イグチトシオがふと考えたこと、感じたことを書き留めておきます。念のために再度申し上げますが、見せたくない部分は書かず、こういう所を見てほしい、こう見られたいというところを書いています。


 2009年はこちら
 2008年はこちら
 2007年はこちら
 2006年はこちら
 2005年はこちら
 2004/10/01〜2004/12/31はこちら
 2004/04/01〜2004/06/30はこちら
 2004/01/01〜2004/3/31はこちら
 2003/10/01〜2003/12/31はこちら



2004年7月1日〜9月30日

9/30
 今日は仕事で関係のあるアメリカ人と会議をした。会議中はもちろん通訳がつくが、食事の席では自分でしゃべったりする必要がある。昼食をとるレストランに行く道すがら、あちらから話しかけられた。
「きみ、野球は好きかい?」
「う〜ん。実はそんなに好きじゃないんだけどね。」
相手は口元に笑みを浮かべる。
「でも、イチローには興味を持って見てるよ。」
ここで相手はそうだろうとばかりに話を進める。
「彼はすごいよね。記録達成まであと3試合で3本だっけ?」
「いや、2本ですよ。今現在も彼は試合をしているはずですよ。」
なんて具合に話が進む。
 昼食はアメリカ人3人と日本人6人でとった。そのうちの一人が突然、
「わが国では近々大統領選なんだけれども、みなさんはわが国の大統領についてどんな考えを持ってるんですか?」
 日本の一同は黙ってしまう。わたしも日本の出席者の政治的スタンスを知らないし、下っ端のわたしが率先して言うべきでもないだろうと、静かにしている。もしかしたらこの無回答こそが回答なのかもしれない。
残りのふたりが言う。
「次の大統領は今と同じ人物だよ。」
それに対してさっきのひとりは
「いや、わからないよ。」
ふたりは共和党員でひとりは民主党員と見た。支持率が逼迫していてどちらになるかわからないという、いわゆるスウィング・ステイツのひとつ、オハイオ州から来た人たちだ。
 後になってこういう会話も成立したかもしれないと想像した。
「アメリカの大学が調査機関と一緒に世界各国で『ブッシュとケリーとどちらに大統領になって欲しいか』っていう調査をしましたよね。日本はヨーロッパほどではなかったけれど、やっぱりケリー支持の方が多かったでした。まあそれが回答ってところですかね。」
「そういう君はどちらなんだい?」
「わたしはABB(Anyone But Bush)ですね。特にケリー支持ってことではない。ところで○×さん、あなたは確か共和党員でしたよね。もしも共和党の候補者選出時にブッシュ以外に候補がいたらどちらを支持しましたか?たとえばマケインだとかドール夫人だとか、コリン・パウエルだとかがいたら。」
 ああ、こんなの空想だ。でも民主党員だと思われるひとりのために、そんなことを言ってあげてもよかったかもしれない。
 そういった際どい話題以外では夏休みはどうしたかとか、家ではなにか動物を飼っているかだとか、石油が値上がりしているだとか、そんな話に終始した。
 ところでどこでだったろう。面白い予測を見たことがある。ブッシュは再選され、そしてしばらく後、テロや戦争に対して弾劾裁判を受け有罪となる。あれ?でもそれで辞任しても後任はチェイニーになっちゃうな。チェイニーだって弾劾されるべきでしょう?じゃあその後任は?
 台風一過で空が晴れ渡り、帰り道で鮮やかな月を見た。

9/28
 中秋の名月。市ヶ谷駅のホームからちょうど見える位置に月が雲にかすみながら姿を現していた。

9/26
OPAでの個展の礼状及び転居のお知らせを出すための作業を午後の2時くらいまでしていた。それで雨も止んだことだし、自転車で遊工房アートスペースに行った。今回は井の頭公園から吉祥寺駅付近を裏道を通ってみた。
 遊工房はオランダ人作家の個展だったが、DMではCGか何かと思っていたが、展示されているのは紙をレースの編み物やカーテンの模様などに切り取った紙の作品だった。自分の作品との類似点やら相違点やらを見出し、かなり興味深く鑑賞できた。どうやらちょっと前まで作家さんがいたらしいがすれ違いみたいになってしまったようだった。もしできるのであれば(「機会」も「語学力」も)、いろいろとお聞きしたいところだったのだが。
 帰りに善福寺公園に立ち寄り、池の周りを一周回った。淡い紫や白のムクゲが咲いていた。少しばかりの小雨が人出を押さえているためか、とてもとても静かな風景だった。

9/25
 表参道−銀座−亀有と画廊巡り。
 あるギャラリーで作家さんに話しかけられた。作品の製作意図を説明されたのだ。作品はとても味のある身近な風景を描いたものなのだが、そこに突然のように黄緑色の四角が浮かんでいるのだ。それは描いている風景との間に距離感、違和感を抱いてしまい、それをどうしても埋めたいと思うと、黄緑色が浮かんでしまうのだそうだ。そんな話を真剣に見つめられて話してもらって、わたしはその視線を受け止められず、作品の方に視線を流してしまった。黄緑色の四角がなくても絵画は十分に成立しているし、十分楽しめるような技術的なレベルには到達していると思う。なのにその黄緑色の四角を置かざるを得ないのは、現代美術の文脈から必要とされてしまうようなものなのか。きっと風景との違和感とはなんなのか、それをなぜ埋めなければならないと思うのか、そういったあたりを整理するとかなりいい線にいくように思えた。
 で、ふと思い出した。まだまだ二十歳そこそこくらいの年齢のとき、兄に残ったフィルムで好きなものを撮ってもいいとカメラを渡され、被写体と自身の関わりをどう撮り込んだらいいのか悩んで、部屋の中から窓枠を入れて外の風景を撮ったことがあった。そんなことなのかな。
 今日は三つくらいのギャラリーでお茶を出されてのんびり話し込んでしまったが、やはり最後に行った亀有のバルコが圧巻だった。榊原さんの人柄なのだろう。いろいろな人が現れ、それぞれ話が尽きない感じで結構長居をしてしまった。
 帰りに世界堂に寄ってペンとトレペを買った。引っ越す前にずっと続けていたドローイングを最近また再開しようと思い立ったからだ。以前のように色を置くような方法ではなく、線描をしたくなったので超極細のペンが必要となったからだ。でもきっと始めるのは10月に入ってからだろう。

9/24
 今日は縁あって両国国技館で大相撲ってのを見ることができた。
 まず、升席ってのはとても狭かった。それから「リアルとは何なのか」というクリシェな問いも感じられた。升席といっても結構後ろの方で、185cm、175sの大男が10〜15cmくらいにしか見えないし、あっという間に勝敗も決まって気を緩めているとぼーっと見逃してしまう。テレビだったらもっと大きく見えるし、スローで再生してもくれる。まずもって相撲を本物で見る機会などあまりないだろうから、そうなると遠い風景として見るよりは、近くで詳細まで見せてくれるテレビの方がリアルに感じるではないか。唯一テレビと違って見えたのは土俵が照明が当たって想像以上に明るかったり、関係者がそれぞれすべて一つの型に沿って動いているということが見て取れたことか。それが「リアル」だと言われればそうかもしれない。
 遠い風景として見える相撲の取組みから少し意識が離れて、会場全体を見回したりしてみた。はたしてこの相撲という産業にどれだけの人が従事しているのだろう。相撲取りという商品はごくごく少数で、それ以外の人々がかなり多くいるということがわかる。着物に袴のすそを絞ったやつ(あれなんていうの?)を履いて、懸賞の幟を持ったり、土俵を掃いたりする人たち以外にも会場でお客さんの注文を受けて飲み物を運んだり、会場に案内したり、テレビではあまり見ることができない女性の警備員(普通に警備員の服を着ていた)も会場のいたるところにいる。かなりの人数の人々によって日々の興行が成り立っているのだと想像がつく。
 結びの一番で朝青龍が敗れ、みんな競うように座布団を投げた。視界一面が緋色の座布団で満ちてしまった。そのうちの一枚が行司の烏帽子に命中して烏帽子が脱げてしまった。なーんだ行司って普通の髪型なんだ、髪の毛結ってないのか。まあ行司って相撲取りとは違って、商品じゃないてことだよな。
 まあそんなわけで面白いものを見させてもらいました。でも十分です。
 ああ、そうだ。19日の日誌に書いてある、「次の週末には明らかにできることがひとつある。」という件のこと。10/1に職場の人事異動があり、わたしは今の環境から逃れることができるようになったのだ。今日、晴れてその「内示」が出た。1ヶ月前には「ほぼ確定した」と聞かされていた。その「ほぼ確定した」と聞かされたとき、何度目かのぶり返しの胃痛が二日後に消えてしまった。本当に精神的なものが原因だったのだ。
 今年は夏休みが取れなかったので、10月に少し休暇が取れる。晴れ上がった気分でどこかに旅行に行こうかと思う。十三湊など津軽半島の方か。それとも竜安寺や大徳寺の石庭を見に行こうか。

