イグチトシオがふと考えたこと、感じたことを書き留めておきます。念のために再度申し上げますが、見せたくない部分は書かず、こういう所を見てほしい、こう見られたいというところを書いています。
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2004年10月1日〜12月31日
12/31
10時過ぎに新宿のハンズに行ってアクリルケースを買い、それからタワレコでDVDを買う。去年の初めに見たゲバラのドキュメンタリーがDVDになっているのを知ったからだ。それから普段よく行くアバンギャルドのコーナーに行き、何枚か試聴した。結構いいものもあったが、今はもう少し荒涼とした音を必要としている気がして買うのをやめた。
帰りにスーパーに寄って買い物を済ませて外に出たら大粒の雪が降り始めていた。雪を受けながら帰った。帰宅してからは雪が降るさまを見ながら読書をして過ごした。
12/30
よく寝た。と、9時半ごろ起床。
朝刊を開いてびっくり。スーザン・ソンタグ死去。
去年後半から重要人物たちの死去が相次いでいるように感じる。エドワード・サイード、ジャック・デリダ。国内でも網野善彦、種村季弘などなど(敬称略)。
さて、物置になっていた部屋の片づけをして(段ボール箱の位置を変えただけか?)いるうちになんとなく一日が終わったような感じだった。おとといから日課の30分ほどの徒歩をしていなかったので、午後4時ごろ家を出た。まずは三鷹駅へ行き、そこから玉川上水沿いに井の頭公園に出て(平日の帰り道とは逆)、そこからずっと井の頭公園に沿って歩き、かなりうろうろして、帰ってきたのは5時15分くらいだった。だいたい5.5qの行程だったか。まあまあいい運動になったということにしよう。
その後は秩父事件に関する新書の読書。
12/29
朝、カーテンを開けたら外は雪だった。
きっとこんな雪の中、外出する人もそれほど多くはないだろうと思い、恵比寿に映画を見に行った。学生時代のゲバラが友人と一緒にした南米縦断旅行を映画にした「モーターサイクル・ダイアリーズ」だ。雪の中だが結構人が来ている。5、60代のそれこそゲバラと同時代を生きたような世代から、20代のごくごく若い世代まで年齢層はかなり幅広い。映画は良質のロードムービーでもありとても面白かった。若きゲバラがいかにして世界を知り、世界と関わりを持とうとし始めるかを描いていた。映画館ではゲバラ関連グッズが売られていた。キャップからTシャツからマグカップまで。もちろんポスターもポストカード(5枚セットで500円)も。
それにしても今なぜゲバラなのか。90年代にも一度訪れたブームがまた訪れたという感もあり、すっかり「ファッションイコンにもなっている」のだが、製作のロバート・レッドフォードの意図は、やはり今のアメリカ(あるいは世界全体)の政治状況と無関係ではないと思う。映画の最後のキャプションでは「CIAの工作により、(ゲバラは)銃殺された。」と表示されていた。聞くところによるとゲバラがボリビアで捕らえられ処刑されるまでの日々を描いた映画も撮られるらしい。アメリカ政府の後押しを受けた軍事政権のもとで何十年も抑圧されてきた「アメリカの裏庭」である中南米からは、また興味深い世界観が示されるだろう。
知り合いの女性ふたりがゲバラが好きだと言う。ひとりは20代で友だちともよくゲバラの話をするんだそうだ。しかしみんなで「ちぇげばら」と呼んでいるらしい。「ゲバラ」か「チェ ・ ゲバラ」と発音してほしいとお願いした。20代といっても後半でファッションイコン以上の内容で会話をするのだろうが、彼女らにとってのゲバラは一体どういう意味があるのだろうか。ブームに関係なくゲバラを知ったらしく、本屋でゲバラ関連本が山積みになっているところを見るのはあまりいい気分がしないそうだが。
もうひとりは思想、風貌、喘息持ち、すべてにおいてゲバラを信奉しているらしい。やはりこちらもブームには違和感があるらしく、今「モーターサイクル・ダイアリーズ」を読むのも見るのもブームに乗ったみたいで嫌だと言う。わたしは・・・あまり意識していない。まあそれほどゲバラを信奉しているわけではないということかもしれない。
今のアメリカの政治状況との絡みだと、今年のエミー賞を「エンジェルス・イン・アメリカ」が受賞した
というニュースには驚いた。この時代にあの舞台がテレビドラマとして放映されていたんだと。なにしろゲイ、エイズ、キリスト教というもっとも議論を呼ぶテーマを取り揃えている舞台がお茶の間に闖入するのだから。舞台ではサブタイトルが「国家的テーマに関するゲイ・ファンタジア」だし。しかもこの舞台はホモフォビックで強権的保守のレーガン政権時代が舞台設定だ。現政権はレーガン政権時代に育った人物たちで組織されている。しかも原作者のトニー・クシュナーは同性と結婚しているゲイであるし。これがアメリカの持つ懐の深さとでもいうところか。ところで「エンジェルス・イン・アメリカ」の脚本は10年前に出版されたが、「第一部至福千年紀が近づく」のみで「第二部ペレストロイカ」は未刊だ。読みたきゃ洋書で読めということですかい?
帰りに本屋に寄り、秩父事件を扱った新書を買った。と、いっても秩父事件を詳細に知りたいからということでもなく、映画で俳優が演じた人物がだれなのかはっきりさせたかったからかもしれない。
今回の年末年始休みも年明け早々の個展など入れていなかったために、差し迫った緊迫感なしに過ごしている。でも本当は堀正明さんのための小品を作らなければならないし、来年10月用の小品やらプラン作りもしなければならなくて、何もしなくてもいいという状態ではないのだが。
その前に引っ越してから何も手をつけていない荷物など、この際きちんと片付けなければならないのだが。
あ、ところで「モーターサイクル・ダイアリーズ」の上映の前の予告編で、「ビフォア・サンセット」という映画の予告をやっていた。これはイーサン・ホークとジュリー・デルピーが出演していた「恋人までの距離(ディスタンス)」(リチャード・リンクレイター監督)の続編らしい。いやぁ、わたしはこういうシチュエーションには弱いぞ。しかもバックではIVYの"EDGE OF THE OCEAN"が使われている。「恋人までの距離(ディスタンス)」のシチュエーションもかなり痛いところを突かれたが、こちらの方はもっと痛いところを突かれそうだ。堪忍してください。
12/28
仕事納めの日。
帰りに歯医者と耳鼻科に寄る。
それ以外は特にどこにも行かずに帰宅。
12/26
ご近所のギャラリーに、スーパーに行くついでに立ち寄るって感じで行ってみた。一方は高級家具屋+カフェ&レストランにギャラリーが付いているところ。そこでは知人が平面作品+立体を展示していたのだが、偶然彼が隣のレストランで食事をしていたところで、久しぶりに話をすることができた。
もうひとつは純粋にギャラリーで、作家は京都の人なのだが、ちょうどギャラリーにいらっしゃって、こちらもいろいろとお話をした。作品の変遷やら素材やら、はたまた日本国内や外国のアート事情に到るまで。思ったより長時間話をしていたようで、家を出てからスーパーでの買出しを終えるまで2時間も経っていた。
午後はテアトル池袋で「草の乱」を見た。秩父事件を題材にした映画だ。今この時代に秩父事件が取り上げられるというのもなかなか興味深いタイミングだ。たぶん夏ぐらいに公開されて、これが三館目の上映だと思う。大きく話題にはならないものの、ずっと観客が絶えないという映画なのだろう(客層は結構年齢が高かったけれど)。秩父事件は教科書的に数行分の概要を知っているだけだったので、改めてなにか一冊程度本を読んでみたいと思う。
その後伊東屋に行ってメルシー券を使って白いカッティングマットを購入。黒のカッティングマットは持っているのだが、下絵に沿って切るとき、黒のマットだと見えないので、白いマットが欲しかったのだ。
で、忘れてました。今日は谷中関係者での忘年会だったのでした。でもまあわたしが行ったところで場が盛り上がることなんてありえないし、飲まない食べないしゃべらないで、場がしらけきるってことがなかった分、わたしがいなくてよかったということにしてください。すみません。
12/25
神田−銀座−表参道−広尾とギャラリー巡り。
失礼ながらそれほど期待せずに行ったAPSの松本秋則さんが大収穫。ローテクな仕組みのサウンドオブジェ。仕組みひとつずつにタイマーが取り付けられていて、音の組み合わせは偶然に生まれる。その動きと音はいつまで眺めていても飽きが来ない。会場にいた三ツ木紀英さんとお話しをしながら、しばらくその音が染み込んでいくままに身を任せていた。本来の会期は今日でおしまいだが、あまりにも評判がよく、一月一杯まで会期を延長することになったらしい。少し友人たちにもお勧めすることにしよう。
Oギャラリーでは大阪中心に制作されている作家さんを鑑賞できた。中山恵美さん、中岡真珠美さんは結構好きな作品だった。
最近はちょっとした小品でグループ展などにも参加できればと思い始めている。オーパ・ギャラリーで現在開催されているマッチ箱の作品についてもごくごく予想通りではあるが作品を提供できるような感じでもある。でもその作品が他の作家さんの作品の中でどの程度インパクトを持つことができるかは、なかなか難しいところもあるようには思えるけれど。そんなあたりを藤波さんとお話をした。
ふとみかんが食べたくなって、近所の八百屋さんで安いものを買う。おじさんが「はい200万円。」と伝統的なギャグをかましてくれたのに、すっかり無視してしまった。すみません。次からは「に・に・にひゃくまんえん〜!?」とか返します。
12/23
ここ何日か池袋西武に行っている。カードのポイントを買い物券に替えるためだ。最初は日曜日に行って待ち人数が20数人だったのでやめて帰った。月曜に行ったら待ち人数30数人だったので、やっぱりやめた。でも年内でないと替えられない。わたしの場合は2000円分で西武でしか通用しないけれども、捨てるのはもったいない。それで今日また11時ごろ行った。今日は待ち人数が40数人だった。でも今日は帰るわけには行かず待つことにした。でも思ったより早く順番が来てまったく時間がかからずに買い物券をもらえた。こんなことだったら最初に来た日曜日に済ませておけばよかったのに。それから12階のWAVEに寄りうろうろした。引っ越してからまったく池袋西武に行かなくなったので、なんとなく懐かしいような気分になった。その後しばらくリブロで時間を潰して・・・と思ったらまた本を買ってしまった。
それから東京オペラシティーギャラリーでヴォルフガング・ティルマンスを見る。むかしワコウ・アートオブ・ワークで、コンコルドが飛んでいるところや脱ぎ捨てたシャツのかたまりや友人たちなんかの写真を見たときは、まったくピンと来なかった。いつだったか新日曜美術館の中で今回の展覧会が紹介され、ティルマンス本人が「後になってから、『ああ、あのときが幸せな一瞬だったのかもしれない』と思うかもしれない、一瞬一瞬を切り抜いて残していくのだ。」みたいなことを言っていたのを聞いて、ああそういうことなのかなと思って、それを確認するためにも展覧会にやってきたという感じだ。「ああ、今のは・・・。」と思った次の瞬間にはもうすでに消えてしまっているような輝きというかきらめきというか、そんなものをとらえているというところか。
