思うのだ。この間、小野さんとはアーティストとは「趣味」や「職業」ではなく「業」のようなものだという話をしたが、さすがに小野さんはわたしのレベルから遥か先の方にいる。だからといってわたしもここにこのまま立ち止まっているわけにはいかない。これからは浮かんできたイメージの、さらに先に分け入るような意志を持ちたいものだ。あー。やっぱり小野さんはお師匠様だ。
 それからお礼がてらOPAに立ち寄り、木版画祭りの鑑賞。木版画自体とても味があるが、なかでも宇田川新聞さんは素晴らしい。相撲好きらしく、今回も「闘牙」関が出品されていたが、すでに売約済み。「宇田川新聞+相撲」というコアなファンがいるのだろう。
 土曜なのに胃がちくちくする。でも有意義な一日だった。

5/26
 個展がいよいよ終了。ご来場いただいたみなさま、どうもありがとうございました。最後の最後に結構、多くの方にお越しいただいて、本当にうれしかったです。みなさんのご感想、ご批評を今後の創作活動の参考とさせていただきます。OPAの藤波さんには大変お世話になりました。感謝します。撤去で手伝ってくれたミキクンにも感謝。今度ゆっくり食事でもして語り合いましょう。
 赤帽の岡田さんにも自宅へ作品を入れるときに、「作品の作りがそぎ落とされてきて、シンプルなのにとてもインパクトがあった。」と最後の講評をいただいた。とてもうれしかった。
 ところがところが、すべてが順調かというとそうでもない。もうこの際だからはっきり書いてしまおう。今日は昼食のサンドウィッチを食べた後、1時間くらいは胃が苦しかった。夕食前もきりきりしてかなりきつかった。職場の人間関係によるものだと思われるが、どうも胃潰瘍にでもなり始めているらしい。胃粘膜保護剤を飲んだりしているが、やはりストレスの原因を根本的に変えないと解決にはならないだろう。

5/23
 今日は朝から千葉市花の美術館に行った。以前からわたしの個展に毎回来ていただいている方が絵を描いていて、個展がその美術館の中の展示室で開かれていたからだ。「素朴派」、「ナイーブ派」とも言える絵画だが、花を描いたその絵は、花が一面に咲いているその生の喜び、絵を描くことの楽しさが力強く表現されていた。そこには自己表現の原点があるように思えた。二時間近くかけてそこに行ったのは、むしろ自分に対して、何を重んじるかということの態度表明でもあった。安定した収入や経済原理か、それとも生の喜びや自己表現の「業」か。
 今日も寒かったので、暖房を入れてもらった。
 今日は柴田有子さんが来られた。彼女の独特な間合いにすっかりやられてしまった。それから木並和彦さんには作品をかなり気に入っていただいて、とてもとても光栄だった。

5/22
 あまりの寒さにギャラリーのエアコンの暖房を入れてもらい、お昼にはおでんを食べた。
 終了近く、小野憲一さんと、小野さんがこれから絵を教えることになったという女の子がギャラリーに来てくれた。小野さんにはおおむね好評のようでうれしかった。その後NADIFFの上にあるクレープ屋さんで夕食。なんかおじさんたちが女の子に人生訓を垂れるみたいな感じになってしまった。自分がこんなことをするなんてなーとか思ったりしたが。でも叱咤激励とかではなく、「やりたいことがあるんだったら、後で後悔しないようにそちらの方に自信を持って進みなさい。」ってことだった。それはわたしにも小野さんにとっても、その女の子に対するアドバイスの形をとりながら、自分に言い聞かせているようなものだった。

5/19
 職場の近所に「ボンカラー」というプロラボがある。個展のときのポジフィルムについてはここにいつもお願いしている。そんなわけで今回もポジフィルムの現像をお願いしようと、お昼休みに「ボンカラー」へ向かった。が、歩いていて通り過ぎたことに気がついた。戻ってみると、「ボンカラー」があった建物が取り壊されていたのだ。電話をかけると移転先の番号が案内され、それにしたがってかけなおして尋ねてみたら、「ボンカラー」の現像所は去年10月に廃業になったということだった。去年9月の個展のときには現像、プリントをお願いしたから、その直後に廃業になったのだろう。なので職場の近所に「ボンカラー」というプロラボが「あった」。と、いうことになった。
 そんなわけで仕事帰りに寄れるような場所にあるラボを探し、信濃町にある日本発色の新宿店に行った。雨の中、例によって道を間違えたりして、結構雨に濡れてしまった。新宿店の入っている富士コーポって建物も面白そうな感じだ。知らなかったな。