9/23  朝日新聞むさしの版に「みたかのみかた」というタウン誌が紹介されていた。それはそれでとても惹かれる雑誌ではありそうだが、そこに「三鷹の個性的な古書店を撮影するスタッフ」というキャプションで写真が掲載されていた。そこに写っている店の名前をネット検索やら地図やらで調べると、どうやら近いところにあるらしい。
 夜になってその古書店に行ってみることにした。お昼くらいに開いて、深夜までやっているらしい。店の名前は「上々堂(しゃんしゃんどう)」。なんといっても古本屋特有の「いっぱい本が積んである狭い店内を不自由な姿勢で入っていく」というところがなくて、とてもすっきりしていて、店内に流れているゴールドベルク変奏曲が心地よい。絵本や美術展のカタログも置いてある。そんなわけで店内をくまなく見て回らせてもらいました。で、早速買ってしまいました。中上健次の「異族」と「鳳仙花」、ティム・オブライエンの「本当の戦争の話をしよう」の計三冊。中上健次は「日本現代文学の巨星だ」と思っているわりに、まだ2冊くらいしか読んでいない。だからというわけではないが、買ってしまった。ティム・オブライエンは「カチアートを追って」を以前読んだことがあったので。
 最近ずっと阿部和重を読んでいた。「シンセミア」を読む前の予習みたいなものだ。彼の作品はやはり「インディビジュアル・プロジェクション」以前、以降と分けられるかもしれない。以前はらせん状に前へ進んでいるのか元の場所から堂々巡りで進まないでいるのかわからない状態が続いて、最後は一挙にラストスパートで終局を迎えるという感じだったのが、以降は最初から猛スピードで飛ばしているという感じか。高橋源一郎が「シンセミア」の書評で、もし中上健次が存命だったらきっとこう言うだろうと書いていた(正確ではないが)。「阿部!このやろう、こんなすごいのを書いちまって。ぶんなぐってやる!」
 「シンセミア」を読むのが待ち遠しい。

9/20
 川村記念美術館へ行った。
 いつものように常設展示をさっと見て、ロスコルームへ向かった。ひとつずつ作品の前に立って見て、それから椅子に座ってもう一度見ていく。一連の動作を済ませないとこの部屋を出ることができないような、そんな感じでもある。
 企画展のロバート・ライマンはi-podで解説が聞けるのだが、その前に自身で理解したいと思い、ずっと作品を見て回った。その次の部屋でライマンのインタビューの映像が流れていて、その中の言葉を確認するために、再度見て回った。「雪が積もると、その下にあるものの形がむしろ明らかになる。」というような彼の言葉が彼の作品を端的に表しているように思えた。白により、描かれた素材やその上に残った筆跡が豊かな表情を見せる。
 で、もってライマンを見終わった後、再びロスコルームでしばらく過ごした。
 送迎バスの時間まで庭を早歩きで見て回った。ヤブランがたくさん咲いていた。トンボがペアリングして飛んでいた。本当ならその風景に見合うくらいに涼しくなければならないはずなのに。もう少し林の中を散策したかったけれど、早く帰りたかったし。また次の機会にって次はピカソらしい。
 帰りの京成電車では疲れがたまったのか、ほとんど寝ていた。

9/19
 9時過ぎくらいに家を出て井の頭公園へ向かった。散策しようと思ったのだ。公園に到着して、玉川上水あたりに差し掛かったとき、向こうから赤いTシャツに赤い帽子の、すでに中年を越えた年齢の痩せた男性が歩いてくる。楳図かずおだ。三鷹談義をしたKKさんに「井の頭公園で楳図かずおに会える。」と言われていたが、のっけから会ってしまうとは!
 それはいいとして、玉川上水の脇をずっと歩いてみたり、少し池の方まで出てみたりして1時間くらいぶらぶら歩いた。まだまだ涼しくはなかったが、木陰を歩いてとても気分がよかった。鳥の名前は知らないがいわゆる「キツツキ」が幹をコツコツくちばしでつついているのを見かけた。
 帰宅してしばらく公募展に応募するための資料作りをして、2時半ごろ再び外出。小平の松明堂ギャラリーへ初めて足を運んだ。せっかくここまで来たのだからと、また玉川上水に沿った道を散策した。
 今は、なんといったらいいのか、こうして浄化というか、リハビリみたいな感じで、自然の中を散策している。一応今のところは読者の目を気にして明らかにはできないが、次の週末には明らかにできることがひとつある。今はその後のために体調を回復させようとしているところだ。
 興味ある言葉を見つけた。Three years ago, Iraq wasn't a threat to America. Today it is. Since March 2003, over 1000 Americans have died inside of Iraq... and the number is rising.  「3年前、イラクはアメリカにとって脅威ではなかった。いまは、脅威だ。2003年3月以降、イラク国内で千人以上のアメリカ人が死んだ。死者数は増え続けている。」

9/18
 本当は横浜美術館に行こうと思っていたのだが、自宅を出る予定時間の5〜10分前になって急遽やめた。結局のところ、今やっている企画展の「ノンセクト・ラディカル」で気になったのは、高嶺格の作品が直前に「わいせつ」という理由で取り下げられたということだけだった。行ったところで館長名で作品を撤去した断り書きを見られるだけの話だ。そんなわけで今日は京橋−新橋−表参道−渋谷と回っておしまいとした。今日の収穫はなんといっても儀保克幸さんだろう。木彫の瑞々しい少女の裸像が切ないほど美しかった。OPAで藤波さんとふたりしてetc.を開いて、わたしがどに個展に行ったか、どれに注目しているか確認し合うという、ちょっと不思議なことをした。

9/12
 朝「新日曜美術館」の時間から午後2時ごろまでアートリンク上野谷中2004用の作品を作った。一段落してから自転車で遊工房へ行った。途中、井の頭公園の脇の道を通った。風もちょうどいい感じだし木々が繁っていて、とても気持ちがよかった。昨日三鷹談義をしたKKさんも言っていたが、井の頭公園も人が一杯いるスポットではなく、ややはずれたジブリのあたりが大きな木々があってとても気持ちのいい場所だ。帰りも同じ道を通って帰った。ただちょっと問題なのは、吉祥寺の街中はとても混雑していて、かなり神経を使って通らなければならないことだ。脇道を通りつつも井の頭公園の脇を通れるようなルートを見つけよう。
 今日は三鷹ではお祭りだったみたいだ。自宅の前の道をお神輿が練り歩いていった。ベランダから身を乗り出して隙間から見て満足した。とてもお神輿を担いでいる人々の楽しそう気持ちが伝わってきた。が、わたしに留まることもなく、そのまま通り過ぎていた。
 今日のニュースでWTC跡地で「世界の人々みんなが、今日ここに来ればいいのだ。」と涙ぐんでインタビューに答えているアメリカ人がいた。何とお答えしていいものか。とりあえずわたしは行きません。