休日だからか、「日本においても、ユース・カルチャーの代弁者として、絶大な人気を博している」ためか、結構入場者が多い(マチスやピカソほどではないにせよ)。大判のプリントもあればL判のスナップショットもある。それらで空間を構成するインスタレーションになっている。わたしは水にインクを落としたような線描のような"Freischwimmer"という作品群が気になった。センシュアルでもあるし繊細でもある。わたしが絵画を描くなら多分こうなっていただろうというものとかなり近かったからだ。
ちょうど同じ時期に展覧会が開かれている、ラリー・クラークとティルマンスを比較するならば、ラリー・クラークの方は露骨な性描写もはっきりと示していたように、明らかな暴力性が太い線で描かれている。それに比べてティルマンスは、同じ意図があったとしてもはっきりと出さず、暴力性にしても線で強く描かれてはおらず、ドットで全体的に暗示されているような感じがする。まあまあいい感じだと思った。
上の階では野又穫。一室がインスタレーションのようになっていて、絵画が間隔を置いて天井から吊り下げられているため、野又のどこにもない建築の絵画が合間合間から見られるのだ。その展示方法は面白いと思った。そういえば野又は「白い巨塔」のオープニングの映像に協力してたんだっけか。
帰りはまた吉祥寺駅で降りて、井の頭公園沿いと玉川上水沿いを歩いた。今日は日中の風景を楽しめた。
今日はいたるところでクリスマスケーキを販売していた。近所のコンビニもレジの女の子がサンタさんの服装(をしているのが外から見えた)。なにやら世の中めでたそうで。なによりですな。
12/22
退社後、ワタリウムのラリー・クラーク展に行く。60〜70年代の写真集は薬や犯罪に手を染めている旧友たちが被写体になっている。トレーラーハウスに住んでいる、今の言葉で言えば「ホワイト・トラッシュ(白人のくず)」たちだ。90年代には映画「キッズ」を監督して、その撮影時のスナップショットなどもあるが、展覧会で一貫して見られるのは、ざらついて、なでた指先にとげが刺さるような写真だった。
見終わってからショップ、ON SUNDAYSに立ち寄ってCDを見る。以前、ここで渋谷慶一郎のCDを扱っていたので、できれば入手したいと思ったからだ。レイアウトを変えてCDが奥の方に行ってしまい、なかなか見つけにくい。それであれぇとか思って探していると、髪の毛が短くてメガネをかけていて、地下に降りてきたお客に「らっしゃい」と 声をかけるあんちゃんに話しかけられた。
「レイアウト変えたもんだから、CD、隅の暗い方に追いやっちゃって。お探しのものありましたら、僕に言ってください。こっちにも少しCDありますよ。」
それで指差された方にも行って探してみた。そこでふと手にしたCDについて、あんちゃんは説明をしてくれた。なんでも今年ターナー賞受賞の作家(名前忘れた)がスイスの田舎に行っていろいろな音楽を分け隔てなく採取してきてCDを作ってしまったのだそうだ。それこそママさんコーラスあり、中学生のヘビメタありで、内容はもう笑うしかないトホホなCDなんだと(あんちゃん気にいってんのかな)。ああ、そうなんですか、へえ面白そうですねと一応相槌を打ちつつ、渋谷慶一郎のCDを尋ねた。それであんちゃん、一枚残っていたのを探し出してくれた。
それにしてもあんちゃんに急に話しかけられて少し不思議な感じだ。そんなに日参していないし、数多くいるお客の中の一人に過ぎないはずなのに。そんな目立たないでしょう?わたしって。誰かと勘違いしてたのかな。
帰りは外苑西通りに架かる陸橋をわざわざ渡り、通りのイルミネーションと外苑西通りの正面に見える六本木ヒルズを眺めた。
12/21
三鷹市内の耳鼻咽喉科に行った。鼻腔を覗いて鼻水を少々採取し、鼻腔を空気洗浄して、薬を処方しておしまい。血液を採取して何に対してアレルギーを持っているか調べてもらえるのを期待していたのだが。
でもそれはただの病気自慢のネタにしかならないだけで、それが何がしかの治療に役立つわけではない。例年出だしにガツーンと厳しい状態(くしゃみ鼻水が止まらない状態)がやってきて、それからはプラトーな状態になるので、それほど激しくない今の状態が、はたして処方してもらった薬が効いているのかどうかわからない。一週間分薬をもらっているので、しばらく様子見だ。
12/20
やはりスギ花粉はすでに飛来している。朝起きた時点からくしゃみが頻繁に出て、三鷹から市ヶ谷までの電車の中で何度鼻をかんだことか。職場でもくしゃみ鼻水が止まらず、すっかり集中力を奪われた状態になってしまった。打ち合わせに出ても人の話が頭の中に入ってこない。
今日は一日くしゃみ鼻水で疲れ果ててしまった。
12/19
さて、今日は自転車でまた野川沿いを走ろうかと思ったが、ふと池袋の新文芸座でサミラ・マフマルバフの「午後の五時」を上映していることに気がつく。夕方の回に行くことにして、それまでに買い物やら部屋の掃除やらを済ませる。
マフマルバフ家の末娘、ハナ・マフマルバフの「ハナのアフガンノート」が併映。姉のサミラの「午後の五時」のキャスティングの過程を追ったドキュメンタリー。一般市民に出演の交渉をしていくところを追っている。アフガニスタンがいかに混沌としているか、そしてそれをサミラ(とマフマルバフ家)がどれだけの情熱を持って映画にしようと奮闘しているかが伝わってくる映像だ。ハナはこのとき15歳。17歳で「りんご」を撮ったサミラといい、恐るべしマフマルバフ一家。
「午後の五時」は微かな希望が見えるが、しかしなかなか厳しい現実がアフガニスタンを覆っているということが一人の女性を通して見えてくる映画だ。
たぶんパシュトゥン語でだろう、ロルカの詩が聞ける。
主人公の女性が「大統領になって戦争をなくしたい」と希望を抱き、ブルカから顔を出し、青い日傘をさして密かに持っていた白いハイヒールを履いて堂々と歩く。でもそれは仮の住まいとしている廃墟の中でたったひとりで「つもり」で演じているだけなのだ。一方では同じように大統領になって女性教育の遅れを取り戻したいと語る少女が、学校からの帰路に爆発に巻き込まれて死んでしまうし、水が枯渇した村から逃れてきた老人が、連れてきたロバが砂漠の真ん中で倒れてしまい、行くも戻るもできずにひざを抱えて途方にくれているというような現実もある。甘い夢だけを提示するのではなく、厳しい現実とほのかに見える希望を描くサミラはまだ24歳。父親のモフセン・マフマルバフはアフガニスタンの教育支援をしているとのこと。一家で隣国の実情に積極的に関わっていこうとしているようだ。
これは余談だろうが、こんな一家を輩出する国を、学生が大統領と直接話をして政府を批判することができるなんていう国(民主主義国家ですよねこれって)を、本当にかの国は次のターゲットとしているのだろうか。
12/18
川村記念美術館でピカソ展。
無料送迎バスが結構一杯になる。ピカソってやっぱりすごい人気なんだ。若いカップルやら親子連れ、ヴィンテージ・グループと、ピカソはあらゆる年齢から支持されているらしい(?)。
でも「『男の顔』って、ここが頭でここが首で・・・。」って謎解きじゃないんですから。「やっぱりわけがわからん」ことを確認するために来場したわけでもないでしょうし。
でもロスコルームに足を入れた途端、「わからん。」と一言残して足早にピカソ展の会場に進むってことはロスコはピカソより難解ってことか?いいです。わたしはロスコを堪能してからピカソを見ますから。
ピカソ展の会場にはパンフレットが置いてあった。
「ピカソを探検!子ども鑑賞ブック」
ご両親へ
美術について知るのに最もよい方法は、作品の中に見えるものについて話すこと。子どもの場合はとくにそうです。大人がそれに参加して、ここに書いた質問を読んであげ、子どもの発言に共感してあげることもできるでしょう。でも大切なのは、子どもが自分で考え、それを言葉にすることです。答えを先に与えてしまわぬように!ご両親が質問を加えるときは、子どもが、さらに作品を良く見て、もっと話すよう促すものに限りましょう。きっとびっくりするような答えが返ってきますよ。あなたが見過ごしていた作品の細部を発見し、思いがけない洞察に満ちた解釈をするかもしれません。
そんなわけでいくつか絵画をピックアップして、それを理解するためにいくつか質問があり、それを親子で鑑賞の参考にできるようになっている。執筆はアメリア・アレナスだった。なるほど。
どうりで親子連れが多いわけだ。とってもとってもいい雰囲気で寄り添ってピカソの絵を見てお互いに感想を言い合っている母娘もいた。家族でピカソを読み解く。いい企画だ。
でもそれでロスコをないがしろにしてピカソ展の会場に急いで進んでいった多くの人々が、わたしにはちょっと気になった。
それから東京に戻ってギャラリー千空間のグループ展へ行った。mobile artという企画で行われた今回の企画展。身につけられるアートということで、きっちりとした確かな手仕事の作家さんたちのアクセサリー類やバッグなどなかなかかっこいい、かわいい作品揃いだ。作家の一人、山本佳子さんにもお会いできた。山本さんのお友だちが何人かいらして、わたしも時々会話に参加させていただいた。
千空間の草野さんとは花粉症の話で盛り上がる。やっぱりみんな今すでに花粉症の症状が出ていて、今すでにこんな状態なので、来年のピーク時(今年の20〜30倍の量の花粉が飛ぶらしい)がいかに大変なことになるかと恐々としているようだ。草野さんはもうかなり効く薬を処方してもらったようだ。わたしもやはりなにか手当てした方がいいだろうと勧められた。
夜はNHKスペシャル「イラク・最前線で何が起きていたか」を見る。正規軍だけでは足りずに急遽派遣させられたアーカンソー州兵部隊のルポが第一部。第二部はアル・ジャジーラのバクダッド支局の奮闘ぶりと閉鎖に到るまでのアメリカ(と傀儡暫定政権)との確執について。結局立場の弱い一般市民の辛苦や悲痛が踏み固められて「大きなな歴史」が作られていくということなのか。
12/17
立川の防衛庁官舎への反戦ビラポスティングにより住居侵入罪として逮捕された三人にに対して、今日無罪判決が下る。知人の友人ということで何度か署名をした程度だったが、まずはホッとする。
たとえば西荻北の公園のトイレに「反戦」と落書きして「建造物損壊容疑」で起訴されたケースと同じように、この逮捕には見せしめという意図がある。今までピンクチラシのポスティングを取り締まって来たわけでもなく、いたるところでなされている落書きにも手を出さず、こういった主張のはっきりしたものに対してのみ厳重に対処する。表現等の自由への規制が、今後「セキュリティー上」という名目で一層なされていくだろう。これはとても恐ろしい予測だが。
12/16
広島から通訳の出稼ぎで東京に来ているカオリさんと赤坂で会食。ちょうど1年前にもボブさんとともに行ったおそばやさんに行った。
カオリさんとはほとんど15年来の付き合いだ。だからだろうか、この間の日曜日にその他友人と一緒に会った時よりはお互いにリラックスしているように感じられた。お互いの近況報告など、いろいろと話をした。今から思えば不思議なことだが、最近の世界情勢についてはまったく話をしなかった。
赤坂見附の駅ではどこかの本屋さんの出張販売が行われていた。「ガラスの仮面」最新刊発売だとか。びっくり。まだ連載が続いていたんだ。その昔北島マヤちゃんとは同い年の時があったのだが、いまではすっかり年上になってしまった。速水真澄よりも年上になってしまったかもしれない。
12/14