5/16
 今日は朝から雨が降ったり止んだり。来場者もあまりなく、藤波さんとおしゃべりをした。午後後半からいらっしゃる方が増えてきた。いつも新潟からお越しいただく佐々木さん。今日初めてお顔を拝見した。80歳を越えているのにお元気だ。他にも多くの方、雨の中どうもありがとうございました。
 カヨさん。遠いところをどうもありがとう。今日、会えてとてもうれしかった。今度はもう少しじっくりとお話しをしましょう。
 いろいろとお話をさせていただいた皆さん。わたしの近況は、まあそんな感じです。

5/15
 レフ形蛍光灯を取り付けるため、OPAから渋谷に自転車を借りて不足分を買出しに出た。設置したところ、まあまあな状態になったのではないかと思う。会場では旧知の方、初めてお会いする方、多くの方とお話ができた。個展を開くのはこういった会話からいろいろと学ぶためでもある。
 今日は天気がよかったので、向かいの公園のベンチからギャラリーの中や手前の道を通り過ぎる人々を眺めていた。今日お越しいただいた方々。どうもありがとうございました。

5/14
 自分の個展の初日に一度も会場にいないというのは、今回が初めてだ。しかも9時半まで仕事をしていた。できれば照明に手を加えたかったのにな。

5/13
 朝10時から設置。
 OPAの藤波さんは舞台美術をしている方なので、いろいろと手際よく設置のお手伝いをいただいて、作業がスムーズに進んだ。それからいつものように市川洋子さんと、千葉祥子さんにお手伝いいただき、まあまあな感じで午後6時ごろに設置完了。おふたりには本当にお世話になっていて、とてもありがたく思っている。感謝のしようがないくらいだ。
 今後照明についてはもう少し手を加えていきたいと考えている。
 帰りにNADiffに立ち寄ってDMを置いていただくようお願いする。店長さん、寄ってみてくれるかな。んな訳ないか。
 さすがに疲れたのか、帰りの電車では立ちながら居眠りをしてしまった。

5/12
 えー、職場でアイダが抜けているような方がアイダが抜けているようなことをするとかで、それに付き合わされて夜10時ごろまで職場にいた。それから帰宅して、最後の小品を作り、設置の下準備などをして、それで3時過ぎに就寝。

5/9
 材料を買いに東急ハンズと世界堂に行った。ついでではありますが、千空間に寄った。たべけんぞうさんと少しお話しできた。

5/8
 5月8日は「ゴーヤの日」なんだそうです。近所のスーパーマーケットで言っていました。
夜は西荻のアトリエカノンでヤコブ・ドラミンスキー+斎藤徹+オノテツのインプロビゼーション・ミュージックで、その緊張感をを楽しんだ。 帰宅後はそのライブを録音したMDや斎藤徹さんのCDを聞きながら制作した。

5/7
 有無を言わさず、そそくさと退社し、SHUGOARTのイケムイラレイコ展へ行った。よかったぁー。それから隅田川河畔でライトアップされた永代橋、豊海橋や高層マンションの夜景をしばらく眺めていた。

5/5
 午後、銀座に出た。歩行者天国では「ヘブン・アーティスト」のパフォーマンスが行われていた。司会者がいたり、会場整理がいたり、大きな看板があったりして、なんか至れり尽くせりで、「大道芸人」というイメージとは違うなあ。今日銀座で一番驚きだったのはアル・ジャジーラが取材していたことだ(ヘブン・アーティストを取材していたわけではないと思うが)。東京支局が最近開局されたらしいのだが、今日は通行人に何をインタビューしていたんだろう。
今日はギャラリーもお休みのところもあった。Oギャラリーは開いていました。exhibit LIVEは本当はやっていなかったはずなのに、ちょうど森さんが事務所の整理をしていたところで、見させてもらった。石田泰道さんのインスタレーション。相変わらず迫力があってよかった。それからオーパへ。松本典子さんの大久野島のウサギの写真。なかなか詩情あるきれいな写真だった。それから藤波さんと個展の打ち合わせ。小品について感想を聞いた。
 明日から仕事だ。干からびそうだ。

5/4
 夜、三軒茶屋のグレープフルーツムーンへライブに行った。わがままな月はヘルプのドラマーが控えめで、最近のアコースティックバージョンがそのまま生きていてとてもよかった。ボビンズは元「村八分」普通のおじさんがガンガンやってすごかった。それから「詩のボクシング」の優勝者、倉地久美夫さん、異才の人だった。テールスープのレコ発ライブだったけれど、いろいろとそのほかにもバンドが登場して、とても楽しかった。少し潤いました。