9/11
 朝、オーパでの個展の礼状用カードを受け取った。とてもいい仕上がりだ。写真とデザインをお願いした白濱雅也さんにまずはお礼を申し上げたい。一段落したところで転居のお知らせと礼状とで送ることにしよう。
 そんなわけでお昼くらいになってから京橋あたりでギャラリー巡り。大塚ゆかこさん。前回から二ヶ月でここまで描けたのは、さすがだと思った。今までは背景が具体的な場所を取材していたものが、今回は灯りやネオンが抽象的な印象になったものや、架空の街の中にまちこちゃんが入り込んでいるものがあり、今後の展開が楽しみに思えた。架空の街ながら、まちこちゃんがベランダにいたり窓から外をのぞいていたりして、街並みが活きて来ているように思えた。それにしてもオレンジ大好きの大塚さん。今日もまぶしいくらいのオレンジなファッションでした。
 かねこ・あーとでは渡辺有智子さんとばったり出会った。来年2月に水彩画の個展をするとのこと。彼女の水彩画の青は美しい。とてもとても楽しみだ。
 それからOPAに立ち寄り藤波さんと世間話。それからいくつかギャラリー巡りをしてそのまま渋谷まで歩いた。
 途中、国連大学前で座り込みをしているクルド人難民の方のところで署名をする。ずっとあそこにいるためだろう、とても憔悴しているように思えた。特に日本語が堪能な男性は中心になっているためだろう、とても辛そうで、立ち上がって署名について少し説明してくれた後、すぐに座り込んでしまった。痛々しかった。署名をして立ち去るとき、笑顔で手を振ったが、それに対しても反応できないくらいだった。彼らを初めて見たのは座り込みが始まったばかりのころだろう。それからしばらく経ってからニュースや新聞でも紹介されるようになった。だがそれ以来そこを通る機会がなかった。いや作ろうとしなかった。彼らの憔悴ぶりは痛々しかった。ひとりの日本人が署名したくらいではこの国の外務省、入国管理局はなにも動かないだろうし。
 新宿のgalleryユイットで後藤智展。構成が大きくなったためか今までと印象が異なり、またさらにいい感じになったと思う。実際手元で日々じっくり見てみたいと思うものもあった。ここはカフェの入口にあるギャラリーで、お茶しなくても見ていられる空間のようだ。今日はお茶しないで帰ったけれど、なかなかいい雰囲気だった。今度はゆっくりコーヒーでも飲ませてもらおう。
 ところで今日は9.11に関連した(というか、その後の対テロ戦争に対する)イベントがあった。当初、夜のピースキャンドルに参加しようと思っていた。だが、あのテロ事件をことさらに大きく捉えすぎていないだろうかと思い、行かないことにした。「グラウンド・ゼロ」という言葉をヒロシマ、ナガサキから収奪し、"We Shall Over Come" を対テロ戦争のために歌うという流れは、歴史の改編と言ってもいいように思う。その流れに対して反対であれなんであれ、一旦距離を持ちたくもあった。
  もちろんわたしもあの事件が起こった当初は愕然とテレビを見ていた。CNNのHPで落下していく女性の画像を見て、恐怖とも悲しみともなんともたとえようのないものを抱いた。その後の土曜日の午後、銀座の歩行者天国を歩く人々を見て、これだけの人々が一瞬にして命を奪われたのだと、思わず立ち止まってしまいそうな驚きを感じた(あのころはまだ試写が6,000人を超えると言われていた)。しかしその後現場に当地の大統領が立ってしゃべり、「U−S−A!」と連呼していたころからだんだん違和感を抱き始めた。あのころどうしてだったのか忘れてしまったが、すぐにパレスチナの人々のことを考え始めていた。
 思えば確かにあの事件から世界は変わった。自国内に独立紛争を持っている国が強権を行使できるようになったのだ。対テロ戦争と言う名のもの有無を言わせず暴力で解決できるようになったのだ。当初ブッシュ政権はチェチェンに対するプーチン政権の軍事的な押さえ込みを批判していたのが、あの事件後はすっかり賛成してしまっている。3年前ははるか昔のようでもあり、ついこの間のようでもあり。ちょうど「蕎麦アート」直後のことだった。

9/10
 午後6時から職場の「やんごとなきお方」を囲んで懇談会をやるとのこと。この「やんごとなきお方」はその言動からしても、とても尊敬できないようなお方なので、貴重な金曜の夜をそんなことで無駄にしたくないと思い、欠席をした。
 で、もってギャラリー巡りだ。巷房階段下の田口賢治さんの作品を見て、それが正解だったことを実感した。水面に小さなスポット照明を当てて、上から水滴が落ちる。その波紋が思いがけない動きで天井に映る。彼の照明の使い方は素晴らしくて、とても参考になる。今回同会場で3回行われたが、初回を見逃してしまった。初回がどんなものだったか写真を拝見させてもらった。見逃したのがとても残念だ。
 「やんごとなきお方」を囲んでの懇談会何ぞに出ていたら、とてもとても嫌な思いで帰宅しなければならなかっただろう。ギャラリー巡りをしたおかげで、わたしはとても豊かな気持ちで週末に入ることができたのだ。

9/8
 昨夜帰宅したらまったく電気がつかない状態だった。とりあえず真っ暗闇の部屋の中で自転車にたどり着き、その照明を取り外し、懐中電灯代わりに使った。何がおきたのかわからず、ふと思いついてブレーカーを調べた。落ちていた。まさか強風で落ちたのか?すべての電化製品の時刻は原初の世界に戻っていた。FAX、オーディオ、テレビ、ビデオ。すべての設定をし直した。そこに今朝、寝坊した原因がある。
 と、いうのは、わたしは毎朝テレビがタイマーでつくことで目が覚めるのだ。そのタイマーがオフになっていたのだ。いつもより1時間くらい遅く起きたのだが、結局職場には普段より10分程度遅れたくらいで間に合った。その1時間程度は一体なんだったのか。いつもはその時間に新聞を読みながら朝食をとっているのだが、それを割愛したという程度のことだったのだ。
 最近部屋の片付けは、アートリンク上野谷中2004の作品を終了し、その後に手をつけようと決めてしまった。カーテンにしてもテーブルにしてもそれからだ。だってそう決めちゃったんだもん。

9/5
 大森澪さんの銅版画とドローイングを見に行った。ドローイングは前回見逃してしまったので、今回初めて見させていただくことになる。大森さんの作品からはなにか詩(うた)が聞こえてくる。ときどきその詩のすべてが聞き取れない自分をもどかしくなりながら見ていたりする。
 が、今回の会場はずっとイタリア歌曲を流し続けている。これでは作品から聞こえるはずのものをかき消してしまっているではないか。何とかがんばって見ることに専念する。音楽と作品のコラボレーションのつもりではないだろう。「雰囲気作り」をしてつもりなのだろう。が、「雰囲気」が必要ない作品もあることを考慮して欲しいものだ。
 今日は吉祥寺のリサイクルショップにも足を運んだ。作業テーブル兼ダイニングテーブルが欲しいのだ。 ごっついものかとてもキッチュなものか。今日はキッチュなテーブルがあったので、どうしようかと悩みつつ、まだまだ部屋が片付いていないことを言い訳にそこで決断することを先延ばしした。
 それから井の頭公園を通り、玉川上水のほとりを歩いて帰った。井の頭公園も人があんまりいない方(御殿山など)は木々の間を歩くのがとても気持ちよかった。もっと散歩にいい季節になるのを楽しみに待つことにしよう。

9/4
 京橋、銀座の画廊巡り。三鷹からだと銀座に出るにはどういうルートがいいのだろう。今日はちょうど青梅特快というのが来たので、そのまま東京まで出て、有楽町で降りた。
 今日は日下芝さん、吉岡まさみの作品が特に印象深かった。
 帰宅してから制作を開始。アートリンク上野谷中2004に参加するものだ。とにかく中旬までに30点作成しなければならない。最初からこつこつひとつずつ作っていったらとても間に合うものではない。そんなわけでわたしはドーピングさせていただきます。
 ロシア・北オセチア共和国の事件はなんとも痛ましい大惨事になってしまった。プーチン政権はきっと数年前のモスクワの劇場を占拠されたときのような大惨事を巻き起こすかもしれないと思っていたが、これほどの結末を迎えるとは。モスクワよりも北オセチアの方が近いボルゴグラードに住む13歳のヴァレーリアは、どんな思いでニュースを見ていることだろう。
 テロリストを擁護するつもりはないが、しかし現在チェチェンがどんな状況なのか、どれだけチェチェンの人々がロシア軍の攻撃の犠牲になっているのか、ほとんど伝わってこない。イラクのナジャフではファルージャに続いてさらに民間人の犠牲者がたくさん出ているようだ。アフガニスタンでは、スーダンでは、では・・・。
 世界のいたるところで、なぜこんなにも悲惨な状況があるのか。などど小学生のような疑問を声に出してみたくなる。