退社後、「自衛隊イラク派遣延長反対」の集会に日比谷野外音楽堂に行った。元防衛庁教育訓練局長の小池加茂市長、翻訳家の池田香代子さんのお話、JVCの熊岡、原さんのイラク報告を聞き、いよいよキャンドル・パレードとなった。
が、パレード出発の時間になってもなかなか出て行かない。どうやらパレードの前に警察の車を先導させようとしているようで、それに主催者側が抗議しているらしい。これはたぶん示威行為だろう。「こんなデモなどいかようにもコントロールできるのだぞ。」とでも言うかのような。あちらがようやく折れたようで、しばらくしてからパレード開始。わたしは待っている間にどんどん前の方に進んでいったので、先頭集団に入ることになった。一番先頭の車にはDJが乗って音楽を流す、最近登場してきたいわゆる「サウンド・デモ」となった。
いいPAを使っているのか、なかなかいいノリだ。ストーンズやクラッシュからラップミュージックもある。それらの音楽に合わせてみんな踊るようにデモをする。横の歩道を歩く人々も忘年会の酔いに任せてか、なんとなく興味津々そう。そんな音楽をバックにしてときどき「みなさん、わたしたちは自衛隊イラク派遣延長に抗議するデモをしています。」というような「語り」を乗せる。よくある「○×をやめろー!」とか「△◇をしろー!」というシュプレヒコールよりもわたしには居心地がいい。もちろん辺見庸言うところの「羊のように従順なデモ隊」かもしれない(そういえば辺見庸は講演先で倒れてからどうしたんだろう。もう大丈夫になったんだろうか)。だが、興味も利害も細分化されて一般市民がともするとお互いに敵愾心を示しているような社会では、こんな方法でソフトに訴えるのもひとつの方法だと思う。それにセキュリティーという名目により網の目のように規制が張り巡らされ、ストリートには実は自由など大してありはしないのだということを顕在化するために、サウンド・デモは有効な手段のひとつだろう。
もちろん今年の夏のサウンド・デモでは見せしめとしか思えない、言いがかりによる逮捕もあったし、音量による規制など今後も考えられる。たぶんやるときには一気にやるだろう。もしかしたらそれは今夜かもしれない。そう思ってやや緊張もした。
当然のことだがひとつ留めておこう。わたしはそうしてサウンド・デモで踊るように銀座の街を歩いた。しかしかの地の人々にはこんな灯りも音響も燃料もないのだ。お祭り気分など論外で希望も朧気だ。デモに最後まで参加したからといって達成感など一切ない。
12/12
三鷹リサイクル市民工房へ運動がてら徒歩で40分かけて行く。最近歩くことにこだわり始めて、自転車ではなく徒歩を選んだのだ。が、そのおかげで帰り道40分はずっと雨に降られてしまった。風邪を引きそうな気配だ。
CSさんのところへ遊びに行く。ネコちゃんたちとじゃれていたら、くしゃみが出た。そのうちに目もクシュクシュしだし、ネコアレルギーであることをついに自覚することとなった。別にネコが嫌いなわけではないのに、体の方で拒否反応を示す。なんとも切ないことだ。
夜は幡ヶ谷で斎藤徹さんのライブ。
12/11
竹橋の国立近代美術館で「草間彌生展」。結構な人気だった。
ただその人気というものが、どういうものかが気になった。女の子ふたりが「うわ〜。ヤバイよ、これ。」を連発しながら見ている。草間彌生は彼女らにとってはなにか「ヤバイもの」を作る人らしい。
別の女性二人組は「美術館に来るのって何年ぶり?」なんて言っている。何年ぶりかで来た美術館で草間彌生ですか!(というのか草間彌生を見るために何年ぶりかで美術館に来たということ?)。素晴らしいと言っていいものか・・・。
「水上の蛍」では部屋への入場を待っている間、わたしのとなりで順番を待っているおじさんが部屋の中を覗いて入口に立っている会場係さんに話しかける。
「すごいねえ。こんなのよく考えたよねえ。これ部屋はどのくらいの大きさなの?高さは?床は何これ。ああ、水なの。へえ。どのくらい深いの?こんなの見たら鬱状態なのも治っちゃうかもねえ。ほら草間彌生って鬱病なんでしょう?」
さすが会場係さん、機嫌を損ねないように適当に相槌打ってます。おじさん順番が来たら、わたしに「お先にどうぞ。」と言うので、お礼を言って入ったら後から続いて入ってきました。ふたり一組ではいるものだと勘違いしていたみたい。なんか感嘆の表現を口に出して、あろうことか床の水をピチャピチャ揺らして波紋を作っている。
「こうする方がきれいだなあ。この中にいたら今どきの病気も治っちゃいますなあ。」
なんてわたしに同意を求める。わたしは当然のようにそれを無視して部屋を出てしまった。あのおじさん、なんだったんだろう。
そして最後の方で大きな網目状の作品をまたいで歩く初老の男性がいた。会場係さんは当然注意をしたら、驚いたことにその男性は開き直って係員に向かって、
「こうやって作品の中に入り込むのがインスタレーションというものだろう。あんたはただの会場係だから仕方がないが、学芸員だったら『入ってはいけません』じゃなくて『これは入らずに鑑賞するものです』と言うべきだ。それでなきゃ学芸員失格だ。」
などとのたまったのだ。驚いてわたしはその男性をまじまじと見てしまった。
その後常設会場に向かうエレベーターで一緒になったその男性は、連れの女性(奥さん?)に向かってなにやら昔の話をしだす。「だれだれは何々の会員で、どこどこの展覧会から頭角を現して・・・。」まさかわたしに向かって自分がなにがしかの立場(作家なり評論家なり)の人物だと認めさせようとしているわけではないでしょうね。たとえそうだとしても、少しくらい注意されて意味不明な反論をするなんて、なんともちっぽけな人物だことか。それにまずもって草間彌生が作品の中に入って鑑賞するように意図していたのか(意図していたのならそれは美術館側にしっかり伝えてあるはずだ)。
なんてわけで美術ファンを超えた(かもしれない)草間彌生に対する認識度ってどんなものなんだろうと、なんだか考えさせられた展覧会だった。
そういえば岡本太郎も「やたらと元気のいい、目を見開いたおじさん」みたいなところがあったからな。
12/10
岩波ホールで「父と暮らせば」。
舞台は観ていないが、井上ひさしの戯曲は読んでいる。だからだいたいどんな状況でどんなせりふが出てくるかは知っている。なので、コップにはすでに一杯一杯水が満たされている状態なのだ。それを置いたお盆が揺らされるので、何とかこぼさないように我慢して持っている。と、そんな状態で映画を見ていることとなった。つまり男の子は映画館で号泣するわけにはいかないので、何とか我慢しなければならないと、そっちに気をとられてしまって満喫できなかったと言うことだ。我ながらとても残念なことになってしまった。
帰りのエレベーターに乗る際、「忘れちゃいけないってことよね。」と、感想を言われる方がいた。森達也と姜尚中の「戦争の世紀を超えて」に記憶し続けることの副作用として「被虐の連鎖」について述べられていたことを思い出した。
いろいろと考えたくなって、御茶ノ水駅まで歩くことにした。もちろんそれだけの距離で結論を出せるわけもなく、ただ心地よい夜風を感じただけだった。
12/9
帰りに「夕凪の街 桜の国」を買う。朝日新聞の書評欄で紹介されていて、気になっていたものだ。
帰宅してから読んだ。悲惨さに打たれることも、もちろんある。だが、そんな中からも立ち上がる何気ない人々の細やかな思いが滲んでくるようだった。この「こころのふるえ」を誰かに伝えたくて仕方がなくなった。
12/8
帰りに吉祥寺の駅で降りて井の頭公園の横を通り、それから玉川上水沿い三鷹駅まで行き、そこから自宅までというコースを歩くと30分くらいかかることがわかった。毎日続ければ結構いい運動になりそうだ。風景も飽きが来ないコースだし。続けてみましょう。
12/5
どうやら早朝、雨と強風だったようだ。カーテンを開けて外を見たらベランダに雨と落ち葉が吹き込んでいた。そしてずっと先には晴れ上がった空に遠く秩父の山が見えた。洗濯物を干そうとベランダに出たときの、これが12月かと思えるほどの日差しの強さに、気持ちが悪くなるほどだった。なんだか部屋の中の方が涼しくて、強い日差しの中を外出する気にもなれず、一日小品の制作をすることにした。
夕方になり、東京都写真美術館に映画「オランダの光」を見るために外出した。これはちょっと人から聞いた映画で、なかなか興味ある内容だったので行くことにしたのだ。
元々「オランダの光は特別だ(他の土地の光と違う)」という言い伝えがあり(レンブラントやフェルメールなどの絵画にそれが見られるわけではあるが)、ヨゼフ・ボイスが「1950年代の干拓のせいでその光が失われてしまった」と発言をしたらしいのだが、それらについて究明するドキュメンタリー映画だ。
干拓地の堤防でほぼ一年間、定点観測のように撮り続けた、空と雲と水面とそこにかかる光の変化がとても美しい。「オランダの光」についての解明はともかく、ここに登場する風景の美しさを見るためだけでもこの映画の価値はあるようにも思える。それからこの映画に登場した何人かのオランダ人アーティストの中で、Jan AndriesseのRainbowにとても惹かれた。ぜひ実物を鑑賞したいと思った。
帰り道、風で雲や塵が吹き飛ばされたためか、星がとても鮮明に輝いているのに驚いた。オリオン座くらいしか星座を読めないわたしには、その星々のきらめきを追うだけなのだが。
12/4
平日と同じくらいの時間に起きて、映画を見に行く。「やさしい嘘」。
主演女優は5年前に85歳で映画初出演をしたというおばあちゃん。その孫娘役の女優がロシア映画「動くな、死ね、蘇れ!」、「ひとりで生きる」、「ぼくら20世紀の子供たち」に少女役で出ていたという女性。舞台がグルジア。見るべきでしょう、これは。
まあるいおばあちゃん。頑固で聡明でやさしいかわいいおばあちゃん。いくつかの悔いの酸味とともに味わう懐かしさ。
その後京橋−銀座−中延−自由が丘とギャラリー巡りをした。
久しぶりにお会いする方々といろいろとお話をする。なんとも楽しく有意義な一日。
念願の大森澪さんの銅版画購入。額装していないが、とりあえず壁に飾っておく。
12/3
退社後にオーパギャラリーに寄って、藤波さんといろいろとよもやま話をした。
帰りにNADIFFに寄ったあたりから、なぜか頭の中でデビッド・ボウイの"JOE THE LION"が響き始めてしまい、どうしたものか新宿のタワーレコードのよってHEROESとLOWを買ってしまった。"WARSZAWA"も聞けるからいいか。
12/1
社員食堂での会話。
どうやら昨夜飲み会があり、その二次会でカラオケに行ったらしい。
A:「Z君も来て歌ったんだけど、他のメンツがオヤジばっかりだから、若向けの歌じゃなくってオヤジ向けの歌うたったんだよ、Z君。松田聖子とかさ。」
B:「ああ、Yさんなんてそこらまでだろうからなー、ついていけるの。」
A:「もう若いやつらの歌わかんねえよな。聞いたってさ、どこがいいのこれとかってさ。」
B:「今何がはやってんのかぜんぜんわかんないしさー。」
A:「やだよなーこんなこと言ってて、そのうちおれもBも『やっぱ演歌はいいよなー。』とか言い出したりしてさ。C君さあ、今若いやつらで人気あんのってだれ?」
C:「おれんじれんじっすかねえ。」
B:「ああ、なんか聞いたことあるなあ。」
A:「聞いたことあるけどわかんねーや。」
今思えばあり得ない話だが、そのときわたしは自分に話がふられるんじゃないかと思って答えを用意しようとしていた。