4/30
 夜、吉祥寺MANDALA-2でおのてつ主宰のハモンドブラザーズのライブ。
 谷中互助会の面々が集まっていた。演奏は相変わらずグルーブしていてとても心地よい。ハモンドブラザーズの第一部が終わり、京都から来たmama! milk登場。コントラバス(男性)、アコーディオン(女性)のユニットだ。それでまたハモンドブラザーズの第二部。
 ライブ終了後、MANDALA-2を出たところで、後ろから階段を上がってきた男性の困ったような表情に、どこかで見たことのある人だと思った。佐野史郎だった。どうやらmama! milkは映画音楽もやっているということで、それで来たのではないかというのがおのさんさんの推測だ。でもmama! milkファンはmama! milk終了後のハモンドブラザーズ第二部を見ずに帰ったんだから、ハモンドブラザーズは最後まで佐野史郎をひきつけていたってことでしょう。
 帰りは久しぶりにミキクンと話をしながら帰った。彼の日常生活は読書三昧ってところだ。「論語」、「君主論」、「方法序説」といったあたりを理解できるまでノートをとりながら読み込んでいく。大学のゼミ以上のクオリティーの読書だ。解説書を参照しないで著書の中から答えを出して行こうとする。うらやましい生活だ。

4/26
 休日出勤の代休でお休み。午前中は掃除とは決して言えない程度の掃除機がけをして、それからDMの一部発送を行った。
 それから深川資料館通り商店街の「花みずき街角誰でもアーティスト」を見に出かけた。商店街とお店の方と作品といろいろと加味されて、いい味が出ていた。参加作家も充実しているし、いい季節だし、とても気分よく散策できた
 ひとつ、たったひとつだが惜しむらくは、商店街事務所にあるメモ帳に感想を書いておけと言われて、書き始めたのはいいが、途中からまとまりがつかなくなってしまい、訳のわからない文章を書き残してしまったことだ。恥ずかしいじゃないか。
 すみません。しばらくはこんな感じでメモ程度の文章で勘弁してください。

4/24
 日常生活のゴタゴタと近づく個展のために、ギャラリー巡りをしても今までよりも作品をしっかり鑑賞できなくっているような気がする。みなさんどうもすみません。
 ギャラリー二葉のフジイ・フランソワさんは二階の旧「奥の院」を使われていたので、久しぶりに二階の四畳半にお邪魔した。そこで近藤さんといろいろとお話をさせていただいた。
 まあそんなところとさせてください。

4/20
 高遠さん、今井さんが帰宅する際のホテル前なのか空港でのことか、「自業自得」と書かれたプラカードを持っている男性が3〜4人いたようだ。当然のことながらそのプラカードで顔を隠している。そのプラカード作りとふたりのスケジュールにあわせるようにずっと見張っていたりして、それはそれは時間と労力のかかる行動だ。そこまでするのは滑稽さとともに狂気のようなものまで感じる。

4/19
 職場での飲み会。いやぁ、がんばってはみました。でも2時間がとても苦痛だった。血液型だの星座だの、どうだっていいじゃん。そんなことでその人となりを理解しただなんて思ってなんかいませんよね。そんな話に加わることは厳しいです。わたしはたぶん普通の人よりプライバシーを重んじ、さらに決められたカラーを押し付けられるのをことのほか嫌っているようです。たかだか血液型ではありますが。
 「飲まない・食べない・しゃべらない」の三拍子揃った人間としては、会食をするということがどれだけ大切な時間であると認識しているか。つまり会食をするのだったら大切な人としたいという感覚。そんな感じで飲み会の席にいるので、自分が扉を閉じながらその場にいることが重々わかる。今さら「回りに合わせて話をしたり、飲んだり食べたりせよ、それが社会人だ。」なんて言葉を聞くとは思わなかった。それからそれとは別人ですが、あなたがおしゃべり好きでしゃべっていないとストレスがたまるというのは認めます。だから静かにしているのが好きな人間もいるんだということは認めてください。静かにしていられるのが理解できないだなんて、理解しようとしないでいるのは勘弁してください。
 ってなわけで帰りの電車はみんなから計画的にはぐれてひとりになって読書をした。帰宅してからMUSLIMGAUZEを聞いた。これってお祓い?それとも洗浄って意味?
 それとはまったく別の話だが、 なぜコリン・パウエルが言えて、この国の政治家は言えないのか。