9/1
 まるで時差ぼけのように、日中頭も体も重い。なんとか一日をやり過ごし、やっとの思いで帰宅する。日曜から疲れがなかなか退かない。やっぱり体調が万全でないときに慣れない力仕事をしたために、回復するのに時間がかかるようだ。それに片づけでここ一週間ほど絵を描いていない。
 昨日、今日と代々木で降りてハンズに通う。アクリルキューブを買うためだ。今週はハンズメッセと称するバーゲンセールのため、人でごった返している。しかも昨日はお目当てのサイズのアクリルキューブが売り切れていて、今日はそれの再挑戦だった。それから思いついて紀伊国屋に寄った。引越しの荷物で本はまだ一切手をつけていないのに、また今日一冊買ってしまった。昨日だかの朝刊に広告が出ていた、アメリカの新聞マンガ「ブーンドックス」だ。今後帰宅途中の買い物コースとして、代々木で電車を降りて、紀伊国屋−ハンズ−タワレコってことになるだろう。しかし昨日も今日もほとんどふらふらしながらの寄り道だった。
 今日はに早めに就寝することとしよう。

8/30
 なかなか引越しの荷造りが完了せず、当日の3時ごろまでかかってしまった。その後疲れきって床についたのだが、いろいろと心配事があるためか寝付かれない。明け方はかなり強く雨が降っていたので、引越しは一体どうなることかと思った。
 朝9時から引越業者さん到着。引越の作業員さんはだいたい20代から30代と相場は決まっていると思ったが、わたしと同世代かそれよりも上の人たちがやって来た。でもなかなか力強い。独り者だが本やCDが驚くほどあるわたしの荷物も1時間半で作業は完了してしまった。その後大家さんと不動産屋さん立合いで引渡しを終え、11時過ぎには旧居を引き払って、新居に向かった。大家さんには8年間お世話になり、「お互い年をとりましたね。」と言われた。大スペクタクルではない時代の中国映画(チェン・カイコーの「黄色い大地」など)に農民役のエキストラで出演していたんではないかと思われるような風貌で、一級建築士でありながらジャージに地下足袋姿の大家さんではあったが、結構作家活動にも興味を持ってくれていた。会うと必ず会釈していた3軒先の男性とも偶然会って挨拶をした。奥さんのおなかが大きくなり、子どもが生まれ、抱っこしたりベビーカーに乗せられていたのが、今ではお父さんに手を引かれて歩いている。その成長を見られてとても楽しかった。
 最初三鷹まではバスと電車を乗り継いで行こうと思っていたが、雨がかなり降っているし、PCとハードディスクを持っていたので、タクシーを使うことにした。敷金が3/4戻ってきたので、少しお金に余裕もあったし。
 12時過ぎには新居に荷物を運び込んでいった。ほとんど寝ていない上に、荷物の運び出しでかなり重い段ボール箱を部屋から玄関まで出す作業をしたため、相当疲れているようで、業者さんが運び込んでくれるのを必死に立って見守っていたという感じだった。作業が終わり、ガス工事も終わって、一段落したところでダウンしてしまい、しばらく横になっていた。そんなわけで初日はほとんど箱を開封せず、必要最低限なものを出して、寝る場所を作って、さっさと寝た。これが29日。
 30日朝起きてもまだ疲れが残っている。使い慣れていない場所の筋肉を使ったために体のいろいろな箇所が痛い。朝早々からいろいろと開封し始めたが、箱詰めを計画的にやっていなかったので、どこに何があるのかわからない。テーブルを作るにもネジをどこか別の箱に入れてしまったらしい。うまく動かない家電製品も取説をどこに入れたのかわからない。我ながらその要領の悪さに途方にくれてしまうときがあった。しかし8年前石神井に引っ越したときには荷造りの準備をこつこつとやったせいか、引っ越した当日に結構片付けられて、住める環境にはなっていたはずだった。まあ8年間で荷物が減ることはなく着実にどんどん増えていったからかもしれないが。そうこうするうちにまたダウンしてしまい、1時間くらい横になっていた。
 午後、とりあえずかなりの場所を占拠している段ボール箱を開いて整理していこうと、台所、風呂関係、靴を終えて、次はCDに取り掛かった。でもなかなか終わらない。今日もまだテーブルは組み立てられていない。この状態がどこまで続くのだろう。本、CD、材料等で荷物の3/4はいっているだろう。だから部屋が散らかっていてもなんとなく生活できてしまうのだ。しかし非定住民だったら、バックパックひとつで異動して、一部屋で十分なくらいの暮らしにすべきかもしれない。
 それにしても疲れきっている。明日から出勤だ。片付けは毎晩やっていくことになるだろう。

8/26
 引越しします。三鷹の方に。
 石神井公園駅から自宅までの道の途中、桜や松や大きな木がところどころにあり、それが和やかな気分にさせてくれた。住宅街を抜けるようにして歩いていった三宝時池のまわりもときどき歩いて楽しんだ。水の見える風景は心地よかった。
 しかしどこに行ってもどうしても仮の住まい、非定住民という意識は抜けない。8年も住んでいたのに特に愛着を感じるような気持ちにはならなかった。引っ越す段になっていつも感じるのは、その地域をもっと散策したりして楽しめばよかったのにということだ。それがインドア派の特性なのだろうか。石神井についてもおいしいコーヒーを飲ませてくれる雰囲気のいい喫茶店や富士街道沿いに家族でやっている小さなイタリアレストランがあることは知っていたが、ついに入ろうとしなかった。体調を戻してからそこに行くためだけにもう一度石神井公園に来てみようと思う。
 きっとどこに行っても仮の住まいという意識は抜けないのではないかと思う。それはたぶん、そういった意識が人間に帰着してしまっているからではないかと思う。郷里とは両親のことであり、我が家とは私自身のことであるというように。

8/25
 ジュンパ・ラヒリの「その名にちなんで」読了。「停電の夜に」と続けて読み終えた。
 ジュンパ・ラヒリ。なかなか読ませる。お勧めだ。

8/23
 母は毎朝神様に「どうかトシオの今の境遇がよくなりますように。」とお祈りしているようだ。だが、残念ながらその当人が神を信じていないせいか、どうもその願いは通じていないようだ。
 今日はお昼にコンビニで買ったミックスサンドを食べたのだが、ツナとハムを食べたところで、胃に圧迫感を感じ、最後の玉子まで手が出なかった。それから半日その圧迫感にうめきながら仕事をした。
 帰りにクリニックに寄った。処方する薬を変えると言う。一応、これこれの原因なので薬を変えてもあまり効き目がないのではないかと言ってみる。なあんだそうだったのかという様な感じで、少しこちらを見る目が変わったようにも思えるが、しばらく新しい薬を試し続けることに変わりはなかった。薬局の窓口で薬をもらう段になり、酒、タバコ、辛いものは控えるようにと言われる。酒タバコはやらないし、辛いものも三ヶ月は摂っていない。
 ときどき歩いているときに香辛料のにおいがしたりすると、少し懐かしいような、ちょっぴり悔しいような気分にもなる。おいしいものを食べたときの幸福感からすっかり遠ざかっている。帰省したときにもおいしいざるそばの普通盛りが食べ切れなくて、ある種罪悪感を感じながら店を出た時があった。こんなことでは人を食事にも誘えない。ほら、食事を一緒にすることでつながる何かってあるでしょ?

8/22
 午後2時過ぎくらいまでOPAでの展示の際に撮影したビデオの編集をしていた。ビデオに登場いただいた皆さんに改めてお礼を言いたい。  その後、外出してギャラリーを二つ巡る。久しぶりにBunkamuraに行こうとして、間違えて道玄坂をどんどん進んでいってしまった。間違いに気がついて脇道に入り、東急の方へ進んだ。そうしたらそこは思いっきりのホテル街だった(そういえばそうだった)。しばらく行くと壁面にエキゾチックにカラフルな絵が描かれた建物に出くわした。CLUB ASIAだって?ホテル街にクラブ。めったに歩かないところに来たのだから、もっと遊歩を楽しめばよかったのだが。
 Bunkamura GalleryのLANDINGを見に行ったのだ。Bunkamura Galleryがサポートするという6人のアーティストの中では今野尚行さんの作品に惹かれた。化粧道具のパフや封筒の糊付けする面とかパンストやらを描いているのが、ほんのりしたリアリズムといった感じで面白かった。ずっと見ていたら、スーツを着た会場の担当者(?)に「今野さんのお知り合いですか?」などと言われた。考えすぎなのであろうが、それは「はい。制限時間を越えました。」と言われたような気になって、次のアーティストのところに行かざるを得なかった。声をかけられた側としてもマイナスなタイミングに受け止めないように注意せねばならぬな。