「昨日はSTYROFOAMというベルギーのエレクトロニカ系ユニットを聞いていた。」なんて。たとえそんな発言をしたとしても、一瞬の沈黙の後、その発言はなかったことにして話の続きが進むだろう。
まあいいのだ。特に話を合わせようと思ってもいないし、というよりは合わせることができないのだから。
11/28
午後2時過ぎくらいから自転車に乗って三鷹市内を走り回った。だいたい12〜13kmくらいは走ったのではないかと思う。まずは材料調査のために郊外の大型ホームセンターに行き、それから野川まで行って野川沿いの遊歩道を走り、なんとなく調布飛行場にたどり着き、そこで大島か新島に行く飛行機が飛び立つのを眺め、野川公園に到着して、そろそろ夕方が近づいているような日差しになったので、そこから戻ってきた。だいたい2時間くらいの道程だった。野川沿いの遊歩道はとてもいい感じだった。次回は野川沿いをしばらく走りたいと思った。病み付きになるという「大沢地区」だ。
今回は前回みたいに風邪を引かないようにしたいものだ。
11/27
新宿9:23発の快速に乗り、宇都宮に行った。宇都宮美術館の丑久保健一展に行くためだ。丑久保健一さんには学校などで教えていただいたわけではないが、個展会場などでお話をお聞きしたりして、影響を受けた方だ。多くの教え子や後輩作家などがいるにも関わらず、わたしのようなほんの数回しかあったことのない瑣末作家にまで名前を憶えて、気を使っていただいたり、いろいろとアドバイスしていただいた、本当にお世話になった方だ。
美術館の入口には2001年10月に板室温泉で拝見した作品が置いてあった。あのときにお話したのが最期だったことを思い出し、少々切ない気持ちになった。
実際に拝見したことのある作品、パンフレットでしか拝見したことのない作品が展示されていて、それら作品の持つ世界の広大さと深遠さに圧倒され、歩が少しずつしか進まない。それでもわたしには作品のどの程度が理解できたのか心もとない。
丑久保さんの作品をこうして一度に鑑賞できる機会は今後もうないだろうと思い、鑑賞に終止符を打つことができない。木彫に刻まれた丑久保さんの動作の軌跡をひとつずつ確認していくように鑑賞していきたく思いつつ、会場を行ったり来たりする。
ようやく会場を出て、図録を購入し(ポスターも欲しかったが、販売していないとのこと。残念!)、帰路に着こうとバスの発車時間を確認したら、数分前に発車してしまったところで、次のバスは1時間後だ。バスに乗り遅れてしまったというよりも、もう一度改めて作品が見られるという気持ちの方が強かった。再入場させてもらい、もう一度会場を回った。他の来場者からも「すごいわねえ。」という声が聞こえ、うれしいような残念なような気持ちになった。これほどの作家でも生前は一般的にはそれほど有名ではなく、亡くなって公立の美術館で回顧展が開催されてようやく世に知られるようになる。なんとも残念な状況ではないか。
こうして作品を系譜的に鑑賞し、改めて丑久保健一という作家の力量の大きさを感じた。若いころに住み着いてインスピレーションを受けたという大谷石採石場跡の地下深い漆黒の空間が、晩年には染み付いていた身体から何か新しい形で湧き出てきたというようなお話しで、それからどのように表現が展開されていっただろうかと、もし今もお元気であったならという気持ちになった。
美術館から宇都宮駅に戻り、大谷石採石場跡に行こうと大谷資料館行きバスの時間までカフェで軽く腹ごしらえをした。そのとき、資料館が16:30に閉館し、入場が16:00までだということに気がついた。バスは宇都宮駅を発車するのが16:00過ぎだ。そのとき時間は15:20ごろ。ここまで来たのなら「次の機会に。」と言わずに、丑久保さんに関係の深い地に今日行かなくてはと思い、タクシーに乗った。
結局16:00ギリギリに到着して、運賃は都内−宇都宮間往復の電車代より若干安いくらいだったが、タクシーの運転手さんに街路樹のトチの木のことやら、大谷石の肥料としての意外な効用などのお話が聞けてまあまあ楽しかったからよかったとしよう。
採石場跡の地下空間は「丑久保さんを偲ぶ会」の会場として訪れたとき以来だ。開場時間の終わりの方に到着したためか、来場者も少なく、ほんの数分ではあったがわたしひとりしかその空間にはおらず、耳鳴りしか聞こえないような絶対的な静寂も体験できた。この闇の中で丑久保さんは身体感覚や空間認識を獲得していったのだ。だがほとんど観光として訪れただけのわたしにはそんな感覚もつかめるわけがない。またいつかここを訪ねてこようと思った。
帰りのバスが宇都宮に到着して数分後に快速列車が発車するので、そのまま列車に乗った。途中の小山駅でおじさんたち10人ほどの団体が乗り込んできて、わたしの周りの椅子に座った。どうやらこちらでゴルフをやり、一杯ひっかけてから乗り込んできたようだ。やたらと声が大きい。中には手すりで懸垂などやる人もいる。車掌さんがやってきたところを捕まえて、「新宿に早く着くのは、この電車で赤羽で埼京線に乗り換えるのがいいのか、それとも次の駅で湘南新宿ライナーに乗り換えるのがいいのか。」と尋ねている。おいおいこのおやじたちと赤羽まで一緒かよと思い、別の車両に移った。が、まだ声が聞こえるので、もうひとつ先の車両まで行った。若者ばかりではない、いい年をした大人までが公的空間に対する認識を失っている。ボックス席ならまだしも普通の横長の7人がけの椅子でわいわいやるのは常識があるとは言えない。こんなだから個人主義と利己主義の区別がつかず、「公共」と「国家」を同じように考える輩が出て来るんだよ。などとその場で思ったわけではなく、とにかく関わりたくなかっただけだ。
そんなことはどうでもいいんだけど。まあおじさんたちゴルフ楽しかったんだろうな。ずっと前にゴルフ場を予約して、今日なんか朝早く起きちゃってさ。
今日は一日かけて丑久保さんの力量を確認したような感じがする。作品に対する姿勢、素材に対する取り組み方から、空間と自身の関係性など、得るところの多い一日だった。丑久保さんは生涯「重力」というキーワードを持って制作をされた。わたしはある意味「重力」が深く関係するが、「浮遊感」が重要なキーワードになっている。そのあたりはいつかまとめて文章にしてみたいと思う。
本当に残念なのは素材が変わってから、丑久保さんには作品をご覧いただいていない。できることなら今の素材を使うようになってからも叱咤していただきたかった。
11/23
せっかくのいい天気なので、日光の元、小品の作成を9時半ごろから始める。
午後3時過ぎくらいに外出して、京橋−新橋とギャラリー巡りをした。GALERIE SOLで志水児王さんにお会いした。来年早々に個展をされるらしい。楽しみだ。それから新宿のハンズで材料を購入して帰宅。
11/21
目覚めたところで体調が万全ではないことに気がつく。掃除を終えてこれはまずいと思い、しばらく横になった。掃除程度の運動でやばいのならそれ以上の運動は無理だろう。当初計画していた三鷹市内自転車彷徨を断念。結構いい天気なのに残念。今日ふたつのギャラリーに行こうと思っていたのも中止して、大人しくじっとしていることにした。
11/20
井の頭線に乗ったところで、せっかくプリントアウトした渋谷区立松涛美術館とギャラリーTOMの地図を持ってこなかったことに気がついた。松涛美術館にはなんとかたどり着いた。安井仲治は戦前のアマチュアカメラマンということになっているが(家業の洋紙問屋をやりながら写真を撮っていた)、その表現方法や構図はとてもとても並のものではない。メーデーを撮った写真では警察官の足元に捕まりそうになっている男の影が伸びている写真や、灯台を斜めに配置して近景に編みかごを置いたり。農夫や子どもたち、神戸に滞留した亡命ユダヤ人たちの表情も時代を超えて視線を投げかけてくる。なんとも力があり新たな技法に挑戦しようとする精神に満ち溢れる「アマチュア」がいたものだと感動した。
松涛美術館に渋谷区内の美術館やギャラリーで企画したスタンプラリーの地図が置いてあり、ギャラリーTOMにも事なきを得て迷わずに到着。セカールの立体は最初どうという事もなかった。しかし平面作品で途中まで打ちつけてから寝かせた無数の釘の作品に足が止まった。そこから作品を見る目が変わって行ったように思った。ギャラリーTOMは視覚障害者のために作品に触って鑑賞できるギャラリーだ。以前、新聞でギャラリーTOMに関してこんな話を読んだことがあった。視覚障害の上にさらに腕がないために、細かい感覚を味わえるのは舌の先だけという方が来られて、彫刻をじっくり舌の先で鑑賞したとのこと。どこの美術館でもそんな鑑賞方法は許してもらえないため、その方はそのときが初めて彫刻というものを鑑賞する場になったらしい。その方はじっくりと舌の先で彫刻を鑑賞し、上気し息が荒くなっていったという。息苦しくなるほどの感動を味わっていたらしい。そんなことも思い出し、セカールの作品が最初の印象からずいぶん違ったものに見えてきた。
その後、渋谷、表参道、湯島、千駄木、根津とギャラリー巡りをした。来年10月に個展をすることになったギャラリーKINGYOで少し部屋の中を計測させていただいた。
帰宅してからどうも風邪っぽいことに気がついた。まだ完治していなかったのだ。と、いうか毎年この季節は長いこと風邪を引いている。まあ今年もそういう季節になったということだ。
11/16
朝起きて、どうやら風邪が治ったことを確認。そして出勤。
11/15
風邪を引いた。昨夜、激しい頭痛と寒気がした。一晩寝たがまったく変化がなく、朝起きたときも寝る前と同じように、寒気と頭痛の世界に目が覚めた。職場を休むことにして一日寝込んだ。本当にただただ一日寝ていた。
11/14
午前中は新聞を読み、気休め程度の掃除をした。
午後になってから三鷹市内を回ろうと自転車で外出した。まずは中近東文化センターへ。しかし!水曜日、金曜日、土曜日開館。ってことは今日はお休みでした。残念!今度は開館日に来ましょう。
で、次は国立天文台へ。こちらの広大な敷地には驚いた。自転車でもかなりな道のり。積極的に道に迷うように自転車を走らせました。「立ち入り禁止」の立て札も見えなかったことにしてぐんぐんと。それにしてもイチョウ並木もきれいだし、ほとんど人の気配がしないので、林の中をずっと走っているような気にもなった。
国立天文台のある「大沢」地区は自転車などで行くと病みつきになると言われたが、まさしくそうだった。次はもう少し足を伸ばして・・・なんて考え始めている。
夜は課題だった小品の制作に着手。今までのスタイルのものにもうひとつ付け加えたものを考えている。
11/13
今日はたくさんの作家さんとお話をした。
かねこ・あーとで山本秀明さん、田村真理子さん、GALERIE SOLで繁田直美さん。それから偶然に両会場で田中宏美さんにもお会いした。マキイマサルファインアーツで高久千奈さん、高島史於さん。それぞれご自身の作品における意図や、素材の変化に関する意識などのお話は、大変興味深く、そして参考になった。わたし自身も考えさせられるいい機会となったことに皆さんに感謝したい。本当に充実した一日だった。そして作家さんとお話をするのになかなか取っ掛かりをつけられないわたしに、うまく話の中に引きずり込んでいただいたKさんにも感謝。
とはいうものの、今日はなぜか体力的に疲れてしまって、巡り終わった帰りの電車では腰がガクガクしていた。しゃべりすぎて声も枯れるし。