4/17
 オーパにDMを届けに行く。
 藤波さんとなぜか携帯電話を多くの人が持つようになった社会と、それ以前の社会の違いについて語り合った。今は多くの人が携帯メールの画面を見ながら歩いている。駅の階段の妙なところで立ち止まっている人、 道で突然立ち止まる人、突然方向転換したり走り始めたりする人。ウォークマンを聞きながら携帯の画面を見つめていれば、周囲に対してまったく注意が向けられない。深夜の夜道に一人で笑いながら歩いている人を見たら、昔だったら恐怖に近い感覚を覚えただろう。10年以上前の社会がどんなだったか憶えている方、思い出してみてください。
 それから島田画廊の平体文枝展へ。ベルギーでの一年でいろいろなものを吸収されたのだろう。今までになかった網目とかのモチーフが現れている。こういったモチーフが今後どうなっていくのか、大変な興味がある。与那覇さんといい、平体さんといい、みんな変わっていくなあ。人間変わっていくものなんだなあ。
 それにしても島田さん、あいかわらず腰が低い。しばらくぶりだったけれど、引き下がるように挨拶する様は健在。しかも千空間での個展のことを憶えていてくださっていた。本当にうれしかった。
 それから千空間へ。中村友香さん、こばやしなつこさんという若い若い作家さんの初個展。初々しい清々しさがあるが、力のあるところも伺える。二人の作風はまったく異なるけれど、ふたりともたいへんおもしろかった。中村友香さんは食卓や玄関など、日常的な情景を極力面を強調することで、細部を排除した風景画のような絵画になっている。最初思ったジュリアン・オピー(こいつの名前があの時出て来なかったんだよなー)のCGの風景画に対する近似性も、よくよく見たらまったく違うものだった。こばやしなつこさんは輪郭を残すように色を塗っていく手法で、家の絵の連作などが面白い。それから卒業制作で作ったというカルタがまたまた愉快。今後もがんばってください。まだまだこれからです。ぜひぜひずっと続けて描いていってください。おじさんも応援します。
 日本ペンクラブ編「それでも私は戦争に反対します」(平凡社)を読み始める。
 元自衛官の浅田次郎氏の小編の一節。
 「誰が何と言おうと、俺たちは人類史上例を見ない、栄光の戦わざる軍人である。」

 それから大岡信の詩をここに転載したい。

われわれは前もつて
持つことのできぬ、
愛するものの
完璧なイメージを。

こなごなに壊されてしまつてから
それらはやうやく
真にわれわれのものになる
いとほしい思ひ出となつて−

幼年時代のつくつく法師、塩辛とんぼ。
海岸線を疾駆する馬。
阪神大震災直前の家族の団欒。
ポンペイ市民の優雅でさへある暮らし。

われわれは前もつて
知ることはできぬ、
愛するものの
すさまじい崩壊のさま。

「人間は 結果の皆目
わからぬことをも
正義の旗さへはためけば
欣然として 計算無視

とびこんで死にも到りうる 愚かな生き物です」
その生き物の一人である
小さな顎の大学教授が論じる、
浅薄怜悧なカウボーイなまりで。

われわれは前もつて
知ることはできぬ、
われわれに敵対するものの
円やかなイメージ。

こなごなに叩き潰されてしまつてから、
それらはやうやく
真にわれらのものになる、
取り返しのつかぬ後悔の 和らいだ塊りとして。

ひよわな敵を
こてんぱんに踏んづけた
理不尽な大勝利のあとの
じやりじやりと歯に当たる いやな後味の塊りとして。

ファルージャは大変なことになっているようだ。詳細は以下の通り。
英文はこちら
和訳はこちら
ファルージャはソンミ村、サブラ・シャティーラ難民キャンプ、そしてジェニンという地名と同じ意味を持つようになってしまったのか。
 たとえ渡航禁止勧告が出ようと撤退勧告が出ようと、いくらその地域が危険だからと外国人が避難しても、その地には確実に人々の暮らしがあり、不安と恐怖がある。それは強調したい。
riverbend
その和訳
Raed in the Middle
その和訳
どうか彼らも無事でいてほしい。