8/21
 銀座界隈のギャラリー巡り。
 銀座テアトルシネマの前に列が。なんだろうと思ったら、「華氏911」の初日なのだ。こんなにみんな興味を持っているのか。確かに話題性のある映画ではある。この時勢にフラストレーションを感じている人々も多いだろう。でも考えなければならないのは、この映画はかの国のことを描いているということだ。この映画に足を運ぶのであれば、かの国のことではなく、この国のことをもう少しは考えるべきなのではないのか?
 ギャラリーKの大巻伸嗣氏はかなり衝撃的だった。まったくの白い空間の床が鏡面になっていて、そこに地図をモチーフにした図と、その間に等高線のような線が描かれている。ワンダーサイトの巨大なインスタレーションからは想像できない展開だった。
 巷房の鯨津朝子氏はWork in Progressで、会期の前半という感じが拭えずちょっと残念。もう少し線の関係が描かれた状態のものを見たかった。もう一回行ければいいんだけれど。
 コバヤシ画廊の菅野まり子氏は一年前にも見て、そのグレーの色彩がとても印象に残ったものだった。画風は昨年と変わらず、世界の厳しい情勢などが描かれているところは変わらない。だが、たとえば首輪をつけられて四つんばいになっている人物からはアブグレイブ刑務所を思い出させる。それを意図して寓話的に描かれたのか、わたしがそういうように勝手に見てしまっただけなのか。
 上野の東京都美術館で三宅光春さんが参加しているグループ展を見る。板の上に無数に針の山のように立てられた極細の金属柱の先端に小石が着けられている。その中を歩くことができ、床の板の揺れが金属柱に伝わり、石が揺れる。それが波紋のように広がる。とても楽しめる作品だった。三宅さんに誘われて東京都美術館の入口の椅子で飲み物を飲みながらしばらく歓談する。作品のことやら制作のことやらいろいろと話が弾み楽しかった。こうして誘ってくれたことがとてもうれしく感じた。
 その帰りに公園の中で偶然MMさんに一年ぶりに出会う。編集のお仕事が忙しいそうで、今日はその合間を縫って芸大美術館の横山大観を見に来たのだそうだ。特に何気なく「お仕事の方は?」なんて聞かれたものだから、一瞬躊躇して、「実は・・・。」と話してしまう。でもたぶんMMさんはご自分の仕事がここ何ヶ月とても大変だったので、それで何気なくお聞きになっただけなのだろう。5月のOPAはちょうど忙しさのピークだったらしく、お越しいただけなかった。今後の展開をぜひご覧いただきたいところだ。
 一旦戻り、軽く食事をしてから、西荻のライブハウスにHARPYのライブを見に行く。しかし出発するのが遅れてしまい、到着したのは最後の方で二曲しか聞けなかった。狭いライブハウスに一杯の観客で、室内はとても暑く、HARPYが終わったらそのまま外に出てしばらくおのてつさんらとのおしゃべりのお付き合いをした。そういえば入場料払わず仕舞だった。すみません。
 今日は山手線の中と上野駅で「もうおなか一杯」というおばさんの言葉を聞いた。その言葉を聞いたとき、自分で愕然としてしまうことに気がついた。「おなか一杯」な感覚を自身がほとんど忘れてしまっているのだ。胃炎以来、空腹は胃痛を呼び、食べたら食べたで寝るまでずっともたれたような感覚になる。当然食欲もなく、食が喜びにはならなくなっている。確かにそれほど食にこだわった生活を送ってきたわけではないが、おいしいものを食べることは幸せであったのに、今ではその感覚も失ってしまっている。なんとも不幸な生活なのだろう。こんなわたしでもそのくらいの幸福は味わわせてもらってもいいじゃないか。

8/19
 帰り道、先を歩く女性二人のうちのひとりが前の方を指差した。家並みの間に大きな赤みを帯びた三日月が見えた。
 胃炎はそう簡単には完治しないのか、しばらく続きそうだ。

8/18
 そんなにオリンピックで盛り上がれるものか?と、職場で朝早々に聞こえてくる会話の中身に、そう思ってしまった。
 あー。昨日から胃痛が続く。

8/17
 そんなわけで昼休み中に歯医者に行った。結構時間がかかってしまい、昼食を食べる時間がなくなってしまった。そんなわけでゼリー状の栄養補給剤と少々のお菓子で済ませることになった。
 そうしたら夕方にストレスがかかる二時間を過ごし、それが終了したら胃が締め付けられるような感覚になり、寝るまで腹部を押さえてうめき続けることになった。一人の人物の妄言、虚言、暴言を聞き続けることがこんなにストレスになるとは。

8/16
 年の割に申し訳ないが、わたしは飴類が大好きなのだ。いや、大好きというよりは、たぶん咀嚼をもっとしたいのに大食家ではないので、そのぶん欲求不満になって、そういった飴類に走るのだろう。ジャンクフードはどうしても腹にたまる。だから飴なのだろう。グミよりももっと固くて柔らかなもの。ガムよりも味が続くもの。最近は中に食感の異なるものが入っている「ぷっちょ」なんかコンビニで思わず手が出てしまう。そんなわけで粘着力のある飴を摂取する。それでだろうか、歯にかぶせたり埋めていた金属がまあよく取れることと言ったら。
 そんなわけで今日もぷっちょを食べていて金属がはずれてしまった。また明日から歯医者だ。ところでわたしはものすごい神経が太いんだか神経がないんだかわからないが、歯を削っている最中に眠ってしまって危うく口を閉じそうになってしまったことなんてときどきあるのだ。だってお昼休みに行って横になるんだもの。でもそれにしても口の中でガリガリやられているときに眠れるなんて我ながら恐れ入るものだ。

8/15
 少々寒く感じられるほど涼しい一日だった。
 今日は午後出勤して仕事をした。
 帰りに本屋に立ち寄った。またしても散財。小谷真理「エイリアン・ベッドフェロウズ」、秋葉忠利(広島市長)「報復ではなく和解を」、手塚治虫「ふしぎなメルモ」。

8/14
 今日は三鷹に行き、それから玉川上水に沿って通る「風の散歩道」を井の頭公園に向かって歩いた。湿度が高いが風を受けて気持ちよかった。
 ギャラリー惺の近くにある焼き鳥屋で高田渡を見つけた。最近何度かテレビに高田渡が登場する際、必ず出てくる焼き鳥屋がここ以外には考えられなかったので、今日は意識して見てみたのだ。そしたらいたいた。いらっしゃいました。明らかにほろ酔い加減で談笑していた。
 オリンピックが始まった。職場のみんなは予想以上に楽しみにしていたらしい。わたしなんかもうしらけている方に入ってしまうほどだ。しかし、ただこう思うだけなのだ。興味がないわけではない。ときどきその競技を見たいと思うときもある。ただしわたしが見たいと思うのは(もし見たいと思うのであれば)競技そのものなのだ。別にどこの国の代表でもいいのだ。

8/13
 昨日、今日と職場の近くで盆踊り大会が開催されていた。すごく久しぶりに盆踊りのお囃子を聞いたような気がする。が、あともう数メートル歩けば見れるであろう櫓やその周りを囲む踊りの輪を見ようともせず、地下鉄の入口を降りていった。
 帰りに新文芸坐に寄り、ラスト一本割引で「美しい夏キリシマ」を見た。「TOMORROW/明日」と本作と現在上映中の「父と暮らせば」で黒木和雄の「戦争レクイエム三部作」ということになるらしい。霧島の深い緑の稜線とふもとに広がる淡い緑色の田園。戦時であっても日常生活は続き、さまざまな思いが交差する。それぞれがなにかを失いながらも生きながらえている。
 不毛な訓練を抜け出して、戦争未亡人との逢瀬を重ねる兵士が、玉音放送を聞いているときの、神妙ではない、脇に流れていく視線が印象深かった。「帝国軍人」の名を汚すこの役を演じている香川照之と、その兵士とのむき出しの欲望に生きる未亡人役の石田えりがなんともいい味だった。
 岩波ホールで上映されたときには見逃してしまっていた。「父と暮らせば」を見る前にちょうどいいタイミングだった。
 それにしてもロケ地の田園風景の美しさといったらなかった。アーチ型の脚が美しい石積みの橋も息を呑むような風景だった。先月の帰省以来だが、緑の中で暮らすことは悪くないと思い始めている。