それにしても銀座中央通りから見た西の方の空の雲の色が、ダークブルーグレーとベージュに日が差して、そのコントラストがとても美しかった。歩行者天国の道の中央でしばらく立ち止まって眺めていた。
朝、出かける前にいくつかブログをチェック。Baghdad Burning、Raed in the Middle、シバレイのblog 新イラク取材日記。ファルージャの武装兵力とは?一般市民は?暗澹たる気分になり、外出するのも辛くなってしまいそうだった。
11/11
ヤセル・アラファト死去。
パレスチナエキスパートではないので、たいしたことは言えない。が、かの国の大統領が再選され、アラファトが死んでしまったということが、パレスチナ人にとってどういう意味があるのかは少しは理解できるつもりだ。
戦車に向けて石を投げていた少年たちはどうなるのか。
11/9
ファルージャへの総攻撃開始。
静岡県沼津市で目の手術を受けたファルージャ在住のイラク人少年モハマド・ハイサム・サレハ君(10)は被害を避けるため、10月初旬から郊外の祖父母の家に疎開している。
避難先はファルージャの西約30キロのハリディヤ。モハマド君は5年生になったばかりだが、「学校に行けないのでとても退屈」と不満を漏らしているという。
父親のハイサムさん(33)によると、モハマド君の自宅付近でも激しい空爆が続いており、「家に被害が出るかもしれない」という。このため一度はファルージャに戻り、家具や日本でもらったお土産などをハリディヤに移した。今後の一層の情勢悪化を懸念しハリディヤへの転居も検討、家探しも始めた。
米軍は先に香田証生さん(24)を殺害した武装組織を率いるヨルダン人テロリスト、ザルカウィ容疑者らの掃討を制圧作戦の目的としているが、ハイサムさんは「ファルージャにザルカウィはおらず、米軍は子どもや女性らを無差別に殺害している」と述べ、憤りを表した。
モハマド君は来月初旬に再来日し、目の状態をさらに改善するための再手術を受ける予定。(バグダッド共同)
「ザルカウィは米軍にとって『イラクの大量破壊兵器』みたいなものではないのか?」というフレーズを目にしたことがある。そしてこの国の首相はあいかわらずかの国の行動への支持表明。
すでに何度目か忘れてしまうくらいの既視感すら抱く。こうして世界は時を刻んでいくのか。
11/8
帰りの吉祥寺駅のホームで楳図かずおを見る。赤のスタジャン姿だった。同じ電車に乗っていたようだ。
11/7
お昼近くになってトーキョーワンダーサイトに。なんだか昨日までの旅行の疲れが残っているのか、時差ぼけみたいな感覚だったが、行ったおかげで目が覚めたような気になった。
それからOギャラリーへ。五能線や津軽半島で海を見ていて田中宏美さんの絵画を思い出してしまい、どうしても手元に置きたくなってしまったからだ。11/2に行った時に印象に残った作品を欲しいと思っていたのだが、今日行って別の作品が気になっていた。より一層シンプルな方だ。それ以外にファイルにある水彩も見せてもらい、やはり今日ギャラリーに入って一番最初に欲しいと思った油彩の作品を頂くことにした。
昨日まで見てきた重い色の海とはまったく違う色使いで、部屋の中が明るく、見ていて和んだ気分になる。だが、やはり海を見ていたときと同じ気分になる。
これでいよいよ季節外れの夏休みも終了。来年10月の個展の予定も入ったし、それ以外にも制作に手をつけなければいけないし、そろそろ再開だ。
ところで旅行中の文章はどうやって書いたかというと、携帯メールを使って旅行中に自分宛にメールを送っていたのだ。これは「みたかのみかた」の編集の方に教えてもらった方法だ。でもまだ「みたかのみかた」には文章を出していませんけどね。なかなか三鷹の散策ができていない状態で。
11/6
朝から弘前市内の散策。弘前公園の堀のふちの桜が紅葉していて美しい。弘前公園は最後に取っておくことにして、市内の散策をする。
今日は朝から快晴で、今回の旅行で初めて岩木山の全体像を見ることができた。稜線が美しい。この地方の人が岩木山に思い入れが強いのも頷ける。
岩木山を眺めながら歩き、江戸初期建立の三十三の禅寺が集まるところをまずは訪れる。三十三の禅寺の一番奥にあり中心でもある長勝寺がなかなかいい雰囲気だった。
造り酒屋の店の造りが面白かったり、普通の住宅街の中に少し古めの家屋を見つけたりしながら、歴史のある町並みの散策を楽しむ。三重塔がある最勝院に到着すると、多人種で髪の毛をかなり短くした一団に遭遇。たぶん三沢基地の在日米軍のなのではないか思った。その中のひとりに「オハヨウゴザイマス」といきなり声をかけられて、少々まごついて返事もできずにすれ違った。かの国の大統領選のこともあり、いきなりの先制攻撃には度肝を抜かれてしまった。まあそれはいいとして、三重塔は均整がとれていて美しかった。在日米軍兵士が鐘を突いて厳粛な気分を味わっているんだか、ただ遊んでいるんだか判断できないでいる間、しばらく紅葉と三重塔を眺めていた。
お土産にと考えていたお菓子を買おうとお店に行ったら、そこは閉店してしまっていた。残念だった。ガイドブックには結構おいしそうな感じで紹介されていたお菓子だったものだから。その後、商店街などをを散策し、弘前公園に入った。見事なまでにモミジが紅葉していて美しかった。お堀とモミジとサクラの紅葉が素晴らしい景観を見せていた。しばらくベンチに座って眺めていた。お堀の周りや公園内のモミジの木の本数もさることながら、サクラの木もかなり植わっている。桜の季節は圧倒されるほどの美しさなのだろう。その季節もまた訪れてみたいものだ。
リゾートしらかみ「青池」2号でいよいよ帰路へ。弘前から五所川原までは津軽弁で昔話。五所川原から鯵ヶ沢までは津軽三味線が実演された。五所川原あたりから雨が強くなってきた。海に出ると、強い雨とそろそろ日の入りという時間帯で、なんとも陰鬱な風景になった。それこそ「父、帰る」のロシア北部の海の風景だった。豪雨となり稲妻も見えた。せっかくだから日没の夕焼けのシーンの写真を撮りたいと思った。それで雨が降る中をじっとシャッターチャンスを待った。海岸線より少し上の方が赤らんできた。少し写真を撮りながら、もっと赤くなるのを待ったが、それ以上赤くはならなかった。五能線は単線なので、途中駅ですれ違い電車を待つことになる。待っている間に日が入ってしまったらしく、もう空には赤らんだところはなくなってしまいどんどん暗くなってしまった。まあ雨が降っていたくらいで空は曇っていたのだから、太陽が水平線に沈んでいくところなど見れるはずはなかったのだが、それでも期待していた以上は、それなりにがっかりしてしまった。ついには全く海が見えなくなってしまった。それからは読書タイム。秋田に到着して秋田新幹線に乗り換え、夜11時に東京に到着。帰宅したのは夜の12時過ぎだった。
それにしてもいろいろな素晴らしい風景に出会えた旅行だった。最近の旅行は美術館巡りだったりして、風景をのんびり眺めるようなものではなかった。また違う季節に津軽地方に行ってみたくなった。
11/5
津軽半島の中ごろにある小泊というところに行くために朝7時20分のバスに乗る。バスが出発するころに雨が降り出す。途中で雨が止み、空が明るくなってくる。雲が低い位置にあり、窓の外に広がる田園風景の上に日が差して来る。虹の左下1/3くらいが見える。大きな虹だった。
津軽鉄道の沿線を通り、十三湖の、昨日とは反対側を通り、海岸に出る。バスの終点から少し離れたところに港があり、そこから少し離れたところに建設途上の公園がある。そこでしばらく海を見る。バスで通り過ぎたちょっとした峠を歩き、反対側の海岸線に出る。途中展望台があり、そこからの眺めを楽しむ。朝雨が降っていたのに、その時点ではまったくの晴天になり、明るい海色を眺められた。
小泊から帰るバスの中でふと気がついた。日本海に夕日が沈むのが見られなかったのを悔やむならば、帰りの行程に青森−八戸経由で東北新幹線で帰るのではなく、復路もまた五能線で帰ればいいではないか。五能線にはいるときにもらったパンフレットにモデルケースが示されていた。時間的には海岸線に入ってしばらく経ったところで日の入りになりそうだ。秋田でも新幹線乗り継ぎもよさそうだ。そう決めるとまた少しわくわくしてきた。
小泊から五所川原に戻って駅で早々に切符を購入する。当初すぐに移動して観光する予定だった弘前は、明日朝から帰りの電車に乗るまでに終えればいいということで、計画変更をしてもう一度津軽鉄道に乗って芦野公園の紅葉を楽しんだ。小さな池とサクラやモミジやシラカバの木々があるだけのところだが、紅葉が美しく、落ち葉を踏みしめて公園を一周した。五所川原に戻り、ねぶたの資料館に行った。昔のねぶたは縦に高い型のねぶただったらしい。それが電気の波及に伴って電線が張られることで、それが邪魔になって縦型のねぶたを道に繰り出せなくなり、小さくなっていってしまったらしい。その縦型のねぶたの昔の写真が発見されて、それの再現への熱気がでてきたらしい。それで数年前に官民一体で再現したとのこと。資料館にはそれが展示されている。22メートルの高さはさすがに圧巻だった。人々の地元の祭りへの熱気を思ってみる。東京にいたときにはまったく見えなかった人々の顔が浮かんでくるようだった。
弘前への電車から見える夕焼けと岩木山が美しい。雲がライトブルーと濃赤がまだらになって浮かんでいる。五所川原は日本海側だからだろうか、東京と比較すると秋の雲とは思えないほど低い位置で立体的な形状を示している。この瞬間を逃してはなるまいと、座っていた椅子から立ち上がり、ドア付近のよく見える位置に移動した。写真も撮った。電車が揺れたのでぶれているだろうが。
弘前に到着してホテルにチェックインし、しばらく休憩してから「山唄」という津軽三味線と民謡のライブハウスに行った。なぜか入るタイミングを迷いに迷って行ったり来たりしていたので、店に入ったのは第1部の途中になってしまった。席についてまずは民謡や三味線のセッションの迫力に圧倒されてしまった。ワンステージで満足すればよかったのだが、やはり途中から入ったことで若干不満なところもある。第二部を最初から聞きたいと思ってもうしばらくいることにした。第二部まで一時間ほど時間があり、料理を3品くらい頼んだが、お腹の方はもうだいたいいいくらいになってしまい、時間を持て余し気味になってしまった。が、待った甲斐があった。一部とは内容が若干異なり、二回ライブを聞いてとても満足できた。津軽三味線は独特のグルーブ感があり、意外な転調がある。民族音楽に興味を持っていた時期にCDを一枚買ったことがあったが、やはりCDよりは生の方が迫力があった。
満足してホテルへの帰途に着いた(途中道に迷ってしまって、かなり不安な瞬間もあったけどね)。
11/4
夜行バスでぐっすり寝られるはずはなかった。海外旅行の際、飛行機のシートでほとんど寝られずに、ずっと本を読んで過ごしていたではないか。
消灯になってからの最初の一時間ほどはまったく寝付かれずにいた。そのうち一時間ずつ時計の時刻表示を確認するようになった。どうにも首と腰の角度が調子が悪いようだ。そうこうするうちにバスの中に小さいざわめきのようなものがあり、はっきりと目を覚ました。そろそろ秋田が近いらしい。