4/16
 退社後、イメージフォーラムで「ヴァンダの部屋」を見る。リスボンの再開発でどんどん壊されていく貧民街に住むヴァンダを中心として撮影したドキュメンタリーだ。とにかくみんなヤクをやっていて見るからに不健康そう。そういった人々がのたのた生活している風景なのだが、特にこれといった事件もなく、ただただ生活しているところを映しているだけの3時間。が、まったく飽きることなく見ることができた。終わった瞬間、 映像の力強さみたいなものに圧倒されてしまっていた。
 ワタリウムの方にまた会った。この間はナコイカッツィだった。そういえばすみだトリフォミーホールの「コヤニスカッティ」でも姿を見た。そのうちに会釈でもしてみよう。

4/15
 DMが完成して印刷会社から届く。みなさん、お手元に届くのをお楽しみに。
 人質解放。まずはホッとする。そしてとても後味の悪いものが残る。あの「自己責任」という言葉にだ。とても見るに忍びないほどに、家族の方々にまるで加害者のように謝罪を繰り返させた、それを強いた何かにだ。外国記者クラブでの記者会見で、ドイツの新聞記者が「脅しがあると聞いているが。」と質問したが、それに対してもやはり謝罪に近い答えしかなかった。そのドイツの新聞記者は「言いたいことが言えないでいる。自由な国ではないような恐怖を感じる。」と言っていた。人質三人や家族に対して、犯罪者を扱うような記事の見出しが電車のつり広告に見える。そこまで叩きのめそうとする、その敵意とは何なのか。
 江川紹子氏が「自己責任論」について書いている。

4/11
 <寓話その5>
  会議の席でポール・ウォルフォウィッツは、自慢げに話をしだした。スコット・リッターはその言葉でようやく全容がつかめたのだった。
 ポール・ウォルフォウィッツが言うには、大統領が自分のオフィスにポール・ウッォルフォウィッツを呼び出し、このように話を切り出したらしい。
「議会を通さずに自由に使える予算をわたしは持っている。これを使ってイラク攻撃の準備段階として、イラク国内かく乱のための諜報活動をしてくれ。」
 当時CIAに在籍していたスコット・リッターも、諜報機関の一員としてそれの答申作りに加わっていたので、突然の大統領からの要請の内容はよく憶えている。イラク国内かく乱にかかるコストに対して、その周辺地域への影響が予想不可能であること、また、他の多くの地域での諜報活動を抱えている現在では、新たな人員を確保しない限り、そのかく乱に回す十分なマンパワーがCIAにはないという判断に基づいて、現在の状況では無理だという答申をCIAは出していた。
 その後しばらくしたら、CIAが解体され、それぞれが役割に応じて国務省や国防総省傘下の一機関へと分解されたのだ。否定的な答申を出したことの見返りが解体だったのだと、CIAの誰もがそう思った。政府内ではCIA解体が大問題になったのだが、高級官僚内には諦めにも似た空気が漂っていた。しかも政府内部でもあまり評判の悪いポール・ウォルフォウィッツが、時を同じくして国防次官補から国防副長官に昇進しているのだ。
 スコット・リッターはCIA解体を受けて国防総省の諜報機関への配属となった。この諜報機関は国防副長官となったポール・ウォルフォウィッツの直轄機関だ。しかしポール・ウォルフォウィッツにとって予想外だったのは、この諜報機関で活躍してもらおうと思っていた自分の部下のリチャード・クラークが大統領府に抜擢されてしまったことだった。
 実際の諜報活動で実行部隊として参加する亡命イラク人評議会との会合の席上、ポール・ウォルフォウィッツは言った。
「今回の人事には大変な不満がある。それでわたしは大統領に詰め寄ったのだ。イラク国内かく乱作戦のためにせっかくCIAを解体させたのに、リチャード・クラークを引き抜かれたのなら、イラク国内かく乱作戦を 予定通りのスケジュールでこなすことなどできない。もしどうしてもリチャード・クラークを引き抜くなら、彼に匹敵する能力を持つ人物と、さらにもうひとりの部下を要求する。それでないと大統領の言った期限までに作戦は実行できないとな。そうしたら、ははは。大統領、頭を抱えていたよ。」
「それから大統領はこうも言っていたな。君ら亡命イラク人評議会にもう少しお金を積んだら作戦をもっと早期に実行できるかってね。」
 その時にポール・ウォルフォウィッツが見せた表情は、亡命イラク人評議会へ流れる資金は、自らの手から生み出されているのだということを思い知らせようとしているような得意そうな顔だった。
「とにかくわたしはこの作戦を絶対成功させるつもりだと大統領に宣言したら、大統領は少し話がとんとん拍子に進みすぎて不安になったのか、亡命イラク人評議会のメンバーと話がしたいと言ってきて、それでチャラビ、君を連れて行ったんだ。」
と、ポール・ウォルフォウィッツはテーブルの反対側に座るアフマド・チャラビを指差した。
「大統領と来たら、チャラビに何と聞いたと思う。『チャラビ、イラク人である君に聞きたいんだが、イラク人社会にわたしたちの諜報活動がうまくいって、かく乱作戦が成功すると思うか?』だとさ。」
 それを聞いたスコット・リッターは愕然とした。CIAが答申を出す際に、大統領側からの作戦上の基本的なデータとしてはっきりとした数字が示されていたはずだ。だが実際にはその数字には何の根拠もなかったというのだ。こんな根拠のない思いつきのような作戦に、前々からイラク攻撃を主張していたポール・ウォルフォウィッツが飛びつき、作戦実行のために組織が崩壊しそうになるような改造を行い、影響が計り知れないような危険な作戦を実行しようとしている。大統領自身がポール・ウォルフォウィッツを静止するどころか、それを認めているのだ。しかも今後ポール・ウォルフォウィッツは、議会を通さずに使える予算を使ってさらにイラク攻撃の突き進んでいくだろう。
 スコット・リッターは思った。この政権は崩壊していなくとも、すでに腐食しているのだ、と。そして自身がアドルフ・アイヒマンとなるのではないかという恐怖に陥った。