8/9
 職場の会議室にある大きな液晶のモニターが、入力データがない状態の青い画面となって光を放っていた。それはまるでデレク・ジャーマンの「ブルー」のようであり、ジェームズ・タレルの作品の一瞬のようでもあった。
 先週から胃痛が復活し(前ほどではないにせよ)、処方してもらう薬が元に戻ってしまった。さらに就寝前に飲むようにと、軽い精神安定剤も追加になった。

8/8
 ギャラリーの前まで行ったのに、なんとなく入らずに帰ってしまった。ギャラリーYMとTAS。すみません。
 外苑前の駅に着いたら大勢の人々でごった返していて驚いた。神宮球場で花火大会なのだそうだ。たとえばオペラ鑑賞に行くためにそれなりの服装が必要だとされるのと同様に、花火大会に行くためには浴衣姿が必要であるとされているのかと思ってしまうほどに浴衣姿が多い。まあいいんだけどね。
 オーパに寄った帰り、表参道を歩いていると、アニベルセルで挙式をしたカップルが歩道の方に出てきて 衆目を浴びたり拍手をされたり。カップルを見て思ったのは、当人たちがこういうミーハーな演出を必要としているほどの年齢とは言えない、もっと落ち着いた雰囲気を好むような年齢に見えたことだ。でも安くはないであろう会場代と、まったく無関係な通行人まで巻き込むシチュエーションによってイベントを成立させてしまおうとする演出は、ある種のステータスの証明なのかなと考えさせられた。なーんて普通に祝福してあげればいいんだけど、まったく無関係な通行人として、暗黙のうちに立ち入り禁止区域みたいになっているところをちゃっかり横切らせてもらいました。
 オーパの手ぬぐい展。Tシャツ展のときもそうだったけれど、どうもわたしはあるパターンが反復するようなミニマルなデザインが好きみたいだ。

8/7
 午後からギャラリー巡りをするために湿気の高い世界に出かける。京橋では桑原盛行さん、花田伸さんの作品を大変興味を持って鑑賞できた。神田の「環」でのグループ展。工藤春香さんがお目当てだったが、東美貴子さん、大島真由美さん、丸山貴美子さん。それぞれ力のある作家さんばかり。今日はなかなかいいものを見ることができたと思う。
 5時すぎ、ミキクンと芸大美術館に行って、脇のベンチに座ってしばらく歓談。だいたいは彼の近況やら思っていることを聞いていたのではあるが、彼の熱さが伝わってわたしの中にも残ったような気がする。ミキクンの今後の活動が楽しみだ。
 大学内の木々が、まだ日が残る青空を背景に鮮やかな色を見せていたのが、次第に夕闇にまぎれていき、暗闇の中で下から照明に浮かび上がっていった。美しかった。夕立で無数の大きな雨粒が目の前のコンクリートで跳ね上がった。雨粒が途絶えた後に流れてきた涼風が心地よかった。
 昨日聞くつもりでいたのにシャワーを浴びたら、その記憶も流してしまった武満徹の「弦楽のためのレクイエム」を一日遅れで聞く。

8/6
 歯が立たない割にはまだ現代思想8月号「いまなぜ国家か」を読んでいるのだが、帰りに突然「停電の夜に」のジュンパ・ラヒリが気になり始め、「停電の夜に」と「その名にちなんで」を買ってしまった。
 そう感じるのはわたしだけだろうか。59年目のヒロシマの日。NHKなどではニュースの取り扱いが郵政民営化やオリンピックの次くらいだ。去年まではトップ扱いではなかったか?秋葉市長の平和宣言の中に去年からアメリカ批判が登場したからか。来年は60年目だ。50年目だったときのことを思い出してみる。10年前世界がこんな風になるなんて誰が考えただろう。10年前日本がこんな風になってしまうなんて誰が想像しただろう。今さらながら世界は、日本は曲がり角を曲がってしまったということを知る。  

8/5
 早めに退社できたので(と、言ってもギャラリーにはもう寄れない時間帯だが)、「あ、Tシャツでも買いに行こう。」とか思ったのに、「いやいやそうではなくて。」と、またCDを買いに行ってしまいました。ニコライ・カプースチンというロシアの作曲家のピアノ曲とスティーブ・ライヒのMUSIC for 18 MUSICIANSのライブ盤の二枚購入。マルク-アンドレ・アムランというピアニストによるニコライ・カプースチンのピアノ曲のCDは最近評判らしい。まあミーハーってところですね。それからライヒの方は試聴してみて、その音のよさとグルーブ感で思わず買ってしまったのだ。
 結局またTシャツは買えなかった。黒のシャツの喉元にエンジのTシャツが見えるってのを考えて買おうと思ってたんですが。なにせアートショップで買おうとしているので、なかなか・・・。

8/3
 鶴見俊輔と網野善彦の対談「歴史の話」は94年に刊行されたものが単行本が選書化されたものだ。もちろん内容は大変興味あり、鋭い分析がなされている。が、しかしこの対談がなされてからの10年間で何が大きく変わっているかというと、「国家」というものの突出ぶりだ。ふたりの対談の中にはそんな転換点前の雰囲気(楽天的とまでは言わないまでも)が感じられた。
 そんなわけで次に読む本は現代思想8月号「いまなぜ国家か」だったが、難解で放り出したくなっている。柄谷行人のインタビューがあるのだが、わたしには柄谷行人は難しくて。森達也と斎藤貴男の対談は読めた。別の同傾向の本を読んでから、再度挑戦しようか。悩むところだ。

8/1
 今日は休日出勤。  帰りに新宿に行ってハンズとタワーレコードに寄った。
 たぶん残エネルギーがイエローゾーンからレッドゾーンあたりにあるのだろう、やや現実感覚が希薄な風景の中をすり抜けるように歩いていた。確かにわたしはここにいてこうして歩いているのだが、しかしすれ違う人々も行き交う風景も、なんとも言えぬ隔たりを感じる。
 ハンズではアクリルのキューブを買った。これからいろいろと忙しいときだが、できれば秋に参加したいイベントがある。それに出品するためのものだ。そろそろ来年を見据えかたちで活動し始めようと思うのだ。

7/31
 ハタミ・マフマルバフの「午後の五時」を見逃してしまった!そのうちどこか名画座でやればいいんだけど。
 この夏は「父と暮らせば」と「誰も知らない」を見たい。きっと泣いちゃうな。
 午前中からずっとグッタリ気味で、ごろごろしていたが、午後3時過ぎに今日が最終日の個展をいくつか思い出し、京橋に出かけた。
 電車の中で何人もの浴衣姿の女性を見かけた。隅田川の花火だと帰ってから知った。そういえばあの人の浴衣姿に、やさしく頬に触れられたような気持ちになったのはいつだったんだろう。

7/30
 ある人との会話。
「イグチさん、つかれてますね。」
「そうなんですよ、疲れてるんですよ。」
「いえいえ、その『疲れてる』じゃなくて、『憑かれてる』ですよ。」
 その人には昨日、胃が痛くなっている時に鉢合わせになって、「どうしたの〜?」と驚いて顔を覗き込まれたのだ。なんだかわたしの姿全体が灰色がかって見えたらしい。
 別の人には残業している姿があまりにも影が薄かったので、見間違えだったのではないか、そのとき見たものはわたし自身ではなく幽霊だったのではないかと思われたほどだった。
 そんなわけで今日の夜は「暑気払い」ならぬ「悪魔祓い」をすることになった。と、言っても居酒屋がお祓いの場所だ。冷奴によるお祓いだし。
 結構盛り上がった会にはなった。が、しかし当然ながらその「悪魔的環境」など、そんなことで祓われることわけがない。

7/27
 昨日、昼食直前にストレスがかかり、すっかり食欲をなくし、昼食は牛乳小パックひとつだけとなった。そのせいだろうか、帰りに寄った医者で「もうだいぶ痛みも薄れてきたようなので、薬も少し種類を減らしてみましょうか。」とみぞおちを押さえられたら、思ったより痛くて、二種類減らすところを一種類減らすだけに留まった。
 そうしたら今日なんだか痛いじゃないの。胃痛のぶり返しかよ。夜、食べたら(夕飯とは言えないような内容だから)、3時間たってもまだまだ胃の存在感を感じている。なかなか素直には直らないのかも。