雨が降っている。雨男だなー、やっぱりわたしは。どこかに行くと必ず一日は雨に降られる。バスの中のテレビが映り始めた。6時のニュースらしい。「ブッシュ勝利宣言」。あいつが手を振っているぞ。と、思ったら斜め前に座っていたおばあさんが拍手をしている。最初は見間違いかと思ったが、本当に拍手していたのだ。ちょっとショックだった。これほどまでにあいつを支持している人が日本にいるなんて。
スタバを見つけた。秋田まで来てスタバはないかもしれないが、7時オープンらしいので、駅の通路にあるベンチで待つことにした。秋田は思ったよりは寒くないと思ったが、ベンチに座っている間に冷えてしまったようだ。スタバでコーヒーとフレンチトーストを摂ったが、思ったほど体が温まらない。そこでコンビニで手袋を買うことにした。
リゾートしらかみ「青池」1号に乗り五能線へ。リゾートしらかみはシートがゆったりしていて窓が大きい。途中でいろいろとイベントを催したり、車内アナウンスでいろいろな説明をしてくれる。この列車は完全に観光用に特化した列車なのだ。途中、能代駅で8分停車。その間、バスケのシュートを決めると記念品がもらえるというアナウンスがあった。さすが能代工の地元。せっかくなので挑戦。シュートが決まって記念品の秋田杉のコースター(?)をもらった。
五能線はいよいよ海岸線に出る。そのころには雨も上がり、曇ってはいてもそれなりに明るい景色となった。水平線が見える。日本海が美しい。電車の速度を落として進む。思いの外低い雲と鈍い輝きの青空。水平線のあたりは群青色でそこから深緑のグラデーションがかかる。写真を撮るのはやめた。写真を撮ることで自分のどこかで見ることに「終了」と記してしまうところがあるからだ。じっと窓の外を見続けた。どんなに美しかったかはこちらを参照してください。
海岸線から内陸に入る鰺ケ沢から五所川原までは津軽三味線の生演奏だった。
まずは五所川原から津軽鉄道で斜陽館に。午後すぐくらいなのに、夕方のような明るさだ。途中の町並みがその裏寂しさと相まっていい雰囲気だった。太宰は高校生の時に三冊くらい読んだけれど、だからどうだというわけでもなく、斜陽館は明治時代の建築物として楽しめたくらいだった。津軽鉄道からはところどころ紅葉が見られる。岩木山はほとんど雲に隠れているが、美しい稜線が見えている。思ったより広い津軽平野の中に津軽鉄道の線路が緩やかに延びている。五所川原近郊はそれほど高い建物がないためか、空がとても広く見える。津軽鉄道で五所川原に戻ってから、今度はバスに乗って十三湖へ向かう。普通の路線バスなので、途中で買い物帰りの人々が乗り込んでくる。一つ前の席に座ったおばさんたちの会話が弾んでいる。ちょっとわからないがその独特のリズムが聞いていて楽しい。道路沿いにはいくつか沼が見えたり、住宅の特色がわかったりしてなかなか面白かった。玄関先にもうひとつエントランスホールのような空間があるのだ。これは厳寒と積雪量とに関係があるのではないかと思う。
バスに乗って1時間強で終点に着く。中世にこの地には「十三湊(とさみなと)」という港湾都市が栄えていた。その地を見てみたいというのがこの地を訪ねた理由だ。十三湖の中に中の島公園があり、そこに歴史民俗資料館があり、なかなか興味深く見られた。が、思った以上に時間をとったためか、じっくりと十三湖や日本海の水面を眺める時間を取れなかった。しかも帰りのバスに乗ったところでふと気がつくと、夕日の最後の部分が沈んでいるところではないか。日本海に沈む夕日という絶好の機会をみすみす見逃してしまったなんてと、結構落ち込んでしまいそうになった。
食事をしてホテルへ戻る際、豪雨ともいえるような雨に降られてしまった。この季節ににわか雨はないだろうと思ったが、東北の日本海側だ。東京の気候をそのまま当てはめてはならない。
ホテルのベッドに入って今さらながら、なぜ飛行機やバスで寝付けないかようやくわかった。わたしは寝付くときにまずうつ伏せで寝るからだ(起きるときは仰向けになっている)。今までそれにまったく気がつかなかったのもどうかと思うが。
11/3
かの国の大統領選は混迷を極めているようだ。
今夜、夜行バスに乗って秋田に明朝到着。その後、五能線に乗って五所川原に行き、そこから津軽半島の方に行きます。北の日本海は「父、帰る」に出てきたような陰鬱な美しさを見せてくれるだろうか。
帰ってきてもまだ大統領選は決着が付いていないだろうな。しかし現職有利の報道には、そういう心構えもしてあったものの、あと4年あの男の顔を見なければならないというのはさすがに堪える。そんなことで三鷹商店街を暗い気持ちで歩いてしまった。4年後にはヒラリー・クリントン登場か?
11/2
相変わらず季節外れの夏休みです。
今日は東京都現代美術館の「ピカソ展」に行きました。
驚き面白いことに深川商店街にピカソ展の幟が立っていて、「ピカソ商店街」と名乗っている。すごいじゃん。美術館と地域の商店街が一体になるなんて今まであったか?
ピカソはやはり天才だった。しかし打ちのめされるのではなく、出品作が彼の最盛期からのチョイスであり、「躰[からだ]とエロス」というサブタイトルでもあることからか、鑑賞していてとても楽しかった。
じっくり鑑賞しすぎてしまい、最初の予定より常設展をじっくり見る時間がなくなってしまった。ここまで来たからにはサム・フランシスを見ないわけにはいかない。そんなわけで常設展は大急ぎで回り、サム・フランシスの部屋で溺れさせてもらった。
と、いうのも来年10月に個展をやらせていただこうと、某ギャラリーに伺う約束をしていたからだ。
その場でほとんど即決のような感じで来年10月の日取りを決めてしまった。というのもとてもいい雰囲気のギャラリーなので、ぜひやらせていただきたいと思っていたから。
その後、銀座に出てギャラリー巡り。
Oギャラリーの田中宏美さんは去年11月に拝見してとてもいい作品だったので、期待して行った。今回もとても気分が柔らなくなる作品だった。白と黄色の暖かいコンビネーションは心和む。今回は壁一面の大作もあり、とてもとても気持ちいい時間を過ごさせてもらった。GALERIE SOLの伊藤泰雅さんは地図をモチーフにしていて、非常に興味ある絵画。ご本人がいらしたので、そこら辺をお話すればよかったのだが、またなんとなく言いそびれてしまった。
11/1
イラク人質事件。情報が二転三転して、最悪の結果に。
彼が無謀であったことは否定しない。だが、今考えられる一番の「極北の旅」の地を実際に見てみたいという、その好奇心を否定したくない。彼が「また日本に戻りたいです。」と言う前に、乾ききった喉に唾を通そうとした喉仏の動きを忘れたくない。
それにしても相変わらず自宅への嫌がらせともいうべき電話にはまったく呆れる。「税金の無駄遣いだ」などと言うのなら、もっと大掛かりな税金の無駄遣いにもきちんと正面から抗議せよ。
今日は「毎月1日は映画デー」だった。夏休みということで、朝から映画を見に行ったのだ。ロシア映画「父、帰る」だ。夏とは思えない鉛色の空と灰色の海。陰鬱で美しい風景が素晴らしかった。室内の光の使い方がタルコフスキーを思い起こさせる。風景描写がソクーロフをも思い起こさせる。しかしテレビCMなどを手がけていた監督らしく、テンポよくストーリーが進んでいく。しかもすべて解答が用意されているような作りではなく、謎は謎のまま終わってしまう。なかなかいい映画だった。こういった新人監督がまたロシアから輩出されるようになったのは喜ばしいことだ。
「父、帰る」に出てきたような風景が見られるんじゃないかと思い、今週後半の津軽半島方面への旅行に行くことを最終的に決めた。
10/30
寒い。夏の次は冬か?と思わせるほど急に冷えてきた。
以前の住処はエアコン付きで、暖房もそれを使えばよかったのだが、今度のところはエアコンが付いていないので、暖房器具を改めて用意しなければならない。電気ストーブは持っているのだが、やはり部屋全体を暖めるものが欲しい。いろいろと人の話など聞いているところで、オイルヒーターを考え始めたのだが、お値段と機能を検討中といったところだ。
ギャラリー巡りを表参道から始めて銀座へと向かう。
OPAに寄ったが、考えてみたら台風やら帰省やらで1ヶ月くらいぶりのようだ。藤波さんとしばらくアートのことやら気候やら時事問題やらのお話をした。LET IT COME DOWNの新作が出ているとのことで試着させてもらった。どうもわたしの体は見た目より小さくできているようで、着る人を選択してしまいそうなサイズのシャツが着られてしまい、藤波さんに驚かれた。どうやらわたしは見た目はそれほど小さくは見えないようだ。
試着するときに首に巻いてきたスカーフをはずしてスースーしたので、この寒さの中、首にスカーフを巻いて来て本当によかったと感じた。あるとないのとでは全然違う。あとは頭が寒いので途中で帽子でも買おうと思ったのだが、外苑西通りの無印で、狙っていたキャスケットがなく(というか帽子の在庫がほとんどなかった)、帽子は諦めて続きのギャラリー巡りを続けた。
銀座ではOギャラリーの与那覇さんが目当てだ。前回のOギャラリー、ギャラリー舫と続くところでは、「具象と抽象の要素が入り混じるあたりを考えているのだが、まずは具象の方の完成度を高めて、それからいろいろと要素を入れていく」といったあたりがどう消化、発展しているのか楽しみにしていた。が、結果は思いっきり抽象だ。前回のOギャラリーの「具象と抽象の要素が入り混じるあたり」よりも抽象よりに思えた。そのときに描かれていた具象の輪郭が思い切ったタッチの線で表されているようにも思えた。ギャラリー舫で説明いただいたあたりがどのように展開されているのか尋ねてみようとも思ったが、お知り合いの作家さんが来られていて、先に尋ねてもらえた。
「結論から言うと、整理できてません。が、これからもじっくりと整理していきたい。」
というのが回答だった。今は揺れているところなのだろうか。でもあいかわらず完成度は高く、じっくりと鑑賞してもまだ自分の鑑賞する姿勢に不足しているものを感じるくらいだ。
それにしても与那覇さんの小品は値段が思ったより安い気がする。今しばらくはどう展開されるのか少し様子を見させてもらいますが。
10/26
夏休みということで、朝から映画を見に行く。
「モンスター」。まあ見てもいいし、見なくてもいいかもしれない映画ってところだった。悪くはないけれど、もしかしたらもっと見るべき映画があったかもしれない。たとえば「父、帰る」とか。
きっと映画のモデルになった女性連続殺人犯アイリーンウォーノスについてのドキュメンタリーの方が面白いだろう。ブランドン・ティーナ殺害を題材とした「ボーイズ・ドント・クライ」よりもブランドン・ティーナに関するドキュメンタリーの方が面白かったのと同様に。
帰りに「誰も知らない」の挿入歌「宝石」が入っているタテタカコのCDを買う。最後に流れるこの曲は主人公明の心象を表しているかのようだった。不安に崩れそうになりながらも希望を捨てずに見つめている強い眼差しを感じた。もう一度聞いてみたいと思った。そんなわけで買った。タテタカコが生まれ住んでいる街はわたしの郷里と近い。こんな人物が活動しているなんて知らなかった。
夕方、冷たい雨の中を歩いた。「誰も知らない」の4人の子どもが過ごした四季を思い浮かべた。初秋の冷たい雨の中、ただじっと我慢するだけの猛暑の夏。窓枠に切り取られた四角い空とそこに浮かぶ雲。もう一度「誰も知らない」を見たいような気持ちになった。
10/25
夏休みということで、朝から映画を見に行く。