4/10
  練馬区立美術館に10時半すぎくらいか、「超日本画宣言」を見に行った。なんだかギャラリーツアーのようなことが行われている。土曜日の午前中からそんなことをするのかと、自分のペースで見たいからその団体を避けるように鑑賞した。それにしてもその集団の速度が、たとえば東京都現代美術館の常設展で行われているツアーに比べて恐ろしくゆっくりと時間をかけている。なんだか作品をひとつずつ説明しているようだ。中には作品のテーマに用いられた旧約聖書の一説を細かく解説していたりする。一通り終わったあと、みんなで反省会めいたことをしている。みんながボランティアで説明しあっていたのか?市民サークルで感想を報告していたのか?そういう活動をするのはまったく問題ないし、そういうことで美術に対する関心の底上げに有効だと思う。でも他の鑑賞者に対しても留意して欲しい。
  Oギャラリーでの稲永友子さんの個展。DMを見てから期待していたものだ。期待通りに面白いものだった。作品の雰囲気を壊すことはないが、とてもよく声の通る女性たちが会話をしている。どうも稲永友子さんのおばさんたちらしい。会場を出る時におばさんたちは恐縮しているようだったけれど、でも作品の明るいい雰囲気をまったく損なうことのない晴れやかな声だった。
 イラクで人質になった高遠菜穂子さんのHPに誹謗中傷の書き込みが殺到して、ついに閉鎖したとか。インターネットはただのツールでしかなく、邪悪な心情にも平等に開かれているのだ。
 明日の夜、いったいどういう結末が待ち受けているのだろうか。

4/9
 退社後、六本木ヒルズに向かう。森美術館へ初めて入る。え?これって展望台に行くのに1,500円かかるってこと?強気だねえ。展望台も夜景もは後でいいから、まずは草間先生の元へ!
 KUSAMATRIX。草間先生、すごい!なんというエネルギーだ。圧倒されてつつ進んでいく。最後の展示室の巨大な少女の立体や部屋中に張り巡らされた少女の絵に囲まれて、草間彌生の「訪れなかった少女時代」に迷い込んでしまったようになり、足が先に進まなくなってしまいそうだった。現代美術の展覧会とは言えない。それこそ「草間彌生の迷宮」そのものだった。
 それから六本木クロッシング。それぞれ作品はクオリティーが高いのだが、なにせ作品数が多すぎる。最後の方ではブースみたいになっていて、横浜トリエンナーレを思い出してしまった。「とりあえず全部見ることは見よう」というような気持ちになってしまったのだ。はたして6人もキュレーターが必要だったのか。展望台に来ることが目的で、でも入ってみようかと思ったような一般客に、これだけあればどれかアピールするだろうとか考えたわけでもないだろうに。少々もったいない気もする。だがしかし、特に若い客層には結構楽しんでいるような感じを受けた。中には結構現代美術を見て回っているような年齢層もやや高めの人も見受けられた。ただ気になったのは、展望台目当ての人たちは夜景を写すために持ってきているデジカメや写メール で躊躇なく写真を撮っている。そこらへんの著作権の問題などきちんと心得てもらうようなインフォメーションが必要だと思う。57人の作品の中にはお話をさせていただいた方たちもいて、彼らが「最も注目したいアーティスト」に選ばれて、現代美術好きのみだけではなく一般の人々の鑑賞の前に展示されているということにとてもうれしくも思った。一番すきだったのは、19番生西康典+掛川康典のH.I.S Landscapeだ。暗くなって鏡のようになった窓ガラスに映る映像とその先の夜景が重なり、そこにノイジーな音響がさらに重なる作品だった。
 展覧会を見終えて休憩がてら夜景をしばらく眺めた。確かに美しいとも思う。そしてどこまでも続く光の粒子に人々の営みを感じもする。だがしかしこの孤独感はなんだろうと思った。この夜景の中で繰り広げられている生は、わたしには一切関係なく営まれていると感じたからだろうか。
 六本木ヒルズとはその空虚さゆえに存在意義がある。と、いうような気がする。