7/25
 府中美術館の高松次郎の回顧展に行った。
 彼の影の作品による存在に対する問いかけやものの見え方、あり方を問うもの。平面の上に空間を作るといったあたりが興味を持つところだ。この回顧展にはドローイングが多く展示されていて、最終的に作品にどう行き着いていくのかを見ることができる。
 しかし最晩年のコーナーに行き着いたところで体力的に辛くなってしまい、椅子に座ってしばらく休息をとった。
 帰りの電車の中でも少し辛くて、早く自宅に戻って横になりたいと思った。実際に二時間くらい横になっていた。
 思い出した。5年前にある方から展覧会を「とりあえず10回はやってみろ。」と言われたことがあった。小品を出品しただけのグループ展は除き、そばアートやおのてつさんとの二人展も含めれば、OPAでの個展が10回目だった。
 今は制作に結びつかない不安定さに付きまとわれている。何とか落ち着きたいものだ。

7/24
 朝起きて一通りのことを済ませたものの、体がだるくてギャラリー巡りなどできる気分ではなかった。この季節に発表されている作家さんには申し訳ないが。しかも今年は猛暑だし。きっと制作も大変だっただろうし、人の入りもなかなか大変だろう。と、グッタリ横になりながらetcを見たり、展覧会のチラシを眺めていたら、目黒区美術館の「黄−地の力&空の力」とワタリウムのエンプティ・ガーデン2に気がついて、早速外出することにした。
 目黒区美術館の「黄−地の力&空の力」。今まで「色の博物誌シリーズ」を開催してきたようだが、気がつかなかった。美術作品だけではなく、鉱物、植物の顔料、染料の原料なども展示していたり、黄色のガラス製品や陶器、衣装まで展示されていて、なかなか面白い切り口だった。それから展示の会場デザインがなかなか凝っていた。伊庭靖子、徳永雅之といった現代美術の作品もじっくり堪能できた。それからすごく面白かったのは、栗田宏一の日本全国から採取した土のサンプルだ。きれいにグラデーションをかけて並べられていて、美術的にも学術的にも好奇心をくすぐられた。
 目黒区美術館の隣の区民プールはなかなかの賑わいだった。真剣に泳いでいる人もグッタリとした体勢で日焼けをしているおじさんもいた。その中に欧米の女性二人がプール脇で談笑しているのを見つけた。なぜかアルノー・デプレシャンの「そして僕は恋をする」を思い出してしまった。あの映画の中でプールのシーンは、これとはシチュエーションも違うし、たいした重要なシーンでもなかったはずなのに。
 ワタリウムのエンプティ・ガーデン2。円空の木彫仏の実物を見られたのはとてもうれしかった。本来ならばそれらが祭られているその場所に行って見るべきなのであろうが。やはり東洋人であるわたしとしては、6人の作家の中では円空とクー・ジュンガの見せてくれるランドスケープに近さを感じた。
 それからオーパによって、藤波さんと歓談。気温のことやら家族のことやら話をした。また気がつかないうちに長く時間を過ごさせてもらった。
 9.11直後からアフガニスタン爆撃あたりまでは確実に、熱狂的なまでアメリカ現政権の外交政策を支持していた某公共放送のワシントン支局長が、アメリカ大統領選挙に関するドキュメンタリー番組でこう言った。
「あの9月11日の『事件』以来・・・」
「テロ」ではなく「事件」と。彼の心情はあの当時と変わってきたのか。辺見庸にさんざん「おまえはジャーナリストではなくてアメリカ政府のスポークスマンだ。」と批判されていたのだが。

7/23
 退社後、ギャラリー人へ。海老原宏樹さんは初めてだったが、ミニチュアの建物みたいな立体が妙に気になったのだ。どこが気になっているのか明確にできないところにご本人が来られて、そこで感想を述べているうちに、それが明確になっていった。
 たとえばテーブルの足の型どりをした一角を持った箱型の立体はテーブルの足のその先の空間が形になっている。L字型のビルの窓がある面のそのさきには合板が層になっている形が見える。それはどことなくわたしが境界面を作ってその間の空間を意識させようとしているのに似ている(ように思える)。そんなあたりが引っかかって興味を持ったのだろうと思った。
 自身の個展の際は「作家」です。と自己紹介できる。が、鑑賞者の立場であるとき、自分を「作家」と自己紹介していいものか、迷う時がある。「作家」よりは「表現活動をしている者」という方が近い気がする。それによって表明されるのは「身分」ではなく「立場」だからだろうか。

 なぜこうやって日誌をつけるのか。時にはどうでもいいような感想を述べ、時として友人のプライバシーを侵しながら。
 元々日誌をつけようと思ったのは、頻繁にHPを更新すれば、検索サイトでヒットし続けるだろうと思い(最近YAHOOではヒットしなくなってしまったが)、ちまたではやっていたブログを参照しようと思ったからだ。元々文章を書くのは苦にならないし。自分のプライベートライフを露出して楽しんでいるわけではないが。
 日誌の読者にお会いすると少し不思議な感じがする。

7/21
 まだまだ30℃をはるかに超えた気温だというのに、妙にさわやかな感じがするのは39℃を超えた昨日よりも気温が低いからなのか。
 Tシャツを買おうと思って見て回ったが、どうもぴんと来なかった。その代わりではないが、本を二冊買ってしまった。パラダイム・チェンジ?

7/20
 39.5℃!?
 お昼に外に出たら、いつもの「空気全体が暑い」という感じとは違う、「太陽が熱い」に近い皮膚感覚があった。
 今日、あるところで「誠実で意志が強く内省的だ」と評された。何と答えたらいいのだこんなとき。ちなみにわたしは「え?そうですか?う〜ん。そうですかねえ。」

7/19
 東京に戻ってくる途中で薄ぼんやりとした、灰青色の影のような富士山を見た。写真を撮ろうとしてバッグからカメラを取り出そうとあたふたしている間にアングルが変わってしまった。残念。
 東京の夕焼けも、青空と赤い雲の組み合わせが美しかった。
 この三連休で本を二冊読んだ。帰路の途中で二冊目を読み終えそうだったし、高速が渋滞で何もないと退屈するだろうと思って、途中、休憩で寄ったサービスエリアでアエラを買った。もう一冊新書とか文庫本とか持って来ればよかった。だいたい帰省してもやることはないので、読書しているだけなのだから。
 この三連休の後半二日間、特に最終日は休み明けのことを考えてしまい、暗くなってしまった。母から言われた。「こっちに来た日と帰る日とでは顔つきが全然違う。」
 そりゃそうでしょ。

7/18
 郷里の山のふもとにある美術館に両親とともに行ってみた。草間彌生がここで何回か展覧会をしたことがあったし、ちょうど企画展をやっていて渡辺豊重さんの作品なんかも見れるようなので、行ってみたんだけどね。
 そうしたら美術館内で結婚式をしているのさ。企画展のメイン会場で。1時間半くらいだけれど、そこには一般来場者は入れないわけ。で、わたしなんかはちょうどその時間帯にぶつかってしまったわけだ。こんなめったに来れないところに来て、安くはない入場料(1,000円)を払っているというのに、それはないでしょうと、珍しくちょこっと腹を立ててしまった。で、再入場させてもらうことにして、隣にある古刹に行った。と、言っても小さいころからよく遊びに来ていたところだ。
 うっそうと茂る樹齢何百年にもなろう木々が作り出す陰影は、それなりの荘厳さを持っていた。ここでささやかな流れを写真に撮ったりして取材をした。
 結婚式が終了する時間になったので、美術館に再入場させてもらい、企画展のメイン会場に行った。アンケートに「この観光シーズンの来場者はほとんどがめったに来れないところから来て、安くはない入場料を払っているのだから、結婚式をしてもいいが、再入場の案内だとか、もっと配慮してもらいたいものだ」と書こうと思っていたのだが、メイン会場を見て満足してしまったためか、すっかり忘れてしまった。
 まあ、いろいろと「事業活動」はあるだろうが、ここの館長さんやら学芸員さんは地元の若手美術家を振興するような活動をしていると聞いたことがある。もともと美術館などなかった土地だから、しっかり根付いてもらいたいものだ。
 その後は池や川に行って水面の写真を撮った。近くに見える山には、中ごろに浮かぶ小さな雲の影が、緑の稜線に映って見えた。気持ちのいい眺めだった。
 夜、星空を見ようと思って外に出たが、曇っているからかあまり星が見えなかった。当然ではあるが、20年位前に比べれば照明の数も多くなっているし。「満天の星空」を見たくなった。