ずっと見るのを楽しみにしていた「誰も知らない」だ。涙が止まらなくなってしまったというわけではなかったが、子どもたちの心情を振り返ってみて、後からじんわり来るような映画となった。是枝のファンではないと言いながら、「幻の光」から見続けているわたしだが、ところどころ納得できない部分があった今までの作品と比較すると、「誰も知らない」は一番しっくりくる映画となった。
スチールは川内倫子が撮っていて、子どもの表情がとてもいい。静かに揺れるような心持で映画館を出た。
昨日持ち帰ったテーブルの代用の板にさらにベニヤ板を取り付けて厚みをつけようということで、182cm×91cm×0.9cmのベニヤを吉祥寺で買って持って帰った。帰宅後、釘で打ちつけ、着色剤で黒めに着色した。ベニヤ板も9mmの厚さだと結構重い。右手が今もぶるぶる震えている。やっぱりそれなりに疲れた。重いものを持って歩いたし、吉祥寺ではやたらに信号が変わりつつある横断歩道を走って渡ったし。
10/24
朝10時ごろから設備会社が来て、漏電騒動の原因究明をする。照明装置全部を見て回ることになり、片っ端から取り外して電源ケーブルを確認していく。が、なかなか原因が特定できないまま時間が過ぎていく。
午後になってもまだまだ途方にくれたまま。もうひとり応援の人がやって来て、3時過ぎになってようやく原因が特定できた。最後まで手をつけていなかった台所の照明の結線が間違っていて、ショートしていたらしいのだ。きちんと結線しなおしたらブレーカも落ちなくなり、問題解決。漏電は一切なかったらしい。作業終了は4時半近くになった。わたしはただ作業を見守っていただけだったが、結構疲れてしまった。
その後歩いて吉祥寺のSさん宅に行く。ダイニングテーブルの代用としてSさん宅でドアの代わりに使っていたというベニヤ板をもらいに行ったのだ。久しぶりにネコちゃんたちに会った。女王様のリンちゃんは真っ先にやってきてお客さんの品定めをする。取るに足らないやつだと判断したらしく、すぐに行ってしまった。かまってもらいたがり屋のモンゃんは少し慣れてきたら、かまってもらおうとじゃれついてくる。恥ずかしがり屋のゴンちゃんは結局姿を見せず。しばしモンちゃんをいじって遊んでいたのだが、くしゃみが何度も出てしまった。もしかしてネコアレルギーなのか?そういえばこのお宅に遊びに来るといつも連続してくしゃみが出る。それはちょっと問題だ。
で、70cm×180cm×2cm(と言っても厚さ15oの木枠に厚さ4oのベニヤ板を両側から打ち付けたので、中は空洞で軽い)を歩いて持ち帰った。
それから牛腸茂雄展の第二会場の三鷹市芸術文化センターへ。会場の最後の方でたぶんユーロスペースで上映されたアートドキュメンタリーだと思われる「SELF AND OTHERS」が上映されていた。牛腸が姉宛に送った手紙が朗読され、牛腸の写真が、その撮影場所の現在の風景の映像に挿入されていく。つぶやくようなナレーションの響きと映像の速度と牛腸のモノクロの写真の組み合わせがなんとも切なく感じた。牛腸の表現したかった「かけがえのない生」に対してなんとはなしにノスタルジーも加味されたような、感傷的な気分になってしまった。
10/23
朝、OKさんからのとてもとてもうれしいメールが届いている。お子さん誕生の報告だ。画像も添付。パパとなったOKさんはもうデレデレだそうだ。でもわかる。すっごい可愛い女の子だもの。OKさんおめでとう。
ご夫婦にもお子さんにも早いうちにお会いしたいものだ。
何通かメールを送った後、三鷹市美術ギャラリーの牛腸茂雄展へ。写真が撮られた時代を生きていたわたしとしては、写真の中にいる子どもたちはわたしであり、わたしの近所の同年代の子どもであり、同級生たちであり、ほのかに胸をときめかせていた少女たちでもあった。中平卓馬に「危機感がない」と批判されたらしいが、そこに写る個々の人々の日々の思いが映し出されているように思えた。明日時間があったら第二会場の方にも行かねば。
その後、三鷹中央通をぶらぶら歩いて店頭を覗きながらぶらぶら散策する。近所の八百屋さんで大根、にんじん、長ねぎ、トマト、ナスを買った。全部で610円。スーパーなどで買うよりはずいぶん安く上がった。近所のお店をすっかり見落としていたものだ。その店先でネコの鳴き声が聞こえた。振り返ると三毛猫が鳴いている。わーネコちゃんだと手を差し伸べたら、その手に素早くネコパンチ2発。ああ、怒ってらっしゃる。はい、すみません。と、すごすごと引き下がった。
夕方に地震。テレビで新潟放送局のアナウンサーが「今新潟放送局のスタジオで大きな地震を感じた。」とほとんど実況中継のようなことを言っていた。しばらくしたらこちらでも揺れを感じた。これが新潟−東京間の伝播にかかった時間なのか。何度も揺れて、それなりに不安をかき立てられた。
それから「テールスープ」のライブへ。高円寺のTOTOTO CAFEへ。住所を見て歩いていくと住宅街へ入っていく。こんな住宅街でライブができるようなカフェがあるのか?と思いつつ、住所表示にしたがって歩いていくと、普通の民家にたどり着いた。ドアを開けると玄関に靴が一杯。中には観客が。本当に2DKの普通の家がライブ会場となっているのだ。ライブがないときもカフェとしてボツボツとやっているらしい。普段はダイニングルームのはずの部屋がステージになっている。ダイニングルームに続いた部屋が客席となっている。玄関の方にある一室が楽屋らしい。それらの部屋には本棚もあり、本がなかなかな面白い傾向なのだ。TAO、横尾忠則、臨死体験もの、中沢新一、埴谷雄高の「死霊」、ティモシー・リアリーなんかがある。かと思うと辺見庸もあるし、現代思想臨時増刊「これは戦争か」もある。人の本棚を見るのはなかなか楽しいものだ。
ライブ終了後、みんなでゆったり雑談タイムとなる。どうやらわたしはこういう雰囲気は苦手らしい。中学生のころから苦手だった。用事が済んだらとっとと帰って一人で自室で過ごしていた。それがもうずっと引き継がれているらしい。おいとまをしようとしたら、カフェのオーナーさん(女性)がライフワークとしている写真を撮りたいと言ってきた。出会った人と抱擁している写真を撮るのだそうだ。で、オーナーさんと抱擁して写真を撮ってもらった。センシュアルなところが一切ない、固く乾いた抱擁だった。
帰宅してテレビをつけたら、さっきの地震の被害状況が深刻であったことがわかった。被害地域に妻有アートトリエンナーレの会場地域も含まれている。あの棚田はどうなっているだろうかとか、あの商店街の、とても親切にしてくれた靴屋さんや泊まった民宿はどうなっているだろうと心揺り動かされた。
10/22
お台場で開催されるイベントというのはいわゆるシンポジウムというやつで、わたしはひとつの会場で3つあるセッションの前後で、来場者にセッションの紹介をしたりするという役目を負った。結構神経を使い、終了後、どっと疲れが出てしまった。
今日がそのイベントの最終日ということで、後片付け後にスタッフで打ち上げをすると言われたが、不参加として京橋−銀座のギャラリー巡りをした。
今日行った展覧会はそれなりのクオリティーがあって、こう言っては申し訳ないが、飲み会で時間を潰すよりは有効な時間が過ごせたと思う。
帰りのゆりかもめで一緒になった同じ職場の人とは、そのときが初めていろいろと会話をするような人だった。それこそ趣味とかを聞きあうような。いろいろと話をしているうちにその人に言われた。
「イグチさんって達観していますね。」
そう言われて改めて帰宅してから広辞苑で「達観」を調べてみた。
@一部に拘泥しないで全体を観察し、真理・道理をみきわめること。また、何事にも動じない心境に到ること。A全体を見通すこと。広く見渡すこと
これはわたしのことではないですね。自分がどれだけちっぽけな人間なのか、知ってるもの。どちらかというと感情を表に出さないっていうだけのことでしょう。残念ながら。
聞いている音楽はノイジーで音楽ではあるかもしれないが、メロディーはなかったりするとかと説明して、「新宿タワーレコードの9階にある『アバンギャルド』のコーナーによく行くのだ。」と言ったのだが、有言実行、ギャラリー巡りをした後、本当に行ってしまった。
このイベント終了後第2回季節外れの夏休みに突入。
10/20
仕事で午後お台場に行く。翌日から開催されるイベントの準備ということで。作業が手間取って予定より遅れてしまい、その間どんどん雨風が強くなる。6時半ごろに会場を出たのだが、そこから駅までの5分くらいで、すっかりずぶ濡れになってしまった。
そんな中、夜8時半ごろから設備会社に来てもらい、10時近くまで漏電についていろいろと調べてもらった。どうやら漏電ではないらしいのだが、どこに原因があるのか、今夜のうちに調べ上げることはできないようで、日を改めて今度の日曜日に朝から明るいうちに調べてもらうことにした。照明の電源は生きるようになったので、照明はお役ご免となった。
10/19
新居に引っ越してから一ヶ月半で6回もブレーカが落ちている。それで東京電力に電話をして夜9時過ぎではあるが、漏電の調査をしてもらった。どうやら照明のどこかで漏電が発生しているらしい。チェックしているうちに完全に漏電でブレーカが落ちてしまい、照明用の電源を遮断しないとブレーカが元に戻せなくなってしまった。そんなわけで照明を付けないようにしてコンセントの電源を生かすことにした。そこで個展の時に使った照明を使って灯りを取ることにした。こんなときに照明が役立つなんて、作家冥利か?下から部屋の中を照らすとなんだかいい雰囲気だ。
なんて言っている場合ではないが。
設備会社に明日来て調べてもらうことにした。
10/17
昨日とは打って変わって快晴。
昨日行けなかった美術館に行った。昨日の体調の悪さでは木下晋の絵画には太刀打ちできなかっただろう。そう思えるほどのエネルギーが一枚一枚から伝わって来る。老女の顔の皺が幾何学的なまでに克明に刻まれている鉛筆画が、「すべてを見ろ」と言わんばかりになかなか離れさせてくれない。きっとひとりで来ていたなら、今日費やした時間の倍は見ていたかもしれない。それにしてもなんとも幸運だった。偶然帰省した先で木下晋の展覧会を鑑賞できるなんて。
東京に戻る高速バスの車中から、再び富士山が見える。空色の中で濃いシルエットのようにその姿を映しだしていた。
だんだん日が落ちてゆく。まだ完全には暮れ切っていない深紺色と濃赤紫色の夕闇の中に三日月がかかっていた。道路を照らす照明と車のテールランプが一層輝きを増してゆき、三日月は後方に姿を消して行った。
高速道路の渋滞で延々と続く赤いテールランプを見て、「風の谷のナウシカ」に出てきた、オームの大集団が怒りに目を赤く光らせて突進していくシーンを十数年前に思い浮かべたということを、今日思い出した。
10/16
うす曇の天気。たぶん東京なら冬だと断言してもいいような気温だろう。当地からしても急に寒くなってしまったということらしい。出かけた先ですっかり冷え切ってしまった。二の腕のあたりをさすって暖を取ろうとする。やがてくしゃみが止まらなくなる。一旦戻って一枚羽織ってから蕎麦を食べに出かける。7月にこちらに来たときにも行ったおいしい蕎麦屋さんだ。前回は食べきれずに残してしまったのがとても残念だったので、今回はしっかり食べようと思った。確かに食べきったのではあるが、しゃみが止まらない状態だったので、しっかり味わえたわけではなかった。