4/8
 わたしの身の回りに起こった一連の騒動はかなり根深いものだとわかった。恐ろしいほどだ。なので過去についても今後についても、この件については寓話として書きたいと思う。
 だが、決心はより一層強いものになってしまった。
 邦人3人人質。彼らの主義主張からすると、あまりにも皮肉なことだ。同じような志の者として、彼らの無事を切に祈る。

4/7
 イラク情勢。今後一体どうなってしまうのか。戦争が始まるときに予想された中でも最悪の事態をなぞってしまっている。息苦しくなるほどの不安を感じる。
  退社後、泉本奈生美(コバヤシ画廊)と關明義(ギャラリー覚)に寄った。モノクロのしかし豊穣な世界観が示されていた。素晴らしかった。關明義は特に。

4/4
 今日は午後から休日出勤。早めに終われば帰りに練馬区立美術館に寄れると思っていたのだが、ちょっとしたミスがあり、結局閉館までには間に合わない時間になってしまった。
 明日からのことは考えたくないが、しかしその先のことを考えて我慢する。
 気がつかれた方たちもいらっしゃったかもしれないが、3月1日からカウンターを付けた。それは一体どれくらいの読者がいらっしゃるのか、市場調査みたいな意味合いだった。5週間で68カウント。思ったより多かった。私自身が15回くらいは踏んでいるだろうから、延べ50人近くの方たちに読んでいただいている。実際の更新はわたしの実に個人的な生活に関してのみだから、そんな惹きつけるようなものはないと思うのに。定期購読者の方がいらっしゃったらぜひご一報を。お礼を申し上げたいので。
 で、カウンターはこれにて消します。

4/3
 2、3のギャラリーを回ろうと思い、地下鉄を降りて銀座の地上に出たところで気がついた。SHUGOARTでの戸谷成雄の展覧会があったのだ。そこですぐにまた地下鉄に乗り、茅場町に行った。
 作品の圧倒的な存在感の前にただただ立ちつくすばかりだ。チェーンソーを使う前の戸谷の作品を知らなかった間は、あの立体が隆起してきたというイメージを持っていた。 が、過去から一貫して「視線の軌跡(あるいは痕跡)」をモチーフにしてきたということを知ってから、また印象が違って見えるようになった。それにしても随分荒々しい視線だ。一箇所に留まってえぐるような視点を置いている。まるでその内側にあるものを何とか見出そうとして執拗に表皮をはぎ取ろうとしている。「引き算の手法」とでもいうのか。
それから照明についても少し観察してみた。作品をややドラマチックに見させるように一方から照明を当てているが、鑑賞者が立つであろう位置にも照明を当てている。この照明がなければ、それもまた印象を違えるものになっただろう。わたしの作品も照明によってずいぶん違ったものになる。いろいろと研究させてもらおう。何度見ても新たな表情を見せてくれる作品だった。
 それからマキイマサルファインアーツの田畑義継さんの個展に。ご本人がいらして、いろいろ長々とお話をお聞きした。今回の田畑さんのモチーフはイヌなのだが、イヌ自身を描きたかったわけではなく、イヌに関する記憶やそのイヌが背負っているストーリー全体を描きたかったのだとのこと。60回くらい色を塗り重ねる作業は、まさにその記憶なりストーリーを重ねていく作業でもある。そのためイヌの鮮明な一瞬の姿ではなく、 その一瞬一瞬の限りない重ね合わせのためにうっすらとした影のような姿となってキャンバスに浮かび上がる。田畑さんのその重ねられた色が浮かび上がらせる、深い空間はとても惹かれる。ぜひひとつ手元に置いておきたくなってしまう。今後も何度かお会いしてお話をさせていただきたいと思う。
 帰りは新宿のハンズにより、材料を買い、またまたタワーレコードにいってCDを買ってしまった。アバンギャルドのコーナーでかかっていたCDがとても気になり、視聴して気に入ったので。LALI PUNA というドイツのアンビエントテクノとでもいうバンドだ。なんといってもささやきボイスが気に入った。
 でもね、視聴したときと帰って部屋で聞くのとで、いつも音質が変わって「?」って思うのはなぜ?
 ギャラリーを回っていても作品を堪能していても、なにか背後に禍々しいものがあるような気がしてしまう。
 <寓話その4>
 まだ実際には冬はやってこないのに、今のうちから霜が降りているとなると、一体今後どうなってしまうのか。今までのようにじっくりと日差しを堪能できるほどの余裕がなくなってしまうのか。  