7/17
 三連休を帰省して実家で過ごすことにした。近況報告と水面の取材を兼ねて。一年半ぶりの帰省だ。
 晴れていれば途中で富士山が見えるのだが、曇り空で何も見えない。しかし、盛夏ともなって山中の緑色のグラデーションが素晴らしく美しかった。東京でも公園で木々の緑を楽しんではいたが、山々の深く深く続く緑に感動してしまうほどだった。
 ふと、緑の木々に深く囲まれて暮らすのも悪くないなと思った。
 しかし郷里の町並みはなかなか不況を脱し得たとは言えないほどに閑散とした印象のままだった。
 さすがに標高600mを越える街。涼しい風がとても快適だ。

7/16
 六本木ヒルズへ。これが三度目。森美術館へ行く前に、お約束のルイーズ・ブルジョアの「ママン」と宮島達男の「COUNTER VOID」を見る。その段取りを終えてから美術館へ入った。エレベーターに乗る前に手荷物検査。前回は確かなかったはずだ。テロ対策?確かに東京で壊して見ごたえのある建築物と言えばここだろう。それぞれの入場口も前に比べて結構物々しい気配を感じる。夏休みシーズンになって来場者が増えてテロリストが紛れ込みやすいとか思っているのか?
 そんなことはどうでもいい。まずはカバコフのインスタレーション「私たちの場所はどこ?」巨人の展覧会と等身大の展覧会と床下の小さなランドスケープ。三重の仕掛けがあり、なかなか面白い。等身大の展覧会はソ連時代の写真と詩が展示されている。その中にタルコフスキーの「鏡」の一シーンがあった。それ以外にもわたしの見ていないソ連時代の映画だとか舞台の写真があるようだ。「あらゆるものの相対性」というテーマは、この三重の仕掛けと「ソ連時代」という仕掛けにより、永遠だと思われたものが、そうではないのだと言うことを示しているように思われる。
 次のコーナーのジュン・グエン=ハツシバ。沖縄の海の中で絵を描くパフォーマンスをしてみましたか。あー・・・。それで?
 MoMAの「モダンってなに?」。巨匠たちの作品が見られるのだけれど、なんだかそれぞれの作家の「過程の作品」なんだよな。ポロックにしても彼独自の技法を生み出す前、1941年の作品だったりする。つまりモダンって中途半端ってことか?よく言えば誕生前夜ってことか?まあそうは言ってもさすがの巨匠たち。見ごたえがなかったわけではない。エゴン・シーレの絵があんまりかっこよかったので、絵葉書を買ってしまった。
 展覧会を見終えてから、少し夜景を見た。曇り空だからというわけではないだろうが、夜空が不思議なくらいに暗く見えない。
 11時過ぎくらいに六本木を出た。

7/11
 吉祥寺のギャラリー巡り。 椛島ちさと(ギャラリー惺)、村田朋泰(ギャラリー人)、飯田祐子(遊工房アートスペース)。なんとなくなつかしくて、ちょっと切ないような、そんな感じで、それぞれ興味ある内容でした。ギャラリー人から歩いて遊工房アートスペースへ。よく道に迷わずにたどり着いたものだと、われながら感心してしまった。
 雨が降る中を遊工房へ歩いている途中、布団を干しておいたのに気がついた。朝はいい天気だったのでベランダの軒下だが、干して外出したのだ。迷った。布団を取り込みにすぐに帰宅するべきか、それとも遊工房に寄るべきか。そしてわたしは遊工房を選んだのだ。安眠よりはアートを。
 一旦帰宅して、それから投票。
 人生いろいろ会社もいろいろ。選挙もいろいろ。

7/10
 国立近代美術館の「ブラジル・・ボディー・ノスタルジア」、京橋で6ギャラリー、原美術館と巡った。
 このごろ暑くて体力が落ちてきているためか、近代美術館では椅子に座る機会が多かったように思える。企画展の方を出ると、アンケートに答えると「国立近代美術館オリジナルシャープペン」と次回展の割引引換券がもらえるとのことで、ちゃっかり答えました。
 で、今回一番よかったのは常設展で、丸山直文とイケムラレイコと松本陽子が並んで展示されていて、それをじっくり鑑賞できたことか。
 京橋はう〜ん。原美術館の野口里佳はまあまあ。
 ジュリー・デルピーのCDを買ってしまった。全曲彼女の作詞作曲。歌も下手ではない。でも、12曲のうちフランス語は1曲しかない。なんかちょっとがっかりだ。

7/9
 明日は「納豆の日」らしい。昼に立ち寄った職場の近くのコンビニで言っていた。
 退社後、マキイマサルファインアーツとOギャラリーに立ち寄る。それぞれ力作で面白かった。
 Oギャラリーでは大野さんに話しかけられた。
「神宮前でこの前おやりになったんでしょう?」
ちょうど橋爪彩さんの作品を見ていたので、橋爪さんのことをおっしゃったのだと思い、
「ああ、エスででしたよね。」
と、答えたら、どうやら橋爪さんのことではないらしい。
「イグチさん、この間個展をされて。ほら、あの人のところで。」
 大野さんはわたしがイグチトシオだとご存知だったのだ!
 ひとりのアートファンとして振舞っていたのだが、すでに正体はばれていたのか!
 な〜んて大げさ。
 夜、この間のカウンセリングで行ったスクリーニングの結果を受けて、カウンセラーからのアドバイスがファックスで届いた。予想通り結果はそれなりに深刻に出てしまったようだ。次回のカウンセリングでは「ていねいにやりとりをする」とのことだ。体の方はよくなってきたのだが、心の方は・・・?

7/8
 朝出勤途中にあまりの暑さで気持ちが悪くなってしまうほどだった。
 まだ梅雨なんでしょうか。

7/6
 カウンセリング2日目。
 今日は呼吸法を教えてもらう(というか呼吸法を身につけてくださいと言われた)。それからしっかり食べてしっかり寝てくださいとのことだった。
 終わりの方で心理的ストレスのスクリーニングということでアンケートみたいなものを書いた。質問についてどのくらい当てはまるかを4段階で答えるというものだ。しかしその4段階にすでに数字が書かれていて、これを集計すれば何がしかの答えが出てくることがわかる。結果を誘導させてしまう可能性がある。それによってスクリーニングの本来の目的から逸脱して、ひとつの症状を意識的に作り出しうるようにも見受けられる。
 結果は後日FAXで送ってもらえるようだ。楽しみとも言えないが、まあ待つことにしよう。

7/4
 昨日行けなかったかわさきIBM市民文化ギャラリーに行った。
 YAHOOなどで路線を確認すると、石神井公園から川崎までは、池袋から山手線外回りに乗り、田端で京浜東北線に乗り換えて川崎に着くというルートが出てくる。本当にそれで早くつけるのかと試してみた。案外早く着いた。
 真島直子氏の「地ごく楽」。地獄と極楽をかけたタイトルに見合うように、死と再生が(と言っても死骸が腐敗しそこに昆虫やら微生物が群がっているような、そんな描写としてだが)読み取れるような作品だった。
 その後、有楽町−国立−国分寺−三鷹とギャラリー巡りをした。あまりに暑かったので、街歩きもあまりしないで、そそくさと帰宅した。
 ストレスのせいでしょうかねえ。最近は小難しい本が読めなくなったんですよ。今は井上ひさしの「吉里吉里人」を読んでいます。

7/3
 9時から6時まで横浜で仕事。場所はパシフィコ横浜。窓から横浜港が見える。午前中は波頭が日の光で輝いて見えた。所々に見える、無数の輝きがOPAでの個展の様子を思い出させた。ああ、そうか。こういうことだったのか。と、思った。
 本来ならば5時に終了し、帰りにかわさきIBM市民文化ギャラリーなどに立ち寄ろうと思っていたのだが、思わぬ障害が発生し、時間の都合がつかなくなってしまった。残念。 


タイトルは「マトリックス」の中で出て来るセリフらしいですね。実はわたしはこの映画をテレビでチ ラチラとしか見ていないので、どこで出てくるのかよくわかりません。わたしはスラヴォイ・ジジェクによる テロとその後の戦争について論じた文章のタイトルとして知ったのでした(現代思想臨時増刊「これは戦争か」より)。
なお、画像は島田雅彦の「ミス・サハラを探して」(KKベストセラーズ) の中のチュニジアの砂漠の写真(撮影;中島誠)を無断借用しました。