近くの美術館で、六本木クロッシングで見た木下晋の展覧会を開いているようだった。しかしこの体調では無理だろうと、美術館には明日来ることにして、今回は帰ることにした。帰って風邪薬を飲んでしばらく横になっていた。たぶん体が冷え切ってしまったために体調が悪くなり、それがくしゃみとなって現れたのだろう。
10/15
帰省の車中で見る山々は、緑の濃淡を楽しめた7月のときとは異なる表情を見せていた。
紅葉を楽しむ季節にはまだ早いようだ。山頂の方が夕日に染まったような色彩を帯びていた。紅葉はまだふもとまで降りてこず、届かぬ位置に留まっているらしい。
青空と山頂の色合いは、夕焼け空の青と赤の絶妙な取り合わせを思い浮かばせた。その二色の間のグラデーションは、どこか遠い場所のお話のような現実からの距離感を思わせる。山間の風景にあるグラデーションに感じる現実感覚の希薄さはそれと同様な感覚なのだろうか。
富士山は逆光の中、大きく正面に姿を現していた。
10/14
季節外れの夏休み。
今日は映画を見てからギャラリー巡りをした。
映画は候孝賢の「珈琲時光」。候孝賢を見るのも久しぶりだ。
相変わらずの長回しのカメラ。ごくごく自然な感じでゆったりと時間が過ぎていく。エキストラで出演している喫茶店のマスターや電車で隣り合った人々の表情がなんともいえないいい味を出している。まだまだ日本人も味のある顔をしているんだと思ってしまった。
御茶ノ水駅付近の中央線と総武線と丸の内線が交差する美しいラストシーン。と思ったら、「ひととよう」の歌が入ってきてしまった。何も音楽がなく最後のクレジットに入っていったら最高な終わり方だと思っていたのに。と、思っていたら、キャストに「蓮見重彦」の名前が。かなり驚いてしまった。でも一体どこに彼が出ていたんだろう。映画のパンフレットを見ると本人が文章を寄せていて、そこに自分の出演シーンも出ている。確かにそういうシーンはあった。だが蓮見らしき人物が出てきたような記憶はない。蓮見はかなりの大男なので見落とすはずはないのだが。
それにしても蓮見重彦を古本屋の客(エキストラ)として出してしまう候孝賢ってすごいんだかなんだか。
相変わらず浅野忠信は役どころの登場人物が自然に振舞っているように演じている。どの役も自然に振舞うように演じるところがすごい(と、いう話を人から聞いてから浅野のすごさが理解できたわたしはやはり鈍いのか)。
今日もまたギャラリーで何人かの方とお話しをした。おひとりはわたしの名前を知っているはずがないと思っていた方で、会場にいる作家さんに「こちらは作家さんでイグチさんです。」といきなり紹介されてしまって驚いてしまった。多分わたしの今までの人生の中で、今が一番名前を知られている時ではないかと思う。
今日は部分日食だった。忘れていた。
明日から二泊三日の帰省をします。
10/11
午後になってからギャラリーブリキ星の川ア美智代展へ。今までソフトパステルで線を描くような作風だったのが、オイルパステルで面を描くような作風に変化している最中とのこと。行ったり来たりしているところらしい。わたしとしては前回のOギャラリーの廊下での展示あたりから、川アさんの作品にぐっと近づけたような気がする。今回もとてもとても惹きつけられる色がある。しばらく言葉も発せずに見入っていた。
そんなところにおのてつさんが登場。川アさんはおのさんが来たら質問したかったことがあったらしく、いろいろと問いを発する。わたしはそのやり取りを横で聞かせてもらっていた。そうしているうちに愕然とした。どうもわたしは川アさんの作品を今までまったく理解できていなかったのではないかと。と、なると近づけたと思っているのも怪しいものではないか。その愕然の雰囲気をぬぐいきれずにギャラリーを後にした。
駅への途中で兼藤忍さんに遭遇。今日はよく人と会う日だった。
その後、アートリンク上野谷中へ。日本芸術院で須田悦弘の「タデ」を鑑賞し、クマイ商店へ。今回わたしが出品した29個の小品について、熊井さんから評価いただいた。とてもうれしかった。29個の小品は福引で当たった人が無作為にもらえるらしいのだが、果たしてわたしの作品をもらった人はどう思っただろう。気になるところだ。
わたしも福引に挑戦。おまけで5回やらせてもらったが、全部はずれ。すがすがしいほどだった。
アートリンクも最終日の5時を過ぎて、会場もあまり開いていなかった。それで久しぶりに谷中を散策することにした。なくなってしまったものやまだまだ残っているものがあり、時間の経過を感じさせた。アーティストとしていろいろと得るところが多かったので、それなりに感慨もある場所なのだ。
10/10
昨日の続きで本の整理。
午後3時過ぎに歩いて吉祥寺まで行く。ギャラリー惺に立ち寄り、それから井の頭線に乗って久我山で下車し、千葉祥子さんの展示会に行く。ギャラリーは住宅地の中にあり、庭に木々が生い茂りなかなかいい雰囲気だ。会場内は千葉さんのお友だちで一杯。少し端の方で大人しくしていた。
それから下北沢のMACAギャラリーの内海聖史展へ。彼の作品を初めて見たのはG-ART GALLERYだ。それから何度か見ている。今度の作品は余白も今まで以上に用いられ、サム・フランシスのような気持ちよさがある。4m×17mの絵画の中に漂うようにただただ見とれていた。まだまだ20代後半だ。これから彼はどうなっていくのだろう。
それから三軒茶屋のグレープフルーツムーンで「わがままな月」の結成5周年記念ライブだ。対バンはテールスープ他、バラエティーに富んでいて楽しかった。今日の「わがままな月」はギターとふたりだったが、なかなかいい感じだった。
10/9
引越しして1ヵ月半経ったのに、まだまだ整理できていない本の類の朝から整理をした。我ながら自分が持っている本の多さに閉口しつつの作業だった。
関東地方を台風が直撃。だんだん雨風が激しくなっていく。参加したグループ展の撤去が今日午後5時なので、その中を銀座に向けて外出しなければならない。不謹慎ながら結構わくわくしながら外出した。
三鷹市内も銀座も案外人出があるのにはちょっと驚いた。こんな中観光で日本に旅行に来た外国人たちは大当たりなのか何なのか。
出品していた小品をレインコートのポケットに入れてしばらく中央通りを歩いた。日産ショールームの角まで歩いて、そこから地下に入れば濡れずに済むだろうに、そこからわざわざ数寄屋橋まで歩いた。それから丸の内線に乗り、四ツ谷で中央線に乗り換えた。途中窓ガラスに叩きつけられる雨粒の音が激しさを増していった。車内放送では「多摩川の水位が警戒水位(?)まで達したので、立川−日野間は運行停止した。」なんてこと言っていた。
三鷹の駅を出ると風がかなり強く吹き荒れていた。通りにはビニール傘の残骸がいたるところに吹き寄せられていた。途中、ちょうど横を歩いていた女の子のビニール傘のビニールが、風で骨から剥がされるように取れて行く様を見てしまった。わたしは風に持っていかれないように傘の二点を両手でしっかりと握って歩いた。
それにしても台風一過の、あたり一面を包むような静寂には、少し恐ろしい気にもなった。
10/8
今日は職場の「創立記念を祝う日」ということで休暇だった。マティスでも見に行こうと思った。平日の昼前でしかも雨降りなので、そんなに混んでいるとは思っていなかったが、甘かった。ということは土日はもっとすごい人出なのだろう。混んでいるといっても、まあ何とか見ることはできたから。観客の年齢層が高いのは、やはり平日の昼ごろだからなのか。中には連れの女性に説明というよりは自分の感想に近いことを延々としゃべっている男性がいた。曰く「光の描き方がとても上手だ。」マティスが聞いたら「はは、そりゃどうも。」くらいのことは言っていただろうか。
高階秀爾も朝日新聞に書いていたが、マティスの試行、修正、模索の過程を見ることのできる展覧会で、まあまあよかった。わたしは途中から鑑賞というよりは勉強というような姿勢になった。やはりわたしには最後の切り絵が一番興味深かった。
それにしても日本でこんなにマティスが人気あるとは思わなかった。
常設展は休み休み見た。モネの部屋は圧巻だったが、もう少し疲れていないときに見たかった。
久しぶりに上野動物園に行こうかと思ったが、こんな雨の日にわざわざ行くこともないだろうと思い、引き換えした。それから二つほどギャラリーを回って帰宅した。
どうやら明日は台風が関東地方に直撃らしい。外出を控えなければならないならば、部屋の片づけをするにはちょうどいい。と、思って食料の買出しをした。でも明日は5時にグループ展の撤去だよなー。ちょうど東京を直撃する時間なのではないだろうか。どうするんだろう。でもわたしの場合は小品だからいいとして、明日撤去の作家さんはとても大変なことだ。
10/3
休日出勤。ほとんどいつもと変わらない時間帯を職場で過ごす。
かなり気温が低いのにシャツ一枚で出てきてしまったので、寒い雨の中を帰宅した。夕食をとってしばらくのんびりしているとめったに聞かない電話のベルが鳴った。Mさんからだった。Mさんにはアートフォーラム谷中で個展をしたときにお会いした。その後、昔スロッビング・グリッスルを聞いていたという共通点からお話をするようになった。Mさんは個展のDMを送ると必ずお電話を頂いている。今回は礼状&転居通知のカードのお礼のお電話だった。
いろいろと話をしているうちにブライアン・イーノのMusic For Airportsの話題になった。どうも国内盤は今発売されていないようだ。それからMさんはMusic For Airportsのクラシックバージョンを持っているらしい。う〜ん。それは気になる。ぜひ入手したいものだ。
明日退社後にタワレコに寄ってしまいそうだ。
10/2
神田−銀座−表参道−中延とギャラリー巡り。
アートギャラリー環では芸大日本画科在籍中の三人展。技術もあり瑞々しくもあり。ひとりが同郷なんでびっくり。でも「同郷ですね。」なんて野暮なことは言わなかった。
マキイマサルファインアーツの井上玲さんがとてもとても熱いバイタリティー溢れる女性だった。NO WARのメッセージが強く明確に作品に表している人だった。参議院選の前にはハチ公前で投票に行った人は無料で似顔絵を描くという活動もした人だ。そんなわけで自然に話題もそっちの方に行く。今度も大統領選に当ててニューヨークに行き、戦争反対だという人に似顔絵を描いてあげるということをするのだそうだ。久しぶりにそちらの方面の話をしたなー。
でも彼女の切り絵はクールだけど有機的でもあり、なかなか面白かった。
表参道では長井均さんの漆器。黒と朱を合わせた色がわたしは一番好きらしい。その深い色合いは手元に置きたくなるようなものだ。
ギャラリー二葉の近藤さんには四月以来だ。その後の近況報告などした。
帰りは吉祥寺のリサイクルショップにふらっと寄り、それから井の頭公園の脇の道を歩いて帰った。暗くなっての木々に囲まれた歩道もなかなかよかった。車道の車の音に負けないくらいの虫の声に囲まれながら歩いた。
10/1
辞令交付。晴れて別部署に異動することになった。会う人みんなに「よかったね。」とか「おめでとう。」と声をかけられた。
タイトルは「マトリックス」の中で出て来るセリフらしいですね。実はわたしはこの映画をテレビでチ
ラチラとしか見ていないので、どこで出てくるのかよくわかりません。わたしはスラヴォイ・ジジェクによる
テロとその後の戦争について論じた文章のタイトルとして知ったのでした(現代思想臨時増刊「これは戦争か」より)。
なお、画像は島田雅彦の「ミス・サハラを探して」(KKベストセラーズ)
の中のチュニジアの砂漠の写真(撮影;中島誠)を無断借用しました。