4/2
 <寓話その3>
 どうも推測するに、ニコシア国王はずいぶん前から自分が立案していた十字軍遠征を遂行するために、その先遣隊長に適材の人物として、ルゴーシンに目を付けていたようだ。一、二ヶ月前、ニコシア国王はルゴーシンがまだまだ長期遠征に耐えられるほどの若者だと思っていたらしく、それがルゴーシンの友人たちの笑い話になったときがあった。今思えばそれが始まりだったのだろう。自分の力を誇示するためとしか思えないほど、無謀な殲滅作戦を実行に移すためにニコシア国王は暗躍し、隣国の騎士団領やそのまた隣の公国に至るまで、多くの騎士や農夫を集めて遠征部隊を作り上げてしまったらしい。その結果、近隣の国々は労働力不足となり、それぞれの国力が衰えることが目に見えている。しかしニコシア国王を止められるような立場にいるはずのだれもがそれをせずにいる。ルゴーシンが止めるのか?まさか。法王や皇帝や大王の誰一人としてそれをしていないのに。ましてや噂では法王庁の一人が入れ知恵をしたとも聞く。そんな舞台裏にルゴーシンが立つのか?
 ルゴーシンは少数民族出身でこの地域に強い思い入れもない。壊れるなら壊れてもかまわないと思っている。少数民族出身として、その壊滅状態を見てみたいと思ったりもしている。
 それにしても一般に対して人望も厚くないニコシア国王が、驚いたこと今となっては大王に推挙されているのだ。どうやらすでにこの地域は壊滅状態にあり、目の前にあるのはすでに荒野となってしまったのかもしれない。ルゴーシンは元ニコシア国王が思い通りに十字軍遠征を進めるために手を貸した一切の人物を軽蔑した。それにしても一介のニコシア国王がこの地域全体の多くの人命を犠牲にしてまで、自分の思い通りに事を進められるのか。ルゴーシンが聞いたいろいろな噂話は、もしかしたら「ユダヤの陰謀説」レベルの信憑性しか持たないかもしれない。が、しかし今回の部隊改編で利を得たのはこの元ニコシア国王だけで、後の国はすべからく不利になっているのだ。状況証拠が高々と積み上げられている。
 その遠征軍設立のために、出資金分配案を改めて修正しなければならず、ルゴーシンはしばらくはその計算をしなければならなかった。そうした作業をしているうちに、ルゴーシンにははっきりとした意志のようなものが固まってきているのに気がついた。
 この一年のうちにこの地域を出よう。しかし、今回の遠征軍設立で突然思いついたものではない。実はもう5年位前からそういうような気持ちはあったのだ。が、妙に居心地がよかったために、しばらくその雰囲気にのんびり浸かってそのままでいた。今までもなんとはなしに不穏な空気が感じられていたが、ここに来てその暗雲の禍々しさを実感できた。もうこの地域に明るい日差しは戻って来ない。ルゴーシンにはいい潮時だと感じられた。たった一度の人生だし、もう残り少ない人生だ。見たこともない風景を見るために旅立ち、たどり着かないまま路上で朽ちてもいいだろう。
 ルゴーシンには自分のその決心が、とても堅固なものに感じられた。 


タイトルは「マトリックス」の中で出て来るセリフらしいですね。実はわたしはこの映画をテレビでチ ラチラとしか見ていないので、どこで出てくるのかよくわかりません。わたしはスラヴォイ・ジジェクによる テロとその後の戦争について論じた文章のタイトルとして知ったのでした(現代思想臨時増刊「これは戦争か」より)。
なお、画像は島田雅彦の「ミス・サハラを探して」(KKベストセラーズ) の中のチュニジアの砂漠の写真(撮影;中島誠)を無断借用しました。